2007-10-15

QJr 座談「こいつがいるから真っ当に生きられる」その3

debi.jpg
(写真は西野浩司さんの飼い猫、デビ)

猫が
元カレとの
友情を
復活させて
くれた

伏見 佐藤さんは犬がきてから夫との関係もより良好になりましたが、斎藤さんは男のほうが猫よりあとにくるでしょう。猫と男の人との関係性はどうですか。
斎藤 前々からそういうところあったけど、男の人との関係は遊び以外は考えられないもんね。たまたまこのあいだは生活保護受けてる人だから、この家で過ごしたけど、本来だったらホテルとかで過ごしたいからさ。1泊ぐらいだったら、朝帰りしても忠ちゃんも怒りませんから。前に7年間つきあったような関係は、もう無理だろうね。 続きを読む…

QJr 座談「こいつがいるから真っ当に生きられる」その2

tetsu.jpg
(写真は佐藤さんの飼い犬、鉄)

鉄が
夫婦の
結びつきを
強くした

伏見 佐藤さん夫婦は同居を始めて何年になるの?
佐藤 10年ちょっとですかね。
伏見 その関係性自体は、問題はないんですか(笑)。
佐藤 一緒の職場で仕事しているし、仲良しですよ。仲良しだけど、もう恋愛じゃないですよね。 続きを読む…

QJr 座談「こいつがいるから真っ当に生きられる」その1

chutaro.jpg (上の写真は斎藤綾子さんの飼い猫、忠太郎)

こいつがいるから真っ当に生きられる
生き残るためのペット

*初出/クィア・ジャパン・リターンズ vol.2(ポット出版/2006)

Pet for us to survive

もはやペットは生活にトッピングするものではなく、人生そのもののパイ生地の役割を担っているのかもしれない。
ペットで人生を豊かにしている方々に、ペットとのつきあい方、ペットにそそいでいるもの、
ペットとのパートナーシップについて語り合ってもらった。
そこに見えてきたものは、ある種の、生き残るための知恵だった。

忠太郎
飼い主●斎藤綾子
年齢●15歳
種類●母はペルシャかヒマラヤン。父は不明。
病歴●尿石症、慢性腎不全、皮膚ガン、不整脈
性格●人嫌いで怒りん坊。そのくせ臆病で神経質。若い頃は暴力的な甘えん坊だったが、今は諦念し、少し気難しい爺さんに。
将来●万が一、飼い主が先に死んだ場合、忠太郎の介護を条件に家を譲る話がついている。穏やかに老いて満福の死を。

さいとう・あやこ
小説家。著書に
『ハッスル、ハッスル、大フィーバー!!』
『良いセックス 悪いセックス』(幻冬舎)
など多数。


飼い主●佐藤智砂
年齢●1歳半
種類●母は黒芝。父はポインター。
病歴●不明
性格●なまけもの。人を食ったような顔や態度を見せる。愛を捨ててでも、食べることを選ぶ犬。
将来●お座り、お手、おかわり、伏せはもう完璧にマスター。次は、社員を見送るときにバイバイと手が振れるように特訓中。将来の夢はテレビ番組「どうぶつ奇想天外!」に出演すること。

さとう・ちさ
ポット出版編集者。

デビ
飼い主●西野浩司
年齢●13歳
種類●サバトラ。母は家猫で、父は野良。
病歴●そろそろ胃腸が弱り気味。
性格●いたって温厚。基本、臆病。若い頃はおてんばだったけど、今や深窓の老嬢。でも先日、獣医さんに「7〜8歳に見えますね」と言われて、飼い主、快感でした。欲求不満な時はすごいおしゃべりで、ストレスがあるとゲロ吐きまくり。
将来●死なないでほしい。でも僕より先に逝ってほしい。

