2015-01-22

ニーチェ『道徳の系譜』【要約レジュメ】

レジュメ=要約という本来のコンセプト。細かい部分はさておき、哲学書に書かれている内容をてっとり早くつかみたい方、どうぞ。節番号ごとに内容を要約し、石川なりの補足的説明も加えられたかたちでまとめています。
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 →ニーチェ『道徳の系譜』【帰ってきたニーチェ】
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ニーチェ『道徳の系譜』目次

序言(詳細要約帰ってきた)[2011/03/09公開]
第一論文 「善と悪」、「よい(優良)とわるい(劣悪)」(詳細要約帰ってきた)[2015/1/22更新]
第二論文 「罪」「疚しい良心」およびこれに関連したその他の問題(詳細/要約/帰ってきた)※準備中
第三論文 禁欲の理想の意味するもの(詳細/要約/帰ってきた)※準備中
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ニーチェ『道徳の系譜』【帰ってきたニーチェ】

哲学者が現代によみがえったら、どんなふうに自分の書いた本の内容をしゃべるか。そんなコンセプトでまとめたものです。基本的にテキストの内容には即しているけれど、かなり自由にしゃべっている部分もあります。哲学書に興味のない方含め、いろんな方、どうぞ。
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ニーチェ『道徳の系譜』【詳細レジュメ】

読書のお伴に。補足や解釈もかなり入ったものです。哲学書をじっさいに読んでみたい方、どうぞ。各節、最初の一段落は石川導入(リード)。そのあと、内容要約。“○”印以下は石川まとめ・補足コメントです。なお、ニーチェ原文は節番号のみのため、節タイトルは石川がつけました。
翻訳テキストは、信太正三訳「道徳の系譜」(『善悪の彼岸/道徳の系譜 ニーチェ全集11』、ちくま学芸文庫、1993年所収)。中山元訳『道徳の系譜学』(光文社古典新訳文庫、2009年)も参照。
独文テキストは以下のページを参照。
Nietzsche.tv
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2013-03-29

石川輝吉の“どうぞご自由に”レジュメ集について

レジュメを公開します。みなさまのご興味やニーズに合わせて、どうぞご自由に読んで使っていただければ幸いです。レジュメは「詳細レジュメ」、「要約レジュメ」、「“帰ってきた”レジュメ」の三つのシリーズから成っています。同じ哲学のテキストについて、三つの視点からまとめています。それぞれのコンセプトは以下のようになっています。

詳細レジュメ→読書のお伴に。補足や解釈もかなり入ったものです。哲学書をじっさいに読んでみたい方、どうぞ。

要約レジュメ→レジュメ=要約という本来のコンセプト。細かい部分はさておき、哲学書に書かれている内容をてっとり早くつかみたい方、どうぞ。

“帰ってきた”レジュメ→哲学者が現代によみがえったら、どんなふうに自分の書いた本の内容をしゃべるか。そんなコンセプトでまとめたものです。基本的にテキストの内容には即しているけれど、かなり自由にしゃべっている部分もあります。哲学書に興味のない方含め、いろんな方、どうぞ。

どのレジュメも、テキストに即してつくったつもりですが、石川の視点や解釈が入っています。まちがいだと感じられる部分、やりすぎな部分、不十分な部分もあるはずです。

このレジュメから、また先に進んでいただいても、オーケーとしていただいても、どんなかたちであっても、哲学が世のなかに少しでも広まれば、と思っています。

「表示・非営利」のクリエイティブ・コモンズ・ラインセンスで公開しますので、非営利であれば、著作権表示をしたうえで、どうぞご自由にお使いください。

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
“どうぞご自由に”レジュメ集 by 石川輝吉 is licensed under a Creative Commons 表示 – 非営利 2.1 日本 License.

ニーチェ『道徳の系譜』目次

2011-09-12

第12回 鵜呑みにしているように思われたかもしれないけれど……──佐藤高峰さん(22歳・男性・勤務歴2ヶ月)

佐藤くんは、福島県郡山市で生まれ育つ(現在22歳)。高校ではサッカー部の主将。県代表として全国大会にも出場した経験をもつ。都内の私立大学進学とともに上京し、現在、テレビ某キー局のグループ会社で通販の番組をつくる会社に就職して2ヶ月(研修中)。番組制作部に配属が決定している。
佐藤くんは考える。就職して2ヶ月だけれど、仕事とはなにか、いまの段階で考えていることを率直に伝えてくれた。
われわれと話をすることもすごく楽しみにしてくれていたとのこと。こちらにもちょくちょく質問をなげかけてくれる。あとからはっきりする佐藤くんのキーワード、「素直さ」がそうさせているようにも思える。
*2011年6月2日(水) 18時〜インタヴュー実施。

「斜陽産業と言われてますけど(笑)」

佐藤くんは通販の番組制作会社に勤めている。お給料は残業代を入れて月24万。現在は家賃7万円の1Kに一人暮らしをしている。携帯はスマホ(月約8000円)。まずは、佐藤くんが働く業界でもあるメディア業界全体の話から。そこから佐藤くんの読書経験に話は進んでいく。

石川 お仕事は?

佐藤 テレビ局の子会社で通販の番組を作っている会社です。今年の4月に入社したまだ研修期間の新米ですけど(笑)。研修は8月まであります。

沢辺 すごいね。何ヶ月も研修させる金があるなんて。研修プログラムだって講師に相当なお金を払っているはずだよ。

佐藤 そんなきっちりした研修ではなくてOJT(オンザジョブトレーニング)なんです。先輩にくっついて各部署転々としています。

沢辺 ところで、なんでいまごろテレビ局なの?

佐藤 斜陽産業と言われてますけど(苦笑)。もともとテレビ志望でした。

沢辺 これから死にゆく産業じゃない?

石川 出版もそうですかね?

沢辺 そうそう(笑)。でも、テレビのほうが足が速い、と言われているよ。どうなるかわからないけど。でも、それでもやっぱりテレビのブランド力は残るんじゃないかな。twitterだってテレビに出てる人がフォローされるわけで。ほんとにゲリラ的な活動から売れていくのはごく少数だと思うよ。

石川 もし、大手のメディアが廃れてきたら、ほんとにブログやtwitterだけで売れていく人も出てくるんですかね?

沢辺 おれはそうは思わないよ。そういう人も増えていくとは思うけど、やっぱり、ブランドの力は大きいと思うよ。

佐藤 ソーシャルメディアだけで売れて行く、というのはどれぐらい先の、10年、20年先とかの話ですかね?

沢辺 いまもすでにはじまっているとは思うんだ。ブログで影響力があってそこからメジャーになっていく人もいるとは思うけれど、それでもやはり、全体がそうなるということはないんじゃないかな。

石川 よく、純粋にいいものだけ交換すれば、ブランドとは関係なしにいいものが流通する、という話がありますけど。

沢辺 テレビはブランドだけというわけじゃなくて、なにがよいか悪いかの淘汰をちゃんと行っている。そういうことだと思うよ。売れてる人はその淘汰をくぐりぬけてきた人だと思うんだ。もちろん、歌が下手っぴでも、「テレビに出てます」というブランド力だけでやってる歌手もいると思うよ。けれども、淘汰をくぐりぬけた人が、そこにテレビのブランドが加わって売れることが加速していく。そういうパターンのほうが多いはずじゃないかな。だから、ブランドには本質的に内実があるんだと思うんだよ。

石川 けれど、そのテレビがいま先細りになっちゃってるんですよね?

沢辺 オレなんかテレビを見たり本を読む時間が最近は減ってるんだ。寝ながらiPad見て、twitterで面白そうなサイトのことが書いてあると、ついついそこ見ちゃって。

佐藤 やっぱり、人は新しいものが好きなんじゃないですか? テレビだとライブで国会中継もあるじゃないですか。新聞だとテレビに比べればどうしても遅れてしまいますよね。twitter も情報が速いから、それに人は惹きつけられるんだと思います。

沢辺 でも、新しいから、ってわけじゃないと思うんだ。たとえば、新聞はこれから「新しい情報を提供する」という役割はなくなるかもしれないけれど、網羅性はあると思うんだ。佐藤くんは新聞は読まない?

佐藤 就活のときは読んでましたけど、いまはもう読まないです。

沢辺 ニュースサイトとかは見る?

佐藤 ほんとに浅い情報しかないですけど、会社に出てきてて、ヤフーニュースを10分ぐらい見るぐらいですね。それから、帰ってきて夜の11時ぐらいからはじまるテレビのニュースを見ます。

石川 本は?

佐藤 本は読みますね。

沢辺 どんなジャンル?

佐藤 最近読んだジャンルでは、小説だと伊藤計劃さんのものとか。あと、最近は、古本屋で『もしドラ』を買って読んでいるところです。すごくミーハー的ですけど、ドラッカーという人に興味があって(笑)。あと、最近読み直しているのは、姜尚中さんの『悩む力』です。この本で、自分の考え方が変わったんで。

石川 けっこう悩んだり、考えたりする人なんだ。

佐藤 そうですね。

沢辺 ちょっとインテリにあこがれがあるオレみたいなやつは「ドラッカー」とか聞くとついついバカにしたりする。思想だとか哲学だとかに価値があって、「役に立つ本」っていうのはバカにした態度をとっちゃう。そういう実用書を読んでいても人には言えない。

佐藤 その感覚、ぼくもありますね。こっぱずかしいというか。最近気になる本があって、『入社一年目の教科書』というのがそうなんですけど、それを人前で読むのははずかしいです。人前でハウツー本を読んで、いかにも「勉強してます!」みたいに思われたりとかはいやなんです。でも、興味があるから読んじゃうんですよね(笑)。

「もうまさに、働きはじめてから、改めて、他者からの承認ということについて考えるんです」

話は佐藤くんの読書の話から、ドラッカーを経て、「他者からの承認」へ。佐藤くんは、姜尚中『悩む力』から、「承認」というキーワードを手に入れ、自分のあり方を考える。

沢辺 オレはドラッカーは衝撃体験だったよ。最初は、会社をどう動かしたらいいか、というハウツー話ばっかりだと思ったんだよ。でも、ちがうんだよ。さっきのテレビの話と似ているけれど、やっぱり売れることにはそれなりの根拠があるんだろうな。かなり大切なことを言っている。たとえば、ドラッカーは市場経済主義者なんだけど、ただ、オレらの若い頃のように、資本主義か社会主義か、市場経済か計画経済か、どちらが絶対か、という枠で話をしていない。

佐藤 社会主義的な考え方は最近見直されてないですか?

沢辺 それは、社会主義のなかにもなにかいいアイデアがあるんじゃないか、という注目のされ方だと思うよ。オレたちの場合は、どっちが正しいか、ガチンコだったんだよ。それで、ドラッカーは、市場経済主義者なんだけど、独占はまずいよ、とか、複雑になった社会を円滑に進めるには企業という組織を使う以外にない、とか、けっこうまともなんだよ。「バリバリ儲けましょう」じゃないんだよ。
それから、『経営とはなにか』なんかを読んでみると、これはオレの読みがまちがいなければ、ドラッカーの言いたいことは、野球部の部員をどうやる気にさせるか、じゃなく、「それぞれの人間の幸福」なんだよ。流れ作業自身はそれだけではつまらないよ。だけど、自分たちがネジをしめることが社会にいくら貢献しているか。それを示すことが重要だと言うんだよ。実際に飛行機を工場にもってきて、自分たちのまわしたネジがどういうふうに役だっているかを見せたり、ユーザーに「こういうところがいいんだ」と話してもらうことが大切だ、と言うんだよ。
いまだって、実際は、仕事の九割ってネジをまわしているだけみたいなことだったりする。その作業自体はつまんないかもしれない。けれど、仕事ができるのは、最後に物として完成したり、反応が返ってくるよろこび。つまり、「他者からの承認」ですよ。

佐藤 ぼくも「他者からの承認」って、ずっと気になっているんですけど、それはどういうことなのか聞きたいです。

石川 簡単に言えばこうなんだ。人間はなんで生きているのか? 単にものを食って生きてるんじゃなくて、いちばんのよろこびは他者から認められることだ。そういうことなんだ。

佐藤 もうまさに、働きはじめてから、改めて、他者からの承認ということについて考えるんです。さっき言った姜尚中さんの『悩む力』という本のなかで、「働くことは他人から認められることだ」というのがあるんです。人から認められるとうれしいし、人がいないと生きていけないんだな、と。自分がなんで働くのか、それは他者からの承認だと思っているんです。それを実際にいま沢辺さんの口から聞いて、なんか感動したというか。

石川 そうか、いままで本のなかでだけ聞いた言葉だったんだ。

佐藤 そうなんです。大学2年生のときにすごい悩んでいたんですよ。大学1年生のとき、チャラいフットサルのサークルに入ったんです。楽しいことは楽しかったんです。けれど、「なんも得ていることはないな」というように思ったんです。
それで、2年生になって、ニュージーランドに三ヶ月半留学をしたんです。それがきっかけで一回自分をリセットしようと思って。二十歳にもなったし、自分がなんでいるんだろう?とか、どういうふうに考えて生きたらいいんだ?と考えるようになったんです。
そんなときに、姜尚中さんの『悩む力』を読んで気持ちが一回リセットされたというか。人から認められることが生きる意味なんじゃないか、と思ったことがあったんですね。

石川 悩んだときに承認という言葉が入ってきたんだよね。

沢辺 それがピカーンと自分のなかに落ちたわけでしょ。そういうことあるよ。もちろん、今日明日生きていける条件、経済条件も大切だと思うんだけど、根本的には承認だよね、という話だと思うんだ。

「でも、ぼくはツッパって、『あっちに行くんだから、日本人としゃべるのはやめよう!』と決めて」

佐藤くんにとって、大学時代の大きな転機はニュージーランド留学。そこで、佐藤くんはいろいろ考えた。

石川 佐藤くんの悩みの中身でちょっと気になったんだけど、「チャラい」というのはどういうこと?

佐藤 遊びのサークルだったんですよ。ただ、「楽しけりゃいいじゃん」みたいな感じの。

石川 そこで悩んじゃったわけだ。どんな悩みだったの?

佐藤 ぼくは高校までずっとサッカーやってたんですよ。全国大会も出ました。それで、ぼくは主将をやっていて、PKをぼくがはずして負けてしまったんです。負けて、オレはもうサッカーだめだな、と。
それで、大学に入ったら今までやったことないことをいろいろやろう、と思うようになりました。バイトも今までやったことなかったので、やってみようとか、海外に行って英語をしゃべってみたい、とか。そういう漠然とした思いがあって、大学の学部も入学してから自分の専攻を決められるような学部に入りました。
最初は楽しかったんです。バイトもやって、お酒も覚えたし、遊びも楽しかったんです。でも、いろいろやっているうちに、「これでいいかな?」というのがすぐに湧き上がってきたんです。そのときに、ニュージーランドに行ける、という大学のプログラムがあったんで海外に出たんです。海外に出ると一人の時間があるじゃないですか。だから、考える時間もいっぱいあって、それでまた悩んじゃったんですけど。そこで考えて、日本に帰って、今までのサークルも遊びも一度断ち切りました。

石川 あれ? ちょっと関係ないかもしれないけれど、一人の時間といっても、大学のプログラムの留学は学校の仲間とみんなでわーっと行くんじゃない?

佐藤 そうです。でも、ぼくはツッパって、「あっちに行くんだから、日本人としゃべるのはやめよう!」と決めて。それで孤独になって。あんまり日本人とつるむんじゃなくて現地の人とつるもうと思ったんですけど、それもなかなかうまくいかなくて。そのときに、じつは、そこの学校の先生とあるきっかけでつきあうことになったんですよ(笑)。
その方は、ニュージーランド人だったんですけど、イギリス人と日本のハーフだったんです。それで、話し相手もできて。その人は、けっこう面白い人だったんです。その人が、「一人でニュージーランドの南島を一周してみたら?」とすすめてくれて。それで一週間ぐらい南島を旅行したことがあったんです。そこでは日本では見られないような未踏の地、というか自然があって。「地球ってすげぇんだな」と思ったんです。そんなこんなのニュージーランド旅行でした(笑)。

石川 えっ、交際していた人とはどうなっちゃったの?

佐藤 最初から、お互いさっぱりした関係だったんで、ぼくの帰国と同時に終わりました。でも、いろんなことを教わったんでいい経験になりました。

石川 二人は英語で会話してたの?

佐藤 英語と日本語、彼女は片言の日本語ですね。まあ、三ヶ月半だったんで英語はぜんぜん上手くなりませんでしたけど、英語を話す機会はありました。

石川 話は佐藤くんが大学行ってからやろうと思っていたことに戻るけど、なんで海外なのかな? 大学1年生とかって「海外に行ってみたいです」って言う子が多いんだよ。あれはなんでなのかな?

佐藤 「英語を話すのはかっこいい」というのと、あとは、「グローバル化」ってのがあったじゃないですか、それで「英語とかしゃべれねぇと社会人になって活躍できねぇんじゃねぇか」というのがあって。その二つでなんとなく「海外行きてぇ」と思ってましたね。それまでほんとにサッカーしかやってこなかったんで。

石川 じゃあ、高校はサッカー推薦で入ったの?

佐藤 いや、高校受験は失敗したんですよ。でも、たまたま入った高校でキャプテンに任命されて、それで、ぼくたちの年にはじめて福島県で初優勝を果たしたんです。

石川 福島県出身なんだ。

佐藤 じつは震災のときは地元にいたんです。車に乗ってたんですけどそれでもぐらぐら揺れて。

沢辺 いま大変なとこだよ。

佐藤 いまでも室内干しは当たり前ですし、車の窓も閉めきってます。最初はほんとにびっくりしましたね。福島の実家では水は止まるし、コンビニにも物がまったくないのに、東京に戻ってきたら、みんな普通に暮らしていたのもびっくりしました。漠然と「危機感がちがうな」と思いましたね。

「オレは絶対こうなる! ではなく、そのつど目標は見つけていくのがいいと思うんですね」

どんなふうに育てられたか。佐藤くんの家族について聞いてみた。そこから佐藤くんの目標について話は進んでいく。佐藤くんはもともとドキュメンタリーを撮りたかった。けれども今は、通販の番組を作る会社で働いている。そんな佐藤くんが、いまの仕事をどう受け止め、どう向き合っているのかを話してくれた。

石川 ご両親はどんな仕事をしていますか?

佐藤 おやじは小学校の先生です。51歳です。

石川 お母さんは?

佐藤 母親は今はパートです。51歳です。前は生命保険で働いていて。父と母は地元の商業高校の同級生です。父は東京の大学に行って、そのあと福島に戻って母と結婚しました。

石川 お父さんは先生ということだけれど、教育熱心な家庭でしたか?

佐藤 いえ、父は体育系で。土日は山に連れて行ってくれたり、「勉強やれ!」とは言われなかったですね。怒られた経験といえば、テストを見せて、点数で怒られるんじゃなくて、「お前、こんな字書いてんじゃねえ!」と字がきたないことを怒られたことですかね。

石川 たとえば、「お前のやりたいことはやるように」とか、どんなふうに育てられましたか?

佐藤 ぼくのやりたいことは全力で応援してくれましたね。サッカーにしろ、大学でのニュージーランド留学にしろそうですね。親からも援助をいただきました。

石川 どれくらいかかるの?

佐藤 60万円ですね。それから大学の学費のほうは親父とお袋が全部出してくれましたね。奨学金ももらってたんですけど。

石川 佐藤くんの大学時代の仕送りは?

佐藤 ぼくは大学時代は月に6万円もらっていました。大学卒業するまでは面倒みてやる、というありがたい話で。あとは、時給900円のフィットネスクラブのインストラクターのバイトを週3回ぐらいやってました。それで、家賃と光熱費を払って、あとは、飲み会代に使ったり、服を買ったりして。遊ぶ金はありましたね。旅行が好きなんで、一人でタイやベトナムへ行ったり、卒業旅行と銘打って一人でイタリアに行ったりした、そのお金を貯めたりしましたね。

石川 ご兄弟は?

佐藤 三つ上の25歳の兄貴がいます。脚本家をめざして、今はフリーターをしています。

石川 佐藤くんもなにかそういう夢を持って生きてきたの?

佐藤 夢は持ってないかもしれませんね。目標は持ってきましたけど。もちろん、小学校の頃は、「あれになりたい」、「これになりたい」というのはありましたけど。就活の頃は、テレビ業界を目指してたんですけど、ぼくは、「ドキュメンタリーをつくりたい」という目標はあったんですよ。そういう目標を持って活動していました。その目標がきっかけになって、いまの通販番組を作る会社に出会った感じですね。商業的な番組を作る会社ですけど、人が良かったんですね(笑)。「こんな人になりてぇな」と思う人が会社にいたことが決め手です。

石川 ドキュメンタリーを撮りたい、というのはけっこう限定された目標だと思うけど、ドキュメンタリーを撮りたいと思ったきっかけは? 好きな作品とかあるの?

佐藤 きっかけは、高校のとき、ぼくがPKをはずして負けた試合を撮ってくれたドキュメンタリー番組なんです。負けたあとでそのロッカールームを映すという作品ですけど、それがぼくをメインで撮ってくれたんですよ。その作品に胸を打たれて感動したんです。
それで、その番組を見た人からメールが来たりしたんです。だからメチャクチャ感動して。まあ、認められる、じゃないですけど、「オレやってきてよかった」みたいな部分があったんです。で、「こういう感動を伝える作り手に今度はなれば絶対面白い、濃厚な人生が送れるんじゃないかな」とそのときは思ったんですね。もともと好きなんですよ、ドキュメンタリーが。
けれども、就活していくうちに「生半可なものじゃないな」とわかっていき、いろんな人に出会って、やりたいことも変わっていって、ドキュメンタリーを作っていくという志向はいまのところはないです。

石川 つまり、通販の制作会社に入ったけど、「なんだよ通販かよ」という気持ちはないと?

佐藤 それはありませんね。いまの会社を受けた段階で、「この会社、おもしれぇ!」という気持ちがあったんで。これだったら、ドキュメンタリーじゃなくても楽しめるんじゃないかな、と。それで、かっこいい先輩がいたんですよ。スゲーいい先輩がいて、「先輩のようになりたいな」と思うから、ドキュメンタリーを作るっていうよりも、先輩のような人になりたいという気持ちが強いです。それから、通販には通販のおもしろみがあると思うので、いまは、「ドキュメンタリーを絶対やる!」という気持ちはありませんね。

石川 絶対コレ! なんじゃないんだね。「先輩いるじゃん、それでいいじゃん」。そんな感じで受け取っていいのかな? もちろん軽い意味ではなくて。

佐藤 そうですね。そういう感じでいいです。オレも昔は「コレしかやんねぇ!」という感じだったんですけど、なんだろう、凝り固まった考えってだめなんじゃないか、と歳を重ねるごとに思うようになってきて。柳の木じゃないですけど、やわらく生きていけばいいんじゃないかと。オレは絶対こうなる! ではなく、そのつど目標は見つけていくのがいいと思うんですね。具体的にこうなるという目標はなく目先の目標でやる感じです。

石川 佐藤くんは、「こうなったけど、まあ、ここでもいいことあるしな」とけっこう自然な肯定感があっていいな、と思うんだ。

佐藤 オレ自身はずっとネガティブな人間だと思っていたんですけど。そういうふうに言われるとそうなのかもしれませんね。

石川 ネガティブってどういう意味?

佐藤 ずっと自分に自信がもてなくて。石川さんが言ってくれたことは、ぼくのこと楽観的な人だと思ってくれているみたいで、ああそうなのかな、と。自分でも発見がありました。

石川 楽観的というよりも、いい意味で、柔軟なんだな〜と思ったんだな。

「でも、『バーベキューにまで行って、なんで人と話さないのかよ!』て思うんですよ」

佐藤くんはいま自分のやっている仕事に肯定感がある。けれども、仕事の疑問、通販の売り方に疑問ももっている。その疑問点を率直に話してくれた。話題はそこからSNSのうすっぺらさにも広がっていく。

石川 いまちょっと言ってくれたんだけど、自信をもてないというのはどういうこと?

佐藤 自分がサッカー部でキャプテンやっていたとき、オレよりうまい推薦で来たヤツもいっぱいいたんです。キャプテンなので、いろいろ言わなくちゃならないじゃないですか。「ちゃんとやれ!」みたいに。でも、ぼくのプレーのレベルが彼らのレベルに達していなくて、「オレ、レベル低いな、こんなこと言える立場なのかな」と。そこからあんまり自分に自信がもてなくなって。でも、就活のときは「自分はこうだ!」と自信をもって言わなくてはならないじゃないですか。

沢辺 オレはそうは思わないけど、まあ、まあ、続けて。

佐藤 ぼくはそういうふうに思っていて、そこから、積極的に発言する、自分の意見を言おう、と意識してきたんですが、いまでも、自分がものを言うときには自信がもてないんです。

石川 自信をもたなきゃいけないと思ってるの?

佐藤 自信をもっている人はカッコいいじゃないですか? 正しいかどうかわからないですけど、「バーン!」と自信をもって「こうだ!」と言えるような人が。

石川 もちろんカッコいいとは思うんだけど、それでは、自信をもった態度だったら誰の言うことも信じてしまう怖さもあると思うんだけど?

佐藤 自信をもっていると説得力はついてくると思うんです。

石川 ぼくなんかは、人と信頼関係を築くためには、自信がないところも見せる、というのもけっこう説得力あるように思うんだけど。

佐藤 そうですよね。でも、それだけではなく、ここぞというときに、「ばっ!」と自信をもって言うことも大切だと思うんですよ。

石川 なるほどね。そういう局面の自信をもった振舞いというのも大切だと思うよ。では、たとえば、仕事をはじめて2ヶ月で、いま、考えてることは自信をもちたいということなのかな?

佐藤 それもずっと思ってることですけど、他にも疑問があるんです。企業に入ると利益を上げる人にならなきゃならないじゃないですか。でも、利益を上げるためならなんでもいいのか、といえば、そうではないと思うんですよ。
最近、twitterとかFacebookとか、SNSに力を入れなきゃいけないというのはあると思うんです。ビジネスでは必要になってくると思うんです。でも、twitterに依存したら危ないと思うんですよ。twitterって簡単に人とつながれるじゃないですか。情報をめぐらせるには便利だと思うんですけどね。ネット上の付き合いはこわいと思うんです。
自分の仕事で利益を上げるためにSNSと付き合っていかなきゃならないと考えると、ほんとにオレはこれでいいのかな、と考えることがあります。

石川 でも、仕事は仕事、と分けて考えてもいいと思うよ。大切な人間関係は直接会って話すとか。

佐藤 そういうふうに簡単に考えればいいんですけど、やっぱり気になるんです。たとえば、ぼくの会社でいま、持ち運べるテレビを売ってるんです。風呂とかでもどこでも見れるんです。それで、ドライブするときでも後ろで子供が見れる、とか、バーベキューやってるところでそこでみんながテレビを囲んでる、とかそんな売り方をしてるんです。でも、「バーベキューにまで行って、なんで人と話さないのかよ!」て思うんですよ。売り手としてはそういう見せ方をするじゃないですか。でも、そんな売り方でいいのか?と。車の中も、バーベキューだって、人と話せばいいじゃないか、と。そう思って、モヤモヤした気持ちがあるんです。

石川 いま自分がものを売っているやり方と、自分のよしとすることが違うというか?

佐藤 そうですね。うまく話せなくてすいません。

沢辺 twitterはうすっぺらいという印象があるのはわかるよ。でも、オレも必要があるから使う。義務感でやっているようなつぶやきもあるよ。自分の仕事として自分に課してるんだ。だから、仕事以外は、いっさい義務とかそういうものはないよ。あとは、続くならやればいいんだ。逆に続かなくっても後悔しない。Facebookもやってるよ。それが、どういう影響与えたり、どういう可能性があるのか、ものの本を読むんじゃなくて、やってみないとわからないから。でも、それで続かなくても失敗しても後悔しない。

「では、沢辺さんはSNSが広まることは賛成ですか?」

話題はSNSのうすっぺらさから、「問いの立て方」問題へ。

佐藤 では、沢辺さんはSNSが広まることは賛成ですか?

沢辺 それは問いの立て方がちょっとちがうと思うんだな。こっちは正しい、こっちに賛成だ、って事前に理想や正しさを置いて、それに向かって自分や社会を動かそうとするのはダメなんじゃないかな。どんな頭のいい人もしょせん人間なんだ。どんな素晴らしい理想を置いたって、どうしても無理があるんだ。原発の問題だってそうだよ。やるのかやめるのか、そういう議論あるんだけど、もうあんなことが起こったら、誰が「うちの近所に原発建てていいですよ」って言える? たとえば、いくら原発を使うことが正しいと科学的に証明する人がいたって無理なんだ。賛成しようが反対しようが広まることは広まる。廃れることは廃れるんだ。
だから、SNSが広まることには賛成ですか?という問いだって、オレが賛成しようが反対しようが、広まるものは広まるんだよ。もし、SNSで大事故が起こったら、誰がそれを正しいと言ったって、みんな離れると思うよ。やっぱり、SNSが広まったのは、それを受け入れた人が社会に一定いるんだよ。自分がつぶやいたことにだれかが反応してくれる、という承認もあって。でも、いまオレはそれに飽きてるんだ。そう思うと、twitterでの承認って、ほんとうの意味での他者からの承認とはちがうんじゃないかな、と思うんだ。

石川 それも、一人の人間のふれ幅だと思うんですよね。twitterのコミュニケーションに飽きちゃったら対面のコミュニケーションを重視したり、同じ人間が、対面よりもSNSの便利さを取る場合だってある。そういうことだと思うんです。どちらが正しいか、ということころで動いてないと思うんですよ。

沢辺 そうそう。それから、twitterが流行っているのは母数が多いというのもあるよね。オレが勝手に独自のサービス作ったって、誰もやってなければなんの意味もない。
それで、さっきの話しに戻るんだけど、オレはよく言うんだけど、勝間和代の言うように、「起こっていることはすべて正しい」と思うわけ。twitterや Facebookが流行っているけれど、それはそれとして受け入れるんだ。みんなが求めているものがそこにあるわけで。オレがそのことを正しいとか間違ってるとかは言えないよ。
ただし、オレがそれを実際に身体を動かしてやるかやらないか、ということはオレが権限をもってるんだ。誰にも指図されないでオレが決められる。そこは大切にすればいいと思うんだよ。そう考えると、「twitterをやってるオレはどうなんだろうか?」と考え込む必要はなくなるんだ。これは仕事としてまず一回やろう、続かなかったり失敗したらやめればいい。そう考えられるようになるんだ。「正しいからやるんだ、賛成するからやるんだ」じゃなくて、「オレだけの選択なんだ」と考えることで、飛びついてやってみてもそれに対する後悔はなくなる、という感じなんだ。だから、賛成ですか? 反対ですか?という問いの立て方そのものが、もう時代遅れだと思うんだよ。

佐藤 「問いの立て方」なんてすごく新しい考え方ですね。目からうろこです。こんな話ははじめて聞きました。

石川 その「目からうろこ」で思い出したんだけど、最初の「目からうろこ」で話してくれた承認についてもバランスの問題だと思うんだ。「認められることが大切だ」というのはわかった。それなら、ということで、たとえば、人間関係よくしようと思ってがんばることもあると思うんだ。でも、だんだん、ふれ幅がちょっとおかしくなって、「自分のまわりのヤツ全員に自分のことを認めさせてやろう!」となったら、ものすごく無理をしたり気をつかっちゃって自分をすり減らすことになるかも。一方で、承認は大切、というところからがんばっても、どうしても自分を認めてくれない人もいるわけで、「オレはこんだけがんばってるのに、あいつはぜんぜんオレのこと認めない、なんだ、アイツはダメなやつだ!」と逆に攻撃することもあるよね。だから、どんなにすばらしいことでもバランスは大切だと思うんだ。

佐藤 ぼくは、いままで、やったらやった分だけ受け入れられた、承認してもらえた、といったことが多かったと思うので、そこまでがんばった感覚はないかもしれません。

沢辺 人間は他者からの承認を求める生き物だということはわかるんだ。けれども、その裏返しで、「だから、承認を求めるために生きるのは正しいんだ」というのはもうすでにちがっていると思うのね。そこには無理がある。ある種のストーカーがそうだと思うよ。「○○ちゃん、惚れてくれよ!」って。それはひたすら無理な承認を求めていくわけだよ。

石川 あげくの果てには殺意になるとか?

佐藤 カニバリズムとかも?

沢辺 そうそう。ありうるよ。

「ぼくは、出版社の方って、本という物体に愛があると思ってたんですけど、そういう愛もありつつ、電子書籍を出すのも、どこか本質に向かってやってるんだな、って勝手に思いました」

話は「問いの立て方」問題から、新しいことはどういう場面で生まれるのか、そして、通販も含め商売の本質へと進んでいく。

沢辺 さっきの「起こっていることはすべて正しい」の話に戻るんだけど、たとえば、そんなことは起こらないと思うけど、もし仮に、バーベキューに行った子どもがみんなテレビ見てるなんて状況が起こったら、新聞とかに「いまの子どもは狂ってる!」なんて書かれると思うんだ。でも、それにはきっと理由があると思う。「起こっていることは正しい」。だから、それを「狂ってる! 正しくない!」と否定するんじゃなくて、いったんそれを受け入れることが大切だと思うんだ。そのうえで、どうしてこういうことが起こったんだろう?と考えることのほうがよっぽど大切だと思うよ。
それで、いまの現状をちゃんと考えれば、河原でバーベキューやってる連中がみんなテレビ見ていることなんて起こってない。だから、佐藤くんが自分の会社の演出のあり方をことさら問題にする必要はないと思うんだ。もちろん、「バカげている」ということはあるよ。移動式のテレビのメリットを説明するうえで、どうしてそれを「バーベキューでも使えます」って言う必要があるのか(笑)。そういう面はあるよ。

石川 作ってる側はどんな気持ちで作っているのかな? こんなバカげた例も入れちゃえ! とけっこう面白がって作ってるのかな?

佐藤 それはないと思います。

沢辺 そういうなにかを作り出している現場をよく見てみると面白いんだよ。これはさっきのドキュメンタリーの世界の話なんだけど、ドキュメンタリーでは、被写体との距離、取材対象との距離は永遠の課題じゃないかな。たとえば、相手に恋しちゃっていいのかよ、というのがそれ。けれど、原一男の『ゆきゆきて神軍』なんか、へんなおじさんが殴り込みみたいなことして人殴るのを、一緒に付いていって撮ってるわけ。一緒に犯罪を犯している画なんだよ。これだともう距離感がないわけ。こんなこと、くるくるパーじゃないとできないんだよ。でも、そういう人がなにか新しいものをつくりだしてきたのも事実だと思うんだ。
通販だってそうなんだ。通販が社会で受け入れられていること、これは起こっていることだから正しいことだよね。それを前提に、では、どこが受け入れられているのか? そこを考えるとすごく面白いと思うよ。オレのおふくろだって、蒸気で床がきれいになるやつとか買ってるわけよ(笑)。たまに実家に帰ると、かならず何かあるんだよ〜。オレの妹はそれを見てバカにするけど、ハマるのはなにか理由があるんじゃないかな? おふくろのパターンだけじゃなく、ラジオ通販だと目の見えない人にベンリだとか。だから、通販は他者から承認されているわけだよ。その理由を考えて、もっと多くの人の承認を得られるようにするにはどうしたらいいか。そこを考えるといいと思うよ。
ついつい通販というのは、儲け主義や「売らんかな」で、だましているように思われているイメージがある。でも、やっぱり、ジャパネットの高田さんなんかも、多くの人に受け入れられるなにかを持ってるんだ。

石川 だって、そんな簡単に儲け主義や「売らんかな」だけでうまく商売できる時代じゃないと思うんですよね。それはよく沢辺さんと話すことなんですけど。

沢辺 むかしの近江商人だって、バリバリ稼ごうなんて考えてなかったはずだよ。もちろん、自分の利益を度外視して考えていたわけではないと思うよ。でも、たとえば、「売って良し、買って良し、作って良し」なんて言葉があるように、「作り手も消費者も、みんなが潤わなくちゃだめなんだ」と考えていたと思うんだ。松下幸之助も稲盛さんも、ドラッカーもそうだと思うんだよ。まあ、それで彼らは大もうけしたんだろうけど(笑)。けど、「金さえ稼げればなんでもいい」なんて絶対考えてなかったと思うんだ。

佐藤 きょうはほんとに目からうろこで(笑)。沢辺さんって本質をずっと探してるんですね。ぼくは、出版社の方って、本という物体に愛があると思ってたんですけど、そういう愛もありつつ、電子書籍を出すのも、どこか本質に向かってやってるんだな、って勝手に思いました。考え方っていうのはほんとうに面白いですね。

沢辺 ありがとう(笑)。

石川 沢辺主義者になる必要はないけれど、きっと自分なりに活かせると思うんだ。

佐藤 そうですね。聞いたことを自分なりに活かそうと思います。

沢辺 けれど、偉そうなこと言うようだけど、共感しても実際に自分のものにするというのは大変だと思うんだ。だから、オレはアイデアを隠したりしないんだ。損しないから。どこにでも出て行って、たとえば、電子書籍の話なんかするけど、そこで、オレの話の一部をちょこっとつまんだって真似はできないんだ。だって、電子書籍のことなんか、オレ自身が迷ってやってるんだもん。だから、どっかから持ってきて付け焼刃、なんてうまくはいかないんだよ。一人ひとりが自分の頭で自分の言葉で考えて試行錯誤しなくちゃ解決しないんだよ。

「鵜呑みにしているように思われたかもしれないけれど、まあ、ほんとに新しいことだから素直に聞いたということですね(笑)」

石川は佐藤くんがちょくちょく言ってくれる「目からうろこ」発言が気になった。そんなにすんなり感動しちゃっていいのかな?と。そこから「素直さ」について話題は進んでいく。

石川 それで、ぼくが気になっていたのは、佐藤くんがよく言う「目からうろこ」ってなんか危ういんじゃないかな?ということなんだけど。これはひねくれた見方なのかな?

沢辺 自分の頭で考えるようになるのは、ある面では素直さは必要だと思うんだ。若いヤツと付き合うと、素直なヤツと素直でないヤツがいるんだけど、素直でないヤツは手こずるんだ〜。佐藤くんは素直さが武器だから、それを有効に使うといいと思うよ。

石川 そうか。佐藤くんって素直なんだね。

佐藤 いや、どうかわかりませんけど(笑)。

沢辺 いまオレが自分の頭で考えられてるかどうかはちょっと横に置いておいて、それでも、「オレだってある意味で素直だったな」と思えることがあるわけ。もちろん、オレも素直じゃなかったんだ。たとえば、中学の頃いたずらして立たされたことあるんだ。それで、オレのおやじ教師だったんで、担任の先生もそのこと知ってて、「お父さん先生なのに、なんでそんないたずらばかりしてるの!」って怒られたんだ。そしたら、オレは「じゃあ先生、泥棒の子どもは泥棒の子どもになんなきゃならないんですね」って言い返して、その女の先生泣かせちゃったもん。

石川 うわ、ひねくれたヤツだな〜、理屈言っちゃって(笑)。 

沢辺 だけど、オレ、一方で素直だったと思うんだ(笑)。二十歳の頃、左翼だったんで、「資本家は悪い!」って、ヘルメットかぶったりしながら言ってたわけ。だけど、いまでも覚えているんだよ。6、7歳年上のヤツに「沢辺さぁ、お前、資本家ってどこにいるの? 誰と誰だか名前教えてくれる?」って言われたわけ。それ、オレ答えられなかったんだよ。そんなプリミティブな質問を真正面からされて答えられなかったわけ。資本家の定義とか、誰が資本家とか、そんなリアリティのあることなんかそれまで一回も考えたことなかったわけ。大ショックでさあ。
それで、オレが自分のこと素直だな(笑)と思うのは、そこに以降のオレの思考の原点があるわけ。なにかをひと括りにして「悪い!」とするんじゃなくて、ちゃんと考えよう、と。なぜそれが悪いのかちゃんと答えよう、と。たとえば、オレの給料が悪いとしたら、じゃあ、いくらがいいのか? 会社をどういう状態にもっていったらいいのか? そういうふうに現実的な条件を考えることが大切だとオレは思ったわけよ。なんとなく「悪い!」じゃなくて。
だから、さっき佐藤くんが話してくれたCMの話にもつながるけど、そのCMをただただ「悪い」と言うだけじゃなくて、どうしてそういうCMをつくらなければならないのか?と考えたり、自分の企画が通らなかったら、ではそれを通すためにはどうしたらいいのか?と考て自分で自主的にCM撮ってみるとか、どうしたら認められるのか? 現実になにをしたらいいか? そういうことを具体的に考えるのが大切なんだ。

石川 自分が質問に答えられなかったことを認めたがらない人もいっぱいいますよね。沢辺さんは素直だな。

沢辺 でも、このこと10年ぐらい人に言えなかったんだよ。そのときは、ワナワナして、顔から火が出るくらいはずかしかったんだ。でも、「あの疑問に答えてやりたい!」と思ったんだ。これが考えるきっかけ。「これじゃヤバイ!」と。「ハリネズミみたいに言い訳つくって武装しててもどうにもならない」と。だから、素直というのは人の言うことを全部受け入れるというわけでもないし、佐藤くんの場合は素直さという道具を使って疑こととのバランスを上手に取ればいいと思うんだ。

石川 ぼくも気にしすぎたかな?

佐藤 鵜呑みにしているように思われたかもしれないけれど、まあ、ほんとに新しいことだから素直に聞いたということですね(笑)。

「そこまで自分の考えを大っぴらに話したりはしないですね。目上の人と話すことはありますけど、こんなふうにじっくり話すことはないんで」

佐藤くんはちゃんと話をしたい人。けれど、現実にはそういう場はなかなかないようだ。佐藤くんのコミュニケーションのあり方を聞いてみた。そこから話題は、現代の不幸、「できそうで、できない」へ。

石川 だから、佐藤くんの「目からうろこ」って「新鮮だ」ってことなんだね?

佐藤 そうですね。そこまで自分の考えを大っぴらに話したりはしないですね。目上の人と話すことはありますけど、こんなふうにじっくり話すことはないんで。それに、まわりにいる人も出版社の社長さんとか哲学者の人なんていなかったので、こんなことはあんまりないな、と思って聞いていたわけです(笑)。

沢辺 オレは、いまは目上の人が臆病になっている時代だと思うんだ。若いヤツに本気で語ったら嫌がるんじゃないか、そういうムードになっている気がしているわけ。もし、佐藤くんが目上の人とじっくり語りたいという思いがあるのだとしたら、「そういう話してもいいんですよ」と伝えてあげるのも一手だと思うよ。

石川 ぼくも自分の本で以前書いたことあるんだけど、なんかじっくり話そうと思っても「ひとそれぞれ」で終わってしまう、せっかく自分が真剣に話そうと思ってもうまくいかない、ということがあると思うんだ。そうなると、「自分がうまく話せた人たちは深い、うまく話せなかった人は浅い」という区別が生まれることもある。でも、それはもったいないと思うんだ。自分が浅いと思った人たちをとりこぼしてしまっているから。もちろん、その浅い人たち自身の責任もあるかもしれないけれど、こちら側で、「この言い方だとみんな引いちゃうな、だから、もうちょっと話し方変えようかな」、「話題をこういうふうにもっていければいいかもしれない」と工夫できると思うんだ。すると、もっといろんな人たちと話すことができるんじゃないかな?

佐藤 あ〜、そういうことはよく考えますね。

石川 無関心なように見えて、けっこう話をしたい人もいっぱいいると思うんだ。これだけコミュニケーションツールが多くても、なかなかうまくいかないと感じている人も多いと思うんだ。

沢辺 たぶん、昔から上手くは伝えられなかったんだと思うんだ。でも、現代の場合は、「一見伝えられそうな世の中になっても伝えられない」ということだと思う。昔は子どもが親と同じ音楽聴いてるなんてありえなかったんだ。たとえば、ビートルズだってそうだったんだよ。でも、いまは子どもが親と同じ音楽を聴くことがある。うちの子供もオレが若い頃聴いてた曲、聴いてることあるもん。だから、一見、お互い通じているように思える。でも、実際は伝わらないことが多いんだよ。
だから、現代の不幸は、たんに「できない」じゃなくて、「できそうで、できない」ということだと思うんだ。就職の例で言えば、昔なんか、百姓の子に生まれたら百姓だよ。それ以外の可能性なんか想像さえできない。今の人間が宇宙旅行を想像できないのと一緒だよ。でも、宇宙旅行だって、あと何年先かわからないけれど、それも海外旅行に行くような感じになるかもしれない。つまり、人間は可能だと思える範囲でやりたいことを見つけているだけだよ。そういうものに希望をもつんだよ。で、いまは、百姓の子は百姓、ではなくて、多くの人が自分のなりたい者になれる選択肢は開かれた。そういう希望はある。
でも、可能性はあるけれど、現実はそうじゃないんだ。「できそうで、できない」。佐藤くんだって、就職活動でキー局受けて落ちて、テレビ業界のはじっこで引っかかっただけだよね。でも、みんなそんなもんなんだよ。ものすごく強く、「なにがなんでもキー局!」、「ヒモになっても芝居やってやる!」みたいな気持ちでそうなったんじゃなくて、なんとなく選択肢があって、そのなかで選んだ結果だと思うんだ。一見、就活うまくいったヤツも、みんなそんなもんだったと思うんだ。
だから、大切なことは、「その事実を受け入れたうえで、そこでなにをつかむか」だと思うんだ。どんな現場にもやってみれば面白いネタは転がってるわけだよ。有能なヤツというのはそこでなにかをつかめたヤツなんだ。たとえば、いまから40年ぐらい前は、出版業界は新聞に行けなかったヤツがしょうがなく入るような業界だったんだ。「新聞やりたかったけど雑誌をやる」とか。でも、ちゃんとしている人はどんな場所にいてもその場所で耕すんだ。それで、有能な週刊誌編集長、たとえば、よくテレビに出てくる鳥越さんなんか、「新聞記者やりたかったけど雑誌かよ」と思ったって言ってた。けど、そう思いつつも、ずっと自分の現場をしっかり耕してきたんだ。

「『これになりてぇからそれに向かっていく』というよりも、自分のいま置かれている状況で目標をみつけてなにかを残す、というのがやっぱ働くというか人の人生だと思います」

仕事の話へ。誰でも偶然に仕事に放り込まれる。その中で人はなにをしていくか。佐藤くんは自分の考えを伝えてくれた。話題は、面倒を見てもらえる人間になること、武装しているとなかなか受け入れられない点、そして再び素直さへと進んでいく。

佐藤 沢辺さんのおっしゃっている感覚よくわかります。ぼくも就活やりはじめてちょっとたってから、そういう感じになったんですね。「やりてぇからこれをやる」じゃなくて、自分が入ったところで目標をつぶしていって、最終的にそれになっている。そういう人生なんじゃないかと思うようになったんです。うちの親父は、じいちゃんが司法書士だったんで、最初はその手伝いをしてたんです。そのあと親父は先生になったんですけど、先生に最初からなりたかったわけではないんです。でも、いま話を聞くと、「大変で苦しいけど楽しい」って言ってるんです。だから、「これになりてぇからそれに向かっていく」というよりも、自分のいま置かれている状況で目標をみつけてなにかを残す、というのが人の人生だと思います。

沢辺 お父さんも偶然だと思うよ。偶然小学校という現場に行って、そこで運動音痴な子を逆上がりできるようにしてやって承認を得る場合もあるし、「いいんだよ別に仕事だから」って生徒たちとかかわりなく仕事をやる人もいる。どんなところにもみんな偶然行くんだよ。でも、そこのなかで、「運動のできない子を逆上がりができるようにする」といったなにかを見つけられるか、そこが重要だと思うんだ。かりに転職したとしてもそれは絶対に付いてくるよ。だから、どこに行っても、「しょうがない」ということはないんだ。

石川 ぼくも、偶然そういう仕事になったんだけど、大学で文章の先生をやることが多いんだ。でも、やっててよかったと思うよ。「哲学やりたいけど文章指導かよ」って思うこともある。文章の相談も添削も学生一人ひとりに対してやるわけだから大変。でも、文章を通じて密に学生と付き合うのはやっぱ面白いよ。そう付き合うことで、いまの若い人の感じも伝わってくる。そうして取り入れた感覚が、哲学も含めて自分の仕事全体にいい意味で反映されると思うんだ。戻ってくるものあるんだよな。

佐藤 専門的にそれだけをやる楽しみもあると思いますが、それだけでない楽しみもいっぱいあって、そういうとこで目標を達成していけば結果的に自分は満足した仕事をやっていけるんだと思います。それから、仕事をはじめていま2ヶ月なんですけど、やっぱり人間関係なんじゃないかと思います。仕事できる・できないはもちろん大切ですけど、「やっぱ入って人に面倒見てもらえることが第一なのかな」みたいな、そう思ったりすることもあります。

石川 やっぱ、「こいつ面倒みたい・みたくない」はあるなあ。学生もそうだけど。笑顔とかひとつでちがうもの。

沢辺 むちゃくちゃあるよ。ただ、明らかにそれをめがけてるヤツはやなんだ。けっこう見えちゃうんだよ。わかる。ウソ通用しないよね。

佐藤 エントリーシートの段階では、なんとかひっかかろうと思って、作っていた自分もありました。最終の役員面接では就職活動のテクニックとか全部なしにして、素で受けたら、この会社に通ったんですね。やっぱ武装してもダメなものはダメなんですね。

沢辺 それと素直さがやっぱ大切かな。

石川 どうして素直な人と素直でない人がいるんでしょうね?

沢辺 オレは生育歴の影響はあるような気がする。親にどう育てられたか。親がお金持ちかお金持ちじゃないか、とかそういう単純なものじゃなくて、周りへの武装なんだよ。でも、武装イコール悪というわけではなくて、武装が強すぎるとダメなんだよ。誰だって武装する。極端に言えば服を着るのだってそうだよ。だけど、大切なのは武装とうまく折り合えるってことなんじゃないかな。武装がバリバリ全面に出ちゃうとすごく困難だと思うな。

石川 もちろんその通りで、こちらも武装が全面に出ちゃってる人とはつきあいにくいですね。中学校の沢辺さんみたいに理屈ばかり言ったり、大人になってもいつもハスに構えちゃったり、かっこいいことばかり言って自分を飾ってばかりだったり、ぼくもそうだったんだけど、頭がもう難しい言葉でいっぱいになってるヤツだったりすると、こっちは疲れちゃいます。でも、大概はうまくいかないことが多いけど、それでも、たとえば、仕事の現場や文章や哲学の教室でもいいけど、なにかを通してそんな武装したヤツと付き合わざるをえなくなって、そのなかでやりとりしているうちに、カチンコチンの人間が武装解除する瞬間は確かにある。それはそれで感動的なんだよな。

沢辺 それ、わかるよ。

石川 けれど、考えてみると、やっぱり、武装解除できる人っていうのは、どこかにかならず、一抹の素直さがある人ってことなんだな、と改めて思いますね。

佐藤 ぼくはなかなか武装した人に接したことがないですけど、きっとそういう武装解除の場面に出会ったら感動すると思います。

石川 まあ、あまり武装している人には出会わないほうがいいとは思うけど(笑)。今日はほんとに長い時間ありがとう。

佐藤 ほんと、そろそろビールが飲みたい感じです(笑)。

◎石川メモ

大人が三人で語っている

 ぼくは最初、佐藤くんの「目からうろこ」をどこか危ういと思っていた。けれど、よく考えれば、それこそ佐藤くんの言うとおり、自分の考えをおおっぴらに話したりする機会はなかなかないだろうし、ぼくと沢辺さんのやりとりのようなものも珍しかったのかもしれない。そう考えると、佐藤くんにとって今回のインタヴューは、やはり、「目からうろこ」の新鮮なものだったのだと思う。
 ところで、これは当たり前のことかもしれないけれど、ぼくは仕事上で問題や困ったことが起こると、アポをとって、なるべく直接相手と会って話すようにしている。メールではどうしても無理だ。文章と文章とでやりとりすると相当複雑なことになる。直接会えば、一つ一つの言葉にそのつど反応できるし、それに、お互いの表情とその場の空気が伝わる。
 でも、ほんとのところ、やっかいなことがらもメールのやりとりだけで済ませられないかな、と思う自分もいる。そう思って、実際にメールでやりとりしたこともあった。けれど、ぜんぜんうまくいかず、二度手間、三度手間、何度もやりとりすることになってしまった。最終的には、「この件、メールで話すのやめましょう、直接お話しましょう」となった。
 直接会って話すことの意味は十分にある。「真剣にやりとりするなら、やっぱり対面」とぼくは思う。今回のインタヴューでは、佐藤くんも含めて、大人三人で、「問いの立て方」や「素直さ」など、対面でまじめに話した。ぼくも改めて思ったけれど、相手と実際に会ってちゃんと話をするのは、すごく大切だしとても面白い。それが佐藤くんの感じた「目からうろこ」、「新鮮さ」の中身なんじゃないだろうか。

偶然と折り合うことの難しさ

 佐藤くんは、いいかたちで偶然と折り合うことができているように感じた。偶然というのは「たまたまそうなった」ということだけれど、佐藤くんのいま働いている現場だってそうだ。というより、だれもみんなそういう偶然を生きているはず。
 どうやって人は偶然を受け入れるようになれるのか? ぼくはいつも気になっている。わたしたちはいろんな意味で、たまたまそうなってしまう。あの親から生まれ、あそこで育ったこともそうだ。ここでこうして働いていることもそうだ。良くないことで言えば、災害や病気というのもそう言える。もちろん、イケメンだったりとか、いいことについてだってそう言える。
 で、ぼくが気になるのは、とくに良くないことについて、人間は偶然を受け入れられるのか?ということだ。自分の責任や落ち度となんの関係もなく、わたしたちは苦しいことを「こうむる」。昔は、「それは神様が与えてくれた試練ですよ、いま苦しいことは天国に行くためですよ」という説明で救われたかもしれない。けれど、今はそんなふうにはなかなか信じられない。どうしたらいいのだろう。
 印象に残っていることは、佐藤くんが、いまの会社でよい先輩に会えたりして、仕事に面白いことがあると思っている点だ。ぼくは、「えぃ!」と覚悟を決めるだけで、納得いかない偶然を受け入れるのはすごく難しいことだと思っている。そんな苦しい現実のなかに、ほんのちょっとでもなにか面白いことが自分を誘っていると感じられることが、偶然を受け入れるコツだと思う。
 でもこれは、逆に言えば、自分を誘うものを目の前の世界に見つけられなければ、現実は受け入れられない、ということだ。そうなったとき、いまのところぼくは、目の前には面白いものがなくても、一度でもいいから、世界に誘われた経験があるかどうか思い出してみるのが大切だと思っている。
 たとえば、佐藤くんは、お父さんと山に行ったり、部活で全国大会に行ったり、ニュージーランドでの恋愛などなど、いままでの楽しい経験をけっこう大切にしている。そして、たぶん、いままでそうだったんだから、なにか自分を誘うような面白いものは世界にかならずあるはず、と考えている。それが、佐藤くんの素直さの中身で、だから、仕事での面白さを呼び込んでいるのではないだろうか。
 うれしかった思い出を大切にする、と言うとなにか素朴できれいすぎる表現だけれど、でも、それは、「いま目の前にはないけれど、またうれしいことがきっとあるはず」と世界と上手くつきあうためのコツになってるんじゃないだろうか。
 けれども、偶然にこんなふうに苦しくなってしまった自分や世界をどうしたら受け入れられるか? そのことについてはこれからもじっくり考えてみたいと思っている。

2011-05-19

第11回 ここがこう動いて、つぎにこうするとこう動く──武田一雄さん(22歳・男性・大学3年生)

武田くんは、1988年に埼玉県の朝霞市に生まれ育つ(22歳)。現在は東京都内の理系の大学で電気関係を学ぶ大学三年生(就職活動中)。
理系で技術者をめざす若者はこのインタヴューでははじめて。電気の仕組みなど、なかなか聞けない技術的な話、技術屋としての仕事観を聞くことができた。電気の話をわかりやすく説明しようとしてくれる時の楽しげな表情が印象的。もちろん、「理系」というキーワードでは括れない、ひとりの個人としての武田くんのあり方もこのインタヴューでは具体的に聞くことができた。
*2011年3月16日(水) 18時〜インタヴュー実施。

「ぼくは強電系に興味があって、モーター関係、モーターそのものやモーターを制御するインバーターについて興味があります」

まずは武田くんの専門の電気の話から。話は、モーター、電車、電力供給の技術へと広がっていく。インタヴューを行った日は、東日本大震災からまだ一週間もたっていない3月16日。話はおのずと計画停電を含め、送電に関する技術的な問題にまで至ることになった。

石川 おいくつですか?

武田 22歳です。理系の大学に通っています。一年留年して、今度4年になります(苦笑)。

石川 留年というのはどういう理由で? 

武田 単位が取れなくて。三年を二回やっていました(笑)。

石川 そんなに進級するのが大変なの?

武田 私が留年したときは、進級できたのが6、7割です。学科によってこの割合のばらつきはありますけど。

石川 大変なんだね〜。

武田 まあ、自分の勉強不足というのもありますけど(笑)。大学は電気の専門の大学です。

沢辺 そこって、おれがよく行く大学だね。電子書籍の共通ルールをつくってるひとがいる大学だ。

石川 そこで、武田くん自身のご専門はなんですか?

武田 電気、電子に関するものをやっています。強電から弱電、プログラミングまでやっています。モーターを動かしたりするのが強電で、電圧が高いものです。弱電は半導体とかにかかわる電圧が低いものです。プログラミングはあんまりできないんですけど(笑)。

石川 プログラミングというと、もちろん、パソコンで?

武田 そうですね。C言語でプログラムをつくります。もちろん、そういう情報系を専門にやっている学科もあるんですけど、ぼくらもプログラミングを学びます。

石川 なかなか専門的な話だけれど、そういう専門的な学問なので留年してしまう学生も多いということ? 

武田 まあ、う〜ん、そうですかね(苦笑)。まあ、勉強不足もあるし。必修はけっこう難しかったりするんです。うちの大学は出席はあんまり勘案せず、基本は中間や期末のテスト一発で。

沢辺 ようは成績が悪かったんだ。

武田 そうですね。テストで点が取れるかどうかということです。

石川 なるほどね。文系の大学は、出席も成績に加点したり、単位修得条件の主なものに含まれている。けれども、武田さんの大学では、純粋にテストの点数で単位を取れるかどうかが決まるんだ。それで、その難しい必修のテストというのは電圧や……、

武田 回路だのなんなの(笑)。プログラミングとか(笑)。まあ、実験とかはレポートで、なんとかなったりするものはあるんですけど、基本は筆記試験ですね。

沢辺 ねらい目はどのあたりなの?

武田 就職ということですか?

沢辺 主に勉強している分野はどういうことなの?

武田 ぼくは強電系に興味があって、モーター関係、モーターそのものやモーターを制御するインバーターについて興味があります。あとは、高電圧工学とか、送電に関係するものを勉強しましたね。

沢辺 まさしく時流に合ってることをやってるじゃん! 

武田 そうですね(笑)。まあ、原発そのものではないですけど。

沢辺 計画停電というのもそういうジャンルになるんでしょ?

武田 もちろん、そうですね。電力系統工学というのも勉強しましたけれど、まさに送電にかかわることです。

沢辺 実際に電力会社に聞かなくちゃわからないだろうけど、想像で聞けば、まず発電所があって、そこから送電線が引かれて、どこかにある変電所でいったん変電して、電気は分散されてると思うんだ。計画停電というのはその変電所の単位で行われるんでしょ?

武田 はい。そういうことだと思います。

沢辺 で、おれも含めて、一般の人も不思議に思うのは、じゃあ、電車だけ優先できないか? ということなんだけど、それはできないの?

武田 たぶん、計画停電初日に電車を優先せずにあれだけ混乱したので、そのあとから優先にしたんだと思います。

石川 じゃあ、「優先的にここにこう流す」ということもできるんだ。

武田 そうですね。一般に流れているのは交流電流で、電車を動かすのは直流電流なので、そのためには変換をしなくてならないんです。だから、電車を動かす電力は別口で流しているのかもしれませんね。

沢辺 だけど、直流に変えるのは、鉄道会社のほうでやるんじゃない?

武田 そうですね。だから、会社に電力が行く一歩手前の変電所で調整しているのかもしれません。ただ、JRに関しては自分で発電所をもっているので、東京電力の計画停電は直接かかわりあいはないと思います。他の私鉄は100%東電から買ってるんですけど。

石川 話を聞いてなんとなくはもうわかってきたんだけど(笑)、電気に興味をもったきっかけは?

武田 はい(笑)。もともと電車が好きだったからです(笑)。そういう単純な理由です。

沢辺 あー、電車か。

石川 いまは「乗り鉄」とか「撮り鉄」とかいろいろな分類されているけれど、鉄道でもどのあたりが好きなんですか?

武田 最近だと、乗るのがほとんどです。中学生のときは、あっちゃこっちゃ撮りに行ったり、青春18きっぷを利用して友だちと乗ることをただ楽しむ、とかやっていました。他にも、模型だとか音だとか、いろいろありますけど、「なんでもやった」って言えばなんでもやりましたね。

石川 そのうちに、電車の動くシステムにも興味をもった、と。それで、どんなふうに電車は動いているか説明してもらえますか? あまり複雑になってしまうようだったら、だめでもいいけど。

武田 むかしは単純に電気抵抗の調節で動いていたんですけど、いまの電車はインバーターを使って動いています。インバーターで電圧や周波数を変えて動いています。

沢辺 でもさ、考えてみれば、普段われわれが簡単に使っている電気ですら、技術的には一人では追っかけられないくらい複雑になってるわけじゃない。むかしで言えば、電車の運転手さんは自分の手で運転していたと思うんだけど、いまだったら、前の電車とちょっと近づきすぎたら、センサーがはたらいたりして、中央制御室みたいなところが管理している。極端に言えば、新幹線なんか運転していないに等しいんじゃない?

武田 いや、新幹線はまだ運転しているほうです。逆に地下鉄なんかはボタンひとつで動いちゃいます。たとえば、ホームドアのあるホームとかは精度が必要なので、動かすのは人がやったとしても、停まるのは機械がやってくれます。

「自分の趣味としては、ここがこう動いて、つぎにこうするとこう動くんだ、というのがわかりやすくて好きなんですよ(笑)」

武田くんは物づくりが好きな職人肌。そんな武田くんは、将来、高度に専門化、分業化された開発や管理のシステムにかかわることになる。技術革新や製品開発・管理の分野は、一人の技術者がそのすべてを見渡せてなんとかできる世界にはなっていない。そうしたシステムのなかで働くことを武田くんはどう思うのか。

沢辺 社会全体が日本ぐらいの技術レベルになると、人間ひとりの力ではどうにもならないくらいの技術の水準があって、ひとりで動かすんじゃなくて、チームワークで動かすっていうのが強くなってきている。技術のほうに行く理系の人たちは、そういうのつまんなくない? 

石川 電車のシステムってどうなってるんだろう?という素朴な疑問から、その仕組みをわかっていく、という楽しい感じが武田くんにはあると思う。けれども、沢辺さんの指摘を聞くと、そういうふうに、普段見えない仕組みを知っていけばいくほど、ひとりの力ではどうにもならないようなシステムがそこにある、ということがわかってくる。そういう疑問だと思う。このあたりの点については、武田くんはどう思ってるんだろう?

沢辺 たとえばさ、エジソンの時代には、エジソン一人が毎日徹夜して努力すれば、フィラメントで電球をつくれる技術をひとりで獲得できる可能性はあったかもしれない。けれど、いまは、たとえばLEDのランプだと、電球のデザインをやってるデザイナーもいれば、発光体を研究している人もいれば、あるスペースのなかに回路をどう詰め込むか、そういうことばっかりやっている人やチームもある。つまり、エジソンみたいに一人ではできなくなっている。
それって、おれ個人的には、いいんじゃないかと思うんだ。人間は一人では生きていけないわけで、むかしは、田植えだって一人ではできなくて、そのときは村のみんなで相談して役割分担しながらやっていたんだと思う。で、田植えは田植えでいまは個人でできるようになったわけだけれど、今度、技術の分野では、もう一度、みんなで一緒にやるようになっている。「集団の力」という点だと、先祖がえりしていると思うんだ。それで、そのこと自体はよくないことではない、とおれは思う。でも、そのあたり、技術のなかにいる人には、不全感とか、たとえば、「自分はたんなる部品にしかすぎない」とかいう気持ちはあるのかな?

武田 まあ、私自身としてはやりがいがないとは思いませんけれど。

沢辺 車なんかそうなってきてるよね。この前、大井町の下請け工場の息子と話をしたんだ。息子と言っても40代ぐらいなんだけど。そしたら、こんな話になったんだよ。自分のおやじのころは、キャブレターでもって、「ガソリンをどれぐらい燃料爆発室に入れるか」っていうのを機械で調節していた。だからキャブレターの故障は自分のとこの機械で直していた。でも、自分の代になったら、その調節はもうコンピューターがやってる。だから、キャブレターがだめんなった車をもちこまれても、自分のところじゃ修理できなくて、メーカーから部品1セット、何万円かのを買ってきて、全とっかえするしかないんだよ。彼はコンピューターのこともよくわからないし、自分の果たす役割はどんどん狭くなってるんだ。しょうがいないとは思うけれど、なかなかな〜。

石川 それって、むかしの、工場でネジばかりつくっていて、ぜんぜん仕事のやりがいを見出せない、という不全感と同じですか?

沢辺 そうそう。

石川 高度な技術屋さんのなかにもそういう不全感あるかも、と。武田くん、どう?

武田 まだ開発にはかかわっていませんけれど、4月から研究室に入る予定です。でも、そのあたりはどうなるのかな……。

石川 研究室というのはどういうことをやっている研究室ですか?

武田 レーザーをやっている研究室です。「この材料を使えば、小型で効率がよくて出力の高いレーザーがつくれるんじゃないか」といったことを研究しているところです。

石川 レーザーは具体的にはどんなことに使われるレーザーですか?

武田 具体的には光源ですね。ディスプレイとか。

石川 それで、さっきの話に戻ると、実際はまだものづくりをやっていないけれど、自分としては不全感みたいなものは感じない、と?

武田 自分の趣味としては、ここがこう動いて、つぎにこうするとこう動くんだ、というのがわかりやすくて好きなんですよ(笑)。じっさい、これからなにかをつくるとしても、不全感は感じないと思うんですね。

沢辺 就活は?

武田 地震で日程がずれ込むとは思うんですけど、いまはエントリーシートを書いたり、面接を受けたりです。

沢辺 どんな業種?

武田 鉄道会社にも出してますし、そのグループ会社の車両を整備する会社だとか、電力設備の補修、メンテの会社。あとは、高速道路の会社だったり、その施設を整備する会社だとかにエントリーしています。クレーンなど建設機械系にも出しています。

沢辺 テレビで見たんだけど、ある重機の会社は全世界で自分の会社の製品がどのように動いているかGPSでわかるようになってるんだってね。たとえば、日本では8時間しか動いていないけれど、中国とかでは24時間フル稼働。そういうことが世界地図にランプがついて、わかるようになってた。そうすると、いつごろメンテナンスが必要か営業的にもわかるし、山の中とか川のそばとか、どんな場所で動いているかわかるから、今後どういう商品が必要か、製品開発的にもわかるみたいな話だったな。

石川 へー、それこそ、さっきの電車の話じゃないけれど、全体的なシステム管理になってるんですね。武田くんはそういうシステム管理的な部門では働きたくない?

武田 発電所のメンテナンス、変圧の仕組みをつくる会社は考えていますね。

沢辺 どっちかというと、技術者、職人がいいかなって思うの?

武田 そうですね。

「でも、やっぱりつくっているのは人ですからね。ほんとうに。システムをコンピューターでもって調節するのは人間です(笑)」

高度にシステム化された仕事の世界をどう考えたらいいか。これを「人間性が失われる」として「疎外」と考えるべきか。けれど、そうかといって、エジソンのむかしに戻れるわけでもない。いまあるシステムを前提として、そのなかで物をつくることの意義はどう見いだせるのか。このあたりを、技術屋さんとしての武田くんの観点から語ってもらった。

沢辺 ちょっとノスタルジックな話になっちゃうけど、おれ、お遊びで音楽やってるんだけど、ギターの世界ではあいかわらず真空管アンプが人気があるんだよ。でもいまは、アンプシミュレーターっていう弁当箱みたいなかたちの機材があって、真空管の音がコンピューターでもって再現できちゃうわけだよ。でも、音楽の世界では、「そんなのよくない!」って言うヤツのほうが多いわけ(笑)。

石川 「ほんもののほうが、音があたたかい」とか「やわらかい」とか言って。

沢辺 そうそう。それで、そう言っているヤツにだまされて、おれこないだ真空管アンプ買ったわけだよ。安もんだけど。でも、いまや、アンプシミュレーター通せば、もはやアンプでさえ必要ないわけ。そのシミュレーターをスピーカーにつなげれば、いくらでもコンピューターレベルで音が調節できるわけよ。それで、おれなんか、正直言って、真空管アンプの音とアンプシミュレーターでつくった真空管の音と、どっちがどっちだか聴いてもわかんないんだよ(笑)。で、それはそれでいい世の中じゃん、と思うけれども、とはいえ、半分ぐらいは……。

武田 やっぱ気持ちの問題もありますからね(笑)。「アンプを使ってるんだ」という気持ちはけっこう大切ですよね。

沢辺 そうそう、そうそう。

石川 いやぁ、その感じわかります。新しいものへの志向と古いアナクロなものへの志向というのは、かならずしも対立しないと思うんですよね。同じ人から出てくる。武田くんも、勉強では、ものすごく先進的なことやってるのに、「真空管」なんて言ってぼくらが盛り上がってるのを楽しく聞いてくれてるし。

武田 ぼくも新しいものと古いもの両方が好きですね。まあ、どっちかというと古いものが好きなんですけど(笑)。

沢辺 そうだよね。両方あるよね。だから、さっきは、最新の技術は、一人では追っかけられないくらい複雑になってる、だんだんブラックボックスになっているんじゃないか、という話をした。けれど、その一方で、たとえば、プログラムの世界では、一人の人が新しいプログラムをまず全部自分で組み立てて、それをみんなが利用する、ってかたちもあるんだと思うんだ。複雑なシステムになってる面と個人の創意の面、両方あると思うんだ。

石川 それで、思想の世界なんかもそうなんだけど、だいたいどういう話になっているかと言えば、技術はだんだんブラックボックスになり、システムによる管理が進んで人間の自由がなくなっている、というのが一方である。もう一方で、テクノロジーの進歩によって、こういったシステムに溶け合って生きる人間というのは、これはこれでまったく新しい人間のあり方ではないか、とちょっと持ち上げる意見もある。こういう議論って、技術にかかわる人にとっては、すごく抽象的じゃない? 実際に技術にかかわる人の目にはどういうふうに映るんだろう?

