2010-08-13
第4回 現実を知っても、夢は諦めきれない──岡村大輔さん(23歳・男性・アルバイト1年目)
岡村くんは1986年青森県八戸市近郊の町で生まれた。現在23歳。父親は地元で公共工事なども請け負う電気店を経営。中学校、高校は地元の公立校に進む。高校は進学校だったが、二年生で中退。その後は親の仕事を手伝いながら通信教育の高校を卒業した。卒業後、東京の映画の専門学校へ進む。専門学校時代は脚本ゼミに所属。シナリオ協会の新人賞で佳作をとる。映画学校卒業後、いまは、アルバイトをしながら、映画関係の仕事に就くこと(自分の脚本が世に出ること)をめざしている。
岡村くん自身はコミュニケーションが苦手だと言うけれど、こちらとしてはけっこう話せる人の印象。高校ドロップアウト時代のトラウマでそういう自己認識になっているのかも。
*2010年4月24日(土) 18時〜インタヴュー実施。
「学校の雰囲気になじめず、人が怖くなって。友達もいなくて」
岡村くんは中学校までは比較的勉強ができ、地元の進学校にも進む。けれども高校をやめてしまうことに。その後、父親の電気店を手伝ってすごす。兄弟は双子の兄と一つ下の弟がいる。兄も高校をやめ、いまは岡村くんと一緒に東京に住んでいる。弟は佐川急便に就職。弟は兄たちとは一緒に住んではいないが、東京で一人ぐらしをしている。
石川 勉強はできた?
岡村 中学までは勉強ができたんですけど。高校で数学で挫折しまして。高校のレベルは東北大学に年にひとりかふたり行くような地元の進学校です。
沢辺 弘前大学は?
岡村 十数名受かるような学校です。
石川 じゃあ、地元のできる子が行く高校なんだ。
岡村 県内では三つほど有名進学校があるんですが、ぼくの行っていた高校はその下のレベルです。
沢辺 引きこもりってことなの?
岡村 ちょっとした引きこもりにはなりましたけど、学校の雰囲気になじめず、人が怖くなって。友達もいなくて。数学の先生に集中攻撃を受けたので。
石川 先生にいじめられたのがやめた原因だったの?
岡村 怒られるのが怖かったんで。それから、友達ができないのが大きかったんだと思います。
石川 いま、23歳で整理するのは難しいかと思うけど、けっきょく、原因はなんだったんだろう?
岡村 自意識がつよかったのが原因だと思います。そこで人生をあきらめたというか。
石川 自意識って?
岡村 人にどう見られてるかがいつも気になって、ばかにされてるんじゃないかと。
沢辺 誰も見ていないのに?
岡村 そうですね。だれもぼくなんか見ていないと思うんですけど、ばかにされてるんじゃないかと思って。学校行きたくなくなって、一回引きこもって。そのあとは、うちが電気屋で、電気工事もやっていたので、テレビのアンテナの設置の工事を手伝ってました。
石川 じゃあ、実家は人を使っているようなお店?
岡村 従業員は父親と母親と、技術に秀でている人が一人います。ぼくはその技術のある人についていって工事をやっていました。
石川 どんな工事?
岡村 ぼくは助手でぼーっと見てて。アンテナやエアコンの設置の工事とかをやってました。冬には、テレビの共同アンテナの工事をやって、小さな電柱のようなものを立ててました。
石川 お父さんとしては「学校やめたんだからお前うちで働くか?」という感じになったの?
岡村 ぼくが家でぐだぐだしていたので、「なにもやらないんだったら働け」となって働くことになりました。
石川 お父さんとしては学校をつづけてほしいと思っていたのでは?
岡村 そういう気持ちはなかったと思います。どちらかと言えば「うちの会社で働けばいいや」と。母親のほうは、学校やめたのは残念がっていたと思います。
石川 お母さんは将来こういうふうになってほしいとか具体的に言ってた?