にしの・こうじ
小説家兼テラ出版
『バディ』編集部。
著書に『新宿二丁目で
君に逢ったら』(宝島社)、
『森の息子』(ぶんか社)など。

司会●伏見憲明 構成●伊藤菜子
続きを読む…

2007-10-13

QJr 座談「良いハッテン 悪いハッテン」後編

vol.2.jpg某ゴーゴー
ボーイの
ごう慢

伏見 トムさんはハッテン場でのコミュニケーション、作法はどういうふうに学んでいったの?
トム それは試行錯誤ですよね。初期の頃は恥ずかしいこともいろいろしでかしました。ヤリ部屋系のハッテン場に初めて行ったときなんかは、当時では新しいタイプのきれいなヤリ部屋で、そのせいか人がたくさん入っていたんです。個室も全て満室で、いま思えば中で駆け引きがなされていたんですけど、そんなことなどつゆ知らず、とりあえず中に人が入っているのか確認してから個室に入らなきゃって思って、全ての個室のドアをノックしてまわったんですよ。それがマナーだと思って(笑)。
伏見 嫌がらせだよね、それ(爆笑)。
続きを読む…

QJr 座談「良いハッテン 悪いハッテン」前編

hatten.jpg良いハッテン
悪いハッテン

*初出/「クィア・ジャパン・リターンズ」vol.2(2006)

インタビュー●伏見憲明
構成●茶屋ひろし

この大性感染症時代、ゲイたちはいかにしてハッテンを遂行していったらよいのか。
理想のハッテン場とはどのようなものか。ハッテンのプロ(+素人)のみなさんに
お集まりいただいて、ハッテンについて改めて考えてみた。

 

● ゆうじ
30代半ば。好きなタイプは短髪ひげがっちり系。タチ寄りのリバ。ハッテン歴は15年で、野外ハッテン場からビデボ(ビデオボックス)、ヤリ部屋、サウナまであらゆるハッテン場を渡り歩いてきたハッテンのエキスパート。さんざんヤリまくった果てに、最近ハマっているのが全裸系飲み屋。

● トム
37歳。好きなタイプは猿顔で筋肉質なノリのいい奴。ハッテン場歴:約10年。ハッテン場デビューは淫乱サウナ。初期のころはビデボに通っていた時期もあるが、 その後はもっぱら全裸系のヤリ部屋専門。

● 太郎
34歳。好みのタイプは明るくて安心できる人。新宿二丁目のビデボでハッテンバデビュー。20代の頃、ビデオボックス・サウナ合わせて20〜30回くらいは行ったはずだが、最近はすっかりご無沙汰。

続きを読む…

2007-10-06

QJrインタビュー トーマス・ソングさん

song.jpg37年間
育んできた愛
Love that has been brought up for 37 years.
This is the interview to Mr. Thomas Song.

37年もの長い間、パートナーとの共同生活を築き上げてきたソング氏に、カップルであることの経験を語ってもらった大先輩の言葉に、ぼくらは学ぶべきことがたくさんあるに違いない

● トーマス・ソング
1929年、韓国人を両親に東京で出生。
大連で少年期(1934-46)を過ごし、旧制高校一年のとき日本敗戦。
翌46年冬、ソ連占領下の大連から南朝鮮に脱出。
48年、単身渡米。高校、大学を卒業(53年)、徴兵され軍務服役後、
米国に帰化(56年)。大学の司書と教員生活20数年後、引退。
パートナーとの共同生活37年。
在米58年、フィラデルフィア在住。

続きを読む…

2007-10-05

QJr 座談「ポストマッキー世代のリアリティ」

126_127.jpgポスト「マッキー世代」のリアリティ
REALITY of post MACKY generation

*初出/「クィア・ジャパン・リターンズ」vol.1(2005/ポット出版)

相対的に差別や抑圧感が軽減している時代に青春期を迎えた二十代のゲイたち。
彼らはどんなふうにコミュニティに関わろうとしているのか。先行世代に対してどんな視線を向けているのか。
その本音を語ってもらった。(司会・伏見憲明)

田辺貴久●23歳
たなべ・たかひさ
1982年、千葉県生まれ。2004年、早稲田大学第一文学部卒業。
元GLOW(Gays and Lesbians Of Waseda)代表。
現在、某業界の情報誌を発行する出版社に勤める会社員。