武田 そうですね(笑)。でも、やっぱりつくっているのは人ですからね。ほんとうに。システムをコンピューターでもって調節するのは人間です(笑)。「人がかかわらなくなって、さびしくなった」という意見も感情論としてあるかもしれないけれど。利便性は確実に上がってますよね。

石川 そうだよね。一方で、いまの技術のあり方を、ことさら持ち上げる必要もなく、それを粛々と受け入れる、という感じかな。それでいてもちろん、そこには創造性もあるし、研究することは意義のあることだし、一緒に働く協同性もある。

武田 たとえば、モーターを動かすにしても、モーター自体を設計する人もいれば、インバーターを動かすソフトをプログラミングする人もいる。それで、工場とかで働いても、製品のなかに自分のつくったものが入っているのを見たら、やっぱりうれしいと思いますね。それこそ説明会でこういう話をよく聞きますね(笑)。

沢辺 やっぱり、現代思想とかいうのは、「真空管信仰」みたいなものがあると思うんだよ。単純な疎外論、「よそよそしくなってしまった」、みたいな議論なんだな。

武田 確かに、「技術に疎外されている」という感じはありませんね(笑)。

沢辺 疎外ととらえるより人間の共同性という点にもっと注目したほうがよくて。いまは個人がバラバラになってしまっている、という意見もあるけれど、そんなことはなくて、ますます、集団でなにかすることが重要になっているんだ。たとえば、和民がなぜ成立するかといえば、集団作業だからだと思う。おとうちゃんとおかあちゃんがやっている個人営業の店だったら、揚げ出し豆腐を250円では提供できないわけだよ。和民だったら、分業や大量仕入れによって、それができる。それを疎外というキーワードだけで描くのはちょっとちがう感じがするんだ。だから、むしろ、現代思想のように余計なことをいろいろ入れるんじゃなくて、ものごとを純粋に技術的な面で見てもらったほうが安心できる。

石川 エジソンは自分で自分のつくっているものが見えていた。でも、協同性が必要とされる現代では、それが見えなくなってきた。この「見えなくなってきた」ということを疎外とする議論もある。けれど、そのことって、逆にものすごく単純に言えば、「みんなで力を合わせていいものつくっている」っていうことなんじゃないか? だから、ことさら、人間性の喪失みたいに言う必要もないし、新しい人間の誕生と持ち上げる必要もないと思いますね。

沢辺 いまは過渡期だと思うよ。いまは、一人ひとりは自分のやっていることの意味を知らされていないような状況で、それはそれでやはり不安なことだと思うんだ。全体のなかで自分はどういう役割を果たしているか、その全体性が獲得されないとつらい、という気持ちはあると思うんだ。

武田 実感がほしいということですか?

沢辺 そうそう。それがわかる状態をつくれていないことが問題であって、分業や協同性自身は本質的な問題ではないと思うんだ。もっと言えば、人間は一人じゃ生きていけない、つまり、「人間は類的存在だ」というところから考えれば、一緒に働かなくてはやっていけない。それで、そういうことを現代人だって実際にはやってるんだけど、その自分の果たしている役割は了解しにくくなっている。いまの問題は、その一点だけじゃん。そんな気がするんだ。

石川 だからこそ、その高度に分業された協同の社会のなかで専門の技術者になろうとしている武田さんに話を聞きたいんだ。いま「全体での自分の役割」という話が出たけど、武田さんはそのあたりはどのように考えているのかな? たとえば、ある製品をチームでつくったとして、それはみんなでつくったんだけど、おれがつくったんだ、というか。そういううれしさはあると思うんだ。みんなでつくったがためにおれが疎外されたという感じにはならないと思うんだけど。

武田 そうですね。

石川 これって、なんだか昔の村で、みんなで春に田植えして秋になってお米ができてうれしい、みたいな話になってるんだけど。

武田 ほんとにそうですね。ただ、文系の友人にSE(システムエンジニア)目指して就活してるのがいるんですけど、その友人の話を聞くと、彼の仕事はシステムという見えにくいものを相手にしているので、仕事の意味はあまりわかりにくくなっているんじゃないかと思います。ぼくは、どちらかというと、SEとかは苦手なんです。システムのほうではなく、ものづくりのほうに興味があるんで。実物を相手にしているほうが自分のやることの意味は見えやすいと思いますね。技術屋だと製品が実際にあるんで。もちろん、システムづくりのほうも、自分がシステムをつくったものが実際に製品として町に置かれる、ということはあると思うんです。けど、やはり、自分のやってることの意味は見えにくくなってるかと思います。

「プログラミングの美しさを感じるまでには行ってないです(笑)」

武田くんは機械をいじったり回路をつくるのは好きだけれど、プログラミングは苦手。パソコンも自作したりはしないで、もっぱら使うほう。そんな武田くんと、プログラミングも含めて、技術屋さんの仕事のもつ美しさについて語る。

石川 「文系のSEと自分たち理系の技術屋というのはちょっとちがう」という、そのあたり、もう少し聞かせてもらえるとうれしいです。

武田 システムというと、「どこでどう動いているかわからない」、あとは、「パソコンの中だけ」というイメージがあるかな?

沢辺 でもさ、プログラミングって美しさがあるじゃん。それは英語みたいなもんの羅列なんだけど、英語って言っても、それはシンプルな命令だったり階層の指定だったりする。だけど、そこに数学のような美しさがある。プログラムの世界ってさ、そういう命令文の羅列にすら美しさを見いだすから面白いな〜、っておれは思うんだ。

武田 そうですね。いろんな書き方があるけれど、そのなかで、いかに見やすく、すっきりしたものをつくるか。

沢辺 そうそう。いかにわかりやすくシンプルに伝えるか。おれはそういうの苦手なんだけど、プログラミングって、いちばん美しくて本質をビシッと伝えるような、まるでいい文章みたいなところがあるんじゃない? 「まわりくどいよな〜」と言われるプログラムじゃだめなわけだよ。プログラムってそういうことだよね?

武田 そうですね(笑)。でも、ぼくはそのプログラミングが苦手なんです(笑)。回路とかをつくるのは好きなんですけど。

沢辺 あー、プログラミングの美しさには、ハマれてないんだ。

武田 そうなんですね(笑)。壁がけっこう高いんです(笑)。プログラミングの美しさを感じるまでには行ってないです(笑)。おそらく、自分がもともと、目に見えて動く機械、そういう物をつくるのが好きだったから、というのが大きいと思いますね。いま、電気電子の学科にいるんですけど、受験するときは機械系の学科も受けましたし。

石川 場合によっては、小さな工場でミクロン単位で精密な部品を削り出していたようなタイプ?

武田 そうですね。それはそれで面白いと思います(笑)。

沢辺 また美しさの話に戻るけれど、職人さんには美しさがある。おれの分野では、カメラマンがそうかな。コードとか使っても、しまい方とかピシッとしてるの。スタジオなんか行くとわかるんだけど、道具や機材がちゃんとあるべきところにあるの。だから、たんにプログラミングのように実体のないものだけに美しさがあるんじゃなくて、回路や機械といった実体のあるものづくりにも美しさがあるんだと思うんだ。たとえば、編集者の仕事だって、道具の整理が苦手なスタッフでも、本になる前に校正の赤字を入れるとき、芸術的というといいすぎかもしれないけれど、すごくきれいに赤を入れる人もいるんだよ。だから、武田くんも自分の扱う物にどこか美しさを見出しているんだと思う。機械の動き方とか、現物であればあるほど美しく感じるタイプだと思うんだ。どうかな?

武田 そうですね。やっぱり見える物が好きなんですけど、プログラミングだって興味はあります。

石川 最終的に、見える物をつくる、というところに向かっていれば、見えないプログラミングとかもやる、見える物につながっていることが武田くんを安心させているのかな?

武田 そうですね。もちろん、電気も見えないものです。でも、それを勉強することで、物がどう動いているのかわかるところがいいです。

沢辺 パソコンを自分で組み立てたりはする?

武田 それはやらないです(笑)。パソコンはもっぱら使うほうです。もちろん、まわりには自作のパソコンを組み立てる人やプログラミングが趣味な人もいますけど(笑)。

石川 ぼくなんか、パソコンの中身とかにはまったく興味がなくて、ただ使っているだけなんだ。けれど、小さいころから機械いじりは好きで、モーターを使った木のおもちゃみたいなものを組み立てて、歯車の仕組みとか覚えたり考えたりしていたんだけど、武田くんもそういうタイプなのかな?

武田 まったくそうですね。そういうところからいまの理系の世界に入っていったと思います。

「まあ、普通ですね(笑)」

いままで技術系の話ばかり中心に話を聞くことになってしまったけど、ここで、武田くんの家族構成や幼いころから高校までの話を聞く。

石川 これまで技術的な話が中心でしたが(笑)、お父さんお母さんのことを聞かせてください。と、思ったけど、そもそも、どちらにお住まいですか(笑)?

武田 埼玉の朝霞というところです。そこで生まれて、いままでずっとです。大学にもそこから通っています。母方の実家が墨田区、父方のほうが中野区です。両方とも東京都区内ですね。

沢辺 おやじさん自衛官?

武田 いや(笑)、駐屯地はありますけど。父は生協職員です。むかしはスーパーの惣菜の開発をやっていましたけど、いまはグループ会社のチケットサービスのほうをやっています。

沢辺 いくつ?

武田 去年50になったかな、確か。

石川 ご兄弟は?

武田 この春に高3になる妹がいます。母はいま43ぐらいで、専業主婦です。一時期パートをやったこともありましたけど。

沢辺 妹とは仲悪い?

武田 (笑)いえ、仲悪くはないですけど、良くもないです(笑)。良くも悪くもなく、という感じですかね。

石川 妹さん理系?

武田 (笑)いえ、理系ではないです。

石川 お父さんとお母さんはどこで出会ったの?

武田 大学みたいです。

石川 理系?

武田 いえ、二人とも文系です(笑)。

石川 では、武田くんは小学校のころはどういう子どもでしたか?

武田 ひとなつっこい子どもでしたね。

石川 運動はなんかやってたの?

武田 どちらかと言うと、運動音痴でしたね(笑)。球技もそんなにうまいほうではなく、走るのもそんなに速くなくて(笑)。でも、なんだかんだ言ってそういう仲間のなかに入って遊んでいましたけど。

石川 じゃあ、家にこもって鉄道のビデオばかり見ている子どもじゃなかった、と(笑)。

武田 そうですね(笑)。外で遊んでいました。家にこもることはありませんでしたね。

石川 では、人とかかわるのは苦手ではない、と。

武田 そうですね。小学生のころ放送委員をやっていて、放送室が遊び場のようになっていて、隣にある職員室にも出入りして、先生と話すのも好き、みたいな子どもでしたね。

石川 週末は鉄道に乗ったり写真を撮ったりしていたの?

武田 いえ、そういうわけでもないですね。小学生のころは親がどこか行くときについていって一緒に見るとか、その程度ですね。

石川 じゃあ、ことさら鉄道オタクだったわけじゃないんだ?

武田 そうですね。

石川 では、勉強はどうでした?

武田 それなりにやってましたね。

石川 学校は公立?

武田 小中高と公立でしたね。小学校、中学校はほんとに地元の学校で徒歩5分ぐらいのところでした。

石川 中学で部活は?

武田 軟式テニスをやってました。なんだかんだ言ってそんなにうまくはなかったですけど(笑)。まあそれなりにたのしくやってました。

石川 中学ではやっぱり数学や理科系の授業とか得意だったの?

武田 まあ、わりかしそっちのほうが好きでしたね。将来のことはあまり考えてはなかったですけど。中学のときは数学もそれなりにできたんですけど、高校に入ってからは成績はどんどん下がって(笑)。高校はだいたいは大学に進学する学校で、県内でもいいとされるほうの高校でしたけれど。

石川 高校のときは進学の方向は自分のなかで決まっていたの?

武田 高校のときには、理系クラスにも入って、「電気、機械のほうに行くんだろうな」と漠然とは考えていました。でも、中学、高校のときは現代文が好きでした。センター試験では現文がいちばん成績がよかったみたいな(笑)。

石川 まあ、ことさら理系、理系してたわけじゃないんだ(笑)。

武田 そうですね。どっちかと言うと、頭は文系だと思ってるんで(笑)。

石川 でも、いまの大学に行こうと思ったきっかけは?

武田 まあ、「都内にある」という立地ですかね(笑)。そこまで大した理由はありません。一応、予備校も行って受験勉強は一生懸命やりましたけど。

石川 いままでお話をうかがってきて、武田くんは、とくにグレたというわけでもなく、素直な子だった、という感じかな(笑)?

武田 ひねくれてはいませんよ(笑)。

石川 ご両親はどんな風に育ててくれましたか?

武田 母親は「勉強しろ、勉強しろ」言うタイプでした。四六時中言っているタイプでしたね。ただガミガミ言うんじゃなく、ぼくのことを心配してそう言うタイプでしたね。たとえば、いまだって、「勉強しなさい! あんた留年なんかしてどうすんの? こっちはいくら払ってると思ってんの!」といった感じですね(笑)。「そろそろ子離れしてくれないかな」と思うんですけど(笑)。

石川 ああ、心配だからお母さんはいろいろ言ってくるんだ。

武田 おそらくそうですね。

沢辺 まあ、聞いてると普通だよね(笑)。

武田 まあ、普通ですね(笑)。

「男同士で飲んだら、女の子の話や、くだらない下ネタばかりです(笑)」

武田くんに女の子について聞いてみた。恋愛話から女性観、結婚観に話は広がり、最終的には「家事をやれる男はモテる!」という話に。
武田くんはmixiとtwitter をやっている。mixiでは鉄道、音楽ライブのチケット、旅に関する情報を集め、twitterでは写真や美術といった展覧会の情報を集める。携帯電話はスマートフォンではない(携帯代は月に約6000円。親に払ってもらったり、バイトの余裕があるときは自分で払ったり)。お小遣いは月に1、2万円。

沢辺 ところで、いまどきの若者論、ってどう思ってる?

石川 たとえば、いまの若者は社会的な出来事に関しては無関心っていうのがあるけど。

沢辺 いまの若者は年金を払うだけで、親たちの世代のようにはもらえない。こういう予測があると思うけれど、そういうことどう思う? 腹立たない?

武田 腹が立つというより、「じゃあ、どうしたらいいんだ」という感じですね。子どももすぐには増やせないし。安心して子ども産めるのか、ということもわからないし。

沢辺 でもなんで安心して子どもを育てられないの? 

武田 お金がかかるということがそうですし、じゃあ、共働きになったとして、子どもを預けるところがちゃんとあるのか、とか。そういうことですね。自分の祖父母の世代では、みんな大学に行くわけではないし、「女の子は家にいて」というのがあって、「子供がたくさんいても大丈夫だったのかな」と。そういう考えは自分のなかにはあります。かと言って、いま子どもを産んだとしてもどうにかなるとは思うんです。でも、安心してそれができるか、となったら、そこのところはちょっと心配です。

沢辺 けっして非難しているわけじゃないけれど、おれの世代だったら、20代の男だったら、いつも女の子のこと考えてた。もちろん、それだけで生きていたわけじゃないよ(笑)。でも、たとえば、男同士で話せば女の話は定番。

武田 (笑)いや、同じだと思います。男同士で飲んだら、女の子の話や、くだらない下ネタばかりです(笑)。

沢辺 いまよく言われている「草食系男子」という言い方には、若者のそういう女の子への欲望が落ちてるんじゃないか、という意見が含まれているんだけど、そういう言われ方についてはどう思う? 

武田 ある程度、わかります。なぜ、そう言えるかといえば、自分の男としての自信がないんですかね? モテないみたいな。女の子に向かっていくのに際して、どう振り向いてもらえばいいんだ? わからない、みたいな。

石川 個人的な経験があって、好きな子がいてフラれたりしたからそう思うの?

武田 中学も高校も共学だったんですけど、中学のときは同じ子に二回ぐらいフラれたこともありますし(笑)。高校のときはどっちかというとひっそりしてましたね。中学のときは委員やったり生徒会やったりして積極的なタイプだったんですけど、高校のときはひっそりしてましたね。自分を前に出さないで抑えてたり。鉄道についても抑えていましたね。

石川 鉄道のことを知られたらモテなくなるとか?

武田 オタクって言われるのはいやだったんでしょうね。

沢辺 で、彼女歴は?

武田 あんまりないです。ほとんどいないに等しいですね(笑)。

沢辺 ほとんどいないに等しい? そのへんが、草食系と言われちゃう理由なんだと思うよ。もちろん、おれたちの頃もモテるやつはモテたし、モテないやつはモテなかったんだけどね。

石川 まあ、そうなんですよね。こう言うのもなんですけど、ぼくの若いころは、「モテない!」っていうのは、もうアイデンティティにすらなってましたからね(笑)。

沢辺 モテないって最大の問題だったじゃない?

石川 ええ、そのとおりでしたよ。「モテない!」、「フラれた!」とか(笑)。

沢辺 おれなんか、「生涯彼女できないんじゃないか?」みたいに思ったところがあるもんね。

武田 わかります。ぼくもそんな感じでした(笑)。それこそ、大学入って、理系なんてほとんど女子はいないんです。それで、じゃあ、就職してたらどうかと言えば、技術職なんで、職場には男しかいないわけだから。そしたら、「オレ、結婚できるの?」みたいな(笑)。

沢辺 いま、結婚という話を聞いたんだけど、共稼ぎがいい? 専業主婦がいい?

武田 どちらかと言うと、専業主婦をしてもらいたいです。

沢辺 そうすると、育児をイーヴンに負担するという感じはないんだ?

武田 うーん、育児をしたくないことはないんですけど、どこまでできるかはわかりませんね。

沢辺 じゃあ、いま、料理できる?

武田 あんまできないです。

沢辺 米炊ける?

武田 できます(笑)。

沢辺 みそ汁は?

武田 作ろうと思えば作れます(笑)。専業主婦の家庭で育っているがゆえか、さっき「親が子離れできていない」と言いましたけど、逆に言えば、ぼく自身が「自分のやることをできてない」というか(笑)。

沢辺 洗濯は?(笑)

武田 やってないです(苦笑)。

沢辺 靴下干すことある?

武田 ないです(苦笑)。

沢辺 まあ、いつもはそこから先、「靴下どういうふうに干す?」という靴下の干し方の質問になるんだけど、できないよ(笑)。

武田 シャツならちゃんと伸ばしたりとかやるときはやりますけど(苦笑)。

沢辺 自分の部屋もってる?

武田 いや、妹と一緒の部屋です。

沢辺 掃除はする? 掃除機かける?

武田 はい。親がやらないんで自分で掃除機かけます。

沢辺 でも、シーツとか枕カバーとかの洗濯は?

武田 やりませんね(苦笑)。そういうことをやっていないのは後ろめたいですね(苦笑)。

沢辺 ここはいじめるところじゃないけど(笑)、嫁さんを専業主婦にできるような男なんて確率から言えば圧倒的に少ないわけじゃない。まあ、いまの社会を考えてみれば、やっぱり、共稼ぎになるわけですよ。とするとさ、パートなり、フルタイムなり雇用形態は別としても、やっぱり嫁さんは働いて、完全に専業主婦というというのは成立しにくいわけだよ。

武田 どう考えたってそうですね(苦笑)。

沢辺 武田くんに嫁さんを専業主婦で食わせるような展望があるかって言えばそうでもないと思うんだ。それは、いまの社会ではほんとに大変なことだと思うんだ。それで、武田くんが「料理してません」、「洗濯してません」ってことだったら、そういうヤツと女の子はくっつきたいか(笑)? たんなる恋愛だったらいいかもしれないけれど、だんだん結婚ということを考えたら、女性が誰かとつきあうときは、そういうことも判断材料に入ってくると思うんだ。

武田 (苦笑)そうですね。その後の生活を共にするということになれば。

沢辺 武田くんは就職ということを来年に控えて、「そんなままでどうすんの?」ということになると思うんだ。
それで、おれは最近よく考えるんだけど、いまどきの子はもう養育は行き渡ってると思うんだ。おれの頃なんか、親は意識しておれを突き放してるんじゃなくて、社会全体が貧しくて、子どもには「自分で飯食っとけ!」て感じだったんだよ。うちはおれが小学校1年生のときから共稼ぎだったわけ。いまは、学童保育なんかもあって、小1の子をほっておくなんて信じられないと思うけど、おれなんか、「店屋物とっとけ」みたいなこともあったんだ。だから、おれの頃は、いやおうなく、「親は養育には手間をかけない」というのがあったんだ。それが、結果的にいいほうに作用したというか。

武田 ようするに、「自分でなんでもやるほかない」になった、ということですね?

沢辺 そうそう。でも、いまはそこまで社会が貧しくなくて、親が手間かけちゃうわけじゃん。おれなんか自分の子を育てたときは、「子どもにやらしていることがつらい」ってなっちゃうんだよ。それは「かわいそう」という意味じゃなくて、見てると、子どもはまともにできないからなんだ。時間もかかるでしょ。新人に仕事を教えるときみたいにめんどくさいんだよ。「じゃあ、おれがやっちゃうからいいよ」と言いたくなっちゃう。子どもに包丁をもたせたって、下手にケガされちゃ困るもん。おれの親はそういうところを見なかったわけだよ。もう放棄してるから(笑)。いまは見れちゃう。だから、大変だと思うんだ。親は自覚的に、教育的に、「あえて、子どもにみそ汁を作らせる」というめんどくさいことをやらなくちゃならないんだよ。
ところが、そういうことは親にとってはなかなかできないことだから、「家のことやったことないよ」と言うのが増えてしまうわけ。でも、そうなると、いざ結婚ということになったら、子どもにとっては結婚のハードルが高くなっちゃうんだよ。このギャップを埋めるのは、親か本人が自覚的にやるしかないわけだよ。だって、女だって、わかってるから。

石川 うちは共稼ぎで、ぼくも料理を作ったりします。それで、うちの女房の職場では、女性の同僚のあいだでこんな話があったみたいなんです。自分が遅くまで残業して帰ってきたら、だんなが先に帰っていて、「ごはんまだ〜」って。夜中までなんにもしないで嫁さんが夕飯を作ってくれるのをただずっと待ってる。そんなとき、女性は「この人と別れたい!」と考えるみたいですね。

沢辺 やっぱり、自分で料理やったほうがモテるんじゃない? たとえば、武田くんが、「すき焼きパーティーやろうぜ、おれ割り下とかけっこう考えてるんだよ」なんて言ったら、彼女すぐできるんじゃない?(笑) いまの時代、彼女がほしかったら、そこはおいしいポイントだと思うんだ。「ペペロンチーノだけは自分でつくれるんだ、それを親に食わせてるんだ、今度君んちでつくってあげるよ」なんて言う作戦は使えるんじゃない?

武田 そうですね(笑)。「ごはんまだ〜」みたいな人にはなりたくないから、自分でやるしかないですね(笑)。

「いちおう、彼女いるんですよね」

じつは、武田くんには彼女がいる。そこから一人暮らし願望について聞いてみた。

武田 いちおう、彼女いるんですよね。

石川 あれ、さっき、「彼女いない」、「モテたい」という話だったと思ったんだけど?

沢辺 「いままでほとんど彼女いないに等しい状態だったけど、いまはいる」と?

武田 そうですね。とりあえず。

沢辺 どこで見つけたの?

武田 SNSのサークルですね。

石川 さっき、「まわりは男性ばかり」みたいな話だったけど、そこがはじめての女の子との出会いの機会だったの?

武田 いや、地元の友だちのつきあいには女の子もいますね。女の子も一緒に、月一ぐらいでお酒を飲んだりしてます。

沢辺 彼女いくつなの?

武田 いま25で、ぼくより3つ年上ですね。

石川 へえ〜。

沢辺 いいね〜。

石川 彼女ひとり暮らし?

武田 いえ、実家です。

沢辺 じゃあ、どこで……?

武田 いやぁ、それはそういうとこ行くしかないでしょ(笑)。

石川 どれくらいつきあってるの?

武田 いま3か月ですね(苦笑)。

石川 おっ、つきあったばかり!

沢辺 いいね〜。

武田 まだまだつきあったことに入らないかと思いますけど(笑)。

石川 はじめての彼女?

武田 いえ、前の人も長続きせずに1年もたなかったですけど。

沢辺 でも、結婚ということもありえるよね?

武田 まあ、二人ともそういう歳なので。

沢辺 彼女との付き合いで悩みはないの?

武田 まだキャッキャしている時期なので、それこそ、相手が実家ということですかね(笑)。

沢辺 「相手もぼくも」ということですよね?

武田 まあ、そうですね(笑)。

沢辺 一人ぐらしの計画はないの?

武田 ぼくはまだ学生なのでなんともですが、むこうは出たいという気持ちはあるようですが……。

沢辺 いい悪いは別として、一人ぐらし願望は減ってるない?

石川 その傾向はこれまで話を聞いたなかにありますね。

武田 たしかに、ぼくもそうだと思います。ぼくも家を出たい気持ちはないわけではないんですけど、お金もないということと、じゃあ、どこに住むのか、という点で、実家は大学に近いし、というのもあって。まあ、言い訳なんだけど(苦笑)。

石川 お金がなくてもなんとか一人で住みたい、というのもあると思うんだけど?

武田 (笑)まあ、そこまで欲求が行ってない、ということですね。

沢辺 それとの関連でいくと、親のこと嫌い? 嫌いって言うと語弊があるから、「この親から逃れたい」というのはある?

武田 母親がガミガミ言うのはいやですけど、「逃れたい」までにはなりませんね。父親はわりと放任主義なんで、逆に「出て行ってもいいかな」ぐらいの気持ちですね。

沢辺 おれなんか、「親から逃れたい」という気持ちはいっぱいあったよ。

石川 うーん、いまは、親が好きだから、というわけではないけれど、「親は嫌いじゃないから、別に逃れたいという気持ちはない」という感じかな?

沢辺 まあ、そのことの良し悪しは別としてね。おれだって、「なんであのときあんなに一人暮らししたかったのか?」って思ってるくらいだもん。

武田 「彼女を部屋に呼ぶために一人暮らししたい」というのも、そこまで強くは思いませんね。

沢辺 バイトしてるの? 

武田 はい。

沢辺 月に何時間ぐらい?

武田 いま就活でそこまでやってないですけど、週2、3回ぐらいで、一回5、6時間、月に3、4万ぐらいですかね。行くときは5万円ぐらいですね。

沢辺 貯金は?

武田 ないですね(笑)。

石川 お金はなにに使ってるの?

武田 写真をフィルムで撮っているのでわりかしお金がかかるのと、あとは友だちとの飲み代ですね。

沢辺 フィルムカメラ使っているの?

武田 大学が写真部なんで。フィルム代と現像代でだいたい1500円もかかるんですよ。

沢辺 好きな写真家とかはいる?

武田 写真展は見に行ったりしますが、殊更好きな写真作家がいるというわけではありません。

石川 ほかに趣味はある?

武田 あとは、旅行が好きですね。民宿やゲストハウスに泊まって。基本は、青春18きっぷで一人旅です。尾道や金沢が好きですね。

石川 彼女と旅行は行ったの?

武田 二人で水戸の偕楽園に18きっぷで行ってきました。

沢辺 でも、泊まりとなったら、二人で行ってゲストハウスというわけにはいかないよね? 

武田 まあ、彼女も旅が好きで、ゲストハウスに泊まったりしていたみたいなんで。

沢辺 でも、さすがにゲストハウスじゃ問題なんじゃない? 最低民宿かな?

武田 まあ、そのときはそのときで(笑)。

「まわりを見ていると実際に大変ですし、自分が就職活動の仕組みが嫌だという思いもあります」

武田くんは現在ちょうど就職活動の時期。そんな武田くんに就活をどう思うかを聞いてみた。話は現在の就活システムの問題点と改善策に進む。カッチリした就活の制度に対して、その意義を認めつつも、そこにどう「ゆるさ」を組み込むか。そこが課題。

沢辺 就職活動ってどう思う?

武田 いまマスコミで騒がれているような、がっついてる感じはきらいですね。もちろん、ぼくは理系なので文系よりもめぐまれていると思います。文系のほうが理系より就職活動をはじめるのが早かったり、選考も早いみたいなんです。

沢辺 そのメディアで描かれる就職活動への違和感とはどういうもの? メディアで言われていることのイメージをだいたい大まかに言うとこんな感じになるかな。いまの大学生は、就職が大変で、ともかくかたっぱしからエントリーシートを出している。しかし、そのエントリーシートは誰もが知っているような大企業にしか出しておらず、中小企業には目を向けていない。だからいまの大学生は視野が狭いんだ。みたいな。「大変だ」ということに加え、「視野が狭い」ということが、大変さにより拍車をかけている。だいたいそんな感じかな?

武田 多かれ少なかれ、文系だと特にそうなんだと思います。

沢辺 じゃあさ、武田くんは、個人的に危機感がないの? 理系で比較的就職率のいい大学に行ってるから「どっか引っかかるからいいだろう」と、そういう可能性の高いポジションにいるので心配度が低いとか? それとも、いまの大学生全体を見てみて、実際は「そんなにがっついてないよ」と思うのか?

武田 まわりを見ていると実際に大変ですし、自分が就職活動の仕組みが嫌だという思いもあります。それに、自分が安心しきっているかと言えばそんなことはなくて、エントリーシートっていったいいくつ出せばいいんだ?」、「何回説明会に行って、何回面接すればいいんだ?」と思うこともあります。「どこで終わるんだ?」というそういう不安ですね。

石川 いま、「仕組みが嫌だ」という話があったけど、どういうこと?

武田 まあ、がっついている状況と、「大学3年生の後半からやらなければならない」という時期的なものですね。

石川 ということは、マスコミの就職活動に関する報道が嫌だということではなくて、現実に自分がかかわっている就職活動の制度に問題を感じているということなのかな?

武田 そうですね。あんまりいいとは思いませんね。

石川 ぼくも就職活動をやったんだけど、それでも、就活をはじめたのは大学4年生の春だったもんな。

沢辺 いかんせん、いまの社会は完成してきてるからね。就職活動にかんしても、もうシステムがかっちりできてきて、それを変えるのはすごく難しくなっている。二、三十年ぐらい前だったら、バイトで入ってたヤツも、「コイツできるな」と思えれば、ちょっと仕組みをこちらでいじって正社員で採用することもできた。でも、いまはなかなかそういうことができなくなっている。ちゃんとシステムにのっとって、就職試験をやんなきゃならない。
ところが、たとえば、採用面接でその人のことがわかるか、仕事できるかどうかわかるか、って言えばそんなことはわからない。おれなんて面接やってるけど、ぜんぜんわかんないもの。採用した相手について、「コイツこんな感じか」と少しわかってくるのは、働いてやっと一年ぐらいから。だから、おれなんて、「面接でどういうところ見るんですか?」と聞かれたら、「わからない」、「適当だ」、「面接で人を見ぬく眼なんてぜったいおれにはない」って言うようにしているもん。面接で失敗する危険性は絶対ある。だからもう、採用したら、「説教して育てる」っていうのしかないんだ。

石川 「就職のシステム全体は動かすのは難しいけれど、そのあとどう対処するか、ということが大切だ」ということでしょうか?

沢辺 「どうシステムをゆるくするか」、なんだと思うんだ。システムの側から見たら、「えっ、そんなことしていいの?」という部分をつくることじゃないかな。だって、バイトでがんばってる子を、「あいつがんばってるから入れようぜ」ってことが、いまはぜんぜん成立しなくなってきている。ある大手の出版社なんか、バイトで雇われた子は、「バイトから正社員になることは絶対にありえない!」とはじめからいきなり宣言されるらしいんだ。
実際には、正規のルートで一括採用された正社員がハズレの場合だってあるかもしれないんだよ。さっき言ったけど、試験や面接で仕事ができるかどうかまで判断できるとはかぎらない。もちろん、偏差値と仕事の能力の相関関係はそれなりにあるかもしれないけれど、だからと言って、偏差値の高いヤツが能力があるとはかぎらない。だから、たとえばの話、「バイトから正社員の道だってある」と、そういうゆるい余地も残しておいたほうがいいと思うんだ。
もちろん、いまの就職のシステムだって、もともとは、「よくしよう」という思いでつくられたんだ。おれはむかし公務員やってたんだけど、1960年代だったら、正規の採用システムで入ってこなかった、いろんなヤツがもぐりこんでたんだよ。70年代になると、試験制度がととのってきて、たとえば、一般の事務職の採用試験を受けられるのは28歳が限度、と明確に線引きがされるんだよ。その前はほんとにいいかげんだったんだ。土木事務所がセメントや砂利を買う金を流用して作業員を雇ったり、そんで、だれかが口をきいて正規職員になったりとか、表に出せないようないいかげんな採用もあったわけだよ。だから、「そういうことはいかんよね」ということになって、採用の制度が整えられた。でも、一回そういう制度が生まれると、なかなかそれをゆるめることができなくなっている。
もう十数年前に亡くなった人だけど、本の流通の業界で有名な出版社の営業担当役員がいるんだ。その人は、「この日何冊どの本が売れたか」、そういう本の流通のデータベースをいち早くつくった人なんだけど、じつはその人が出版社に入ったのは職安の紹介なんだ。だから、はじめは出版社の倉庫の作業員をやっていたんだよ。そういう人は、普通は役員なんかにはなれないんだ。だけど、たまたまその出版社は一回倒産したんだよ。そのとき、会社が「意欲のある者ならどんどん取り立てよう」と方針を転換して、彼には意欲があったから声がかかって、最終的にはデータベースをつくるまでになった。倒産という機会と彼の意欲がなかったら、彼はずっと倉庫の作業員だったと思う。でも、倒産という機会がなくても、意欲のある者がちゃんと評価されるような状態がもっと起こるようにならなくちゃいけない。そういう状態を意識的につくりださなくちゃならないんだ。
そもそも、就職試験を制度的にきちんとしよう、という動きが生まれたのも、意欲のあるひとをちゃんと評価するためだったんだよ。だって、「この人は社長の甥っ子だからなんとか入れてくれよ」というのがまかり通ってしまえば、他の人は意欲をもって仕事するのがばかばかしくなる。だから、ルールをきちんとつくって、試験をちゃんともうけて、そういうのはなしにしたんだ。そうすれば、社長にも、「ルールではこうなってるんです」と言って断ることができる。もちろん、ほんとうは、「ルールではこうなってるんです」って言うんじゃなくて、言いにくくても、「甥っ子さん、面接であんな偉そうな態度ではダメです」とまで言って断らなくちゃならないんだけどね。

石川 けれども、いまは、その意欲のためにつくった制度が、逆に、若い人の意欲を削いでしまっているわけですね。

沢辺 制度がソフィスティケイトされると、ゆるい部分がなくなってくるんだ。だから、こちらも意識的にそういう部分をつくっていかなくちゃならないと思うんだ。

「なんか『自分の興味のある分野には就きたいな』というのはあります」

武田くんは、仕事をどうようなものとして考えているのか。武田くんの言葉を通じて、夢や自己実現というキーワードで若者の仕事に対する考えを論じることができるかどうか、ということも問題になってくる。

石川 武田くんは「自分は理系だから就職はなんとかなるんじゃないか」という感じはある?

武田 まあ、それはありますね。安心はできないですけど。たとえば、友だちも、やっと一件ひっかかったところがあったけど、それは技術職とはまったく関係なかったりして。もちろん、ぼく自身も、純粋に理系ではなく技術営業職みたいなものでもいいとは思っているんです。けれど、その友人に聞いたら、介護がどうのと言っていたので、そういう職種になると、だいぶ自分の分野とはちがうかな、と。だから、ぎりぎりまで理系にはこだわりたいと思います。

石川 最近は大学でも就職に関する支援のプログラムがあって、自分はどの分野に向いているかを自己分析する機会があったり、エントリーシートの書き方なんかも学ぶ機会があるかと思うんだけど、そういうのはやっているんですか?

武田 やってますね。

石川 役に立った?

武田 情報が得られて、就職活動というのはこういうものなんだな、というのがわかってよかったです。大学主催の会社説明会のようなものもやってもらえるので、そのあたりは役に立ちました。

石川 そういうプログラムにかかわっている先生がよく、「いまの学生は、就職と言えば、すぐ、自己実現とか、夢を実現する、とか言うけれど、お金を稼ぐためのものっていう考えもあっていいんじゃないか」と言うんだ。武田くんは就職をどのように考えてますか?

武田 やれ自己実現、自己実現、というのは自分の頭にないですけど、なんか「自分の興味のある分野には就きたいな」というのはあります。「やりがい」というのはほしいです。そのためには、「残業だって仕方ないでしょ」、「待遇がどうのこうの言ってられないでしょ」とも考えています。

石川 やっぱり物をつくる職業に就きたいのかな?

武田 物づくりだけでなく、施工管理と言って、工事の管理からメンテナンスまでやるような業種にもエントリーシートを出していますね。インフラ関係の仕事なので、「自分もなにかを支えている一人になりたい」という気持ちがありますね。表に見えないところですけど、やっぱり、「なきゃいけないところ」ですから、そいうことにかかわると仕事のモチベーションも保てるのではないかと。「陰ながらやっていますよ」と言えるようになりたい気持ちがありますね。

沢辺 でも、そういう理由が立たないとだめなわけ?

武田 そうですね。自分のなかで納得できるものがないとやっぱりダメですね。

沢辺 おれなんて最初から夢としていまの仕事をやろうと思ったわけじゃないんだ。その日のことを考えながらやってきたら、いまの自分がある。そういう感じなんだ。偶然の積み重ねなんだよ。だから、夢がないといけないようなことはないんじゃないか、と思うんだ。武田くんは、「夢に向かって」と言って、目をきらきら輝かせている若者でもないけれど、それでも、「偶然です」と開き直ることもない。

武田 ある種、「どうにでもなれ」とも思っていますけど(笑)。

石川 武田くんのまわりはどうかな? 理系の学生は、文系の学生と比べれば、夢を仕事に、という漠然としたかたちではなく、選択の範囲はしぼられていると思うんだ。

武田 細分化しているので、技術職の口はなくはないです。下請けまでたどれば、やはり、技術職は必要なわけで。

石川 逆に言うと、漠然と「夢ややりたいことを仕事に」と言っているのは文系の学生ということなのかな?

沢辺 理系自身が夢の範囲は狭められるんじゃないかな。理系だと進学という段階で、いきなり選択の範囲がしぼられる。

武田 業種はしぼられると思いますね。

石川 それはそれで現実的な選択が迫られるので、「逆にいいかも」とも思うんです。文系の学生は、小さいころ「なんにでもなれるよ」と親に言われたまま、そのまま大人になったという感じもある。だから、文系の学生が時代の自由と選択の広さの困難を代表しているのかも? 

武田 広すぎて逆に困る、というのもあると思いますね。

石川 だから、ずっと漠然としてて、就職活動しなくちゃならない時期に「さあ、どうするか?」と、文系ではいきなりなるんだと思う。もちろん、理系はこう、文系はこう、という軸自体が妥当かどうかは問題だとは思うけれど。

沢辺 だから、なにがいまの若者の判型なのかということはちゃんと検証しなくちゃいけないよね。実際は、おじさんたちだけが、夢、夢、言ってるのかもしれない。たとえば、おじさんたちが書く中学生に向けて、「自分の好きな職業を見つけてほしい」っていう職業案内本には「セラピスト」っていうのはあるけれど、「土方(どかた)」はないんだ。

石川 それはよくないですね。

武田 ぼくは施工管理も志望してますけど、下請けがあってこその仕事ですからね。

沢辺 それで、そういうおじさんたちに乗せられた一部の若者が、夢、夢、言ってるのかもしれない。それに、実際の若い人たちの多くは、そこそこ普通の判断力があって、乗せられないで、夢なんて言ってないとも考えられる。

武田 ぼくの地元の文系の友人も公務員志望だったりします。

「そもそも、父親という存在は乗り超えるべき対象なのか?」

最後に、子どもの自立というテーマをめぐって武田くんに話を聞いた。まず、問題は「理不尽な父親を乗り越えて自立」というかたちが問題になる。そして、話題は「仕事に意味を求めること」の議論へ。

沢辺 だから、いまの困難さって、こういうことなんじゃないかな。おれの親の時代は、子どもに目をかけるなんてできない時代だった。でも、結果として、そういう親子関係のなかで子どもは自立に向かっていった。別に親が意識的に選択して自立させようと思ったわけじゃないんだよ。でも、いまは、親が子どもの面倒を見れるようになった時代なんだ。そうなると、現代の親は、「あえて」自立させるために、それを選択として、子どもに自立をうながさなくちゃいけないんだ。だから、これは余計困難なことじゃないかと思うんだ。
だって、つらいんだよ。うちの娘に5歳の誕生日に包丁を買ってやったんだよ。それで、娘に包丁もたせたら、危ないんだよ。こっちは、その様子を見れちゃってるわけだから、苦行だよ。で、その危ないのを一時間がまんしたんだけど、とうとう手を貸しちゃったんだ。でも、そういう苦行を親が引き受けないと、子どもを自立させられなくなくなっている。
とはいえ、その一方で、そんなに自立というのを考えなくてもいいのかなとも思うんだ。武田くんは聞いたこともないかもしれないけれど、おれたちの時代には、「おやじとの葛藤から、親子の争いがあって、自立」というかたちがあったんだ。これ、フロイトのエディプスコンプレックスと同じだと考えてるんだけど。それでいいかな?

石川 そうですね。フロイトが描くのは、男の子にデーンと立ちはだかる強力なライバル、という父親のイメージですからね。そこに子は挑むわけですよ。

武田 へえー。

沢辺 おれらの世代は、知的でありたい若者は、みんなそういう図式を受け入れたんだ。で、フロイトはそれを人間の関係の普遍的な構造として描いたんだけど、それって普遍的なものかな? と思うんだ。

石川 いまは父親はおっかなくないですからね。武田くんちは友達親子?

武田 そんなふうには感じないですけどね(笑)。

沢辺 でも、父親が自分の前に立ちはだかる理不尽な存在という感覚はないよね?

武田 そうですね。ないですね。

沢辺 おれは、自分の父親は理不尽な存在だという感覚があったな。自分の前にそびえたつんだけど、それは能力、というよりも理不尽さにおいて高いんだよ。こういう父親像がいま成立してないと思うんだ。だから、理不尽なおやじを乗り越えて自立、っていう図式自体にどれだけ妥当性があるかを検証しなくちゃならないと思うんだ。

武田 そもそも、父親という存在はのり超えるべき対象なのか?

石川 そうだよね。だから、強い父親に戻さなくてはならない、とかそういうことじゃないと思うんだ。小さい父親であっても、それでも、子どもは自立しなくちゃならないから、ではどうするか、ということだと思うんだ。ただ、自分は自分だ、と自立の感覚を得るためにはなにがきっかけになるんだろう? バイトなんかそうかな? でも、仕事して一人で立っていくことが自立になるのかな?

沢辺 でもさ、仕事だっていまは意味が求められるんだよ。おれなんか仕事したのは偶然なんだけど。

武田 うちのおやじも就職活動しなくて、偶然に入ったところの仕事がいまでもつづいている、という感じですね。

沢辺 そうだと思うよ。仕事なんて、たまたまそこに入って。偶然だよね。

石川 仕事に意味を求められる、というのはなんなんでしょうね。ぼくもそういう世の中を生きているんですけど、それを求められること自体を問わなくちゃいけないように思います。だって、食っていくことだけでも、とても立派なことだと思うんですよ。社会が成熟すると意味を求めるようになるのかな。そもそも、「やりがいがなくちゃ働けない」という言い方って、昔はありえないわけですよね。食っていくことでみんな精いっぱいなんだから。

沢辺 昔も職業選択に意味をもとうとしていた人はいると思うんだ。けれど、それって、帝大出とかのエリートだけでしょ。多くの人は仕事の意味なんて考えてなかったと思う。仮に意味を考えていたとしても、たとえば、紡績工場で働く女工さんとかは、「お父さん、お母さんにおいしいごはんを食べさせてあげたい」ぐらいで。だけど、その時代にも帝大出の人たちは、「オレは国を支えて」みたいな坂本龍馬みたいな気分の人もいただろうし。そのまた一方で、百姓の子はそういうことは考えていなかっただろうな。

石川 だから、こういうことだと思うんですね。少し話は戻りますけど、その百姓の子の場合は、父親を乗り越えるも乗り越えないもなかったんじゃないですかね。どうなんだろう?

武田 たんに親のやっていることを自分も繰り返すだけですからね。

石川 だから、まったく、親の時代と子の時代とがガラリと変わるようなときに、時代の切れ目に、強い父親を乗り越えて自立、っていうかたちが生まれるのかもしれませんね。

沢辺 ヨーロッパのインテリの間で自由が人間の最大の目標や価値となったのはいつごろ?

石川 18、9世紀、まさにフロイトの時代がそうですね。

沢辺 だから、それまでは、やっぱりヨーロッパの百姓も百姓以外の人生なんて考えられなかったんだと思う。「えっ、百姓以外にやることなんてないでしょ!」みたいな。貴族でもないのに、自分の土地なんかもてるなんて想像もできなかったと思うんだ。
そう言えば、いま土地の話が出たので、このあいだ聞いた話なんだけど、ヨーロッパでは、土地はほぼ100パーセント貴族の所有で、農民なんか土地をもてなかったらしいんだ。けれど、日本の江戸時代なんかヨーロッパでは考えられないくらい農民の土地私有が進んでいたらしいんだよ。もちろん、土地をもたない小作農もいたんだろうけれど。

石川 土地の所有の話は面白いですね。ぼくが前にイギリスの田舎に行って見たのは、小さな川の両側にずっと柵があって、「property」ってなってたんです。どうも、イギリスでは所有権ではなく利用権という意味らしいんですけど。でも、これって、貴族かなんかの個人が川を独占しちゃってるわけだから、驚きましたね。河川法を調べないと法律的にはわからないですけど、河川は基本的に共有物だ、という考えが日本にはあると思うんです。

武田 そこに水車とかあったんですかね? 興味がありますね。水車は個人の所有なのか共有物なのか? そういうのの管理はどうなっていたんでしょうね? ぼくの地元の川には、伸銅といって、銅を溶かしたり伸ばしたりを、水車を使ってやっていたみたいです。

石川 まさに、水車は動力だね!

沢辺 まあ、エネルギーにはじまりエネルギーに終わる、ということで。

石川 きれいにまとまって(笑)、武田くん、きょうは長い時間どうもありがとうございました。

◎石川メモ

理系の面白さ

 高校のとき数学が急に苦手になって、理系という選択肢にぼくは自分からバツをつけてしまった。けれど、武田くんと話をしたら、「ちょっともったいないことやっちゃったな」という気がした。高校のときは、たんにお勉強としての理数系の科目が目の前にあって、「それが難しくてイヤ」という気持ちだけがあった。けれど、そのお勉強のむこう側には、モーターいじったり、配線考えたりと、けっこうおもしろい世界が広がっていたんだな、といま頃になって気づく。
 教育の世界で、よく、「なんのための勉強か、その目的をはっきりと!」なんて議論がある。ぼくだって、自分の授業について、それはどんなことに役に立つか説明したりする。うまく説明できなくて苦労もしたりする。けれども、理数系の科目の意味は、すごくわかりやすいところにその目的がある、と武田くんと話すことで改めて気づく。高校のとき、先生が、パソコンや冷蔵庫を学生の目の前にもってきて、バラして、「ここのこれ、教科書のこの原理で動いてんだぞ!」とやってもらえばよかった。
 でも、まあ、そういうふうに教えてもらったところで、ぼくの数学嫌いが治ったとはかぎらない。だから、ぼくが後悔してもまったく意味はない。けれども、たとえば、理数系のテスト問題が、じつは物づくりにかかわっていること、そのことがもっと明確に伝わるような仕組みはつくったほうがいいと思う。

他者から求められることに応じること

 仕事に意味が求められる時代になって、一方で、意味ばかり求めて食えなくなっている人もいれば、他方で、十分食っているんだけど意味に飢える人もいる。この後者の人の場合、仕事を辞めてしまうことが多い。最近も、教え子から聞いたところ、友人が、職場の人間関係もよかったのに、「自分のやりたいことを見つめるために、海外へ行きます!」と宣言して、仕事を辞めてしまったそうだ。「仕事の意味=やりたいこと」なのだろうか。だんだんよくわからなくなってくる。
 もう少しいろいろな考え方ができるんじゃないか。たとえば、意味っていうのをかならずしも仕事に求めなくてもいいんじゃないか。仕事の外に自分の大切なものを見つけてもいいんじゃないか。けれど、こう言うと、「仕事にドライに向き合え」とも言っているようで、どこか不十分な感じがする。
 だから、仕事について、こう考えてみたらどうだろうか。「仕事の意味=求められることに応じること」。まずは、自分が求められたことに関しては、笑顔で応じてがんばる。もちろん、その結果、自分の体をボロボロにするまで働いてしまうこともある。でも、そのときはそのときで対処すればいい。この考えは、「仕事の意味=やりたいこと」とするより、利点があるはずだ。
 「やりたいことをやる=やりたくないことはやらなくていい」。最近の若い人のあり方をあらわした定式としてこのことをよく聞く。これはかなりまずい考え方だと思うし、かなり損をする考え方だ。
 ぼくは人間というのは究極のところ働きたくない生き物だと思っている。どちらかと言えば、働くよりゴロゴロしていたい生き物だと思っている。だから、仕事というのは基本的には「やりたくないこと」となる。
 でも、いまのところ、人間は働かなくてはならない。「やりたくないことはやらなくていい」というわけにはいかない。それに、仕事というのは、他人から求められて、他人が「やりたくないこと」をやることで、感謝されたり誉められたりする営みだ。だから、「やりたくないことはやらなくていい」というのを基準にすると、感謝を受けたり誉められることで味わえるよろこびが得られない。損をすることになる。
 というわけだから、「仕事の意味=やりたいこと」でもなく、「やりたいことをやる=やりたくないことはやらなくていい」でもなく、「仕事の意味=求められることに応じること」としたほうがよっぽどいいはずなのだ。
 もちろん、バランスの問題はある。けれど、うれしいことというのは、「お前がんばってるね〜」と言われたり、「好き!」なんて言われたりとか、たいてい自分の外側からやってくる。そういう声を受け止めるための準備としても、「求められることに応じること」は自分のなかの基準としておいて損はないと思う。

2011-04-13

第10回 もうちょっとまわり道したほうがよかったんじゃないかな──早見涼子さん(23歳・女性・勤務歴2年)

 早見さんは、1987年に東京都区内に生まれ育ち、現在はマネージメント会社(スタイリスト、フードスタイリスト、ヘアメイク、そのアシスタントが所属している)で働いている(23歳)。この会社には、自分の卒業した服飾系の専門学校の先生の紹介で入社。仕事をはじめて2年。現在は正社員。
 この日はバレンタインデー。初対面のぼくたちにも、チョコ(Kit-Kat)をもってきてくれた。こちらに伝わるように、「なんだろう、うまくは言えないですけど……」、「うーん、どう言ったらいいんだろう……」と言葉を選びながら丁寧に答えてくれる気づかいの人。そういう心づかいを仕事でも意識している点は、インタビューの端々からもうかがえた。
*2011年2月14日(月) 20時〜インタヴュー実施。

「3年間やれば独立できる人もいるし。そうではなく、ずっと10年間もアシスタントのままの人もいます」

早見さんの会社には、スタイリスト、フードスタイリスト、ヘアメイクと、それぞれのアシスタントが所属している。早見さんはヘアメイクのマネジメントを担当している。まずは、早見さんの会社に所属している人たちの仕事はどういうものか? を中心に聞いてみた。

石川 どんなお仕事をやっていますか?

早見 スタイリスト、フードスタイリスト、ヘアメイク、それから、それぞれのアシスタントの所属する会社で働いています。わたしは、ヘアメイクのマネージャーをやっていて、テレビ番組の制作会社やお店から依頼が来ると、合いそうな人を見つけてスケジュールを決めます。

石川 ということは、早見さん自身はフードスタイリストやヘアメイクはやらないということだよね。ようするに、人を派遣する仕事?

早見 そういう感じですね。一応はファッションの専門学校を出て、ちょっとスタイリストのアシスタントの勉強をしたんですけど。会社に勤めたい、というか、なりゆきもあって今の会社で働いています。

石川 派遣する先は?

早見 たとえば、フードスタイリストだったら、デパ地下のチラシをつくるための調理の依頼とか、スタイリストの場合だとテレビの番組から、ヘアメイク仕事だと雑誌から、など、いろんなところから依頼がありますね。

石川 大手になるの?

早見 そうですね。

石川 たとえば、テレビ局は自分でスタイリストさんをもっているのではなくて、そういうふうに派遣のひとで番組をつくっているんだ。

早見 いろいろなパターンがあると思いますが、そういうふうになっていると思います。詳しくはわからないですけど(笑)。

石川 仕事でいろんなひととやりとりしているせいか、話し慣れている感じあるね。

早見 そうですかね(笑)。緊張している面もあります。いまやっている仕事だと10人ぐらいしか人づきあいはないですけど、ピクニックのサークルに入っていたり、通っていた学校が大きかったり、むかしからバイトをやっていて、いろんな人と話し慣れているところがあるかもしれません。

沢辺 いくつなの?

早見 23歳です。今年24歳になります。

沢辺 いまの会社何年目?

早見 今年2年目になります。専門に3年行って、フリーター期間があって、21歳の秋からいまの会社に入社しました。新卒という感じではありません。就職できなくて、卒業してから1ヵ月ぐらいなにもしてない時期があったんです。それで専門学校の先生に相談しに行ったんです。そうしたら、いまの会社の社長に連絡してくれて。産休の交代が秋にある、ということでその秋からこの会社に入りました。その産休の人は会社に戻ったんですけど、わたしは業務を変えて会社に残れるようになりました。運がいいです(笑)。

石川 学校ではスタイリストの勉強もしたということだったけど、スタイリストさんになりたかったの?

早見 それはよく聞かれるんですけど、そんなには(笑)。そんなには魅力を感じていなかったです。スタイリストのアシスタントになってもすぐやめちゃう人もいたから。

沢辺 やめるんだよ。きっと。

早見 やっぱきついんですよ。見てても。

沢辺 金もよくないし。

早見 それに、作業が多くて、自分を見失ってしまったり。言い方はよくないですけど、奴隷のように扱われたり。

沢辺 ほとんど独立自営の人のアシスタントになるわけだから。比喩で言えばなにかな〜。そう、大工の弟子とかさ。下手すれば、トンカチ投げられて「バカ野郎!」だよね。

早見 そうですね。

石川 それに、アシスタントになって独立できる保証もない、と。

早見 そうですね。人によってです。

沢辺 能力にもよるよ。

早見 そうですね。道は険しいです。3年間やれば独立できる人もいるし。そうではなく、10年間もずっとアシスタントのままの人もいます。

石川 スタイリストさんで、有名な人っていうのはどんな人?

早見 あんまりわたしも詳しくはわからないです。名前が出て有名なのは野口強さんとかですね。

沢辺 おれは名前を知らないけれど、たぶん、「スタイリスト」という職業を確立したのは1970年ごろの「an an」でやってたなんとかさん? 伝説のスタイリストみたいな人がいたんだよね?

早見 そういう歴史の勉強も専門学校でちょっとしました。

石川 変な質問かもしれないけれど(笑)、スタイリストさんってお化粧をする人?

早見 お化粧はメイクアップですね。なんて言えばいいのかな。

沢辺 スタイリストって、ドラマとか写真撮影の現場に置いてある小道具屋さん、その進化系だと思う。たとえば、お芝居で言うと、大道具さんと小道具さんがあって、小道具さんは消え物とかを担当する。でもまあ、お芝居には、大道具、小道具という区別があるけれど、ドラマとか写真撮影の現場にはそういう区別も明確じゃなく、そこに使う道具をまとめて準備するのがスタイリストになるかな。簡単に言うと、でっかい鞄しょって、そこらじゅうを走り回って、お皿を借りたりするんだよ。

早見 洋服も借ります。

石川 へぇ。だんだんイメージがはっきりしてきました。

沢辺 でもって、スタイリストが髪の毛を整えたり化粧をするわけじゃなくて、それはヘアメイクの仕事だと。

早見 そうですね。

「スタイリストさんたちは、うちの会社に所属していますけど個人事業主扱いです。だから、保険とかは自分で入ってもらってます」

早見さんの会社はスタイリスト(とそのアシスタント)たちの派遣業。話はスタイリストの仕事から、そこに早見さんの会社がどうかかわっているかに進んでいく

石川 服飾の専門学校に3年間行ったという話だけれど、専門学校は2年なのでは?

早見 もう1年専門課程に進むことができて勉強しました。 

石川 どういう勉強をやる学校だったの?

早見 まんべんなく服装のことをやります。コーディネートや色のことをやります。あと、メイクと写真のことをちょっとだけですね。

石川 ようは、服飾が好きだったんだね?

早見 まあ、そうですね。さいしょはスタイリストになるのかな、と思っていましたけど、でも、じっさい就活は、販売職、洋服屋さんを受けました。けれど、すごく好きなブランドがあったわけでもなく。今思うと、就活ではそのあたりの熱意が伝わらなくて落ちちゃったのか、と思います。高校の時から、とりあえず、「洋服が好きだ」とうのはありましたけど、すごく販売員になりたかったわけでもなく。専門学校にもいろいろな科がありますけど、「広く浅くできてたのしい」と言われるスタイリストの科に入りました。途中で、「もっと洋服を作りたい」という気持ちになったこともありましたけど。

沢辺 ようは、いちばん食い扶持のなさそうな科だよね。

早見 (笑)。スタイリストはそうですね。なんか、かたちになっていない、というか。

沢辺 たとえば、スタイリストとして出版社に入れるわけでもなく、需要がなかなかないよね。カメラマンと似たようなものかな。

石川 テレビ局がスタイリストをもっているわけでもなく。

沢辺 いるかもしんないけど、かなり少ないと思うよ。

早見 会社に入ってきたひとでテレビ局の専属のメイクをやっていたひともいますけれど。

沢辺 それでもせいぜい専属で、テレビ局の社員というわけではないでしょ?

早見 そうですね。

石川 仕事の依頼はどういうものがあるの?

早見 たとえば、キャスターさんの洋服を集めてほしいとか。メイクをしてほしいとか。番組内でも、番組のポスターづくりとかでも、単発でいろいろ依頼があります。

沢辺 石川くんだって依頼できるよ。

石川 えっ。

早見 こういう本を出して、こういう写真をとりたいので衣装を集めてほしい、というのもあります。出版社からの依頼も個人からのものもあります。

石川 あっ、そうか。じゃあ、「インターネットでこういうふうに載せたいからコーディネートしてくれ」というのもある?

早見 そうですね。

沢辺 とくに女の人だとスタイリストがついているかいないかのちがいは如実だからさ。まあ、男の人でも同じで、出版社がけっこう気をきかせて金をかければ、ありうると思うよ。個人だってそういう依頼をしようと思えばできる。おれ奥さんにいつもよく言われるんだよ。「コーディネートやってもらいなさい」って。「だって、あたしが言ったって聞かないじゃん」って。

石川 わかります。やっぱり身内より外側の人に言われると言うこと聞かざるをえないですよね。

沢辺 そのほうが緊張感が生まれていいんだよ。やるほうも妥協が少なくて。たとえば、おれの知り合いの社会学者のおじさんがいて、ぜったいスタイリストつけたほうがいいと思うんだ。上は紺ブレキメてるんだけど、下はなんか国道沿いの靴の安売りで買った茶色のスリッポンみたいなのでさ(笑)。それで、靴下に変な模様みたいなのが入ってたりさ(笑)。おれも人のこと言えないけど。

石川 (笑)ちぐはぐなのは問題ですね。ぼくも人のこと言えないけれど。それで、さっきから、スタイリストさんはなるのも大変、やるのも大変、っていう話になってきているけれど、早見さんの会社では、スタイリストさんはどのような扱いになっているんだろう? 保険とかはどうなっているの?

早見 スタイリストさんたちは、うちの会社に所属していますけど個人事業主扱いです。だから、保険とかは自分で入ってもらってます。スタイリストさんには、ギャラからうちのマネジメント料が引かれて振り込まれます。

沢辺 気を悪くするかもしれないけど、ようは早見さんのやってる仕事は、人夫出し稼業なんだよ。スタイリストさんに「○○さん、この日こういう仕事があるんだけど入ってくれない?」とか。その一方で、スタイリストさんたちの評価もしていて、「○○さん、最近評判悪いんだよね〜」とかやってるんだよ。

早見 そうですね。評価もします。うちの会社は、ほかにも細かいことをやっていて、スタイリストさんたちの荷物を預かったり、郵便物や宅急便を受け取ったり。衣装代を建て替えたり、そのお金をクライアントに請求書をつくって、請求したりします。

沢辺 そうそう。貸衣装屋さんとかあるわけだよ。そこに行って、一回貸出し料5000円とかで衣装を借りるわけですよ。

早見 食器だけの貸し道具さんとかもあって。

沢辺 そのとき、フリーだと信用ならないから、すぐ「現金よこせ」となるわけだよ。けれども、早見さんの会社の名前を出すと、その場で払わなくても、まとめて精算してもらえるとか。一応、そういう想像なんだけど、どう?

早見 あっ、そのつど精算は個人でやってもらっています。でも、リース屋さんによっては、会社の名前が通っているところもあるみたいですけど。細かいことはちょっとよくわかりません。

沢辺 みんなでっかいバックもって走ってるわけだよ。

石川 それをテレビ局とかに全部自分でもっていってやっているわけだ。

早見 そうですね。

石川 そう言えば、最近、大学図書館に派遣で働くようになった友人もいて。こういう派遣の仕事ってたくさんあるんですね。

沢辺 図書館は、派遣もあって、業務委託もあるよ。

早見 美容師の派遣もあるみたいですね。

石川 でも……、

早見 わたしは正社員です(笑)。

石川 でも、すぐに正社員になったわけではないよね?

早見 産休の方が帰ってきたあとも試用期間がつづいていたんですけど、ある日、社長とミーティングしていたときに、「あれ、正社員だっけ?」という話になって、あとで経理に確認したら正社員に上げてもらっていた、という感じです(笑)。

石川 ありがたい話だよね〜。よかったらどれくらいお給料はもらってる?

早見 いろいろ引かれて月15万ぐらいです。

「友だちとかには『もう無理、わたしはこれはきらいだからやりたくない、好きでないからやらない』と言う人もいるんですけど、わたしはそういう変な壁はつくりませんね」

早見さんは東京都区内で実家暮らし。実家は母親の生まれ育った地域。父親は新潟県出身で57歳。生協の仕事をしている。現在は大阪に単身赴任中。母親は東京出身で54歳。もともと銀行員で結婚を期に専業主婦に。兄弟は、25歳の姉と20歳の弟がいる。姉は保険関係の仕事をしながら現在シングルマザー。弟は現在二浪中。話は、まずはお姉さんの話から、早見さん自身の仕事の向き合い方に。

早見 母は専業主婦だったんですけど、姉が都立の高校のデザイン系に進んで、画材などいろいろお金がいるので、それから、近所のカラオケ屋でパートをはじめるようになりました。

石川 お姉さんはいまなにをしているの?

早見 姉は美大に進んだんですけど、中退してしまって、子供を産んで、いま保険関係の営業の仕事をしています。だから、いまは甥っ子とも一緒に住んでいます。

沢辺 姉ちゃんは男に走ったの?

早見 あまりそこのところは詳しくは聞いていませんけど、最近、子供を産んで落ち着いたんですね。シングルなんです。うちの姉は。子どもができたことをずっと隠していて。けっこう複雑なんです。うちの姉は。

沢辺 じゃあ、結婚せずに産んだっていうわけ?

早見 はい。

沢辺 度胸よかったね〜。

早見 でも、そういうきっかけがなくてはふん切れないタイプだったと思います。

沢辺 みんなあるよね。そういうところ。

早見 わたしもそういうところがあると思います。

沢辺 おれなんて、子供ができたのまちがいだもん。まちがい、っていうか、計画外でできたもの。でも、できたものは受け入れなくちゃ、というかさ。

早見 そういうきっかけがあってがんばれる、というか。

沢辺 自分でもなんかどっか許容できる範囲もあったんだ。決意して選択できるわけではないけれど、なんかサイコロ振って、半か丁かで、丁だったらそれでいい、みたいな。そういう気分で。子供できたのが「まちがい」と言うのも、ちょっと違うかも知れないけど。みんなそうじゃない?

石川 ぼくなんか子供をつくることに関してはすごく気をつけてますけど、たとえば、いまこういう商売をしているのも、半か丁かで、丁だったらそれでいい、そういうものの積み重ねかと。たとえば、大学院に行って、就職の幅が狭くなるかもしれないけれど、それでもまあいいか、と思ったのはありますね。すごく決意したというわけではないけれど、きっかけがあって、それに乗っかったというか。

沢辺 でも、もちろん、振り返れば、そういう選択には、なんか志向があったと思うよ。

石川 そうですね。明確な決意ではないけれど志向はあったと思います。

沢辺 たとえば、早見さんだって、就職活動としては、洋服の販売員を受けたとき、行動としてはそうしたけれど、それでもどこかに「でも、販売員やるのもな?」というのがあったと思う。それで、販売員にはならなかったんだと思う。こっちが解釈しちゃってごめん(笑)。でも、いまのところベストな選択だと思うよ。結果オーライ。洋服の販売員をやってもノルマがあってどうこうとか。しわくちゃバアちゃんになってもそのブランドが生き残っているかどうかわからない。

早見 不況の影響を受けやすいですしね。

石川 それに、販売員さんってある程度の年齢になるとやめるよね。

沢辺 やっぱり早見さんも想像しているわけでしょ。販売員をやってもやめちゃうかもしれないし、スタイリストのアシスタントして荷物もって走りまわっても、ずっと、コネもなくて、独立できないでいるとか。それに、そもそも、仕事を紹介してもらえるような能力が自分にあるかわからないし、クライアントを満足させるような人間になれるかどうかわからない。そういう想像はあったと思うよ。

石川 ぼくは、そういう意味で、もの書きの弟子になったから、スタイリストのアシスタントになってしまったタイプだな。

沢辺 そうだよ。石川くんは徒弟制度に飛び込んじゃった口だよ。彼女はそういう口じゃなく、現場とはちょっと距離を置いて。だから、けっこうおいしいポジションだと思うよ。

早見 でも、さいしょはしんどいから、上の人に怒られたり、仲間のぜんぜんいない職場なので、販売員になって友だちつくるのもうらやましいと思いましたね。

石川 仕事を覚えるのは大変だった?

早見 最初は、請求書をつくったり、アシスタントの仕事の時間管理、その人の仕事の経歴をパソコンに入力したり、事務作業をやっていました。電話の取り方も勉強しました。単純作業をとにかく一年やって、なんて言うんだろう、そうやって土台をつくりました。

沢辺 おじさん的に言うと、「そんなのまだまだ小娘」だよ。ただ、やっぱり社長が声をかけたわけだよ。「正社員だっけ?」って言うっていうのは、やっぱり「こいつに正社員やってほしい」という判断があるわけじゃない? そうじゃないヤツにそんなこと絶対言わないよ。おめがねにはかなったわけだよ。

早見 そう言われてみると、そうだったと思います。

石川 「まだまだ小娘」っていうのはどういう意味ですか?

沢辺 仕事的に言えば、「こいつにまかせていたら、大丈夫、お客の評判がいい」とか。つまり、「こいつにまかせていたら、今日、明日、期待できる」というレベルじゃないと思うよ。そういう意味で、「まだまだ小娘」というわけなんだよ。

早見 そうですね。わたしの上にフードのスタイリストのマネージャーをやっている人がいて、その人が実績を残しているんです。わたしは「その人の下についたらどう?」と言われて、いまはその人に弟子入りしていて、マネージャーの修行をしているのが現在、という感じです。

石川 事務作業はきらい? すぐその仕事に入っていけた?

早見 そんなに深くは考えなかったです。はじめから事務作業と聞いていたので。

石川 たとえば、もし、スタイリストさん志望の人で、「わたしはアーチストだから」というタイプの人だったら、「事務作業のような地味な仕事はやりたくない」って感じになることもあると思うんだ。けれども、早見さんはそういうタイプではない感じがする。

早見 なんだろう、うまくは言えないですけど、友だちとかには「もう無理、わたしはこれはきらいだからやりたくない、好きでないからやらない」という人もいるんですけど、わたしはそういう変な壁はつくりませんね。「割り切り」ってわけでもないんですけど。

石川 「割り切り」っていうのは「もともとはこういうのをやりたかった。けれど、現実はちがっていた。でも仕方がないや」という感じだと思うんだけど、早見さんはそういうタイプではないと思うんだ。

早見 最初はそういう気持ちもあったかと思うんですけど、仕事をやっていくうえでたのしくなったりとかですね。

沢辺 たとえば、さいきん、知り合いの大学の先生からの紹介でうちの会社に入れた学生がいるんだよ。でも、3日でやめたの。その子には、最初にテープ起こしをやらせたんだよ。テープ起こしっていうのは、いまこういうふうに早見さんにしているインタヴューとかを文字に起こすわけだけど、これ、つまんないでしょ。でも、この仕事はぜったいどこかで誰かがやらなきゃならない。だから、早見さんがやってた事務の仕事もそう。スタイリストさんへギャラ払うのだって、その人が「何日どこでどれくらい仕事しました」って細かい記録を残す作業を、誰かがやらなきゃならないわけだよ。
だけど、うちに来た子は「編集の仕事をやるんだ」と、先を見ちゃってたんだと思うんだ。まあ、タイミングも悪かったんだ。もちろん、うちの会社だって、年がら年中テープ起こしやってるわけじゃないよ(笑)。でも、そのとき、テープ起こしの仕事がたまっていて、テープ起こしだったら1回やり方を教えればいいから、こっちとしては手取り足取りその子の相手して仕事を教えなくてよかったわけだよ。それで、みんな知らんぷりしてたから、「自分が思っていた編集の仕事はこうじゃない」と思ったかもしれないんだよ。あとでわかったことだけど、本人にうつ的な傾向があったからやめちゃったのかもしれない。だけど、早見さんはとりあえずそこを乗り越えたわけだよ。

石川 ええ、わかります。編集というのは作家さんとやりとりしながら「本づくり」するクリエイティヴなイメージだけれど、当然、テープ起こしのような地味な仕事もそのプロセスのなかには入っている。仕事を学ぶまだ最初のうちは、そういう地味な仕事ばっかりしなくゃいけない。それが修行期間なんだ、って想像力はなかったのかな?

