2007-09-26
QJrインタビュー 斎藤靖紀さん その1
* 初出「クィア・ジャパン・リターンズ」vol.0(2005/ポット出版)
天才ゲイ人
斎藤靖紀
斎藤靖紀(33)は90年代のパソコン通信時代に、
現在のネット状況を先取りしたゲイのコミュニティ活動を展開した。
クラブシーンにお笑い系ドラァグクィーンの文化を確立した立役者でもある。
作家としても『バディ』を中心に
漫画+コラム「デジバディの仮面」「オタクモゲイ」
といった作品で人気を博し、ゲイ的なキャムプのテイストと、
日本的なサブカルの感性をミックスした
独自のパロディ表現を追求してきた。
また、ゲイエディターの立場からも、
ゲイ雑誌で初の読者顔出し記事を
企画したり、「ヤリ部屋」などの言葉の流行を生み出し、つねに時代を牽引する役割を担ってきた。
その存在感は圧倒的で、ドラァグクィーンの追従者を生み出したばかりでなく、
今日では、彼のテイスト自体がゲイシーンのすみずみまで覆っている。
個人サイトの日記で、無意識に彼の「一人突っ込み文体」や、お笑いエロ日記を
模倣しているものは後を絶たない。また若い世代のゲイたちの映画や漫画の嗜好にまで
その影響力を及ぼしている。ゲイクリエーターとしてこれだけオリジナルを持った表現者は、
他にいないだろう。今回、その天才の原点を探るべくインタビューを実現した。
マッキー世代のフロントランナーとも言える斎藤靖紀のこれまで歩みを、
じっくりとたどってみたい。
● 斎藤靖紀(さいとう・やすき)
1971年、岐阜県生まれ。蠍座。
早稲田大学第一文学部除籍。ライター&エディター。
作品に「デジバディの仮面」
「オタクモゲイ」「突撃!! ゲイハンター」など。
ドラァグクィーン、ブルボンヌとしてお笑い女装集団、
UPPER CAMPを率いてクラブシーンを席巻。
90年、ゲイのパソコン通信、UC-GALOPを主宰。
94年、クラブを借り切ってのパーティ、CAMP ‘94を開始。
96年、二丁目初のオープンカフェを催し、
クローゼットな街に風穴をあける。
現在、『バディ』誌の編集者としてゲイメディアの
一線で活躍している。
マッキーは
ホモに甘い
夢を与えた
伏見 お客さんがいっぱい! すごい集客力だね。斎藤さん、やっぱスターだねえ。
斎藤 ここに来た半分は肉体関係のある人だから。うそ(笑)。
伏見 今日はマッキー世代という括り特集を作っていて、その一環で斎藤さんをお呼びしたんです。僕が思うに90年代以降、表街道の天才がマッキーで、裏街道の天才がブルちゃん(斎藤靖紀さんの愛称)だったような気がするんですね。ゲイで表現活動をやっている人はいっぱいいますが、90年代半ば以降、みんなブルちゃんの真似をしてるように僕には見えるのね。
斎藤 表と裏のスターとしていただけるのはめっそうもない。というか、表と裏で金回りこんなに違っちゃうものなのイヤーみたいな。マッキーとの共通点を考えたら、覚せい剤や女装に縁があるとか(笑)。まあ、正確にはマッキーは彼氏が女装で、自分は私も彼氏も女装(笑)。覚せい剤はうちのパパですが。
伏見 ともに彼氏はデブだよね。
斎藤 そうね(笑)。
伏見 ゲイにとってマッキーはどんな存在なんだろうか。
斎藤 マッキーはホモに甘い夢を与えたんだと思う。斎藤的には、初期の「モテない売れないオカマの暗い色恋」OK! 中期の「売れちゃって幸せ全開〜甘い甘い恋のうたー」OK! 事件後の「苦い汁飲んだけど這い上がってきたよ」OK! なんですが、最近のステージ(スピリチュアルな普遍的なやつ)はすごく興味ない。初期から中期はオカマが内的リブを消化していく過程とシンクロして、ハッピ〜全開だった。事件とその後は、一足早いハッピーオカマの挫折を象徴していたかもしれない。
伏見 やっぱり一般的なゲイの歩みと彼の歩みはシンクロしているんだよね。だからポップになる。楽曲としては何が好き?
斎藤 「足音」(1997)は最初聴いてすぐ、オリンピックにかこつけたゲイへのエールだ!と気づいた。色恋系はベタベタなのは個人的には好きじゃなくて、ちょっと醒めたテーマの詞がオカマっぽくてイイ。
水泥棒を
していた
幼少期!