ぼせ●25歳
ぼせ
1980年生まれ。現在医療関係の仕事をしながら、愛知県で地味に暮らしている。
よく偉そうなことを口にして怒られてしまうのが悩み。将来の夢は専業主夫をしながらスローライフを送ること。第15回バディ小説大賞受賞。本誌掲載の小説「黄色、緑、廻転燈」、読んでね。

カズ●26歳
カズ
1979年、愛知生まれ。現在は静岡県で教育関係の仕事に勤しんでいる。
「キャリアウーマン」を目標に,仕事に明け暮れる毎日。将来の夢は,子供と犬とペンギンを育てる事。優先順位は,子供>犬>ペンギン。子供は自分の子が良いけど,どうやってGETすれば良いのかよく分からない。戸籍とかどうなるんだ? 誰か教えて。

バルバラ高尾●30歳
ばるばら・たかお
1975年、大阪生まれ。京都の私立大文系科卒業後、そのまま京都でモラトリアムを過ごす。が、昨年華やかな都会に憧れ突然上京。夢はいつだってオカマ界のマルグリット・デュラス。けれど現実はいつもどこかの店員。現在二丁目で勤務。文筆稼業に携わるのは今回が初めて。続けたい。

続きを読む…

2007-10-02

QJrインタビュー 田亀源五郎さん その2

gayero.jpgゲイ・
エロティック・
アーティストの誕生

伏見 大学卒業後はすぐフリーになったのではなく、いったん就職したんですか。
田亀 凸版印刷に入社して、デザイン部門に配属されました。会社でも最初からセクシュアリティをぶっちゃけていましたね。なにせ、就職活動中の面接のときにもう「ゲイでぇす」みたいな感じでしたし(笑)。
伏見 カミングアウトこそされてはいたものの、ノンケの友達が大半で、二丁目にもほとんど出入りされていなかった。あまりゲイコミュニティと接点がなかったのにもかかわらず、なぜ田亀さんはそれ以降も、ずっとゲイ・アートに関わってこられたんでしょうか。
田亀 就職した当初から、とりあえず会社という組織で修行を積んで、いずれフリーランスのデザイナーなりイラストレーターになろうと思っていたんです。これはまあ、そうした方面を目指す者には、ごくあたりまえのコースなんですが。修行したいという思いで就職したものの、マルチメディアの先端的なことを担当する部署に配属されてしまい、先端すぎたためにデザインの仕事もほとんどなくて開発業務ばかりやっていたんですよ。時間が余って退屈してしまったものだから、大学時代から描いていた作品などをゲイ雑誌に投稿しはじめたんです。最初はほんの小遣い稼ぎという気分で。その後会社を辞めてフリーのイラストレーターをはじめたころ、『バディ』が創刊されるという話を聞いて、好奇心もあって売り込みに行ってみまして。そこで出会った編集部のひとたちの、日本でも「ゲイ文化」というものを創りあげていきたい、といった言葉にすごく将来性を感じたんですね。それより前に仕事をもらっていた雑誌『さぶ』にはそういう部分がまったくなかったんで、飽き足らないものを感じていたところだったんです。それでわたしも本腰を入れようと、『バディ』に企画書を出したりするようになりまして。さらにそのあと、バディから離れた一部のスタッフが『G-men』をはじめて、そちらからもお声をかけていただきました。とにかく『G-men』には深く関わっておりまして、そもそもあの雑誌を企画した編集長の長谷川博史さんが、雑誌のタイトルを『源五郎』でいきたいと言ってくれたんです。で、わたしは「それだけはかんべんしてくれ」という感じで(笑)、「G」だけ残って『G-men』に。 続きを読む…

2007-10-01

QJrインタビュー 田亀源五郎さん その1

tagame.jpg
田亀源五郎×伏見憲明

初出/「クィア・ジャパン・リターンズ」vol.2(2006/ポット出版)

生き別れの姉妹か、
『悪徳の栄え』か!?