早見 わたしがその話を聞いて思い出したのは、自分がバイトをやめちゃった経験です。学生のときレストランのアルバイトを3日でやめちゃったことがあります。そのときは、初日に行ってみると「いま忙しい」と言われて、1時間ぐらい待たされて。そのあとは、「とりあえずお皿洗って」と言われてわたしはずっと洗ってて、だれも話しかけてくれなかったんです。たまに声をかけてくれてもそれもあまり励みにならなくて。こう言うのもなんですけど、「さみしくてすぐやめちゃう」というのもあるかと思います。

石川 なるほどね。沢辺さんのところに来た子に、「お前テープお越しがんばってるな。それも修行の一環だからな」と一言言ってあげれば励みになってやめなかったかもしれない。でも、みんな忙しいときになかなかそういう一言もかけられないよね。

沢辺 だから、そのあたりはバランスでさ。イジメのように知らんぷりするのもおかしいけれど、相手してあげるのが商売でもない。きっと早見さんの場合は3日でやめたことはいい経験になったんだと思う。早見さんは、「自分はなぜやめてしまったんだろう?」とふり返って考えたんだと思うんだ。おれの期待とすれば、うちをやめた子も、早見さんのようにその経験を糧にしてほしい。「あのときやめたのはなんだったんだろう?」と考えて、活かしてくれればと思うんだ。みんなそういうふうになってほしいんだな。

「機械的になっちゃダメ!」「情熱を入れるのよ!」

早見さんはいまマネージャー修行中。早見さんには仕事上の師匠がいる。その師匠に日ごろどんなことを言われ、仕事を教えられているか。そのあたりを聞いてみた。

早見 石川さんは本をどれくらいの期間で書き上げるんですか?

石川 今回出した『ニーチェはこう考えた』っていう本は半年かかりました。それで、去年の11月に本が出て、印税が入るのがその3ヵ月後の今年の2月。

早見 スタイリストもアシスタントもそうですね。3か月後にお金が支払われます。だから、仕事をはじめるとき、「半年ぐらいは貯金してくるように」って言われるんですよ。

石川 そうだね。最初は持ち出しで(自分のお金で)仕事をするしかないんだね。

早見 そうです。わたしの師匠はモデルのマネジメントからいまの会社に入ったんですけど、こういう業界もそういう支払いのシステムみたいですね。

石川 師匠というのはさっき話してくれた早見さんがいま下についているマネジメントの先輩のこと?

早見 そうです。40手前ぐらいの人で、話すこともオネエ言葉で、すごく独特なんですよ。

石川 じゃあ、オネエ系の人?

早見 そうですね。

沢辺 多いんだ、また〜。

早見 尊敬できるひとで、頭の回転もすごくはやくて、話の切り口も面白いひとです。

沢辺 ヘアメイクとかにもオネエ系多いんだな〜。

早見 このあいだも、ヘアメイクの紹介の本をぱらぱら見ながら、「この人はゲイ!」とか「この人はストレート!」「目でわかるわよ!」とか言ってました(笑)。

石川 (笑)そう言えば、オネエ系の人もいると思うけれど、早見さんの職場全体としては女性が多いの?

早見 そうですね。うちの会社の社長も女性です。スタイリストさんは大半が女の人です。

石川 ということは、スタイリストさんなんかは、女の人が自分の腕一本で仕事をしている、そういう職場なんだ。

早見 そうですね。

石川 師匠の話に戻るけれど、師匠はもともとはスタイリストさんだったの?

早見 20歳ぐらいからずっとモデルさんのマネジメントをやっていたようです。そのモデルがらみでキャスティングの人と知り合って、いまの会社に入ったみたいです。すごく熱い人です。情熱を入れる。

石川 育てる、というか?

早見 そうですね。「マネジメント」というと、わたしの中ではクールなイメージだったんですけど、その人はそうではない。というか、うーん、どう言ったらいいんだろう。

石川 たとえば、仕事でこんなことがあった、という話が聞けるといいんだけど?

早見 うーん、たとえば、最近、新しいフードのアシスタントの人が入ってきたんです。その人は調理の学校を出てレストランで働いてきた人なんですけど、撮影の現場はまったく知らない人なんです。それで、これはあさっての仕事のことなんですけど、お弁当のカタログの仕事があるんですが、人が足りなくなったんです。そこで、そっちに人をまわしたのですが、今度は別の大事な広告の仕事に入る人が足りなくなったんです。大事な広告の仕事なので、撮影のいろはを知っている人が入るべきなんですけど、師匠は、撮影経験のないその新人のアシスタントを、「この子はレストランでずっとやってきた子だからきっと大丈夫!」と現場に差し込んだんです。
こういう感じですかね。もっといろんな例があるんですけどなかなか言葉にするのが難しくて……。

石川 早見さんのイメージでは、マネージャーというのはクールな管理の仕事なんだけど……。

早見 師匠は撮影が成功するように「情熱」を入れる。「情熱を入れるのよ!」ってよく言うんですよ。

石川 やっぱり「気づかい」の人なんじゃないかな?

早見 そうですね。

石川 ただただスタッフを管理するんじゃなくて、撮影全体が気持ちよくいくようにクライアントにもスタッフにも気を配るというか……。

早見 そうですね。

石川 それで、新人さんにも「この子、この機会に差し込んであげよう」とか?

早見 そうですね。「この子、最近落ち込んでるから好きな人と組ませてあげよう」とか(笑)。

石川 そうした師匠の気づかいが結果的にいい方向にはたらいてるんだ。

早見 そうですね。信頼は厚いと思います。

石川 早見さんは師匠ぐらいまでになってみたい?

早見 うーん、どうなんでしょうね(笑)。でも、わたしとしてはまだまだで。眼のまえのことをやるだけです。

石川 師匠にはよくなんて言われてるの?

早見 ほんとにいろんなことを言われますけど、「機械的になっちゃダメ!」とか「情熱を入れるのよ!」とかです。

沢辺 わかるよ〜。

早見 「電車に乗る時でもいいから、起きたときでもいいから、その人のことを思い出しなさい。そうするとその人のことが見えてくるのよ。そうすれば、その人に心を入れ込めるから」って。

沢辺 おっしゃるとおり! でも、それもある種の才能に近いんじゃないかな。気くばりができる、って。ちゃんと、「あいつはこうしてあげたらうれしい、こうしてあげたらいやだ」っていうのがわかってるからなんじゃないかな。
おれも同じこと言うもん。たとえば、本の企画を考えたりするときだってそう。まずは本屋の前を通ったらちょっと入ってみよう、いまどういう本が読まれているか、じっさいに町に出て見てみよう。日曜日の新聞の書評欄見てどんなタイトルにしようか考える。そういうふうに体が動くかどうか、ってことじゃん。
「機械的になるな」っていうこともわかるよ。おれ、メールひとつだって文句言うもん。やっぱり、「原稿どうなってますか?」って催促するとき、ただ、「あれ、どうなってますか?」と書くんじゃなくて、「いかにその人に書いてもらえるか」。そういうことを一言でも二言でも添えることが必要なわけじゃん。

石川 わかりますね。ぼくだったら、やっぱり、原稿を送ったら、原稿の内容について言ってもらえるとうれしい。

沢辺 そうそう。おれも「内容について必ず触れろ」って言うもん。書いているほうにとって、なにが一番いやかと言うと、送った原稿を読んでもらえずにただ積んだままにされる、ということなんだよ。人間は承認をめざす生き物で、「よくかけたね」「面白かったよ」と言われることをめざすんだよ。

石川 そうですね。それに、こちらも「ダメだったらダメだと言ってください。書き直します」という構えでいるんです。

沢辺 そうそう。「読んでなくちゃ言えないような一言を添えろ」っておれなんかよく言うよ。たとえば、おれとかだと、気をつかったメールでなくても相手は「沢辺さん社長だからほかの仕事で忙しいのかな?」と思ってくれるかもしれない。けれど、小僧がぞんざいなメールなんかすれば、相手は「原稿を読むのお前の仕事だろ!」になる。
だから、早見さんとスタイリストの関係って、ある意味で編集者と著者の関係だと言っていいと思うんだ。「機械的になるな」っていうのは、マネジメントを仕事という義務感でやるんじゃなくて、そのスタイリストを見ていて、「この人の仕事はいつもこんな感じになる」っていうのを、それをよいのか悪いのか、悪いでもいいから、「ちゃんと見てる」というのをださなくちゃいけない。

早見 そうですね。

石川 それって、やはり、早見さんの師匠が「電車のなかでその人のことを思い出しなさい」って言うのと同じだと思う。ただの管理じゃなくて、「この人は、どういうふうにしたら伸びるんだろう」とか、そこまで考えてつきあうマネジメントのことだと思うな。

「わたしはこの仕事をはじめたときに、自分の責任が重いというか、もう少しいろいろな修行を積んでからいまの仕事につけばよかったと思ったんです」

早見さんのやっているマネージャーの仕事は、スタイリストなりアシスタントなりのギャラの采配権をもっている。ある意味でパワーをもっている。たまたま職業上もっているその力を自分のもののように濫用することもできるし、その力をもっているがゆえの責任におしつぶされそうになってしまうことだってある。天狗にもなれるし、自分を卑下してしまうことだってある。こうした力をもってしまったことの問題をどう考えたらいいか。

沢辺 余計なお世話かもしれないけれど、彼女のポジションはある意味で危ういと思うんだよ。あえてひどい言い方をすれば、たいした能力もないくせに、たまたまその会社に入ったがために、たとえば、このスタイリストはこれくらい、あのスタイリストはこう、とギャラの采配権をもってしまうわけだよ。

早見 そうなんですよね。

沢辺 人は往々にして、おれも含めて、その力を勘違いしてしまうわけだよ。たとえば、石川くんのような先生だってそうだよ。やろうと思えば落第させることだってできる。たまたまそういう力をもったのに、その力をいいように使ってしまうこともある。

石川 でも、そういう危うさを自覚したって、人はそういう立場になっていくわけですよね?

沢辺 だから、その自覚が大切なんだよ。無理だよ。完璧にやろうとしたって。

早見 わたしはこの仕事をはじめたときに、自分の責任が重いというか、もう少しいろいろな修行を積んでからいまの仕事につけばよかったと思ったんです。

石川 もう少し現場の仕事を経験しておいたほうがよかった、と?

早見 そうですね。

沢辺 さいきんマンガ家の出版社に対する反乱が起こってるんだよ。たとえば、編集者が勝手に自分の書いたセリフを変えてしまうから、もうネットで配信すればいいんだ、と言うマンガ家もいる。マンガ家にも勘違いもあるし、編集者にも勘違いがある。編集者だったら、たまたま雑誌の編集者という立場にあるから采配権をもっているんだけど、それを一個人の力と勘違いしてしまうんだ。そういう人は大勢いるんじゃないかな。だから、早見さんが「危ういよね」っていうのはそういうことなんだ。もちろん、彼女が現場をよく知れば、判断の幅は広がるかもしれない。けれども、現場を知ったからって完璧にできる、っていうわけではないんだよ。ただ、いつも、「自分は大丈夫か?」という自覚、警戒警報が必要なんだ。

早見 責任が……。

石川 でも、仕事上、まだ大きな権限はないんでしょ?

早見 そうですね。

沢辺 ただ、おれがスタイリストだったら、やっぱり、仕事の窓口になってる早見さんを、生意気な小娘だと思っちゃうよ。もちろん、仕事だからそんなこと口には出さないけど。でも、それ、しょうがないよ。年取るとそういうふうに見られることがなくなるんだよ。それはそれでまた問題になることもあるんだけど。

石川 それから、相手を小娘だと見て利用することだってできると思う。

早見 「もうちょっとギャラ上げてよ」とか、そういう場合もありますけど、状況によってですね。交渉する場合もありますけど、できないときはできないと断ってます。

石川 じゃあ、押したり引いたりもやってるんだ。

早見 そうですね。

石川 変な人もいる?

早見 曲者だな、と思う人もいます。「撮影日は絶対この日」と前もってしっかり言っておいたのに、ちがう日にちを言ってくる人とか。「この人大丈夫か」とうわさになる人もいます。

沢辺 そういう人と出会うこともあるんですよ。問題は疑問を立てていくことだと思うんだよね。たまたまそういう会社に入って権限をもっているわけだから、過剰に調子に乗って偉そうにする必要もなく、へりくだって責任をとることから逃げることもないと思うんだよ。そのとき、ひとつだけ大切だと思うのは、「いま自分は大丈夫か?」と疑問をもつことだと思うんだよ。それも過剰に「これでいいのか? これでいいのか?」と反省して、思いつめて、なんにもしないのとはちがうんだよ。いいバランスをとること。これどう言ったらいいのかな?

石川 ぼくなんかは、さいきん沢辺さんと話をして出てくる「妥当」というのはいいキーワードだと思うんですよね。迷いつつ、ちょうどいいところを見つけていく。別にどこかに正解があるわけじゃないけれど、そのつど眼の前のことをやりながら、妥当なところを見つけることなんじゃないかな。

沢辺 それに、妥当というのはワンポイントではなくて「幅がある」ということなんだ。

早見 ひとつじゃない、というか?

沢辺 いい範囲に戻す。「いけない、やばい!」と感じて、そこで戻すというのがいいんじゃないかと思うんだよ。おれなんか、つい、キツイこととか社員に言っちゃって、「あー、はずかしい!」と思うことあるよ。それで、「偉そうな自分」という振れをちょうどいいほうにちょっと戻す。そのとき、「あっ、やばい!」と思えたことって大切だと思うんだ。

早見 あ〜、よくわかります。

沢辺 でも、一番はずかしいのはそれに気づかないことなんだ。

石川 ぼくなんかは逆で、学生に妙に優しくなってしまって、厳しく言うべきときに言えないときがある。そんなとき、「あー、やっちゃったよ!」となるんですね。それで、つぎから学生に対する態度を「ここだけは言っておくぞ!」とちょっと修正する。

沢辺 おれはキツイほうに倒れやすい。石川くんは優しいほうに倒れやすい。タイプはいろいろあるけれど、そのふれ幅に自分で気づいて妥当なところを見出すことが大切なんだ。だから、早見さんも、「スタイリストさんはみんな先輩なんだから」と遠慮して、自分が言いたいことが言えないタイプなのか、「仕事まわさないわよ!」と偉そうにしてしまう小娘のタイプなのか、自分のキャラやクセを見きわめて、妥当の範囲に収まるように、それを少しずつ修正していく。そういう思考が大切だと思うよ。

「わたしが最近思うのは、『もうちょっとまわり道したほうがよかったんじゃないかな』と」

まずは、早見さんにとって夢という言葉はどういう位置づけか、そして、専門学校進学の動機へと話は進む。眼の前にあることをしっかりやって、堅実に仕事の道を歩む早見さん。けれども、どこか、まわり道をして人生を歩むことへのあこがれもある。そのあたりをどう受け止めているか聞いていく。

石川 これは、ぼくがいまけっこう気になっていることだけれど、就職に関して、「好きなことを仕事にすること、それが自己実現、夢だ」という考えをする若者もいると思うんだ。さっき早見さんは、「これは好きじゃないからやらない」という壁はつくらない、と言っていたけど、こうした自己実現や夢についてはどう思いますか?

早見 わたしは、夢とかはあんまりもってこなかったタイプです。

石川 夢という言葉はあまり使わないの?

早見 「眼のまえにあることをやりたい」という感じです。うーん、なんだろう。わたし、寝てるときも夢を見ないんです(笑)。

沢辺 じゃあ、その専門学校にはなんで行ったの? ほんとにスタイリストの勉強したかったの?

早見 先を見てその学校に入ったわけではないです。「なんとなく」ですね。「高校を卒業したら、なにをしようか?」と考えるじゃないですか。そのとき、それほど目標もなく、その専門学校を選びました。

沢辺 大学進学は考えなかったの?

早見 大学は勉強をしないと入れない、という考えもあったし、高校へもあんまり行ってなかったんで、出席日数もあまりなくて(笑)。

石川 ワルかったの?

早見 いえ、不良というわけではなく(笑)。どちらかと言うと引きこもりでしたね。

沢辺 「高校出て、じゃあ、なにするか?」となるわけだけど、勉強して大学に行きたいわけでもなく、かといって、勉強しなくても入れるよく名前も知らない大学に行きたいわけでもない。「それじゃ、就職しろ、働け」と言われることになるけれど、いまどき高卒18歳ですぐ就職というのもなかなかつらい。そこで、「とりあえず、専門学校」というのはいい逃げ道になっていると思うんだよ。いまや、音楽なり髪の毛なり、山ほど専門学校があって、そのなかで、「なんとなく」でその専門学校へ行ったんでしょ? それで、その「なんとなく」の要素は5割くらいじゃない?

早見 5割くらいですね。もちろん、あこがれもあったんですけど。

沢辺 どんな?

早見 雑誌に載ってるおしゃれな読者モデルや、バイトの先輩がその専門学校出身だったりして。

沢辺 雑誌そのものや、洋服そのものにかかわりたいという興味はあったの?

早見 洋服にかかわれるようになりたいというのはちょっとありましたね。なんか、でも、とりあえず専門学校に入って勉強してみよう、というのもありましたね。

沢辺 それから、猶予がほしいというのもあるよね?

早見 そうですね。やっぱ18歳ぐらいのころは、「一回就職してしまったら、ずーっとそこにいなくちゃいけないのかも」と考えていて。就職は人生のすべてだと考えていたこともあって。

沢辺 そのころは、就職ってデカイよね。

早見 そうですね。仕事から逃れようと思っていました。

石川 高校は進学校だったの? クラスの同級生はどういう進路だったの?

早見 私立の女子高で、あんまり頭はよくないけれど、進学に力を入れだした学校で、わたしの周りは、ほとんどが専門学校で、ぱらぱらと大学進学の子がいました。いまはもう大学進学がほとんどみたいですね。

沢辺 最近は高校の下克上があって、おれのころ不良で有名だった学校が進学率よかったりするんだよ。たまたまうまくいったりすると、おれの感覚で言えば「えー! そこから大学行けるの?」と思ってたような学校が進学校になってたりする。身の回りに子をもった親が多いからこういう話題になったりするんだ。
それで、おれが早見さんに聞きたいのは、身の回りの高校や専門学校の同級生が早見さんのように堅実ではないと思うんだ。だいたいは堅実じゃないでしょ? 

早見 そうですね。少ないです。まわりの友だちで「大学卒業したけど就職したくない」と言っている子や、弟もいま20歳なんですけど二浪中なんですね。姉もまわりまわっていまに至って。それで、わたしが最近思うのは、「もうちょっとまわり道したほうがよかったんじゃないかな」と。なんか、わたしのなかではけっこう迷ったりして、やっといまのところにたどり着いたという思いはあるけれど、他と比べたら順調に来たのかな、と。

沢辺 順調でしょ。小さな会社だったり、給料はもっとほしかったりするかもしれないけれど、正社員だよ。それで、おれが聞きたかったのは、早見さんが、どうしてそういうふうに堅実なのか。べつにフリーターが悪いとは思わないけれど、おれが思うのは、なんと言ったらいいかな〜、早見さんの「ちゃんとしたいという素質」と「偶然」と「まわり道したかった、という後悔」、それから「ぷらぷらしなくてよかった、と思う気持ち」。それを数値でわけると何パーセントぐらい(笑)?

早見 えー(笑)。さいきんは、「まわり道してもよかった」と思う気持ちが半分以上ですね。

沢辺 でも、その割合って変わるでしょ?

早見 コロコロ変わりますね(笑)。飽きっぽいというか(笑)。

沢辺 いやいや、飽きっぽいということじゃないと思うよ。そのときどきによってちがうじゃん。姉ちゃんだって、「子どもを産んでよかった」と思うときもあれば、「どうして子どもを産んだんだろう」と後悔をするときもあると思う。それで、いまの早見さんだって、何かをなくしているんだと思う。「仕事やめて、半年ぐらいタヒチに行って」なんてことはできづらくなっている。
そこで、これは、おじさんの余計なお世話だけど、おれが思うのは、どうしても我慢できなくなって、いまの仕事をやめて遠回りしようと思っても、また帰ってきたらいまの会社に雇ってもらえるくらいのものをつくっておくといいよ。これができることはすごいことなんだけど。
それで、半年ぐらいオーストラリアに行って戻ってきても、おみやげもっていまの会社に行ったら、「なんだお前、戻ってきたのか、もう一度うちで働くか?」と言ってもらえるような可能性に到達するくらいのものを、いま、つくっておくといいよ。
別の言い方をすれば、ふたつのパターンがあると思うんだ。せっかくいま何かやっていても、なんにも役に立たない時間にしてしまう人と、それをやったことが深みになる人。早見さんは、この後者になれるように、それぐらいまで、「がんばれた」と言えるものを仕事で獲得するといいと思うよ。

早見 すごいよくわかります。

石川 こうやって早見さんと話をすると、「もっとまわり道をすればよかった」とは言うけれど、やっぱりこう思う。早見さんは、自分でそんなに強い選択の意志をもって生きてきたわけではないけど、偶然を大切にしてきた人だと思うんだ。偶然に×をつけて生きる人もいる。「これは自分が好きじゃないからやらない!」とこだわる人、まわり道をする人はそういう×をつけるタイプかもしれない。もちろん、×をつけることがその人にとってプラスになる場合も、そうでない場合もある。でも、早見さんは、偶然を大切にしながら、いまの会社で目の前のことをしっかりやってきたことを誇りに思っていいんじゃない? べつに、「いまの仕事をずっとつづけろ」と言いたいわけじゃないけれど、そう思うんだ。

早見 いま話をして、けっこう自分の頭のなかとじっさいの自分の行動はちがうな、と思いました。仕事を紹介してくれた先生に、さっき言ったように、「もっと経験を積んでからいまの仕事をやりたかった」と相談したことがあるんです。でも、「ダメ、ダメ、ダメ、ダメ、いままで流れにそってここまで来たんだから、それに逆らっちゃいけない」と言われたんです。だから、いまの会社をほんとうに離れるときが来るのは、ちがうチャンスが来るときだと思っています。それもやっぱり流れのなかで、師匠は「とにかくいまの仕事を三年つづけてキャリアにしなさい」と言ってくれていて、師匠がそういう流れをつくってくれていると思っています。

石川 そもそもその師匠との出会いも偶然だよね?

早見 社長が偶然わたしに割り振ってくれたんです。師匠も癖があるひとで、それに耐えられる人として、わたしをあてがってくれたんです。

「社会が知れるからじゃないですか。あと、学校では出会えない人に会えるじゃないですか」

早見さんは高校時代、バイトを一生懸命やっていた。話はバイトの魅力の話から、恋愛、交友関係の話へ。早見さんの携帯はスマートではなくふつうの携帯。携帯代は月7000円ほど。mixiよりtwitterでサークルの友人と連絡をとっている。

石川 なんかこれまで打ち込んだこと、一生懸命やってきたことあった?

早見 一応「一生懸命やってたかも」ですけど、部活ですね。中学高校とバスケットボールをやっていました。

沢辺 勉強は?

早見 あんまり努力しなかったですね。いま思えば、勉強もバスケットも、もっとできただろうと思っています。バスケットも、好きなはずなのにいやいややっていた感じがあって、高校の途中で部活をやめて、好きなものをやるようになって、そこから性格も明るくなりました。

石川 好きなものって?

早見 バイトです。バイトにあこがれがあって。

沢辺 高校はバイト禁止だった?

早見 禁止でした。

石川 じゃあ、引きこもってたわけじゃなくて、バイトを一生懸命やってたんだ。

早見 高校1年のときはひきこもりでしたけど、2年3年はコンビニのバイトを一生懸命がんばってました。

沢辺 やばいバイトやってたわけじゃないんだ?

早見 いえいえ、ほんとにふつうのコンビニです。家の近所です。

沢辺 高校生でキャバクラ嬢やったってばっちりチェックされるもんな〜(笑)。

早見 (笑)

沢辺 でも、なんで高校生にとってバイトはそんなに魅力的なんだろう?

早見 社会が知れるからじゃないですか。あと、学校では出会えない人に会えるじゃないですか。バイトだと大学生もいるしフリーターもいるし。それに、わたしは女子高だったので、男の人もいるし。学校とちがう人に出会えるのが大きいと思います。

沢辺 彼氏できた?

早見 高校のときはいませんでしたね。

沢辺 専門学校のときは?

早見 うーん、ふふ。

沢辺 じゃあ、いま彼氏は?

早見 いまはいません。今日(バレンタインデーに)いまここにいるんで(笑)。

沢辺 そんなことはないだろう? 時間調整してもいいし。

早見 わたしはあんまり恋愛体質ではないんです。無趣味だし。

石川 でも、そんなことはないよね。コミュニケーションはとれるし、ピクニックのサークルにも入っているみたいだし。そのサークルはmixiのなにか?

早見 そうでもないですね。友だちが友だちを呼んで、みたいな。リーダー的な人がいて、学校や仕事で知り合った人を会わせる、というか。それが広がってって。

沢辺 男もいるの?

早見 ちらほらですね。

石川 リーダーの人はなにやってるの?

早見 衣装会社の人です。その人もわたしと同じ専門学校出身で、女性です。その人の同級生が、わたしの専門のときにやっていたアパレルのバイト先の知り合いで。4人ぐらいからはじまったみたいですけど、20人ぐらいわーっと集まって、mixiのコミュニティをつくって、という感じです。だから、mixiはあとづけで。いまはmixiの書き込みはあまりなくて、twitterが多いです。

石川 じゃあ、遊びに行ったりするつきあいはそのサークルが中心?

早見 最近はそうですね。あとは高校の友だちとか昔のバイトの友だちですね。高校の友だちは、保育師、化粧品の販売員、フリーター、大学生、いろいろですね。

石川 仕事は月〜金? 

早見 月〜金ですね。土日は休めます。撮影とかの現場の仕事は土日にもあるけれど、わたしは休めます。派遣の仕事の依頼が来る電話を取るのが月〜金です。

沢辺 土日に現場手伝いに行けば?

早見 さいしょ事務作業をやっているときに、「会社を知りなさい」と言われて、スタイリストを育成するスクールに行って、すそ上げやアイロンをかけたりしました。そのうちに、「アシスタントの研修をしなさい」と言われて、休みの日に衣装を返しに行ったりもしました。そういうのをちょこちょこやってましたけど、いまの仕事になったらそれでいっぱいいっぱいで。「土日はもう気力もない」という感じでした。でも、いまはそれも落ち着いて。現場に出るほうがいいのかな? でもいま現場に行くとしたらヘアメイクとかしかないので、それもちょっとちがうかな、と。

「その30万ぐらい貯まったお金を、『ちょっとだけだけど、学費にあててほしい』と言ったんです」

さいごに、早見さんの高校時代、専門学校進学の親への説得の話から、家での生活、家族の様子について聞いてみた。

石川 ところで、これはいろんな人に聞いているんだけど、ご両親にはどんなことをよく言われて育ちましたか? 「将来はやりたいことをやりなさい」とか?

早見 いま師匠に言われているように親から「こうしなさい」というのはなかったです。

石川 高校へ行くときとか、専門学校へ行くときか、節目節目で親とは話はしている?

早見 どうだったかな? たとえば、専門学校に行きたいときは親にはっきり言ったと思います。お父さんにも相談して。わたしが進路を決めたときは姉が大学をやめたときだったので。あっ、思い出した! 
高校で部活をまだやってたころは、部費が月に5000円、ユニフォームをそろえるので10万もかかってたんです。それに、高校の学費もお金がかかってたんで、わたしは親をなんとか見返したい気持ちがあったんです。だから、部活をやめたあとはじめたバイトのお金をためていて、その30万ぐらい貯まったお金を、「ちょっとだけだけど、学費にあててほしい」と言ったんです。
そのとき、お父さんは「おねぇちゃんみたいになったら承知しない」と言ったんですけど、「わたしは、そんなことない! 気合入っているから!」と言って専門はがんばって行きましたね。

沢辺 それ、最高の説得のかたちじゃん!

早見 もうちょっと貯められていたらかっこよかったんですけど。

沢辺 30万もってきて、こうしたい、と言われたら、いいよ、としか言いようがないよ。

石川 バイトはお金を貯めるためにしてたのかな?

沢辺 おれが思うに、バイトって、金が入るのがまずうれしいわけですよ。

早見 通帳見るの、うれしかったです。

沢辺 それで、だいたいふたパターンぐらいあって、すぐ使っちゃうタイプと、いつかなにかに使おうと思うタイプがいて。早見さんは後者のタイプだと思うな。

早見 お金がほしかったわけではなく、バイトがとにかくしたかったんです。

沢辺 バイトって魔力あるよね〜。考えてみりゃただ働いているだけだと。ただ「お前、皿でも洗っとけ!」と言われてやってるようなもんだよ。だけどそれでも魔力あるんだよ。ある種の高校生ってほんとにやりたがるんだよな。

早見 とにかく、仕事がたのしいんです。レジ打ちだったり(笑)。棚のほこり取りとかもたのしいんです(笑)。休みの日にバイト先に行ってスウェットで仕事手伝ったりしてたんですよ(笑)。これもコミュニケーションの取り方なんですかね?

沢辺 異文化との遭遇なんだよね。

早見 そうですね。

石川 学校とはちがう承認感があるかな?

沢辺 それに、学校とはちがう尊厳があって。ままごとのお店屋さんじゃなくて、ウソじゃないんだ。

早見 あとはダメっていうのがなくて、たとえば、高校では髪の毛を染めちゃいけなかったんですけど、バイトでは多少は染めてもいい、とか。規制はないわけではないけれど、高校よりゆるくて、個性を尊重されている、というのがあるんですかね。

石川 じゃあ、高校のときは、学校よりもまったくバイトのほうがたのしかったんだ?

早見 でも、高校の友だちとも仲良くしてました。バイトのない日はふつうに放課後残って友だちと話をしてたりだとか。

石川 さっき出席日数が足りないという話だったけど、バイトに忙しくて学校にあまり行かなかったの?

早見 前半は暗い子だったんですけど、後半は、バイトが忙しい、というわけではなく、だるいと思ったら学校に行かない、という感じでしたね。

石川 じゃあ、とくに学校の人間関係でなにかあったという感じでもないんだね?

早見 そうですね。どちらかと言うと、家の中で、ですかね。家が狭くて、家族が近いんですよ。お母さんと兄弟三人(姉、わたし、弟)が同じ部屋で寝なくちゃならなくて、ケンカとかよくしてたんです。で、ケンカして気分がのらないから学校行かない、って感じでした。

石川 ところで、いまは貯金は?

早見 少しだけ(笑)。

沢辺 家にお金は入れてる?

早見 少しだけ(笑)。

沢辺 五万以下?

早見 そうですね。ほんとに余裕があるとき以外は。

沢辺 給料日に渡すの?

早見 給料日以外に渡すこともありますけど、15日が給料日なので、だいたいその月のうちには渡します。

沢辺 親との約束はあるの?

早見 あります。1万円ですね。

沢辺 やさしいね〜。

早見 やさしいです。やっぱり姉のことがあるので、親はわたしをぎゅうぎゅうには締めつけられない、と感じていると思います。

石川 そういえば、姉ちゃんは大学へ行ったときは家を出たの?

早見 姉は、大学のときもやめたあともしばらく家にいて、そのあとフリーターをはじめてからしばらく家を出て。

沢辺 それで、男とできちゃった、と。

早見 そうですね。そのとき子どもができちゃったんですけど、仕事やめて家に帰ってきて。でも、子どもがお腹にいることをずっと隠していたんですよ。お母さんだけがそれに気づいていて。わたしも弟もお父さんもそのことに気づいてなかったんです。わたしは弟と一緒に「お腹大きくなってない? 太ったんちゃう?」みたいに言ってたんです。しばらくたって、姉から「子どもができました」と言われたんです。それがもう産むしかない時期のことだったらから、ダメとは言えず「がんばって」という感じで(笑)。

石川 そういえば、いまはもうその子も産まれてきたってことは、何人で寝てるの?

早見 いまは、高校のときとはちがう家に住んでるんですけど、あんまり間取りは変わってなくて狭いです。わたしは、お父さんがいま単身赴任で大阪に行ってるので、その部屋にひとりで寝ています。お父さんが帰ってくれば一緒に寝ますけど。それで、あとは、姉と甥っ子と母が同じ部屋に寝ていて、弟がちっちゃな部屋にひとりです。

沢辺 ひとり暮らししたい?

早見 したいです。したいですけど。姉が無理やり家を出ていったので、段階を踏みたいです。遊べるときに遊んで、貯めれるときに貯めて、という感じで。で、そろそろ貯金をがんばろうと思ってるときです。

沢辺 ルームシェアとかは興味ない?

早見 少し興味ありますけど、ストレスがたまるんじゃないかと思って。いまも、家族で、洗濯物干すタイミングでもめたり、お皿洗った洗ってないで言い合ったりするんです(笑)。

石川 じゃあ、家の手伝いをよくするんだ。

早見 あんまりしてないです。

石川 ごはんはつくれるの?

早見 一時期、兄弟で分担してつくっていたこともあったんですけど、いまはしていないですね。

沢辺 自分のパンツは自分で洗うの?

早見 そうですね。洗ってます(笑)。自分の洗濯物は自分でやります。自分のことは自分で、ということで。自分の食器も洗います。弟もそうです。ただ、ご飯をつくるのは自分ではなく、お母さんにつくってもらってます。

石川 そう言えば、弟さんは二浪生ということだけど、お医者さんになりたいの? 

早見 いえ、そういうわけではなく、どうしても行きたい学校があるみたいで。そこはそっとしておいてあげて、みんなで応援してます。

沢辺 そろそろ時間ということで。

石川 では、弟さんがんばってほしいね。合格をお祈りしています。きょうは長い時間ありがとうございました。

◎石川メモ

まわり道へのあこがれ

 早見さんが、「もうちょっとまわり道したほうがよかったんじゃないか」と言ったのは印象的だった。「好きなものをやってこそ仕事」、「夢を実現したい」と言って、こんがらがっている人もいれば、一方で、そのつど眼のまえの仕事に向き合って堅実に歩んでいるように見える早見さんみたいな人が、「まわり道」にちょっとあこがれている。
 でも、よくよく考えると、その「まわり道」へのあこがれというのは、「好きなもの」、「夢」をもつこと、ある意味で、「こだわり」をもつことへのあこがれ、というわけではなく、「まわり道」をすること自体へのあこがれではないかと思う。
 たとえば、ミュージシャンという夢に向かってがんばる、というのと、自分がこれになりたいという大きな夢はとくにないけれど、いろんな仕事に触れてみたい、いろんな世界を見てみたい、というのとはちょっとちがう。
 「なに者かになる」というあこがれと、「とにかくいろいろ触れてみたい、自分を試してみたい
というあこがれは、ちょっと質がちがうんじゃないかと思う。早見さんのいう「まわり道」というのはそういう自分を試すことを意味しているんじゃないか。
 いまのぼくは、「まわり道」にはもうあまり気持ちが向かない。たぶんそれは、自分のなかに「こうやって生きていくしかないんだ」という受け止めがあるからだと思う。でも、若いころを思い出してみると、「まわり道」へのあこがれはたしかにあった。いろいろ触れたい、いろいろ試したい、と思っていた。
 若い人のあり方を「好きなもの」「夢」というキーワードめぐって考えてもいいとは思う。けれど、今回、早見さんと話してみたら、そういうキーワードでは取り出せない、ただ遠回りしたい、いろいろ触れたり試したりしたい、そういう、自分の経験や機会を広げること、もう少し言えば、そいう時間がほしい、という思いも、見逃せないと思った。

バイトに注目すること

 アルバイト論ってあるのだろうか? ぼくはむかしとあるお菓子の工場の事務のバイトをやっていたことがあるのだけど、そこではいつも、現場でお菓子をつくる職人さんと受注を受ける社員さんとのあいだでケンカばかりだった。朝一番に、「こんなに注文をとってきたのか! こんなのできねぇ!」「しかたねぇだろ! 注文とってきたんだから!」の応酬。
 で、ぼくはそれにどうかかわっていたかと言えば、「あー、これが仕事というものか」と社会見学する傍観者だった。基本的に、心のどこかに「自分はいずれはここを出る部外者です」という気持ちがあった。ちょっと冷めた嫌なヤツとしてバイトにかかわっていた。だから、早見さんのように、バイトと積極的にかかわる気持ちがなかった。
 けれども、早見さんの言うように、バイトで学校では出会えない人に会える、とか、そこに承認関係があったり、ままごとではないほんもの感がある、ということもよくわかる。
 学生というのは、べつに学校に行っているだけではない。学校以外の世界に触れている。そういう学校外の世界の意味を見るために、バイトというのはかなり重要な要素になっているはず。

2011-03-22

第9回 ぼくは、ダンサーのなかではおしゃべりです──水野大介さん(23歳・男性・修士過程2年)

水野くんは1987年に関東の某県郊外で生まれ育ち、現在は数学を研究している大学院生(23歳)。就職もシステムエンジニア(SE)に決まり、修士論文も仕上げたところ。地元の公立中学に進み、高校は私立高校に猛勉強して受かる。中学時代からのめりこんだ「数学」、高校時代から夢中になった「ダンス」が水野くんのキーワード。
どんなエリートのどんな理路整然とした話を聞くことになるのか、とこちらも身構えたところがあったけれど、会ってみればそれはちがった。悩みながらも自分の思っていることをなんとか言葉にしようと、熱くおしゃべりするところが水野くんの魅力。
*2011年1月17日(月) 18時〜インタヴュー実施。

「ぼくはダンサーなので」

水野くんは大学院生であるとともに「ダンサー」でもある。でも、ダンスで飯を食っているわけではない。けれども水野くんは自分のことを「ダンサー」と言う。その「ダンサー」という言葉の使い方、自分の規定の仕方のなかには、文化ゲームが純粋なプロ以外に開かれた時代的な背景がある。

石川 いまなにをしていますか?

水野 大学院で数学の研究をしています。

石川 大学院生はこのインタヴューでははじめてです。日々研究をしてすごしているの?

水野 週3、4日、昼前ぐらいから学校に行って夜7時、8時ぐらいまで研究や作業をしています。またぼくはダンスしているので、学校が終わった後に、仲間と会ったり練習したりしています。大学4年生のときに足にケガしてしまってからは、ダンスは趣味程度にやっています。

沢辺 ダンサーって言うけれど、ようは趣味なんでしょ? サークルとかで?

水野 そうですね。大学の時にサークルに所属していましたが、基本的にはインディペンデントに色々な方と活動しています。ストリートカルチャーではそういう動き方をするダンサーが多いと思います。

石川 どういうダンスをやってるんですか?

水野 一般的に「ブレイクダンス」と呼ばれているもので、頭でまわったりするやつです。

石川 ダンスにプロってあるの?

水野 ストリートカルチャーと言うだけあって「ダンスのプロ」という決まった肩書きはないです。色々なダンサーが色々な場でアウトプットしているので。ぼく自身もテレビやプロモーションビデオに出たりしてお金をもらった事もありました。

石川 テレビやプロモではお金をもらえたんだ。 

水野 もらえたりもらえなかったりですけど、多くて一日5000円くらいでした。 

石川 でも、まあ、基本的には趣味でやっていた、ということなんだよね?

水野 そうですね。

沢辺 こういうこと言うとおじさんくさいかもしれないけれど、いまはプロとアマが溶け合っちゃってると思うんだ。それで、こういう言い方はあまり好きではないし、あえて線を引く必要はあるかどうかは微妙なんだけど、俺たちの時代は、プロアマの基準は「それで飯を食えているかどうか」だったんだ。
でもいまは、プロアマの基準は溶けている感じがする。いい悪いは別として。たとえば、いまは、食えてない役者見習いでも「役者です」って言ってもいい。
こうなった理由にはいろいろあると思うけれど、たとえば、哲学者の竹田青嗣さんによれば、いまの経済ゲームの社会は、文化ゲームの社会にだんだん移行していく。極端に言えば、ロボットが労働して、人間は文化ゲームだけやっていればいい時代がやって来る。これは徐々に移行していくことで、いまの日本は文化ゲームの比率が高まってきている移行期と考えればいいと思うんだ。
それで、この移行とプロアマの溶け合いのことを考えるには、日本の田舎にむかしからある伝統芸能のことを考えればいいと思うんだよ。たとえば、日本にはもともと祭りで神様に奉納する薪能(たきぎのう)というのがあった。これは、べつにこの能で飯を食っていたわけじゃなくて、たぶん、農閑期にみんなで練習して演じあっていたと思うんだ。この場合は、生産活動をやったうえで文化ゲームをやっていた。そのあと、出雲の阿国のようなひとが出てきて、芸能で飯を食う人が現れた。これがさっき言った芸能で食っているプロ。でも、それがいまは、ある意味で昔にもどって、百姓をやりながら文化ゲームをやっている。こういう理解を俺はしている。これが最終的に百姓をやらなくてよくなると文化ゲームだけが残る。
それで、いまはこの移行期だと思うんだ。文化ゲームをやるのは完全なプロだけじゃない、というところまで来ている。だから、そのことが、それで食っていなくても「役者です」、「ダンサーです」って言えるような、いまの若い人の言葉のなかに出ているんだと思うんだ。

石川 ということは、水野くんも最初からプロになろうと思ってダンスをやっていたわけじゃないんだ。

水野 そうですね。知り合いにもプロアマ問わずダンサーの方、アーティストの方、デザイナーの方がいますけど、そこで「パフォーマンス」と「エンターテイメント」の違いとかを議論する事があるんです。ぼく自身、ダンスをお金に換えようという考えではやっていませんでしたし、パフォーマンスとして、ぼくにしかできない価値をアウトプットして、後から続いてくるダンサーに影響を与えたい、という想いが強かったです。ぼくが価値を置きたかったのは表現者としてのダンサーでした。
一般的に社会的な価値、お金に換わる価値というのはある意味「わかりやすい」ものじゃないですか。その一般の方たちの価値とダンサーの世界の中での価値は少し違っていると思うんです。
ぼくは純粋に自分が魅力を感じたものをアウトプットしたい。これがアートとかパフォーマンスの根源だと思うんですね。このアートやパフォーマンスで生まれた価値を、社会的な価値にもっていくのがエンターテイメントと言われているものだと思ってます。このもっていく人たちをエンターテイナー、プロフェッショナルといえると思うんですね。そういう人たちは、恐らくそこまでダンサーの世界に影響を与えるわけではないと思うんですけど、一般の多くの人たちに影響を与えていると思います。けれど、ダンスの大元はアートやパフォーマンスの中の文化的な価値にあると思ってます。それでぼくたちは、それらを社会的価値にもっていく前の、ただ遊びであったりする純粋な表現を重視したいんだと思います。

「エンターテイナーと呼ばれている方たちとは、価値観が少し違うと思うんですね。もちろん、あいつら金だけだ、などと批判するのは頭の固い言い方だと思いますけど・・・・・・」

水野くんはダンスに「エンターテイメント」と「パフォーマンス」の区別をもうける。でも、この区別ってどれほど妥当なものなのだろうか。この区別の裏にある水野くんの気持ちをめぐって、話は「ほんものさ」まで進む。

石川 では、エンターテイナーに対して、水野くんたちはなんと呼べばいいの?

水野 パフォーマーだと思います。エンターテイナーと呼ばれている方たちとは、価値観が少し違うと思うんですね。もちろん、あいつら金だけだ、と批判するのは頭の固い言い方だと思いますけど、それでも、例えば芸能界で有名なダンスタレントにダンスを習っていて、それを「ほんもののダンスだ」と言うのは違うと思うんですね。

沢辺 さっきは、「経済ゲームから文化ゲームへ」と肯定的にとらえたけれど、でも、いまの水野くんのもの言いには抵抗を感じるな。「なんでそんなにつっぱるんだよ」と言いたくなる感じ。だってそれって昔とおんなじじゃん。これは昔の話になるけれど、フォークやロックの歌手がテレビに出ると商業主義だと馬鹿にされたんだ。水野くんの言っているのはそれとおんなじかたちだよ。たとえば、吉田拓郎がレコードがいっぱい売れたとき、その売れたっていうことだけで否定された。吉田拓郎が日比谷野音に出たとき、みんなで「帰れ! 帰れ!」って合唱したんだ。いまの言葉で言えば「ブーイング」なんだけど、水野くんの言っていることはそのブーイングとおんなじじゃん。そういうふうに感じるんだ。

石川 水野くんのストリートカルチャーって、アンチとしてのストリートなんじゃない?

水野 いや、ぜんぜんアンチということは考えていません。価値観というのはみんなそれぞれで……。

沢辺 いや、水野くんは「ひとそれぞれ」って言うけれど、ほんとにそうは思ってないんじゃないか? 俺はそういう感じがするんだよ。「エンターテイメントに行っちゃった人はダンサーに影響を与えていません」って、俺だったら「ほんとうにそうか?」と思うんだよな(笑)。そこにはどこかやっぱりアンチの気持ちがあって、吉田拓郎に「帰れ!」って騒いだ昔とかわんない気がする。ほんとに「ひとそれぞれ」だったら、どんなことやってもいいわけだよ。もちろん、だれも人を殺しちゃいけないっていうのはあるけれど。でも、ほんとに「ひとそれぞれ」だったら、「エンターテイメントの人たちは〜」なんて言わないと思うよ。「ひとそれぞれ」を貫徹できてないんじゃない?

水野 それ、貫けてないと思います(笑)。それは断言できると思います。ぼくの周りでも「ダンスはひとそれぞれ」と言っておきながら、批判的に言っちゃったりとか。でも、それも大事だと思っているんです。やはり「こういうのは好き」、「こういうのは嫌い」という感性は常に自然に意識の中にあって。パフォーマーの立場から言うと「ひとそれぞれ」と達観してるだけではいざ自分が何を表現したいか、ってなった時になかなかうまくいかない所があるんです。

沢辺 これは哲学的問題だと思うよ。つまり、石川くんの言っている「ひとそれぞれ」と「ほんとう」のこと。水野くんはその間を行き来している感じがする。

石川 水野くんは「ひとそれぞれ」って受け止められたら楽かもしれないけれど、やっぱり「ほんもの」ってあるだろう、という感じ?

水野 いや、ぼくはほんものはないと思っています。

沢辺 そこは国語辞典のちがいだと思うよ。石川くんの言う意味での「ほんもの」っていうのは、唯一無二の絶対的なもの、という意味じゃないと思うんだ。

石川 「いいもの」ととってもらっていいよ。

水野 まあ、そういう意味で言えば、ほんものはあると思います。誰にとっても、ではなく、自分にとってのという意味で。

沢辺 いや、「ほんもの」とは、自分だけのものではなくて、「妥当性が高い」ということなんだ。たとえば、ゴッホの絵は、俺はいいと思っている。しかも、誰にとっても、それから、時間軸を超えて忘れられていない、ある種のほんものさがあるはずなんだ。だから、「ほんものさ」というのは、ただたんに「ひとそれぞれに好みがある」だけじゃなくて「ひとそれぞれを超えたところのほんものさ」っていうのがあるんだよ。もちろん、「ここから先がほんもの」という線引きがはっきりされているわけじゃなくて、グラデーションになっている。それを決めるのが、多くの人によいと認められることと時間軸なんじゃないか。妥当性の高さというのは絶対的なものじゃなくてグラデーションになっている。俺はそう思うんだ。

水野 お話を伺うと、ぼくは今までにその中で残った結果が、つまり伝統がほんものだと思いますね。けれど、ストリートカルチャーにはまだ伝統と呼ばれるものがあまりなくて、本当にシビアで、いいと思ったものでもすぐに捨てられて忘れられてしまう事もあるんです。

沢辺 ほら、やっぱり、「ストリートカルチャーはシビア」ってなっちゃうんだよ(笑)。そういうところに俺は「?」ってなっちゃうんだよな(笑)。俺は、ストリートカルチャーも、伝統のあるお能も、どちらもシビアだと思うし、同時にどちらにもいいかげんなところもあると思うよ。

水野 すいません(笑)。ぼくは「伝統」というものが「昔からあるものを無条件に正解にしている」ように感じるんです。ストリートカルチャーでは、今までのものを否定して、まったく新しいものが出てくる事もあるんですね。ほんとに現場現場の感じがすごくて。「いいと言われてきたものよりも、その瞬間にいいと感じたものを信じる」という現場感がこのアートの特徴だと思うんです。それから局所性というのもストリートカルチャーの特徴だと思っています。この駅とあの駅は距離的には近いのに、やっている事、考えている事は全然違うという事があるんです。でもやっぱり、昔からの伝統というのも残っていて。色んなダンスや考え方が淘汰されていく中で、それでも残っているものは残っているんです。

石川 ということは、言いたいことは、ストリートカルチャーにも沢辺さんの言っていた「ほんものさ」というのは残っている、ということ?

水野 そうですね。

石川 そういうストリートカルチャーの「ほんものさ」に納得する水野くんがいるのはわかりました。でも、なんか繰り返しになってしまうけれど、そういう自分たちのアートやパフォーマンスのなかの「ほんものさ」の外側にある、エンターテイメント、たとえば、芸能界で活動しているダンスタレントなんかはちがうんじゃないか、と思う気持ちもある?

水野 そういうのはないですね。一概に悪い、という気持ちはありません。ただ、ほんとにフィーリング的な部分で、ダンサーとして見てしまうと「ちょっとな」という感じはありますけど(笑)。

「やわらかい論理性を表現する数学構造を作り出すことです」

ここでは水野くんが専門にやっている学問=論理学の話。話は、「やわらかい論理性」というのはどういうものか、そういうところから、水野くんが感性を論理化する論理学に進んでいった動機にせまっていく。

石川 さっきはダンスの話が中心だったけど、専門の勉強はどういうことをやっていますか?

水野 数理論理学という分野です。数学の基礎となる一階述語論理をベースにした新しい理論の研究をやっています。もともと数学は中学の頃から独自に勉強していまして、高校の頃に理学書を読んでいて、19〜20世紀の論理学の歴史にはまっちゃったんです。それで大学でも4年間、自分の好きな論理学の勉強をやっていました。でも、大学の授業ではなく自分で勉強してたんです。そのうちに数学や論理学の中でも自分のやりたい方向性がわかってきて、大学院は、別の大学に移り、自分のやりたい事を専門にやられている方の研究室に入りました。

石川 そこで、なんだけど、水野くんのやっている論理学をわかりやすく説明してもらえませんか?

水野 やわらかい論理性を表現する数学構造を作り出すことです。

石川 やわらかい論理性って?

水野 たとえば、さっきのストリートカルチャーといった「文化」だったり、人間の「感性」だったりっていうのは、曖昧で漠然としていて捉えにくいものですが、何らかの共通の「性質」をもっていますよね。ぼくはそれを「やわらかい論理性」と呼んでいて、数学や論理で表現しようとしているんです。例えば、ふつうの意味では、人の感性はかなり論理的ではないじゃないですか。もし論理的だったら、なにが好きでなにが嫌いか因果関係がはっきりするはずです。けれども、感性はそういう単純な因果関係で表現できない。そこで、局所的な論理構造をつなげることでそれを表現しようとしています。

石川 うーん。たとえば、その理論はどういうふうに応用されるの?

水野 ぼくのやっているのはその応用の提案なんです。ぼくは人間の感性に興味があるんです。たとえば、ここにあるこのコップ、ここにこのコップがあることは誰でもわかること、つまり客観的な情報です。でも、これが「赤い色である」ということは、色の識別が困難な人にはわからなくて、ぼくの頭にあること、つまり主観的な情報だと言えるんです。それから、そのように色の識別が困難ではない人同士でも、同じ色でも、たとえば、Aさんは赤っぽいと感じているのに、Bさんはオレンジっぽいと感じたり、感じ方が違うわけです。これが感性なんですけど、この感性に関して、Aさん、Bさんそれぞれにみんな自分の頭の中だけの主観的な論理ができているんです。

石川 簡単に言うとこういうことかな。赤い感じってなにかな、ということを考えたい?

水野 そうです。このコップが赤いということと、このコップを赤く感じるという情報にはギャップがあるわけです。このコップが赤いというのは客観的な情報としてあって、このコップを赤く感じるということは主観的な情報なんです。

沢辺 だけどさ、そもそも、ここにこのコップがあるっていうことが、客観的な事実としてあるっていうのは証明できるのかな?

水野 「証明できる」ってなんですかね?

石川 沢辺さんのおっしゃることはよくわかります。哲学では、そもそも客観的なものってなんなのか、そういうものはありうるのか、ということを問題にしたりします。けれど、たぶん、水野くんの学問は、とりあえず客観的な事実があることは前提としているんじゃないのか。それで、客観的な事実は物質の法則といった論理性として取り出せるが、主観的な感性や感じ方といったものもある論理性でコード化して取り出せるんじゃないか。そういうことを水野くんはやろうとしているんじゃないかと思うんです。

水野 前半はおっしゃっていただいたとおりで、ありがとうございました(笑)。後半のコード化というのは少し違って。しかし、とりあえず、ぼくの研究では客観的な世界と主観的な世界があるということを前提にします。その哲学的な裏づけは特にはありません。主観的な情報同士を繋げるというのがぼくのやりたいことです。

石川 それをどういうふうに論理で語るの?

水野 たとえば、Aさんはシックで都会的なコップがいい、Bさんはシンプルでアーチスティックなコップがいい、ということがあって、それは言葉の表現はちがうけれど、じつは同じことを言っている可能性があるじゃないですか。

石川 それを論理式であらわすの?

水野 「もしどうでどうならば、どうだ」という因果関係の形であらわします。条件と結果であらわすんです。

沢辺 それ、さっき俺が言った、たとえば「ほんとう」という言葉についてそれぞれがもっている国語辞典と同じじゃないの?

水野 そのとおりですね。

沢辺 俺のイメージだと、ある言葉についてみんながそれぞれもっている辞典のなかで、共通の部分を数学的論理記号で確定していく。そんな感じ?

水野 確定ではなく、それぞれの局所的な世界における論理式で表現し、共通の部分はその繋がりで表現するんですね。たとえば、さっきの例で言うと、Aさんが「シックで都会的」と言っているのはBさんが「シンプルでアーチスティック」と言ってる事とつながる。では、Cさんはどう言うのか。そういう論理性を比較していくって感じですね。

石川 すごくざっくばらんに言えば、感性はひとそれぞれだけど、どこかにつながっているものがあるんじゃないか、という感じかな? すごく複雑な話だけれど、さっき出た、みんなそれぞれの価値観があるけれど、ダンスにはやっぱりほんものがある、とするのに考え方としては似ているのかな?

水野 そうですね。

沢辺 ただ、ちょっと気になるのは、たとえば、俺の理解で言えば、石川くんが哲学をやりたかったのは、自分に対する苦悩とか、うじうじしないようになりたいという動機があって、そこに哲学というものは役に立つんじゃないかなと思ったはずなんだけど、水野くんはその論理学を使ってなにをやりたかったのかな? そういう疑問が残るわけですよ。もちろん、なにもそういう動機はない場合だってあると思うんだけど、そのあたりはどうですか?

水野 最初は数学がただ単純に好きだったんです。けれど自分が論理や基礎論という、数学でもマイナーな分野に興味を持っていくようになると、自分はなんでこんな事に興味があるんだろう? と考えるようになったんですよ。それで、結局、構造というのが好きなんだなと思って。何でも抽象的に考えていくことが好きだったんです。ぼくは数学ではなく、ものごとの論理性に興味があったんだと気づいたんです。
それで、なぜものごとの論理性に興味を持ったかを自分なりに考えてみたんです。すると、ぼくは昔から他人と感覚が違うことが多かったんです。自分が感じていることを他人は感じていない。他人が感じていることを自分は感じていない。そういった感じです。なんで自分は人と違っちゃうんだ、なんで違っちゃうんだ、と考えていたんです。論理学はその思いをどうにかしようとして興味をもったんだと思います。論理というのは、だれの脳内にもある共通の構造だと思うんです。これまで感性というのは論理的に扱えないといわれていたけれど、そこにもやわらかい論理があるんじゃないか。感性は違っても、じつは他の感性とつながりを表現する事で、例えばその同一性が表現できるんじゃないのか、そう思ったんです。

「数学を好きなぼくはみんなには変人扱いされ、「お前、気持ち悪いな〜」って言われてたんですよ」

水野くんは、自分の価値観とまわりの人間の価値観とのちがいに悩む。数学にのめり込むようになると、このちがいは顕著に。水野くんは「数学好きの気持ち悪いヤツ」とまわりから思われる。けれども、これはある意味で、数学はすごく「できる」のだから、持てる者の悩みなのかもしれない。話は、持てる者の悩みと持たない者の悩みに進んでいく。

石川 さっき、「自分が感じていることを他人は感じていない、他人が感じていることを自分は感じていない」という話があったけど、具体的に言うとどういう子どもでしたか?

水野 ずーっと「へんだ」、「へんな子」だと言われていました。

沢辺 世間の言い方で言えば、「天邪鬼」ということだと思うけれど?

水野 そうですね。

沢辺 天邪鬼ってマイナス的なイメージだと思うけれど、それをなんとか肯定したかった?

水野 自分の中で自分を苦しめるのは対人、価値観だったんです。なんだか自分が全くこだわってないことで怒られたり、怒鳴られたりして。自分の価値観と他人の価値観とがちがうのが不思議でしょうがなかったです。そういう意味で、ぼくはずっと「変」って言われて。そういうふうに言われることはイヤなことだと思っていたから。

沢辺 でも、ほんとにいやだった? おれの勝手な感じだけれど、50%はいやだったかもしれないけれど、35%ぐらいは「そんなぼくが好き」だったんだと思うんだ。そういうのがまじりあった「イヤ」だったんでは?

水野 いま思えば、そうでしたね(笑)。

石川 「怒鳴られた」って言ってたけどなんで怒鳴られたの?

水野 いっつも怒鳴られてましたね(笑)。たとえば、友だちにいたずらとかして……。

沢辺 じゃあさ、質問をずらすと、「ほかの人はこういう価値判断しているけれど自分はちがう」という例はなんかなかったの?

水野 やっぱり、数学でしたね。中学生のときから高校の参考書とか大学の理学書を読んでいたんですよ。

沢辺 かっこいいじゃん!

水野 (笑)ぼくの中学校はとても田舎で、周りの友達もあまり勉強には興味はなかったんです。それで、数学を好きなぼくはみんなには変人扱いされ、「お前、気持ち悪いな〜」って言われてたんですよ。

沢辺 俺だったら、天狗になってると思うけどな〜。だって数学だもん。

水野 いや、でも、数学ですから。やっぱりみんな数学嫌いじゃないですか。

石川 でも、そういう自分がかっこいいというのはあったんでは?

水野 それもありますね。先生はほめてくれたんですよ。でも、ガリ勉イメージがいやで、自分は数学好きでももっと面白いヤツになってやるぞ、と。

沢辺 俺はね、そういう他人とちがうものをもっている子どもは幸せだと思うんだ。俺自身も含めてそうだったけど、同級生を見てみると、運動もできない、勉強もできない、クラスで笑いをとる人気者でもない、二枚目でもない。そういうやつがいるわけだよ。そいつの困難を考えると、数学できてバカにされて困難です、というのはほんとに困難かよ、って思えちゃうんだよね。

石川 まあ、持てる者の困難、持たざる者の困難、という話になると思うんです。持てる者が困難を持つことはあると思うんですよね。

沢辺 たとえば、王女さまが「自由じゃない、街をぶらつけない」という悩みを持つことがあるかもしれないけれど、俺は「それはお前、贅沢な悩みだろ〜」って思っちゃうんだ(笑)。これは妥当性欠いてる? それとも等しく同じ?

石川 等しく同じだと思います。

沢辺 ああ、等しく同じかも。ただ、俺の美意識から言うと、王女さまが自分から困難を語るな、という点に重きがあるかな。「数学ができる」といういい条件をもっている人が、自分から困難だと言っちゃいけないでしょ、っていうかさ。

石川 沢辺さんの言いたい美意識はよくわかります。でも、明らかにへこんだ持たざる者、社会的な条件のよくない者しか困難を言ってはいけない、となるとちょっとちがうんじゃないかと思うんですよね。もちろん沢辺さんはそういうことを言っているわけじゃなくて、持っている者、ふくらんでいる者が自分から苦しみを言うのはかっこわるい、と美意識の問題を言っている。でも、「明らかに持たざる者、へこんだ者しか困難を言っちゃダメだ!」となると、考えるゲームに入場制限をつけちゃっている感じがするんです。だから、こういう考えるゲームでは、苦しいことは等しく言っていいと思うんですよね。それに、もしかして、持たざる者の困難さと持てる者の困難さは、事実としてはまったくちがうものでも、かたちとしては同じもの、どこか共通するものがあるのかもしれない。その可能性があるとぼくは思っているから、困難の入場制限はしないほうがいいと思うんです。

「学校が終わったら毎日塾に行って終電(11時ぐらい)に帰る、というようなことをしていました」

水野くんは、大学に進学するまで、牛や鳥を飼って農業をやっているおじいさん、おばあさんといっしょに住んでいた。小学生の頃は、おじいさんのお手伝いで牛の世話もしていた。お父さん、お母さんはともに教職に携わっている。男三人兄弟の次男で兄と弟がいる。すべて理系。ここでは中学生までの水野くんの様子が語られる。

石川 漠然とした質問だけど(笑)、どんなふうに育てられたの?

水野 漠然としてますね(笑)。とにかく過保護でしたね。とにかくお母さんがものすごく子育てに一生懸命なんですよ。非常勤の先生をしながら、塾の送り迎え、習い事の送り迎えと、とにかく一生懸命育ててくれたんです。

石川 お兄さん弟もみんなそう育てられたの?

水野 そうですね。

沢辺 ちなみに、塾はいつから?

水野 公文を五歳ぐらいからやっていました。なんとかいい環境を、ということで、習い事もやらせていただいていました(笑)。剣道、習字、そろばん、英語塾など。

沢辺 じゃあ、教育費かなりかかっているね?(笑)

水野 ほんとにひどく大変だったと思います(笑)。比較的勉強ができた事もあって、ぼくとお兄ちゃんはちょっと大きい町の塾に行かせていただいてたんですけど、そんなに勉強が好きではなかった弟は地元の塾に行きました。

沢辺 そういう意味では原理的なスパルタお母さんではないんだね。

水野 すごいやさしい、やさしいと言うか、ぼくから言わせたら、倫理的にも教育的にも神様のような人だと思っています(笑)。

石川 お父さんは?

水野 父は働いて外に出ていましたけれど、はやく帰った日には料理をつくってくれたりして、家庭的にはほんとにめぐまれていると思います(笑)。

石川 兄弟は誰もグレなかったの?

水野 言っちゃえば、ぼくが、高校のときダンスをはじめて(笑)。田舎では駅前で踊っているだけで変な目で見られることもあるので(笑)。

石川 夜遊びもしていた?

水野 そうですね(笑)。クラブにも行ってたんで。

石川 高校はどういう高校でしたか?

水野 県内の某高校です。

石川 電車の塾の広告で「何人合格しました」と書いてある学校だ。じゃあ、受験大変だったんだね〜。

水野 そうですね。かなり勉強をやりました。学校が終わったら毎日塾に行って終電(11時ぐらい)に帰る、というようなことをしていました。その塾には、ものすごく勉強ができて、はっちゃけた友だちがいて塾に行くのは楽しかったです。頭いい子たちに刺激をうけて、勉強が好きになって、数学が好きになりました。小学生の頃は、算数にはぜんぜん興味がなく、縄跳び、一輪車など運動が好きでした。

沢辺 じゃあ、塾の仲間は、勉強ができるだけじゃなくて、バンドとかでも、知ってる人は知ってる、アンダーグラウンドなものを聴いてて、そんなことをお互い話したりする、ちょっととんがった仲間だったんだ?

水野 あっ、いや、塾の子たちは普通のいい子たちで「高校に行ったらなにをする?」と話し合えるような仲間でした。むしろ、ぼくの通っていた中学が全体的に子供っぽかったので。

沢辺 そういう中学のまわりの子が物足りなかったと?

水野 いや、そうでもなく、ぼくも中学でふざけてました。ただ、塾へ行って普通に将来のことを話せる仲間がいる、と初めて知った感じです。実際、塾ではなく学校では、ただみんなと一緒に騒いでいるだけで、友達という友達はいなかったです。

石川 学校では、さっき言っていたまわりとの価値観の齟齬はあったの?

水野 市の授業でオーストラリアでホームステイさせてもらえる機会があったんですけど、ぼくはそれに興味があったのに、みんなそういうのに全く興味をもたなかったり。それから、思いっきり下品な話になりますけど(笑)、教室でAV流したり、下半身裸になったり、とか、そんな誰もやんないようなことをやってたのがぼくです。

石川 えっ? 水野くんが?

沢辺 おれは、その感じけっこうわかるな。みんながよしとすることに無関心で、逆に、ことさら過激なこと、人が嫌がることをしたりすることが同居しているのはあるな。それでいて、塾ではまじめに将来のことを話している、というのもわかるよ。

水野 塾ではふざけていませんでしたね(笑)。中学では「こいつバカだ」と思われるようなことをしていました。

石川 おれを笑っている「お前らバカだ」みたいなことはなかった?

水野 それはなかったです。ただ楽しかったです(笑)。

「その人はすごい人で、ヒップホップカルチャーを日本に広めた人の一人なんです」

高校の話から、話題はもう一度ダンスへ。ダンスとの出会いから、「ヒップホップカルチャー」の「カルチャー」という言い方をめぐる議論へ。

石川 それで、高校ではどうだったの?

水野 田舎者でした。東京から来た学生も多いし、クラスの三分の一は帰国子女とかで。

石川 シャレてるね〜。

水野 そうです。そんな中で中学で下半身出していたようなぼくは田舎者で(笑)。

沢辺 そういう意味では水野くんが行っていた中学は、荒れてた、というか、へんな中学? 社会的な乱れで言えば、暴力、ゲームなどの遊びすぎ、セックス、が一般的な乱れだと言えるけれど、そのあたりは学校ではどうだった?

水野 暴力はまったくなかったです。初体験率も恐らく低かったです。みんな比較的精神年齢が低かったので。でも、卒業してから出会い系をやっている子はいましたね。

沢辺 教育熱心なお母さんがよくそういうところに行かせたね。

水野 近くに学校がなかったもので(笑)。

沢辺 それで、中学は何部だったの?

水野 剣道部でした。剣道部には高校でも入りましたが、ダンスを初めてからやめました。

石川 そのダンスをはじめたあたりから、さっきちょっと言ってた夜遊びもはじまったんでしょ?

水野 でも実際は、かなりまじめな気持ちでしたね。色んなダンサーから刺激を受けたいというのが目的でした。

沢辺 ナンパはしなかったの?

水野 ナンパは全くしなかったですね(笑)。酒は飲みましたけど。クラブと言っても色んな人が出会うパーティーではなく、ダンサーがお互い踊り合って、楽しむといったイベントだったので。

沢辺 セッションだよね。

水野 そうですね。

石川 ふだん、町で大きなガラスのあるところで踊っている人を見かけるけど、ああいうことはやった?

水野 一生懸命やっていました。駅で練習したり、師匠のやっているダンススクールに行ったり。

石川 師匠というとどういう人?

水野 高校の同級生を介して知りあった方なんですけど、その人はすごい人で、ヒップホップカルチャーを世界に広めたクルーの一人だったんです。その日本支部みたいなのに所属してた人で、その人にダンスを教えてもらったのをきっかけに、イベントに遊びに行くようになったり、色んなダンサーの方々とも知り合いになりました。

沢辺 いま「ヒップホップカルチャー」って言っていたけど、「ヒップホップ」というと、アメリカの貧乏な黒人のもので、「カルチャー」という立派な言葉よりも「金を稼ぐための道具」とか「ビッグになる」とか「貧困のうさばらし」とかと結びついているような感じがする。あくまで俺の受け止めだけど、それを「カルチャー」って、日本でしか言ってねぇんじゃないの? そういう気がする。本場では、「不良性」とか「縄張り」とか「チーム」とか、そういうものにヒップホップは結びついているんじゃないかな?

水野 ほんとにそうなんですね。ヒップホップは貧困層の人たちがレコードをこすりあって、ハッパやって、酔っ払って、「やってやろうぜ」という勢いで始まったものらしいので。アフリカ・バンバータというスラムのカリスマが「縄張り争いとか、いろいろ抗争があるけれど、暴力ではなく、ダンスで決着つけよう」と提案したんです。そこからダンスでバトルというのがはじまったんです。そこには「絶対相手の体にさわっちゃだめ」、「さわったら即負け」というルールがあるんです。スラムの方たちの日常からはじまったのがヒップホップなんです。

沢辺 そういうのを根拠として考えると、そこに過剰に「カルチャー」をつけるのはかえってダサくないか? という気持ちがあるんだ。こう言い方も古いかもしれないけれど。もちろん、彼らには敬意を表するよ。新しいルールをつくることはとても大変なんだ。話がずれてしまうかもしれないけれど、今でも東京都の漫画の規制をめぐって、漫画家たちは反対している。けれど、反対はするけれどルールひとつつくれない。そういう意味で、「殴るのはやめようよ」という新しいルールをつくりだした彼らはそれはそれでものすごいことをしたと思う。けれど、それを日本にもってきて、「カルチャー」と言ってるのはなんか違和感があるんだな〜。これはダサくて例として適切じゃないけど、たとえば日本でも「仲間を大切にしよう」とか、そういう新しいルールを生み出せればすごいと思う。でも、日本のヒップホップは生み出せていないんじゃないかな? それを「カルチャー」という言葉で過剰に大きくするのは、違和感あるよ。俺は。

水野 それはそのとおりだと思います。でも、そういう人ばかりでないと思います。

沢辺 でも、たとえば、さっき、ストリートカルチャーは局所的で、「なになに線のなになに駅は、そこの駅独自のダンスがある」みたいな話があったけど、それって、「その駅にはその駅の流儀がある」ってことだと思うんだ。でも、それって、「なになに流はこの流儀」といった、昔からある日本的な家元制にヒップホップをかぶせているようなもんだと思うんだ。俺はもちろん、家元制には家元制のいいところもわるいところもあると思っているんだけど、「なになに駅の流儀」っていうのは、みずから新しいルールを生み出すことに力点を置いた言い方ではなくて、そこにすでにある流儀や権威にのっかってるだけなんじゃないかな? ベースにある古臭いルールを若いやつらがありがたがっていいのかよ、と俺は思うね。いまのお笑いも同じで、あいかわらず、古臭い先輩後輩のルールをありがたがっている。

水野 たとえば、秋田とか熊本とかから、ドカーンとくるショックが東京のほうに来ることがあるんですよ。秋田からあるグループがやってきて、東京で昔から築きあげられてきたものに衝撃を与えるんです。ぼくはそういう方がいいんですよ。今までにあったかっこよさを目指して、というのもいいですけど、クリエイティブすぎて「なんだこれは!」というのが好きなんです。すでにあるものと新しい価値観がどう作用し合っていくかというのに興味あるんです。

「ぼくはダンサーのなかではおしゃべりです(笑)」

水野くんはダンスについて語る。でもその語りのなかにあるものとはなにか。話は「ヒップホップカルチャー」から「文化」や「社会」というものを水野くんがどう受けとめているかについて進む。

石川 そうか、うーん、観点が変わってしまうかと思うので、こう言うのもあれだけど、水野くんの仲間は、ヒップホップとはなにか? みたいな議論してるんだね。

水野 そうですね。「自分の立ち位置を考える」というのと「周りの人はなにを考えているかを知る」という意味で、ぼくはそういう話をするのが好きです。

沢辺 ダンスするのも話すほうも好き、という感じかな?