伏見 では、あなたの子どものころの話にしましょう。ブルちゃんはやっぱ育ちは悪いわけでしょう(笑)。
斎藤 なかなかいいエピソード満載ですよ。母のお腹にいるころに、彼女がイレブンガールズで、11PMでシャバダバ踊ってたんです(笑)。
伏見 実のお父さんははっきりわかってるんですか?
斎藤 うん、多分ヤツだと思うというのが1人いて(笑)。イレブンガールズを卒業した母親は結婚したわけです。2人でスナックを始めました。でも、パパはロクデナシだったので、すぐにママだけが働く店になったんです。ゲイ的なことにつながるエピソードとしては、幼稚園時代に、パパが持ってた無修正洋モノエロ本を見つけて、夜な夜なそれを見てましたね。
伏見 あんた…そのころから性欲というものが明らかにあったわけですね。
斎藤 そうですよね。意味はよくわからないんですよ。写真の中に「不思議な白濁液」があったけど、それはなんだろうとか。チンコも自分についてるモノとは全然大きさも形も違う、洋物だからとくに(笑)。それでも、エロいもの、秘められたものにすごい興味があったんですね。
伏見 子どものころから性欲過多という。
斎藤 そうですね。ニンフォマニアな感じで。
伏見 親には一応愛されてたの?
斎藤 うん……。パパは自分勝手な愛だったかもしれない。小学校の2年生ぐらいだったんですけど、パパに2回ぐらいフェラチオされたんですよ。でも、当時「もっとしてほしい」と思ってたのはすごく覚えてます(笑)。やっぱり、男にやられてたっていうのが輪をかけてたかも。お母さんにやられてたら、ちょっとイヤだったかもしれない(笑)。
伏見 お父さんがフェラチオしたっていうのは、ゲイだったということ?
斎藤 いえ、あのただ、自分は、すごく美少年だったので(笑)。かわいかったから勢いあまった感じじゃないでしょうか。ただ、性のグラデーションだと、8対2でノンケのような感じかも。
伏見 ブルちゃんは今でも実はかわいいって自分のこと思ってるでしょう。
斎藤 当たり前じゃないですか!(笑)
伏見 幼少時代、女の子っぽいとかオカマっぽいって言われるゲイは多いと思うけど、ブルちゃんはどんな感じの子だったの?
斎藤 もちろんクラスじゅうに「オトコオンナ」って(笑)。本名は「おかだ」というんですが、日直当番で黒板に名前を書かれると、「おかだ」の「だ」の部分を「ま」に書き換えられて、「違うもーん」って言いながら消したりしてました(笑)。
伏見 いつごろから女の子っぽかったんですか。
斎藤 小さいころって無防備に出ちゃいますよね。中学生ぐらいから隠し始めて、「俺」とかがんばって言ったりして。いじめられてはいなくて、逆にかわいがられてた。ジャイアン系の男の子に、よくわからないけどちょっとかわいいところもあるヤツだな、と思わせておいたりして。
伏見 愛されていた子どもだったんだね。
斎藤 とりあえず母親にはよくしてもらいました。サバサバした母親だったんです。パパにフェラチオされた時代、我が家は家賃や光熱費は滞納しまくりだったんです。岐阜だったんですが。ふつう、電気やガスは止められても、水道はライフラインなので止められないらしいんですけど、うちは止められてたんですよ(笑)。トイレの水も、バケツに入れて流してて。電気も止められてたから、薄明かりを頼りに戦時中のような暮らしをしてた。水は本当にないと困るので、お隣りの洗濯コーナーに忍び込んでバケツで水を汲むのが自分の日課だったんです(笑)。ある日、隣りのおばさんに見つかって「あんた、なにやってんの!!」と怒鳴られちゃったんですよ。でも、おびえた眼差しの小2がバケツ持ってたら、だいたい状況を察したらしくて、「好きなだけ持っていきな」って言われた(笑)。そんな泣けるエピソードも。
伏見 ロクデナシのお父さんのご職業は。
斎藤 スナックの経営をしていたので、母親も一緒に働いてたんですが、父親は共同経営者のはずなんだけど遊んでばっかり。外で使うから出ていくほうが多かったんですね。母親はスナックをやり続けてはいたんですが、でも、小2、小3のころは本当に貧乏でしたね。
伏見 それは今の性格に影響してますか?