岡村 「英語はしゃべれるようになってほしい」と(笑)。英語を話せれば仕事が増える、という考えで。大学には行ってほしいと思っていたはずです。
石川 お父さん、お母さんいくつ?
岡村 母親が55、父親が56です。
石川 兄弟は?
岡村 双子の兄が一人いまして、あと、一つ年下の弟がひとりいます。
沢辺 兄貴は似てる?
岡村 二卵性なので似てないと思います。
石川 兄さんは何している人?
岡村 同じ映画学校です。
沢辺 じゃあ、大変だったね〜。
岡村 金かかるんで。兄はいま在学中で。ぼくよりあとに東京に出てきました。家を手伝ったあとこっちに来て、ぼくと同じく映画が好きです。
沢辺 兄貴も同じ高校だったの?
岡村 同じ高校で同じ時期にやめて。
沢辺 それ親からしたらめんどくさくてたまんないだろ?
岡村 たまんないですね(苦笑)。
石川 二人とも「一緒にやめよっか」と申し合わせてやめたの?
岡村 そういうわけではないですけど。兄貴は自分より行かなくなったのははやかったです。けれども、留年して高校出ようかやめようか迷っていたようで、やめたのはぼくより遅かったです。
沢辺 岡村くんはドロップアウトだよね。引きこもりとは違うよね?
岡村 引きこもりとはちがうかもしれません。ただ、休日に外に出るのは怖かったです。同じ高校のヤツに会うんじゃないかと。仕事は作業着でよかったんですけど、みんな高校になればお洒落になってて。そういうのに対してコンプレックスをもっていました。お洒落なみんなに会うのはいやだ、と。
沢辺 でも、映画には行ってたんじゃない?
岡村 映画館に行くようになったときはもう自分でも服を買うようになっていて。
石川 映画館に行くようになったとき、と言うと?
岡村 高校をやめて、一年間ぐらいはあんまり外には出なかったですね。仕事以外では。
沢辺 じゃあ、映画館に行くようになったのは親を手伝うようになってしばらくしてからだと思うんだけど、映画が好きなんだと自覚をもったのはいつぐらい?
岡村 高校をやめてからですね。ぼくは現役より一年おそく、19歳で映画学校に入りました。兄貴は二年遅れて20歳で学校に入りました。
沢辺 弟は?
岡村 佐川急便につとめていて、いま東京に住んでいます。
沢辺 まさか一緒に住んでないよね?
岡村 いま自分は兄と一緒に住んでいて、弟は別です。今年寮を出たようで。弟とは疎遠なのであまり連絡をとってないです。
沢辺 弟は勉強できた系?
岡村 いえ。弟は夜遊びをするようなタイプで。髪の毛は染めてなかったですが、だぼだぼのズボンを履いて、キャップをかぶるB系でした。
沢辺 弟は高校は卒業した?
岡村 卒業しました。公立ですが。本人は食物調理科に入りたかったようですけれど普通科しか行けなくて、目標を失って、それから、おちこぼれというか夜遊びをするような感じですね。なにをしてきたかわからないですが、朝帰ってきてました。まったく遊ぶところがない町なんで、友達の家でゲームしたり、たばこ吸ったりしてたと思います。
石川 岡村くん自身は友だちとは遊ばなかったの?
岡村 友だちと遊んだという経験はないです。ゲームをひとりでやったりとか、借りてきたDVDを観たりとか。
「田舎の人間を見下していたというか、田舎にいたとき、自意識が強くって、なんだこいつら、と見下していました」
高校をやめた岡村くんは映画をかなり観るように。そこで自分でも映画をつくりたい、漠然と、監督になりたい、と思うようになり、映画の専門学校に進むことになる。
石川 田舎にいたときはどれだけ映画を観てたの?
岡村 衛星放送の映画も録画して観ていたので、一日一本は観ていたと思います。
石川 どんなものを観ていたの?