ゲイであることにこだわって同時代を濃く走り抜けてきた二人が
初めて語り合ったアート、コミュニティ、過去、現在……。
対話の中から、対照的ながら共有するものが多いことが浮き彫りになっていく。
日本におけるゲイネスとはいったい何か? ゲイにとっての表現とは何か?

● 田亀源五郎
たがめ・げんごろう ゲイ・エロティック・アーティスト。1964年生まれ。多摩美術大学卒業後、アート・ディレクターをしつつ、86年よりゲイ雑誌にマンガ、イラストレーション、小説等を発表。94年から専業作家となり、ゲイ雑誌『G-men』(古川書房)の企画・創刊にも協力。著書に、『嬲り者』(Bプロダクト)、『柔術教師』(Bプロダクト)、『獲物』(ジープロジェクト)、『銀の華(上・中・下巻)』(ジープロジェクト)、『PRIDE(上・中・下巻)』(古川書房)、『田亀源五郎短編集 天守に棲む鬼/軍次』(古川書房、全てマンガ作品)、『日本のゲイ・エロティック・アートvol.1 ゲイ雑誌創生期の作家たち』『日本のゲイ・エロティック・アートvol.2 ゲイのファンタジーの時代的変遷』(ポット出版)がある。 http://www.tagame.org/ 
続きを読む…

2007-09-27

QJrインタビュー 斎藤靖紀さん その2

buru2.jpg秀才たちは、
東京で
気持ち悪く
はじけた?

伏見 大学は現役でお入りになられたの?
斎藤 そうそう。また偉そうですが、受けたの全部受かったんですよ。早稲田と名古屋大学。
伏見 あら、すごい。でもなんで貧乏なのに国立に行かなかったの?
斎藤 東京に行きたかったから。
伏見 アッパーキャンプのメンバーっていやがらせのように高学歴が多いよね。
斎藤 昔、ネットのいやみで書かれてたんだけど、「そういう子たちって、デビューしたあと気持ち悪くはじけちゃうんだよねー」って。すごく的を射てる(笑)。
伏見 当時はまだ今のようなゲイの状況ではないですね。

斎藤 現在のゲイメディア系の衝撃を最初に受けたのって、テレビ朝日の深夜番組「プレステージ」。斎藤綾子さんもタックさんも伏見さんもみんな出てた。あれが今に通じる「ゲイ」という言葉と出会った最初の衝撃でしたね。そのころはパソコン通信の人だったので、高3の時点で、東京にいくつかあったゲイのパソコン通信ネットに入ってたんです。
そこで知り合ったのが、その後ずっと続いている同居人のおまこさん。本名じゃないですよ。それで受験のときに受験パックのホテルを蹴って、おまこの家に泊まりに行った。受験の前夜、おまことヤッてたんですよ(笑)。今思うと気持ち悪いんですけど。そのまま受かって東京に住むことになって、同居を始めたんです。だから独り暮らしをした経験はないんですよね。一緒に住みたいと思ったのは、人柄も含めて、一緒に住んで間違いない人だと思ったから。勘だったんですが、全然抵抗なかったです。守ってもらえるかどうかに対して、本能が働くんですよ。生きる術(笑)。
伏見 いよいよ大学時代ですが、ブルさんは現在、ゲイ業界では一番の権力者でいらっしゃいますから、怖がってなかなかブルさんの過去の証言をする方がいらっしゃらないんです。1人だけ、覆面ならばブルさんの過去を話してもOKという人をやっと見つけました。Mさん、どうぞ。音声も変えてるんですけど。 続きを読む…

2007-09-26

QJrインタビュー 斎藤靖紀さん その1

buru1.jpg

* 初出「クィア・ジャパン・リターンズ」vol.0(2005/ポット出版)