斎藤 貧乏女装を始めたのも、影響してるかもしれませんね。それで、そのころにパパがシャブ中になっちゃうんですよ(笑)。夜中に目をさますと、玄関に父親がずっといるんですよ。のぞき窓を見てて、「靖紀、人が立ってるんだよ」と言うからのぞいても、誰もいないんです。最初、パパは霊能者なのかなと思ってたんですね(笑)。ある日、ハゲたおっさんと一緒に注射を打ち合ってる現場を目撃しちゃって。パパは「病気で栄養剤を打ってもらってるんだ」って言い訳したりして(笑)。日曜日に父親に連れて行かれるところは、遊園地ではなくて競馬場。パパの友達は、背中に龍を飼ってたり小指がなかったりする人たちで(笑)。子どもだから「おじちゃん、どうして指がないの?」って訊くと「坊主、犬に噛まれちまったんだよ」。あとで考えると自分のへまだろみたいな(笑)。
伏見 周りの同年代の友達とのギャップって、すごくあったんじゃないの。
斎藤 すごくズレたところに存在してたと思うんです。当時は自分の中のオトコオンナを隠すことよりも、貧乏やパパの犯罪を隠すとか、そっちのほうが大事だったんだと思いますね。小4のとき、ある日家に帰ると、部屋の真ん中でママが肩を落として座ってるんです。「パパが…警察に連れてかれちゃったわ…」って(笑)。
伏見 なんだかだんだん会場の笑いに憐れみが(笑)。
斎藤 自分はそれを聞いてちょっと良かったって思った。だって困るじゃないですか、そんな人がずっと家にいると。実際、暴れることもあって、ママはDVやられていたので、ちょっとかわいそうでしたよね。意外と自分はそれを助けるタイプじゃなかったのですが。
伏見 全然意外じゃないけど(笑)。
ママは
オカマ好き
するビッチ
伏見 パパが捕まって、そのあとどうなったの?
斎藤 「岡田君のパパいないけどどうしたの?」って聞かれると、「パパは海外で仕事」とかウソついて。ママもけっこう強い人なので、さっさと地元の会社の社長の愛人になった。ママは本当にカッコいい女で、すごくいろいろと教わりましたね。社長とママと3人で食事に行くと、会うたびに千円をくれるのですごく好きだったんですね(笑)。自分はそのオヤジとママのセックスを薄い壁ごしに聞いてドキドキすることもあって。そういうのって普通汚いと思うみたいなんですけど、自分はただのオカズでしかなくて興奮してました。
伏見 え、ママでもイケたの?
斎藤 いや、そのオヤジのほうに……。愛人囲ってヤるオヤジって、基本的にエロい感じがするじゃないですか。
伏見 そのころはゲイだっていう自覚はもうあったんですか。
斎藤 ゲイだという自覚はなかったんですけど、とにかく好きなものに興味があっただけみたい。それって小学校5〜6年生のころ、すごく興奮したのは覚えてますよ。でもまだオナニーとかは知らなかった。
伏見 意外とからだのほうは遅かったんですね。
斎藤 もう頭ばっかり発達してて。オヤジは自分の中のセクシュアルファンタジーの一番最初にインパクトのある存在だったような気がします。
伏見 オヤジ専はそこから?
斎藤 あのー、専門ではないんですけどー(笑)。でもたまに場末のハッテン場でオヤジに犯されたりするのは、それかも。週末に母親と2人で買い物に行ったとき、そのオヤジが同僚と一緒に歩いてて、いつものように「おじちゃーん」って言おうとしたら、母親が「今はダメ」って(笑)。当時はわからなかったんですけど、今考えると夜10時台のドラマみたいな良いシーンだったなあと思いますね。
伏見 それですさんだ子にはならなかったの?
斎藤 全然。母親がやってることがむしろ好きだったから。その「今はダメ」も、今考えるとすごくイカすんですけど、たとえば授業参観のときも着飾ってきれいにして来るんですよ。
伏見 ケバいってこと?
斎藤 そう、ケバくてゴージャスな感じで。でも、他のお母さんと全然しゃべらないんですね。いつも1人でポツンとしてたので、子どもながらに心配して、「他のお母さんとしゃべらなくていいの?」って聞いたら、「私、群れるの嫌いなのよ」。本当にカッコいい。オカマ好きする女の像っていうのが、母親にはありましたね。スナックに入ってからもそれなりに人気あったらしく、客からプレゼントもされてたみたいなんですが、「指環くれるって言ったけど断ったのよ」って言ってて、「なんで? もらえるものはもらえばいいじゃない」って返したら、「靖紀、私が指環をもらったら、返さなきゃいけないものもあるのよ」。要するに一発ヤらせなきゃいけないということなんでしょうけど(笑)、そういうこともちゃんと教えてくれて。
伏見 ははは、そういう意味じゃお母さんはブルちゃんと違って、体にプライドがあったんですね。
斎藤 はい、自分と違って誰かれ構わずヤるタイプではないみたい。
伏見 カッコいいお母さんだったんですね。今のブルちゃんが表現してることの原型の部分があるのかな。
斎藤 オカマの強気な感じとか、スレてるけどそれに対してプライド持ってる感じとかは、母親からきてるのかもしれませんね。
伏見 ゲイのめざめというのは?