岡村 むかしのハリウッド映画とか。
沢辺 いちばん好きな映画は?
岡村 ジョン・フォードの映画が好きなので、「荒野の決闘」とか。ゴダールの「気狂いピエロ」とか黒澤明の「用心棒」とかです。ジャンルは限定せずにいろいろ観てました。
石川 でも、古典だよね。新しいやつは観なかった?
岡村 新しいやつは、ガス・ヴァン・サントの「エレファント」とか。コロンバイン高校の銃乱射事件を描いた映画です。
沢辺 川島雄三は?
岡村 好きですね。「しとやかな獣」が好きですね〜。
沢辺 いかにも映画学校って感じだねえ。ゴダールとか観てるヤツっていやらしいよなあ(笑)。
石川 ぼくもそういういやらしいタイプだった(笑)。「まわりはたのしくやってたけど、おれはちがうものもってるぞ」みたいな気持ちで映画観てました。
沢辺 けっこうみんなそうなんじゃないか? オレもそうで、はずかしいけど、子供はみんな大人になろうとしてそういうことやるよね。
石川 ところで、岡村くんは、どうしてその学校を知ったの?
岡村 インターネットで知りました。
石川 映画やりたい、って気持ちもあったと思うけど、ほかには動機があった? 「もうこんな生活いやだ!」とか。
岡村 「田舎はいやだ!」というのはありましたね。
沢辺 いまどき「田舎がいやだ!」っていう同級生っている? 俺らの頃は、「いやだ!」ってのはありだったろうけど。
岡村 そうですね。地元が好きな人が多いですね。
石川 岡村くんだけなんで田舎がいやだったんだろう?
岡村 田舎の人間を見下していたというか、田舎にいたとき、自意識が強くって、なんだこいつら、と見下していました。田舎だとミニシアター系の映画なんか3ヶ月や半年遅れてくるので、それだったら東京だといっぱい映画が観れるかなと思って。
沢辺 って言うか、ミニシアター系って、そもそも来るの?
岡村 来るんですよ。
石川 どこに来るの?
岡村 シネコンに(笑)。
沢辺 八戸の?
岡村 フォーラムという会社があって、そこはミニシアター系の映画も上映して、観られるようになったんです。
石川 週にどれくらい観ていた?
岡村 週に二回は見ていました。
石川 それで、いよいよ学校に行くときに試験とかあったの?
岡村 推薦というかたちだったので、「自分の身近にいる面白い人物を書いてください」という作文と面接がありました。
石川 身近な人物を書くって、でも友だちいないんじゃなかった?
岡村 一人いたんで。自分と同じような感じの(笑)。体が弱くて、学校やめちゃって、ゲームばっかりやっているやつで、女を襲うとか、レイプするとか、そんな妄想をしゃべるような変なやつです。
石川 そいつ危ないじゃん(笑)。そいつについて書いて面接受けたら通ったんだ。
岡村 後で聞いたら、まあ、こいつはだめだろう、という感じの人以外は通るみたいです。
沢辺 ところで、それまでは映画を観てたのしんでいたと思うけれど、自分が作り手にまわるというのはちがうよね?
岡村 学校に行くまえは、その想像力はまったくはたらかなかったですね。作れるものだと思ってたんですが。
沢辺 岡村くんの行っていた映画の専門学校は、その世界ではいちばん権威のあるところだと思うんだ。けど、とはいえ、その専門学校に行っただけで、どれくらい映画の仕事にかかわれるかといったら難しくない?