水野 あまり比べることもできないと思いますが、ぼくはダンサーのなかではおしゃべりです(笑)。

沢辺 若いやつはなにも考えていない、とか、適当に生きている、という言われ方をすることが多いけれど、たとえば、水野くんたちのヒップホップのように、ちがうことで大いに語っているような気がするわけよ。ただ、これはおれの偏見かもしれないけれど、おれの言い方からすれば、それはいままでのことを拒否してヒップホップに逃げ込んでいるわけよ。

石川 いままでのことを拒否して?

沢辺 たとえば、どうやって生きていくか、とか。そういうことは話さないで、ただ、線を引いているだけのように感じる。繰り返し、ニューカルチャー、カウンターカルチャーなどは起こっているし、それに、いまはそれが細分化されている。けれど、そこでやっていることはむかしと同じだと思う。「俺たちのこれはお前たちのこれとはちがう」という線をただ引くだけ。その線を引いた自分たち自身のあり方を問うたり、新しいルールを生み出したりはしない。
たとえば、水野くんの知らないむかしの例しか思いつかないけれど、むかし、全共闘の時代に、前衛演劇というのがあったんだ。それは、「既存のものをぶちこわす!」と言ってはじまったんだけど、その後、いま残っているその劇団は家元制みたいになっている。絶対服従みたいになってる。むかしの興行師の世界みたいになっている。これはくり返し同じ。「ケンカはやめようぜ」といった新たなルールはまったくつくっていない。
水野くんが話したことをもとに言うんだけど、アメリカの黒人は、その前、つまり、「同じ黒人同士で殺しあうのはもういやだ」ということを踏まえた上での新しいルールになってる。けれども、日本の場合は、前のベースになるルール、家元制というか封建制というか絶対服従みたいなことはもういやだ、という感覚からスタートしたくせに、じっさいは、新しいルールも生み出せずに、前の段階に逆戻り。だから、前の段階をしっかり検証していないんじゃないか? 前の段階の問題が踏まえてないじゃん。

石川 それは、さいしょに話した、アンチとしてのストリートという話に重なりますね。一見すごく新しいものに見えるけれど、ただ、昔のアンチを繰り返しているだけで、じっさいその内部では古臭いルールが残っている、という話だと思います。自分たちのアンチのあり方はせせこましいんじゃないかという検証も必要だし、同時に、新しいルールを生み出せているかどうか、「既存のものをぶち壊す!」と言っている裏で局所でまとまってあい変わらず封建制みたいなルールでやってるとしたら、それはやめたほうがいい。だから、ある意味で、「ほんもの性」をアンチや自分を守ることに置くんじゃなくて、より多くの人に開いて、新しいものをつくりだすほうに向ける、というのが重要だと思います。
けれども、水野くんのこれまでの話っぷりでぼくが逆に面白いと思ったこともあります。ぼくの感想で言えば、「こんな熱いこと話してるとは思わなかった」です。ぼくはむしろ、「ダンスは趣味でいいじゃん、たのしければいいじゃん」とクールな受け止めをしていると思っていたんです。

沢辺 ネガ、ポジじゃないかな。それはひとつの状態が沈黙かおしゃべりに向いているのではないかと思うね。たとえば、これまでインタヴューしてきた子たちのなかには、「ひとそれぞれ」でいいんじゃないですか、とクールに受けとめていた子もいる。一方で、水野くんみたいな人もいる。じつは、この二つは一セットで、この両方を見てはじめて、「希望あるじゃん」と思える。

石川 わかります。「ほんもの」は「ない」として「ひとそれぞれ」でクールになるか、ちょっとアンチ気味であっても「ほんもの」は「ある」として、それはこうなんだ、ああなんだ、とわーっとおしゃべりする。でも、この二つはほんとうはセットなんだ、ということですね。ぼくはまだ詳しくは展開できないけれど、この二つの思いにお互い妥当なところを見つけるのがいまの時代の希望なんだ、ということははっきりわかります。ところで、おしゃべりの話が出たので、水野くんの「カルチャー」っていう言い方もすごく熱くて輝いている理想の感じがするのだけれど。

沢辺 水野くんは、社会とか文化という言葉って好き?

水野 大好きです。

沢辺 そういうのは水野くんの国語辞典的にはどうなるの?

水野 ぼくの中でのカルチャーというのは、少し抽象的で「インプット」と「アウトプット」、そして人の「価値観」で説明できるものと思っています。なにかしら自分の持っている「価値観」を通じて物事から魅力や刺激を感じて、それを自分の中で表現に変えてアウトプットしていく。このアウトプットされたものが、また人に影響を与えていく。その影響を受けた人がまたアウトプットして、といった具合に、文化というものは人の価値観を媒体にわーっと広がるものだと思います。

石川 社会は?

水野 社会というのは文化の上の共通の基盤で、文化の上に一律のばしっとした「ルール」が定められたものと捉えています。

石川 いまそう聞いて、水野くんの気持ちのレベルで、そうなんじゃないかな、と思うことを言うんだけど、ぼくの印象で言うと、水野くんの言っていることって、カルチャーって言いたい、社会って言いたい、そんな感じがするんだ。言葉だけが先に行っているような感じがして。だって、その文化や社会って、そのなかで生きている人間が苦しんだり試行錯誤、押したり引いたりしていると思うんだ。水野くんの説明だとその部分がなくなって、やはり抽象的な気がする。でも、文化とか社会という言葉って好きなんだよね?

水野 それこそ、大好きです! 社会やルールというのは人間が活動するうえでの基盤じゃないですか?

沢辺 基盤だという社会の説明は妥当性を欠いているような気がするな。

水野 あー、そうですか。

沢辺 基盤というのは社会の効果の一例で、俺の社会の定義は、生きていくために、それを構成している人たちがつくっているルールのある状態。その状態が成立していることで、基盤になり得ているんだと思う。
ただ、水野くんの社会は「基盤」とする意見で興味深かったのは、社会というタームの意味あいが変わってきた、ということなんだ。以前は、ルールを決めるのに参加するのは少数だった。だから、社会というのは「誰かに決められたルール」とよく考えてられていた。けれども、いまはふつうのひともなんらかのかたちでルールの決定に参加できている。社会には参加できている。だから、これからの社会の定義は、「いまこそはおれも、影響できるんだ」という自分の影響権をはっきりみとめるものでなくてはならない。
水野くんの「基盤」というのはそのための過渡期的な定義だと思う。社会というのは「誰かに与えられた」の、その「誰か」はなくなって、とにかく「自分に与えられたもの」として「基盤」となった。たしかに社会というのは与えられるのだけれど、同時に、あるときは自分が決めて影響を与えることができる。だから、社会は「基盤」であるだけではなく、自分の影響を行使する相手でもある。この影響権もいっしょに考えなくてはならないと思うんだ。
社会というタームの内容は、いま、「誰かに与えられた自分とは無関係のもの」から、自分にとっての「基盤」にまできている。このタームの揺れはだんだんと自分の側に振れてくると思うんだ。そうなると、社会というタームがはじめて、自分にとってルールの束として与えられる基盤でありつつ、かつ、自分が変えて新しいルールを生み出すものとして受けとめられるものになると思うんだ。

「ぼく下ネタばかりです(笑)」

水野くんの恋愛事情を聞く。聞いていくうちに、話の組み立て方、言葉づかい、論理の話に。

石川 大学の四年間はどんな生活でしたか?

沢辺 ナンパにあけくれた?

水野 ただダンスにあけくれていました。ぼくはそもそもがモテないんですよ(笑)。

石川 失恋ばっか?

水野 あるダンサーの子が好きになっちゃって、ふられて。そのときは三ヶ月ぐらいかなり落ち込みました。

沢辺 人のこと言えないんだけど、いわゆる二枚目じゃないよね(笑)。それに、とりあえず、話面白い? だって、ヒップホップのカルチャーがなんとか、とかさ(笑)。

水野 (笑)いえいえ、そういうまじめな話、ヒップホップの話はいつもはしません。

石川 じゃあ、ふだん女の子とどんな話をしてるの?

水野 下ネタとか(笑)。ぼく下ネタばかりです(笑)。そっちの方面でふざけているんですね(笑)。

石川 えっ、いきなり下ネタ(笑)!

沢辺 じゃあ、エロ話系で面白い話ない?

水野 女友達が「地方にセフレ(セックスフレンド)に会いに行く」と言いだして、昨日までそれに同伴してきたんです。女友達は着いたらすぐにそのセフレと合流してしまったので、僕はその近所に住んでる知り合いの方に「ちょっとこういう事情で、今一人なんですけど」と連絡して、みんなで集まって飲んでもらったんです。そしたら、そのメンツの中に30歳ぐらいの方がいて、「最近、60歳ぐらいの年配の方とセックスした」という話をし始めまして。

沢辺 その30歳は男性なの?

水野 そうですね。その方の話では、相手の女性は変態で、日常的に犬を使ったプレイをしているらしいんです。だから、その方は犬と穴兄弟なんです(笑)。そのあと、一緒に来た女友達が帰って来たので合流したんですが、「風俗体験したい」って言い出して、みんなで一緒におっぱいパブに行ったんです。

沢辺 女が?

水野 はい。

沢辺 (笑)へんな女だね〜。

水野 で、おっぱいパブでは僕にかなり太った女の子が付いたんですけど、そこでさっきの男性が「おれぐらいになると、あんまりな子が出てきたら、逆にその子の人生で一番優しい男を演じるような楽しみ方をするんだ」と言っていたのを思い出して、その子に対して恋人みたいに優しく接したんです。そしたら喜んでくれて、普通は触らせてくれないような所まで触らせてくれたりして。で、僕のそういう様子を女友達が横で見て爆笑している(笑)。そんなことが昨日ありました。
これ面白いか?と言われたらインタビュー的には面白くないと思いますけど(笑)。

沢辺 あー。十分面白いとは思うんだけど、あのね、今、俺が感じたのは話の構成がそんなにうまくない(真剣に指摘)。

水野 (爆笑)

沢辺 構成によってはいくらでも面白くなると思うんだけれど、「えっ! それでそれで!」と思わせるように話をもっていく能力に欠けている。ちょっと算数やりすぎたかな(笑)。

水野 (笑)

沢辺 長くなって、とんとんとんと行かなくなるわけですよ。

石川 うん。あっち行ったり、こっち行ったりして、また話が戻ったりすると聞く側としてはなえちゃうんだな(笑)。

水野 気をつけます(笑)! ほんとにそのとおり(笑)!

沢辺 シミュレーションなんだよ。相手がどう思うか、そのシミュレーションをやるんだよ。これ積み重ねると話の構成がはやくなるんだよ。そういうことする?

水野 いまのは完全にしてなかったです。

沢辺 たとえば、むかしだったらデートのときに、前日寝る前に布団のなかで、その子に話している気分で、自分のなかで話をするんだよ。そうすると脚本ができて、ネタが何本かできるんだよ。俺も若い頃、この話ネタに使えるなと思ったら帰りの電車のなかでシミュレーションとかしたもん。

水野 まさか、インタヴューでこんな話をするとは思わなかったもので(笑)。

石川 でも、いま話してくれたこと、そもそもなんでその子について行っちゃったの(笑)? 聞き手としては、そこがさいしょから気になっちゃって、話にもう入れないというか(笑)。だって、自分で新幹線代出したんでしょ?

水野 ぼくはその女友達の事は特に「恋愛的に好き」な訳じゃないんですが、たんに前に約束してたんですよ(笑)。

石川 で、いま彼女は?

水野 去年の末に別れまして。大学時代からつきあっていた相手です。

石川 なにか原因があったの? 風俗に行っていたことがバレたとか(笑)?

水野 いえ。もうすでにお互いが疎遠になっていまして。別れたときは二ヶ月に一回ぐらいしか会ってなかったんですよ。去年彼女が就職しだしたころからぼくへの尊敬がなくなっちゃった様に感じて。それに対してぼく自身もガキだなと思いつつ、それにスネちゃって。尊敬されなくなっちゃうとつらいというのはありましたね。

石川 その彼女とはデートはどこかに行ったりしたの?

水野 彼女が「みんなが行ってるようなデートスポットに行きたい」と言うと、連れてってあげる、という感じでしたね。

沢辺 だいたい「連れてってあげる」というのが生意気だよ(笑)。本質的にはイーヴンであるはずなのに。ましてや、相手はもう就職しているわけだろ。それ認識ちがうだろ(笑)!

水野 「連れてってあげる」という気分はなかったんですけど。

沢辺 さっきの社会を「基盤」としてとらえる話じゃないけれど、言葉の使い方にその人の思想、意識といったものは現れる気がするんですよね。

石川 そのあたりを水野くんの論理学でやるんだと思うんだけど?

水野 それは難しいですね。

石川 えっ、そういう言葉の使い方って感性の論理化だと思うんだけど?

水野 そうですね(笑)。

沢辺 それが論理学なんじゃない? だって、言葉の使い方にその人の思想が現われるだけじゃなくて、言葉の使い方に自分がはまってしまうということだってあると思うよ。だから、言葉の使い方というのは俺、すごく気になるもん。たとえば、俺、うちのスタッフと飯食いに行って、会社の経費で食事するとき、「今日は会社もちにしようぜ」って言うようにしてるんだ。これは社長である「俺もち」じゃなくて、法人である「会社もち」。みんな俺に「沢辺さんありがとうございました」って言うけれど、ほんとうは俺を含めて法人として「ポットさんありがとうございました」なんだ。で、どうして「会社もちにしようぜ」と言うかというと、経費で飲み食いしているくせに、おれ個人が払っているような錯覚を起こすのがイヤだから。それって法人イコール俺にするのがいやだから。会社の責任を俺個人の責任にしてもらっては困るというのがあるんだ。だって、やだよ、過剰な責任を負うのは。ぜひ、このあたり、言葉づかいに人間ははめられていくのか? 無関係なのか? それを数学、論理学で解き明かしていってほしいな。

水野 いいテーマをありがとうございました(笑)。

「システムをやりたかったんです。基盤に興味があって」

水野くんの携帯はスマートフォン。mixi、Twitter、Facebook、この三つをやっている。Facebookでは、ラオスとかシンガポールにいる友だち(日本人)とも交流。この春から、システムエンジニアとして働きはじめる水野くん。働きながら、年に百万円ほど借りていた奨学金を返していく。そんな水野くんに、今後や仕事に関する考え方を聞いた。

沢辺 これからどうすんの?

水野 システムエンジニアとして働く予定です。

沢辺 もともとそれやりたかったの?

水野 システムをやりたかったんです。基盤に興味があって。もともと抽象的な意味での(社会の)土台に携われる業界、例えば都市開発事業などにも興味がありました。でも最終的に、自分はやはりコンピューターとか理系的な事に向いていると思って、この会社に就職することを決めました。なるべく大きなお客、例えば国などを相手にできる会社に魅力を感じていました。

石川 ご両親はこの就職に関してはよろこんでくれている?

水野 名前の知られている企業に勤めてほしかったようです。でも親は自分のことを信じてくれているという実感があったのであまり気になりません。

石川 これから仕事をするにあたって不安や期待は?

水野 あんまりイメージをつけたくないので考えないようにしていますが、抽象的な意味で、ストレスとモチベーションのバランスをとっていけるようになりたい、というのはあります。忙しい会社で有名なんで。自分でこのバランスをなんとかできるように鍛えたいと思ってます。

石川 そういえば、水野さんは夢があるタイプ? 夢はなんですか?

水野 あんまり夢という言葉は使いません。非現実的なものという前提で使うイメージがあるので。

石川 大学院に入ったときから就職はしようと決めていたの?

水野 うちはあまりお金がなくて、これ以上経済的にお世話になろうとは思わなくて。ただもう少し研究もしたくて、母親に相談したら、あと二年ならいい、それに大学院に行ったら就職もいいだろうし、と言われたんです。

沢辺 大学院って就職いいの?

石川 理系だと大学院進学は就職に有効に働くみたいですね。

沢辺 でも、たいへんだよな〜。親はな〜。

石川 水野くんのいまの交友関係はどういう人達ですか?

水野 大学院の友人や、ダンス関係、ダンスでつながった仲間たちがやはり多いですね。

石川 合コンとかはない?

水野 ぼくのまわりはインディペンデントでオープンな人が多いので、知らない女の子と会う機会が元から多いといえば多いんです。もちろんみんなで飲んだりもして、それを合コンと言うかどうかはわからないですけど。

石川 そういえば、「インディペンデント」、「オープン」、「カルチャー」、「インプット」、「アウトプット」と、水野くんは、カタカナというか英語をよく使うけれど、水野くんの交流するまわりのみんなはそういう言葉づかいをするの?

水野 研究関係とかダンス関係の人と関わる機会が多いので、やはりそうなっているんだと思います。研究では英語で論文を書いたり読んだりするし、数学用語も英語のほうがイメージが浮かびやすいんです。

石川 今日はいろいろ突っ込まれたこともあったかと思うけれど、たくさん話題になった、言葉の使い方、話の組み立て方って、考えてみれば、水野くんがずっと追いかけてきた論理ということとつながっていると思います。だから、水野くんらしい話が聞けたと思います。それに、ぼくは最初、「システム的に言えば、これはああですこうです」ってどんな理路整然とした方、どんなエリートが来るかと思って身構えていたところがあったけれど、水野くんは下ネタなんかもいい意味で隙になって、それに、ぜんぜんリア充じゃないし(笑)、とても話やすかったです。

水野 ぼくも、色々ためになるダメ出しをどうもありがとうございました。

石川 いや、こちらこそ。いいお話をありがとうございました。

◎石川メモ

自分は哲学者です

 水野くんは、自分のやっているダンスの意味をどう言ったらいいか、すごく真剣に考えて迷いながらそれを言葉にする。そこの率直な語りがすごくいい。そんな語りのなかで、水野くんが「自分はダンサーです」と言うことには、とてもリアリティがある。
 じつは、これがいま文化ゲームをめぐって起こっている状況なんだと思う。沢辺さんが指摘しているけれど、アマ/プロ、趣味でやってるひと/それで食っているひと、という垣根はどんどんなくなってくるはず。文化はもう一部のスタアが独占するものではなくなってきている。
 だから、たとえば、ストリートのパフォーマンスとエンターテイメント、水野くんたちの仲間とEXILEが「なだらかにつながっている」。そこに参加するみんながダンスという文化ゲームの一員になる。みんなが「ダンサー」だ。
 ぼくには「自分は哲学者です」と言うことにはずかしさがある。水野くんとの話を通じて、こういうはずかしさを改めていかなくちゃならないな、と思った。というのも、ぼくは「哲学者」という言葉の意味を、「偉そう」で、「堅いしかめつらばかりしている人」で、「人とかかわるのが苦手で勉強ばかりしている人」というイメージのみでとらえていたからだ。
 だから、ぼくは自分を「哲学者」と言いたくなかった。自分はそんな偉そうな人間、世間離れした人間じゃないんだ、と言いたかった。けれども、これって、ある意味で、哲学がそれまでもっている「伝統」や「家元制」に対するぼくのなかのアンチの感情から出ているんじゃないか。そう反省した。
 もちろん、哲学者の偉そうで堅いイメージというのは、大学という制度のなかで独占されていた高度に専門的な文化ゲーム、というこれまでの哲学のイメージからきている。けれども、まわりをよく見てみると、哲学はかなり開かれてきている。大学の外で、一般の人たち、若者、仕事をもった壮年の人、仕事をリタイアした人がどんどん哲学という文化ゲームに参加してきている。
 ぼくはそういう集まりを主宰したり、先生をやったりしているのだけれど、そこで、自分のやっていることが、じつはアマ/プロ、生徒/先生の垣根をなるべくなくすことだ。ただ、考えるという哲学のゲームがあって、そこでみんなで試してよりよい考えをつくりだす。そういうゲームだけがある。ぼくも含めて、そこに参加するみんなが哲学という文化ゲームの一員になっている。ということはみんなが「哲学者」だ。
 こんなふうに言ってくると、なんだかロマンチックな言い方に聞こえるかもしれない。けれども、いま、哲学という文化ゲームもアマ/プロがなだらかにつながっていく過渡期にあるのはたしかだ。ダンスが一部のスタアによって独占される芸能という意味ではなくなってきたように、哲学も一部の学者によって独占されるお堅い学問という意味ではなくなってきている。同じ言葉でも辞書の中身が変わってきている。
 もうじきすぐに、「哲学やっています」と言うことははずかしいことではなくなってくるはず。そう言う人が「自分は哲学者です」と言うようになるかどうかはわからないけれど、少なくともぼくは、考えるゲームに参加しています、という意味で、「自分は哲学者です」とはずかしがらずに言っていきたい。
 もちろん、その開かれたゲームのなかでなお、「プロの哲学者」としてぼくはどうあるべきか。それは今後ぼくが引き受けていくべき課題だけれども。

2011-02-04

第8回 生まれ育った町に恩返しができればいちばん──今谷深悟朗さん(20歳・男性・勤務歴2年)

今谷さんは、1990年に埼玉県郊外の人口15万人ほどの市で生まれ、現在も親元で暮らしている。現在20歳。地元の県立普通高校卒業後、地元の消防署に就職。現在勤めて2年目。
本人曰く「田舎者」とのこと。東京都内にはほとんど出たことはない。この日の待ち合わせも、原宿で待ち合わせだったのだけれど、新宿を原宿と間違えていた。
今谷くんは小学校からサッカーをはじめ、中学、高校とサッカー部の体育会系の好青年。インタヴューの途中から、「ぼくは〜」が「自分は〜」になるのがいい感じ。20歳だけど年上と話し慣れた印象。
*2010年12月1日(水) 16時〜インタヴュー実施。

「出勤した朝には、つぎの日の朝にうどんを食べるかどうかを聞きます」

今谷くんは消防署で働いている。なかなか見えない組織のこと、仕事の内容を一日の流れとして丁寧に、率直に語ってくれた。ここはまず午前中の内容。

石川 いま、なにをやっているの?

今谷 消防のほうをやっています。

石川 では職業は「消防士さん」でいい?

今谷 そうですね。それでいいです。

石川 でも、「消防士」さんって、みんな「消防士」さんなのかな? 「一級消防士」とか、「二級消防士」とか、なにか正式な呼び方みたいなのはあるの?

今谷 そうですね。階級みたいなものがあります。全国に一人だけ、東京消防庁に「消防総監」という人がいるんですけど、その人をトップに10の階級があります(10の階級:消防総監、消防司監、消防正監、消防監、消防司令長、消防司令、消防司令補、消防士長、消防副士長、消防士)。ぼくはそのいちばん下の、そのまんま「消防士」です。

石川 へぇ。たくさんの階級があるんだね。はじめて知ったよ。それで、ちょっと細かくなってしまうけど、今谷くんの働いている職場の人数構成を教えてもらえないかな。

今谷 ぼくは、人口15万人ほどの市に住んでいるんですけど、そこには消防署が2つ、分署が6つあります。ぼくはその消防署の一つで働いています。市には消防署と分署をまとめる消防監が1人います。ぼくの署はひと班19名の班が2つあります。それの二つの班が交替で仕事をしています。1つの班は、消防司令長1人、消防司令2人、消防司令補5人、消防士長6人、消防副士長2人、消防士3人になっています。

石川 丁寧にありがとうございます。なんだか初めて聞く話で、仕事の内容も詳しく聞きたくなっちゃうな。

大田 そうですね。出勤の途中で消防署の前を通るんですけど、消防署の前になんだかぼーっと立ってる人がいて、この人なにをしてるんだろう? と思いますね。

今谷 その署によって仕事の内容がちがうので、前に立っているっていうのは、ちょっとよくわかりませんね・・・・・・。

石川 でも、いつも火事があるってわけじゃないから、普段はどういうことをしてるの?

今谷 じゃあ、一日の流れでいいですか?

石川 では、それをお願いします。

今谷 朝8:30に前の日の班との交替があるので、8:00に出勤します。まず朝来たら、その日の夕飯決めをやります。

石川 ということはみんなで夕飯をつくっているの?

今谷 そうです。つくるのは下の階級の消防士たちの仕事です。

石川 じゃあ、今谷くんは料理つくれるんだ。

今谷 いや。できる料理はカレーぐらいです(笑)。署では料理は分業でつくっていて、全部を自分ではつくれません。ぼくは「米研ぎ職人」という名誉ある名前をもらっています(笑)。

石川 メニューは?

今谷 みんなが食べられるようなものをつくります。カレーとか。昨日の夕飯は豚丼でした。その日の夕飯を何にするかは一人ひとり希望を聞いていると決まらなくなってしまうので、自分たち消防士で決めます。それを上の人に「夕飯はカレーです」と言って報告するだけです。それから、出勤した朝には、つぎの日の朝にうどんを食べるかどうかを聞きます。

石川 うどん?

今谷 これはぼくの勤務している消防署だけの決まりなんですけど、朝の交替前にうどんを食べるんです。

大田 消防士さんって一人ひとり机があるんですか?

今谷 そうですね。一つのフロアにみんなの机があります。

石川 そこで、「今夜なんにすべぇ?」、「カレーにすべぇ」とか消防士同士で相談したり、「カレーにしました」と上の人に報告したり、「朝のうどんどうしますか?」と聞くんだ?

今谷 そうですね。それから、必要な買い物とかも聞きます。だいたい昼ごはんは各自でお弁当やカップラーメンなんですけど、それをもってこなかった人はお昼を買うことになるので。それでいろいろ聞いて、夕食の材料や買い物を、いつも配達を頼んでいるスーパーにファックスします。そうすると、だいたい交替の時間の8:30になっています。

石川 交替のときは、整列、時間厳守でビシッとやるんだよね?

今谷 そうですね。時間厳守で「下番」(前日の担当班)、「上番」(本日の担当班)で整列してやります。「本日の勤務員何名!」などの報告をやって交替します。これで下番の仕事は終わり、上番は屈伸などの準備体操を5分ぐらいやって、隊に別れて車両など道具の点検をします。ぼくの班には、警防隊(10人)、救急隊(4人)、救助隊(5人)の三つがあります。警防隊は火消しです。救急隊は急病の人を病院に運びます。救急隊には救急車の運転士と急病の人を病院に運ぶまで手当てをする救急救命士がいます。救助隊は専用の特殊機材使って建物や車の中に閉じ込められた人を助けたりする人です。

石川 ということは、救急救命士さんは病院にいるんじゃなくて消防署にいるんだね。

今谷 そうです。

大田 ということは、救急救命士さんにも消防士長、消防副士長といった階級があるんだ?

今谷 そうですね。

石川 火消しをやってた人が資格を取って救急救命士になるということもあるの?

今谷 そうですね。そっちのほうに行きたいな、と思ったら救急救命士の資格の勉強をする、ということもあります。そのために市がお金を出してくれるんですけど、半年で200〜300万円かかるので、年に2人ぐらいしか資格のための学校には行けません。

石川 ということは、高校を出て、専門学校に行ってあらかじめ救急救命士の資格をとって、それから消防署の救急隊になる人が多い?

今谷 そういう人は今年はじめて3人入ったんですけど、市としては、高いお金を出して火消しを救急隊にするよりも、あらかじめ資格を取って消防に入ってくる人に「はい、お前は資格をもっているんだから救急隊へ」というふうにしたほうがいいんだと思います。でも、救急隊になる人も最初は仕事を覚えるという意味で警防隊に入ります。

石川 ちょっと救急隊の話を聞きすぎてしまったけれど、各隊の設備の点検が終わったらなにをするの?

今谷 点検が終わったら「申し送り」というのをやります。ぼくたちが朝飯のことを相談しているあいだに、上の人は上番から前日どんなことがあったか聞いているので、その情報を聞くのが申し送りです。そのあとはお昼まで、外に車で出て道を覚えたり、水利の点検をします。

石川 水利ってなに?

今谷 消火栓がどこにあるか、その場所が見えにくくなっていないかどうかの点検、どこから水を引くかの確認。そういう火事のとき利用する水の点検や確認のことです。

石川 へぇ。専門用語もいろいろあって面白いね。もちろん、この道は狭くて消防車が入れない、とかも水利といっしょにチェックするんだと思うけど、だいたい、火事を想定したパトロールみたいなものと考えればいいかな?

今谷 そうですね。そう考えてもらえばいいです。

「懸垂は100回ですね」

今谷くんの仕事の話、パート2。ここでは午後から夜まで。

石川 では、お昼からの話をしてもらいたいです。そういえば、お昼はお弁当?

今谷 はい。自分の場合は。

石川 お母さんの?

今谷 はい。

石川 お昼を食べたあとは?

今谷 13:00から16:00まで訓練です。機材の取り扱いを教えてもらったり、機材を使って災害を想定した訓練もやります。

石川 雨の日も訓練?

今谷 雨の日は座学といって、消防法の勉強をやったり、調査の仕方の勉強をやります。

石川 調査というと火元の調査?

今谷 どこから出火したのか、原因はなにか、どのくらいの損害なのか、そういうのを全部調査します。

石川 どこからどこまで消防がやって、どこからは警察がやる、とかそういうことも勉強する?

今谷 火事の場合、基本的には、警察には誘導をやってもらうだけで、あとは消防がやります。

石川 午後は訓練や座学で終わり、という感じ?

今谷 だいたいはその流れです。

石川 それで、17:00から夕食づくりになるんだ。

今谷 そうですね。17:00から18:00まで。

石川 定番メニューは?

今谷 豆腐卵丼ですね。親子丼の肉が豆腐のやつです(笑)。

石川 それ安く済むんじゃない?

今谷 そうですね(笑)。1人200円ぐらいです(笑)。

石川 食事はみんな一緒に食べるの?

今谷 食事はみんな食堂で食べますけど、いただきます、みたいに一斉に食べるのではなく、各自で食べます。でもだいたい10分ぐらいでみんな食べ終わっちゃいます(笑)。片づけはぼくら下の者がやります。片づけが終わったあと少しゆっくりして、20:00から体力錬成です。

石川 体力錬成! なにをやるんですか?

今谷 自分たちの隊は懸垂をひたすらやりますね。「とりあえず懸垂!」みたいな(笑)。

石川 でも、ひたすら懸垂って言ったって、けっこうな年齢の人もいるんじゃない? 

今谷 若い人だけですね(笑)。だいたい消防司令補までで30後半くらいの人が一番上です。

石川 それで、若い衆は懸垂何回やるの?

今谷 懸垂は100回ですね。

石川 100回! でも、20歳ならできるのかな?

大田 できないですよ(笑)。

今谷 でも、ひとつの鉄棒があって、10回やったらつぎの人、とローテーションにして、休みを入れながらみんなで楽しくやってます。

石川 すごいね〜。でも、もちろん、懸垂だけじゃないよね・・・・・・。

今谷 腕立てとか。だいたい腕立ても200回です。そうなるともう腕も疲れちゃって(笑)。でも、みんなで盛り上げてやるから面白いんですけど。

石川 けっこう楽しくやってるんだ。だいたいみんな体育会系出身の人?

今谷 そうですね。それで腕立てが終わったら、スクワットとか。ここまでは屋外なんですけど、その後は、屋内の機材のある部屋でベンチプレスや腹筋とか。

石川 けっこうやってるね〜(笑)。いつまでやってるの?

今谷 だいたい22:30ぐらいで終わりになって、あとは上の人から順番に風呂に入ります。風呂が一つしかなくて。最近は寒いんで上の人が風呂が長いんですよ(笑)。自分なんて昨日は風呂に入ったのが0:00で。

石川 そうか、今谷くんは下っ端だから風呂に入るのも最後のほうなんだ。

今谷 そうなんですよ。

石川 じゃあ、もう今谷くんが入るときは風呂はドロドロ?

今谷 そうです。もうお湯には入りません。だからシャワーだけです。

石川 寒いね〜。

今谷 寒いです(笑)。

石川 もちろん、風呂に入ったあとでも、消防士としての今谷くんの一日はまだ続くわけだよね?

今谷 そうですね。風呂に入ったあとは、みんな勉強したり、次の日の申し送りの準備をしたりして、でも、だいたい0:00ぐらいから寝はじめます。

石川 あっ、眠れるんだ!

今谷 6:00が起床時間なんですけど、それまで1人の当番以外は眠れます。上の人は当番もないので、ほとんど家にいるのと同じ生活です(笑)。

石川 では、当番のことを教えてください。

今谷 かならず1人は起きているようにして、その日の当直の一番上の人を除いたみんなが0:00から6:00まで1時間ごとに交替します。だから、0:00〜1:00までとか、5:00〜6:00までの当番になれば楽なんですけど。

石川 3:00〜4:00の当番になると大変だよね。

今谷 そうです。まとまった睡眠時間がないので大変です。

石川 それで、仮眠をとりながら1時間の当番をやって朝になる、と。

今谷 6:00起床で、6:30からぼくら下の者はうどんづくりです。上の人はこの時間に掃除をやってくれています。

石川 うどんはどんな?

今谷 油揚げとか玉ねぎとか具の入ったものです。うどんを食べ終わるとまた精算します。そうすると、つぎの日の班の人がやってきて。朝の仕事はだいたいうどんづくりですね。これで一日の仕事が終わります。もちろん、災害が起これば全然ちがってきちゃいますけど。

「遠くに行きたくない。職場も自分の生れた市なので、もう外に出ることはないかと(笑)」

今谷くんの休日はパチンコ(あとで、パチンコばっかりやってるわけではない、とわかるのだけれど)。地元を愛する青年、今谷くんは市の消防署に勤めていることに満足。地元で塗装業を営む父、昨年まで保育園に勤めていた母、この春から小学校の先生になる姉、パソコン好きで陸上選手の弟と暮らしている。近所にはときどきお小遣いをくれるばあちゃんもいる。

石川 一日の仕事について聞いたけど、週はどれくらいのシフトになっているの?

今谷 自分たちは7日の普通のサイクルではありません。8日でひとつのサイクル、“仕事→休み→仕事→休み→仕事→休み→休み→休み”を1サイクルで考えています。

石川 休みの日はなにしてるの?

今谷 ギャンブルです(笑)。

石川 ギャンブルっていうとなに?

今谷 基本はパチンコです。最近はスロットを教えてもらってますけど。消防の人は休みが多いのでけっこうやってる人多いですよ。

石川 じゃあ、休みの日にパチンコ屋で同僚に会っちゃうことあるんだ。

今谷 ありますね〜(笑)。

石川 8:30に仕事が終わるから、そのまま朝パチンコ屋に並んじゃうとか?

今谷 そういうこともありますね(笑)。

石川 一日中パチンコやるとしたら、だいたい二日に一日はパチンコ屋にいることになっちゃうけど?

今谷 でも、お金も続かないので、家に閉じこもってゲームやったりとか、お金を使わない過ごし方を考えています。

石川 じゃあ、月いくら給料はもらってるの?

今谷 それはあまり言いたくないです(笑)。

石川 じゃあ、どうやって聞き出そうかな〜(笑)。

今谷 ここ(ポット出版)っていくらぐらいの家賃ですか?

大田 30万円ぐらいだと思うけど。

今谷 それだとぼくは2ヶ月働かないと家賃払うの無理ですね〜(笑)。

石川 今谷くんやさしいね(笑)。じゃあ、月15万円として(笑)。

今谷 給料少ないんですよ(笑)。土日に出勤しても手当てもなくて。手当てがあるのは祝日出勤のみです。だから、祝日のない八月とかは苦しいです。

大田 そのうち自分の自由に使えるお金は?

今谷 2、3万です。

石川 えっ、親と暮らしているのにそれだけしか自分で使えないの?

今谷 月に親に1万、自分の車のローンに3万、あとは自分で入った生命保険に1万、年金に1万、あとガソリン代、携帯代、食費で。

大田 携帯代は月にいくらぐらい払っているの?

今谷 携帯は月1万ぐらいです。仕事が入るんで通話が多いかと思い、ちょっと高い定額サービスに入っています。

石川 まだ、あとなんか払っているお金ない?

今谷 あと、保険屋に頼んで、給料入った時点で3万ぐらい貯蓄にまわすのをやってます。給料そのままもらうと使っちゃうんで(笑)。

石川 それで、趣味はパチンコだけ? 車は好き?

今谷 マツダのCX-7に乗ってます。一目ぼれで買ってしまいました(笑)。ローンは3年です。

石川 いじりたい?

今谷 いじりたいけど金がないのでどうにもならないです。

石川 じゃあ、やっぱり、いまのめりこんでるのはパチンコ?

今谷 新人は半年間消防学校に行くんですけど、そこは寮生活なので、その前に「パチンコに飽きるまでやってやるぞ!」と思ってやり続けたら、逆に、どんどんのめりこんじゃって(笑)。

石川 やっぱ好きな機種とかあるの?

今谷 北斗の拳です。

大田 マンガのほうは?

今谷 パチンコをやってから読みました。マンガもいいですね。

石川 ゲームはやるの?

今谷 ウイイレ(サッカーゲーム、ウイニングイレヴン)ですね。ぜんぜん飽きませんね。

石川 じゃあ、高校時代は部活やってウイイレやって、という毎日で・・・・・・。

今谷 で、高校の終わりぐらいにパチンコ覚えちゃって(笑)。

石川 ほんとパチンコ好きだね〜(笑)。その他に趣味をもつ予定は?

今谷 職場にスノボが好きな人がいるので、今度休みの日を合わせて連れていってもらいます。

石川 そうするとまたお金がいるよね?

今谷 あとは、ばあちゃんのところで収入を得ています(笑)。近くにばあちゃんの家があって、わざわざそこに自分の車を洗車に行くんです。そうすると「よく来たね」みたいな感じで5000円くれるんです(笑)。だいたい2週間に一度は行くようにしています(笑)。

石川 ばあちゃんの家の車も洗車してあげるの?

今谷 いえ、自分の車だけです(笑)。

石川 えーっ(笑)。そりゃわるいよ(笑)。で、ばあちゃんの家も近いということだけど、今谷くんはずっと自分の生れた町で家族と一緒に住んでるの?

今谷 そうですね。ずっと自分の生れた町を出ていない、というか。小学校、中学校、高校とずっと自分の生れた市です。小、中は市立、高校は県立の学校です。高校は普通科です。小学校からずっとサッカーをやっていて、高校はサッカーの強いところに行こうかと思ったんですけど、自分にはそんな実力はないと思って。それで、自転車で5分の家から近い高校にしました。

石川 ということは今谷くんは地元好き?

今谷 そうです。遠くに行きたくない。職場も自分の生れた市なので、もう外に出ることはないかと(笑)。

石川 そういえば、兄弟はいる?

今谷 上に22歳の姉がいます。来年から小学校の先生になります。姉は頭がよかったです。あと、下に17歳の高校生の弟もいます。弟は、家から200メートルの商業高校に行っています。自分と同じめんどくさがり屋なんで(笑)。弟はパソコンが好きで、DVDのプロテクトをはずせたりします。ゲームも好きで、自分も一緒に遊んだりします。こう言うと弟はオタクみたいなんですけど、地元で鳴らした陸上選手です。だから、勉強は姉に取られて、運動は弟に取られました(笑)。弟に「姉ちゃんは県の公務員、兄は市の公務員、お前は国家公務員だ!」なんて言ってプレッシャーをかけられてるんですけど、まったく勉強しないです(笑)。危機感がないです(笑)。

石川 それから、ご両親はどんな人なの?

今谷 父(57歳)は塗装業をやっています。母(53歳)は昨年まで保育園の先生をやっていました。けれど、自分の小さいころは母親は家にいました。親は子どもの進路に関しては口出しはしなかったですね。

石川 お母さんは保育園の先生ということだけど、大学を出て先生になったの?

今谷 県立の教員養成所で資格をとったらしいです。

石川 親によく言われたことはなんかある?

今谷 小学校のころ親によく言われたことは、「ごはんは残すな」です。消防署では余った食べ物を捨てるんですけれど、最初捨てるのはショックでした。

石川 お父さんは塗装業だということだけど、どんな仕事なの? 1人でやってるの? 人を使ってるの?

今谷 塗装業は人を5人使ってます。家の塗装をやってます。親方みたいなもので、社長と言われることもあります。

石川 へえ、わりと大きく仕事してるんだね。

今谷 塗装の仕事は、祖父の代からです。祖父が建具屋から塗装屋になったのがはじまりです。父親は隣町の工業高校を出て、23歳までの5年間、別の工務店で働いて祖父のあとを継ぎました。使っている人は若い人ではなくて、60以上の人ばかりなんです。それで、若い人がたまに入ってもやめちゃって。あとがいないとやばいので、弟にまかせようかな、と自分は思ってるんですけど、親は弟に家を継げとは言いません。

石川 それじゃあ、お金に困った経験はあまりないんだ。

今谷 お金に困らなかったですけど、ほかの人に比べれば与えられたおもちゃは少なかったほうだと思います。高校のときはお小遣いは月5000円でした。部活の用品などは言えば買ってもらっていました。あとは、例のばあちゃんちでお小遣いをもらってました(笑)。

「出世じゃなくて、技術や知識を上げることを目指しています。いまやってる警防だけじゃなく、救急、救助とオールマイティーにできるようになりたいです」

今谷くんはパチンコのことばかり考えているわけではない。仕事にはプライドと目標をもっている。地元好きゆえの職業選択の段階、現在の仕事への取り組みの姿勢が語られる。

石川 勉強はできた?

今谷 高校受験のときは、受験の苦痛を味わいたくなかったので、中学での内申点が重視される前期の受験で受かろうと、学級委員とかやって受かりました。

大田 その高校のランクは県内でだいたいどれくらい?

今谷 真ん中ぐらいですね。

石川 どんな高校だった?

今谷 自分の高校はほんとに平和で。不良が寒い目でみられちゃうような普通の人の集まりでした。そのなかで、自分のいたサッカー部は、そこに入ってれば学校での立ち居地は上にいれる、といった感じでした。あと、授業中にマンガ読んだり、筆箱で隠してDSやったり。クラスのやつとマリカー(マリオカート)で対戦したりしてました(笑)。

石川 (笑)。その高校を出た人は大学に行く人が多いの?

今谷 中途半端なやつが多いので、「とりあえず専門(学校)」、「とりあえず大学」といった感じですね(笑)。自分の学年が240人なんですけど、そのなかで就職したのは10人ぐらいです。

石川 なんで就職しようと思ったの?

今谷 親にはむかしから国立の大学へ行けと言われてて、中学のときは、埼大(埼玉大学)には入れるかな、と思ってたんです。けど、どう考えてもそれは無理だとわかって。家(塗装業)を継ごうか、と相談したら、親に「塗装屋は儲からないからいいよ」と言われて。それで、自分はむかしからスポーツをやってたので、筋肉のこととかも興味があって、整体師になりたいと思っていたこともあるんです。けど、親に相談したら「それじゃ食っていけない」、「どこに就職するの?」と言われて。親は進路のことには口を出さないけれど、就職についてはけっこうはっきり言います。で、そう言われたら、もう公務員しかないかな、と。消防という選択肢はそこからです。それで、自分は市の職員みたいにずっと机に座る仕事はいやで。その段階で、選択肢は警察か消防になるんですけど、警察は規律が厳しそうなので、消防のほうに行くことにしました。けれど、高校の3年春は、模試のようなもので、自分の市の消防就職希望者27人中26番だったんです(笑)。それで、夏から大宮の公務員就職の専門学校の無料講座に出まくって勉強しました。結果としては、受験者54人中、受かった14人に入りました。

石川 すごいじゃん! 

今谷 地元では、そう言ってほめてくれる人もいますけど、「へぇ、消防署入ったんだ」ぐらいの人もいます(笑)。

大田 整体で「食っていけないよ」と言われたとき、公務員という選択肢はすぐに出てきたの?

今谷 はい。そのときはまだ消防というのは頭になかったですけど、前から友だちと「就職するなら公務員がいいな」と話していて。

石川 消防に決めた理由は?

今谷 業務の内容は知らなかったですけど、訓練みたいなのはしてると知っていて、自分は体を動かすのが好きだったので。それで、やっぱり地元で働けるというのがよかったですね。「地元」っていうのがいちばんですかね。

石川 そうだよね。警察は県警だと転勤あるけれど、消防士さんはずっと同じ市だもんね。やっぱ地元なんだ(笑)。地元好きだね〜。

今谷 地元の祭りとがあって、小学校のころからずっと参加していて、それやってると、「自分の町だな」という意識があって。

石川 近所の人とつきあいはある?

今谷 歩いているとちょこちょこ町内の人と話したりして、けっこうかかわりあるな、と思ってます。

石川 ところで、二年働いてどうですか? もう辞めたいとかある?

今谷 辞めたいというのはありません。仕事にはこれでOKというのがなく、限界なく上があるので。技術をどんどん上げればもっとたくさんの人が助けられる、というのがあって辞めるというのは考えていません。それから、「自分の生まれ育った町に恩返しができればいちばん、と思っています」と人には話すようにしているんですけど、ほんとはそんなこと思っていないです(笑)。

石川 えっ! じゃあ、ほんとのところはどうなの(笑)?

今谷 でも、やっぱり、自分の生まれ育った町に役に立つ仕事なんで、働けて光栄です。

石川 じゃあ、やっぱりいまさっき言ったことはほんとなんだ(笑)。

今谷 なんも遊ぶところのない町ですけど(笑)。自分の育った町なんで。

石川 出世はしたい?

今谷 出世じゃなくて、技術や知識を上げることを目指しています。いまやってる警防だけじゃなく、救急、救助とオールマイティーにできるようになりたいです。

石川 つまり、いまは警防隊だけど、救急救命士とか救助隊の免許もほしいんだ。

今谷 そうですね。救助隊になるには一ヶ月消防学校に行かないといけないんですけど、そのためには、推薦されて30代中ごろにならないといけないんです。そのためにはいい成績を残していなくてはならなくて。

石川 いま成績と言ったけど、なにか評価の基準とかあるの?

今谷 昇任試験というのがあって、年に一度、法律とか論文の試験があります。

石川 ああ、じゃあ就職してもいろいろ勉強やらなきゃいけないんだ。

今谷 そうですね。自分は、もう就職したから勉強やらなくていいんかな?と思ってたんですけど(笑)。でも実際は勉強することがいっぱいあって。この薬品に水をかけると火が出ちゃうとか、薬物の勉強もします。法律のことなど必要な知識を勉強しなくてはならないんです。

石川 さっき、警防、救急、救助とオールマイティーになりたい、と言ってくれたけど、いまの自分の目標としてはどういうものがあるんですか?

今谷 災害に対してなるべくスムーズに対応できる技術と知識を身につけたい、ということですね。

石川 えらいね〜。ところで、大学に行っている連中とかはどう思う?

今谷 自分の場合は、大学に行くと遊んでしまうと思うので。そうすると自分は目標がなくなってしまう感じがするんですよ。いままで部活とか厳しいなかで目標があったからがんばれたんで。目標があって大学に行く、というのはいいと思うんですよ。でも、目標なくて大学行くっていうのは親にも迷惑をかけているだけだと思うし。自分はそういう考えです。

石川 大学に行かなかったのは、目標がなくなるのが怖かった?

今谷 それがいちばんでした。大学でサッカーやるつもりもなくて。

石川 いまの職場はつぎつぎにステップがあるから安心できる?

今谷 そうですね。覚えることがつぎつぎにあるんで。

石川 自分がプロであるという意識がある?

今谷 消防学校のころから言われてきたのでそう意識しようとは思っていますが、意見を言うにも知識が必要で。まだまだ自分の知識は浅くて、同じ職場の人に意見を言うのはまだ自信がもてないです。

石川 勉強してる?

今谷 まだまだですけど、いまは地理や水利を自分で覚えるようにしています。

石川 ぼくのいままでの印象だと、消防士さんは訓練ばかりやっているイメージだったけど、相当勉強しなくちゃならないんだね。

今谷 そうです。それも時間が与えられるのではなく、自分で時間をつくってやらなくちゃならなくて。どっちかと言うと、休みの日に勉強しなくちゃならないんです。それで、自分は休みの日は朝からパチンコやってたりして、勉強しなかったら上の人に言われて。いまは、休みの日に車で自分の市をまわっています。最近合併した地域のことはなんにも知らなかったんで、やっています。いままではパチンコを優先してましたけど、いまはまず、勉強を先にしています。

石川 じゃあ、いまは朝からは並んでないんだ。

今谷 そうですね。まず、仕事が終わったらその日はどこへ行くか決めて、一時間か二時間かけて走ってまわって、地理や水利を覚えるようにしています。

石川 勉強してるね〜。

今谷 職場ではパチンコの話しかしませんけど(笑)。

「自分の命より人の命、となったら消防の活動が全部狂っちゃいます」

今谷くんのいまの仕事の悩みは現場経験が少ないこと。緊迫した災害の現場でどう立ち振る舞っていいか。要救助者や市民への対応はどのように行えばいいか。その問題点や重要ポイントが具体的な経験をもとに語られる。

石川 仕事の悩みとかある?

今谷 災害があると庁舎に1人だけ残ることになるんです。自分はその役が多くて、あまり現場に出れてないんです。現場の経験を積みたいんです。それから、自分が出勤している日に災害がほとんどないんです。「お前がいる日は災害が起こらない」なんて言われてしまって。もちろん、災害がないことはいいことなんです。けれども、自分の経験が少なくなってしまうのは悩みです。

石川 それでも出動はあると思うんだけど、どういう出動が多いの?

今谷 救急が多いですね。火災や救助は月1回ぐらいです。

石川 でも、今谷くんは警防隊なんだから、救急は出ないんだよね?

今谷 人出が足りなくて、知識がなにもなくても出ることがあります。

石川 どういうことをやるの?

今谷 ストレッチャーなどの器具をもってきたり、脈や血中酸素を測る器具の準備をしたりします。あとは患者さんへの声かけをしますけど、救急救命士ではないので処置はできません。

石川 いままでいちばん記憶に残っている経験は?

今谷 となりの市へ火災の応援に行ったとき、急に火が出て、まわりの人が見えないほど煙がすごかったんです。そのときは、「自分も死んじゃうんじゃないか」と思いました。それで、「オレ、こんななか行くの?」とほんとに「後ずさり」というものをしました。

石川 そのとき、おどおどして「お前足手まといだ!」とかは言われなかったの?

今谷 いえ。上の人は「新人はこうだろうな」というのはもうわかっているので。

石川 じゃあ、怒られたことってある?

今谷 交通事故の現場で、自分に指示してくれる人がいなくて、勝手に行動しちゃったんです。そしたら、「お前、なにうろちょろしてるんだ!」と怒鳴られました。指示が出ないときは待機しなくちゃならないし、動くときは「自分はこれします」と言わなきゃならないんですけど、そのときは、舞い上がっちゃって。他の車の誘導をしなくちゃならないところを、車のなかに閉じ込められた人に呼ばれたので、そっちの対応しちゃって。災害の現場では要救助者はすごい焦った感じで「はやく助けてください!」と言うので、自分も対応をどうしたらいいかわからなくて、こっちもあわてちゃって。そうなると結果として、要救助者を心配がらせてしまうんです。こういうことはいちばんやっちゃいけないことなんですけど。自分もどうしていいか手段がわからなくて。

石川 そりゃそうだよね〜。「助けて〜」と言われたら、どうしても「こっちをなんとかしなくちゃ」と思っちゃうよね。

今谷 そうです。でも、それが危険なんです。たとえば、川に流されている人を見て、その人をすぐ助けようとするのは危険です。「すぐに助けに行ったらお前も死ぬぞ、それはいちばんやっちゃいけない」というのが消防の基本的な教えです。優先順位としては、自分の命があって、仲間の命があって、そのつぎに助ける人があるんです。「まず、自分の命の安全を確保してから」というのが重要です。これが消防の活動の指針です。

石川 へえ〜。勉強になります。

今谷 自分の命より人の命、となったら消防の活動が全部狂っちゃいます。

石川 そういうかなり緊張した現場の経験が少ないことがいま不安なんだ?

今谷 そうです。同期は現場経験がけっこうあるんですけど、自分はそういう経験がないのが不安です。

石川 でも、もちろん災害はないほうがいいよね(笑)。

今谷 もちろんそうです(笑)。

石川 これがいまのいちばんの悩みなんだ?

今谷 そうですね。職場の人間関係とかは、この人の言うことは聞く、この人の言うことは流す、と自分のなかで評価がはっきりしているので、あまり気になりません。

石川 その基準はどこにあるのかな?

今谷 普段の様子を見ていて、救助隊の人がとくにそうなんですけど、訓練や技術がしっかりしている人が信頼できます。警防隊の上の人だと知識だけあって文句ばかり言って、訓練や技術がなにもできない人もいるので。

石川 部活っぽく言うのもなんだけど、今谷くんの職場はみんなで合宿しているわけじゃん。するとその人の食事の仕方からなにからなにまで、生活が見えるわけだよね。そういうところで判断してるんだ。

今谷 そうですね。上の人のなかには、年齢の問題もあるけれど、訓練に出てこなくて、まったく興味を示さずに自分のことをやっちゃっている人もいるので。

石川 だからこそ、自分も下の者には尊敬される人になろうと?

今谷 筋トレはなんのためかというと、自分の命を守るためなんで。それに、隊のレベルは一番下の人間に左右されると言われているんで、そういう意味でしっかりやっています。

石川 その他に仕事のうえで心がけていることってある?

今谷 まず、市民との対応ですね。「プロだからへんなところ見せるな」と言われていて、“言葉づかい”には気を遣います。市民の人から電話で「きょうはどこの病院が開いているんですか?」といった問い合わせがあるんですけど、そういうときには丁寧な言葉を使って対応します。自分はもともと、人との接し方、見ず知らずの人と話すことがあまり得意じゃなくて、できるだけ避けてきたことなんです。「○○はただ今外出しております」とか、そういう言葉づかいも知らなくて。
それから遅刻ですね。“仕事では遅刻はしちゃいけない”。自分は高校のとき、学校が近いというのもあって遅刻ばかりしていて。でも、仕事では人から見られるから、遅刻ばかりすると「あいつ遅刻ばっかしている」となってしまいます。
あとは“あいさつ”ですね。高校のときは自分の顧問だけにあいさつしていればいいと思っていたんです。でも、仕事では「とにかくいろんな人に名前を覚えてもらえ」と言われてます。一緒に現場に出て仕事をするわけですから、年とか階級がちがっても、職場の集まりには参加するようにしています。

「働き出していちばん感じたのは、なにかを犠牲にしてやらなきゃならないものがある、ということなんですよ」

丁寧な言葉づかいが苦手、遅刻常習、あいさつもろくにしない、そういう高校時代の今谷くんはもういない。今谷くんは仕事をしながら自分を変えてきている。そんな今谷くんから見た大学生はどうなのか。そして、自分は高卒であることについてどう受けとめるのか。まだ20歳の今谷くんだけれど、これから起こりうる高卒・大卒の問題について、いまのところの意見を語ってくれた。

石川 さっき大学生は遊んでいる、という話があったけど、そのあたりはどう?

今谷 高校のときの友だちで大学へ行っているやつは、行ける大学に「流れ」で行ったという感じです。

石川 「大学生のヤツらはいやだな」とは感じる?

今谷 そうは感じません。大学のヤツとも普通に遊びますし。ただ、考えが「コイツ学生だな」とたまに感じるときはあります。

石川 「考えが学生だな〜」と。それはどんなとき?

今谷 働き出していちばん感じたのは、なにかを犠牲にしてやらなきゃならないものがある、ということなんですよ。それが大学生だと、ゆったりした生活で、なにかを犠牲にしなくてもいいと思うんですよ。

石川 犠牲にするって、たとえば、なにを犠牲にするの?

今谷 睡眠時間です。それまで、すげー寝てたんですよ(笑)。

大田 たしかに、なにかを犠牲に、というのはよくわかります。大学のときは本を読んだりとか自分で好きなことをやるために時間を使えたけど、仕事をはじめると時間配分をまったく別の考え方でやらなくてはならなくなりました。時間を取ろうと思っても取れないこともある。でも、そんなに寝てたの?

今谷 高校が家から近かったので、登校が8:50なんですけど、8:30まで寝てたんですよ。仕事をはじめたら、朝6:30とかには起きなくちゃならなくて。それで、最初の頃は高校までの夜更かしの癖が残っていたんで、朝は辛かったです。

石川 大学生の話に戻って直接的なことを聞いてしまうけど、今谷くんは高卒で仕事をはじめたわけだよね。それで、高卒のうちの父親、地方公務員だったんだけど、その父親が「大卒じゃないと出世できない」ってよく言ってたんだよね。そのへんはどう思う?

今谷 それは自分の職場でもおんなじです。自分は「お前、高卒だから下のヤツに抜かれていくから覚悟しとけよ」とよく言われます。採用に関しても、上のほうの考えとして、大卒のほうが知識があるから優遇されるということがあります。

石川 たとえば、高卒が出世できるのはここまで、これより上は大卒じゃなきゃだめ、というのはあるの?

今谷 詳しくはわからないけれど、それもあると思います。それから、消防の卵が集まる消防学校でも、表彰される成績優秀者はやっぱり知識がある大卒です。

石川 さっきから、大卒者は知識があるって今谷くんは言うけれど、今谷くんだって、勉強すれば知識は得られると思うんだけど。

今谷 単純に言えば、大学を出てれば上に上げる、という考えだと思います。そんな中で、「高卒のほうが長く働けるんだから大卒よりいいんだぞ」と言われると、「ああよかったな」と感じたりします。

石川 ちょっとまた直接的なことを聞いてしまうけど、さっき、「お前、高卒だから下のヤツに抜かれていくから覚悟しとけよ」と言われる、と言ったけれど、それはいまどう受けとめてる?

今谷 自分は階級を上げることが目標ではないんで。結局、「使える人」だと思われれば、それでいいんですよ。でも、今年も自分の後輩に大卒が入ってきたんです。大卒のほうが、たとえば、自分は消防士を8年やって階級が上に上がるんですけど、大卒はそれを5年でいいんです。結局年齢としては同じぐらいになるんですけど、大卒のほうが上に上がるのは速いです。そういう意味で、抜かれていくんですけど。

石川 じっさい階級が上がれば給料はいいんじゃない?

今谷 そうです。それに自分の意見を通しやすくなります。

石川 そうだよね。それで、指示を出すような上の階級の人は大卒?

今谷 そうですね。やっぱり上に上がれる人は人数が少なくなるんで。いま消防は60歳が定年ですけど、消防士長は40代で大卒が多いです。

石川 そうすると、いやらしい話になっちゃうけど、たとえば、今谷くんが40歳になったとき、今谷くんが消防士長で、あとから入ってきた大卒の後輩が消防司令長ってこともありうるわけだよね?

今谷 そこまでは離れないと思いますけど、自分が消防士長で、後輩がその一つ上の消防司令補や二つ上の消防司令になる、ということは、なくはないですね。

石川 だから「そういうのを覚悟しとけよ」と言われるんだ。

今谷 そうですね。いま職場でもじっさいにそういうことが起こっているので。

石川 今谷くんは、この仕事に意義があると思っているし、たくさん勉強して、たくさん経験も積んで、ずっと続けていきたいと思っているはずなんだ。それで、40歳になったら、みたいな話しをしたんだ。

今谷 自分はまだそういう場面に出会ってないですけど、じっさいに上に上がった人がそれまで先輩だった人を「オマエは下だ」みたいに言うこともあるので、「それはちがうんじゃないかな」と思うことがあります。もちろん、消防経験が長いほうが上、という考えもあります。

石川 じゃあ、逆に言えば、専門性を必要とする仕事だから、技術や知識、経験をしっかり身につけている人が実際の階級よりも尊敬される職場なのかな?

今谷 そうですね。自分たちはそこを尊敬するんですけど。でも、上のほうではそこを重視しない人もいます。「コイツ訓練ばっかやりやがって」とか。それで、自分たちとしては、なんで?と思う人の階級が上がったりとか。

石川 うーん、なるほどね。いま20歳なんだよね。そういう問題がこれから自分の問題として起ころうとする場面にいるんだと思うんだ。たとえば、もし、今後問題が起こって、「だったら、オレ大卒になってやるよ」と通信で大卒の資格を取る、っていうことも思うかもしれない?

今谷 同じぐらいの世代ではまだ対抗意識みたいなものはなくて、この関係を保ちながらなら、後輩が上に行っちゃっても、「オレが上なんだから」という態度を取らなければそれでいいんじゃないかな、と思ってるんで。

石川 今谷くんは、「自分は高卒だから、あいつらは大卒だから」みたいな人づきあいはしていない人だから、「いまこういう問題を聞いちゃっても」とほんとうは思うんだよね。でも、さっき言ってた「コイツ考えが学生だな」と思ってたヤツらが後から入ってきて上に行っちゃうんだから、そのときはなにか思うことがあると思ったんだ。でも、いかんせん、今谷くんの同級生はまだ大学生なんだよね。いまのところ自分としては大卒の人とも仲良くできればと思ってるんだよね?

今谷 そうですね。

「最近はやっと合コンちゅうものを・・・・・・」

今谷くんは携帯を主に使っている。パソコンでインターネットを見るときもあるがスポーツニュースでサッカーや野球の情報を仕入れるだけ。mixiはそんなにやっておらず、そこから知り合いを広げるということもない。Twitterの存在は知っているがやっていない。でも、モバゲーはよくやる。じつは、今谷くんの職場では「怪盗ロワイヤル」が流行っている。同期の人だけでなく、上司もやっており、おじさんが強い。そんな今谷くんの恋愛事情を最後に少し。

石川 これはいつも沢辺さんが聞くんだけれど、彼女いる?

今谷 彼女いないです。仕事はじめたら女の子との接点はまったくなくなってしまって。

石川 高校は共学だった?

今谷 6(女子):4(男子)で共学でした。

大田 それでサッカー部だったらモテたんでは?

今谷 いや、女に話しかけなかったんで。

石川 話すのが苦手だったんでは?

今谷 そうです。自分は女は好きだけど話すの苦手だったんです(笑)。なに話したらいいんかな?

石川 ぼくも大学で女子学生と話すことがあるけれど、やっぱいまだに努力してる感じあるかな。

大田 ぼくは中高男子校で、大学から共学だったんですけど、姉がいたので、女の人と話すのに困ることはなかったですね。まあ、話すことはなんでもいいんですよ(笑)。

今谷 でも最近はやっと合コンちゅうものを・・・・・・。

石川 おっ、合コン!

今谷 中心になって「さぁ、やるぞ!」ではなく、自分は呼ばれていくほうで。職場で合コンが好きな人がいて。結婚してるんですけど、なんか不倫とかいろいろやっているみたいな人がいるんですよ。その人が呼んでくれて、そうすると、だいたい来る人が人妻なんですよ(笑)。自分はいちばん年下で、同期でも26歳とかなんで、それだとどうしても呼ばれる女の人の年齢が上になっちゃうんですよ。まあ、合コンのときは自分は26歳だとか言いますけど(笑)。

大田 年上は好き?

今谷 はい。自分がなよなよしているので年上のほうが好きです。

大田 引っ張ってもらったほうがいい?

今谷 自分が家庭をもったときに、奥さんに財布を握ってもらって、「あんたこれで一ヶ月過ごせ」と言われたほうがいいような気がして。そうでないと全部使っちゃうような(笑)。そっちのほうがいい生活できるかな。

石川 じゃあ、合コンでいい人見つけたい?

今谷 合コンは、終わったあと女の子と連絡取るとかよりも、その場でたのしんでもらえればいいです。

石川 それじゃ、彼女とかにはあんまり興味はないの?

今谷 彼女はほしいですけど、一人でいる生活が好きなんです。

石川 一人の生活って?

今谷 自分は、休みの日とか、何時に起きて、そのあと何するか、と自分でスケジュールを立てるのが好きなんですよ。それで、彼女のために自分の生活を犠牲にするというのに慣れていない、というのがあるんですよ(笑)。「お前マメじゃないな」なんて言われますけど。

石川 「慣れてない」っていうのがいいね(笑)。でも、彼女できれば慣れてくると思うよ。犠牲というのもなんだけど、犠牲にせざるをえないと思うよ(笑)。
今日は長時間ほんとうにありがとうございました。ふだん聞けないようなお仕事のことも具体的に聞けて、とても勉強になりました。

◎石川メモ

仕事をしている人

 今谷くんは仕事をしている人。最初のほうの「夕飯を何にするか決めるのは、自分たち下の者でみんなが食べられるようなものを決めます」といった話だけでも、ほんのちょっとしたことだけれど、「仕事をしているな〜」と感じる。みんなの意見を聞いてお楽しみ会みたいに夕食を決めてたら埒が開かない。
そして、今谷くんが就職してから心がけるようになった“丁寧な言葉づかい”、“遅刻厳禁”、“あいさつ”。これ、ほんとうに大切なことだと思う。そういえば、今谷くんは「個性」とか「自己実現」とか「夢」などといった言葉はいっさい使わなかった。
 今谷くんの話は具体的だ。だから、今谷くんの仕事には「夢」はないけれど、具体的な「目標」がある。その目標に向かって、「パチンコばっかやってるな! 地理や水利のこと勉強しろ!」とか、「市民への応対は丁寧な言葉で!」なんて怒られたりしながら、そのつど歩んで行く。仕事ってそういうことなんだと思う。

ある意味で幸せなのかも

 いわゆる就活で職業の適性診断というのがある。ぼくはそういうものを半分信じて半分信じない。人はだいたいはなり行きで仕事に入っていくんだと思う。けれど、今谷くんと話してみて、これは結果としてなんだけれど、適性ぴったりの感じがする。
 今谷くんは、愛する地元でずっと働ける、体を動かすことが大切な、そのつど深めて身につけるべき技術や知識がはっきりしている、人のために役立つ職業に就いた。もちろんこれから、たとえば高卒・大卒問題など、かなりシビアな問題に出くわすかもしれない。けれども、いまの今谷くんには仕事に関して肯定感がある。ついでに、地元には友だちもいるし、仲のよい家族、やさしいばあちゃんもいる。だから、ある意味で、いまの今谷くんは幸せなのかもしれない。
 でも、さっき、人はなり行きで仕事に入る、と言ったけど、仕事というのは、自分の選択のようでもあり、一方で、なんだか知らないけれど投げ込まれてしまったものなのだと思う。どうにもならないなり行きで、うまくいかないこともあって、仕事や人生に肯定感がもてない人だっているはず。そのあたり、どうなっているんだろうか。また他の若い人に聞きたくなった。

どうしようもないヤツを上手に流すこと

 ぼくなりに考えてみると、仕事をするということは、「どうしようもないヤツに出会う」ということを身をもってわかる、ということなんだと思う。同僚にもお客さんにも、かならずどうしようもないヤツがいる。
 今谷くんは、さらりと「人間関係で悩みはありません」と言っていたけれど、自分のなかで、どうしようもないヤツをきちんと判断しているのだと思う。もちろん、その判断の基準は絶対的なものではないけれど、ちゃんと「この人の言うことは聞く」、「この人の言うことは上手に流す」ということができている。
 大事な局面では合意をなんとかつくる、ということも大切だけれど、一方で、相手を「上手に流す」ということも大切だ。「みんなかならず分かり合える」、「どんな人でもかならずひとつはいいところがある」といったことはガチガチな理想にしないほうがいい。どうしようもないヤツに過度にむき合おうとするとエネルギーを使って疲れるし、相手に対する恨みもたまる。だから、「上手に流す」ということは自分を守ることでもあるし、人間関係の悩みを少なくするひとつの方法なのだと思う。

2010-10-27

第7回 自分のなかの基準をもちたい──山崎麻美さん(22歳・女性・大学4年生)

山崎さんは、1987年に高知県佐川町に生まれる。父親は高校の先生。母親は小学校の先生。10歳上と3歳上の兄がいる(現在それぞれ都内に住んでいる)。山崎さんはその町で育ち、県立の商業高校を経て都内の私立大学へ。現在4年生。卒業後どうするかはまだ未定。
山崎さんは、物怖じせずにはきはき自分の意見が言える、自分のことを整理して語れる人という印象。
*2010年4月24日(土) 18時〜インタヴュー実施。

「家族はそれぞれ、自分のやりたいことをやろうよ、という感じです」

家族構成は、やりたいこと派の父方の祖母(昭和3年生まれ)、父(56歳)、上の兄(31歳)、そして山崎さん。とくに、父は「思いつき」の人らしい。一方、堅実派の母(52歳)と下の兄(25歳)がいる。

石川 どこで育って、どんな子どもでしたか?

山崎 高知県の生まれです。小中高と高知で育ちました。10歳年上の兄がいて、その影響からか、幼いころから東京に出るんだと思っていました。

石川 お兄さんってどういうひと?

山崎 二人の兄がいます。一番上の兄は10歳差、二番目の兄は3歳差です。一番上の兄は高知でおばあさんがやっている雑貨屋さんの仕入れを東京でやっていました。いまは私も含めてそれぞれ三人東京に住んでいます。

石川 雑貨屋ってどんな雑貨屋さん?

山崎 おばあさんは昭和3年生まれですが、1990年から雑貨屋さんをはじめました。お店は、洋服やティーポットなどを売っています。なんか宝探しみたいな店です。

沢辺 田舎の雑貨屋さん?

山崎 兄や私が東京から仕入れたものがあります。

石川 ご両親はどういうひと?

山崎 二人とも教師をやっています。母が小学校の先生で、父が高校の先生です。

石川 厳しい?

山崎 家族はそれぞれ、自分のやりたいことをやろうよ、という感じです。これをやってはいけない、あれをやってはいけない、と強く言われたことはありません。助言はあるけれど、自分がこれと決めたことは応援してくれています。

沢辺 お父さんとお母さんはいくつ?

山崎 お父さんは56歳、お母さんは52歳です。

沢辺 団塊世代よりちょっと若いご両親だね。

山崎 そうです。先生になるのも簡単だったみたいです。

石川 お父さんは科目は何を教えているの?

山崎 商業を教えていますが、デザインをやりたかったみたいです。

石川 お父さんは先生で、子どもにも安定した収入のある先生になるように、と勧めて、お兄さんが「おれはそんなふうにはならないんだ!」と家を飛び出した、とかそんな感じじゃないんだよね?

山崎 そうですね。そういう感じじゃないですね。父は思いつきのタイプなので、わたしや兄の「やってみたい」という気持ちをわかるところがあったと思います。従兄弟とかは、「ちゃんと高知に就職して安定した生き方をしなさい」とか言われていると思います。うちの場合は、お父さんもお母さんもこのつぎやりたいことを考えていて、わたしたちにも「やりたいことをやりなさい」という感じです。

沢辺 お父さんはなにやりたいって言ってるの?

山崎 うちの父はフランスが好きで、自分の教えている学校の修学旅行をフランスにしたくらいです。それでいまは、フランスでたこ焼き屋をやりたいみたいです。

沢辺 フランスでたこ焼き屋をやりたい?

山崎 はい。それから若手の芸術家を集めてギャラリーをやりたいとか夢みたいなことを言ってます。

沢辺 ちなみに、高知のどこ出身なの?

山崎 佐川町といって、高知市から車で一時間ぐらいのところです。

沢辺 お父さんもそこで生れたの?

山崎 お父さんはそこで生まれ、大学は千葉の商業大学へ行って、生れた町に帰ってきました。

沢辺 お父さんとお母さんはどこで出会ったの?