斎藤 中学生のとき、同級生を好きになったころでしょうね。中1からは毎年同級生を好きになってました。クラス替えのたびに、クラスの中に1人好きな子がいて、新しいクラスの中で一番を見つけてました。
伏見 その恋は実ったの?
斎藤 中学のときは全然ダメでしたね。母親ネタに戻りますが、地元の会社社長から別の男にパトロンが替わったんです。母親の高校時代の同級生らしく、またしても妻子持ちだったので愛人状態。中1ぐらいのとき、家に1人でいたら電話がかかってきて、ババアの声で「お母さんいるかい?」って言われたんですよ。「外出してますが」って言うと、「そうかい……」って困った感じで、ちょっと迷ったあとで、「あんたのお母さんはね、恐ろしい女だよ!」って言われたんです(笑)。要は男の母親か奥さんの母親かどっちかみたいで、文句を言おうと思って電話したけど母親はいなかったから、息子のほうにグチったと。みのもんたじゃないんだから(笑)。本当にみのもんたぐらいのあしらい方で話は聞いたんですが。
伏見 それは傷つかなかったの?
斎藤 それも母親が悪いとは全然思わなくて、男をとられるあんたが悪いのよぐらいな感じ(笑)。母親と父親がそんな感じだったので、エロに対しては独特の発達をしてたんですけど、逆に学校の場では自分バリアみたいのがあって、全くエロいことがダメだったんです。色気づき始めると、みんないやらしいこととか話すじゃないですか。そういうグループには絶対自分は属せず、真面目っこグループでした。今の自分は頼まれもしないのに「マンコ」を連呼してるんですけど、当時は「マンコ」とか言っちゃう子がいると、顔から火が出るほど恥ずかしかった。「コンドーム」も言えなかったし。今ではパッケージの表に女装顔が印刷されちゃってるのに(笑)。
天才パソコン少年
だったのに…
カマ方面に
伏見 ブルちゃんって、自分でいまだにホモフォビアが強いって言うでしょ。エロに対してすごく好きなのに、抑圧するような感じがあったのかな。
斎藤 好きすぎで嫌いっていう、子どものころってそうじゃないですか。あまりにもそれに対しての欲望が自分の中で激しいので、これを全開にしたらえらいことになると思ってたのかもしれない。
伏見 実際、今、えらいことになってるからね(笑)。
斎藤 中学生のころ、ゲイだっていうことも気づき始めてるから、小出しにすると全部出そうだったから全隠しにして、「自分はマンコなんて言えませーん」ていうキャラにしてたんですね。
伏見 ゲイだからということで、特別悩んだ少年ではなかったんだ。
斎藤 あんまり悩んだ記憶はないんです。中1のときにようやくオナニーを覚えました。中学生のときはオナニーばっかりでしたね。明星の付録とかに「オナニー」とか書いてあったじゃないですか。言葉は知ってたけど、行為と結びついてなくて。ある日、こたつで発見したんですよね。昔のこたつってゴリゴリ出っ張ったところがあって、それがアソコに当たって。
伏見 そのときは男の人を思い浮かべて?
斎藤 オナニーは単に物理的に気持ち良かったんですよ。当時、オカズは古本屋とかで買うノンケ物の『オレンジ通信』とかでしたよ。
伏見 中学は部活はやらなかったの?
斎藤 3カ月間、体操部に入ったんですよ。体がやわらかくて、それは後のアクロバティックな体位に応用されているんですけど(笑)、柔軟体操とカン違いして。でも入部したら男子は鉄棒とかあん馬とかすごいことをやらされて、びっくりして3カ月で辞めちゃったんです(笑)。それ以降は帰宅部で、ずっとアニメとパソコンっていう、本当に典型的なオタク(笑)。当時、勉強はできる子だったので、オタクの真面目な優等生。
伏見 僕は女の子の友達が多かったんだけど、ブルちゃんはどうだった?