岡村 そうですね。かなり難しいですね。でも、最初はそういうことを知らずに、学校側の宣伝では「うちはいちばんスタッフを輩出しています」となっていたので、そのときはスタッフという概念もなかったんですけど、ここに行けばなんとかなるんじゃないか、と思って行きました。
沢辺 おれの認識では、監督、助監督以外は現場職でさ。照明屋さん、録音屋さん、道具系、編集、スクリプターみたいなのっていうのはさ、映画を支える現場の人で、その延長で監督や助監督になれるってわけじゃまったくないと思うんだよ。だから、スタッフは下請け化されていて、映画だけじゃなくNHKのドキュメンタリーも撮る。そこに派遣されていくという感じになっている。監督になるとか脚本を書くとかいうのはそういう仕事じゃないじゃん?
岡村 そうですね。まったくちがいますね。
沢辺 で、昔だったら東宝だとか映画会社に入れば監督コースがあって。
岡村 そうですね。むかしは、がんばればなんとか助監督になれる、という保障がありましたね。
石川 へぇ、そういうシステムだったんだ。
沢辺 いまはそういう撮影所システムがほぼなくなっちゃっているので、たとえば、ぴあフィルムフェスティバルとかで賞をとらないと監督にはなれなくなっている、みたいなんじゃない?
岡村 そうですね。うちの学校から賞をとって監督になった人もいますが、知っているかぎり一人です。いまは、自主映画から賞をとって監督になるコースと、誰かの助監督と師弟関係になってデビューするコースがあるだけだと思います。
沢辺 撮影所システムがなくなったあとでも、むかしはピンク映画コースっていうのもあったんだよね。だからピンクに飛び込めばさ……。
岡村 二、三年で監督になれる、っていうのがあったんですけどね。
沢辺 そのコースはいまはどうなってる?
岡村 まだあるんですけど、いまはピンクの製作本数がどんどん減っていて、そのコースは薄いですね。
沢辺 アダルトビデオから、ってコースはあるの?
岡村 アダルトビデオからは平野勝之さん、松江哲明さんがいます。
「学校に入ったら、ばけの皮がだんだんはがれて」
プライドの高い岡村くんは映画の専門学校に入って、先生たちにケチョンケチョンにやられることになる。メッキがはがれて、自分の弱さを認めるようになると、少しずつ友だちもできはじめる。
石川 親は東京に出ることをすぐにオーケーしてくれた?
岡村 ぼくを大学に行かせるためにお金を貯めてくれていて、お金の点では大丈夫でした。
石川 学費は一年でどれくらいかかるの?
岡村 一年目が130万で、2年、3年が80万円でした。
石川 親は「いいよ」と?
岡村 そうですね。そこらへんのところはもめませんでした。けれどもじいさんが「なんで行くんだ」と言って、ちょっともめました。
石川 お父さんは、うちを継げばいい、と思ってたんじゃない?
岡村 ぼくが「映画をやりたい」と言って、たぶんいやだったと思います。でも、おやじは「好きなことやってりゃいい」と言う人で。内心は家業を継いでほしかったと思いますが。母親はおやじの言うことに対して反対を言わない人だったので、父親が許したのならそれでいい、ということだったと思います。
石川 それで、東京に出てきて、生活はどうしたの?
岡村 仕送りで。
沢辺 犯罪だね〜(笑)。いくらくらいもらってたの?
岡村 家賃含めて月12万です。
石川 ちなみに、どこに住んでたの? ワンルーム?
岡村 学校の近くの新百合ヶ丘に住んでいて、じっさいは駅で言えば百合丘が近いですが。4万9千円の部屋です。
沢辺 便利なとこだね。下北沢にも一本だし。
岡村 遊んでました(笑)。
石川 (笑)アルバイトは?
岡村 やってなかったです。
沢辺 バイトをやってなかったら、それはそれで大変だね。
岡村 あと、これ言っていいかどうかわからないですけど、ばあちゃんが50万円、親にはないしょでくれたんで。
沢辺 涙がでてくるよ〜(笑)
石川 (笑)お金は主になにに使っていたの?