山崎 聞いてないです。うちはみんなそういうこと聞かなくて。

沢辺 土佐へ帰って勤めはじめてから先生同士で出会ったとか?

山崎 どうもそうでもないらしくて、母はいろいろあったみたいで、母の母(母方の祖母)が再婚して、その新しいお父さんと母はうまくいかなくって、高校を卒業すると家を飛び出して。それで、通信教育で先生の免許を取って、20歳すぎぐらいで父と結婚しています。

沢辺 オレの世代ではお母さんは少数派だね。その頃はもうちょっと社会は豊かになっていて。

山崎 母は勉強もできたみたいで、ほんとうは大学に行きたかったんです。私が日雇いのバイトをしたと言うと、日雇いよりも時間を大切にしなさいと言われます。

沢辺 数千円のために貴重な自由な時間を無駄にするな、と。ところで、母さんは父さんのようにフランスへ行きたいみたいのはある?

山崎 父と一緒にフランスに着いて行く、というのもあると思うし、おばあちゃんの雑貨屋を手伝いたい、というのもあるみたいです。

沢辺 そのおばあちゃんは父方のおばあちゃん?

山崎 そうですね。母方のおばあちゃんは、二年ぐらい前に亡くなって。わたしは好きだったんですけど、母は家を出たあたりから祖母とは、距離感が多少あって。病気になってから看病したことで、最後は交流できてよかったといっていました。
 
沢辺 お母さんはたいした度胸だったみたいだね。ちょうど第一次ディスコブームのあったその時代、そこそこみんな食える時代だった。そんなときに家を飛び出て自活するお母さん。通信の大学行って、って。いまならよけいそんなことやるひといない。

石川 じゃあ、お父さんは大学のとき遊んでた?

山崎 遊んでたと思います。バカだと思いますよ(笑)。

石川 なにしてたか聞いてる?

山崎 詳しい過去のことは聞いていませんが、やりたいことをやっていたと思います。母はそういう父にあこがれていると思います。で、うちの家族って、父と一番目の兄とわたしは似ているところがあって。母と二番目の兄が似ている。

石川 そういえば、二番目のお兄さんっていま何しているの?

山崎 いまは東京でシステムエンジニアをやっています。高知の理系の大学を出て。昔はわたしはあんまり仲良くなくて。わたしが「感情」で兄が「理屈」といった感じで。

石川 では、お父さん、一番目のお兄さん、山崎さんが思いつきというか、直感で行動するタイプで、二番目のお兄さんは堅実なタイプなんだね?

山崎 そうです。二番目のお兄ちゃんがわたしの就活についてもいろいろ言ってきます。二番目のお兄ちゃんはお金が好きです。ちゃんとお金を貯めてから世界一周をしたい、というタイプです。

石川 お兄ちゃんは世界一周はするの?

山崎 よくわかんないですけど。わたしとはちがうタイプです。

石川 じゃあ、お父さんは、山崎さんが「自分はこうしたい」という思いつきを言うと、「やりなよ」とすぐ言ってくれるの?

山崎 なんとなく、子どものやりたいことを察してくれて、アドバイスみたいなのはくれます。いつも「こうしたい」という話をしているのではなくて、節目節目に、ちょっとギャグっぽく、こういうことをやりたいというのを話します。家族って「いつもよりそっている」という感じじゃなくて、だいたいそうじゃないですか。

石川 家族は仲はいい?

山崎 そうですね。盆暮れにはぜったいみんな集まって。

石川 お父さんもお母さんも仲がいい?

山崎 そうですね。

「高校は高知市にある商業高校へ行きました。ラオスに学校を建てよう、というけっこう特別な活動をしている学校でした」

山崎さんはけっこう活動派。高校のときはラオスに学校を建てる活動もしていた。素直にまっすぐに参加していた印象。

沢辺 小、中で勉強はできた?

山崎 飛びぬけてできたわけではなかったです。国語とかは得意だったけど、中学校からバレーボールの体育会系になって、高校まで体育会系で、大学に入って、また文科系に戻った、というか。だから、勉強とかには劣等感があって。でも、お母さんやおばあちゃんに、「気づいた時が出発点だから、遅れじゃないよ」と言われると、「ああそうかな」って。

沢辺 じゃあ、クラスのまんなかへんぐらいだったんだ。

山崎 そうですね。

石川 学級委員とかはやったの?

山崎 やっていたと思います。勉強とかじゃない部分でうまい位置にいたのか知らないけど、クラスではやな思いをしたことはないです。

沢辺 リーダーっぽい感じ?

山崎 グループの名前はわたしになってることがあったけど、じっさいは権力はそんなになかったです。わたしが絶対ではなくて、別に誰かが影でリーダーとしているわけではないけど、わたしの言うことで決まるということはなかったです。いつもわたしが意見をいうので目立ってた、とか、そんな感じです。

石川 じゃ、山崎さんはさばさばするのが好きでうじうじするのはきらい?

山崎 そうではないです。わたしもうじうじしています。

石川 元気いっぱいの少女っていう感じもしたけど。

山崎 明るいけど、明るくいたいと思っているだけで、自分の暗い部分とかは流しちゃいけないんだな、と思います。他のひとと比べると、自分は悩んでないな、と思うこともあるけど、家庭環境とかちがうし、比べられないな、とか。

石川 いきなり悩みの話になっちゃったけど、ちょっとまだ聞きたいことがあって、高校は進学校だったの?

山崎 高校は高知市にある商業高校へ行きました。ラオスに学校を建てよう、というけっこう特別な活動をしている学校でした。叔父がそこの先生をやっていて、小さい頃からその活動を見ていて。高校三年間はその活動をしていました。商業高校だから、自分たちでお金を集めてラオスからものを仕入れてそれを売って資金を集めるという活動をやっていました。

石川 お父さんの弟も先生なんだ。

山崎 お母さんは一人っ子で、お父さんの兄弟の家系が先生をやってます。先生一家です。

石川 どういう活動だったの?

山崎 自分たちでいろいろ企画できます。ラオスに行ったときは、ただ行くんじゃなくて日本語を教えたり、日本の文化、よさこいを踊ったりしました。日本でも高知市の地域活性課と協力して、市内の商店街の地域の活性化とラオスに学校を建てる活動を合体させてイベントをやったりしました。

石川 ラオスは年に何回行くの?

山崎 年に一回行きます。

石川 すんなりその活動に入ったの?

山崎 「世界には難民がいて」と言われると、知りたい、という気持ちが強かったです。偽善だとか、これを将来のことにつなげようという考えはなくて、ただ興味があってやってました。

石川 すなおにスッと入っていったんだ。そういうのはいやだという学生はまわりにいなかった?

山崎 生徒会が中心になって動いていたんですけど、わたしは生徒会は暗い、まじめという印象をなんとかしようと思っていて。面白いことをやっているのに、生徒会のイメージだけで、活動に積極的でないひとも多くて。

石川 全体的に高校時代は「たのしい思い出」という感じがするけど、挫折みたいなのはなかった?

山崎 「自分がやってきたことは自己満足なのではないか」というのは大学に入ってから感じたことです。それまでは、自分がやっていたことを外側から見るということはなかったです。

石川 そういえば、小、中、高ってずっと同じ友だちだったの?

山崎 高校も幼馴染の子がいて、大学ではほんとうに一人で入ったので、ホームシックになっちゃって。うまく友だちもできなくて、わーっとなっちゃって。そのときに、あなたのやりたいことは何なのって聞かれて、そしたら勉強だと思って。それができてるからまずはいいんじゃないといわれて落ち着きました。それからいろんなところに顔を出すにつれて友達もできて。

石川 それがはじめての挫折だったの?

山崎 挫折っていうか、あんなになるとは思わなかったです。でも、挫折って難しいことばですね。

沢辺 なにかに打ち砕かれるというか。

山崎 そういえば「だれかに壊されたことってある?」と言われたことがあります。

「自分のなかの基準をもちたいです」

山崎さんは高校卒業後、自由な校風で知られる都内の大学に進学した。そこで大学を楽しくする活動にかかわるけれど、高校のときのようにうまくいかず、ちょっとした挫折も経験した。現在の悩みは「自分のなかの基準をもちたいです」とのこと。

石川 山崎さんは商業高校に通っていたから同級生は就職するひとが多い?

山崎 専門学校や大学に行くひとも多いです。

石川 山崎さんはなぜ大学に行こうと思ったの?

山崎 大学は推薦で受けたんですけど、最初は関西の有名私大を受けてだめで。たのしいと思える大学に行きたいと思って。それで、親が私がいま行っている大学を勧めたけれど反発して、他の大学を受けようとしてたんです。けれど、東京にいる一番上の兄に相談したときに、「その大学はいいよ」と言われて。そしたら、すんなり、その意見を受け入れて。それでいま行っている大学を受けました。いまは行ってよかったと思っています。

沢辺 その大学は受験するときになって知ったの?

山崎 いや、小さいころから知ってて。親が研究で行ってたりして。

石川 有名なんだ。うちの田舎の親も公務員だったけどあそこは知らなかったな。

沢辺 あそこって教員、インテリ、民主主義とか人権に興味があるひとに有名なんだよ。

山崎 父も興味があった大学です。一番上の兄も入りたかった大学だったようです。

石川 受験勉強はしたの?

山崎 高校受験のときだけです。でも、いまになって勉強がたのしいと思えるようになりました。

沢辺 勉強がたのしいって思えるのは、30とか40になってからだと思うけど?

山崎 大学の哲学のゼミに入って、考えたことを言葉にすることが面白くなって、それに相手を説得したり、納得させるためには、知識が必要だなと思ってからは知ることが面白くなって。もっとはやく気づけばよかったと。

石川 社会に出たり、仕事をはじめたりすると考えることって切実になってくる場面があるけど、そこの大学のゼミってけっこう充実しててとことん話すようだからそうなるのかな?

沢辺 あくまで個人的な意見だけど、あの大学のそういうところは危険だと思う。社会はそういうふうにできてない。

石川 その感じ、わかります。

沢辺 あそこの雰囲気って、簡単に言えば、甘やかされてそのなかで意見を求められて話をしているという感じ。そこでの勉強のたのしさって大学を出てからもち続けられるかよ、と疑問だね。ひねくれた年寄りの意見だけど。

山崎 質がちがうって感じですか?

沢辺 仕事で求められる意見とあそこで求められる意見はちがうという感じがする。あそこは意見を求めるけど、どんなことでもOKにするという感じ。でも、社会はあるレベルに達した意見ではないと認めない。

石川 ぼくの感じではあそこは危ういところがあるし、やさしいところがある。けれども、まず、その大学に入って山崎さんはいままでの自分を外側から眺められた。今度はその大学を出てそれまでの自分を外側から眺めればいいのでは?

沢辺 そうそう。

山崎 そういうのって、社会に出るとわかるんですか? 他の大学へ行ったらわかるんですか?

沢辺 社会に出るとわかると思うんだけれど、甘やかされているままだと大変だと思う。

山崎 ふーん。

石川 「やさしいあの場所に戻ろう」とか抜け出せないひともあの大学には多いよね。

山崎 そういうのよく聞きます。

石川 あとは、山崎さんタイプじゃないけど、アンチだと「いいね!」と言われて、そこばっか伸ばしてしまうひともいると思う。

沢辺 そうそう。たとえば、社会を否定してもなにもできない。否定の方法論をいくら学んでも現実をどうするかという解決には結びつかない。でも社会はその解決を求める。にもかかわらず、否定すると、こいつ考えてる、というのをOKとする雰囲気。

山崎 でも、そういうひとをまず受け入れるというところがこの大学のいいところではないかと。わたしは大学に入るまで否定に出会ったことがないので。否定をそれまで怖がっていたけど、大学に入ってそのひとの理由がきちんとある否定なら受け入れられるようになった。否定が怖くなくなりました。

石川 いま否定の話になったけど、大学でなにか否定されたことがあったの?

山崎 二年生のときに、「自分たちの学校は自分たちで楽しくしよう」っていう目的を元に自主企画ゼミを起こして、私はゼミ長だったし、みんなの意見をまとめたいと思ったんです。けれど、うまく全体をまわせなくて。活動の最後に仲良くしていた友だちに、「この活動は意味がなかった」みたいなことを書かれて。わたしはそれまで友だちなら否定はしないと思っていたので、すごくショックでした。なかなか受け入れられませんでした。

石川 どんな活動をやっていたの?

山崎 一年間、大学の食堂で使っているトレーをきちんと返しましょう、という運動をやって。うちの大学はトレーを食堂の外に持っていって食べてもいいので。「じゃあ、みんながトレーを自発的に返すようにできればいい」ということで、私たちも楽しくできる呼びかけを考えてポスターや看板を作りました。でも最終的に結果をとるなら、「罰金をとればいい」という考え方に分かれてしまってうまくまとめられなくて。

石川 高校まではみんなでたのしくやってたのに、この大学での経験はある意味挫折みたいなもんだったと。

山崎 いままでは、友だちだったら意見は分かれないと思っていたけど、この経験で、友だちだから、というのがよくわからなくなって。

石川 友だちでも協力できることはできる、協力できないことはできない、ということがわかった、と。友だち観も大学でけっこう変わったの?

山崎 変わったんだと思います。

沢辺 小、中ぐらいまではいっしょにみんなで大きくなるけど、高校、大学へ行くとひとがちがう。いままで知らなかったひとにはじめて出会うひと、いっぱいものを知っているひとは大きく見えた。まわりのみんなが大きく見えた、ってことじゃないかな。

石川 ぼくなんかはものを知ったり、斜めに見れるひとが大きく見えたけど、山崎さんはどうだった?

山崎 言いきれるひとがそうでした。自分はなかなか言いきれないので。

沢辺 言いきれることに反発はないの?

山崎 この意見がすべて、というのはいやです。言いきることができないことを言いきろうとするのが疑問です。

石川 山崎さんは、言いきれるひと、とかじゃなくても、あこがれているひとっている?

山崎 自分は開かれていたいというのがあります。限定されていないこと、自分が影響を受けているひと、あこがれているひとに自分は限定されないでいたい、という気持ちがあります。「自分のいる世界だけが1番」みたいな人には「なんでそうなのかな?」と。狭いひとにはあまりあこがれません。

沢辺 ほんとうはなにか?ということなんじゃないかな。

山崎 みんなに共通する理想はあるのかな?と。

沢辺 これは大きな悩みだとぼくは思うんだけど。

石川 柔軟っていいことだけど、ほんとうはなにかわかんなくなるよね。

沢辺 ほんとうのことがあるとして、それはどんなものなのか。それから、自分はこれだ、と思ったことでも親はそれを望んでいなくて、それもやっていいのか。いろいろ迷うよね。

山崎 自分の「こう」というのはほんとにそうなのか、と。たとえばわたしはあるコピーライターさんが好きだけど、自分のモデルはほんとうに正しいのかどうか不安です。なにかを競争のなかで比較して鍛えてきたことがないので。ひととの向き合い方でも、「ほんとうはどうなんですか?」と気になります。ゼミの先生がわたしのことをほめてくれても、ほんとうにそうなのか気になって。自分の向き合う努力が足りないのか、と。でも、だめだとは思わなくて、あせらなくていいと思っています。

石川 ひととのかかわりで困っていることはそれ?

山崎 わたしはひとの言うことに共感しすぎるところがあって。なんで自分はひとの言うことをすなおに受け入れるのか。納得しているのか。そういうことに不安があります。

石川 じゃあ、いまの悩みはなんですか?

山崎 自分のなかの基準をもちたいです。

石川 そうか、柔軟と見えるけど、じつは自分をはっきりさせたいわけだね。

山崎 歳をとっていって基準ができたらいいかなとは思いますが。

「雑貨の仕事をやりたいです」

山崎さんのいまやりたいことは、雑貨屋さん。好きなコピーライターがやっている活動に共感して事務所に「参加させてください」と押しかけてダメだった。いつか自分の雑貨の仕事に注目されて、その事務所に「来てください」と言われたい気持ちもある。以前に雑貨チェーンのアルバイトをやっていたときのこと、自分で自由にディスプレイできなかった。自分でお店をやったら自由にやりたいことができるとも思っている。

沢辺 卒業したらなにするの?

山崎 それまでは先生になりたいと思っていたけど、これはちがうと思って、他人の成長より自分の成長に興味があります。そしたら、あるコピーライターの人がやっているインターネットサイトの活動に出会い、そこで出している本とか読んだりしたら、そこで働きたいと思ったんです。大学三年生のときに、いきなり事務所に行って「バイトでもいいから働かせてください」と言いました。そしたら、「そういう人っていっぱいいるから」って断られて。それでもめげずに、今度は自分の思いを手紙で出して、でも手紙に返事がなかったので、今度はまた事務所に手紙をもっていって、「返事をください」ということをやりました。けれどだめで、いまは、おばあちゃんが雑貨屋をやっている影響もあってか、雑貨の仕事をやりたいです。その事務所に「入れてください」ではなくて「来てください」と言われるようになりたくて。そのきっかけとして。分散した興味をまず雑貨にして、そこから物を売ったり、出版をしたり、イベントをしたり、といったかたちで広げていきたい。まずはバイヤーになってフランスで働きたい。そのフランスへ行くお金を自分で貯めたいと思っています。フランスにはのみの市とか雑貨の文化があって。まずはそのステップとして、いろいろ探して日本でまずバイヤーになることを学ぼうと。

石川 インタヴューをはじめる前に、いま雑貨チェーンでバイトをやっているみたいなこと言ってたけど、それをつづけるの?

山崎 そこは三月でやめることになっていて、いまは友だちとグループ展をやることに集中していて、グループ展が終わったら、そのあとどんなふうにするか考えます。

沢辺 四月から仕事を探しはじめる、と。

山崎 そうですね。

沢辺 なんで雑貨なの? ありがちじゃない? それに、世の中みんな雑貨屋さんになったら米作るひといなくなっちゃうと思うけど?

山崎 なくてもいいこと、そういう場に興味があって。そういうところに自由を見ているんだと思います。地道な生活というよりも。

石川 地道ってどういうこと?

山崎 お米をつくる人は自分でそれを食べることができるじゃないですか。

石川 うーん、自給自足のイメージなんだ。

沢辺 宅急便のお兄さんとか世の中に役に立ってると思うけど。ぼくは本出して売る仕事をしてるけど、自分の仕事より、よっぽど役に立ってると思ってる。

山崎 でも、出版の仕事はたのしいわけですよね?

沢辺 なんとなく一個一個眼の前の情報を印刷物にしていたら、だったら本屋さんに置かれるものにしよう、と。決断の一個一個が積み重なって、それはそれぞれほんの小さなものだったけど、それが積み重なっていまの状態になったという感じ。
山崎さんのように、出版をしよう、みたいに、いまの状態を思い描いたことはなかったね。宅急便のお兄さん、工事現場でユンボ動かしているひと、お弁当屋さんで働いているひと、いまの日本社会の多くのひとはじつはオレのパターンじゃないかと思っていて。それでいい。そんなもんじゃないの、とオレは思っている。
山崎さんとかは「こういうのやりたい」というのがあって意外だった。じつを言うと、大学の同級生に「やりたこと」ってワケじゃなくて、たまたまコピー機を売る営業になったってひともいるんじゃないかな? オレはたまたまでいいと思う。
むしろ、いまは「やりたいことをやりなさい」とまわりから言われていて、それはプレッシャーなんじゃないかな、と。それで、山崎さんはなんでクリエイティヴなの?

山崎 自分で決められる仕事をやりたいと思って。「こうしてはいけない」とは言われないような、自分で決められる仕事をやりたい。雑貨チェーンでバイトをしているとき、クリスマスのディスプレイをつくることになって、わたしはそのディスプレイにそのお店で売っているラムネを入れた。ラムネの本物を使うことで雰囲気もよくなるし、子供もよろこぶんじゃないかと思って。そしたら、社員さんから「ラムネの中身を食べ物ではないティッシュとかに変えてほしい。食品をそういうかたちで展示すると危険性があるので」と言われたんです。社員さんは、きっと、会社全体のことをかんがえてそう判断したのだと思うのだけど、そのことで余計自分で雑貨屋さんをやりたいと思いました。

沢辺 それは決定的にちがうと思うな。自分で雑貨屋さんをやれば自分で決められて自由になれると考えるのはちがうと思う。ほんとに自由をつくりだせるひとは会社のなかでも自由をつくりだせるはず。

山崎 ラムネのときもできるんですか?

沢辺 いまできるとは思わないけれど。
若い山崎さんがいまできないことは個人的能力の結果とは考えない。でも、どこかに行くと自由があるという考えはだめで、ほんとに自由を作り出せるひとはどこでも自由でいられると思うよ。
こないだのテレビでやってたカンブリア宮殿の花屋の社長、世間的に成功したひとと言われているひとも、さいしょは偶然のいきがかりで花屋になった。けど、その仕事と真剣に向き合った結果、そこにのめりこんでいった。
どんなところでも面白いものをみつける力があることが大切だと思う。ちょっと説教くさくなっちゃったけど、「ここには自由がないけれど、どこかに自由がある」という考えはまちがっていると思う。

石川 ぼくもその話は勉強になります。ぼくもある意味で山崎さんと同じようなクリエイティヴ志向だったので、「もの書きの弟子になったら自分の好きなことできるんじゃないか」と思って弟子になったけど、じっさい弟子になったら、言われることをやることばかりで。それで、自分でやりたいことをやりたい、というか、クリエイティヴなものへのあこがれを徹底的になくしたら、なくしてもらったら、自分で本が書けるようになったというか。

山崎 お二方が言っていることはよくわかるんですけど。ラムネの件も、会社のせい、「顔の見えない大きな組織だから、そういうこと言われるんだ」という感じがありました。

沢辺 よくあるビジネス本にも書いてあるけど、たとえば、そういう雑貨チェーンのいまの問題も、創造力を、どう現場から生みだすのかってことなんだよね。こうやったら売れるかもしれない、というのも含めて、働いているひとが自分自身でなにかを生み出せるか、というのが会社のいまの問題。でも一方で、現実はなかなかうまくいかない。たとえば、アルバイトに全部お店をまかせてしまったら、うまくいくはずがない。そこのところがいまのほんとうに上にいる偉い人が考えてることだと思う。

石川 山崎さんは、上から言われることっていやだった? 逆に、「本物のラムネがいいんです」って言っている自分をいやだと思わない?

山崎 上の人からの説明に共感できればよかったんですけど。

沢辺 でも、あえていえば、そこまで止まりだったんだよ。代案が提示できない自分もいるわけじゃん。

山崎 バイトだったから、というのがあったかも。

沢辺 でも、バイトでもやりたいことはできるはず。

石川 ほんとは、「上から言われて」ということじゃないかもしれないしね。

沢辺 世の中には、たいした理由もないのに決まっていることも多いよ。
国立国会図書館では、本のカバーは捨てちゃうんだけど、そこに厳密なルールやたいした理由もなくて。
むかしは、パラフィン紙というぺらぺらの紙を本のカバーとしていたので、それは捨ててもよかった。でも、だいぶ前からカバーの意味は変わってきた。
カバーは保存の意味ではなく、多くのひとに手にとってもらうためのものになった。デザイナーはそこに力をつくしている。でも、カバーを残しておこうよ、と行動に移すひとは誰もいない。図書館の現実がなかなか動かなければ、カバーを捨てないでとっておく、ということをひとりでやることもできる。ひとりだってできることもあるんだ。
たとえば、戦後すぐのカストリ雑誌を保存していたひとがいて、これは捨てられてしまうもので、それを保存しているのは当時はばかにされていたと思うけど、その個人の意欲はいま、すごいな、と評価される。ひとりでできることだってある。こういうひとは自分の自由を増やすことができる。自由なひとはこうやって自由を見つけだすひとだと思うんだ。
山崎さんは自分で雑貨屋をやると自由だと思ってるみたいだけど、オレなんて独立して自分で出版社を立ち上げたけど、まず思ったのは、自由じゃない、ということなんだ。だって休めないもん。休んじゃうと不安で不安で。お客さんも来なくなるんじゃないか。休むという自由ですら勤め人のほうがあるぜ。

山崎 「休んでもそのお店に魅力があれば」という発想はないんですか?

沢辺 もちろんそういう思いはあるよ。思いたい。でも、自分のお店に魅力がある、というのがまちがっていたらそれは怖い。ほんとうに魅力がなかったらおしまいだよ。そこが不安なのよ。

山崎 わたしのいまの考え方だと、「休んでもその間になにかを蓄えて帰ってくればまた魅力になるんじゃないか」というのがあるんですけど。

沢辺 たとえば、ある飲み屋が、日曜日やってるって、わかってて、行ってみたら「臨時休業」ってなってて閉まってて、そうすると、「今度もまたここ来よう」というモチベーションは下がるよ。

山崎 そこって絶対なんですか? 「ああ、空いてないんだ、また来よう」ぐらいには思わないんですか?

石川 いやあ、ひとはそんなにやさしくないと思うよ。

沢辺 オレ、やさしくないもん。

山崎 「しょうがないか」というのはないんですか?

沢辺 もちろんお店に抗議したりはしないけれど、行きたいときにそのお店が閉まってると確実に、つぎもそのお店に行こう、というモチベーションは下がるね。

山崎 でも、みんながそうなっちゃったら?

石川 えっ!

沢辺 ぼくらは自分の行動には決定権はあるけど、他人の行動に決定権はない。いっせいに「あんまり働かないようにしよう」、「みんなで休むようにしよう」と思うのは現実的ではないよ。

山崎 休んでも、ほかに魅力をつけるようにすればいいのでは?

沢辺 それはそう。でも、そうするには二倍の努力がいる。だから、休まないようにして、マイナスな条件を減らしていくほうが楽チンだと思うよ。一個一個の選択肢を埋めていくというのはそういうことで。うーん、説教くさいな〜。

石川 たとえば、世の中に100件のお店があって、「じゃあ、この日はぜんぶのお店で休むようにしましょう」ということになったら、1軒だけぬけがけして休んでないお店がもうかるよ。

沢辺 本屋さんがそう。組合があって、ぬけがけを禁止するような方向で進めてきた。その結果なにが起こったか。自分のお店の魅力をどう上げるか、ということを考えなくなった。いまは本屋さん全体が衰退してしまった。ぬけがけをつぶしていく、という方向ではうまくいかないんだ。競争というか、「人をたたくんじゃなくて、自分はどうするか」という方向のほうが、これからの社会の方向を考える上で妥当性が高い。

石川 こういうのははじめて聞く話?

山崎 そういうことがわかっていなかったからか、「バイトでできなかったことを自分でお店をもてばやれるかも」と思ってました。その場、その場でできることを考えずに、つぎへつぎへと考えてしまっていたと思います。でも、いまの話を聞いていると、その場のできることに集中することで、たのしさが生れるんじゃないか、と思えてきました。

「たのしむために仕事をする、というか」

山崎さんの仕事のイメージは「たのしいこと」につながっている。雑貨屋さんをやりたいというのも、そういうイメージとつながっている。

石川 山崎さんにとって働くことのイメージってなに?

山崎 こうあってほしい、というので言えば、たのしむために仕事をする、というか。

石川 仕事イコール「たのしいことやること」という感じ?

山崎 うん。毎日やることだから。

石川 それがいまは「雑貨屋さんをやる」ということなんだね?

山崎 自分がたのしいと思い、力が注げるのはそうなんじゃんないかと。

石川 地道っていう言葉が出てきたけど、一般に、クリエイティヴ以外のところで働いているひとのことってどう思う?

山崎 「すべてのひとが自分のやりたいことを仕事にしていないんだな」と思うし。「やりたいことは趣味でいい」というひともいる。同じ同級生でも、「働かずに主婦になりたい、それが夢」というひともいる。反感はもたないけれど、そういうひとには、「さみしくないのかな」と。「趣味じゃない領域で、自分を試したいと思うことはないのかな」と。家庭に入るというのは、「〜のために」というイメージがある。わたしは自分がいちばん大切で、自分がたのしいことをやりたい。

沢辺 「仕事はたのしいもの」と言ってたけど、食い扶持を稼ぐというのはないわけ?

山崎 そういうふうに稼いだことがないので、まだよくわかりません。

沢辺 でも、生物なんだからそこが基本になるというふうにも考えられるけど。

山崎 でも、やっぱり、自分のたのしいことをやりたい。うちの親もそういうふうに育ててくれて、自分もやりたいことをやっている自分を親に見せたいです。

沢辺 たのしいことと生きることは対立してるんじゃなくて、どちらかを優先しなくちゃならないときもある。そういうときは生物なんだから、やはり食うために稼ぐことが優先されることもあると思うけど、そういうのは全然ないのかな?

山崎 ほんとうに食べなきゃいけないというお金の稼ぎ方はいままでしてこなかったし、アルバイトも自分のお小遣いを稼ぐことだったし。そういうことは、これからの課題かと。

沢辺 この春大学を卒業して、四月から仕送りは止まるの?

山崎 仕送りはなくなります。

沢辺 貯金いくらなの?

山崎 貯金ないです。

沢辺 家賃はいくら?

山崎 五万七千円。

沢辺 たいへんだ〜。

石川 メシ食うために、というのは四月からリアリティをもつかな。でも、そういう自分はなんでつくられたのかね? このインタヴューのはじめにお父さんの話をしてくれたからお父さんの影響もあるのかな?

山崎 家族の影響もあるかと思いますが、「その時々のこと、起こることを流さずにとらえたい」ということがあるかと。

石川 けっこう自分はまじめにやってきたということ?

山崎 ひととかかわることを大切にしてきたかと。

石川 さっき話してくれたラムネのこともひととかかわることだったけど、それは納得しなかった?

山崎 あのときは、「この場をなんとかしよう」というのではなく、ちがう場所を求めていました。

石川 では、社会のイメージってどういうもの?

山崎 もがいている。

石川 だれが?

山崎 みんなもがいている。

石川 自分もその中にいる?

山崎 いる。

石川 自分のもがきとは?

山崎 自分についてもがいている。この一年は自分についてもがきました。ほかの人に興味が行かなくて、自分について悩みました。

石川 それは将来のこと?

山崎 学校とか所属するものがなくなって、「自分の場所をつくらなくちゃ」とか。

石川 そこで、雑貨屋とか、場所ということなんだ。

山崎 そうですね。

石川 今回も、いろいろ面白いんじゃないでしょうか。

山崎 いろいろ話が飛んじゃって。

沢辺 オレ、しゃべりすぎ?

山崎 そんなことないです。たのしかったです。自分の知らないことを教えてもらって。

沢辺 はげましているんだけど、事実を見つめて、それをなんとかしようというひとはなかなか少なくて。みんなできない理由を探す。その環を抜け出すのはすごく大変。オレもそうだけど。

山崎 でも、それを崩してきたのでいまの社会があるわけですか。

沢辺 そういう社会になってないかもしれない。そうなってないかもしれないけど、みんないろいろ眼の前のことをなんとかしようとして動いてきて、少しずつ変わっていくというか。

石川 これから、見ず知らずのひとに自分が評価されるということはどう思う?

山崎 自分の知らないことがわかるから、たのしみです。

沢辺 でも、その働きたいと思った事務所に行ったときは怖くなかった?

山崎 怖かったです。でも、自分を客観視できたから。

沢辺 それはいまだから言えることでは?

山崎 でも怖かったけど、失うものはないなって、これからも自分のやりたいことをやっていく、というか。

石川 いろいろまた聞くかもしれませんが、もう時間ですね。今日は長時間どうもありがとうございました。

◎石川メモ

やさしい暮らし、やさしい世界、やさしいお店

 インタヴューのなかでは、ぼくも少し厳しく山崎さんの「やりたいこと」についていろいろ言ってしまった。けれども、問題にしたほうがいいのは、これはメディアがつくりだすものかもしれないけれど、やさしい暮らし、やさしい世界への幻想みたいなもののように思える。
 主に女の子が好むような、もちろん、さいきん流行のエコもからめたような、すてきな雑誌やサイトがある。雑貨、かわいいもの、おいしいもの、きれいなもの、それにもちろん、エコなものも満載で、クリエイティヴなこともやってます、という風味も添えて、はんなりしていて、やさしい暮らしが提案されている。こういうやさしい世界にあこがれる人っていっぱいいると思う。
 メディアに取り上げられているやさしいお店は、いかにも、仕入れで何日もお店を閉めてもお客が逃げないようなお店に見える。「フランスで仕入れなんてステキ、つぎはどんなかわいいものが入るのかしら?」と待っててくれる、これまたやさしいお客さんがいるように見える。けれど、これ、現実だろうか?
 ぼくは、東京の高円寺という雑貨屋や古着屋の多い、いわゆる「若者に人気の街」にもう20年近く住んでいる。この街を見ると、ほんとにつぶれる店が多い。たとえば、20年という長いスパンで見ると、ぼくの記憶しているかぎりで残っている古着屋は1軒しかない。雑貨屋は1軒もない。
 もちろん、繁盛して、もっと栄えている街に移転した店もあるかもしれない。けれど、大方はつぶれてしまったはずだ。外装もかわいい小さなお店が「長い間ありがとうございました」の張り紙で閉まっていくのをよく見かける。お店がかわいいだけにすごく悲しい気持ちにさせられる。そして、その空いたテナントにまた新しいかわいいお店が入る。街じたいは、いつもかわらず若者に人気の街なのだけど、そこには無数のやさしさの幻想の屍がある。
 べつに、やさしい暮らしの提案や、やさしい世界へのあこがれを全否定するつもりはないけれど、やさしさをめざして滅びた残骸というか、そういう矛盾の部分、やはり見えたほうがいいと思う。『やさしさ残酷記』みたいな本、あったらぜひ読みたい。

生活と信用

 「クリエイティヴなこと」、「なにかを表現したり、作品をつくりだすこと」を仕事にしたい。しかも、それが「たのしいこと」。こういうのが山崎さんの仕事観なのだと思う。
 ぼくは、本を書いたり、こうやってネットに文章を載っける機会をいただいたりして、世間的に言えば、クリエイティヴな仕事をしている。自営業だ。沢辺さんが、「自営業はすごく不安」と言っていたけれど、ぼくも不安。仕事をやるだけでなく、仕事をとってくるのも自分だし、なんと言っても、自分のこのお店がつぶれるのが不安だ。
 もし、「こいつに書かせても面白くない」と思われれば、生活していけなくなってしまう。期日までに原稿を仕上げなければ信用がなくなって仕事も来なくなってしまう。どうしても遅れてしまったら謝る。けれども、遅れてしまうことが何度もつづいたらもう仕事が来ないんではないかと不安になる。それこそ、20年、このお店をつづけられるだろうか。不安になる。
 「自己実現」、「やりたいこと」、「クリエイティヴ」、「たのしさ」といろいろ仕事の有意義さはあるようだけれど、やはり、「生活」ということが仕事の意味なんじゃなかろうか。お金を稼いで死なないように生きていくこと。それで、これは自営業でもサラリーマンでも同じだと思うけれど、自分の「信用」をどれだけ確かなものにするか、そのためにとにかく眼の前にあることをがんばる。
 「生活」と「信用」と言うと、いかにも味気ないように思えるけれど、これが土台となって、こういうものが積み重なって、結果として、後から、「自己実現」、「やりたいこと」、「クリエイティヴ(なにかを作り出した感)」、「たのしさ」がついてくるのだと思う。
 たぶん、いま、仕事と言うと、とかくこうした結果のほうが強調されて、基本の「生活」と「信用」があまり大切だと受け取られていない感じがする。

2010-09-14

第6回 努力している自分が好き──坂本真紀子(23歳・女性・勤務歴1年目)

坂本さんは、1986年に富山県氷見市に生まれる。父親は農業関係の技術者(56、7歳、地方公務員)、母は幼稚園の先生(50歳)。精神保健福祉士をやっている姉がいる。両親、姉は富山県の実家でいっしょに暮らし、坂本さんだけが東京でひとり暮らしをしている。
坂本さんは県下でも有名な公立高校を卒業後、都内の有名私立大学に入学。大学ではマスコミサークルに入り、学生時代から少女ファッション誌のライターとして活躍していた。就職浪人を一年したのちに、以前から就職したかったマンガの出版社に入社。インタヴューに来てくれたときは新人研修の時期だった。
坂本さんはよくできる人。しかも、隙なくよくできる人の印象。でも、けっして嫌味がない。バランスがある。
*2010年4月9日午後8時〜インタビュー実施。

「撮影についていって、ポーズとかも言って、カメラマンさんに撮ってもらった写真があがってくると、選択して、ラフ切って(紙面のイメージをつくって)、合番(通し番号)ふって、あと、原稿を全部書いて」

大学時代から中学生向けのファッション誌のライターをやっていた坂本さん。学校はほとんど行かず、ライター仕事が生活のメイン。かなり本格的にやっていた。

沢辺 どんなきっかけできょうは来てくれたの?
坂本 大学時代のサークルの先輩(ポット出版スタッフ)が私とアイドルオタク友達で、その先輩に声をかけられて来ました。
沢辺 坂本さんはアイドルは誰か好きなの?
坂本 私はBerryz工房の嗣永桃子、ももち、って言うんですけど、その方のことが好きで。
沢辺 俺はモーニング娘。しか知らない。
石川 Berryz工房はモーニング娘。の仲間、みたいなもんだと考えればいい?
坂本 そうですね。妹みたいなものですね。
沢辺 つんく♂?
坂本 つんく♂です。
石川 追っかけなの?
坂本 追っかけはしてないです。ファンには現場ファンと在宅ファンとがいて、私は、ライヴとか握手会に参加する現場ファンではなく、在宅で満足してるほうです。
石川 在宅はどんなことしてるの?
坂本 (笑)動画とか見たりしてます。動画を見て萌え萌えしてます(笑)。
石川 かわいいの?
坂本 かわいいです。もともと、取材で嗣永桃子さんに会ったことがきっかけで、そこからハマってしまって、アイドルなんてぜんぜん興味なかったですけど、あまりのアイドルらしい行動にすごいキュンとして、在宅ファンになったんです。
沢辺 その取材は大学のサークルの?
坂本 いえ、大学一年生のときから大手出版社の子会社が出してる中学生向けのファッション雑誌のライターをやっていて、そのつながりでのインタヴューです。
石川 じゃあ、大学のほうは単位をとるだけで、ライターの仕事を主にしていたの?
坂本 そうです。
石川 高校生のときから何か書いていたの?
坂本 いえいえ。大学一年のときに、その編集部から、「若い子の感性がほしいから」ということで、学生ライター募集のメールがサークルにまわってきて。それでやることになったんです。
石川 一回何文字くらい書くの?
坂本 文字数ではなく企画数を単位としてなら言えます。企画数で言うと、毎月2、3個やっていました。一つの企画が2ページ、4ページ、6ページとあるんですけど、担当はその企画ごとに決まっていて、その担当がライターも雇います。一時期ライター不足で、そのライターとしても雇われました。
石川 どんな企画をやったの?
坂本 すごくいろいろやりましたけど、読者ページだと、バレンタインデーに男の子に嫌われないようにチョコレートを渡す方法だとか(笑)、男子に話しかけるテクニックだとか(笑)。私は読者ページのほうが好きでした。本編のほうは、もっとありきたりで、靴だったり、鞄だったり、ポーチだとか。
石川 雑誌だと写真だとかも入れなくちゃだけど、それもいっしょにやったの?
坂本 撮影についていって、ポーズとかも言って、カメラマンさんに撮ってもらった写真があがってくると、選択して、ラフ切って(紙面のイメージをつくって)、合番(通し番号)ふって、あと、原稿を全部書いて。
石川 一年生からそれを全部やっていたの?
坂本 そうです。
石川 すごいねー。
坂本 いえいえ。
沢辺 できたとしたらすごいよ。
坂本 編集部員が15人いて、そのうちの二人が私の仕事を気に入ってくれて、あとの13人はたぶん私のことを使えないと思って切っていたと思います。
沢辺 たぶん、いまの話を聞くと15人編集者がいて、その人たちが、企画を決めて、カメラマンやライターと連絡をとって進行を決めて、あとはそれをもとに、坂本さんたちが実際に動く、そんな感じだと思う。
坂本 そうですね。
沢辺 18歳かそこらでそれをやれるってのもすごいとは思うけど?
坂本 いえいえ。私のあとに学生ライターも増えて、3分の1ぐらいが学生でした。
沢辺 月刊だった?
坂本 月刊です。
沢辺 月いくらくらいもらってた?
坂本 まちまちですけど……。
沢辺 あっ、ちょっと待って、1ページやると1万5千円から2万円ぐらい? 
坂本 そうですね。はじめ1万円だったんですけど、今は2万円でやってて。連載があったんで、月6万円は絶対もらって、企画の量で月15万とかそれくらいでした。
沢辺 じゃあ、学生としてはめちゃくちゃ稼いでるじゃん。
坂本 そうですね。それに力を捧げすぎて勉強がおろそかになって。
沢辺 授業は単位を落とさない程度にぎりぎりだったんだ。
坂本 学部のほうもあんまり出席しなくていいようなところだったんで。
沢辺 じゃあ、学校の生活時間と出版社の生活時間の割合はどれくらいだったの?
坂本 学校が1、出版社が6ですね。ほんと二十時間以上働いてたこともありました。
石川 それで、月15万もらって。
坂本 忙しい時期はそうですね。
沢辺 で、仕送りももらってたんでしょ?
坂本 仕送りで家賃と学費を払って、自分で稼いだお金を全部おこづかいにまわせました。
沢辺 自分のライターやってた出版社の親会社の就職試験は受けなかったの?
坂本 いえ、その子会社は親会社と仲が悪かったし、自分はマンガの編集をやりたかったんですけど、その親会社はマンガをやってなかったので受けてないです。

「大手三社だけでなく、マンガをやってる出版社は手当たり次第に受けました」

坂本さんはファッション誌のライターをいちばんやりたかったわけではなかった。むしろ、マンガの編集に興味があった。小学生の頃から、マンガが大好きで少女マンガだけでなく少年マンガも読む。父親(現在56、7歳)もマンガ、アニメ、ゲーム好き。姉もマンガ好きで、中学一年生の頃から、BLを読んでいた。坂本さんもBLに興味があった。
一年就職浪人後、めでたくいまの会社の坂本さんは内定。しかし、内定が決まったとたんに会社にバイトで呼ばれ、いままでのファッション誌のバイトと二重で働くことに。

石川 いまは就職したばかりで、研修中と聞いているけど?
坂本 はい。
石川 いま23歳だと聞いたけど浪人したの?
坂本 就職浪人で、大学を一年留年しました。
沢辺 浪人したときはどんなところに落ちたの?
坂本 もうマンガのあるところは全部受けて。大手三社は筆記で落とされて、面接まで行かなかったのがすごく悔しくて。こんな熱い思いがあるのに、と無念で。それが留年した理由でもあります。大手三社だけでなく、マンガをやってる出版社は手当たり次第に受けました。ただ、いま採用された会社はその年は募集がなくて、留年した年に二年ぶりに募集をかけて、それを受けて受かりました。
沢辺 何人採用だったの?
坂本 四人です。
沢辺 すげぇな。
坂本 いえいえ、狭い世界なんで。
石川 そう言えば、大学のときにライターをはじめて、マスコミの世界にかかわることができて、もしぼくだったら、けっこう天狗になったと思うんだけど、そのへんはどうだった?
坂本 さいしょはすごく天狗でした。ばりばり働いて、華やかなイメージで。『働きマン』のような。でも、私より後に入ったライターのフリーターの子が契約社員になってなったらひどい扱いをうけて辞めることになって。それから、新人が三ヶ月で五人も辞めるのも見ました。そういうのを見てると、あこがれやかっこいいとかいう思いもなくなって、自分はあんまり入れ込みすぎないほうがいいな、と。天狗になっていたときは、ライターで生きていくのもいいな、と思ってたんですけど。
沢辺 それは、その特定の人、その特定の出版社の問題だと思う?
坂本 上がみんなひどかった、上が尊敬できない人だった、というイメージがあります。
沢辺 でも、それって、いま就職した出版社だって同じことが起こるって可能性だって十二分にあるわけじゃん?
坂本 うーん。でも、ライターをやっていた出版社はすごくハードで、編集をやっていた人は半月で二回しか家に帰れない、ということが当たり前のようなところでした。けれど、いまの職場は、一回徹夜したらつぎの日は休める、というふうに会社としてもしっかりしているんで。
沢辺 でも、そんなの現場に行ったらわからないよ。
坂本 いやいや(笑)、就職が決まってからいまの会社でも編集部でアルバイトをしていたんで。
沢辺 就職試験はいつだったの?
坂本 3月に試験を受けて、6月に内定が発表されて、7月にアルバイトしないかという電話が突然かかってきて。まだライターをやってきた出版社の仕事をやっていたので、「ハードだったらやりたくないな」と思っていたんですけど、社長との面接で、「社会人として大切なことはなんだと思う?」と聞かれたとき、自分は「NOとは言わないこと」と答えていたので、とりあえず「やります」と言ったんですよ。そしたら、まさかの週5で。8時間労働で、夏休みは毎日働いて。学校の日だけお休みをいただいて。その仕事をやりつつ、ライターの仕事もやってました。
沢辺 ライターの仕事もやってるって会社は知ってた?
坂本 はい。
石川 そうすると二重で働いていたわけだよね?
坂本 はい。
沢辺 稼いでたね〜。もう貯金は山ほど?
坂本 ないです。ないです。
沢辺 なんで? 使うヒマもないじゃん?
坂本 すごい使っちゃいますもん(笑)。
石川 なににそんなに使うの?
坂本 食費(笑)。
石川 食費っていったって、そんなにかからないと思うけど(笑)。
沢辺 そんなに食えないでしょ(笑)。
坂本 飲み会とかも行きますし。
石川 じゃあ、一杯どれくらいの酒飲んでるの?
坂本 そんな高いところ行ってないですよ。「月の雫」とかで飲んでますし。
石川 (笑)え? 「月の雫」でそんなに飲んじゃうの?
沢辺 (笑)「月の雫」じゃそんなかからないよ。えっ、呑み助ってこと? 一回行ったらボトル一本かならず空けますよ、みたいな?
坂本 (笑)そんな飲まないですよ。でも、食べるんです。
沢辺 一日5000円使ったってさあ……。
坂本 いやあ、高い。それは使わないですよ。二、三千円とかです。
沢辺 でしょ。じゃあ、一日3000円使ったとしたら9万だよ。
坂本 なくなっちゃうじゃないですか。いまの会社をアルバイトをはじめてから、ライターのほうの企画がたくさんできなくなって、お金が減って。
沢辺 じゃあ、かならずしも稼げてたわけじゃないんだ?
坂本 そうなんですよ。ライター一本のほうがいい稼ぎになってたんですよ。一回、ライターのほうの企画の量も前と同じようにやろうとして死にかけて。
沢辺 ライターの仕事をやめる選択肢もあったのでは?
坂本 私、「NOとは言わないこと」なんて面接で言いましたけど、ほんとにNOとは言えない性格なんですよ。担当さんに頼まれるままずるずると。
沢辺 「これだけやってくんない?」と言われると断れないというか?
坂本 そうなんですよ。「これで終わりだから、お願い」というのがずっとつづいてしまって。

「高校のときから、もう、マスコミのサークルに入って、そのツテでマスコミ関係のバイトをする、まで考えてて」

高校のときから、マンガの編集者になろうと思い、その道を着実に歩んでいる坂本さん。言ってみれば、夢にむかって一直線、という感じなのだけれど、そんな過剰な印象はない。すごく淡々と、シビアな現実ともそのつど向き合いながら、編集者への道を歩んでいる。

石川 ところで、大学もマンガの編集者になる、ということを基準に選んだの?
坂本 出版社はだいたい東京にあるから、東京に出なくちゃだめだな、と思っていました。
石川 いつぐらいからそういうふうに思ったの?
坂本 高校のときですね。
石川 それは夢だったの?
坂本 そうですね。
石川 マンガの編集者になる! と思ったら、東京の大学へ行く! というのが自分の思い描いた道?
坂本 そうですね。
石川 でも、東京の大学もたくさんあるけど?
坂本 マスコミに就職するにあたって強そうな大学ということで自分の大学を選びました。
石川 猛勉強したの?
坂本 受験勉強は友だちといっしょにしてて、むしろ楽しかったです。
石川 話はかわるけど、ぼくなんかから見ると、坂本さんって、あこがれの仕事に就いた人なんだよね。マンガの編集をやりたい、という夢があって、東京の大学、それもマスコミに強い大学に入って、そこで、マスコミ関係のサークルに入ったのもなにか自分の夢みたいなものに合わせての選択?
坂本 それはありましたね。全部そうですね。高校のときから、もう、マスコミのサークルに入って、そのツテでマスコミ関係のバイトをする、まで考えてて。
石川 外から見ると、マスコミの世界なんて華やかだと思うんだよね。さっき話してくれたんだけど、それを華やかだと思わなくなったのは、上司のこととか、たくさん働かされるといった劣悪な環境ということ?
坂本 そうですね。それを見て出版社なんて最低と思っていたらマンガの編集をめざして就職活動なんてしてないと思いますけど、まあ、あの出版社に対しては幻滅したと思います。
石川 じゃあ、ちょっと言い方を変えるけど、まだ夢はつづいている?
坂本 マンガの編集になりたいという夢はずっとあります。
沢辺 じゃあ、ちょっと陳腐な表現ですけど、いまは期待に胸を躍らせている、という状態? 好きなマンガの編集ができる、あーたのしみって感じ?
坂本 いや、ぜんぜん。
沢辺 なんで?
坂本 8月からアルバイトして、「ここも人間関係大変そうだな」と。先輩には、「人間関係で失敗したらここには居れないよ」って言われてびくびくしているところです。
沢辺 ということは、またあのライターをやってた出版社と同じことになるかも?
坂本 ぜんぜんちがいますよ。あそこは人間関係がひどくて。
沢辺 ということは、不安はあるけれども、いまの会社は、12月から働いてきた感触から、前の職場とはレベルがちがう、と。
坂本 ぜんぜんちがいますよ。ほんとにちがうんです。前の職場では誰かがヒステリーによって金切り声を上げていて、ペンが投げられて飛び交っているような状態で。「お前いいかげん死ねよ!」と言われて怒られている人が泣いているような、そういう職場です。いまの職場はそういう職場ではありません。
沢辺 しつこいようだけど、なんでそんなひどい前の仕事、足掛け5年もつづけたの? 誤解かもしれないけれど、それって偉くない? みんな辞めてったわけでしょ?
坂本 ほんとうに大変なのは一ヶ月のうちで一週間ぐらいで。私としてはそんな苦じゃなかったです。
石川 この道もいずれはマンガの編集の道につづいている、という考えもあった?
坂本 まあ、そのライターをはじめたこと自体も就職活動のひとつで、編集の仕事に就くために有利かな、と思ったんですよ。その気持ちはありました。
石川 ずっとこう、「マンガの編集へ」という道があって、そう生きてきたのはわかるけど、それ以外の生き方って考えられなかった?
坂本 ライターで生きていこうかな、というのはありました。ファッション系をやっていたので、そこをやっていくしかないな、と思っていましたけど、ゆくゆくは「ファミ通」とかやりたいな、と。
石川 じゃあ、書きたい人?
坂本 いや、そのときはそんなテンションで。でも、書くのは好きでした。いまも好きです。
沢辺 彼女の話を聞いて思うのは、彼女の性格からかもしれないけれど、ありがちな夢に対する過剰さがないんだよね。たしかに、彼女の話は言ってしまえば夢なんだけど。幻想と現実を見たときの落差というのは、幻想や夢的なものが大きければ大きいほど、その落差は大きい。けれど、彼女の場合、その落差を見ても淡々としている。いやだいやだとは言いつつも五年間つづけている。それで、落差の現場をそれなりに見ているにもかかわらず、ひきつづき、大もとのマンガの編集という夢に就職浪人までしてチャレンジする。淡々とそれがつづいている。そこが彼女の面白さなんじゃないかな。
石川 過剰なくじけかたじゃなく、淡々としているよね。
沢辺 なんか着実だよね。
坂本 運よくいまの会社に入れたのがよかったまでで。この業界に就職できなかったらどうしようかと思ってました。
沢辺 だけど、俺は「起きていることはすべて正しい」と思うよ。これ、勝間和代の本のタイトルだけど。
坂本 カツマー(笑)
沢辺 鼻で笑われちゃうんだけど(笑)。勝間論はともかく、「起きていることはすべて正しい」というそれ自体の見方は正しいと思うのね。いまの会社に入れていなかったらという話はわかるけど、「受かった」ということは正しいと思うんだよ。これからあの会社でうまくできるかどうかは別だけど、とりあえず、受かるだけの魅力はあったと思うんだよ。俺はそういうふうに思っていいんだと思うんだよ。だから、逆に言えば、就職浪人したことも正しいんだよ(笑)。「もし、受からなかったら」と思ってしまう気持ちはわかるけど、「起きていることはすべて正しい」でいいんじゃないですか。

「読んだ人に「一番好きだ」と言ってもらえるような作品をつくっていきたい。それも、たぶん、評価されたい、という気持ちからだと思います」

坂本さんのなかでは、社会から評価されることは大切。母親への尊敬、結婚しても働きたいこと、学生時代のバイト、今後の仕事、これらすべてに社会的に評価されたい、という気持ちがかかわっている。けれども、坂本さんにとっての「社会的に評価されたい」はすごく自然。

石川 話は変わるけど、そのマスコミのサークルにはどういうひとが入るの?
坂本 華やかなマスコミにあこがれて入る人が多いです。卒業後には出版社に行く人が多いです。
石川 けっきょくみんなマスコミに行くの? 同級生はその後どうなったの?
坂本 マスコミに行った人は3割ぐらいだと思います。
沢辺 じゃあ、少数派だね。
坂本 自分は意地になっていたんじゃないかと。まわりにも、私が就職浪人決めたあたりには、意地になっているように見えたと思います。
沢辺 でも、話していると、そういうふうにキーッと意地になっていた印象はないけどね。むしろ、「当時の私はそんなふうになってたと思いますよ」と自分を離れて俯瞰して見れている感じで。わからないけど。ところで、自分の配属は決まった?
坂本 まだ決まってません。6月です。それがすごく不安です。一応、編集職で入ったんで、それを信じているんですけど、編集のなかでもマンガの編集以外の部署もあるので、どこに行くか不安です。
沢辺 12月から仕事を見ていてどう? 面白そう?
坂本 面白そうだけどすごく大変そうです。
沢辺 どのあたりが大変そう?
坂本 作家さんへの気の使い方が大変そうで。作家は神様という感じです。競合する他社に作家さんを奪われないようになんとかつなぎとめようとすごい気の使いようです。
沢辺 それ、いびつだよね。そういう気の使い方はその人間をダメにするよ。
坂本 編集者と漫画家が対等になってマンガを作り上げる、とかそういう雰囲気はうちにはありません。大手ではそういうのもあるかもしれないですけど。
沢辺 作家とうまく付き合えそう?
坂本 作家さんを尊敬する気持ちはあるので、できるかと思います。編集者さんが気をつかいすぎて疲れているのを見ると、そんなこと言ってられないかもしれませんけど。
沢辺 で、いまはまあ、とりあえず、マンガの編集という自分のめざすことの範囲に入ることができたんだけど、他に人生設計ある? たとえば、結婚とか子供とかさ。
坂本 結婚はしたいな、と思うし、子供もほしいと思います。三十になる前に結婚して子供を産んで産休に入りたいです。
石川 仕事はつづけたい?
坂本 はい。
沢辺 お母さんは働いてた?
坂本 はい。働いてます。幼稚園の先生をやってます。
沢辺 そういう働いているお母さんを見てどうだった?
坂本 よく共働きの人はさびしいと言われますけど、うちはおばあちゃんが面倒をみてくれて、そういうさびしいというのはなかったです。むしろ母親が家事を完璧にやるようなひとで、平日は夕ご飯はおばあちゃんがつくってくれるんですけど、休日は母が掃除洗濯をみんなきちんとやって。そういうのを見てて、「すごいな」と。父親は帰ってきたら何にもしないんですけど。お母さんは仕事も好きでつづけていて。お母さんみたいにはなれないな、というのはありますが、共働きしたいというのはあります。主婦になるというのは自分のなかにはありません。
沢辺 いまそのへんは変わってない?
坂本 変わってないですね。私はすごく社会からちゃんと評価されたいんです。自分がやったことで、本ができて、売れたりだとか。ライターの仕事をつづけたのも、「今回の企画がよかったからまた仕事をもらえる」とわかりやすかったのも魅力だったと思います。主婦になったら、社会に評価されたいという気持ちが実現できるかどうか、なかなか見えてこないので、あまりそうしたいとは思いません。
沢辺 社会に評価されたいと自覚したのはいつごろ?
坂本 たぶん、ライターの仕事をはじめてからだと思います。
沢辺 「わたしの快感、ちょっとうれしい、評価されたい、というのは、彼氏においしいご飯ということじゃあなくて、仕事だ」と。
坂本 ありがちですけど、読んだ人に「一番好きだ」と言ってもらえるような作品をつくっていきたい。それも、たぶん、評価されたい、という気持ちからだと思います。
石川 評価されるとか、されないとか、そういう社会からの評価と関係なく自分の好きなことをやっていきたい、と言う人もいるかもしれないけど、そういう考え方はどう思う?
坂本 えーっと?
沢辺 たぶん、テルちゃんが出している範型は古いんだと思うよ。だから、彼女もちょっとつかみにくいんだと思う。俺が若い頃は、評価なんて関係ない、評価自体を否定する、というようなことを言いたがる人たちもいた。けれどいまはそういう考え方はほんとに少数派だと思う。同時に、そういう考え方を支えていた極端なやりたいこと派というのはない感じがする。いまは、ちょっと過激な前衛芸術みたいなことをやっている連中でさえも、どこかで、評価ということを気にしているんだと思う。
石川 やっぱりもうそういうふうになってますね。彼女の話を聞いていると、「社会に評価されたい」というのがすごく自然。
沢辺 同じことだけど、他人から評価されるためであればなんでもする、というタイプでも彼女はないと思う。たとえば、マンガのストーリーをなんでも変えてしまう、とかそういうことはないと思うよ。「読者が求めるセオリーとしてはここでキス入れることになってる、なんて言われたらいつでもその通りにする」といった過剰に評価に依存することはないと思う。是々非々でやっていく感じがする。それは程度問題で、自分が納得すれば従うし、あらかじめ従う、従わないと決めるのも変だと思う。
石川 評価されることの重みがすごく軽く自然なものになっている感じがしますね。じっさい、社会からの評価って、坂本さんのなかでそこまで重いものではないでしょ?
坂本 私の信念は社会から評価されることじゃないです。
沢辺 むかしのフォーク歌手は「テレビには出ない!」ってのをやってた。「自分の歌はたった三分では表現できない」とかなんとか理由づけしてたけど。それ、いま思うと、「別にどうでもいいじゃん、三分でも多くの人に見てもらえるのっていいじゃん」と思う。けれど、むかしはみんなそれやってたんだよ。そういうの流行ったんだよ。それはいまはなくなってよかったと思う。彼女なんかはバランスとれてて、いいと思うよ。お母さんの話もそうで。俺のうち共稼ぎで、自分の母親が働いていたんだよ。それで、「俺が結婚したら相手は絶対専業主婦だ」って思ってたんだよ。小学校低学年ぐらいのころからそう思ったんだよ。いま考えると、「ばかだったな〜」って思うけど。あと、俺の世代の共稼ぎの意味と彼女の世代の共稼ぎの意味にはズレがあって、俺の世代の共稼ぎのほうがより経済的な理由が大きかったとは思う。俺の頃の共稼ぎって貧乏とまでは言わないけれど、他の家よりは余裕がない、というか。
坂本 そうですね。「父親の稼ぎではやっていけない」というような。
沢辺 そうそうそう。そのプレッシャーが俺の子供の頃のほうが強くて彼女の頃は少なくなった。
坂本 そんなことは考えなかったです。
沢辺 だよね。むしろそういうお母さんであれば、幼稚園の先生をやることでやりがいのある仕事をやってるし、ましてや家事までもしっかりやってて、尊敬だよね。
坂本 そうですね。

「あー、ひとそれぞれだなと思います」

坂本さんの「ひとそれぞれ」感覚を聞いてみた。坂本さんのお姉さんは、親を「ひとそれぞれ」で切り捨てられなくて苦しんでいる。坂本さんは「ひとそれそれぞれ」の効用を知っている。それは自分がいやな相手に鬱憤をためない方法。この人イラっとするな、と感じても、相手に文句が言えないとき、「まあひとそれぞれだから」と自分に言い聞かせ、相手を切り捨てる。

石川 お母さん幼稚園の先生、お父さん公務員ということだけど、どういうふうに育てられてきたのか知りたいです。よく言われたこととかある?
坂本 母親曰く、「中学生までは厳しく育て、高校からは好きなことをさせる」と。
石川 厳しかったの?
坂本 厳しくもなかったと思います。高校になったら好きにさせる、本人にまかせる、というか。姉のほうに親の期待がばーって行っちゃって、姉が精神的に病んじゃったんです。それで私のほうは期待がそこまで行かなくて自由にやれたというか。
沢辺 お姉さんはどんなふうに病んじゃったの?
坂本 摂食障害ですね。「いっぱい食べて吐く」というやつですね。いまもそうなんですけど。
沢辺 えっ、いまも?
坂本 いまもなにかあると「むちゃ食いして吐く」というのをやっています。
石川 それじゃお姉さんいまはどうしているの?
坂本 いまは地元で精神科の精神保健福祉士をやっています。精神医療の仕事をしてるのも自分のことをよく理解したいというのがあったと思います。
沢辺 でも、もし俺がお姉さんのお客さんだったら、自分が病んでいるわけだから、あんまりそういう人には診てもらいたくないな。そういう感じがあるかな。
坂本 そうですね。私もそう思います。
石川 お姉さんは自分が病んでしまったのは家族のせいだという了解はあるの?
坂本 そうですね。
石川 それじゃあ、あんまり親やおばあさんといっしょに暮らさないほうがいいと思うな。
坂本 でも、母親に必要とされたい、親に愛されたい、という思いがあって実家に戻ってきてしまったんです。
沢辺 簡単に言えば、自分から親を切れない、ということでしょ。俺の場合で言えば、親を切るわけですよ。「ふざけんなばかやろう!」って。切ったあとに何年かして会って、親は変わってなくても、まあ、「ひとそれぞれ」ですよ。それこそ。「俺も親もちがうんだ。好きに生きれば」ってなるわけですよ。まあ、たいした問題じゃないけど、あるときに親と切れるわけですよ。切れたから、「まあいいよ」とひとそれぞれで付き合えていくわけだけど、それが切れないと、逆に、ずっと親のことをじくじく考えて生きていくしかないわけですよ。
石川 それが切れないから病気になっていくんだと思うんだよね。
坂本 でも、姉はその関係をずっとつづけていくと思います。
石川 そういえば、いま「ひとそれぞれ」という話が出たけれど、ぼくの出した本でさいきんの若い人はよく「ひとそれぞれ」と言うけれど、それはそれでいい面もあるけれど、そうもいかない面もある。そんな話を書いたんだけど、坂本さんは「ひとそれぞれ」という言葉はよく使ってる?
坂本 あー、ひとそれぞれだなと思います。
石川 自分のなかではどう使ってるの?
坂本 すごく便利な言葉ですよね。自分のなかで、彼女はなんであんな行動をしたのか、と考えなくて済むから、ひとそれぞれで切り捨てることができる。だから、楽だな、と思います。
石川 仕事の関係でも人間関係でもよく使うの?
坂本 ありますね。言い方がきついひとがいて、みんなにもきつい言い方をするんです。それで私の場合は、イラっとすることがあっても、ひとそれぞれで切り捨てる、っていう。
石川 切捨てなくても相手に「それイラっとするよ」って言ったらいいんじゃない?
坂本 先輩だから言えません。言えなくて自分がいらいらするのがいやなんで、ひとそれぞれで切り捨てるようにしています。そうすると鬱憤がたまりません。
沢辺 たとえば、さっき話してくれたバイト先のひどい上司に対してもひとそれぞれという感じで受止めた? だって、じっさい、それにめげてやめちゃった人もいるわけじゃん。
坂本 そうですね。その上司に対しては「どうにかしたほうがいいんじゃないか」と思いました。ひとそれぞれで整理しきれない場合もあります。
沢辺 たとえば、いまあなたは職場では新人で、先輩に対しても、「ひとそれぞれでなんにも言わないでおこう」というふうに整理できているかもしれないけれど、来年になったら後輩ができて、仕事を教えなくちゃならないとき、ひとそれぞれで済むかな?
坂本 後輩に仕事を教えたことは、ライターのバイトをしていたときしかないんですよ。
沢辺 そのときにひとそれぞれで済んだ?
坂本 これは後輩であるあなたが「その仕事は私がやりますよ」って言う場面ですよ、という時に、踏み込めなくて、私ががまんしてその仕事をしてしまうことがありました。
石川 でも、そうすると自分の仕事増えちゃうよね?
坂本 そうです(笑)。
石川 そうすると、仕事が増えていやな気分がたまるよね?
坂本 そんなにイライラしなかったです。これからほんとに困った後輩が入ってきたらわかりませんけど。

「努力する自分が好きです」

坂本さんの自己分析は「自分は努力するのが好き」。がんばる。言い訳もしない。できる。結果を出せる女。そういう自分をいい意味で自覚している坂本さん。

沢辺 自分はどんな女だと思われていると思う?
坂本 場面によってキャラを使い分けていると思います。
石川 では、みんなにそれぞれなんて言われているの?
坂本 自分でいうのもおこがましいのですけど……。
沢辺 それ、言ってほしい。面白いから。
坂本 いまの会社では、「癒し系」と言われています。癒し系でおっとりしていると言われています。自分ではそうとは思わないんですけど。それで、母は私のことを「文句言い」と言います。なんにでも文句を言う面白い人、と母は言います。いちばん仲がいい人は、「朝から晩まで人を笑かせようとしている人」と言います。
石川 文句を言うって、ぶーたれてるってこと?
坂本 あの野球の監督の……。
沢辺 野村監督!
石川 ああ、「ぼやき」(笑)。
沢辺 (笑)マーくんも、きょうも夜遊びばっかしてっからばい(野村監督のものまね)。
坂本 (笑)いや、そんな感じじゃないのでちがいます。
石川 ちなみに聞くと、きょうは何モードで来たの?
坂本 素です。素! 若い人の生態を知りたいってことで、着飾ってもしょうがない、と。着飾ったところで、インタヴューで痛いところを突かれて、ぼろぼろになるんじゃないか、と。
沢辺 ぼろぼろにはなんなかったでしょ?
坂本 なんないです。けれど、取り繕っていたら取り払われると思ったので、はじめからつくらないようにしました。
石川 こっちも、とりつくろった感じを受けなかったです。でも、なんで? なんで? という聞きたくなる気持ちをそそられて、さっきからいろいろと質問したわけです。なんというか、強い、というのも変だけど、坂本さんてどういう人なんだろう?
坂本 自分で最近自己分析したんです。
沢辺 それ聞かせて。
坂本 固まってないですけど、とりあえず、努力する自分が好きです。受験勉強している自分の姿とか。
沢辺 さっき遠慮してたのかもしれないけど、受験勉強も手を抜いてたみたいなニュアンスに聞こえたけど?
坂本 たぶん、受験勉強もしっかりやってたと思います。けれど、私の場合は、就職浪人中も楽しかったという感じがあります。ぜったいにつらかったこともあっただろうに、「努力している自分が好き」ということで整理していたんだと思います。がんばることが好きなんですね。
石川 その「がんばる」の感じがね、必死で汗かいて、という一生懸命の感じがないんだよね。いい意味で。そういうひともいる、と言えばそれまでかもしれないけど。
沢辺 俺の印象で言えば、「できる」ね。はずれているかもしれませんが。
石川 その「できる」というのは?
沢辺 「結果を出せる」ということだね。一緒の職場で仕事してみて、仕事を見ないといけないけれど、そのことの確実性はわからない。けれど、たったこれだけしか話をしていないけれど、それは思うね。「がんばる」というのも、「ほんとにがんばってる、とも言えるし、自分のがんばりも他のすごい人に比べればたいしたことない、とも言えるし、その自分のがんばりをそのまま受け止めている」という感じがする。「がんばる」ということは結果を出せなければだめなんだよ。なんていうか。自分が料理の本を見て、特別な食材を買ってきて料理をつくっても、それは努力とも言えるし、普通にやったとも言える。それで、その料理を食べたひとが「おいしい」と一言言ってくれれば、そんな結果が出せたというということなんだ。その一言があれば、「本も見た」、「食材がすごい」なんてとりたてて、「自分はがんばった、がんばった」なんて言う必要はない。俺なんか典型的にそうで、「おいしい」と言ってくれなれば、自分で作った料理に「これうまくない?」とか、「俺こんなに準備したんだぜ」って言って、自分で物語を作って結果の低さを一生懸命高めることをやっちゃうもん。
石川 ぼくも結果が低いと必ず饒舌になってますね(笑)。
沢辺 そうでしょ。
石川 坂本さんは言い訳とかする?
坂本 言い訳はあまりしませんね。「どうたらこうたらだったんですもん」と言ったって、なにも変わらないじゃないですか。
石川 「これだめだよ!」と言って自分の書いた文章を突き返されたらどうする?
坂本 黙って書き直してまた出します。
石川 それでも「だめだ!」といってまた突き返されたらどうする?
坂本 また黙って書き直してまた出します。
沢辺 それも、100パーセントとまでは言えないけど、50パーセントぐらい、「また書き直して出せばうまくできそうだ」という予感が自分にあるからだと思う。いちばん抵抗する人は、その先どうしたらいいかわからない人。そういう人が言われていることの意味がわからないわけで。その点、坂本さんは自分に言われていることが理解できるひと。そういう抵抗はない感じだね。それと、すごく気の強い女のような感じがするな。気の強い女でもすぐポキッと折れる女もいる。けれど、坂本さんの場合は、「一筋縄ではいかない」というかさ。説得するのにすごく時間のかかる女のような気がする。
坂本 がんこですね。自分の譲れないものについては上司にもがんこだと思います。
沢辺 でも、その心のなかにあるがんこさみたいなものは俺たちには言わないと思うよ。でも、そのがんこさをそのままにしてもうまく人に対応できると思うよ。
石川 そのへんも上手そうだよな〜。
沢辺 上手じゃなくて妥当なんだと思うよ。
坂本 とりあえずうまくやれればいいかな、と。
沢辺 じゃあ、そろそろ飯食いに行こうよ。
石川 じゃあ、ひとつだけ、さっき、「私のなかの信念は、社会から評価されることじゃありません」と言ってたけど、それでは、いちばん大切なものは何ですか?
坂本 だれかの心に残る作品をつくることが自分の人生の目標なんで、やっぱ評価されることかな?
沢辺 けれども、彼女の評価されるってことは以前俺たちの世代にあった、「テレビに出ない」みたいな頑ななものではなくて、100点の評価じゃなくて、50点と言ってくれる人でもいいし、幅をもってるよね。
石川 そうですね。なんだかこちらが教えてもらうこともいっぱいありました。