斎藤 女の子の友達もいたけど、少なかったかもしれない。男子4〜5人のグループでいた感じでしたね。今思うと絶対にオカマだった子がいて、その子は聖子が好きで、自分は明菜派だったので、いつもその話で盛り上がってました。女の子よりもその子との会話のおもしろさのほうが上でしたね。
伏見 パソコンは中学で買ってもらえたんですか。極貧家庭だったのに。
斎藤 当時、MSXというすごく安いパソコンが出て、それはお年玉で買えたんですよ。普通のテレビにつなげて、ベーシックっていう言語が組めたので、それでゲームとかを作って、雑誌に投稿してたんです。オタクパソコン少年で、掲載料をもらえて、それで稼いでました。
伏見 一歩間違えるとホリエモンとかミキタニとかに行けたのに……。
斎藤 そうなんですよ! それがカマに行っちゃったから、ホント、金になんない(笑)。当時、あれだけのことをしてたんだから、そのまま進んでいれば良かったんですが。やっぱりオカマのほうの魔力が強かったんでしょうね。高校のときの『薔薇族』発見が、ホモ・ビッグバンだった。
伏見 岐阜にも『薔薇族』はあったのね。
斎藤 ちょっと、岐阜をどこだと思ってるのよ! 岐阜は名古屋より先にパルコができたんだから!(笑) 高2の秋かな、ホモ雑誌って駅前のでっかい高級な本屋にはなくて、エロ本多めの店にあるんですよね。自分はずっと投稿写真誌みたいなノンケのいやらしい本を選んで買ってたんですが、ある日、「なにこれ?」っていうのを見つけて、1冊買ったんです。本当に衝撃的でしたね。今でも最初の見開きの写真とか覚えてて、確か、アキ企画の「金色の男」っていうビデオグラビアだった。その人に恋するわ、全部のページを読み尽くすわで、何回ぬいたかわからない。翌日、すごい勢いでその横に並んでたのを全部まとめて買いました。
伏見 恥ずかしくなかったの?
斎藤 欲望が全然勝ってた。そのときから「本屋だって商売だろッ」ぐらいな感じ(笑)。それは今から16年ぐらい前、まだ80年代ですね。まとめてダーンと買ったけど、『サムソン』にだけはちょっとひいた(笑)。若かったので。
伏見 当時は文通欄があったけど。
斎藤 即効使いましたね。高2のときは文通だけで会いませんでしたが。岐阜だったから、そんなに載ってなかったっていうのもあって。
伏見 文通って手紙に何を書いてたの? パソコンのこととか(笑)。
斎藤 最近、メールではいやらしいことしか書かないんですけど、当時は意外とウブだったので、「男の人とデートできたら幸せだなあ」みたいなことを書いてたんじゃないかな(笑)。高3の秋までの1年ぐらい、ためてたんですよ。会ってセックスしなかったんです。意外でしょう。18歳になるまで、セックスはしちゃいけないと思ってた。なんとなくですけどね。18歳になった途端に、自分の中の勝手な基準がクリアされて、静岡に住んでた29歳の男と名古屋で会って、レンタカーでドライブして、人気のない雑木林みたいなところでカーフェラをされて、それが初体験。2回目はすでに3Pでした(笑)。付き合って10年ぐらいのカップルの性のおもちゃにされたんですよ。もちろん抵抗なんてしない、嬉々としたおもちゃでしたが(笑)。
伏見 18歳までしないっていう基準は、受験とかもあったからなのかな。
斎藤 でもね、これは全然偉そうに言うわけじゃないんですけど、勉強しなかったんですよ。
伏見 ほほほ、勉強しなくてもできたとおっしゃりたいのですね。
斎藤 そうなんですよ〜(笑)。
伏見 高校での恋愛は?
斎藤 高校のときもやっぱり毎学年好きな子がいたんですけど、高2、3年とクラス替えをしても同じ子がいたので、初めて2年間、長きにわたって1人の子をずっと好きだったんですよ。さまぁ〜ずのメガネのほうに似てた、剣道部主将のアソ君。すごい好きだったんですね。そのわりに静岡の男とヤッたりしてたんですが、そのへんは当時から心と体は別と割りきってたんです(笑)。高3の受験が終わったころ、本当にお別れだなあというとき、どうせバレても卒業だし困ることはないと思って、セピア色の夕焼けの中、生まれて初めて告白したんですよ。それも全部計算して、その人がバスに乗る直前に「好きです」って言った(笑)。家に帰ったら電話がかかってきて、「ちょっとびっくりしたけどうれしいよ」って。ノンケだったんですけど。
伏見 ノンケを落としたって言いたかったんですね!
斎藤 そう(笑)。「卒業したら旅行に行こうね」とか言われてすごいウキウキだったんですけど、実際東京行ったらいっぱいオカマがいたので、すぐに忘れました。
(つづく)