岡村 映画を観るのと、学年が上がると講師の方と呑む機会があったので、それに使いました。
沢辺 犯罪だよ、犯罪(笑)。
石川 (笑)映画監督をめざしてこっちに上京してきたと思うんだけど、上京してなにか知ったことはある? 現実はきびしいとか?
岡村 まず、自分に才能はなかった、ということですね。でも、才能がないから、映画めざすのをやめよう、というものではなくて。田舎にいるときは映画を簡単に撮れると思っていたけれど、眠れないぐらいやんなきゃ映画は撮れないということがわかりました。それから、自分の書いた脚本について、「最低!」とか「才能がない!」とか「葛藤がない!」とか「テーマがない!」とか厳しいことを言われるので、そこでも、自分には才能はないのではないかと。
石川 そう言えば、監督と脚本はちがうよね?
岡村 一年のときに監督は無理だと思ったんです。東京に出てきたばかりのときは、田舎の引きこもりの気分を引きずってて。コミュニケーション能力がそんなになくて、クラスメートとあまりうまくいかなかったんです。それで、ひとりでやれそうな脚本ゼミに行ったんです。けれども、脚本ゼミと言っても、一人で脚本を書く作業が中心ではなくて、何人か集団で実際に自主映画を撮るゼミだったんです。そこでコミュニケーション能力はついたと思います。
沢辺 そうだよね。映画は集団芸術だからね。
石川 じゃあ、脚本のゼミでは一応ひととはかかわれるようになったんだ。
岡村 そうですね。学びました(笑)。一年のときはつっぱってましたが。
石川 友だちできた?
岡村 できました。それまで、友だちがいなかった人、自分と同じような仲間です。
石川 岡村くんのようにプライド高い人たちだったらうまくいかないと思うけど?
岡村 自分もそうですけど、学校に入ったら、ばけの皮がだんだんはがれて。強がってても、講師の方にいろいろ言われることで自分の弱さが出てくるので、そういう意味でお互いダメだということがわかって。それでダメさを交換するような仲間ができました。
沢辺 田舎じゃ、映画を観ていないまわりをばかにして「オレ、ゴダール見ているけど」と言っていきがっていられるけど、学校に入ったらまわりも自分と同じようなやつだし、なんといっても、自分より映画を知ってる先生たちからは「ゴダールごときで、オマエ、なに言ってるの?」って一発で粉砕されちゃうよね。
岡村 そうですね。先生たちは自分より映画を観ているから。
石川 はじめてメッキがはがれるわけだね。
沢辺 みんなと同じようになるから、つっぱっててもしょうがないや、ということになるよね。
岡村 そうですね。上の人たちにはかなわないな、と思って、低姿勢になりましたね。それまで、年上の人たちをばかにしていました。それに、高校のときは先生に厳しく言われたら、すぐに「俺は否定されている」と思っていやになったんですけど、いまは怒られても前向きにとらえるようになりました。
石川 それにしても、それまではいやなやつだったね〜。まわりの人間には「オマエ、ゴダール見てないだろ!」ってバカにするし、先生には反抗するし(笑)。
「青森にいたころより格段にいろんな映画が観れています」
岡村くんはいまは双子の兄と二人暮らし。アルバイトは年金関係の会社に派遣として行っている。稼いだお金のほとんどを映画を観ることに費やしている。
沢辺 いま、何しているの?
岡村 派遣で年金の取立てをやっている会社で働いています。時給は千円で、週四日働いています。月に10万円ぐらい稼いでいます。それで家賃はまだ親に出してもらっているんですけど(苦笑)。いまは柿生の5万8千円のところに住んでいます。
沢辺 まあ、まだ学生の兄貴と二人だから理屈はつくよな。
石川 10万円はだいたいなにに使ってるの?
岡村 まずは年金の関係の仕事をやっているので年金は払ってますね(笑)。あとは、食費、遊ぶ金、それから貯金も考えていますけど、なかなかたまりませんね。CD、DVD代、レンタル代、それから映画を観に行くお金で使ってしまいます。映画館で観るのも含めて、週に三回ぐらいは映画を観ます。
沢辺 映画“館”としては主にどこに行ってる?