天才ゲイ人
斎藤靖紀

斎藤靖紀(33)は90年代のパソコン通信時代に、
現在のネット状況を先取りしたゲイのコミュニティ活動を展開した。
クラブシーンにお笑い系ドラァグクィーンの文化を確立した立役者でもある。
作家としても『バディ』を中心に
漫画+コラム「デジバディの仮面」「オタクモゲイ」
といった作品で人気を博し、ゲイ的なキャムプのテイストと、
日本的なサブカルの感性をミックスした
独自のパロディ表現を追求してきた。
また、ゲイエディターの立場からも、
ゲイ雑誌で初の読者顔出し記事を
企画したり、「ヤリ部屋」などの言葉の流行を生み出し、つねに時代を牽引する役割を担ってきた。
その存在感は圧倒的で、ドラァグクィーンの追従者を生み出したばかりでなく、
今日では、彼のテイスト自体がゲイシーンのすみずみまで覆っている。
個人サイトの日記で、無意識に彼の「一人突っ込み文体」や、お笑いエロ日記を
模倣しているものは後を絶たない。また若い世代のゲイたちの映画や漫画の嗜好にまで
その影響力を及ぼしている。ゲイクリエーターとしてこれだけオリジナルを持った表現者は、
他にいないだろう。今回、その天才の原点を探るべくインタビューを実現した。
マッキー世代のフロントランナーとも言える斎藤靖紀のこれまで歩みを、
じっくりとたどってみたい。

● 斎藤靖紀(さいとう・やすき)
1971年、岐阜県生まれ。蠍座。
早稲田大学第一文学部除籍。ライター&エディター。
作品に「デジバディの仮面」
「オタクモゲイ」「突撃!! ゲイハンター」など。
ドラァグクィーン、ブルボンヌとしてお笑い女装集団、
UPPER CAMPを率いてクラブシーンを席巻。

90年、ゲイのパソコン通信、UC-GALOPを主宰。
94年、クラブを借り切ってのパーティ、CAMP ‘94を開始。
96年、二丁目初のオープンカフェを催し、
クローゼットな街に風穴をあける。
現在、『バディ』誌の編集者としてゲイメディアの
一線で活躍している。 続きを読む…

2007-09-22

QJrインタビュー 生島嗣さん

ikushima.jpg
*初出「クィア・ジャパン・リターンズ」vol.0(2005/ポット出版)

● 36歳で脱サラ、
啓発活動へ飛び込む
生島嗣さん

年を追うごとにゲイのHIV感染者数は増加している。
そんな深刻な状況の中で、啓発や支援活動に奮闘する、
ぷれいす東京の生島嗣さん。
なんでそこまで献身的に行動できるのか。
感染者やコミュニティから厚い信頼を得ている彼の、
素顔に迫りたい。
(聞き手/伏見憲明)

■ 生島嗣(いくしま・ゆずる)
NPO法人ぷれいす東京の専任相談員として、
1994年から多くのHIV陽性者や
その周辺の人たちの相談サービスに携わりつつ、
HIV予防の啓発活動にも従事。
社会福祉士。

・ぷれいす東京って?

伏見 生島さんはエイズネットワークやゲイコミュニティの中心人物で、「ぷれいす東京を束ねてる人」というイメージが僕にはあります。でも、個人的なバックグラウンドはよく存じ上げていないので、今日はそういうことも含めてお伺いしようと思っています。まず、ぷれいす東京とは、どんなことをする団体なんですか。そもそも怪しい名前ですよね(笑)。
生島 よく通信社や雑誌社にまちがえられるんです。「ポジティブ・リビング・アンド・コミュニティ・エンパワーメント(Positive Living And Community Empowerment)」の頭文字を取って「ぷれいす」、そして東京にあるからこのような名称になりました。1994年に東京で、もともとHIVの活動に関わっていた10数人のメンバーが、セックスでHIVに感染した人たちのために何かできないだろうかという思いで集まって、創立しました。活動の中心は3つあって、感染した人とその周辺にいる友達やパートナーたちの相談に乗ること、日常生活を営むことが困難な人にボランティアを派遣する直接的な支援と、エイズ予防に関するパンフレットの作成。そして研修や研究事業をやっています。こちらはHIVの予防とケアについての研究が大きな柱となっています。お金がない団体なので人手がそれほどなくて、フルタイムで働くスタッフは僕1人。あとはパートタイムのスタッフが5〜6人、事務所には毎日2〜3人のスタッフがいるような体制です。
伏見 その財源は何なのですか。
生島 東京都の外郭団体から助成金をいただいて、あとは外資系企業と個人の方々からの寄付ですね。日本の企業からの寄付はほとんど皆無に等しい状況です。約2500万円の年間予算で事業を行っています。
伏見 それだけの予算では足りないのでしょうか。
生島 予算もそうですが、人手が足りないですね。現在では相談を受ける件数が多く、仕事量もどんどん増えて休みが取りづらい状況になってます。
伏見 失礼ですが、その予算の範囲で、生島さんはそれできちんと生活できるようになっていますか。
生島 それは一応大丈夫です。専従になるまでサラリーマンをやっていて、最初、給与は3分の1ぐらいに減ったんですが、今は前の仕事よりもちょっと少ないけれど、そこそこ生活できるぐらいのお給料をいただいています。 続きを読む…