「ほんとに、ほんとにいい男なんで。大好きで」

さいごは坂本さん彼氏の話題。過剰な坂本さんが出てきて面白い。

沢辺 あっ、いけね。一つ大切なことを聞くの忘れてた。彼氏いる?
坂本 います。
沢辺 何人目?
坂本 何人!? 四人とかですかね。高校の時期の彼氏がほしいのなんのかんので一ヶ月で分かれたというのも入れて、四人です。
沢辺 高校のときから常に彼氏はいた感じ?
坂本 彼氏がいなかったのは高校三年のときだけです。いまの彼氏とはマスコミのサークルで知り合ったんですけど、大学二年のときからずっとです。
沢辺 飽きない? そんなに長くつきあって。
坂本 いやいやいや。大好きなんですよ。
沢辺 あなたのほうが好きなんだ〜。相手のほうが好きな度合いと自分のほうが好きな度合いで言えば、私のほうが好き〜〜〜、という感じ?
坂本 そうですね。7対3ぐらいですかね。
沢辺 えっ、もうちょっと正直に言おうよ。正直なこと言おうよ。
坂本 6対4ですかね。あっちも意外と私のこと好きだと思うし。
石川 彼はいまなにしてるの?
坂本 大阪で保険業やってます。
石川 彼にはひとそれぞれで済ましてる?
坂本 そんなことないですよ。怒ったりします。でも、彼はほんとうにいい男なんで。大好きなんで。
石川 そんなに言われるなんて、どんな男なんだろう?
坂本 ほんとに、ほんとにいい男なんで。大好きで。
沢辺 もう三年ぐらい付き合っているけど、飽きる予感はほんとにない?
坂本 ないと思います。年々いい男になってるんで。
石川 ほほほ〜。どうも。どうも。で、頻度はどれくらい会ってる?
坂本 月一か月二ぐらいです。
石川 それぐらいの頻度だったら飽きないかな(笑)?
沢辺 俺だったら飽きるよ〜。俺だったら好きとかそういうレベルを超えるよ。もう三年半も付き合ったら、「好きだから会う」とかそういう感覚よりも、「いっしょに行く?」みたいな感じだよ。
坂本 「月一回は会っとかなきゃだめだな」という考えはお互いにあるんですけど、会うと、お互いに「あー、やっぱり最高だわ!」と思うんです。メールとか電話はほとんどしませんけど。
沢辺 まあ、飽きますよ、恋愛などは。
坂本 ほんとですか?
沢辺 飽きてから。
坂本 え〜。
沢辺 カップルは飽きてからだと思いますけどね。飽きてからでも「まあいいかな」と思えるかどうかだと思う。
坂本 リアルですね。なんか。
石川 「まあいいかな」なんだよな(笑)。そういうところに結局落ち着くんですよね。「わるくない」という言葉がいい言葉なのと同じように。
沢辺 「まあいいかな」は否定的な意味で言っているわけじゃないんだよ。「まあいいかな」と思えることはすごいことなんだよ。でも、それは明らかに胸がときめくような恋愛感情とはちがって、恋愛とはまたちがうものでも「いい」と思えること。それが「まあいいかな」で、けっこう大切なことなんだよ。それと、それと、もう一個危ないのは、「まあいいかな」となったとしても、「ほかに恋愛を求めたりしないか」という問題は大きいよね。とくに性的欲望に関しては男女差は如実にあると思うんで。女性にも欲望はあると思うけど、うちはゲイの本出しているんだけど、ゲイなんか見ていると、100人とか、200人とかざらにいるよ。レズビアンはそうでもない。ゲイのすべてがそうだというわけではないけど。でも、その話は飲み屋でやりましょう(笑)。
石川 そうしましょう(笑)。坂本さん、とりあえずここはありがとうございました(笑)。

◎石川メモ

妥当なところ

 夢、やりたいこと、表現、社会的評価、努力、がんばり。こういう積極的な言葉には過剰さがつきものだ。けれど、坂本さんの場合、過剰さがない。すごくバランスがとれている。
 坂本さんは、華やかなイメージのマスコミ世界とそのどろどろした現実を見ながら、踊らされたり腐ったりなんかしない。そのどちらかに過剰に針が振り切れることなく、淡々と夢にむかって歩んでいる。実際は、すごく努力してきた人なのかもしれない。けれど、その受け止めは、「まあ、こんな感じでやってきました」になっている。
 こういう人が「できる人」、「結果を出せる人」、「やっちゃえる人」なんだろう。
 ぼくは、どちらかと言うとうじうじした人間なので、こういう人を見て、「上手」という言葉を使ってしまう。ちょっとうらやましくなってしまう。沢辺さんは「妥当」という言葉を使う。これはフラットなものの言い方だ。
 たとえば、夢と現実の間でうじうじする感性から見ると、バランスのとれた人は「上手」に見える。「うじうじなんかしてもどうにもなんないじゃん」というところから見ると「妥当」という言葉が生れる。
 評価を過剰に意識して人の言うとおりになってしまうとおかしくなる。一方で、評価を過剰に嫌ってなんでもありにしてもおかしくなる。どっちにしたって、うじうじした人間になる。
「妥当」というのはこの二つのバランスのことで、評価と自分のやりたいことの間で、是々非々でやっていくこと。坂本さんの話だったら、さらりと、「だって評価されることって大切でしょ」と言えることだ。こうやってさらりと言えること、すごく大切だと思う。
 けれども、坂本さんが彼氏に対する思いを語るときはけっこう過剰(笑)。でも、それも本人が自覚しながら話してくれている感じがする。これもバランスか。

BL

 これは坂本さんからではなく、ぼくの教えている学生が文章で書いてくれて、教えてもらったことだけれど、BL(ボーイズラブ)とは、美男×美男の絡み(いろんなレベルで)を描いたマンガ・小説のことだそうだ(最近の傾向には、美男だけでなく、オヤジのカップリングもあるそうだ)。オリジナルもあるが、既存のアニメ、漫画、小説、三次元(アイドルや俳優など)のキャラを使ったもの(二次創作)が多い。世に言われる「腐女子」がこのBLを好むとのこと。
 ちなみに、BLでは「男役=攻め」、「女役=受け」という役割分担がある。同人誌などに「キャラ名×キャラ名」と書かれていると、だいたいは、左のキャラ名が「攻め」、右のキャラ名が「受け」とのこと。
 坂本さんもBLが好き。やはりこの趣味についても、さらりと楽しそうに話してくれた。一見、過剰な趣味のように見えるけれど、坂本さんたちは、きっとすごく「妥当なところ」で自分の趣味を語れるんだと思う。「社会で評価されることも大切だと思って仕事をがんばってるし、やりたいことにむけて努力もしている、彼氏は大好き、それに、ちょっとはずかしいけれどBLも好き。で、それがなにか?」と。

2010-09-03

第5回 親やお兄ちゃんにわかってもらえればいい──小阪義徳さん(22歳・男性・大学4年生)

小阪くんは、1988年に東京・世田谷に生まれる。父は下北沢でバーを経営。母は、父のバーを手伝っていたこともあるが、小阪くんが小さい頃はめがねの組立工場で働いていた。5歳上の兄とその間に姉がいる。両親が共働きだったので、地元の保育園に通う。区立小学校、区立中学校を経て、都立高校へ。現在、都内の私立大学4年生。一人ぐらしの経験はない。大学は卒業予定(哲学の卒論を書いた)。卒業後どうするかは未定。
小阪くんは整理してものを言うタイプではない。うねうねといろいろしゃべりながら考えるタイプ。本人は話すより聞くのが好きと言うけれど、かなり語り好きの人だと思う。語っている自分に少し恥ずかしくなるのか、時々自嘲的に笑うのが印象的。
*2010年2月21日午後6時〜インタビュー実施。

「父に対しては小さい頃からあこがれみたいなものがありますね」

小阪くんは、小さい頃からカラダを動かすのが好きで、たいていは外で遊んでいた。中学では野球部に入り、もっぱら男子とつるんで遊んでいたという。バーを経営していた父親は、夜出かけて、朝方3時〜4時ごろに帰宅。昼間はいつも父親が家にいた。

石川 ほかのお父さんは朝から仕事に行っているけれど、自分のお父さんは家にいる、ほかのひととちがっていやだな、とは思わなかった?
小阪 いやではなかったです。小学校2年生くらいだったかな、宿題でお酒のことを何種類か調べて提出したときに、先生に「なんでこんなことを知ってるの?」と聞かれました。それで父の仕事を先生に話したんです。その話を父にしたら、「そういうことはあまり言うもんじゃない」と言われました(笑)。そのときからぼくのなかで、「お父さんの仕事はあまりひとに言っちゃいけない仕事なんだ、隠しておかなきゃ」と思うようになりました(笑)。それからは、父親の職業は絶対に言わないようになりましたね。でも、父親の職業を恥じてはいなかったです。
沢辺 ほかのお父さんとちがうことはイヤじゃなかった?
小阪 思ったことはなかったですね。父の存在自体にあこがれてたんで(笑)。小学校のとき、ぼくはあんまり学校に行きたくなかった日があって、そしたらお父さんがロマンスカーで江ノ島の水族館に連れてってくれたんです。そういうこともあって、父に対しては小さい頃からあこがれみたいなものがありますね。
沢辺 お父さんって何歳?
小阪 ちょうどこないだ60歳になったばっかりです。そうとう異端児です。うちのお父さんは、堅い家の出だったんだったんですけど、けっこう若いときから好き勝手やってた感じですね。最近切りましたけど、若いときは髪の毛が長かったです(笑)。ファッションも好きで、車とか遊び系にけっこうお金かけてたみたいです。車も、当時乗ってたのはトヨタの2000GT。まわりが買ってないような車に乗ってました。
石川 うちの親は公務員だったので、だんだん大きくなると、なんだまじめくさって、みたいに親に反抗的な気持ちが出できたんだけど、そういうのはない?
小阪 別にありません。父親に対する「かっこいいな」という気持ちは大きくなればなるほど強くなりました。
石川 いまでもかっこいい父と思ってる?
小阪 そうですね。小学校のときは一緒に絵を描いたりして、父の影響で絵を描くことが好きになったんです。高校くらいから父とは話すことが多くなりましたね。話すといっても、ぼくが一方的に聞くだけなんですけど。
 ぼくは話すよりも聞くのが楽しいっていうか。むしろしゃべるのが苦手で、家族には静かな子って思われてたほどです。中学のときには、学校ではそれなりに騒いでてうるさいほうだったんだけど、家帰ると、まったくというかほどしゃべんないし、なんか聞かれても最小限の答えしか返さなかった。それで、親が三者面談のときに、「大丈夫ですかね?」と先生に相談してました(笑)。ちょうど「キレる少年」というのが流行っていたときです。
石川 なんで家で話さなかったの?
小阪 べつにいやだったわけではないです。学校のことを親に話すことにあんまり気が向かなかったからですね。
石川 家では、まあとりあえず、という感じでお父さんの話を聞いていたの?
小阪 そうですね。お父さんは、自分のことを話すのが好きです。お父さんが、「ヨーロッパのこういう絵が好き」と言うと、ぼくは図書館に行って、すぐそういう画集や写真集を借りてきて、それを見せたりしてました。高校ぐらいだと、お父さんはこういうのが好きなんだろうなというのがだいたいわかって。それで、好みに合いそうな画集や写真集を見つけてきて見せるんです。すると、お父さんがぴったり「それが好き」と言うんです。ぼくのほうは「ああやっぱり」と思うんです。とにかく、ひとの話を聞くのはぼくは苦痛じゃないです。
石川 聞き方はどうするの? お父さんに自分からなにか言葉をかけるの?
小阪 いえ、相づちとかもうたないで、ひたすらしゃべっているのを聞くだけです。ぼくは自分から話すのが下手だと思うんです。自分から話すと整理できなくて。話しはじめちゃうと、最終的によくわかんなくなっちゃうんです。それもあってあんまり話すほうは好きじゃないんです。
石川 お母さんについてはどう?
小阪 そうですね……小さい頃からお母さんも大好きだったんですけど、あこがれみたいなものはなかったです。ぼくにとって、お父さんと、5歳年上のお兄ちゃんはあこがれの対象です。
石川 とくにお母さんをきらいだと思ったことはないんだ?
小阪 ないですね。
石川 そうですか。
小阪 (笑)

「中学くらいから、父や兄に認められたい、評価されたい、という気持ちがすごく大きかったです」

小阪くんは、勉強はさほどできず、高校に行かなくてもいいくらいに思っていた。そうは言っても、高校に行きたくないという強い気持ちもなかったので、兄と同じ都立高校へ進む。英語が得意だったので、高校へはそれで入れたようなものだと自覚している。大学進学もあまり深くは考えていなかったが、「行ってもいいかな」という程度の気持ちはあった。高校時代から写真を撮ることが好きで、大学は写真部のサークルに入る。

石川 どうして今の大学を選んだの?
小阪 親に「大学に行く気があるのか?」と聞かれたときに、すごく大学に行きたいというわけでもなくて、何かやりたいこともなくて、正直に「わかんない」と答えたんです。そしたら父に「そりゃそうだ、それがたぶん本当の気持ちだと思う。そんなら進路の先生にその思いをちゃんと伝えてみな。たぶん先生はちゃんとアドバイスしてくれると思うから」と言われたんです。高校がけっこう自由な校風で、その自由さが好きだったので、そんな大学があったら行きたいです、と進路指導の先生に言ったんです。そしたら先生が、いまの大学をすすめてくれたんです。ちょうど指定校推薦もあるし、ぼくの評価だったら指定校をぎりぎり取れる、と。それで、「大学4年間行ってるうちに、自分のやりたいこと見つかるかもしれないし」と先生に言われて、「じゃあそうしようかな」と。
石川 自由な学校、というけれど、小阪くんの自由のイメージってどういうもの?
小阪 自由ってのは、好き勝手やることじゃないって思います。先生からもそう言われたし、親からもそう言われたんで、そこは心得てるつもりです。たのしさだけを求めるのが自由ではないと思います。
石川 たのしさ、というより、自分の好きなこと・やりたいことを追及する、というイメージ?
小阪 そうですね。自分の興味があることを確認するために大学に行く。そういう感じですね。ぼくは美術や写真が好きだったので、なんとなく美術大学に行きたいという気持ちが高校生のときはあったんです。けれど、美術大学に進学した先輩の話を聞く機会があって、話を聞いたら、「絵や写真は教わってやるようなもんじゃないなー」と思った。美術や写真って、本気で自分がやりたいと思ったら、美術大学行かなくてもできるだろうな、と思ったんです。それから、大学で社会のことや心理のことを学んでみたいなと思ったんです。「社会学や心理学で学んだことを写真に活かせたらいいな」という気持ちもありました。結果的に、心理学は1年のときに勉強したけど、ピンとこなかったですけどね(笑)。サークルで写真部に入って、そっちのほうが面白くなって。自分でモノクロ写真を撮って現像しては、家族に見せていました。
石川 写真を撮ってコンクールに応募するとか、そういう試みはしたの?
小阪 してなかったですね。自分でモノクロ写真を撮って現像することにははまっていました。けど、個展やったりとかそういうのはなくて。なんだろうな、自分で好きなのを撮ってよろこぶとか。そんな感じです。ぼく、友だちに写真見せるのも好きじゃないんで(笑)。見せる対象は親やお兄ちゃんでしたね。
石川 好きなことをやることと認められることはちがうのかな?
小阪 中学くらいから、父や兄に認められたい、評価されたい、という気持ちがすごく大きかったです。ぼくの中で兄は無条件にすごい人で、その兄にほめられれば、自分がやってることはけっこうすごいのかな、と過信しちゃうくらいにほめられたいと思っていました(笑)。なので、写真も、自分が撮ったものがお兄ちゃんにほめられると、また撮りたい、また見せたい、と思うんですね。
石川 お父さんやお兄さん以外の人にほめられてうれしいということはないの?
小阪 ぼくは、たぶんヘンに器用で、ヘンに自信をもっていて、アルバイトとかで言われた仕事はある程度こなせる自信があんです。だからなんていうんでしょうね。学校やアルバイトの現場で自分のやってることが評価されるというのは、評価されて当たり前というのがあって(笑)。一方、父や兄に「いいね」と評価される前は、どう評価されるかわからない、という不安があります。他人よりも、親や兄のほうが上だと思っているから、学校とかで評価されなくても、親やお兄ちゃんにわかってもらえればいい。そういう気持ちがあるのかな(笑)。

「お兄ちゃんはなにやっててもかっこいい(笑)」

小阪くんにとって、父にも増して、5歳上の兄は、あこがれの対象だった。兄はおしゃれで芸術に興味があり、周りのひとよりも進んでいるように見えた。小坂くん自身も、兄のまねをして、周りからはちょっと進んだヤツだと思われていた。

石川 お兄さんはどんなひとなの?
小阪 兄はけっこうやんちゃでした。美術に興味があるひとです。「美術大学とか行かなくてもなんとかなる」と思っているようなひとです。洋服やデザインとかも、ちょっと先を進んでる感じもあった。そういう姿を見て、お兄ちゃんへの尊敬、あこがれはすごかったですね。好き勝手やってるのもかっこよく見えて。
石川 やんちゃ、好き勝手、ってどんな感じのお兄ちゃんなんだろう。もう少し教えて?
小阪 不良とかじゃないんですけど、絵描いてたりとか。なんですかね〜、高校のときのお兄ちゃんは服に興味があって、自分でバイトして何万もするようなデザイナーの服を買ってたりしてました。それで「まわりの人とは違うな」とぼくは思ってたんです。
石川 それで、お兄ちゃんはいまなにやってるの?
小阪 なにもやってません。フリーターです(笑)。アルバイトをひたすらやってます。アルバイト先で社員になるように勧められたんですけど、勧められた途端やめちゃって(笑)。なんか「別にやりたくない」って。兄は、アーチスト系になりたいんだとは思うんですけど、でも常にやっていることがちがうんですね。絵だけを描いているわけでもないし、写真やデザインに興味が変ったりとか、いま、粘土をやっていたり(笑)。服にも興味があったりとかで、安定はしてない感じです。
石川 お兄ちゃんは自分のやりたいものを探している感じ?
小阪 そうですね。なんか「それをやんないで後悔するのはいやだ」みたいな感じだと思います。最近、年齢のことは考えているとは思うんですが。兄とはそこまで深くは話さないんで。
石川 お兄ちゃんは親に心配かけてるとは思わない?
小阪 親がそれなりに心配してます。ぼくはそれ見て「心配かけてんな」とは思います。けれど、ぼくとしては、お兄ちゃんは、普通の会社に入って働けるようなひとではないんだろうなと思ってます。そういうところもかっこいいと思っています。お兄ちゃんは何やってもかっこいいというか(笑)。
石川 では、お姉さんはどういうひと?
小阪 ぼくは、兄に比べてお姉ちゃんのほうが仲がよかったです。お姉ちゃんはいちばん家のことを考えてる。いつもしっかりしてたひとです。
石川 お姉ちゃんは大学へ行ったの?
小阪 短大を出て就職しました。うちの家族は美術系に興味があって、お姉ちゃんも雑誌は好きだったんです。それで、雑誌関係に就職しようとしたんですけど、落ちちゃって。いまはデパ地下のスイーツの販売員をやってます。すごいやりたいと思ってはじめた仕事ではないんですけど、しっかりやってる。兄弟のなかではいちばんタフだと思います(笑)。
石川 家族は仲がいいんだね。
小阪 ぼくは仲がいいですけど、兄は親にはけっこう反発してます。
石川 お兄さんは家で親とケンカしてるの?
小阪 してますね。手を出すわけではないけれど、口でケンカしています。親は親として決めつけみたいなことを兄に言っちゃうこともあるんです。すると兄は「そんな決めつけんな!」と言ったりして。
石川 親はお兄さんが定職に就いていないことについて何か言うの?
小阪 そうですね。それが親としては一番のあれなんでしょう……。
お兄ちゃんが安定してないから、ぼくがちゃんと働かないといけないのかな、とは思ってはいるんです。でも、ぼくだって自分のやりたいことやりたい。親も心のなかでは、「会社に入って、何年も働いて」という生き方をすすめるわけじゃなくて、「後悔のないように好きなことをやったほうがいい」と言いたいんだと思うんです。
石川 小さい頃から「好きなことをやりなさい」と言われて育てられた?
小阪 そうですね。親から「こうしなさい」と言われた覚えはありません。親は、ぼくが自分の興味があることをやっていくことを受け入れてる、という感じでした。
石川 ちょっと好きなこととはちがうけど、なにかに反発していくことはかっこいいことと教わった?
小阪 ないですね。生き方について具体的に言われた覚えはありません。親は、ぼくや兄がやりたいことをやっているのを見守ってくれている感じですね。
石川 小坂くんは、「自分はまわりとはちがう」と思ってた? 
小阪 思ってましたね。お兄ちゃんを変にマネしてましたから。自分はまわりの友達より進んでる、まわりとはちがう、と常に思ってました(笑)。たぶんむかつくようなヤツなんですけど(笑)。
石川 そういうひとって、仲間からは、「なんだコイツ!」と思われて嫌われるけど、小阪くんはどうだったの?
小阪 ぼくはたぶん、好かれていましたね(笑)。友だちにめぐまれていたと思います。へんにかっこつけて、「俺はちがうんだぞ!」というのは出してきたつもりです。でも、それもまわりが受け入れてくれていました。
石川 実際には、「お前変わっててすごいぞ!」とかまわりから言われてたの?
小阪 「変わってて」ではなく、「好きなことをやってる」という感じだと思います。高校時代はまわりにファッションに興味のある友だちが多かったです。それで、ぼくはファッションもお兄ちゃんをマネしていたから、まわりから「進んでる」って見られてたんだと思います。
沢辺 こうやって話してると、決して自慢しているようには見えないところが嫌なやつに思われないところなんだろうね。でも、現象だけみると嫌なヤツだよね。
小阪 ほんとやなヤツですよね(笑)。
沢辺 でもやなところを素直に受け入れられるっていいところだと思うよ。
小阪 大学のゼミとかでも言われてたらしいんですけど、高校までも「実はいやなヤツだ」、「腹黒い」と言われ続けてたし、「なんか謎」みたいなことは言われるんですけど、自分で考えても謎なところはどこなのか一切わからない(笑)。

「(大学で)はじめて、考えるのは面白いんだと思った」

小阪くんは、大学3年生になって、たまたま哲学のゼミに入る。それまでは「考える」ということすら考えたことがなかったが、ゼミ合宿で考えること、哲学することに目覚める。

石川 大学時代の人間関係はサークルが中心なのかな?
小阪 そうですね。あと、ゼミですね。ぼくのなかでは、ゼミが衝撃的だったんで(笑)。
石川 どんな衝撃?
小阪 ぼくが入っているのは哲学のゼミです。でも、最初はどんなゼミかも全然知らなかったんです(笑)。サークルの先輩の紹介で入った、って感じなんです。
 で、衝撃の話なんですけど、きっかけは3年のときの卒業合宿です。サークルの先輩が、「幸福とはなにか?」というテーマの卒論の発表をやったんです。そのときはじめて幸せとはなにか、をぼくは自分で考えたんです。幸福とはなにかを見つけてみよう、と。そしたら、ぼくのなかで答えが出たんです(笑)。それがなんだったか覚えていないんですけど(笑)。すいません。でも、そのとき、なんとなく、自分で「おれすげえ」、「おれここまでできた」と思うことができました。
 それで、自分の考えを発表したら、まわりは「こいつなに言ってるんだ」という空気だったんです(笑)。でも、ぼくとしては「まわりはわかんなくてもいい」と思ったんです。そのときはじめて、考えるのは面白いんだと思えた。それがうれしかった。それがきっかけで、哲学にはまったというか、いろいろ考えることにはまってしまいました。
 そうしたら、先生が授業で言っていることともわかってきて、それからほんとに哲学が好きになりました。写真でも、哲学でやっていることを役立てられるんじゃないか、と思えるようになりました。
 いままでは、「友達よりも多少自分のほうが上」という気持ちがあったんだけど、ゼミの友達が考えたことにも、素直に「ああそうなんだ」と思えるようになりました。こんなふうに素直になれたのがはじめてなのかも。そうなれたことがすごく自分の中で大きかったです。みんなに自分の言ったことが受け入れられることにも快感を覚えました。
石川 やっぱり、幸福とはなにか、について小阪くんが考えたことが知りたいんだけどね。
小阪 いま思い出すと、「死」というか、「自分が無になることが幸福」みたいなことだったと思います(笑)。自分のことや他人のことを人間はつねに考えているけど、何も考えない状態を人間は求めていて、その状態が幸せなんじゃないか、と。でも、「なにも考えていないんだから幸せも感じていないんじゃないか?」という反対意見もありました(笑)。
石川 いまも幸せについて考えてる?
小阪 卒論では死を考えたんです。これは自分のなかで一定の答えが出ました。ふつうに言えば、死は悲しいことですよね。けど、ぼくは、そんなにすぐに死を悲しむことができるかどうか、と疑問をもちました。知らないひとが死んでも悲しいとは思わないですよね。それで、相手と関係性があることが死を悲しむことの条件だと考えるようになりました。
 けれども、ぼくの悪い癖で、そこからいろいろ考えちゃって。関係性ってぼくと相手との一対一の関係だと思うんです。でも、たとえば、死の悲しみは相手との一対一の関係性のなかで感じることだとすると、それだけだと死の概念は生まれないんじゃないか、と思うようになったんです。死は言葉ですよね。言葉ってわたしとあなたの間だけで通用するようなものではないですよね。だから、わたしとあなたの関係だけでは死という言葉、死という観念は生まれない。死は、わたしとあなただけじゃなく、もっと広く共有できる概念なんです。でも、卒論ではそこまで考えることができませんでした。
 それで、このあいだ合宿があったんですけど、そのあとゼミの仲間と数人で集まって、人間のもってる根本的な衝動はなにか? みたいな話になったんです。そこで、人間の根本的な衝動はなにか? 人間には、「ひとといっしょになりたい」、「共有したい」、という気持ちがあるんじゃやないかという話になったんです。そういう意味で、死という概念は、多くの人につながりたい、という気持ちから生れたものなんじゃないか、と思えてきたんです。で、ぼくは、死っていうよりも、そういう根本的な衝動、「共有したい」、「ひとといっしょになりたい」ということに興味があることがわかったんです。こういう根本的な衝動があるってわかると、ひとの言っていることを受け入れられるし、決めつけることもないし、こういうことって大事なんではないかと。あ〜、ぼくはなにを言ってるんでしょうね(笑)。
石川 うーん(笑)。なんか面白いね。だってさ、それまで絵とか写真にばっか興味あったひとが、いまは考えることに興味があるんだね。がらっと変わったんだね。いままでなにかじっくり考えた経験はありますか? と聞こうと思っていたんだけど、そうすると小阪くんはやっぱり、いま話してくれたように幸福とか死、それに人とのつながりについて考えたわけだ?
小阪 そうですね。死についてとか考えたことはそれまでなくて。それまでの自分は考えることより感覚を大切にしていた部分がありました。絵を見てああいいなと思ったら理由なんていらないと思ってた。「いいはいい」と。ヘンにアタマのいい人はそれを言葉にするかもしれないけど、なんかそういうひとに反抗するところがぼくにはあったんです。もっと感覚が大事だと思ってたんです。
 大学に入って自分の今後については考えたりはしましたけど、そんなに深く考えたことはなかったです。卒論でやった死のことも、最初は「自分の人生とあんまり関係ない」と思っていました。でもいろいろ考えていくと、まあ、「死についてはこうだ」というはっきりした答えは見つからなくても、このテーマを考えていくうちに、「自分の人生で、かかわりっていうのは大切だ」ということがわかったんです。それに、ハイデガーとかも勉強したんですけど、そうすると自分の考える要素が広がりました。いろいろ勉強していくうちに、答えを出せるかどうかという結果は気にならなくなって、考えることじたいが楽しいと思えるようになりました。それがぼくにとっては大きいです。

「悩みになるかわかんないですけど、親の生きているうちにいいことをしてあげたいな、と思ってます」

小阪くんは卒業後の進路がまだ決まっていない。いまは、働いて親を楽にさせてあげたいという気持ちがある一方で、自分のやりたいことを実現させたいという気持ちで揺れ動いている。

石川 ぼくは考えることと悩みって関係していると思ってるんだよね。いま悩みはありますか?
小阪 悩みになるかわかんないですけど、親の生きているうちにいいことをしてあげたいな、と思ってます。親にはそれなりに感謝しているし、いま経済的に苦しそうなので(笑)、働いて多少楽にさせてあげたいとか。でも、自分のやりたいこともやりたくて、それは保証されてるわけじゃないんで、そういう面では、多少不安はありますけど。
石川 そのやりたいこととは?
小阪 いまはとりあえず写真です(笑)。
石川 それは写真を仕事にするってこと? 
小阪 そうです。それで生きていくみたいな。
石川 う〜ん。
小阪 ぼくは興味が広くて、小さい頃から絵を描くことも好きだし、写真も好きだった。それ以外にも漠然と映画撮りたいと思ったこともあるし、詩を書いてみたい、とも思ってます。親からは、「ひとつのことに熱中しなさい!」と言われるんですけど、ぼくの中では、どれもはずせない。でも、映画がすぐ撮れるかといったら、それは無理だから、じゃあ、これまで真剣にやったもの、自信のあるものってなんだろうって考えたら、自分のなかでは写真なんです。
 会社に入って事務の仕事はできると思うけど、自分のなかでは、「絶対に続かない」、「どこかしら後悔するだろうな」というのがある。失敗しても後悔しないものってなんだろうって言ったら、写真。それを仕事としてできたら幸せだろうな、という考えがあって。これは親にも言ってないですけど、「いまに見ていろよ」みたいな気持ちがなんとなくあります。
沢辺 とりあえず、卒業したらどうするの?
小阪 いままであまりそんなことを言わなかった父が、最近、「バーを終わらすのは悲しい」みたいなことを言ったんです。実際ぼくはバーをやるのはいやなんですけど、「手伝うくらいならやってもいいかな」とは思ってるんです。むしろ手伝いたいとは思ってんですけど、でもそれは父には言ってないんですよ(笑)。
沢辺 親にはこの先どうするかって話は、言ってるの?
小阪 なにも言ってないんですよ。
石川 それじゃ、最初、ご両親に楽をさせてあげたい、という話だったけど、バイトも決まってないから、これからご両親に食べさせてもらうことになるのかな?
小阪 なにかしらそうですね。
沢辺 大学の4年間でバイトでどれぐらい稼いだの?
小阪 1、2年のときはスーパーのバイトで月5、6万だったんですけど、1年くらいやってなくて、いま陶芸のアシスタントのバイトをやっています。週2日泊まりで、1万円、日給5千円です。そのバイトも卒論で忙しかったこともあっていまは休んじゃってる感じで。でも、その陶芸のバイトを卒業後もやるつもりはないです。
沢辺 大学のときいちばん金をつかったのはなに?
小阪 カメラです。ライカの安いので、8万円ぐらいのものでした。
沢辺 いまは小遣いもらってるの?
小阪 お小遣いはいままでもらったことありません。
沢辺 学費は出してもらってて、あとはバイトでってこと?
小阪 奨学金ももらっていました。それで、どうしても困ったときに……。
沢辺 1万円くれとか?
小阪 (笑)そうですね。
石川 月6万で大丈夫だったの?
小阪 大丈夫ですけど、いまお金なくて。奨学金を貯めてた分をくずして、なんとかやってます。
石川 親に申し訳ないな、という気持ちはある?
小阪 「自分がやだな」というか、「お金借りてるくせに偉そうなこと考えてる」っていうのがいやで。一番は経済的な面で親に申しわけないと思っています。

「いつか写真で食っていけるだろう、となんの根拠もないですけど、すごい自信があるんですよ(笑)」

いつか写真の世界でやっていきたい、と考えている小坂くん。大学に入ってから、写真にのめりこみ、自分の撮りたいものが見えてきた。日常を切り取った写真が撮りたくて、父親にもらったカメラ(ニコンFE)をいつも持ち歩いている。キャップはいつもはずしていて、すぐに撮れるようにして、通学途中の風景を撮ったり、公園で遊んでいる子どもを撮ったり、横断歩道を渡っているおばあちゃんを撮ったり。好きなカメラマンはアラーキー。人間というものをリアルに撮っているところに魅かれる、と言う。

沢辺 写真で食べていく具体的な計画はまだない?
小阪 キャノンのコンテストに出して、評価されればいいかなと思ってたんですけど、去年自分の納得のいかないものを出してしまったんです。もちろん評価されなかったです。いまは、どんなかたちでも写真にたずさわることができればと思っています。修学旅行についていって写真を撮るとか、そういうのでもいいです。そこから、欲を言えば、自分の撮りたい写真が撮れていければ、と。
石川 これからお金を稼ぐことと、写真で食べていくということは、どういうふうに小阪くんのなかではつながってるのかな?
小阪 自分の好きなことでお金をもらうことはいますぐにできるとは考えていないんです。けれど、「後悔したくない」という思いが漠然とあって。たとえば3年間会社に入ってお金を貯めて、それから好きなことをやるというのはやろうと思えばできると思うんですけど、そこにまで力を注げない、というか。それなら、バイトを3年間やって、お金を貯めて、写真で食ってやる、という気持ちのほうが力が入れられるという気持ちがあります。
沢辺 写真の専門学校に行って学ぼうという気はないの?
小阪 プリントする技術者になるならいいかもしれないけど、自分で好きな写真を撮りたいんです。それは学校では学ぶことはできないと思ってます。それに学校に行くのはお金もかかるし(笑)。また親にお金を出してもらうのか、と。そこまでして行く必要はないと自分では思ってるんです。
沢辺 実はおれも専門学校に行く必要はないと思っているんだけど、でも、そう考える人って多いでしょ?
小阪 デジタルやパソコンでの加工は、ぼくは苦手意識が強いです。ぼくはフィルムにこだわりたいです。けれど、デジタルとフィルムのどこが違うかには答えられません。けれど、甘い考えですけど、たとえば、照明のことなら、それが必要になったら、その場で考えればいい、技術的なことはその場で学べばいい、と思ってて。それに、ひとりで全部自分でやる必要もないと思います。自分の表現したい焼き方をしてくれるひとがいればそのひとに頼んでもいいと思ってるし。
沢辺 でも、修学旅行の写真を撮るような会社に入るときに、あなたはなにができるのか? と聞かれて、なにもわかりません、と答えたら採用してもらえないこともあるよね。
小阪 なんとなく、そういう不安はあります。ありますし、今だとそういう扱いになってしまうことはだいたいわかっているんです。けれど、いつか、写真はそういうものじゃない、ということをわかってくれるひとがいるんじゃないかと。
石川 そういう自分の夢に対しては醒めてないんだ?
小阪 ほんとに漠然とですけど、自信がある、というのが自分のなかで強いです(笑)。根拠はまったくないですけど、自分のやってきたこと、写真も絵も、ちゃんとやったらいつか評価されるだろうと(笑)。すごくいやなヤツみたいですけど(笑)。これがたぶんぼくの一番いけないところなんですけど(笑)。いつか写真で食っていけるだろう、となんの根拠もないですけど、すごい自信があるんですよ(笑)。
石川 「根拠はない」と言ってくれたけど、その自信ってなんでついたんだろう?
小阪 ぼくはお兄ちゃんにあこがれがあるし、お父さんも自分の好きなことをやっているので尊敬しているし、最終的に自分のやりたいことを真剣にやっていれば、結果はどうであれ後悔はしない、というのがあります。完全にぼくの思い込みですけど、お兄ちゃんを見てても、「うちのお兄ちゃんのやっていることは世の中に出たらすげえんじゃないか」と思ってるんです。このひとたちに評価されたものなら、ぼくの絵や写真は、社会に出ても通用するんじゃないか、という気持ちもあります。それプラス、「自分はここまで考えてる」という根拠のない自身もあります。「アラーキーがやったことも、自分が考えたことなんだ、ちょっと自分のほうが生れるのが遅かっただけだ」という思いもあります。そういう漠然とした自信があります。もちろん、その自信も打ち砕かれるときはくるだろうな(笑)、そうしたらまた真剣に考えなくちゃならないだろうな、というのはなんとなくわかってます。

「いままで親やお兄ちゃんの評価というのを気にしていたかと思うんですが、なんかそっから抜け出せた感もあるんですよ」

やりたい仕事でなくても、やっているうちに楽しさや面白さが生まれる、という場合もあることはわかっている。でもやっぱり自分は、したくもない会社勤めをして後悔するくらいなら、「夢」をかたちにするためにバイトをしてお金を貯めてでも、やりたいことに向かいたい。これが小阪くんの気持ち。

沢辺 同級生で就職しないのはどれくらいいるの?
小阪 ゼミで言えば、全員で10人ぐらいのうち、ぼくを入れて2、3人ですね。
沢辺 自分のやりたいことに進むひとはいる?
小阪 ぼくのまわりは、やりたいことを職業にしようというひとはあまりいませんね。やりたいことは趣味でやればいいや、というひとが多いです。
沢辺 いまの時代、やりたいものを仕事に選ばなきゃ、という傾向があると俺は感じるんだけど、そういうことに抵抗は感じない? やりたいことを仕事にしているひとって実はそう多くないでしょ。
小阪 実際やってればたのしくなることはあると思います。父もはじめはバーをやりたいわけではなかったと思うんです。でもやっていくうちにプロ意識が芽生えたりしたんだと思うんです。そういうのを見てるとわかるんですよ。自分のやりたいことじゃなくても仕事をやらなきゃならない、そこから得られるものもある、というのはわかっているんです。けど、ぼくは写真がやりたいし、それ以外のことを考えても、写真に行き当たる、というか。自分を表現したいのかわからないんですけど。やりたいことを仕事にすることにぼくは抵抗はないですね。
石川 やりたいことをやれてないひとのイメージってどういうものだろう?
小阪 昔は、やりたいことをやってないひとは「かわいそう」、「つまらない」と思っていたんです。けど、実際自分が就職ということを考えるようになると、「就職するだけでもすごいな」と思っちゃう自分がいます。その人なりに考えてることもあるだろうし。会社に入って何年間も務める、ということはぼくにはできないことだと思っているので尊敬もします。ただ、会社に入って、「これはほんとうは自分のやりたいことではないのにやらされて」と文句とかいう人を見ると「やめちゃえよ」と言いたい気持ちになります。
石川 就職するひとはやりたいことをやれてないひと?
小阪 そうとも最近は思わないです。やりたいことは趣味でもできることもあると思うし、仕事と分けて考えることもできるし。会社に入って一生安定した生活を送ることもぼくはいいと思うし。ただ、ぼく自身はそういう生き方はできないです。この気持ちは変わることはありません。ほんとは写真やりたいのに、無理にお金のことだけ考えて会社に勤めて写真ができなくなったと、最終的に文句をいうような感じなら、会社をやめちゃえばいいじゃん、という考え方をしています。
石川 就職するひとのイメージってどういうもの?
小阪 たいへんだなあ(笑)
石川 なにがたいへんそう?
小阪 就職するのがたいへんというよりも、就活を見てると、みんな必死でやってるし。そういう必死さをみると「たいへんだなあ」と思います。でも、「そこまでしてやんなくていいじゃん」と言うほど、単純に思えない自分もいるし。「いま必死になってやっても将来なんてわかんないじゃん」と単純に思いたい自分もいるけれど、自分も先の見えない立場なので複雑な感じです。就職するひとは、尊敬とまではいかないけど、自分にできないことをやっているので、現実を見ていてすごいなあと思います。
石川 人間関係と社会について聞きたいのだけど、人間関係で悩んだことある?
小阪 ぼくは人間関係で困ったことはないんで、そこまで考えたことはないですね。
石川 社会のイメージってどういうもの?
小阪 そんな深く考えたことないですけど、自分がこれから生きていくところなんだろうな、という感じです。
石川 これまでは社会で生きてこなかった、という感じ?
小阪 そうですね。あんま、社会というのを意識したことはないかな。大学を卒業して、これまでの自分の活動範囲を越えたところ、これから生きていくところが社会なんだろうな、というイメージです。
沢辺 彼女は?
小阪 いないです。こないだ別れたんで。
 彼女は短大を出て、中学ぐらいから保育士になろうと思っていて、じっさいにいま保育士になっています。じっさいになってみると、思い描いていたこととはちがうこともあったみたいですけど、ぼくは「夢をもてるということはそれだけですごいな」と思っています。彼女のように小さいときからこれというのをもっていて実際にそれになったりするのを見てると、すごいなと思っていますね。「なりたくてそうなって、そこでちがっていた」というのならいいかな、とぼくは思います。幸せなんじゃないかな。ぼくも写真家になって写真が嫌いになるということはあるかもしれないけれど、それでも後悔しない、というか。そこまでは自分なりに真剣にやってきたつもりなんで。
石川 恋人とはなんで別れちゃったの?
小阪 これっていう理由はなかったです。ぼくは付き合う人とは、「結婚してもいいかな」と思えるひととしか付き合わない。でも現実のぼくはこんなんなんで、むこうからすれば、ぼくは就職もしてないし、そんな結婚なんてこと言われても現実味もないし。「常に支え合う」という関係へのあこがれがぼくにはあるんだけど、いまは、ぼくはそういうことができないんじゃないかな、と一方的に思っています。だから、いまは、一回、彼女とは距離を置いているという感じです。
石川 家族以外で大切な関係とは?
小阪 中学、高校の友達関係、大学の友人関係、それぞれがちがうよさがあって一番というのはないです。どれも大切です。大学では、人とそれほど深いつきあいはできないと思っていたけど、ゼミのひとたちと卒論をはじめたころにやっと仲良くなって、今後も付き合っていけるかもって思っています。
石川 深い付き合いってなに?
小阪 説明はできないんですけど、ただ一緒にいるだけで楽しい、無駄じゃない、と思える関係です。話をしなくても、いっしょにいる時間が深さに比例すると思う。
石川 さいごに、小阪くんが写真家になって自分の写真が世に出て、見ず知らずのひとに、「この写真どうしようもないよ」と批判されたとき、どう思う?
小阪 見ず知らずのひとだったら聞かないと思います。たとえばこの写真のここがよくないと言われたら、たぶん聞いて、もし話せるひとだったら、自分の考えも言うとは思うんですけど、いちばんは自分の納得なので。一番は出したいもので、他人の評価はあとからついてくると思っています。もちろん、職業として他人からの評価は重要だとは思うけれど、自分が出したいこと、というのがブレなければ、周りになんと言われようといいかな。
石川 これから小阪くんが行くところであろう社会というのはおそらく、見ず知らずのひとに自分を試される場所だと思うんだよね。それで、そういう場所というのは怖いと思う?
小阪 全然怖さはないですね。自分はどこに行っても自分でしかない、という自信のようなものがあります。いままで親やお兄ちゃんの評価というのを気にしていたと思うんですが、なんかそこから抜け出せた感もあるんですよ。それがすべてでないし、自分がいいと思ったらいいんだと思えるし。いまは自分がブレないと思ってる。社会の要請にどんなに対応しても、たぶん軸はブレない、というのがあります。
石川 う〜ん。ちょっと最後のところ、なんで親やお兄ちゃんの評価が気にならなくなるのか、なんでそんなに自信があるのか、そこをまだ聞きたいけれど、これで終わりとしましょう。どうも長い時間ありがとうございました。

◎石川メモ

「お父さん」

 人前で自分の父親のことをなんと呼ぶだろうか。ぼくの場合は、目上の人との会話だけでなく、友人との会話でも「父」や「父親」と呼ぶ。「うちの父(親)が〜」といった言葉づかいで、父親が話題になるときは話す。
十年ぐらい前、人前で自分の父親のことを「お父さん」と呼ぶ男子大学生にはじめて会った。驚いたし、気持ちが悪かった。
 人前で自分の父親のことを話すときは、男子たる者ならば、「父(親)」か「おやじ」だろう、「お父さん」は小学生までだろう、と思っていた。父親は、「父」、「父親」というフォーマルな言い方や、「おやじ」という言い方で、距離をとって語るべき存在であるはずだ。
 だから、その大学生に「うちのお父さんが〜」なんて話されると、小学生かよ、子供かよ、まだお父さんベったりかよ、という印象で気持ちが悪かった。ちなみに、その大学生は人前では「母」、「母親」、「おふくろ」と呼ぶべき存在を「お母さん」と呼んでいた。「うちのお母さんが〜」といった具合に。もちろん、これも気持ちが悪かった。
でも、いまは、家族のことを人前で話すとき「父」、「母」ではなく「お父さん」、「お母さん」、それに、「兄」、「姉」ではなく、「お兄ちゃん」、「お姉ちゃん」を使うのが普通なのかもしれない。小阪くんもそういう言葉の使い方をしていた。
 親はもう乗りこえるべき存在ではないのかもしれない。小阪くんは、自分の描いたイラストなり、写真なりを真っ先に父親や兄に見せる。父は乗りこえるべき存在ではなく、兄もライバルではないようだ。
何かをつくり、表現するということは、家族以外の人びとに発信することだとぼくは思っている。ぼくだったら、自分の書いたものを親に見られるのは恥ずかしいし、気持ち悪い。けれども、いまは、たとえば、親子でお互いの書いたブログを読みあって誉めあったりしている、という状況があるのかもしれない。
 小阪くんは、写真で食っていこうとしている。これは、父親や兄に誉められればOKという世界とはまったくちがう世界で生きていくことだ。小阪くんは自分が写真家になることについて「根拠のない自信がある」と言っているけれど、もしそれが、家族に評価されたことからくる自信だったら、かなり狭くもろいものだと思う。この春大学を卒業した小阪くん、これからどうなっていくのか。また話を聞きたいところ。

やりたいこと、後悔しないこと

 「やりたいことがある」という言葉は、「働くのはイヤだから」という言葉の裏返しになりやすい。小阪くんがそうだというわけではない。けれども、写真という「やりたいこと」がきちんとあるはずの小阪くんは、家族以外に自分の写真を見せたことがほとんどない。
 小阪くんの「やりたいこと」のために、いま「やるべきこと」は、どんどん撮って人に見せることのはず。「後悔しないこと」も小阪くんのキーワードだったけれど、「やるべきこと」をさんざんやったなら、かりにダメであっても後悔はしないだろう。けれど、もし、それをやらなかったら、それこそ、あとで後悔することになってしまうはず。いまのまま暮らして、両親の経済事情が許さなくなって、いよいよ生活のためにお金を稼がなくてはならなくなったとき、「あー、あのときやるべきことやっておけばよかった」という後悔がやってくるはずだ。
「一度きりの人生、やりたいことをやって、後悔しないように生きていきたい」。そういう言葉はよく聞く。けれども、これはマッチョな言い方かもしれないけれど、もし漠然とでも「やりたいこと」があったなら、そのつどそのつど「やるべきこと」をとことんやっておくべきだ。小阪くん、いま現在、「やるべきこと」をやっているだろうか? すごく気になる。

2010-08-13

第4回 現実を知っても、夢は諦めきれない──岡村大輔さん(23歳・男性・アルバイト1年目)

岡村くんは1986年青森県八戸市近郊の町で生まれた。現在23歳。父親は地元で公共工事なども請け負う電気店を経営。中学校、高校は地元の公立校に進む。高校は進学校だったが、二年生で中退。その後は親の仕事を手伝いながら通信教育の高校を卒業した。卒業後、東京の映画の専門学校へ進む。専門学校時代は脚本ゼミに所属。シナリオ協会の新人賞で佳作をとる。映画学校卒業後、いまは、アルバイトをしながら、映画関係の仕事に就くこと(自分の脚本が世に出ること)をめざしている。
岡村くん自身はコミュニケーションが苦手だと言うけれど、こちらとしてはけっこう話せる人の印象。高校ドロップアウト時代のトラウマでそういう自己認識になっているのかも。
*2010年4月24日(土) 18時〜インタヴュー実施。

「学校の雰囲気になじめず、人が怖くなって。友達もいなくて」

岡村くんは中学校までは比較的勉強ができ、地元の進学校にも進む。けれども高校をやめてしまうことに。その後、父親の電気店を手伝ってすごす。兄弟は双子の兄と一つ下の弟がいる。兄も高校をやめ、いまは岡村くんと一緒に東京に住んでいる。弟は佐川急便に就職。弟は兄たちとは一緒に住んではいないが、東京で一人ぐらしをしている。

石川 勉強はできた?
岡村 中学までは勉強ができたんですけど。高校で数学で挫折しまして。高校のレベルは東北大学に年にひとりかふたり行くような地元の進学校です。
沢辺 弘前大学は?
岡村 十数名受かるような学校です。
石川 じゃあ、地元のできる子が行く高校なんだ。
岡村 県内では三つほど有名進学校があるんですが、ぼくの行っていた高校はその下のレベルです。
沢辺 引きこもりってことなの?
岡村 ちょっとした引きこもりにはなりましたけど、学校の雰囲気になじめず、人が怖くなって。友達もいなくて。数学の先生に集中攻撃を受けたので。
石川 先生にいじめられたのがやめた原因だったの?
岡村 怒られるのが怖かったんで。それから、友達ができないのが大きかったんだと思います。
石川 いま、23歳で整理するのは難しいかと思うけど、けっきょく、原因はなんだったんだろう?
岡村 自意識がつよかったのが原因だと思います。そこで人生をあきらめたというか。
石川 自意識って?
岡村 人にどう見られてるかがいつも気になって、ばかにされてるんじゃないかと。
沢辺 誰も見ていないのに?
岡村 そうですね。だれもぼくなんか見ていないと思うんですけど、ばかにされてるんじゃないかと思って。学校行きたくなくなって、一回引きこもって。そのあとは、うちが電気屋で、電気工事もやっていたので、テレビのアンテナの設置の工事を手伝ってました。
石川 じゃあ、実家は人を使っているようなお店?
岡村 従業員は父親と母親と、技術に秀でている人が一人います。ぼくはその技術のある人についていって工事をやっていました。
石川 どんな工事?
岡村 ぼくは助手でぼーっと見てて。アンテナやエアコンの設置の工事とかをやってました。冬には、テレビの共同アンテナの工事をやって、小さな電柱のようなものを立ててました。
石川 お父さんとしては「学校やめたんだからお前うちで働くか?」という感じになったの?
岡村 ぼくが家でぐだぐだしていたので、「なにもやらないんだったら働け」となって働くことになりました。
石川 お父さんとしては学校をつづけてほしいと思っていたのでは?
岡村 そういう気持ちはなかったと思います。どちらかと言えば「うちの会社で働けばいいや」と。母親のほうは、学校やめたのは残念がっていたと思います。
石川 お母さんは将来こういうふうになってほしいとか具体的に言ってた?
岡村 「英語はしゃべれるようになってほしい」と(笑)。英語を話せれば仕事が増える、という考えで。大学には行ってほしいと思っていたはずです。
石川 お父さん、お母さんいくつ?
岡村 母親が55、父親が56です。
石川 兄弟は?
岡村 双子の兄が一人いまして、あと、一つ年下の弟がひとりいます。
沢辺 兄貴は似てる?
岡村 二卵性なので似てないと思います。
石川 兄さんは何している人?
岡村 同じ映画学校です。
沢辺 じゃあ、大変だったね〜。
岡村 金かかるんで。兄はいま在学中で。ぼくよりあとに東京に出てきました。家を手伝ったあとこっちに来て、ぼくと同じく映画が好きです。
沢辺 兄貴も同じ高校だったの?
岡村 同じ高校で同じ時期にやめて。
沢辺 それ親からしたらめんどくさくてたまんないだろ?
岡村 たまんないですね(苦笑)。
石川 二人とも「一緒にやめよっか」と申し合わせてやめたの?
岡村 そういうわけではないですけど。兄貴は自分より行かなくなったのははやかったです。けれども、留年して高校出ようかやめようか迷っていたようで、やめたのはぼくより遅かったです。
沢辺 岡村くんはドロップアウトだよね。引きこもりとは違うよね?
岡村 引きこもりとはちがうかもしれません。ただ、休日に外に出るのは怖かったです。同じ高校のヤツに会うんじゃないかと。仕事は作業着でよかったんですけど、みんな高校になればお洒落になってて。そういうのに対してコンプレックスをもっていました。お洒落なみんなに会うのはいやだ、と。
沢辺 でも、映画には行ってたんじゃない?
岡村 映画館に行くようになったときはもう自分でも服を買うようになっていて。
石川 映画館に行くようになったとき、と言うと?
岡村 高校をやめて、一年間ぐらいはあんまり外には出なかったですね。仕事以外では。
沢辺 じゃあ、映画館に行くようになったのは親を手伝うようになってしばらくしてからだと思うんだけど、映画が好きなんだと自覚をもったのはいつぐらい?
岡村 高校をやめてからですね。ぼくは現役より一年おそく、19歳で映画学校に入りました。兄貴は二年遅れて20歳で学校に入りました。
沢辺 弟は?
岡村 佐川急便につとめていて、いま東京に住んでいます。
沢辺 まさか一緒に住んでないよね?
岡村 いま自分は兄と一緒に住んでいて、弟は別です。今年寮を出たようで。弟とは疎遠なのであまり連絡をとってないです。
沢辺 弟は勉強できた系?
岡村 いえ。弟は夜遊びをするようなタイプで。髪の毛は染めてなかったですが、だぼだぼのズボンを履いて、キャップをかぶるB系でした。
沢辺 弟は高校は卒業した?
岡村 卒業しました。公立ですが。本人は食物調理科に入りたかったようですけれど普通科しか行けなくて、目標を失って、それから、おちこぼれというか夜遊びをするような感じですね。なにをしてきたかわからないですが、朝帰ってきてました。まったく遊ぶところがない町なんで、友達の家でゲームしたり、たばこ吸ったりしてたと思います。
石川 岡村くん自身は友だちとは遊ばなかったの?
岡村 友だちと遊んだという経験はないです。ゲームをひとりでやったりとか、借りてきたDVDを観たりとか。

「田舎の人間を見下していたというか、田舎にいたとき、自意識が強くって、なんだこいつら、と見下していました」

高校をやめた岡村くんは映画をかなり観るように。そこで自分でも映画をつくりたい、漠然と、監督になりたい、と思うようになり、映画の専門学校に進むことになる。

石川 田舎にいたときはどれだけ映画を観てたの?
岡村 衛星放送の映画も録画して観ていたので、一日一本は観ていたと思います。
石川 どんなものを観ていたの?
岡村 むかしのハリウッド映画とか。
沢辺 いちばん好きな映画は?
岡村 ジョン・フォードの映画が好きなので、「荒野の決闘」とか。ゴダールの「気狂いピエロ」とか黒澤明の「用心棒」とかです。ジャンルは限定せずにいろいろ観てました。
石川 でも、古典だよね。新しいやつは観なかった?
岡村 新しいやつは、ガス・ヴァン・サントの「エレファント」とか。コロンバイン高校の銃乱射事件を描いた映画です。
沢辺 川島雄三は?
岡村 好きですね。「しとやかな獣」が好きですね〜。
沢辺 いかにも映画学校って感じだねえ。ゴダールとか観てるヤツっていやらしいよなあ(笑)。
石川 ぼくもそういういやらしいタイプだった(笑)。「まわりはたのしくやってたけど、おれはちがうものもってるぞ」みたいな気持ちで映画観てました。
沢辺 けっこうみんなそうなんじゃないか? オレもそうで、はずかしいけど、子供はみんな大人になろうとしてそういうことやるよね。
石川 ところで、岡村くんは、どうしてその学校を知ったの?
岡村 インターネットで知りました。
石川 映画やりたい、って気持ちもあったと思うけど、ほかには動機があった? 「もうこんな生活いやだ!」とか。
岡村 「田舎はいやだ!」というのはありましたね。
沢辺 いまどき「田舎がいやだ!」っていう同級生っている? 俺らの頃は、「いやだ!」ってのはありだったろうけど。
岡村 そうですね。地元が好きな人が多いですね。
石川 岡村くんだけなんで田舎がいやだったんだろう?
岡村 田舎の人間を見下していたというか、田舎にいたとき、自意識が強くって、なんだこいつら、と見下していました。田舎だとミニシアター系の映画なんか3ヶ月や半年遅れてくるので、それだったら東京だといっぱい映画が観れるかなと思って。
沢辺 って言うか、ミニシアター系って、そもそも来るの?
岡村 来るんですよ。
石川 どこに来るの?
岡村 シネコンに(笑)。
沢辺 八戸の?
岡村 フォーラムという会社があって、そこはミニシアター系の映画も上映して、観られるようになったんです。
石川 週にどれくらい観ていた?
岡村 週に二回は見ていました。
石川 それで、いよいよ学校に行くときに試験とかあったの?
岡村 推薦というかたちだったので、「自分の身近にいる面白い人物を書いてください」という作文と面接がありました。
石川 身近な人物を書くって、でも友だちいないんじゃなかった?
岡村 一人いたんで。自分と同じような感じの(笑)。体が弱くて、学校やめちゃって、ゲームばっかりやっているやつで、女を襲うとか、レイプするとか、そんな妄想をしゃべるような変なやつです。
石川 そいつ危ないじゃん(笑)。そいつについて書いて面接受けたら通ったんだ。
岡村 後で聞いたら、まあ、こいつはだめだろう、という感じの人以外は通るみたいです。
沢辺 ところで、それまでは映画を観てたのしんでいたと思うけれど、自分が作り手にまわるというのはちがうよね?
岡村 学校に行くまえは、その想像力はまったくはたらかなかったですね。作れるものだと思ってたんですが。
沢辺 岡村くんの行っていた映画の専門学校は、その世界ではいちばん権威のあるところだと思うんだ。けど、とはいえ、その専門学校に行っただけで、どれくらい映画の仕事にかかわれるかといったら難しくない?
岡村 そうですね。かなり難しいですね。でも、最初はそういうことを知らずに、学校側の宣伝では「うちはいちばんスタッフを輩出しています」となっていたので、そのときはスタッフという概念もなかったんですけど、ここに行けばなんとかなるんじゃないか、と思って行きました。
沢辺 おれの認識では、監督、助監督以外は現場職でさ。照明屋さん、録音屋さん、道具系、編集、スクリプターみたいなのっていうのはさ、映画を支える現場の人で、その延長で監督や助監督になれるってわけじゃまったくないと思うんだよ。だから、スタッフは下請け化されていて、映画だけじゃなくNHKのドキュメンタリーも撮る。そこに派遣されていくという感じになっている。監督になるとか脚本を書くとかいうのはそういう仕事じゃないじゃん?
岡村 そうですね。まったくちがいますね。
沢辺 で、昔だったら東宝だとか映画会社に入れば監督コースがあって。
岡村 そうですね。むかしは、がんばればなんとか助監督になれる、という保障がありましたね。
石川 へぇ、そういうシステムだったんだ。
沢辺 いまはそういう撮影所システムがほぼなくなっちゃっているので、たとえば、ぴあフィルムフェスティバルとかで賞をとらないと監督にはなれなくなっている、みたいなんじゃない?
岡村 そうですね。うちの学校から賞をとって監督になった人もいますが、知っているかぎり一人です。いまは、自主映画から賞をとって監督になるコースと、誰かの助監督と師弟関係になってデビューするコースがあるだけだと思います。
沢辺 撮影所システムがなくなったあとでも、むかしはピンク映画コースっていうのもあったんだよね。だからピンクに飛び込めばさ……。
岡村 二、三年で監督になれる、っていうのがあったんですけどね。
沢辺 そのコースはいまはどうなってる?
岡村 まだあるんですけど、いまはピンクの製作本数がどんどん減っていて、そのコースは薄いですね。
沢辺 アダルトビデオから、ってコースはあるの?
岡村 アダルトビデオからは平野勝之さん、松江哲明さんがいます。

「学校に入ったら、ばけの皮がだんだんはがれて」

プライドの高い岡村くんは映画の専門学校に入って、先生たちにケチョンケチョンにやられることになる。メッキがはがれて、自分の弱さを認めるようになると、少しずつ友だちもできはじめる。

石川 親は東京に出ることをすぐにオーケーしてくれた?
岡村 ぼくを大学に行かせるためにお金を貯めてくれていて、お金の点では大丈夫でした。
石川 学費は一年でどれくらいかかるの?
岡村 一年目が130万で、2年、3年が80万円でした。
石川 親は「いいよ」と?
岡村 そうですね。そこらへんのところはもめませんでした。けれどもじいさんが「なんで行くんだ」と言って、ちょっともめました。
石川 お父さんは、うちを継げばいい、と思ってたんじゃない?
岡村 ぼくが「映画をやりたい」と言って、たぶんいやだったと思います。でも、おやじは「好きなことやってりゃいい」と言う人で。内心は家業を継いでほしかったと思いますが。母親はおやじの言うことに対して反対を言わない人だったので、父親が許したのならそれでいい、ということだったと思います。
石川 それで、東京に出てきて、生活はどうしたの?
岡村 仕送りで。
沢辺 犯罪だね〜(笑)。いくらくらいもらってたの?
岡村 家賃含めて月12万です。
石川 ちなみに、どこに住んでたの? ワンルーム?
岡村 学校の近くの新百合ヶ丘に住んでいて、じっさいは駅で言えば百合丘が近いですが。4万9千円の部屋です。
沢辺 便利なとこだね。下北沢にも一本だし。
岡村 遊んでました(笑)。
石川 (笑)アルバイトは?
岡村 やってなかったです。
沢辺 バイトをやってなかったら、それはそれで大変だね。
岡村 あと、これ言っていいかどうかわからないですけど、ばあちゃんが50万円、親にはないしょでくれたんで。
沢辺 涙がでてくるよ〜(笑)
石川 (笑)お金は主になにに使っていたの?
岡村 映画を観るのと、学年が上がると講師の方と呑む機会があったので、それに使いました。
沢辺 犯罪だよ、犯罪(笑)。
石川 (笑)映画監督をめざしてこっちに上京してきたと思うんだけど、上京してなにか知ったことはある? 現実はきびしいとか?
岡村 まず、自分に才能はなかった、ということですね。でも、才能がないから、映画めざすのをやめよう、というものではなくて。田舎にいるときは映画を簡単に撮れると思っていたけれど、眠れないぐらいやんなきゃ映画は撮れないということがわかりました。それから、自分の書いた脚本について、「最低!」とか「才能がない!」とか「葛藤がない!」とか「テーマがない!」とか厳しいことを言われるので、そこでも、自分には才能はないのではないかと。
石川 そう言えば、監督と脚本はちがうよね?
岡村 一年のときに監督は無理だと思ったんです。東京に出てきたばかりのときは、田舎の引きこもりの気分を引きずってて。コミュニケーション能力がそんなになくて、クラスメートとあまりうまくいかなかったんです。それで、ひとりでやれそうな脚本ゼミに行ったんです。けれども、脚本ゼミと言っても、一人で脚本を書く作業が中心ではなくて、何人か集団で実際に自主映画を撮るゼミだったんです。そこでコミュニケーション能力はついたと思います。
沢辺 そうだよね。映画は集団芸術だからね。
石川 じゃあ、脚本のゼミでは一応ひととはかかわれるようになったんだ。
岡村 そうですね。学びました(笑)。一年のときはつっぱってましたが。
石川 友だちできた?
岡村 できました。それまで、友だちがいなかった人、自分と同じような仲間です。
石川 岡村くんのようにプライド高い人たちだったらうまくいかないと思うけど?
岡村 自分もそうですけど、学校に入ったら、ばけの皮がだんだんはがれて。強がってても、講師の方にいろいろ言われることで自分の弱さが出てくるので、そういう意味でお互いダメだということがわかって。それでダメさを交換するような仲間ができました。
沢辺 田舎じゃ、映画を観ていないまわりをばかにして「オレ、ゴダール見ているけど」と言っていきがっていられるけど、学校に入ったらまわりも自分と同じようなやつだし、なんといっても、自分より映画を知ってる先生たちからは「ゴダールごときで、オマエ、なに言ってるの?」って一発で粉砕されちゃうよね。
岡村 そうですね。先生たちは自分より映画を観ているから。
石川 はじめてメッキがはがれるわけだね。
沢辺 みんなと同じようになるから、つっぱっててもしょうがないや、ということになるよね。
岡村 そうですね。上の人たちにはかなわないな、と思って、低姿勢になりましたね。それまで、年上の人たちをばかにしていました。それに、高校のときは先生に厳しく言われたら、すぐに「俺は否定されている」と思っていやになったんですけど、いまは怒られても前向きにとらえるようになりました。
石川 それにしても、それまではいやなやつだったね〜。まわりの人間には「オマエ、ゴダール見てないだろ!」ってバカにするし、先生には反抗するし(笑)。

「青森にいたころより格段にいろんな映画が観れています」

岡村くんはいまは双子の兄と二人暮らし。アルバイトは年金関係の会社に派遣として行っている。稼いだお金のほとんどを映画を観ることに費やしている。

沢辺 いま、何しているの?
岡村 派遣で年金の取立てをやっている会社で働いています。時給は千円で、週四日働いています。月に10万円ぐらい稼いでいます。それで家賃はまだ親に出してもらっているんですけど(苦笑)。いまは柿生の5万8千円のところに住んでいます。
沢辺 まあ、まだ学生の兄貴と二人だから理屈はつくよな。
石川 10万円はだいたいなにに使ってるの?
岡村 まずは年金の関係の仕事をやっているので年金は払ってますね(笑)。あとは、食費、遊ぶ金、それから貯金も考えていますけど、なかなかたまりませんね。CD、DVD代、レンタル代、それから映画を観に行くお金で使ってしまいます。映画館で観るのも含めて、週に三回ぐらいは映画を観ます。
沢辺 映画“館”としては主にどこに行ってる?
岡村 そうですね。シネマヴェーラ、ユーロスペースとか。
沢辺 「バサラ人間」(監督山田広野、ポット出版も出資)とか観た?
岡村 観ました。
沢辺 偉いね〜(笑)。
岡村 こっち来てから、ロマンポルノの特集とかも観ることができて青森にいたころより格段にいろんな映画が観れています。
石川 学校出ても、先生たちとの付き合いはつづいている?
岡村 そうですね。飲み会に行ってます。
沢辺 先生たちの出している雑誌は手伝わされてる?
岡村 それはないですね。
石川 話は戻るけれど、ごはんは自分でつくってる?
岡村 作るときはあります。
沢辺 米炊ける?
岡村 炊けます。
沢辺 味噌汁作れる?
岡村 作れます。
沢辺 出汁どうやってとるか知ってる?
岡村 出汁は煮干で。
沢辺 おっ!
岡村 ぼくの場合は、はらわた、頭をとって、一晩水につけて、朝に豆腐切りながら、鍋の水が沸騰したら煮干を上げて、豆腐を入れて三分ぐらいして、豆腐に火が通ったら味噌を溶き入れて。というかたちで味噌汁をつくることはあります。
沢辺 田舎の母さんから食い物から着るもの送ってくることある?
岡村 米とかドリップコーヒーとか。
沢辺 うざくない?
岡村 やっぱ着るもんはちょっと。
沢辺 俺も着るものはいやだったな〜。着るものは趣味があるからさ。
石川 ぼくもパンツとか送られて困ったことありましたね(笑)。
岡村 でも、食べ物をつくるようになったのは最近です。それまでは、マックだとか吉野家だとかサイゼリアとか、安いところで済ませてました。
石川 煮干で出汁をとるのはお母さんがやってたのを見てそうするようにしたの?
岡村 いいえ。本を読んで知りました。

「危機感をもたなくてはやばいですね」

岡村くんは、いまは専門学校時代の先生からもらった脚本の仕事をやっている。これは学校の教材。けれども、いつまでもこの仕事をもらえるという保証はない。自分の脚本を何とか書かなくては、という危機感がある。

沢辺 ところでさ、ひきつづき今も映画をつくろうと思ってるの?
岡村 「なにがなんでも映画だ!」っていう気持ちは落ちてるんだと思います。仕送りがなくなって「生活費を稼がないとな」と思っていま働いています。
沢辺 これまで映画はなにか撮った?
岡村 映画は撮っていなくて、短い脚本を書いたりしていました。
沢辺 何本ぐらい。
岡村 三本ぐらいです。
沢辺 いちばん最近だといつぐらいに書いた?
岡村 学校の先生から仕事をもらっていま書いているところです。学校内の実習のために、ほんとに短い五分ぐらいの脚本をやらせていただいてます。ギャラは、一本五枚ぐらいの量で1万円です。
石川 そういう声って全員にかかるわけじゃないよね?
岡村 以前に書いたものが評価されて声がかかりました。
沢辺 だってシナリオ協会の新人賞で佳作なんだから。まあ、佳作になったからってどうってことないと思うけど。それに、その賞と映画学校との人脈が強そうだし(笑)。
岡村 ぼくが入賞したときも、賞をとったのは全員、同じ映画学校でぼくと同級生のやつでした(笑)。
沢辺 とはいえ、あんまりひどいやつは佳作にしないとは思うけど(笑)。
岡村 そうですね(笑)。
石川 それでもいまは脚本の話が来てるんだから、まだ脚本を書いていきたいとは思ってるんだ?
岡村 このまま先生と付き合っていれば、もしかして、もっと本格的な脚本の話がくるんじゃないかと。
沢辺 そりゃ甘いだろ(笑)。
岡村 甘いですね(笑)。
石川 どうしたらいいんだろうね?
岡村 先生には「いまは貯める時期だ」、「本読んで、映画観て、いろいろ経験しろ」って言われてて、ぼくとしては、そうか、そういう時期だと思ってその気になっているところです。
沢辺 そうだけどさ。書きつづけてたほうがためになるんじゃないか。頼まれた脚本を何本か書いているだけではだめでしょ。貯めていて、三十になったら書き出して、いいものができるという可能性はなきにしもだと思うけど。
岡村 去年は、先生からもらった仕事だけしかやってなくて、やばいな、と思って。今年は自分で長いものを書こうと思います。
沢辺 ちょっとやなこと言うようだけど、学校からは毎年卒業する学生がいるわけだよね。そうすると、先生が実習用にシナリオ書かせようという学生もまた出てくる。それ、やばくない?
岡村 危機感をもたなくてはやばいですね。じっさいに、後輩がまた佳作をとったので。
石川 そのコンクール以外ではシナリオを発表する機会はどれくらいあるの?
岡村 コンクールはいくつかあります。採用されることは滅多にないけれど、プロデューサーに直接もっていくという方法もあります。自分で自分のシナリオをもとに映画を撮るという手もあります。
石川 そういうことにチャレンジはしないの?
岡村 自主映画かな、と自分では思ってるんですけど。いまお金がない状態で。
沢辺 でも、いま、映画を自分でつくるならそんなにお金かからないよ。
岡村 そうですね。20万、30万でできますね。
石川 たとえば、いま23だから、30までを区切りとしたら、なにかそれまでに目標は?
岡村 30までに配給会社がつくシナリオなり映画を一個つくりたい、かたちにしたい、というのはあります。それでだめだったらやめよう、という考えもあります。実家の電気屋を継げばいい、という気持ちもあるけれど、いま電気屋業界も厳しいんで。
沢辺 オレの編集したプロモーションビデオを見せよう(パソコンを開いて自分のバンドの映像を見せる)。これなんて編集30分だよ。だから、もう誰でも映画を作れてしまうんだよ。
岡村 そうですよね。いまほんとにそういう状況ですよね。
石川 そういえば、脚本だけ書いてる人っているの?
岡村 います。でも、脚本だけで食えている人はほとんどいません。
沢辺 厳しいよね。プロの人でさえ、いつも、「金ない、金ない」と言ってるもん。とはいえ、けっこう夢がある系だね。岡村くんは。
岡村 そうですね。厳しい現実を知ってもあきらめきれてないというか。
石川 ほかの仕事は考えなかった?
岡村 ほかの仕事はできない、ちゃんと会社勤めなんかできない、と思い込んじゃって。
沢辺 その場合の仕事ってどういう範囲なの? たとえば、弟みたいに佐川急便の仕事だってあると思うけど、その仕事というのは、四年制の大学出て就職活動してするような仕事のこと?
岡村 そうですね。大学出て会社に就職するというイメージですね。ぼくの場合はそういう道はもうないので、バイトをしてなんとか脚本書いて、映画を撮ろうと思っています。とにかく映画界にかかわりたいという気持ちがあります。
沢辺 かかわるだけだったら、いろいろな方向があると思うけど。
岡村 助監督にしてください、と頼みにいったことがあるんですけど、「オマエは助監督には向いていない」と言われて。
沢辺 そうだよね。岡村くんは引きこもりだし。映画は集団芸術だから。とはいえ、いまはっきりこうなるという方向性がなくてもいいとも言える。みんないきがかりだと思うよ。石川さんだって、23歳のときはそんなはっきりした将来の方向性なかったんだから。
石川 そうですね。かなり漠然としてましたね。
岡村 ぼくもその場、その場を生きているって感じです。
沢辺 いまは人生80歳までぐっと伸びた時代だから、23歳なんてまだまだひよっ子だよ。だから、まだまだ自分は子供だと思えばいい。

「人からブサイクって言われますけどね(笑)」

岡村くんは、インターネットは頻繁にやるけれどもPCでメールのやりとりはあまりしない。mixiは登録しているがあまり使っていない。Twitterもやっていない。けれども、携帯代は月に1万円。コミュニケーションは苦手と言う岡村くんだけれど、友だちはいる。ただ、女の子にはちょっと苦手意識が。

石川 岡村くんは、コミュニケーションが苦手だと思ってるみたいだけど、こんなところまで出てきてインタヴューの相手をしてくれるんだから積極性あるんじゃない?
沢辺 なんでインタヴューに来てくれたの?
岡村 これもなにかいい経験になるんじゃないかと思って来ました。
沢辺 そういえば、携帯もってる? パソコンは? インターネットは?
岡村 携帯はもってます。パソコンもあって、インターネットはよくやります。
沢辺 携帯代は月どれくらい?
岡村 月1万円ぐらいです。
石川 1万円ってけっこう高いよね。
沢辺 友だちいるじゃん! 1万円だったら毎日数分の通話はかならずやってるよ。オレなんて、友だちいなかったよ。高校中退して、家を飛び出して一人で四畳半のアパートで暮らしてたんだけど、昼間はクーラー屋のバイトをしてて、同僚は年の離れたおじさん。それで、夜間高校へ行ったんだけど、まじめな苦学生が多かった。昼間は看護婦さんやっている人や自衛隊員もいて、ちゃんと働いていた。高校中退組は、まじめに勉強して大学に入ろうとしている生徒が多かった。オレなんてバイトで不良系だったから友だちできなかったよ。昼はおじさん、夜は友だちいなくて、孤独で気がくるいそうだった。それで、メールは1日何通ぐらい書く?
岡村 書かない日もありますけど、平均で言えば3通ぐらいだと思います。
沢辺 おれは仕事以外でメールなんてしないよ。どんなやりとり?
岡村 自分から最初にメールするより、むこうから「いまヒマ?」、「あの映画観た?」というメールが来て、それに「ヒマだよ」とか「観たよ。面白かった」と返信してコミュニケーションすることが多いです。
沢辺 彼女は?
岡村 いないです。
沢辺 いままでいたことある?
岡村 一回。中学校のときひとりだけです。
沢辺 孤独な日々を過ごしてるんだ。
岡村 女性がちょっと怖いというのもあるんで。たぶん、小学校のときに女の子にいじめられた経験がトラウマになっているんだと思います。
沢辺 でも、べつに岡村くんはブサイクでもなんでもないよ。
岡村 でも、人からブサイクって言われますけどね(笑)。
沢辺 ちょっと頭が薄気味だけど。別に普通だよ。オレに普通の顔があればな。あと、なんか頭の薄くなり方がちゃんと前からで、ショーン・コネリータイプでいいよ。(自分の頭を見せて)おれなんて真ん中からだから、フランシスコ・ザビエルみたいでいやだよ。まあ、年齢的に若いから頭が薄いのがちょっといやだと思うけど、場所的にはいいじゃん。
石川 年齢が行けばけっこういいかもね。
岡村 それはよく言われますね。
石川 なにかこの子いいな、と思う女の子と接する機会は?
岡村 そういうコミュニケーションはありませんね。恋愛というかたちのコミュニケーションはまったくないですね。
沢辺 風俗は?
岡村 ときどき行ってます。
沢辺 なに系?
岡村 ソープです。
沢辺 本格派だね。
岡村 童貞だったんで、確実に本番ができるということでソープに行きはじめました。
沢辺 最初の人はどういう人だった?
岡村 30歳は超えていたと思いますが、かわいい人でした。こんなかわいい人がいるんだ、っていうか、そういう感じでした。
石川 そんないい人だったら、その人のところにはその後何度も通った?
岡村 いえ、そういうわけでもなく。

「映画を観たりしてぶらぶらと」

これからどうやって生きていくか? アルバイトも出会いもいまはじまったばかり。これまで岡村くん(と岡村くん兄弟)を支えてきた実家の電気屋さんも地デジ景気の終了後どうなるかわからない。

沢辺 これからどうやって生きていくの?
岡村 ……ちょっと答えるのが難しいですね。
沢辺 道具とか使うのは好き? ビデオカメラとか。
岡村 そんなに好きじゃないですね。
沢辺 PCは?
岡村 パソコンはありますけど好きってほどでもないですね。
沢辺 じゃあ、借りてきたDVDをコピーしたりはする?
岡村 そういうことはしませんね……。
石川 コールセンターには女性はいる?
岡村 ほとんど女性ですが主婦ばっかりですね。
石川 なにかそこで出会いでもあればと思ったんだけど。
沢辺 大人趣味はなし?
岡村 大人趣味もちょっとあるんで。おばさんでもいいかなと。でも、なにしろバイトをはじめたばっかりなんで。
石川 あれっ? バイトはじめたばっかりって、去年の春学校を卒業して、それからなにしてたの?
岡村 親の援助で(笑)。引きこもってはいませんけど、映画を観たりしてぶらぶらと。そんな生活をしていたら「ほんとにオマエひどいな」と先生すじから説教されまして。それでこの春からバイトをはじめました。親の仕送りも自分から言ってやめてもらってます。
石川 これまでお兄さんにも仕送りしてたわけだから、それじゃあ、実家の電気屋さん相当繁盛しているんじゃない?
岡村 1万人ほどの人口のその町はほとんどカバーしていると思います。もちろん、最近は量販店もできて以前ほど景気はよくありませんが。あと、学校関係など公共工事も請け負ってますので。それから、ここ数年は地デジの影響で、テレビは売れてます。2011年まではなんとかなる、と親は言ってます。
沢辺 11年までか?
石川 そうですね。今日はどうもありがとうございました。

◎石川メモ

かっこいいようなかっこわるいような

 青森の小さな町に自意識過剰の少年がいる。少年は学校をドロップアウトした。友だちはいない。親の電気屋をぼーっとしながら手伝っている。そんな少年を、映画の世界だけがいきいきと魅きつけてた。少年は都会に出て、映画監督を志す。こういうふうに書くとかっこいい。
 けれど、東京に出た青年は、バイトもせず、親の仕送りやばあちゃんのくれた金で数年間ぶらぶらしていた。学校には行っていたけれど、自分で撮った映画は一本もない。こう書くとかっこわるい。
 けれども、かっこいいのもわるいのも含めて、これが現実なのだと思う。自分もそうだったけれど、たとえば、引きこもりが可能になるのは引きこもらせてくれる親がいるからだ。阿部和重の『ニッポニア・ニッポン』の最後に、ある引きこもり少年が登場する。少年は昼すぎに起き、キッチンのテーブルの上には、親のつくっておいてくれた食事がきちんとラップをかけて置いてある。これがとてもリアル。親は働きに出ている(たぶん)。それで、引きこもりの子供にちゃんとごはんを用意してくれている。ラップをかけて、あとはチンするだけにして。
 これを、子の甘えと親の甘やかし、と言ったらそうだろう。けれど、むしろ、こうした関係はもはや現代の親子の「構造」だと言ったほうがいい。そういうふうに子も親も、ある意味で自然にふるまっている。このことを前提にものごとを考えたほうがいいような気がする。
 岡村くん、これからどう生きていくのだろうか。また話を聞きたい。

これからどうなっていくんだろう?