岡村 そうですね。シネマヴェーラ、ユーロスペースとか。
沢辺 「バサラ人間」(監督山田広野、ポット出版も出資)とか観た?
岡村 観ました。
沢辺 偉いね〜(笑)。
岡村 こっち来てから、ロマンポルノの特集とかも観ることができて青森にいたころより格段にいろんな映画が観れています。
石川 学校出ても、先生たちとの付き合いはつづいている?
岡村 そうですね。飲み会に行ってます。
沢辺 先生たちの出している雑誌は手伝わされてる?
岡村 それはないですね。
石川 話は戻るけれど、ごはんは自分でつくってる?
岡村 作るときはあります。
沢辺 米炊ける?
岡村 炊けます。
沢辺 味噌汁作れる?
岡村 作れます。
沢辺 出汁どうやってとるか知ってる?
岡村 出汁は煮干で。
沢辺 おっ!
岡村 ぼくの場合は、はらわた、頭をとって、一晩水につけて、朝に豆腐切りながら、鍋の水が沸騰したら煮干を上げて、豆腐を入れて三分ぐらいして、豆腐に火が通ったら味噌を溶き入れて。というかたちで味噌汁をつくることはあります。
沢辺 田舎の母さんから食い物から着るもの送ってくることある?
岡村 米とかドリップコーヒーとか。
沢辺 うざくない?
岡村 やっぱ着るもんはちょっと。
沢辺 俺も着るものはいやだったな〜。着るものは趣味があるからさ。
石川 ぼくもパンツとか送られて困ったことありましたね(笑)。
岡村 でも、食べ物をつくるようになったのは最近です。それまでは、マックだとか吉野家だとかサイゼリアとか、安いところで済ませてました。
石川 煮干で出汁をとるのはお母さんがやってたのを見てそうするようにしたの?
岡村 いいえ。本を読んで知りました。
「危機感をもたなくてはやばいですね」
岡村くんは、いまは専門学校時代の先生からもらった脚本の仕事をやっている。これは学校の教材。けれども、いつまでもこの仕事をもらえるという保証はない。自分の脚本を何とか書かなくては、という危機感がある。
沢辺 ところでさ、ひきつづき今も映画をつくろうと思ってるの?
岡村 「なにがなんでも映画だ!」っていう気持ちは落ちてるんだと思います。仕送りがなくなって「生活費を稼がないとな」と思っていま働いています。
沢辺 これまで映画はなにか撮った?
岡村 映画は撮っていなくて、短い脚本を書いたりしていました。
沢辺 何本ぐらい。
岡村 三本ぐらいです。
沢辺 いちばん最近だといつぐらいに書いた?
岡村 学校の先生から仕事をもらっていま書いているところです。学校内の実習のために、ほんとに短い五分ぐらいの脚本をやらせていただいてます。ギャラは、一本五枚ぐらいの量で1万円です。
石川 そういう声って全員にかかるわけじゃないよね?
岡村 以前に書いたものが評価されて声がかかりました。
沢辺 だってシナリオ協会の新人賞で佳作なんだから。まあ、佳作になったからってどうってことないと思うけど。それに、その賞と映画学校との人脈が強そうだし(笑)。
岡村 ぼくが入賞したときも、賞をとったのは全員、同じ映画学校でぼくと同級生のやつでした(笑)。
沢辺 とはいえ、あんまりひどいやつは佳作にしないとは思うけど(笑)。
岡村 そうですね(笑)。
石川 それでもいまは脚本の話が来てるんだから、まだ脚本を書いていきたいとは思ってるんだ?
岡村 このまま先生と付き合っていれば、もしかして、もっと本格的な脚本の話がくるんじゃないかと。
沢辺 そりゃ甘いだろ(笑)。
岡村 甘いですね(笑)。
石川 どうしたらいいんだろうね?