2007-07-13

QJw「会社で生き残る!」10

vol.2.jpg大手出版●31歳
風俗接待はエンターテイメントの一種

[名前]近藤崇
[居住地]東京
[業種]大手出版
[職種]編集者

・はじけた大学時代

新卒で入りましたから、入社して9年目になります。早稲田大学の文学部にいたこともあって、卒業したら出版社で編集の仕事をしたいと思っていたので、希望通りです。文芸雑誌を出している出版社を主に受験していまの会社に合格しました。最初に配属された部署は漫画週刊誌でしたが、現在は小説の単行本をつくる編集部にいます。役職はついてませんし、私が一番若いので部下はいません。 続きを読む…

2007-07-10

QJw「会社で生き残る!」9

vol.2.jpg高校教員●43歳
「先生、さぶっぽいですね」

[名前]青山大輔
[居住地]東京
[業種]教育
[職種]公立学校教員

・東京の先生はスカしてる?

都立高校の教員です。一度新卒ですぐ教師になって、それを数年で辞めて、留学したり大学院に行ったり一般企業に勤めたりしてからまた復帰したので、教員生活は通算すると13年ほどですね。いままで正規に勤めてきた学校は高校ばかりです。自分のセクシュアリティを自覚する以前、子どものころからずっと学校の先生になりたいと思っていたから、この職に就くときにゲイであることによる葛藤はまったくなかったですね。 続きを読む…

2007-07-06

QJw「会社で生き残る!」8

vol.2.jpgソフトウェア開発●30歳
オネエは警官にはーー向かなかった

[名前]成田登志生
[居住地]東京
[業種]ソフトウェア開発
[職種]QA(品質管理)

・入社前からオカマばれ

勤めている会社は外資系のIT関連の企業です。アメリカや上海で開発されたソフトウェアの不具合検証を行ったのちに日本の各メーカーにお渡しする、という品質管理の仕事をしています。従業員は全世界で500〜600人くらい、日本で20人、小さい会社ですね。日本の会社は出来て10年くらい。入社して4年目です。QA(品質管理)マネージャーという肩書きはありますが、役職にはついていません。平社員ですね。 続きを読む…

2007-07-03

QJw「会社で生き残る!」7

vol.2.jpg環境分野の企業●43歳
自分を虐めてやろうと営業職に

[名前]しげ
[居住地]東京
[業種]環境分野の企業
[職種]水質分析・主任

・昭和の田舎ゲイ

ぼくはある意味、典型的な「昭和の田舎のゲイ」だったと思います。生まれたのは昭和37年で、比較的保守的な土地柄の山口県宇部市で育ちました。父親は11人兄弟の長男だから、とにかく親戚縁者の多さは普通じゃありませんでしたね。その親父の長男だから、家を継ぐという意識は自然に植え付けられました。当時はセクシュアルマイノリティに肯定的な「ゲイカルチャー」なんてものはかけらもなかったから、思春期に入って自分の性癖に気づいてからの葛藤は、半端じゃなかった。小学6年のころにはもう薄っすらとその自覚があったし、中学の時分には「このままずっとここにいたら、いつか殺されるんじゃないだろうか」と本気で危惧していました。 続きを読む…

2007-07-01

QJw「会社で生き残る!」その6

vol.2.jpg大手不動産●36歳
ホモ嫌いの上司が実はホモだった!