 このインタヴューの時期、岡村くんは人生のターニングポイントだったはず。仕送りをやめてもらって、バイトをはじめたばかり。請け負い仕事ではなく、自分のための長い脚本を書かなければ、映画を撮らなくては、と考えはじめたこところ。バイト先はおばさんばかりかもしれないけれど、そこで新しい出会いがあるかも。
 その後、バイトはどうなったのか? 自分の脚本は書いているのか? 自主映画撮ってるのか? 彼女はできたのか? これもまた話を聞きてみたい。

2010-07-26

第3回 いま、自分のおしゃれのレベルは並以下です──大石なつ美さん(22歳・女性・無職)

大石さんは、1988年に埼玉県郊外で生まれ育ち、現在も親元で暮らしている。22歳。中学高校は地元の普通高校に進み、八王子にあるマンガ・アニメ系の専門学校に進む。専門学校卒業後はライトノベルなども出版している某出版社で雑用のバイトをしていたが、一年と少しでやめてしまった。現在は無職。
*2010年4月13日(火) 18時〜インタヴュー実施。

「二次創作をやっています」

大石さんは漫画家になることを目指している。現在は、オリジナル作品を描いているのではなく、すでに存在してる作品のキャラクターを使って描く二次創作のマンガを描いている。でも、本人としてはオリジナルストーリーのマンガをやりたいと思っている。

石川 いま、仕事はなにかやっているの?

大石 いまなにもやっていません……(苦笑)。家でぐだぐだと、お絵かきをやっています。

石川 どういう絵を描いているの?

大石 二次創作です(笑)。

石川 二次創作をおじさんのぼくにもわかりやすいように説明してくれるとうれしいな(笑)。

大石 いまやっているのは『デュラララ!!』という作品の二次創作です。原作はライトノベルで、いまはアニメ化もされています。作者の成田良悟さんの小説はずっと好きで、全作品を読んでいます。『デュラララ!!』は小説の頃から二次創作をやっていました。

沢辺 で、二次創作ってなに?

大石 すでにあるマンガや小説にもとづいて、そのキャラクターを使って、自分で絵を描いたり小説を書くことです。

沢辺 ようは、パロディーとか置き換えだと思うけど、一次の元ネタとしてはどういうものがお気に入りなの?

大石 『デュラララ!!』のキャラクターをいじくっています。マンガや小説の書いてない部分をかたちにするのが二次創作だと思っています。

石川 大きく言えば、本編のストーリーの前段階や話のつづきを自分でつくってみたり、本編のサブキャラクターを主役にしてその生い立ちや物語をつくるんだと思うんだけど、そういうものだよね?

大石 はい。

沢辺 もとのキャラクターはどんなものなの? そのキャラクターの名前は?

大石 門田さん(うふふふ)。

石川 門田さんの魅力ってなに?

大石 男らしいところです。男気っていうか、番長系というか(笑)。頼れるというか、優しいというか。

石川 バンカラ系なんだね。で、その門田さんを使ってどういうストーリーを描いているの?

大石 ボーイズラブもありますし。そういうのと関係ない日常を描くこともあります。

石川 ボーイズラブっていうとエロなの?

大石 ボーイズラブが全部エロなわけではないです! (笑)

石川 あっ、そうか、なんか、ほのかな(笑)。

大石 普通の男女カップリングでも、チューで終わったり、手をつないで終わったりしたらエロじゃないじゃないですか。

沢辺 つまり、ボーイズラブは描くけど、セックスシーンまでは描かないと。

大石 そうです。そうです。

沢辺 じゃ、なんでエロ描かないの?

大石 私はエロを読むのは好きですけど、描けません(笑)。自分には描けないからです(笑)。それに、無理やりエロにしなくてもいいと思います!

石川 そのとおりだと思うけど、エロってきたない、グロい、という感じがあるから?

大石 そんなことはないです。

石川 じゃあ、エロのほうはエロのほうで、それを楽しむ人が楽しめばいいんじゃないの、ぐらいの感じなんだ。

大石 そうですね。へへへ(笑)。

石川 二次創作の仲間内で、これがいい、あれが悪い、絵が変、とか言うことはある?

大石 あったりなかったりです。でも、そこまであんまり踏み込むことはありません。

石川 ということは、二次創作の世界では、あなたはあなた、わたしはわたし、というという世界ができあがっているんだ。

大石 そうですね。

石川 原作者の成田さんの世界は尊重する? けっこう無視?

大石 尊重しますね。

石川 じゃあ、ボーイズラブ的な要素はもともとその作品のなかにあるの?

大石 いえ、本人はそういう意図はないと思いますけど、それを見いだすのが女の子なんで(笑)。

石川 最近は原作のほうがそういう作り方しているものも多いと思うけど。どう?

大石 そういう部分もちらちらありますけど。

沢辺 コミケとかに自分の二次創作の作品は出している?

大石 コミケは毎回行ってて、作品も出すこともあります。

沢辺 いちばん売れたのはどれくらい売れた?

大石 いまでこそアニメ化されて『デュラララ!!』は人気がありますけど、去年まではマイナーで。私の場合は、多く売れて80冊ぐらい売れた作品がありました。一年ぐらいで。

石川 一作品どれくらいの値段?

大石 400円か500円です。

沢辺 今日もってきてないの?

大石 もってきてません。

沢辺 なんだー。もってきてれば買おうと思ったのに。

大石 (笑)だめですー! 

沢辺 えっ、なんで? だって売るもんじゃん。

大石 (笑)だめですぅー!

石川 えっ、なんでだめなの(笑)? 売れたらうれしいじゃん?

大石 (笑)うれしいですけど。ぽいぽいとあげるようなものではないんで。

沢辺 だから、買うって言ってんじゃん。

石川 ぼくも買うのに。

沢辺 ところで、二次創作って、厳密に言うと著作権法違犯だよね。

大石 はい(笑)。

石川 でもそうすると、この話をアップするとき、作品名を出さないほうがいいのかな?

沢辺 いやでもこの部分はブレになっているからいいと思うよ。二次創作だって、それがコミケで売れれば、その元ネタの小説のほうも買う人が出るだろうし。出版社もそれを本気になって文句を言う気はないと思うよ。

石川 そうですね。さっきもちょっと言いましたけど、いまは二次創作にしてもらうのを意識しているアニメもありますしね。

大石 もちろん、最近は、二次創作を規制しませんか、という動きもありますけどね。

石川 ところで、この門田さんという人ってメインのキャラクターじゃないよね?

大石 はい。自分の好きなキャラクターをメインにしたいじゃないですか。

沢辺 絵はうまいの?

大石 自分で言うのもなんですけど、そんなにうまくありません。

沢辺 「自分で言うのもなんですけど」って普通、そのあとは「そこそこ自信あります」だけどね(笑)。

大石 なんて言っていいのかちょっとわからなくて(笑)。

石川 ほんとはちょっと自信あるからいまだに描いてるんだよね?

大石 まあその……。

石川 二次創作の世界では、ほんの一部のひとはそれで儲けて生きているひともいると思うけど、そうなりたい気はあるの?

大石 いえ、それはないですね。

石川 じゃあ、二次創作ではなく、マンガのほうで食っていきたいの?

大石 そうですね。ありますね。

石川 それは、二次創作ではなく、オリジナルで勝負したい、ということ?

大石 そうですね。やりたいです。

沢辺 でも、マンガ描いてる?

大石 二次から抜け出せない、というか(笑)。

石川 二次から抜け出せない、って面白い言い方だよね。

大石 やっぱりたのしいんで。

沢辺 でも、それだったら、徹底的に二次をやればいいんじゃないの?

大石 えーっ! 結果的に趣味になっちゃうんで。

沢辺 でも、それはプロになるための重要な練習方法だと思うよ。小説家の町田康だって、図書館に行って、自分の好きな小説家の文章をずっと書き写していたらしいよ。これは二次創作でもなんでもなくて、むしろずっと書き写してただけだけど(笑)。

石川 写経的ですね(笑)。

沢辺 でもそうすると、手に文体が染み付くし、ストーリー展開も手とか体とかに染み付いてくるし。こういうのは一つの練習方法になると思うよ。そんなに二次創作から抜け出すことを考えずに、むしろ、突き抜けることをやってみたら?

大石 そうなんですが。でも、もうそろそろ、そういうことを言ってられない年齢になって。

沢辺 そんなことないよ(笑)。昔は人は60歳で死んでたんだから。むかしは15歳で元服。15歳で大人になって戦場で切りあいしてた。50年前だって、中学卒業してすぐ就職したひとはいっぱいいた。けれども、いまは人生80年。23歳なんてはな垂れ小僧みたいなもんだよ。

「専門学校時代は、山のように描きました。毎日のように描きました」

大石さんは小学校の頃、高橋留美子の作品に出会ったのをきっかけに漫画家になることを目指してきた。勉強はあまり得意ではなく、中学も高校も家から遠くない公立校に進む。
高校は進学校ではなく、ギャルが多く、タバコを吸っている学生もいる素行のよくない学校だった、とのこと。
男女約40人のクラス構成のうち、女子の半分ぐらいが化粧の濃いギャル。残りの半分のうちの半分(女子の4分の1)がナチュラルメイクのかわいい系の女の子。あとに残った女子がお化粧には興味がない女の子(大石さんはそのグループに属する)。男子はギャル男が半分以上、残りがオタクとは言えないけれどインドア派。
大石さんは同じクラスでも自分のグループ以外の女子とはそんなに話をしなかった。男子ともほとんど話をしなかった。別に嫌いというわけではなく、「とくにかかわりをもとうとは思わなかった」とのこと。ギャルの子の濃いメイクもかわいい系の子のメイクも「個人の趣味だからやればいいじゃん」という受け止めだった。男女、各グループ間に対立があったわけでもなく、不干渉という態度で、学校行事などでは意外とまとまるクラスだった。大石さんもとくにイジメなどいやな思い出はなかった高校時代だった。

石川 中学校、高校のときはどういう子だった?

大石 クラスにひとりかふたりいる地味なタイプ、インドア派でした。

石川 オタク?

大石 オタクっていうか、そのまんまオタクでしたね(笑)。

石川 高校のときは受験勉強はした?

大石 高校は大学受験の勉強はしてなかったです。わたしは専門学校に推薦で入ったので。

石川 クラスのみんなのその後の進路とかは知ってる?

大石 とくにかかわりはもっていなかったので、みんながどうなったかは知りません。ただ、自分と付き合いがあったみんなは大学に行ったり専門学校に行ったり、普通の女子大や医療系の専門学校に行ったりしました。絵を描いているオタクの子がいたけど、その子は就職しました。最近連絡をとっていないので、どんな就職をしたかはわかりませんけど。

石川 専門学校の学費はどれくらい?

大石 たぶん、一年で100万以上です。画材代はまた別にお金がかかります。学費も画材代も親に出してもらっていました。

石川 マンガ家になろうと思って入ったの?

大石 はい。

石川 ご両親は許してくれたの? 親は「漫画家なんてお前そんな夢みたいなこと」なんて反対しなかったの?

大石 まかせるつもりで口出しせず、お金も出してくれました。

沢辺 なんで許してくれてると思う?

大石 親は親、子は子という感じだったと思います。

沢辺 女の子だから、というのはない?

大石 それはあんまりないと思います。

石川 お父さんはなにして働いているの?

大石 さいきんいろいろあって(笑)。埼玉県内の工場の下請けで、仕事つらいのなんのと言ってて。仕事を変えたらしいです。

石川 いまは働きに出ているの?

大石 ええ、たぶん。

沢辺 何度か仕事を変えてたひとだったの?

大石 はい。いままでに何度か。

沢辺 それまで仕事を変えているので、まあはじめてのことでもないので、別に気にしない、という感じ?

大石 聞いてもいいのかな? という感じで。

沢辺 ああ、そうだよね。聞いちゃうと逆に輪をかけて追い込んでしまうような?

大石 そうですね。辞めるときつらそうだったので。

石川 お父さんはその前はどんな仕事をしてたの?

大石 デパートやスーパーの従業員をやってたときもありました。それで、その工場の下請けが7、8年と、いちばんつづいたほうです。

石川 お父さんいくつ?

大石 四十すぎだと思います。

沢辺 それちょっと若くない? 大石さんいま22歳でしょ?(笑)

大石 そうですね(笑)。私が生まれたのは父が23歳ぐらいだったので。

沢辺 それじゃ、40代半ばすぎ、という感じだね。

大石 そうですね。

石川 お母さんはいくつぐらい?

大石 いくつかはわからないですけど、父より一個下です。

石川 仕事はしてるの?

大石 小学生向けのドリルなどの教材を発送している工場のようなところで働いています。

沢辺 出版社の倉庫部門かな?

大石 たぶん、そうですね。

石川 お父さん、たいした人だと思うんだよね。仕事変えながらも、娘の学費を出したり。ちょっと説教くさくなるけど。(笑)

大石 そうですね(笑)。親には感謝しています。

石川 そう言えば、さっき、二次創作をやりまくったらいいんじゃない? という話になったけど、学校に行かなくても一生懸命独学でマンガ描けば漫画家になれる、という考えはなかったの?

大石 いえ、そう考えてはいなかったです。学校に行っていろいろ勉強したかったんで。

沢辺 そこが疑問だよね。なんで? だって、描き方なんて自分で描けばいいでしょ。たとえば、手塚治虫先生はすべて独学だよ。いまは手塚先生の時代よりもマンガの描き方なんて本もたくさん出てる時代だから、独学で描きやすい時代とも言えると思うよ。でも、なんで、学校で勉強したくなっちゃうの?

大石 いま思うと、学校行くことで独学ではわからない技術的な描き方もわかりましたけど、山のように描くために行っていました。学校に通ったらいやでもマンガを描かなくちゃいけない。ただそれだけで勉強になったという気がします。

沢辺 けっこう描いたんだ。

大石 山のように描きましたね。毎日のように描きました。

石川 あの子が二枚描いたら、私は四枚描くぞ! というガッツで?

大石 いえ、そういう気持ちはありましたけど、そこまでは体がついていかなくて(笑)。

「おやじ好きです」

大石さんは、携帯メールはあまりしない。友だちは多くないタイプだと言う。けれども、PC(OSはWindows)を使ってのコミュニケーションはけっこう頻繁にやっている。『デュラララ!!』を軸に、ネット上の友だちもいて、チャットもしている。Twitterもやっている(mixiに登録はしているがやっていないとのこと)。
インターネット上に、ブログとイラスト作品(二次創作)を発表する自分のページももっている。二次創作のポストカードの通販も行っている。更新は頻繁にしている。一日約120人が訪れている。作品は、まず紙に描き、PCに取り込んで、フォトショップで着彩したものをアップしている。

石川 大石さんのページ見たいな?

大石 いやです。教えませんよ。

沢辺 なんだよ。教えてよ〜

大石 いやです! 恥ずかしいじゃないですか!

沢辺 見たいもん! じゃあ、Twitterは? IDない? 俺もやってるからさ(手元のパソコンを開き、自分のTwitterのページを見せる)。

大石 えー、腐女子的なことも書いてあるのではずかしいです。

沢辺 いいじゃん。これでツイッター仲間だよ。フォローしちゃおう。

大石 (結局IDを教える)恥ずかしい……。

沢辺 (大石さんのつぶやきを見ながら)午後二時に「おはよう」って(笑)。一日何時間ぐらい寝てんの?

大石 けっこう寝るんですよ。二度寝、三度寝してて、休日は10時間ぐらい寝てます。仕事をやめてから夜型になって、こないだ何もないときに、28時間寝てたんですよ(笑)。

沢辺 あっ、大石さんのページに行けちゃった!(Twitterから大石さんのブログや作品のあるページに飛ぶ)

大石 ギャフン!

沢辺 (大石さんの描いたイラストを見て)うまいね。たくさん描いているじゃん! (描かれている男性キャラを見ながら)ところで、好きな男のタイプは? 付き合うんだったら男?

大石 そうですね。百合っ子(レズビアン)ではないです。好きなタイプは、番長系でやさしい人です。

沢辺 俺みたいなイカツイのは? 

大石 いいですね。おやじ好きです。

石川 ぼくはどう?

大石 もうちょっと年齢がいったほうがいいですね。もうちょっと皺があったほうがいいですな。

沢辺 いま付き合っている男いる?

大石 彼氏いらないんです!

沢辺 おやじと付き合えばいいじゃん。

大石 自分が誰かと付き合うことが想像できないんです……。小学生のときに悟ったんです。それから彼氏がほしいということがなくなって……。

沢辺 それは断念しちゃったんだよ。

大石 でも、ほんとに好きだったかどうかわからないし……。

沢辺 小学生の好きなんていいかげんなもんだよ。自分はもてないとかブスだとか、勝手に思って、悟っちゃったわけ?

大石 そういうわけでもないですけど……。

沢辺 (大石さんのめがねを見て)めがねとか変えたほうがいいんじゃない? ガリ勉くんみたいだよ(笑)。

大石 変えたいとは思ってるんですよ。でも、長い間このめがねで。

沢辺 いつぐらいからしているの?

大石 高校終わりぐらいから。

沢辺 高校生としてもそのめがねまずくないかな(笑)?

大石 いまは、おしゃれしたいとは思ってるんですよ。

石川 おしゃれしたいと思ってるんだ〜。

大石 ダサいよりおしゃれしたほうがいいじゃないですか。

石川 じゃあ、めがねも含めてトータルでおしゃれしたい?

大石 めがねだけでなくて、トータルでおしゃれしたいです。でも、いま、自分のおしゃれのレベルは並以下です。

石川 (大石さんの服装を見て)服はどこで買ってるの?

大石 服は近所にあるスーパーの二階にあるような服屋で買っています。ブランドもののような高い服は買いません。着れればいいという感じです。池袋に出て買い物したりはしません。片道一時間もかかって服を買いたいとは思いません。

沢辺 原宿の竹下通りの店なんてむちゃくちゃ安いけど、そういう店には行かないの?

大石 そういう店の雰囲気は入りづらいんです。前に一回行ってみましたけど。

石川 自分がこう言うのは失礼だけど、大石さんとはどっかいっしょに行ってトータルで変えてあげたくなっちゃうな。すごくかわいくなると思うよ。

大石 少しは自分のファッションを変えたいと思うんですけど、変え方がわからないんですよ。

石川 それだったら、いっしょに買い物行って「お前これ着ろよ」みたいな彼氏ほしくない?

大石 あー。

沢辺 いやだよね。いかつい番長系好きなんだもん(笑)。そんなでれでれしてるのはイカツイ番長系とはちがうもん(笑)。

大石 そういうのいやじゃないですよ(笑)。こっちが無理やり買い物に連れて行って、だるそうにしている彼を見るのが好きなんです。

石川 そういえば、沢辺さんがタイプと言ったけど、触りたい?

大石 筋肉とかさわりたいですね。

沢辺 俺、贅肉だけどね(笑)。

大石 私、ガテン系の人とか好きです。

沢辺 そういう絵はなかったよね。

大石 ほんとうはそういうの描きたいんですけど、筋肉がうまく描けないんです。

石川 さっき悟ったなんて言ってたけど、ちょっとおしゃれにすれば、大石さんならすぐ彼氏できて男の人に触れると思うんだけどな〜。

大石 えーっ。うーん。

沢辺 でも、男に対して引いてるというか、距離感とってるよね。

大石 あー、そういうのあると思います。

沢辺 Twitterじゃ見られちゃうけど、閉じられたチャットとかでは、男の話、この人と付き合いたい、といった話はしないの?

大石 いや、あまりないですよね。友達とはアニメとかライトノベルのキャラとかの話、オタク系の話ばかりです。

沢辺 いままでのインタヴューでは、アイドルオタクとかライトノベルオタクとかもいたけど、こう言うのもなんだけど、大石さんは「真性オタク」という感じだよね。いわゆる電車男っていうか、そんな感じだよね。古典的オタク。

大石 私が? そうですか(笑)。現実に興味がない、というわけではないですけど。

沢辺 これまでインタヴューした子たちは、オタク的なこと、彼氏のこと、仕事のことはバランスよく配分して生きている感じだったけど、話を聞いてみて、大石さんは、オタク的なことが生きているなかでいちばん比重が大きい。

大石 そうですね。

「野菜煮込めなかったんです(笑)」

大石さんは、あまりお金を使わない。主な買い物は数百円のライトノベル。マンガは買わず立ち読みで済ませる。高校時代から親からのお金はもらわず、お年玉で一年間のお小遣いをまかなっていた。親戚が多いため、お年玉の額は毎年10万ぐらいだった。自分で買った買い物のなかでいままで一番高価な買い物は、出版社のアルバイト時代に買ったデジカメ(2万円ぐらい)。
大石さんは、胃袋も大きくなく、食べ物にもそんなに執着はない、と言う。焼肉などに肉料理も好きだが、それほど食べない。普段はおかしばっか食べてます、とのこと。

沢辺 兄弟はいる?

大石 三つ下に妹がひとりいます。いま私と同じ専門学校に通っています(笑)。私はマンガ・アニメコースでしたが、妹はイラストコースです。妹もいわゆるオタクで、コスプレをやっています。

沢辺 妹のコスプレはなにをやってるの?

大石 「忍たま乱太郎」です。

沢辺 えっ、でも、あれ、忍者のかっこうじゃない? もんぺみたいの履いて?

大石 頭巾をかぶって(笑)。

沢辺 どこに行くの?

大石 にんたまファンのイベントに行ってます。

沢辺 そういうにんたまコスプレのセットはあるの?

大石 コスプレのセットを扱ってる店もありますけど、自分でつくったり、そのつくったものを通販で売るひともいます。妹はコスプレを買う派ですけど、頭巾や足袋を改造したりして自分でつくってもいます。

沢辺 そういうの買うと高いんじゃない?

石川 2万円ぐらいするの?

大石 そんなにはしていないと思います。万はしないと思います。

沢辺 日曜日だと原宿でロリータのかっこうをしている子を見かけるけど、なんで女の子が忍者なんだろう?

大石 ロリータが好きな子は、それがかわいいから着ているわけだけど、コスプレが好きな子はそのアニメが好きでやっているわけで。そのかっこうで街中は歩いたりはしなせん。

石川 妹と一緒にコミケに行ったりはしないの?

大石 昔は一緒に行ったことはありますけど、いまは別々です。同じオタクでも、妹はコスプレで、私は二次創作なので。住み分けはあります。

石川 そうか。だよね。オタクにさまざまなジャンルがあるのは、音楽好きにさまざまなジャンルはあるのと同じように考えればいいんだ。

大石 そうですね。

沢辺 ところで、出版社のバイトはどれくらいはたらいていたの?

大石 一年とちょっとです。

沢辺 なんで辞めちゃったの?

大石 自分の時間がとれなかったので。

沢辺 土日は休みなんじゃない?

大石 朝11時から夜7時までの仕事だったんですけど、通勤に片道二時間もかかっていたので。

沢辺 辞めてから稼ぎはあるの?

大石 いまはまだなにも仕事をやってないのですけど、近場で働く場所を探しています。

石川 出版社のバイトは時給はいくらぐらいだったの?

大石 900円ぐらいです。

沢辺 残業は?

大石 自主的にやらないかぎりなかったです。

沢辺 (笑)8時間拘束で、それできつかったら、これからも自分の時間もてないんじゃないの?

大石 それでも、通勤を含めて、働いている時間がほとんど半日だったんで。疲れてしまって。

沢辺 日本ではほとんどの人がそういう生活を送っていると感じない? 

石川 すぐ疲れたりして、身体が弱いの?

大石 いえ、病気もち、というわけでもなく。

沢辺 最近は小学生も「疲れた」と言うんだよ。もう20年も前からだけどさ。それはきっと、大人が「疲れた」と言っているのを見てそう言うんだと思うよ。

石川 お父さん、お母さんはばりばり働いていたんじゃない?

大石 お父さんは、朝7時に家を出て夜9時に帰ってきて。お母さんは朝9時ごろに家を出て、夜5時ごろに帰ってきて……。

沢辺 えーん(泣いてみせる)!

大石 それでも、働いてばかりではなく、お父さんは音楽を聴いたりゴルフをしたり、お母さんは押し花教室へ行ったりとわりと好きなこともやっているようです。

沢辺 じゃあ、わりと謳歌しているほうなんだね。

大石 そうですね。

沢辺 ところで、話は戻るけど、食い扶持はこれからどうするつもりなの?

大石 そこがいま悩んでいるところです。なにをしたらいいんでしょうね? 遊んでいる年齢ではないので。

沢辺 一人暮らししたくない?

大石 私は、料理もなにもできないので、一人で暮らしはしていけないと思います。

沢辺 じゃあ、うちでごろごろして、お母さんのつくってくれたごはんを食べてるんだ?

大石 そうですね(苦笑)。

沢辺 じゃあ、お米炊けない?

大石 炊けます!

沢辺 味噌汁は鍋に水入れてそのあとどうする?

大石 具を入れる!

沢辺 ダシは?

大石 あっ、ダシが先か!(笑)

沢辺 まあ、ものにもよるけどね(笑)。やっぱダシでしょ。

石川 じゃあ、カレーつくれる?

大石 カレーこのあいだ失敗しました(笑)。

沢辺 カレーを失敗するって(笑)。いったい、どうやって失敗したの?

大石 野菜を煮込めなくて(笑)。

石川 野菜が煮える前にカレー粉入れちゃったんだ。

大石 短気なんです。

沢辺 俺も短気だけどカレーはつくれるよ。だって、とろ火にして、その間は本を読んでりゃいいんだもん。

大石 火をそのままにするのが怖いんです……。

沢辺 じゃあ、洗濯は? お母さんがパンツ洗ってくれてるの?

大石 そうですね(苦笑)。

沢辺 まずいだろ〜(笑)。それ。

大石 そうですね(苦笑)。

石川 お昼はごはんはお母さんがつくって置いておいてくれるの?

大石 夜中の2時3時に寝て、午後に起きて、という生活なので、お昼は、朝ごはんの残りを食べたり、食べなかったりです。

沢辺 いまは家族がいるからいいけど、孤独って怖いよ。この先いつまでも親と一緒には暮らせないと思うんだ。そうなると、一人ってさびしいよ。俺が独立したときはひとりでやってて、飛び込みで営業のサラリーマンがやって来るのがたのしみだった。日曜日なんかさびしくなるよ。

大石 そう考えるとこの先が怖いです。

「いまはマンガ描いてないです」

大石さんにとって、社会のイメージは、仕事をして世の中の一部になること。けれどもいま、自分は働いていない。いまの自分は「動いていない歯車」のようなものだと言う。その大石さんの仕事観は、マンガを描いてお金を稼ぐことが理想で、なにか生活のために仕事を見つけて働き、マンガは趣味でやっていくことは第二候補。
人とのかかかわりについては、「共通する趣味の範囲以外の人とはかかわりたいとは思いません」とのこと。

沢辺 いま、いちばんの悩みどころはなに?

大石 稼ぎですね。

沢辺 稼ぎなんてなんでもいいじゃん?

大石 マンガ家でやっていきたいと思ってるんです。

石川 自分のオリジナルのマンガは描いてないの?

大石 いまはマンガ描いてないです(苦笑)。

沢辺 貯金いまいくらぐらい?

大石 約70万です。

沢辺 それじゃ、一年ぐらい食っていけるじゃん。

大石 でも、それで、一生食べていけるわけないじゃないですか。

石川 だから、その一年で自分のマンガを描くんだよ。

大石 でも、そのお金がなくなったら終わりじゃないですか。

沢辺 でも、まだ若いんだし、ホームレスになる可能性もないし。その一年で、ひたすら、二次創作でもなんでもいいから、ともかく、ありったけ描くというのも一つの選択肢じゃない? 

大石 なるほど。

沢辺 おじさんの説教みたいだけど(笑)。

大石 いえいえ、大丈夫です。

沢辺 ところで、いま住んでる家は借家? 持ち家?

大石 借家じゃありません。一軒家です。親の家です。

沢辺 それ抜群の条件だよ! 人生の出発点として、そこポイントだよ。家賃払わなくてもいいんだもん。

大石 そうですね。

沢辺 そこで、「お米だけ食べさせて。一年だけマンガ描かせて!」って親に言うんだよ。親はダメだとは言わないと思うよ。それで、いやんなるくらい描いて、もし、いやになったら、「もうマンガは仕事ではなくて趣味でつづけていくんだ」ということがわかるじゃん。もちろん、この選択肢以外でも、近所でバイトでもいいからそんなにハードではない仕事で稼ぎながらマンガも描いていく、という選択肢もある。それに、もう一つは、本格的に、長いあいだ働ける仕事をみつける、という選択肢もある。だいたいいま考えられる選択肢はこの三つぐらいじゃないかな?

大石 そうですね。

沢辺 そのうちでも、大石さんは、なんとなく「長くつづけられる仕事を見つけなくてはならない」と思っているんじゃないかな?

大石 そう思っていますけど。マンガを趣味にしたくないのが葛藤としてあって……。

沢辺 葛藤っていうとかっこいいけど、ようは、ぐだぐだしているだけじゃん(笑)。

大石 (笑)そうです!

石川 マンガ描いたほうがいいよ。

大石 そうですね。

沢辺 描けなきゃ、やめちゃえはいいんだよ。若いイラストレーターみたいなのが、「イラスト描かせてください!」って言ってよくうちの会社に来るけど、俺はかならず「月に何枚描いてる?」って聞くんだよ。すぐ仕事に結びつくかどうかわからない。けれども、とにかく描く。やっぱりそういうのをやってなきゃ。とにかくがむしゃらに描きもせずに、「いやあ、考えがまとまらなくて」なんて言う人もよくいるけど、そういう人は信じないね。

大石 そうですね。

沢辺 長期に働けるような仕事なんていま見つけられないよね? 難しいとしたらいいじゃん。描こうよ。目の前で出来そうなことはやればいいだけだよ。「夢は思えば実現する」とはよく言われる言葉だけど、俺はそいうのは半分は当たっていると思ってる。大石さんが出版社でアルバイトをしたというのも、自分の好きなライトノベルを出しているような会社で働けば、そこにはなにかマンガを仕事にするきっかけというのはあるはず、という志向が働いたはず。

石川 出版社の人に自分がマンガ描いていることはアピールした? むこうは知ってた?

大石 そういう話の流れはあって、どんなマンガが好きかって話にはなりましたけど……。

石川 でも自分の作品を見せるまでにはいたらなかった、と。

大石 そうですね。

沢辺 いま上品な社会になっているから、彼女は自分の作品を見せるまでにいかなかったと思うんだ。

石川 もうちょっと下品になればいいと思うんだよね。

沢辺 もうちょっとだよね。

石川 ほんのちょっとのことだと思うんだ。

沢辺 だって、さっきツイッターのID教えてくれたもん。ほんとに見せるのいやな子だったら、教えてくれないもん。だから、やっぱり自分の作品を見てほしいというスケベ心みたいなもんはどこかにあるんだよ。

大石 ありますね。

沢辺 ただ、それも、俺が下品な人間だから、「Twitter見せたくないです」と言う大石さんに、「そんなこと言わず見せてよ」とずけずけ言ったからだよ。社会は一般的に上品だから、見せたくないならああそうですか、という話で終わってしまうと思う。

石川 そうですね。ぼくなんか、上品なタイプだから(笑)。TwitterのID教えたくないなら、「はいそうですか、無理しなくていいよ」で終わってしまう。今回のインタヴューでは「無理しなくていいよ」とは言わないと努力したんだけど、それはこっちの努力。普通の上品な社会だったら、大石さんが自分をアピールする機会は、やっぱり自分のほうが少し下品にならないと得られないと思うよ。

大石 なるほど。そうですね。

沢辺 ことさら、「見て見て」と言うのもかっこ悪いけど、「あっ、やってますよ、見ますか?」ぐらい普通に自分から見せる努力は必要だと思うよ。

大石 そうですね。

沢辺 こっちもスケベ心あって、「あいつがまだバイトやめてぶらぶらしてたとき、“自分の作品を人に見られることが商売なんだから、そんな恥ずかしいなんて言ってるなよ”なんて説教してやったんだよ。それがきっかけであいつはデビューしたんだよ」なんて飲み屋で言いたいんだよ(笑)。そういう名誉にあずかりたい。俺なんか、そういう種は年中まいてるよ。

石川 そういう機会に乗っかるかどうか、って重要だと思うよ。ほんと。

沢辺 (あるマンガ家のページをネットで開いて)こいつ、いいやつでさ。まだ売れていない頃、うちでマンガ描く仕事やってたんだよ。もともと自分のストーリー漫画やりたい人だったけど、うちの会社でストーリーも決めてこういうの描いてくれ、というかたちでマンガを描いてもらってたんだよ。そうしたら、あるとき、「申しわけないですけど、仕事忙しくなって、沢辺さんの仕事できません」と言ってきて、どうしたの? って聞いたら、『モーニング』の連載決まったんです、って。すごいじゃん! という話になって。そうなると、うれしいよね。

大石 すごいですね!

石川 あの天才アーチストは、駆け出しの頃から自分のやりたいことを曲げずに押し通した、みたいな話をよく聞くけど、ぼくはそんなのウソだと思ってる。沢辺さんのところで仕事をしていたその漫画家さんは、自分はオリジナルストーリーをやりたい、という気持ちはあったかもしれない。けれど、そんなこと駆け出しの頃に実現するわけがない。だから、決められたストーリー、言われた仕事のなかでちゃんとやった人だと思う。そういうことを積み重ねて、やっと、その人は評価されて、自分のオリジナルストーリーを描けるようになったんだと思うよ。

沢辺 それと、いいやつにかぎるよ。人間性は売れることと関係あると思うんだよ。いま評価も高くて売れている役者なんかもすごく丁寧で人をちゃんと気遣う人が多い。

大石 いいお話をありがとうございます。

石川 ところで、自分のオリジナルストーリーの作品を見てもらったことある? いままで誰にも読んでもらってない?

大石 作品が途中で終わっているので、誰にも見てもらってません。

石川 それじゃあ、やっぱり誰かに見てもらおうよ。
(改めて、大石さんのページに行き、沢辺、石川で作品を見る)

沢辺 意外と上手いじゃん!

石川 色づかいもいいね。

大石 恥ずかしいです。

沢辺 恥ずかしさに耐えなきゃ。

沢辺 ではおいしい小籠包でも食べに行きましょう。

大石 すいません。あんまりいい話なんかできずに。

沢辺 いいんだよ。若いんだから。

◎石川メモ

モノがある

 大石さんは、ガリ勉銀縁めがね、服は近所のスーパーの二階で買ったような服。身体もすぐ疲れてしまうし、寝るのがすき。いまは仕事もせず、家で親に世話になっている。洗濯、食事はお母さん。料理は苦手。と言うより、ほとんどできない。恋愛はあきらめちゃっているけれど、好みはおやじでガテン系。好きなキャラも番長キャラ。妄想しながら二次創作。「〜ですな」、「ギャフン!」なんて言葉も飛び出して、なんかやっぱりオタクっぽい。でも、それだからこそ(?)、話すのが楽しかった。
 大石さんは明るい。笑顔もある。自分のダメっぷりを話すのもためらわない。ダメ自慢というわけでもなく、すごくストレートにちょっと恥ずかしがりながらも話してくれた。外側から見れば、バランスの悪い生き方をしている人なんだと思う。けれど、なんだろう、どこかに、すごく小さいものかもしれないけれど、本人も気づいていないような、自分を支えるものがある人という印象をうけた。
 きっと、モノがあるからなんだと思う。二次創作とはいえ、大石さんには描いたモノ(作品)がある。自分のホームページに多数アップされている。それは公表されている。「夢がある」と言う人がよくいるけれど、モノがない人も多い。多い、と言うよりモノがない人がほとんどだ。同じことだけれども、モノのない人が「夢がある」とよく言う。
とにかく、なんでも、かたちにしたものを自分はもっている。そういう人にはどこか強みがある。モノを通じてつながりもできる。自分のコミュニティーがつくれる。本人はほとんど意識していないと思うけれど、大石さんを支えているのはこうしたモノの力だと思う。
 もちろん、自分のつくったモノを公表したら、それは試される。試されてへこんでその先どうなるか。それはこれから大石さんがオリジナルの作品を描いていくうえで出てくる問題だ。けれども、専門学校のとき、「山のように描きました。毎日のように描きました」と言っていた大石さんなら、へこたれないような気がする。
すごく当たり前のことしか言えないけれど、オタクの分野だろうと、どんな分野だろうと、なにかに一度は真剣に打ち込んだ経験のある人はやっぱり強い。モノなく夢、夢言っている人、すぐあきらめる人より強い。そして、そういう人は、オタクであろうと誰であろうと応援したくなる。

あとほんのちょっとだけのスケベ心

 恋愛もそうだし、おしゃれもそう。そして、マンガ家になる夢につながる道もそうだけれど、大石さんは、「あとほんのちょっとだけのスケベ心があれば」の人。
 沢辺さんの言うように、いまが上品になった時代なら、やはり、スケベは強い。くい込める。
 もちろん、ズカズカと下品すぎるのはまずい。お互いあまり干渉しない上品な「ひとそれぞれ」の時代に、いきなり下品にくい込むとまずい。なんだオマエ、ということになる。だから、きっかけとしては、「ほんのちょっとだけ」スケベに下品に人にくい込むこと、いい塩梅で自分をアピールして人とかかわりはじめるのがいい。
 もちろん、人と本格的にかかわり、仕事がはじまると、グイッと下品に自分をつきださなくてはならない局面が来る。けれども、めんどくさいことだけれど、いまの人とのかかわり、自分を前に出すことは、「ほんのちょっとだけ」スケベに下品に、からはじめるにかぎる。 
 モノがあって夢があるのだったら、ほんのちょっとだけスケベになってみる。そうしたら、きっといいことあるはず。大石さん、がんばってほしい。

2010-07-12

第2回 ギクシャクしないようにと思って──遠藤学さん(21歳・男性・勤務歴1年)

遠藤くんは、1989年生まれ。生まれてからずっと、横浜、黄金町付近で生きてきた浜っ子。現在21歳。好きなプロ野球チームは「もちろんベイスターズ!」。
地元の工業高校卒業後、ガソリンスタンドのアルバイトを経て、現在は親の経営する居酒屋を手伝っている。現在、父(55歳)と母(56歳)と同居している。父は千葉県出身。黄金町付近で居酒屋、スナックなど三店舗の飲食店を経営している。母は韓国出身。父の店を手伝うのではなく家事をやっている。弟(18歳)が一人いて同居していたが現在少年院に入っている。
遠藤くんは、「いろいろな人と話し慣れている青年」という印象。こちらの問いかけに、ぽんぽん小気味よく答えが返ってくる。話す内容は具体的で、自分はこういう体験をしてきたんだからこうでしょう、とスパッと答えるところがある。
ちなみに、こちらは黄金町のいかついヤンチャなあんちゃんが来ると思っていたら、シャツにベストにハンチングという小ざっぱりした出で立ちの礼儀正しい青年だった。それに、いつも笑顔なのが印象的。
*2010年3月18日(木)18時〜インタビュー実施

「五段階評価で1がメインで、2と3がちょこらちょこらと(笑)」

遠藤くんは、高校生のときからアルバイトをはじめる。最初はスーパーの鮮魚コーナーで6ヶ月、つぎがレストランの厨房で1年アルバイトをした。そのあとは、ガソリンスタンドのアルバイトをこの20102009年の年末までつづける。ガソリンスタンドのバイトは、週3、4日入って、学校が終わってから五時間仕事をして家に帰って寝て、また学校に行く、という毎日だった。週末は、友人たちと遊び、朝までカラオケ、遠藤くん曰く、「こんなこと言っちゃいけないんだろうけど、お酒を飲んでいました」。高校時代は月に4万円から5万円を稼いでいた。

石川 勉強はどうだった?

遠藤 バカです。(きっぱりと)

石川 バカですって(笑)。成績はどれくらいだったの?

遠藤 相当できなかった子で、小学校ではクラスの下から数えて3位ぐらいでした。

沢辺 じゃあ、オールC?

遠藤 そうですね。CのあいだにBがちょこちょこ、といった感じですね(笑)。

石川 体育はAじゃなかったの?

遠藤 Bですね。特別運動神経がいいというわけでもなかったです。

石川 じゃあ、中学の成績は?

遠藤 中学でもそのまんまで、五段階評価で1がメインで、2と3がちょこらちょこらと(笑)。

石川 勉強に対しては、「やらなくちゃ」という気持ちはなかった?

遠藤 できなくていいや、という感じです。

石川 なんでそうだったんだろう?

遠藤 興味がなかったんです。興味があれば学ぶんですけど。

石川 いままで学んだことは、たとえばどんなこと?

遠藤 車のことは、自分から進んで勉強しました。

沢辺 それは免許の試験の勉強?

遠藤 そうですね。このあいだ普通自動二輪の免許をとったんですけど、一発試験で受かりました。

石川 それまでにも免許を取ってたの?

遠藤 16で原付、18で車の免許を取りました。でもつい最近、車をつぶしてなくなっちゃって。原チャリだと、スピード出すとすぐつかまるし、二段階右折とかも面倒くさいので、普通自動二輪の免許を取りました。

沢辺 つぶれた車ってなんだったの?

遠藤 ホンダのインスパイアです。友だちみんなと流星群を見に行ったんですけど、帰り道、血が騒いじゃって、バーっと走ってたら電柱にぶつかっちゃって。

沢辺 よく下に落っこちなかったね。

遠藤 事故ったときの写メがあるんですよ(携帯の待ち受け画面、車のボンネット部分がぐちゃぐちゃになった写真)。

沢辺 おー。

石川 おー。よくケガしなかったね。

「おやじには、『別になにやるのもお前の勝手だけど他人に迷惑はかけるな』とよく言われました」

遠藤くんの父親は黄金町付近で飲食店を三店舗展開する経営者。母親は韓国出身(父との結婚で日本国籍を取得)。母親は日本語があまり達者ではない。弟は現在少年院に入っている。兄の遠藤くんも悪い連中とのつきあいがあったけれど、弟はさらに深くその世界に入っていってしまった。

石川 親には「勉強やれ」って言われなかった?

遠藤 少しは言われましたけど、そんなにしつこく言われませんでした。

石川 両親はどんなひと?

遠藤 やさしいです。ぼくは甘えて育ちました(笑)。

石川 お父さんは高卒?

遠藤 はい。自営業で、黄金町の駅の近くで焼き鳥屋をやってます。自分が生れたときぐらいから店をはじめて、朝帰ってきて昼間まで寝て、といった生活なので、あんまし顔を合わせませんでした。でも、休みの日は家族サービスで遊園地とかに連れて行ってくれました。

沢辺 お母さんはお店を手伝ってる?

遠藤 いえ。

沢辺 じゃあ、おやじさん一人で店をやってるの? それとも人を使ってる?

遠藤 10人行くか行かないかですけど、人を使ってます。いちおう三店舗あるんで。

沢辺 財閥だね〜。

遠藤 いやいや。

石川 お母さんはなにをしてるの?

遠藤 家でごろごろしてます。

石川 ごろごろって、なんにもやってないわけじゃないよね?

遠藤 めしとか洗濯やってくれてます。

石川 兄弟は?

遠藤 弟がいます。いま18かな。

石川 弟はいまなにをしているの?

遠藤 少年院に行ってます。

沢辺 それはなに系で? 暴力とか?

遠藤 児童ポルノ禁止法(児童買春法)です。先輩からカンパがまわってきたので後輩を売ってお金をかせごうとして、捕まっちゃった。今度のが二回目なんで、一発で少年院で、高校も中退になって。

沢辺 遠藤くんは、そっちの道には行かなかったの?

遠藤 お世話になった先輩から「すじ通せ、親に迷惑かけるな」と言われてたんで、そっちには行きませんでした。

石川 高校は弟も同じだったの?

遠藤 弟が定時制で自分は全日制です。

石川 やはり、弟のほうは悪い先輩たちとつきあいがあったの?

遠藤 自分も悪いやつとつるんだりしたから、それで弟もいっしょになってはじめたかもしれません。でも自分はまっすぐになって。

石川 「悪い」って、どんなことをやってたの?

遠藤 かわいいもんですよ。バイク乗ったりとか。

沢辺 盗み系は?

遠藤 盗みはなかったです。

沢辺 ケンカ系は?

遠藤 ケンカ系もしないです。基本温厚なんで。

沢辺 女の子系は?

遠藤 それもなかったです。

沢辺 じゃあ、そんなに悪くはないよね?

遠藤 悪くはないですね(笑)。弟はどんどん悪いほうに行っちゃって。はじめて捕まったのは傷害ですね。そのときは警察に一晩お世話になって、その次が鑑別所で、今度は少年院ですね。だんだんと上がってっちゃって。具体的になにをやっていたか、あんま覚えてないですけど。

石川 ご両親はやさしいということだけど、お小遣いをたくさんくれるひとだった?

遠藤 ほしいものを言うと、「勉強したらお小遣いをあげる」と言われたりという感じでした。

石川 お母さんもやさしいんだと思うけど、どんなことを言って育ててくれた?

遠藤 べつになんもないです。会話もしません。

石川 小さいころからあんまり話をしなかったの?

遠藤 そうですね。

石川 お父さんは?

遠藤 おやじもなんも言わなかったですけど、「なにやるのもお前の勝手だけど他人に迷惑はかけるな」とよく言われました。それはまちがいないな、と思っています。

沢辺 おやじは悪かったのかな?

遠藤 悪くはなかったですね。プロをめざして野球やってたみたいですけど、ひじ壊しちゃって。高校は千葉の高校に行ってました。

石川 お父さん千葉のひと?

遠藤 はい。

石川 じゃあ、お母さんは?

遠藤 おふくろは韓国です。韓国で生れて韓国で育って、結婚するときに日本に国籍を移して。

石川 お母さん、日本語は?

遠藤 片言です。いまも片言で。なんでいつまでたっても上達しないのかなって(笑)。

沢辺 いつ結婚したの?

遠藤 そういうのは聞いてなくてわかりません。

沢辺 遠藤くんが生れたのが35ぐらいのときだから、子どもを産んだ年としてはわりと遅いよな。

遠藤 そうですね。

石川 出会いは?

遠藤 知らないですね。聞きたくもないというか(笑)。

石川 なんで聞きたくないの?

遠藤 親が恋したところとかは想像したくもないです(笑)。気持ちわるいって(笑)。

沢辺 うちの子もそう言うよ。どっかで知りたい気持ちはないことはないんだけど、じっさい「知りたいか?」と聞かれると、「そんなこと知りたくない」と答える。

遠藤 そうですね。自分から知ろうとは思いません。親に「知りたい?」と聞かれたら、「いやだ」と言いますね。

「車だったらけっこういじれるし、バイクもそこそこ。マフラー変えたりタイヤをはずして交換したり」

遠藤くんはバイクや車をいじるのが好き。部品や改造の方法までディテールを話す遠藤くんがとてもいきいきしていて、ほんとに好きなことがよくわかる。

沢辺 ところで、バイクや車が好きだというけど、乗るのが好きなの?

遠藤 乗るのもいじるのも好きですね。

沢辺 けっこういじれるんだ。

遠藤 車だったらけっこういじれるし、バイクもそこそこ。マフラー変えたりタイヤをはずして交換したり。だって工賃高いじゃないですか。自分でやっちゃいます。

沢辺 それってある程度頭なくっちゃできないじゃん。勉強したの?

遠藤 勉強はしてないです。ガソリンスタンドで教えてもらいました。

沢辺 改造してどんなことやってるの?

遠藤 走り屋をやってて。

沢辺 でも、原チャリでは走り屋はできないんじゃない?

遠藤 普通の原チャリは60キロしかでないけど、コンピューターをいじって90キロまで出るように改造して。

沢辺 ボアアップ(シリンダーの容積のアップ)は?

遠藤 お金がなくてできませんでした。でも、先輩に譲ってもらった80ccを100にボアアップしたエンジンをくっつけて遊んでたことがありました。

石川 どこで走ってるの?

遠藤 磯子の海沿いにL字のカーブがあって、そこで夜中に、膝すりながらバーッと何回も往復して走ってました。

沢辺 峠派ではなかったの?

遠藤 峠は50ccでは厳しいし、ちょっと遠いので、近場の磯子で走ってました。

沢辺 ベースはなんだったの?

遠藤 ホンダのNS-1というやつです。

沢辺 レーシングみたいにフルカウルのやつ?

遠藤 はい。カウルがついていて、マニュアルで。

石川 お金はけっこうかかった?

遠藤 マフラーでも3万ぐらいかかるんで。それに、バイクやってると消耗品にお金がかかるんですよ。普通の50ccのバイクをいじって、無理をかけてるんで。たとえばサスペンションがすぐにへたっちゃったり。

石川 改造するより、でかいバイクを買ったほうがいいと思っちゃうけど、どう?

遠藤 いや、自分は50ccで最速をめざそうと思ってて。そのころ、悪い先輩から譲ってもらったチームを自分が引っ張ってたんですけど、ある日チームの仲間と房総に行ったら、ちょうどその先輩に会ったんですよ。そのとき自分、盗まれてバイク無くしちゃって、友達のバイクのケツに乗っかってたんです。そしたら「お前なんだ。カンパまわせ」って言われちゃって。そこで「自分はお金ないし、カンパできない」と言ったら、破門されちゃって。リーダーが破門っていう(笑)。それでバイクやめちゃって、それからは車をいじるようになりました。走りじゃなくて、見せる車なんですけど。

石川 見せる車って?

遠藤 たとえば、サンバイザーにテレビつけたり、「わあ、すげー」と言われるような車です。

沢辺 バンパーの下にスカートつけたりとか?

遠藤 そうです。バンパーの下にLEDつけて、下をピカピカ照らすとか。

石川 スピーカーとかは工夫しなかった?

遠藤 やりましたね。直径30センチのウーファーをトランクに入れてぼんぼこぼんぼこと(笑)。

石川 どんな曲流してるの?

遠藤 洋楽ですね。ヒップホップとかR&B。

石川 曲にもこだわるの?

遠藤 ヒップホップに求めるのはガンガンくるのだし、R&Bに求めるのはまったりしたやつ。英語わからないくせに英語のバラード聴いたりとか(笑)。

石川 女の子を乗っけたりはしないの?

遠藤 しましたけど、彼女できないんですよ。「車はかっこいいんだけど、乗ってる人がだめだ」と言われます(笑)。

石川 車をいじるのはモテたいから?

遠藤 車そのものが好きで、アメリカのテイストにしたくて。

石川 遠藤くんの言うアメリカのテイストってどういう感じ?

遠藤 黒人のギャングが乗ってる感じですね。「これ、いかついだろ」と。

「だいたいヤンキーかおたくのどちらで分かれるんですけど、自分はどちらかというとヤンキーの手前という感じでしたね」

遠藤くんが通っていた工業高校のクラスのグループ構成は、ヤンキーとおたくが半々。そのなかで、遠藤くんはどちらかと言えばヤンキー寄り。そして、いじられキャラだった。

石川 話が戻るけど、遠藤くんの高校は、大学に進学にするひとはいた?

遠藤 工業高校だったんで、みんな工場に就職してました。

石川 工場はどこのどういう工場?

遠藤 有名なところだったらIHI(石川島播磨重工)。場所は横浜近辺です。

石川 IHIって大手だと思うけど、そういう大手に就職するひとばかりではないのでは?

遠藤 ほかにも京浜急行とか、いろいろ就職先があって。求人はけっこうありました。

石川 じゃあ、就職がいい学校だったんだ?

遠藤 就職はバリバリいいですね。不良が多くて、いいイメージのない学校だったので、なんでうちの学校から採るのか不思議だったんですけど。

沢辺 生徒は男ばっかり?

遠藤 男ばっかりでしたけど、一応共学で、女は自分のクラスはいなかったけど、学年にはいました。かわいくなかったですけど(笑)。

石川 不良の学校って言ってたけど、学校での遠藤くんの位置づけは?

遠藤 だいたいヤンキーかおたくのどちらかに分かれるんですけど、自分はどちらかというとヤンキーでしたね。

石川 遠藤くんの言う「おたく」って、どういう感じ?

遠藤 ゲームばかりやってるとか、アキバ系ですね。服装はすごくまじめな感じ。ヤンキー系は長ラン、短ランで。

石川 で、遠藤くんの学ランはどうだったの?

遠藤 普通の長さで普通のかっこうですね(笑)

沢辺 へえ、そうだったの。頭は?

遠藤 長かったですね。普通に無造作ヘアとか。

石川 じゃあ、おしゃれだったわけだね?

遠藤 まあそうですね。

沢辺 眉毛は?

遠藤 剃ってましたね。ヤンキーみたいな細さではなかったですけど。

石川 クラスはヤンキー系とおたく系と半々だという話だったけど、その二つのグループはお互い無関心だった?

遠藤 殴ったりまではしないけど、ヤンキー軍団がおたくをいじってました。自分はどちらかというとやられる側で、みんなに両手両足をつかまれて草むらに投げられたりとかしてました。でも、「これおいしくね? これで笑いをとれるならいいや」って(笑)。

石川 いじめられていたわけではない?

遠藤 いじめとかではなくて、「これで笑いをとれるならいいや」って。

石川 その連中とはいまでもつきあいがある?

遠藤 あります。いまはもう、そういうことはやられてないですけど。

石川 いまいっしょに遊んでいるのもその連中?

遠藤 そうですね。

「やりたいことで金儲けしたいです」

遠藤くんは高校卒業後、調理師の専門学校に行こうと思うが、それをあきらめることに。しばらく高校時代から続けていたガソリンスタンドのアルバイトを続けるが、この春から本格的に父親の仕事を手伝うことに決める。先輩の飲食店を訪れて感動したのがきっかけで、いまの遠藤くんのめざすこと、やりたいことは、父親の店を大きくしてお金を儲けること。ばんばん儲けて、キャバクラでばんばんお金が使えるようになりたい、そんな夢をかなえた自分のイメージも遠藤くんのなかにはある。

石川 就職がいい高校だったということだけど、遠藤くんが就職しなかったのはなぜ?

遠藤 高校のころは調理師の専門学校へ行こうと思っていて、親も学費を半分出すと言ってくれてたので。でも、専門学校の試験に受かって、「入学するのにお金がいくらかかる」という話をしたら、急に「お前が全部出せ」と言い出して。お金が払えなくなったから専門学校にも行けず、そのままガソリンスタンドのバイトをやることになりました。

沢辺 そのときは腹を立てなかった?

遠藤 めちゃめちゃ腹立てましたよ。いまでは笑って話せますけど。そんときは、「言ったことは責任もてよ」って。

石川 お父さんはお店を三軒持ってるのに、なんでお金を出してくれなかったんだろう?

遠藤 けっこうケチなんです。

沢辺 なぜお父さんは豹変したんだろう?

遠藤 なぜっていうのはちょっとわかんなくて。聞こうとも思わないです。

沢辺 けっこう気まぐれなのかな?

遠藤 そういうところもあると思います。調理用の服の寸法も測って、いよいよ買うというときに「出せない」という話になっちゃって。でも、気まぐれだけど、やさしいことをやってくれます。

石川 やさしいことってどういうこと?

遠藤 甘いです。

沢辺 弟は怒られた?

遠藤 めちゃめちゃ怒られてました。

沢辺 遠藤くんは怒られたことはない?

遠藤 中学校のとき、ほしいゲームがあって、親の留守のときに親の財布からお金をとったのがバレたときは、めちゃめちゃ怒られました。

石川 話は戻っちゃうけど、なんで調理師学校のお金を出してくれなかったんだろう?

遠藤 わからないですけど、自立させたかったのかもしれないです。

沢辺 そんなことがあったけど、今は父親の店を手伝ってるんだよね?

遠藤 それにはきっかけがあって、先輩がお店をはじめたんですけど、そこの料理を食べたら、めちゃめちゃうまかったんです。「料理食って、こんな感動あるんだ」と。そのとき、「会社起こして金儲けしてえな」って思ってたときだったので、「会社やるんだったら、料理関係の仕事やりてえな」と思ったんです。で、よく考えたら、ちょうどいいとこが近くにあるじゃん、と。それで、おやじのところにしばらくいて、それからほかのところに修行に行って、自分の味出していこうかなって思ったんです。

石川 ずっとガソリンスタンドのバイトをやってたって話だったけど、「正社員にならないか?」とは言われなかった?

遠藤 「危険物の資格とったら正社員にしてくれる」っていう話もあったんですけど、結局「ダメだ」って言われて。いまはガソリンスタンドは不況でもうからないから。

石川 資格はほかにももってる?

遠藤 車と普通自動二輪。それから、お店をやるために衛生責任者の免許をもってます。

沢辺 いままでのバイトで一番時給が高いときはいくらだった?

遠藤 ガソリンスタンドで920円です。所長が上司にびびってる人で、それ以上は上がらなかったんですけど。

石川 お父さんのお店の手伝いでは、いくらもらってるの?

遠藤 おやじの店では時給でなく月給でもらっていて、月10万円です。

沢辺 おやじの会社でなかったら10万でやる? 

遠藤 やると思います。修行になると思うし、いまは飲食店で働くのが面白くて。

沢辺 いま、どれくらい仕事に入ってる?

遠藤 夕方5時から夜12時まで入っています。この春でやめるけど、まだ昼までガソリンスタンドのバイトもやってます。

沢辺 お店は何時までやってるの?

遠藤 朝5時までです。

沢辺 何人でやってるの?

遠藤 お店には常に三人入っていて、夜12時をすぎると二人になります。

沢辺 仕込みはやってる?

遠藤 まだ見習いなので、いまは仕込みには入っていなくて、仕事としては接客だけです。4月からは仕込みにも入ります。

石川 お父さんのお店は三店舗あるってことだけど、どんなお店?

遠藤 ぼくが入っている本店が焼き鳥屋で、あと、カラオケスナックと串揚げ屋です。おやじは本店にいます。

石川 お父さんは一緒に働いていて、息子扱いはしない?

遠藤 おやじは仕事に対しては厳しいです。

沢辺 まわりのひとはどう?

遠藤 常連さんが多いので、「店長の息子」っていう感じです。

石川 お客さんはどういう人が多い?

遠藤 地元のおっちゃん、おばちゃんです。もう20年やってて、顔なじみばかりで。会社帰りに寄るスーツのひとも多いです。

石川 若い人は来る?

遠藤 キャバクラのお姉ちゃんやホストも来ます。朝までやってるので。

沢辺 かわいい子も来る?

遠藤 かわいい子も来ますね。

沢辺 店でお客をナンパするのは禁止?

遠藤 そういうわけでもないです。女の子と遊びに行ったことはないですけど、26歳ぐらいの男のお客さんに、「飲み行こう」と声をかけられて、キャバクラに連れて行ってもらったこともあります。

石川 キャバクラは好き? ぼくは話の聞き役になっちゃってけっこう疲れるんだけど。

遠藤 友だち感覚で接してくれるお店が、疲れないので好きです。

沢辺 将来不安になったりする?

遠藤 やりたいことがなくて、「なにしよう」という時期はありました。高校卒業してガソリンスタンドをやっていたころです。これだというのができたのは、やっぱり、先輩が店を始めたのが大きくて。いまは、「なにやりたい、これやりたい」というのがありますね。

沢辺 その、「やりたいこと」というのは?

遠藤 やっぱ、おやじの店をでかくしたいです。でも、いまはまだ料理ができないから、まずはできること、店をきれいにすることからやろう、と思ってます。

石川 遠藤くんは「やりたいことをやりなさい」と言われて育てられた? 

遠藤 「やりたいことはやっていいけど、ひとに迷惑をかけるな」と言われてました。

石川 やりたいことをやってお金を儲けたいという気持ちがある?

遠藤 そうですね。やりたいことで、金儲けしたいです。

石川 やりたいことで食っていける自信はある?

遠藤 まだ、「どうやって稼いでいこうかな」と考えているところです。将来は、キャバクラ行って「いいよ、飲め飲め」と言える感じにはなりたいです(笑)。

「こっちも、なんでそんなふうに言われなきゃならないんだ、とキレて。それでもう、大学生はいやになりましたね」

遠藤くんは主に、高校時代のちょっとやんちゃな友人や先輩、ガソリンスタンドのバイト関係、居酒屋で働く人やお客さんの世界を生きている。ある日、たまたま大学生の合コンに誘われることになる。そこで自分の世界の流儀でふるまったらまったくうまくいかず、大学生がいやになる。これは、遠藤くんが自分の歩んできた人生とは異なる人生を歩んでいる人たちと出会った場面。

沢辺 高校の同級生は仕事つづいてる?

遠藤 そういう話はあんまりしないですけど、いまでもつきあいのある小・中・高の同級生は、けっこう根性あるヤツが多いです。だからたぶん、みんな仕事はつづいているとは思います。

石川 ところで、大学生ってどう思う?

遠藤 あんま好きじゃないです。小、中まで同じ学校で高校から進学校に行った頭のいい友だちで、都内の有名私立大学に行ってるやつがいるんですけど、あるときそいつが集めた大学生と合コンをやったら、すごくつまらなかったんです。最初にボーリングをやってるときはみんなでわいわいやってたんですけど、その後カラオケ行ったら、女の子がぜんぜん歌わないんです。女の子が歌わないって、ぜんぜんつまんないじゃないですか。それでイライラして、自分が女の子の歌をドンドン入れたんです。それでも女の子が歌わないから、もう自分で歌ったんですよ。自分で歌って、一発芸もやって。でもぜんぜんウケなかった。合コンはそのまま終わっちゃって、自分だけ車で来てたから、みんなを車で送ってやったんです。で、すこししてから反省会があったんですけど、そこで「お前、なんで女の曲ばっか入れたり、変な芸やったりするんだよ。ありえない」と言われたから、こっちも「なんでそんなふうに言われなきゃならないんだ」とキレて。それでもう、大学生はイヤになりましたね。

沢辺 その合コンのメンバーは、遠藤くん以外はみんな大学生だった?

遠藤 そうです。そういうことがあったから、学生やって遊んでて、なにがいいのかと思うようになったんです。

石川 親からお金もらって大学行ってるのって、どう思う?