岡村 先生には「いまは貯める時期だ」、「本読んで、映画観て、いろいろ経験しろ」って言われてて、ぼくとしては、そうか、そういう時期だと思ってその気になっているところです。
沢辺 そうだけどさ。書きつづけてたほうがためになるんじゃないか。頼まれた脚本を何本か書いているだけではだめでしょ。貯めていて、三十になったら書き出して、いいものができるという可能性はなきにしもだと思うけど。
岡村 去年は、先生からもらった仕事だけしかやってなくて、やばいな、と思って。今年は自分で長いものを書こうと思います。
沢辺 ちょっとやなこと言うようだけど、学校からは毎年卒業する学生がいるわけだよね。そうすると、先生が実習用にシナリオ書かせようという学生もまた出てくる。それ、やばくない?
岡村 危機感をもたなくてはやばいですね。じっさいに、後輩がまた佳作をとったので。
石川 そのコンクール以外ではシナリオを発表する機会はどれくらいあるの?
岡村 コンクールはいくつかあります。採用されることは滅多にないけれど、プロデューサーに直接もっていくという方法もあります。自分で自分のシナリオをもとに映画を撮るという手もあります。
石川 そういうことにチャレンジはしないの?
岡村 自主映画かな、と自分では思ってるんですけど。いまお金がない状態で。
沢辺 でも、いま、映画を自分でつくるならそんなにお金かからないよ。
岡村 そうですね。20万、30万でできますね。
石川 たとえば、いま23だから、30までを区切りとしたら、なにかそれまでに目標は?
岡村 30までに配給会社がつくシナリオなり映画を一個つくりたい、かたちにしたい、というのはあります。それでだめだったらやめよう、という考えもあります。実家の電気屋を継げばいい、という気持ちもあるけれど、いま電気屋業界も厳しいんで。
沢辺 オレの編集したプロモーションビデオを見せよう(パソコンを開いて自分のバンドの映像を見せる)。これなんて編集30分だよ。だから、もう誰でも映画を作れてしまうんだよ。
岡村 そうですよね。いまほんとにそういう状況ですよね。
石川 そういえば、脚本だけ書いてる人っているの?
岡村 います。でも、脚本だけで食えている人はほとんどいません。
沢辺 厳しいよね。プロの人でさえ、いつも、「金ない、金ない」と言ってるもん。とはいえ、けっこう夢がある系だね。岡村くんは。
岡村 そうですね。厳しい現実を知ってもあきらめきれてないというか。
石川 ほかの仕事は考えなかった?
岡村 ほかの仕事はできない、ちゃんと会社勤めなんかできない、と思い込んじゃって。
沢辺 その場合の仕事ってどういう範囲なの? たとえば、弟みたいに佐川急便の仕事だってあると思うけど、その仕事というのは、四年制の大学出て就職活動してするような仕事のこと?
岡村 そうですね。大学出て会社に就職するというイメージですね。ぼくの場合はそういう道はもうないので、バイトをしてなんとか脚本書いて、映画を撮ろうと思っています。とにかく映画界にかかわりたいという気持ちがあります。
沢辺 かかわるだけだったら、いろいろな方向があると思うけど。
岡村 助監督にしてください、と頼みにいったことがあるんですけど、「オマエは助監督には向いていない」と言われて。
沢辺 そうだよね。岡村くんは引きこもりだし。映画は集団芸術だから。とはいえ、いまはっきりこうなるという方向性がなくてもいいとも言える。みんないきがかりだと思うよ。石川さんだって、23歳のときはそんなはっきりした将来の方向性なかったんだから。
石川 そうですね。かなり漠然としてましたね。
岡村 ぼくもその場、その場を生きているって感じです。
沢辺 いまは人生80歳までぐっと伸びた時代だから、23歳なんてまだまだひよっ子だよ。だから、まだまだ自分は子供だと思えばいい。
「人からブサイクって言われますけどね(笑)」
岡村くんは、インターネットは頻繁にやるけれどもPCでメールのやりとりはあまりしない。mixiは登録しているがあまり使っていない。Twitterもやっていない。けれども、携帯代は月に1万円。コミュニケーションは苦手と言う岡村くんだけれど、友だちはいる。ただ、女の子にはちょっと苦手意識が。
石川 岡村くんは、コミュニケーションが苦手だと思ってるみたいだけど、こんなところまで出てきてインタヴューの相手をしてくれるんだから積極性あるんじゃない?