[名前]吉田武志
[居住地]大阪
[業種]大手不動産
[職種]営業

・営業が自分に向いている

勤めているのは、一応名前の知られている大手不動産会社です。自分は営業でチーフをしています。営業という仕事は、すでに顧客になってもらっているところをまわるものと新規開拓の2種類あります。今回は仕事で東京に来ています。

勤続して13年……その前は事務系の仕事をしていました。その会社には新卒で入って約2年いました。転職した理由は仕事が面白くなかったから。かといって自分のしたいこともわかっていなかったので、再就職の活動は大変でした。次に不動産業を選んだのは、営業が自分に向いているのではと思ったからです。実際、いまは営業の仕事を面白いと思っています。ひとと話をする仕事じゃないですか。その中でいろんな考え方を聞けるし、どの業種の景気がいいとか世の中の流れもわかる。対人関係の面白さもあるし、それに居心地は悪くありません。 続きを読む…

2007-06-29

QJw「会社で生き残る!」その6

vol.2.jpg美術工芸品制作●35歳
心霊現象で退職

[名前]瀬尾公太
[居住地]関東
[業種]サービス業
[職種]美術工芸品制作

美術工芸品の制作と販売をしている会社で働いています。従業員は正社員が10人くらいで、あと、扱いはアルバイトやパートになりますが、職人さんが数名います。ぼくは社員として営業で入りましたが、いまは制作を中心に働いています。みんな横並びなので、役職はないですね。社長がいて、各部署で独立しています。母方の祖父が始めた会社で、現在は兄が社長をしています。働いて8年になります。

20代は、大学を卒業してから1年半くらい老人保健施設で相談員の仕事をしていました。できたばかりの民間施設で理事長が同じ大学を卒業したひとで、誘われて就職しました。働きやすい環境でしたが、古戦場跡に建っていた施設だったせいでしょうか、オープンして3ヵ月で施設長が倒れたり、職員が交通事故にあったり、職員の家族が亡くなったりしまして、ぼくも車での通勤途中に追突事故にあってしまって、怖くなって(笑)、辞めてしまいました。 続きを読む…

2007-06-26

QJw「会社で生き残る!」その5

vol.2.jpgメガバンク●42歳
オカマはノンケの2倍働く必要がある

[名前]西本潔
[居住地]東京
[業種]メガバンク
[職種]事務管理

・デビューしてすぐサセコになる

勤務しているのは、某メガバンクです。入行してちょうど20年弱といったところですね。支店での融資などの経験を経て、本部の商品開発等に関わり、現在は事務管理部門に所属しています。エリートかどうかですか? うーん、中の上という感じですか(笑)。同期入社の連中と比較して、昇進が遅れたときなどは、心が乱れ、ひどく悔しい思いをした時期もありましたが、現在は、気持ちに折り合いをつけるすべを身につけ、適当にやり過ごしています。出世するためにこれから費やすエネルギーと、その見返りとしてのサラリーアップを比較した場合、「もうしんどいことは嫌。いまのままで十分満足」というのが本音かな。 続きを読む…

2007-06-24

QJw「会社で生き残る!」その4

vol.2.jpgトレーダー●32歳
運用資金は400万円→6千万円

[名前]藤井貫太郎
[居住地]東京
[業種]金融関係
[職種]トレーダー

・「結婚したら一人前だ」

投資家といわれると歯痒いですが、ぼくがやっている株の売買は、「システムトレード」と呼ばれているもので、決められたタイミングで、機械的に売買を繰り返していくという投資法です。大きなドローダウン(含み損)をかかえることもしょっちゅうあるため、それに耐えられる精神力と、ある程度の資金力がないと真似のできない投資法かもしれません。 続きを読む…