遠藤 自分も調理師の学校行くとき親にお金を出してもらおうと考えていたんで、こんなこといえませんけど、正直、あんま好きじゃないです。

沢辺 「大学行ってないのが、ちょっと恥ずかしい」という気持ちはなかったの?

遠藤 それはなかったです。俺はこういう人生だし、恥ずかしいということはなかったです。

沢辺 遠藤くんの言っていることは本当なんだと思うんだけど、ちょっと意地悪をいえば、「ほんとは気にしているけど、そんなこと関係ねえってことにしよう」という無理があるんじゃないかな? 俺は40代のころまでは無理して、「関係ないと思うべきだ」と思ってたんだけど。

遠藤 うーん。でもやっぱり、恥ずかしくはないですね。自分は「べきだ」という感じはなくて、「うそつけない」って感じです。

沢辺 もちろん、うそという感じではなくって、そのときは一生懸命で、「気にしてないです」と言っていた気がする。どう思う? 哲学者?

石川 遠藤くんは素直に言っている感じがありますよね。つきあっているひとに大学生はすくないし、大学に行ってなくてもしっかり働いているひととのつきあいが多いから、あまり大学に行ってる、行ってないが気にならないんじゃないかと。

遠藤 気づいたらヤンキーグループにいたけど、大学行ったやつともつきあいは続いてます。友だち、切れないんですよ。

「自分もギクシャクしないようにと思って、いろいろやって」

大学生との合コンは失敗だった。いきなり地元風の盛り上げ方をもちこんでしまった。けれども、それは遠藤くんなりの関係を円滑に進める方法だった。そこには、「お互いあまり知らないけれど、この場はたのしくやろうよ」という努力、関係の上での仁義があった。確かに、あの大学生との合コンではうまくいかなったけれど、遠藤くんは関係づくり自体には幻滅していない。自分の仁義を大切に、遠藤くんは笑顔で積極的に人とかかわっていく。

沢辺 小、中からの友だちは学歴とか気にならないね。俺の同級生の女の子なんか、大学出て就職したけど結婚して仕事辞めて主婦になった、絵に描いたような専業主婦もいれば、水商売の子もいる。でも、学歴や職業で見ることはない。

遠藤 「水商売ばかにするな! ばかにするなら、てめえやってみろよ」という気持ちはありますね。

沢辺 正義漢だね。

遠藤 親に言われた、「人に迷惑をかけるな」というのは大きかったですね。

石川 いま、「水商売をばかにするな」という言葉があったけど、遠藤くんの場合は説得力があっていいね。「人はみんな平等だから職業に貴賎なし」みたいに、上から言ってない感じがいい。なんでかというと、ぼくなんか親の金で大学行って、大学院まで出てることからくる「申しわけない」という気持ちがあるんだよね。けれども、遠藤くんの言ってることはそうじゃなくて、自分の身のまわりに水商売をやっているひとがいて、その大変さを見ているということだけを根拠に、「ばかにするな」と言っている感じがいいと思う。

沢辺 俺は、石川くんはイヤなヤツだったと思う(笑)。いい年こいてバイトやってて、だけど「自分は学問をやってます、いまは仮の姿です」みたいな言い訳を用意してたんだよね。遠藤くんは、そういうお高くとまっているヤツとは違うと、俺や石川くんは思ってるんだけど。遠藤くん自身としてはどうかな?

遠藤 小さい頃は母親が韓国人だったこともあっていじめみたいなことはあったんだけど、高校生になっていじられキャラになって、「自分のマイナス面を出してみんなが笑ってくれれば楽しい」と思うようになったのかも。

沢辺 だれにもコンプレックスがあるから、それにうまく対処する方法が大事だと思う。ほんとのところでどう思っているかとは別に、「いじられキャラ」のような「方法」を見つけておくことが大切なんじゃないかな。

遠藤 いじられキャラは、そういう「方法」だったかもしれません。

沢辺 自分から積極的にバカやったりしていたわけ?

遠藤 そうですね。みんなが楽しんでくれればそれでいい、って。

石川 さっきカラオケでバカやったと言ってたけど、「これはウケないな」という予想はなかった?

遠藤 なかったですね。とりあえずバイト先でウケた芸をやれば、笑ってくれて仲良くなれると思ったんですけど(笑)。

沢辺 そのことについては、遠藤くんだけが悪いわけではないんだけど、たぶん、バイト先で芸をやって盛り上がったのは、「仕事を一緒にやってる仲間だし、ここは盛り上がろう」という関係性があったからだと思う。でも合コンのカラオケの場面は、気分を一緒につくれる関係性はなかった。そういう意味では、場を見誤ったという要素はあるよね。

遠藤 それはあります。

沢辺 もちろん、積極的に楽しい場にしようとしてやったことは受け入れてほしい、それは仁義だろ、とは思うけどね。

遠藤 自分も、「ギクシャクしないように」と思って、いろいろやったんですよ。

沢辺 こうやって話していても、笑顔が多いしね。「ひとと話すときは笑顔」というのも仁義だからさ。

石川 ひとってノリの合う者同士でかたまっちゃう傾向があると思うんだけど、いま話に出た「仁義」は、ノリはちがってもお互いをつなげるものだと思う。遠藤くんはどう思う?

遠藤 ひとって、やっぱ、助け合うものじゃないですか。だから知り合いが多いと強いし、ぼくは知り合いをすげえ増やしたい。今日みたいに、知らないひとに話を聞かれるのは、いやがる人はいるじゃないですか。でも、変な話になるけれど、ガソリンスタンドで働いているとき、やくざの組長さんとも仲良くなって、いまでもいっしょに飲みに行ったりするんです。相手がやくざだろうが、おたくだろうが、そのひとが困ったら助けてあげるし、自分が困ったら助けてもらう。そういうのがあってこそ自分の生活がある。それが知恵なのかな。だから、知らないひとと話す機会があると積極的に参加します。

「もしかしたら、信愛塾かもしれません。韓国人だけじゃなく、中国人とか、フィリピン人とか、いろんな人がいました」

遠藤くんは関係づくりに積極的。その根っこには、あの人は大卒だとか、おたくだとか、やくざだとか、フィリピン人だとか、そういう抽象的な枠組みで人を見ず、一人の具体的な人間として見て、直接向かい合ってかかわって、自分でコミュニティーをつくっていく姿勢がある。この姿勢を身につけるきっかけは、横浜にある信愛塾(在日の子どもたちの学習を支援する塾)での体験が大きかったようだ(今回の遠藤くんにインタヴューできたのも信愛塾に通っていたポット出版スタッフの尹(ユン)さんつながり)。

石川 遠藤くんはいつごろから積極的な人になったの?

遠藤 高校生のときかな。

石川 なにかきっかけはあったの?

遠藤 自然にそうなった感じがしますけど、もしかしたら、信愛塾かもしれません。韓国人だけじゃなく、中国人とか、フィリピン人とか、いろんな人がいました。

沢辺 けっこう思い出深いんだ?

遠藤 年に一回はキャンプやったりして。

石川 そこで、ちがうひとと付き合うのは楽しいと思った?

遠藤 うーん。

沢辺 俺の言葉で言うと、楽しいというより「実存」なんだよな(笑)。眼の前のフィリピン人とつきあうときに、フィリピン人だからという色眼鏡で見るんじゃなくて、日本人と同じように、イヤなやつもいればいいやつもいる、◯◯くんだったら◯◯くんという一人の人間としてつきあう、ということができたんじゃないかな。

遠藤 そんな感じですね。

石川 じゃあ、逆に言うと、遠藤くんはそういう類型でひとを見たことはない?

遠藤 ないですね(きっぱり)。小学校のころ、自分がそういう目で見られてイヤだったんで。

沢辺 ただ、自分が類型で見られてイヤだったヤツが、他人をそう見ないとはかぎらなくて、他人のことは平気で類型で見ることもあるよ。みんな遠藤くんのようだとはかぎらない。悲しいけど、それが人間なんじゃないかな、という気もするよ。

遠藤 たしかに、そうですね。自分も、乞食を見たらイヤだなと思うし。ただ、じっさいその乞食のひとと仲良くなったら、そういうふうには見ないと思う。

石川 眼の前にフィリピン人の○○くんがいる。○○くんをフィリピン人だからどうのこうのとは言ってられない。そういう世界を遠藤くんは生きてきたのかな。「抽象」と「具体」という言葉を使えば、遠藤くんは「具体的な世界だけに生きている」という感じがあるね。

沢辺 そうなんだよ。「フィリピン人や韓国人がいる」ではなくて、「◯◯くんがいる」というところにいきなり飛び込んじゃう。

遠藤 あー。たしかにそうかもしれない。

沢辺 結局、そういうふうに生きていたほうが楽しいじゃん。

遠藤 まあ、楽しいですね。

石川 ぼくは抽象的な世界に生きているから、「このひとはあのタイプ、このタイプ」とすぐ考えてしまう。だから遠藤くんの話を聞いていると、「石川さんちがうよ。あんた二階から一階見てるでしょ」と言われているような気がするんだな。「石川さんだって一階に生きているでしょ」と。

沢辺 本人の眼の前で言うのもなんだけど、遠藤くんは、極端に言えば「いざというときはやくざの親分も使ってやるぜ」ということも含めて、つながりを大切にしているよね。ある特定のコミュニティー、言ってみれば「遠藤コミュニティー」に対する意識が大きい。

遠藤 ヤンキー軍団も含めて、俺のまわりにはいろんなやつがいますね。ヤンキー軍団は軍団の中でつるんでるけど、自分は他にもいろんなひととつきあいがあって。

沢辺 出入りしてるよね。普通だったら、イギリスの大学院まで出てる石川くんとわざわざ話しに来ないよ。

遠藤 自分の友だちだったら、たぶん来ないと思います。でも自分はやっぱ、縁を大切にしたいし、(尹)良浩の顔もある。恩を売るんじゃないですけど、こういうときに協力していたら、いざというときに助けてもらえると思うし。おやじの焼き鳥屋が20年やっていけてるのも常連さんがいるからだし、おやじもそういうつながりを大切にしてるんですよね。いま思うと、小さいころからおやじを見てたから、そういう考え方になっちゃったのかな。

石川 「縁を大切に、恩を売り売られ」じゃなくて、「もっとドライにビジネスライクにやろうよ」と言う人間が出てきたらどう思う?

遠藤 とことん嫌いになりますね。「俺はこいつと考え方がちがう」と思う。俺は自分だけ成長するのはイヤで、みんなで成長したいです。ひとりでたくらんでるヤツはイヤです。

石川 みんなでがんばってるときに、そういうイヤなヤツがいたらどうする?

遠藤 ほんとに嫌いになると思います。「せっかくみんなでやろうとしてるのに、なんなのお前?」って。

沢辺 人間同士、どうつきあえるかは重要だと思う。それは、学歴だったり、初任給いくらというような数字で見えるものじゃないんだけど、大切なことだよ。コミュニティーと言うのかな。

石川 この場合のコミュニティーは、もともとある「黄金町コミュニティー」ではなくて、それぞれの個人がそういう関係をどう作れるか、というコミュニティーですね。

沢辺 そうそう。むかしは黄金町コミュニティーが最初にあって、「お前は黄金町に生れたんだから、黄金町の仲間だ」となったんだけど、いまはそれがうまくいかなくなっている。でも、いまはいまなりに、やっぱりコミュニティーの作り方は変わっていなくて、ひととひととのつながりなんだよね。そのつながりも、「ひとに何かやってあげる」というような偉そうなものではなくて、自分のためにつくるもので。遠藤くんのなかには他人への信頼感があって、俺は聞いててうれしい。
そしてそれは、信愛塾での、属性のちがうひととの付き合いが大きかったんじゃないかな。多くの人はある属性の中、ヤンキー系ならヤンキー系、おたく系ならおたく系の常識のなかでつきあいは閉じてしまいがちだけど、遠藤くんは属性ではなく、現実に存在するひととつきあうことを経験している。ちょっときれいすぎるまとめかもしれないけれど。

「メディアがピーチクパーチク言ってる、って感じですね」

遠藤くんは本は読まない。携帯を使ってメールするのも苦手。メールを打つより、電話で話したほうが早いだろ、というタイプ。テレビもほとんど見ない。仕事が終わって深夜のニュース番組を見るくらい。そんなテレビから世の中について「メディアがピーチクパーチク言ってる」のが聞こえてくる。ピーチクパーチク言っているより、みんながお金を使うように、景気をよくするように行動しろよ、と遠藤くんは訴える。

石川 ぜんぜん話は変わるけど、遠藤くんは本は読まない?

遠藤 全然読みません。字読むのがめんどくさいんで(笑)。

石川 メールは?

遠藤 メールもだいっ嫌いです(笑)

沢辺 携帯のメールも?

遠藤 だいっ嫌いで、超時間かかります。

石川 テレビは見る?

遠藤 ニュースが多いですね。帰るのが12時すぎで、スポーツニュースくらいしかやってなくて。

石川 スポーツニュースは見るんだ。

遠藤 ベイスターズが心配で。でも正直、もうどうでもいいんすよ(笑)。今年も最下位だって(笑)。

石川 社会のニュースも見る?

遠藤 見ますね。

石川 気になったニュースは?

遠藤 やっぱプリウス。

沢辺 プリウスのあの事件、どう思う?

遠藤 トヨタがかわいそうだと思います。詳しいことはわかりませんけど、車って、モデルチェンジすればシステムが変わるんですよ。いま問題になってるのは一つ型の古いプリウスだから発売してから結構経つのに、いまさら「止まらなくなった」なんて、金を巻き上げようとしてクレームつけているんじゃないかと。そういう意味で、トヨタがかわいそうです。いまのモデルがリコールの対象になったブレーキシステムの問題では、事故をしたひとがかわいそうだと思います。まあでも、深くは考えていません。

石川 たとえば、ニュースを見ると、いろんなひとが「景気悪い、悪い」と言っているけど、そういうのを見てどう思う?

遠藤 ニュースではそう言ってるけど、自分は、そんなに景気が悪いとは思わないです。

石川 自分の身のまわりにいるひとは、どう?

遠藤 おやじの羽振りは悪いですね。でも、お店はお客さんがいっぱいいるんで、大丈夫だと思います。

石川 遠藤くんにとって、社会ってどう思う?

遠藤 メディアがピーチクパーチク言ってる、って感じですね。

石川 その、ピーチクパーチク言ってる連中に言いたいことはない?

遠藤 「そんなこと言ってるより、お前がやれよ!」って言いたいですね。みんながお金を使わなくちゃ景気よくならないし。エコカー減税だって一生懸命考えてお金使わせようとしているのに、それに対する評価も低いし。鳩山首相(当時)の金の問題も、なにに使ったかはわからないけど、おふくろからもらったんならいいじゃねえか、って。悪いことって、ある意味で知恵だと思うんです。悪いことでも人に迷惑をかけなけりゃいい。鳩山首相の問題も、俺には別に迷惑かかってないし。そういうことにピーチクパーチク言ってるのはイヤだな、って。

石川 遠藤くんは「自分は社会人だ」と言うけれど、社会人って、どういうひと?

遠藤 仕事してるひと。でも、社会人ってなんですかね?

石川 学生と社会人はなにがちがうと思う?

遠藤 勉強しているか、勉強してないか。お金もってないか、お金もってるか。そして、遊んでるか、遊んでないか。遊んでるのは学生ですね。だったら俺も、けっこう遊んでるから学生みたいなものかな。遊びは寝る時間減らしてやってますね。

沢辺 遊びは飽きるんだよ。

遠藤 高校生のころ、先輩に初めてキャバクラ連れて行ってもらったときは、すごく楽しかったですね。でもいまは最初の感動はあんまりないから、自分一人では行きません。走り屋も飽きたからやめて。

沢辺 俺もむかし、オイル交換とか自分でやってたりして、そのこと自体が面白かったけど、だんだん飽きてきちゃった。

ところで、「店をきれいにしたい」と言ってたけど、どの程度掃除やってるの?

遠藤 まだまだまったくです。店はきれいじゃないですね。店を開けている時間はやることがいっぱいあって、なかなかトイレ掃除とかに手がまわらなくて……。

石川 では最後に、いまのいちばんの悩みは?

遠藤 「なんで彼女ができないんだろうな」って。ちょっと付き合っても、むこうから「別れよう」と言われちゃって。

石川 なにが悪かったんだろう?

遠藤 自分がいろんなひとと遊んじゃうんで。

沢辺 「もっと私を見てよ」という定番だな。

石川 「最後だけ私のところに帰ってくればいいよ」というひとがいいかもね(笑)

遠藤 いいですね(笑)。

沢辺 なかなかそうもいかないよ(冷ややかに)。

石川 今日は楽しい話をありがとうございました。

◎石川メモ

金を稼ぐこと使うこと

 遠藤くんはやりたいことのあるタイプ。夢のある若者。「おやじの店をでっかくして、ばんばん稼いでばんばん使いたい」という夢を実現したときの自分のイメージもある。「おいおい、貯金もしなくてそれで生活設計大丈夫かよ」と心配や小言を言うことはできる。けれども、このイメージ、遠藤くんのなかではけっこう地に足のついたものかもしれない。遠藤くんは商売人。ばんばんお店でお金を使うお客さんを見てきている。そういうお客さんは店を潤してくれる。お金を使うことは誰かを潤すことになる。自分もばんばん稼いだなら、ばんばん使って人に喜ばれたい。そういう思いが遠藤くんのおやじの店を大きくして成功したいという夢とまっすぐつながっているはず。
 こういう発想、じつは大事なんじゃなかろうか。じつはぼく自身、この発想をむかしは受け入れられなかった。むしろ軽蔑していたところがある。「ボロは着てても心は錦」、「武士は食わねど高楊枝」なんて言葉もあるけれど、「稼げなくてもやりたいことができれば」、「お金はなくても夢さえあれば」といった自己実現、やりたいこと、夢の受けとめもある。いわゆる「清貧」の思想。恥ずかしいけれど、ぼくもだいたいこういう考え方だった。けれども、心や精神だけ立派でも、お金がなければ人間は生きていけないし、いくら清貧の夢を語ってたって、正直なところ、やりたいことできちんと稼ぎたいと思っているもの。もっと言えば、「稼げなくてもやりたいことができれば」、「お金はなくても夢さえあれば」という言い方には、自分が現実社会でうまく稼げないことを棚に上げて、「それでも、自分にはやりたいことありますんで……、夢ありますんで……」という言い訳がある。それでもって、お金を稼ぐことを、「迎合」とか言っていてばかにするようになったら、これはもうぜんぜん素直じゃない。そういう意味では遠藤くんの語る夢はストレート。やりたいことがあったら、それでちゃんと稼ごうよ。ばんばん稼いだらばんばん使おうよ。それのどこが悪い? 遠藤くんならそう言うと思うし、これを認めないことにはうじうじした清貧根性からは抜け出せないはずだ。

自分のコミュニティーをもつこと

 遠藤くんの話はほんとうのところどうなのかわからないところもある。高校時代のいじられキャラはいじめに近いものだったのかもしれないし、大学生に対してもどこかコンプレックスがあったのかもしれない。店はきれいでなくてはいけない、と言うわりに、自分のお店の掃除をしていないようで、どれだけ必死になって自分の夢にむかってがんばっているのか、わからないと言えばわからない。けれども、つぎの点は確かなはずだ。
 遠藤くんは自分のコミュニティーをもっている。それは、あの人は韓国人、あの人は大卒、あの人はおたく、といったレッテルや枠組みを通して人を見ずに、その人自身と相対して接することで得られた人間関係だ。遠藤くんはこの関係が自分を助けるものだとよく知っていて、人を信頼している。沢辺さんはそんな遠藤くんに「ほんとは不安なのかもしれないけれど、そんなに不安感をもってない」と言っていた。不安でないのは、遠藤くんに自分のつくってきた関係に自信があるからだ。これは遠藤くんの強みだ。だからどんどん新しい関係もつくっていける。
「人をレッテルや枠組みで見てはいけない」とちょっと上から偉そうに言うことはできる。けれど、遠藤くんの場合、現場からの「人をレッテルや枠組みで見たってしょうがないよ」という声になっている。遠藤くんはそういう見方をしたら人間関係はどうにも先に進めないような現場に放り込まれた。もちろん、沢辺さんが言ったように、レッテルを貼られて見られた人間が、今度はまた、他人にレッテルを貼って見返し差別したり攻撃する、という構造もある。けれども、遠藤くんはその道は進まなかった。遠藤くんは、「人をレッテルや枠組みで見てはいけない」とお説教する良識の人ではなくて、「そういうことしてたってしょうがないじゃん、一人ひとりとして接していこうよ、そうしたらいいこときっとあるはず」と言う、いわば実存の人だ。
 遠藤くんはレッテルで人を見たら人間関係は先に進まないような環境で育ち、自分のコミュニティーをつくる知恵を身につけたわけだけれども、このことは別に特別な環境で有効な知恵ではないはず。人をレッテルや枠組みで見ることは、私たちが相手をよく知らないからそうしている。知らないから少し怖い。そこでまず、レッテルを貼って少し安心する。けれども、私たちが社会に出れば、かならず見知らぬ人とじかにつき合わなくてはならなくなる。当然のことだけれど、仲間、地元、同じような学歴、同じような趣味の人たちだけと付き合うわけにはいかなくなる。だれでもそういう現場に放り込まれる。いままで、自分が知らない人たちだからといって、レッテルだけ貼って遠ざけていた人たちとも面と向かわなくてはならなくなる。もうレッテルだけで見るのではどうしても関係が先に進まない。そのときやはり、相手を「その人」個人として見ることが必要になるだろう。これはめんどくさいことかもしれない。けれども遠藤くんはそういうふうに人と接すると、自分にとっても「いいことあるよ」と教えてくれている。
 それでもって、じゃあ、レッテルをはずして相手と接する第一歩はなにかといえば、たぶん、遠藤くんの答えは「笑顔」ということになるだろう。最初、インタヴューをするとき、どんなイカツイあんちゃんが来るだろう、とぼくのほうもレッテルや枠組みでもって身構えていた。けれど、遠藤くんは笑顔で登場。それで自然に、知らない人へのレッテルと不安が解けた。こちらも笑顔。すごく単純なことかもしれないけれど、笑顔のいい遠藤くんはコミュニティーづくりの大切な方法を自然に身体で身につけている。

2010-06-21

第1回 違う世界にいる人は、苦手──佐々木憂佳さん(24歳・女性・勤務歴2年)

佐々木さんは、1985年に母の実家、知床で生まれ、東京郊外で育った。現在24歳。
中高一貫校に進み、有名私大文学部へ進学。大学卒業後は、官公庁の関連団体で働き、現在は諸申請を受け付ける窓口業務に就く。勤務歴2年。
現在、父(61歳)と母(57歳)と姉(25歳)と同居している。父は電気関係の大学を出てエンジニア。母は、高校を出たあと農協で働き、知床でお見合いし、結婚を機に東京へ(現在は専業主婦)。一歳上の姉は別の難関有名私大を卒業後、現在は銀行勤務。
佐々木さんは、こちらの問いかけに、「はい」だけ、「いいえ」だけでポツポツと答えることはほとんどない。「はい」なら「はい」で、その同意した理由をきちんと一定の長さのセンテンスでもって答えることができる。その場その場で、相手が聞こうとしていることを理解して、自分の言いたいことを整理した言葉で語ることができる。「きちんとした言葉をもっている人」、「できる人」という印象だ。
*2010年3月20日(土)18時〜インタヴュー実施

「中高のときは、なんでこの子たちとは話が合わないんだろうとけっこう考えていました」

佐々木さんは、小学校4年生から受験塾に通い、中学受験をした。
自身は、本当は共学に行きたかったのだが、親の強い説得で共学をあきらめ、姉と同じ都内のキリスト教系の私立中高一貫校に通う。
有名進学校というほどではなかったが、同級生の9割以上が大学へ進学するという学校だった。ちなみに、佐々木さんの成績は学年で3番だった(1番の生徒は東大へ)。
佐々木さんは勉強ができた。けれども、「がむしゃらに努力しました!」という熱いガリ勉型ではなく「やればできてしまう」というクールな秀才型。だから、別に勉強が大事とは思ってこなかった。学校生活も、親やなにかに反抗するでもなく、淡々とこなしてきた。そんななかで、佐々木さんが少し熱くなっていたのは音楽やマンガや雑誌といった趣味の世界。本もたくさん読んでいた。学校生活や眼の前の人間関係のほかに文化の世界がきちんとある。これが佐々木さんが言葉をもっていることの理由かもしれない。

佐々木 このインタヴューの対象はどういう規準で選ばれてるんですか?

沢辺 「選ばれて」はないよ(笑)。男女同数、高卒大卒同数、勉強できる/できないとかもいろいろいて欲しい、まあそのぐらいかな。

石川 そうですね。それから、学生もいれば社会人もいる。

沢辺 できるだけ、まあ普通の子にインタビューしたいと思っている。

佐々木 私のように普通の(笑)。

石川 勉強はスルスルできるほうだった?

佐々木 要領がいいんだと思います。試験前に1日5時間ぐらいやればなんとかなる感じで。

沢辺 中学受験を決めたのはだれなの?

佐々木 姉も同じ中学を受験して、一つ下の私も当然受験するものだと思ってましたから。はじまりはたぶん母親でしょうね。
近所にその学校に通っている子がいて。ああうちも、という感じだったと思います。私はもともとその学校に行きたくなくて、共学の学校に行きたかったんです。
受験のときは、その学校だけでなく共学の学校にも受かったんですけど、両親に「あんたはこっち!」と言われて無理やり入れられたかたちになりました。抵抗しましたけど、「うん」て言うまで許してもらえなかったので、もういやになって、どうでもいいやって感じで。
だから、中高でまわりと趣味嗜好が合わないなーと悶々としてたんですけど、私がここに来たかったわけではない、という思いがあったんだと思います。

沢辺 それに対して反抗や抵抗はしなかったの?

佐々木 してないです。別に非行もしなかったし、学校帰りにルーズソックスに履き替えたりしなかったし(笑)。
高校から他の高校へ行こうと猛勉強もしなかったし。淡々とその6年間は過ごしちゃいました。
大学の友達で私と同じように中高一貫の学校に入って、高校から学校を変えた子もいたけど、その子のようなエネルギーの発散の仕方は、私にはなかったです。

石川 じゃあ、小学校のときからずっと勉強してるんだ?

佐々木 そうですね。小学校のときは週2日、夜7時から9時くらいまで塾に行って。
中学のときは一貫校だったので勉強はしませんでしたけど、大学受験を念頭に置いた教育の学校だったんで、高2あたりから大学受験の勉強をしました。
私は高3から予備校へ行きました。

石川 なんか勉強ばっかりしてたイメージだけど、そう?

佐々木 それでまちがいないと思います。うーん、でも、普段の生活ではあんまり勉強というのは入ってこないですね。
中学のときなんかは、私、部活にも入らないで、学校終わったら自転車ですぐ家に帰って、CD聴いたり、マンガを読んだりしていました。

石川 趣味に生きてた?

佐々木 そうですね。勉強にはぜんぜん気合が入ってなかったです。
勉強はただやれと言われたことをやっていただけで、自分のなかで勉強がすごく大事と思ったことは一度もないです。

石川 CDやマンガは、どんなものが好きだったの?

佐々木 中学のときは、L’Arc-en-Cielが大好きで、ライヴ行ったりとか。

石川 友達と?

佐々木 それがお母さんと一緒に行ってたんですよね。お母さんもL’Arc大好きで。いまは東方神起が好きなんですけど、いまだに東方神起のコンサートにお母さんと行きます。

石川 友達親子(笑)?

佐々木 友達親子までは行かないと思うんですけど(笑)。

石川 お父さんは一緒に遊ばない?

佐々木 お父さんは一人遊びが好きな人で、最近は山登りにはまってて、週末は、朝起きたらもういない、ということが多いです。どこそこの山に行ってくる、という紙が置いてあって(笑)。
お母さんとは買い物行ったり、ライブ行ったりしています。

石川 本は読んだ?

佐々木 乱雑に読んだことしか記憶が残ってないんですけど、学校の図書室にはよく行ってました。
年間70冊ぐらいしか借りた記憶はないですけど。

石川 70冊ってすごいね!

佐々木 そうですか? 何を読んだかあんまり記憶はないですけど。
海外小説をちょっと読んだりとか……。
すごい好きだったのは、村上龍さんの『コインロッカーベイビーズ』を読んだとき、「はあ、なんて!」と思いました。それが高1のときですね。

石川 友達とは遊んだりしなかったの?

佐々木 友達はいたんですけどねえ。中高のときは、ずっと、なんでこの子たちとは話が合わないんだろう、ということをけっこう考えていました。

石川 なぜ合わなかったの?

佐々木 同級生の子とかはやっぱり浜崎あゆみが好きだったり、読む雑誌も『Seventeen』だったりとか。
私は『Olive』が好きだったんですよ。うちの中高にはそういうの読んでる子がいなくて。

石川 趣味の違うまわりに対してどう思ってた? ちょっとバカにしていた(笑)?

佐々木 (笑)なんて言うんでしょうね。別物だと思っていたんですよ。なんか話も合わないし。

沢辺 『Seventeen』と『Olive』を比較したら、『Seventeen』のほうが幼いというイメージがあるんだけど、そういう印象は持ってた?

佐々木 幼いっていうよりも、完全に嗜好のちがう人たちだと思ってたんですよ。その子たちが将来的には『Olive』が好きになるとは思わないんです。
『Seventeen』を読んでいた子は、『ViVi』、『Ray』、『MORE』とかそっちの女の子商品にいくと思うんですよ。そこに『Olive』の入る余地はない!と。

石川 『Olive』のイメージって、女の子がベレー帽かぶってて、ボーダーのシャツ着てるイメージだけど(笑)。それでいい?

佐々木 基本的にはそれでいいです。

石川 ちょっと性にはノータッチみたいなところあるよね?

佐々木 そうですそうです。ないものとして扱ってます。

沢辺 代官山!

佐々木 あっ、代官山っぽい感じですね。代官山、吉祥寺、下北沢。

「大学は楽しかったです」

大学受験は、オープンキャンパスに行き、雰囲気のいちばん気に入ったA大学を志望した。
高3の秋ぐらいには模試でその大学にはA判定は出ていたが、何がなんでもそこに受かりたいとがむしゃらに勉強するのではなく、淡々と自分のやれる範囲で勉強し、結果合格していた、という。
絵を描くのが好きだったということもあり、大学は文学部で美術史を専攻。絵画サークルに入り、卒論はミケランジェロがテーマ。大学時代には姉と友人たち4人でイタリア旅行もし、生のミケランジェロの作品を鑑賞。好きな画家はムンクとヤンセン。

石川 ご両親には、こんなふうになって、とか、勉強しなさい、とか言われて育てられた?

佐々木 ないですね。なんにも言われた記憶はないです。ただ、中学受験、大学受験になると自然にその場が用意されるというか。
「塾行くんでしょ?」と言われると「ああ行くかな」とか。
とくに親の圧力を感じたといういうわけでもまったくなく、それがあるべきものとして自然に流れていくというか。
将来こうしなさいとか、好きに生きなさいとか一切言われませんでしたけど、いま考えると、親は、堅実な道を生きろ、というスタンスではあったと思います。

石川 堅実な道というと、たとえば?

佐々木 大学に入って、食べるのに困らない道。結婚しても働き続ける職。
お姉ちゃんが就職した銀行も定年まで女性も勤めるのが当たり前、そういうところなんです。そういうのがずっと両親の心の底にはあったと思います。

石川 じゃあ大学は、その先に堅実な道ということも見据えて文学部に入ったの?

佐々木 いえ。とりあえず目先の目標として大学受験というのがあって。その先の堅実な道というのはあまりなかったですね。
逆に堅実な道をと思ったら経済学部や法学部を選んでいたほうが、いまの時代、就職にも有利だと思います。

石川 文学部はなんで面白そうだと思ったの?

佐々木 そのときは音楽やマンガや本が好きだったので。経済とか法律とかは具体的なイメージがなくて、美術史専修とか演劇専修とかはその字を見ただけで、ぜったい楽しい、と。そういう思考回路でした。

石川 そういうところに行けば『Olive』を読んでる人がいるとも考えてた(笑)?

佐々木 そういう期待はなかったです。人への期待はなくて、自分がなにやりたいかで入ったんですけど、入ったあとで楽しい人がいっぱいいてよかったな、という感じです。

石川 大学はどうだった? 楽しかった?

佐々木 大学は楽しかったです。

石川 大学時代、バイトは?

佐々木 大学1年のときは単位をしっかりとらなくてはならなくて、バイトをやらず、ほとんどの授業には全出席でした。
大学3年から小学生の塾で赤ペン先生をやってました。

石川 赤ペン先生は、お金よかった?

佐々木 時給950円ぐらいでした。1日5時間で週2日やってました。

沢辺 赤ペン先生なのに出勤するわけ?

佐々木 長文読解の添削をやってたんですけど、作文の添削室というのがあって、そこに作文や記述式の答案があって一斉に仕上げるんです。

沢辺 週2日で5時間その時給だと月4万円ぐらい稼いでたんだ?

佐々木 そうですね。

「いままで、自分の生きてきた道とちがう道を生きてきた人とすごく仲良くなったということはないです」

佐々木さんは、A大学に入り、充実した楽しい大学生活を過ごした。大学で学んだ美術史の世界も、そこで出会った仲間の生きている世界も、自分の興味と重なり、共有するものが多い世界だったはず。けれども、充実した大学時代に、ほんの少しだけ、バイトを通じて自分とは異質の世界を生きてきた人びとと出会うことになる。異世界を生きる人びととの接触、と言うとちょっと大げさだけども、佐々木さんの言葉を聞くと、ほんとにそういったものだったのだと思う。

石川 赤ペン先生がはじめてのバイトだったの?

佐々木 いえ。その前に、地元にある料亭風の飲食店でフロアのバイトをやったんですけど、合わなくてやめちゃいました。

沢辺 なにが合わなかったの?

佐々木 端的に言うと、ヤンキーみたいな女性が多く働いていて、みんなタバコ吸っているし、恐いな、と思って。苦手でした。
中高一貫の女子校では見ないような人がいっぱいいて。

沢辺 いまでも苦手?

佐々木 言ってしまうと、いまでも苦手です。だいぶ大人になったんでそういう人たちとはうまくやれるとは思うんですけど。

石川 小学校の同級生でヤンキーの道に進んだ人っている?

佐々木 いると思います。中学を受験してから、もう地元の友達とは連絡取れなくていて。たまに地元のスーパー行くと、同級生が頭まっ金金にして、子ども連れてるのを見て、びっくりする、っていうか。

沢辺 声かけられることある?

佐々木 中学のとき、小学生のとき同級生だったギャルっぽい感じの子に声かけられたことありますけど、私は「あ、はあ」という感じで。

石川 関わりたくない?

佐々木 関わりたくないんじゃなくて、どう接していいかわからないんですよね。

石川 いままでそういう人たちと接したことがないんだ?

佐々木 そうですね。

石川 無理やりそういう人と接しなさいと言われたら困る?

佐々木 たぶん、当たり障りのない程度に。

沢辺 自然に対応できる? たとえば、合コンに大学生に混じってひとりだけヤンキーっぽい、ガソリンスタンドでバイトやってる高卒の男が来ていたとするよね。彼にはちょっと距離を置く? それとも表面的にでも話題を提供してちゃんと接する?

佐々木 表面上の会話はします。

沢辺 で、相手に悪い印象をもたせないで帰せるぐらいの実力はある?

佐々木 実力!? 自信はないです。がんばってその場は楽しくやろうよという気持ちはありますけど。

石川 じっさいそういう場面というのに出くわしたことはない?

佐々木 ほとんどないに等しいと思います。飲みの場で、自分がいままで歩んできた道とちがう人もいるなあ、ということはありましたけど。まあ、その場かぎりで。

沢辺 料亭でバイトしていたとき、佐々木さんはヤンキーの子たちに対して違和感を持っていたわけだけど、一方で、相手も佐々木さんに違和感を持ってなかった?

佐々木 ありますね。それがやめた理由で一番大きかったことだと思います。

沢辺 じゃあ仮に、その子たちが違和感なく接してきたら、仲よくなった可能性もあると思う? 

佐々木 いままで、そういうかたちで自分の生きてきた道とちがう道を生きてきた人とすごく仲良くなったということはないです。

石川 佐々木さんの交友関係ってみんな大卒?

佐々木 はい。

石川 いやらしい言い方だけど、そのなかで一番聞いたことのない大学出てる人はどういう大学出てる? それとも、みんな聞いたことある大学?

佐々木 みんな有名大学の友だちばかりですね。

石川 自分の交友関係以外にも世の中にはいろんな人がいるけれども、そういう人たちに興味ある?

佐々木 興味はありますけど、積極的に出会いたいとか、そういうのはないですね。

「最初はもうびっくりして、びっくりして」

佐々木さんは現在官公庁の関連団体の窓口業務をやっている。そこには、まさに、「自分の生きてきた道とちがう道を生きてきた人びと」がやってくる。その人たちとやりとりをしなければならないこと、そういう人たちとどう付き合うか、そのあたりがいまの佐々木さんの悩みどころのひとつでもある。

沢辺 佐々木さんは、いま窓口業務についているんだよね。その窓口に来る人は、自分とはちがう道を歩んできた人が多いでしょ。
そういう人を目の前にしてどう思った?

佐々木 最初はもうびっくりして、びっくりして。ヤクザとか来るんですよ。
今の配属先に異動になったのがおととしで、入って三日目でヤクザが来たんですよ。窓口でヤクザとチンピラがいきなり喧嘩をしはじめて。
「お前なに中のなん期だ?」とヤクザのほうがチンピラに聞いて。地元の人って中学の上下関係のつながりが重要らしいんですよ。それで、ヤクザのほうがそのチンピラを知ってそうな上の人に電話して、「何々さんに免じてお前許してやる」って話になって。それだけなんですけど。
うちの窓口は常に警察に連絡を取れるようになってるんですよ。それで近所の交番の人が流血沙汰にならないように建物の下で待機してくれていて、そのときは警察が出動するさわぎになって、涙目になるくらい恐かったんですよ。
その場は暴力ざたにならず収束したんですけど。
毎日、頭まっ金金で、すごく遊んでそうなのに生活保護を受けてる人とか、母子世帯のはずなのにどんどん子供が増えていく謎の家とか。そういう人たちと毎日接して、いままで自分が見なかったものをお客様として迎えて接するわけですよ。こんな世界があったんだ?という驚きですよね。
ただ、私はそういうものと交わらないようにする一方で、ミーハー根性があって、こういうすごいことがあったんだよ!とみんなに言いたい面もあって(笑)。

沢辺 いまは職場ではどう?

佐々木 最初は電話で怒鳴られるのも恐くて上司に電話を変わってもらったりしてたんですけど、最近は自分でなんとかその場を収めようと言葉を尽くそうとするんですけど、まだまだ至らない面があって日々苦戦してます。

石川 何に苦戦してるの?

佐々木 生活苦の人が、お金がなくて苦しい、家賃が払えないからどうにか助けてくれと言ってくるんです。
ただ、官公庁の団体なので法律や条例に基づいて対応している訳で、うちでできることは限られている。自分の立場をこちらで一生懸命説明しても、わかってもらえなくて。怒りをこちらにぶつけられても困ります、ということを一生懸命説明しようとしても、お客さんとしてはその仕組みなんてわからないから、その人の希望通りにならないのは接客してるお前が悪いからだ、というふうなかたちで怒りをぶつけられるんです。
それで、ちがうんだよ、ということを説明しようとするんだけど、うまくいかなくて、けっこうへこんだりとか。

石川 なんかうまい方法見つけた?

佐々木 見つからないですね。先輩でクレーム処理がうまい人がいるんですけど。
若い女の子がうまく言葉を尽くしてもうまくいかないことがありますね。

沢辺 逆もあると思うよ。
俺だったら、若い女の子が窓口にいたら、腹を立てて文句を言いたくても、あっ、ちょっと大きな声を出すのはやめよう、ということもないことはない(笑)。

佐々木 そうですね。やなことばかりじゃなくて、おばあちゃんから「ありがとう」と感謝の言葉をかけてもらって飴をもらったり。それはうれしいですよね。だから五分五分ですよね。

沢辺 そういう世界の存在はなんとなく知っていたと思うけど、私は貧しい人たちのために、みたいな気持ちでその仕事を選んだわけでもないでしょ?

佐々木 ないです。ないです。入ったときは、安定している、ということが一番にありました。

「自分のなかではやはり線引きをしていると思います」

佐々木さんは、美術史専攻とはいえ、先輩の就職先を見ても美術館に就職できた人はひとりもおらず、早い時期から普通の就職を考えていた。
町づくりに興味があり、鉄道会社を受けたが、不採用。新聞社の管理部門も受けたが、やはり不採用。
最終的に、4年生の7月に公務員に近い立場で安定していたいまの会社の試験を受けて、卒業半年前に就職が決まる。
現在の仕事は窓口業務だが、正職員は、2、3年後には本社に異動になることが決まっている。
現在の職場の事務所は30人。うち女性は10人で、その10人のうち正規職員の女性は3人で、同い年が1人、中途採用の30代の女性1人。契約社員の女性は、20代が1人、30代は5人、40代が1人、という構成。男性は一番若くて30代。
職場のなかにも、正規職員/契約社員という線引きがある。この職場での線引きは、あの「自分の生きてきた道とちがう道を生きてきた人びと」との世界を区切る線ほど明確な断絶の線ではない。けれども、佐々木さんは「なんか見ているものがちがう感じ」と言う。ある意味で、職場の人間関係のなかにも自分とはちがう世界が広がっている。

石川 最初の希望の会社に落ちたときはショックじゃなかった?

佐々木 そうでもなかったですね。最終面接にはけっこう残ったんですけど。

石川 自己アピールはどんなこと言ったの?

佐々木 いまの会社で言ったのは、わたしはマニュアルに頼らず、人に柔軟に対応できることができます、みたいなことを言いました(笑)。

石川 それで、人の対応をする仕事になっちゃったんだ(笑)。町づくり、いまの会社でできそう?

佐々木 実際に町づくりをするのは技術系の仕事で、私のやっている事務職は、人とお金をまわすのですが、間接的にはそういう仕事には関われると思います。

石川 入ってみたら、窓口の仕事だったわけだけど、そのことについていまはどう思う?

佐々木 将来は本部の管理部門に行くかもしれないけれど、どんな人が住んでいるか知らないとだめだ、というのは頭にあったんで、いまはこの二年間苦労してよかったなと思っています。
いまは異動したくてしたくてしょうがないんですけど、同じ部署の先輩が異動確実になっちゃって、私は60、70%は異動なしだろな、という感じです。
窓口業務はやりつくした感があるので、異動したかったんですけど。
どういう事例が来たらどうしたらいいかというのも全部わかってきたので。

石川 もうわたしはできる、と?

佐々木 (笑)まあそうですね。だいたいのことはわかると。

石川 さっき話してくれた困ったお客さんの相手も?

佐々木 できる、と言うよりも、まあ、来たら実際は流れで上司にまかせちゃうんですけどね。

沢辺 率直な意見を言うと、できるから、というより、窓口の仕事は、もうめんどくさくていやになっちゃったんじゃないの?

佐々木 (笑)そうですね。まあ、それが大きいですね。めんどくさい、というよりもう疲れちゃった。

沢辺 一般的に会社組織でいえば、受付っていうのはペーペーがやる仕事でしょ。

佐々木 そうですね。頭を使わない仕事なんです。基本的には、マニュアルに従ってそれを処理するだけです。

沢辺 一緒に働いている派遣の職員には本社へ行くという可能性はない。けれども、佐々木さんには、可能性が見えているわけで、つまんないからちがうことをやりたいなというだけのことなんじゃない?

佐々木 (笑)シンプルに言えばそうです。

沢辺 「やだ」っていう感情が先ということでしょ?

佐々木 そうですね(笑)。

石川 正直に言ってくれてありがとう(笑)。

佐々木 えへへ(笑)。

沢辺 同年代の職場の人と一緒に遊びに行ったりしない?

佐々木 しないです。

石川 なんで?

佐々木 会社の人と友達にはならないです。新卒で同期の友達とは飲みに行くことありますけど。

石川 派遣、契約の20代の人とは話をする?

佐々木 いえ、してないです。

沢辺 その人はやっぱり『Seventeen』系なの?

佐々木 いや、どっちかというと『non-no』系ですけど(笑)。あんまり深い話はしないですね。

沢辺 それはなんでだと思う?

佐々木 なんででしょうね? ただ、その職場に入ったときに、「あなたは正規職員なんだから」というのを念仏のように何度も聞かされて。はじめは、派遣さんにも仕事を教わらなきゃならなかった身分だったので、「なんで同じ仕事をしているのに線引きをする必要があるんだろう?」って思ってたんですけど。でも、自分のなかではやはり線引きをしていると思います。

沢辺 それは料亭のバイトのときの違和感とどう違うの?

佐々木 派遣だから、というのでもない感じがするんです。見てるものがちがう、というか。派遣さんの女性の方たちは細かい決まりごとが好きみたいで。「ここの電気はちゃんと消して!」とか日常のことで規範があるみたいなんです。私は、そんなことどうでもいいんじゃないかな、と思うときがけっこうあって。仕事以外の日常のことに色々作法とか決まりごとを作るのが好きみたいなんです。仲良くなるならないは別問題として、なんか見ているものがちがう感じがします。
あとは派遣社員どうしで、「あの人のこういうところは嫌い」と言ってたりするんですよ。私は、なんかもうそういうのはいいじゃないか、と思います。

石川 自分も派遣さんになんか言われていると思う?

佐々木 私はあまり感じたことはありませんけど、そういうところにエネルギーを注ぎたくないな、という感じがあります。

石川 じゃあ、派遣さんたちはどういうふうに佐々木さんを見ていると思う?

佐々木 うーん、いまは完全に事務所のなかの末っ子で、「おはようございます」、「ありがとうございました」、とかわいらしい声で言っているだけなので、一応、存在は認められているとは思うんですけど。やはり、正規職員ということで見る眼はちがうと思います。
派遣社員の間では、あの人は忙しくない部署にいて、私は忙しい部署にいる、そういうことで面白くないという気持ちが出てくるようなんですよ。でも、私たち正規の職員の場合だと、どこに配属されても精一杯やらなきゃならないと思っているし、他の人を見ている暇もないので。

沢辺 それは正規職員の間でもあると思うよ。職場で「働きが悪いな!」と思う人いない?

佐々木 「あー」という感じの人いますね。

沢辺 いま佐々木さんが、「あー」といったのは、「でも、私は腹を立ててないですよ」とぼくらにアピールしている気がするなあ。それだけで済ませられる? 腹を立てない? おそらく給料はその人のほうが多いわけじゃない?「私よりぜんせんやってないじゃん! それなのに自分より多い給料をもらってるのっておかしい」みたいな気持ちはない?

佐々木 そういう気持ちはありますが、いま目に見えている範囲で、ほんとうに働いていない、と自分で見てわかる部分というのがあまりなくて。いろんな人から「あの人、仕事してないんだよ」と言われて、それで見て、「あー、仕事してないな」という感じで終わっています。遠くの席にいる人だし、いまの自分のやっている仕事には直接災厄がふりかかるというわけでもないので。それに、働かない人をやめさせられない体制、同時に、仕事する人もあまりそこまで報われない体制、ということも最近わかりつつあります。

「自分のことは自分でやれる人がいいですね。靴下まで履かせろみたいな人はいやです」

初任給は19万6千円。手取りは現在18万円くらい。ボーナスは4、5ヵ月分出る。いま付き合っている彼氏は7歳上。最近、合コンで知りあった広告マンだ。

沢辺 いまの仕事で、こういうふうにしたい、というのはある? 一般論で言えば、公務員に準じた団体職員だと、食い扶持を稼ぐだけ、というイメージがある。けど、そういう仕事でも、その中での自己実現というか、こういうことをやりたい、というのは何かある?

佐々木 ないです。いまおっしゃったように、まさに食い扶持のために働くというのが主になっちゃってるんで、なにをしたい、というのは別にないです。

沢辺 それ不安にならない?

佐々木 ちょっと不安です。仕事でいま楽しいところがあんまりなくて……。自分が40歳代になったときに安定して働けているだろう、という道を21歳ぐらいの時点で選択してしまったわけですけど、今になって、仕事が面白くない。そうはいっても、プライベートを充実させよう、と言えるほど暇ではないので。最近残業も多くて。

石川 残業はどれくらいやってるの?

佐々木 9時ぐらいまでですけどね。それでも、家帰ったらごはん食べてお風呂入って寝るだけです。

沢辺 朝は8時半出勤?

佐々木 9時ですね。

沢辺 定時の上がりは何時?

佐々木 6時ですね。

石川 いつもどれくらい働いているの?

佐々木 この3月は忙しくて、9時ぐらいまでですけど、いつもは7時まで働いています。窓口が6時まで空いていて、後処理をしていると、だいたい7時になってます。

沢辺 結婚しても仕事つづける?

佐々木 結婚ぐらいじゃやめないとおもいます。子供ができたらわかんないですけど。
産休、育休もらえるというシステムは整ってるんですよ。あわせて二年ぐらい。それを使ってまた復帰できればと。それがいちばんいいなと。でも子供の顔を見たらずっと一緒にいたいと思ってしまうんじゃないかと。

沢辺 子供のほうしか向いていない親なんて、子供からしたら重たくて、子どもにとっては逆によくないんじゃない(笑)?
子供がいても働いている女性を見てどう思う?

佐々木 よくがんばるな、と。派遣の職員の人で、お子さんはもう高校生、大学生で、ずっとフルタイムで働いている人がいるんですけど、その人は家事も完璧にこなして、仕事もばりばりやる人なんですよ。どこからこんなエネルギーが出るんだろうと思って。

沢辺 結婚するなら、だんなはどういう人がいい?

佐々木 家事もやってもらいたいですね。でも、だんなさんについての具体的なイメージはないです。

沢辺 結婚するときは家事をちゃんとやってくれるという視点で選ぶことができるかな?

佐々木 わからないですね。他人のことまではやれなくていいけど、自分のことは自分でやれる人がいいですね。靴下まで履かせろみたいな人はいやです。

沢辺 それはさすがにいないと思うよ(笑)。

佐々木 (笑)男友達見てると、みんな身なりもきれいだし、一人暮らしの家もしっかり片付いてるな、と。

沢辺 カレシの家事能力はどうかな、とか、子供ができたときにどういう態度をとるかな、というような想像はしたことない?

佐々木 あります。

沢辺 どう?

佐々木 ほのぼのしてるので、お父さんになっている姿が想像できます。

沢辺 それ、ちょっと甘くないか?

佐々木 (笑)

「夢に向かってがんばることがよしとされるメディアのイメージ、(でもそれを)発信している人たちはもう夢を実現した人たちですよ、きっと」

大学時代までは、クリエィティヴな、なにかをつくる人間になろうという考えもあったが、いざ就職してみると、日々の生活を送るのに精一杯。年をとるごとにけっこう即物的になるなあ、と感じている。
佐々木さんは、「私が私が」の語り口で話す人ではない。「私はこういうやりたいことがあるんです!」と熱く語る人でもないし、「職場での悩みはこうなんです!」と熱っぽく語る人でもない。自分はこうなんじゃないだろうか、と距離を置いて冷静に自分を眺めることができる人。冷静に眺めつつも、職場でこわいお客さんと接したことの驚きを語るようなときには、ちゃんと素のままの自分の驚きを語る。強がりでわざわざつくった嫌味な冷静さはない。そういう素直な冷静さで述べられる「夢にむかってがんばります!」と言いがちな若者に対する分析や、この言葉じたいへの批評は、かなり説得力がある。

石川 社会人になって、大学時代の自分と変わったと思うことある?

佐々木 いちばん大きかったのは、さっき言ったように、自分の知らない世界の人としゃべって、というのが大きいですかね。

沢辺 なんで今日、このインタビューに来てみようと思ったの?

佐々木 うちの会社って取引先が建設業者とかしかないんですね。それで、異業種の人と話す機会がないんですね。それで、異業種の人とふれあうのもいいかな、と。いろんな人に会いたい、っていう気はありますね。

石川 そういえば、このインタヴューでぼくの本を読んできてくれたのは佐々木さんがはじめてだった。
よっぽど楽しみに、人に会いたい、って気持ちがあったの?

佐々木 なんか楽しいことがありそうだな、と思うと行きたくなりますね。

沢辺 石川さんの本、読んでどうでしたか?

佐々木 哲学の本って、文字を追ってすぐ頭に入るわけではないじゃないですか。哲学用語を自分のなかで広げて考えるわけです。それで、読むのにすごく時間がかかりましたけど(笑)。
でも、入門者にわかりやすく言葉をすごい平たくして伝えようとしてるんだな、と感じて、時間はかかっているけれど、がんばって読めてます。

石川 ありがとうございます。

沢辺 石川さんが書いていることは、簡単に「ひとそれぞれ」って言うなよ、ということだと思うんだ。
もちろん、人間には「ひとそれぞれ」の部分があるんだけど、それでも正しさっていうか……。

佐々木 普遍性、普遍(笑)。

沢辺 そうそう。普遍性というか妥当性とかあるよね、と。佐々木さんは「ひとそれぞれ」、「普遍」、どっち?

佐々木 わたしの思考回路としては完全に「ひとぞれぞれ」ですね。あんまり人のことをうらやましいと思わないし、人と比べて、自分のことを「ああ私は自己実現できてない」と思うこともなくて。
友達で、「自分より不幸な子を見ると安心する」と言った子がいて、私まったくそういうことがないんです。ずっと「ひとそれぞれ」という思考で生きてきて。それが、もって生れたものなのか、後天的なものなのかぜんぜんわからないんですけど。「ひとぞれぞれ」派です(笑)。

石川 いつごろからそういう自覚はあった?

佐々木 子供の頃からです。人のことを見て自分の喜怒哀楽が動かされたということはありません。もちろん、映画を見て感動したりということはあって、無感動な人間というわけではないです。

石川 それじゃあ、誉められることってある? あるとしたらなんと言って誉められる? それで、誉められるとどういう気持ちになる?

佐々木 誉められることはあります。よく、しっかりしてるね、堅実だね、と誉められます。そう言われると、ああそうですね、そうですか、という感じですね。

石川 べつにうれしくもない、と。

佐々木 そうですね。しっかりしてる、とか、堅実だね、と言われてもうれしくはないです。それはその人の評価、ああその人にはそう見えるんだ、という感じです。

石川 人はそう自分を評価するけど、私はじつはこう思っている、というのはある?

佐々木 私はやるべきことをやっているだけです、っていう感じです。

石川 「やるべきこと」というのは、大きな目標があってそれに向かってなにかをやっている、という感じなのかな?

佐々木 自分の生活の足場がためをやっている、という感じです。長期的な視野でなにかをつづけたということがあまりなくて、けっこう目先のことにとらわれてそれをやっていました。

石川 しっかりしてるな、と佐々木さんに対して感じるのは、おそらく、夢に向かってがんばります、というような大きな目標よりも、日々目の前のことちゃんとやっている、という感じがあるからなんだよね。

沢辺 夢に向かってがんばりますと言って、自分のことをかっこいいと思ってるヤツって実はかっこ悪いじゃん?

佐々木 そう思いますか? 実はわたしもそう思います(笑)。やりたいことをやって評価されている人ってかっこいいじゃないですか。すばらしい。けど、俺はやりたいことをやるんだ、と言って、自分の世界だけでやってて、なんの評価もついてこないで思い込みだけでその道を進んでいる人を見るとかっこ悪いと思います。

沢辺 そういう安易なかっこ悪さにわたしは染まりたくない、というのが見えてくるから、佐々木さんってしっかりしている、と言われるんだと思うんだ。
とはいえ、自分の道こそいいものなんだ、というのも実はどこかで疑っている面もあるよね?

佐々木 そうですね。自分の道をかっこいいんだと思っている人をかっこ悪いと思うからこそ、私はみんな私のようにすべきだとは思いません。

沢辺 だから、それが佐々木さんのいう「ひとそれぞれ」だと思うんだ。
今ね、子どもの頃から自分のやりたいことを見つけなさいということをわりと強いている社会だと思うんだけど、大学生時代は、自分のやりたいことを見つけなければ、というムードはあった?

佐々木 それって、「やりたいこと見つけて、自己実現せよ!」みたいな?

沢辺 そうそう。そんな感じしなかった?

佐々木 ああ、しますね。

沢辺 これまでの話を聞いてみると、佐々木さんはそれからはずれてる感じがするじゃん?

佐々木 はい。はずれてますね。

沢辺 なぜはずれたの? あるいははずれていることに対して不安はない?

佐々木 不安はないですね。やりたいことを見つけて、それに向かっていく、ということがよいこととして今もてはやされていると思うんですけど、実際自分のまわりを見渡して、やりたいことができてる人ってあんまりいないんですよ。「やりたいことをやるんだ!」と言って、社会に飛び出せないまま日々アルバイターで過ごしている人がいたりして、自分はそういうのはぜんぜんいいとは思わないので。

石川 俺はやりたいことをやるんだと言いながら日々アルバイターやってる人についてはどう思うの?

佐々木 あー(笑)。その人の生き方なので別にいいと思います。けれども私は嫌だなと思います。

石川 なんでそう思う?

佐々木 好きなことをやるにはリスクを伴なうじゃないですか。そこまでしてやろうとは思いません。
バイトしながら夢に向かってがんばってるんだ、という人も友達にするにはすごくいいんですよ。自分の知らない世界を知っているわけで。そういう話を聞くのもすごく楽しいし。

沢辺 そういう自分は、大学の同級生のなかで少数派だと思う?

佐々木 多数派です。なんか、夢に向かってがんばることがよしとされる社会、というのは、メディアなどではそんな社会になっているという雰囲気はあるかと思いますけど、実際、明確な目標をもってがんばっている人って友達のなかではいませんね。

沢辺 夢をもっているように見せてる人はいるけれども、ほんとうはそうそういないと僕も思っているんだよ。
自分の食い扶持にも責任もって生きていく、と淡々と生きている。でも、夢を追いかけている人がいても私は否定しない、みたいな。
同級生たちも意外と、メディアとかに踊らされてはいない、という感じでしょ?

佐々木 完全にイメージですよね。発信している人たちはもう夢を実現した人たちですよ、きっと。

沢辺 あー、シビアな見方だね(笑)。

佐々木 新聞社、出版社、広告会社とかメディアの人たちって、ある意味、特権的な立場じゃないですか。そういう人たちが「夢は必ずかなう」と言っているのは、もう夢をかなえているからですよ。

沢辺 とってもいい話が聞けたよ。

石川 いやあ、夢に向かってがんばります、っていうのはただの言い訳みたいなものかもしれないね。

沢辺 現実に使われてるその言葉は言い訳に使われてるよね。

佐々木 そうですね。

石川 では最後に一言、いま悩んでることは?

佐々木 彼氏との交際を親に反対されていることです(笑)。

沢辺 えっ、なんで?

佐々木 7歳上で合コンで出会ったのがよくないみたいです。

石川 えっ? うちは女房とは7歳差だよ。出会いが合コンというのが悪いんじゃない?

佐々木 むかしの人は合コンによくないイメージをもってるみたいです。へんな交友じゃないんですけど(笑)。

石川 (笑)どうも今日は長時間ありがとうございました。

◎石川メモ

仕事はいろいろな人とのつきあいを要求する

 佐々木さんは、中高一貫の進学校を経て、難関大学に進んだ。交友関係もみな有名大学出身者。就職した企業では正規職員で、カレシは広告マン。そんな佐々木さんが、「自分の生きてきた道とちがう道を生きてきた人びと」と出会う。すると、こんな人もいるんだ、と驚いたり、どう付き合っていいかわからなくなったりする。これを上から目線で、世の中、あんたのように生きてた人なんてほんの一握りなんだよ、と言うことに意味はないし、格差(学歴? 階層? お受験?)社会の問題とからめて扱うのも面白くない感じがする。
 たぶん、佐々木さんの体験は、「仕事はいろいろな人とのつきあいを要求する」ということとかかわっているはずだ。自分の交友関係は、気の会う仲間、同じような趣味、あるいは、同じような学歴でまとまっていてかまわないし、ほんとに〈ひとそれぞれ〉でかまわない。というより、これが交友関係の本質というものだろう。
 けれども、仕事となると「このお客さんは苦手だから、この同僚は気が合わないから相手するのやめちゃお」というわけにはいかない。気の合う仲間どうしで、〈ひとそれぞれ〉で済まされない部分がここにはある。なぜそれで済まされないかと言えば、わたしたちは働いて食っていかなければならず、どんな仕事も商売である(お客を選べない)からだ。
 佐々木さんは、いろいろつきあいに困りながらも、がんばって仕事をして食べている。そこに自己実現とか夢といった派手さはない。けれども、これが、仕事をするということの現実的な像、当たり前の姿だろう。

いま眼の前のやるべきことをしっかりやるべき

 「〜べき」より「〜したい」へ。そういうスローガンの延長に、「夢にむかってがんばろう!」という言葉もあるのだと思う。けれども、佐々木さんは、「夢にむかって……」なんて言っている若者は、自分の生活の足場を固めることを差し置いてぷらぷらしている人の言い訳しているだけではないか、と言う。むしろ、佐々木さんが重視してきたのは、眼の前のやるべきことだ。大きな夢や自己実現といったものを最初に置いたりせずに、とにかく、眼の前のやるべきことをしっかりやること。これはとても重要な指摘だ。
 「〜べき」ということは、もっと重要視されてよいキーワードなはずだ。もちろん、「〜すべき」に押しつぶされて心を病んでしまう人もいるだろう(“親にもっと認められるべき”、“会社でもっと成績を上げるべき”)。けれども、「〜したい」の系列、大きな目標さがし、やりたいことさがし、夢さがし、などなどで頭を悩ませる人があれば、むしろ、目の前のやるべきことに注目することを勧めたほうがいいはずだ。
 佐々木さんは、夢に向かってがんばることをよしとするような流行は、メディアのつくりだしたイメージだと言う。そして、そういうイメージを発信している人たちは、もう夢を実現した人たちだと言う。
 おそらくこういうことなのだと思う。じつは、その夢を実現した人たちは、さいしょから大きな目標などもっていなかったはずだ。むしろ、自分の眼の前のやるべきこと、そのひとつひとつにそのつど全力を注いできたはずだ。そして、その努力の結果として、ある一定納得できる状態のいまの自分がいる。その結果としての状態が「いま思えばこの状態は若い頃の夢だったかも」と受け取られているはずだ。けれども、伝えるほうのメディアの責任もあってか、結果のほうが先行してしまい、まず「夢が大切」となって、その過程のやるべきことの大切さがなかなかうまく伝わっていない。だから、夢や自己実現という言葉が独り歩きしてしまう。
 ボブ・ディランに「できることはしなきゃならないことなのさ しなきゃならないことをするんだよ だからうまくできるのさ」という有名な歌詞がある。この言葉のミソは、「“したいこと”をするんだよ」ではなく、「“しなきゃならないこと”をするんだよ」である点。「〜したい」よりむしろ「〜べき」の大切さ。このことを哲学でどう語っていくか。そういう課題を佐々木さんの「夢にむかって……」に対する批判からもらった。

序文

文・石川輝吉

若者のあり方から哲学してみる

 若者との話をきっかけに、哲学をもっと具体的なものにしたい。そもそも、哲学とは、考えることなのだから、その考えるきっかけは無数にあるはず。もちろん、若者だけでなく、世代は高齢者にまで広がっているはずだ。けれども、まずは、若者に話を聞くことからはじめたい。高校、専門学校、大学など、学校を卒業して働きはじめて2、3年、あるいは、大学を卒業しつつある学生の話を聞いてみる。人生のうちで、最初になにか壁にぶつかっていちばんなにかを考えている時期、その時期の若者の声をきっかけに、哲学をやってきた者としてなにかを考えてみたい。
 具体的にどのようなことが考えられるかは、まだよくわからない。でも、やってみる。哲学は現代的な問題にどういう問いを立てればいいか、それに対してどう答えることができるか。そういうことが若者の生の声を一人ひとり聞くうちに見えてくればいいと思う。

夢にむかってがんばります?

 さしあたって、このあいだの沢辺さんとの対談で出た内容を軸に若者に話を聞いていこうと思う。まず、ひとつの軸は、「夢」や「やりたいこと」というキーワードに象徴されることだ。自分もそうだったけれども、この社会の多くの子供は、「自分の好きなことをやりなさい・やっていい」、「がんばればなんにでもなれる!」と親に言われ育つのだと思う。そして、こう言われて育つことは、夢=自己実現=やりたいことをやって金を稼ぐこと、という理想をもつことにも通じていると思う。
 けれども、こういう理想は若者をしばっていないだろうか。なにかすごく大きな夢を実現して、成功してすごく立派になって楽しく生きて……。こういう「夢にむかって」みたいなスローガンで自分をしばってしまう若者は、自分を苦しめていないだろうか。たとえば、やりたいことは趣味でやって、仕事は生活するためにやる、という現実的な選択はできないでいるのかもしれない。そこが現代の若者の悩みどころかもしれない。
 現実はなかなか厳しい。夢に向かってゴーと言われて育ってきた子が、そうは言っても夢の通りに自由に何にでもなれるわけではない。若者たちは、どのように不況を知って、どのように思い通りに就職できない現実を知り、一体どのように冷めていくのか。
 けれども、夢にむかってがんばります! がいまの若者の一般的な姿でないかもしれない。大きな夢を抱くのではなく、もう中学生ぐらいの頃から、自分の立ち位置、将来どういった職業に就くのかをかなり自覚して、日々を送っているのかもしれない。ある意味で、さいしょから冷めている。この冷めている自分、自分を冷めさせている社会に不満をもっているのか。それとも、その冷め具合がいい具合になっていて、上手に現実の社会に着地しているのか。そのあたりがわかれば、夢にむかってがんばります! ではない若者のあり方もはっきりしてくるはずだ。

〈ひとそれぞれ〉

 ところで、若者の他者に関する関係はどうなっているのだろう? 自分の接する若者たちがよく使う言葉に〈ひとそれぞれ〉というものがある。この感覚はどれだけ広く共有されているのだろうか? 〈ひとそれぞれ〉という言葉は、一人ひとりの自由な生き方、考え方を尊重するような言葉だ。だれもがそれぞれに生き方、考え方があっていい。それはとてもいいことだ。
 けれども、私たちは他者といっしょに生きていかなくてはならないし、仕事とは、自分と異なった他者といっしょになにかをやることでもあるはず。〈ひとそれぞれ〉では済まされない場面もあるはずだ。そのようなとき、若者はどう自分の〈ひとそれぞれ〉の感覚と向き合っているのだろうか。〈ひとそれぞれ〉の自分の感覚と〈ひとそれぞれ〉では済まされない現実とどう折り合いをつけているのだろうか。若者の他者とのつきあいかた、コミュニケーションのあり方、コミュニティーのつくり方はどのようなものなのだろうか。こうした点を考えるために若者の〈ひとそれぞれ〉感覚についても見ていきたい。

哲学は使えるのか?

 上で言ってきたことは、ほとんど問いのかたちになっている。まとめてみれば、いまの若者の理想と現実、他者との関係を問いたい、その悩みのかたちを知りたい、整理したい、ということになる。こうしたテーマはじつは哲学が大むかしから考えてきた。けれども、哲学というのは、理想の問題なり、現実への着地の仕方なり、〈ひとそれぞれ〉で済まされない場合の他者に通じる言葉なりを、抽象的な概念で考える。抽象的な概念は、考え方のかたちを与えてくれる。でも、哲学の弱いところは、具体例が少なすぎる、という点だ。ほんとうは、パキッとはっきりした抽象概念の整理のおおもとには、「ぐずぐす」と悩んだ一人ひとりの具体的で現実的な人間がいるはず。このことをちゃんと取り込まないと、哲学は、抽象的な議論ばっかりやっていて、ちっとも現実に役立ちやしない、と言われる学問、一般のイメージどおりの小難しい学問になってしまう。
 いまの若者のあり方を見ること。これは哲学に具体性を取り入れることであるけれども、もう少し言えば、哲学を現実に試すことだ。だから、それまで哲学が提出した考え方でいまの若者のことがうまく理解できなければ、哲学のほうをあらためなくてはならないはず。現実にある問題をどう整理して、どう考えたらいいか、そういう言葉をつくりだすのが、哲学の役目で、そういう言葉を生み出してはじめて、哲学は使える、ということになるはずだ。

哲学を使えるよい品物にしたい

 ぼくのように哲学をやってきた者が、若者と話をして、どんなことが考えられるか。それはいまの段階で、ほんとのところどうなるかわからない。哲学者たちがこれまでどんなことを言ってきたか、ぼくは勉強してきた。けれど、自分が勉強してきたことを現実で試すような作業はほとんどやってきていない。現実と向き合って、自分の考えを試して鍛えることは怖いことでもある。けれども、哲学は自分の仕事だ。社会ときちんと向き合って、少しでも多くの人に有用な考え方を提示すること。これは、よい品物をきちんと売る、という哲学という市場の原理だ。この点にはまじめでいたい。もちろん、よい品物でなければ売れないわけで。だから、当然のことだけれども、よい品物、使える考え方になるよう努力していく。
 さしあたっては、いまの若者をどう考えるか、と急いでまとめに入るのではなく、それぞれの若者のナマの声を紹介していくことからはじめたい。若者からどれだけのことを聞きだせるか、というのは、ひとつのチャレンジだ。ストレートに自分を語ってくれないかもしれない。自分をつくって語る若者もいるかもしれない。けれども、協力者である沢辺さんといっしょに、若者の実像にせまるようどんどん突っ込んで聞いていていきたい。
 ちなみに、当然なことだけれども、これから話を聞いていく若者が若者のすべてではない。この企画では、若者の全体を完全に捉えようという大きな目標は置かない。ひとり話を聞き、ふたり話を聞き、といった具合に進んでいくうちに見えてくるものをこの企画は大切にしたい。その積み重ねの結果として、哲学、考えることが少しでも具体的で現実的になること。現代の問題が少しずつクリアになって、どう考えたらいいか、がわかってくること。こうしたことをえっちらおっちら、こちらも「ぐずぐず」と悩みながらめざしていく。
 それではまず、いまの若者の声を聞いていこう。

第1回 違う世界にいる人は、苦手──佐々木憂佳さん(24歳・女性・勤務歴2年)

2010-06-18

哲学者・石川輝吉の、ちょっと「ぐずぐず」した感じ

まもなく、哲学者・石川輝吉さんによる10代後半から20代前半の若者へのインタビュー連載「哲学者・石川輝吉の、ちょっと「ぐずぐず」した感じ」が始まります。
乞うご期待!

プロフィール

●石川輝吉(いしかわてるきち)
1971年、静岡県生まれ。英国エジンバラ大学哲学部修士課程修了。明治学院大学国際学研究科博士後期課程修了。現在、桜美林大学非常勤講師、和光大学オープンカレッジ「ぱいでいあ」講師。

石川輝吉さんへのインタビューはこちら。
「談話室沢辺 ゲスト:石川輝吉 若き哲学者が考える、今を生きるための「哲学」とは」