沢辺 なんでインタヴューに来てくれたの?
岡村 これもなにかいい経験になるんじゃないかと思って来ました。
沢辺 そういえば、携帯もってる? パソコンは? インターネットは?
岡村 携帯はもってます。パソコンもあって、インターネットはよくやります。
沢辺 携帯代は月どれくらい?
岡村 月1万円ぐらいです。
石川 1万円ってけっこう高いよね。
沢辺 友だちいるじゃん! 1万円だったら毎日数分の通話はかならずやってるよ。オレなんて、友だちいなかったよ。高校中退して、家を飛び出して一人で四畳半のアパートで暮らしてたんだけど、昼間はクーラー屋のバイトをしてて、同僚は年の離れたおじさん。それで、夜間高校へ行ったんだけど、まじめな苦学生が多かった。昼間は看護婦さんやっている人や自衛隊員もいて、ちゃんと働いていた。高校中退組は、まじめに勉強して大学に入ろうとしている生徒が多かった。オレなんてバイトで不良系だったから友だちできなかったよ。昼はおじさん、夜は友だちいなくて、孤独で気がくるいそうだった。それで、メールは1日何通ぐらい書く?
岡村 書かない日もありますけど、平均で言えば3通ぐらいだと思います。
沢辺 おれは仕事以外でメールなんてしないよ。どんなやりとり?
岡村 自分から最初にメールするより、むこうから「いまヒマ?」、「あの映画観た?」というメールが来て、それに「ヒマだよ」とか「観たよ。面白かった」と返信してコミュニケーションすることが多いです。
沢辺 彼女は?
岡村 いないです。
沢辺 いままでいたことある?
岡村 一回。中学校のときひとりだけです。
沢辺 孤独な日々を過ごしてるんだ。
岡村 女性がちょっと怖いというのもあるんで。たぶん、小学校のときに女の子にいじめられた経験がトラウマになっているんだと思います。
沢辺 でも、べつに岡村くんはブサイクでもなんでもないよ。
岡村 でも、人からブサイクって言われますけどね(笑)。
沢辺 ちょっと頭が薄気味だけど。別に普通だよ。オレに普通の顔があればな。あと、なんか頭の薄くなり方がちゃんと前からで、ショーン・コネリータイプでいいよ。(自分の頭を見せて)おれなんて真ん中からだから、フランシスコ・ザビエルみたいでいやだよ。まあ、年齢的に若いから頭が薄いのがちょっといやだと思うけど、場所的にはいいじゃん。
石川 年齢が行けばけっこういいかもね。
岡村 それはよく言われますね。
石川 なにかこの子いいな、と思う女の子と接する機会は?
岡村 そういうコミュニケーションはありませんね。恋愛というかたちのコミュニケーションはまったくないですね。
沢辺 風俗は?
岡村 ときどき行ってます。
沢辺 なに系?
岡村 ソープです。
沢辺 本格派だね。
岡村 童貞だったんで、確実に本番ができるということでソープに行きはじめました。
沢辺 最初の人はどういう人だった?
岡村 30歳は超えていたと思いますが、かわいい人でした。こんなかわいい人がいるんだ、っていうか、そういう感じでした。
石川 そんないい人だったら、その人のところにはその後何度も通った?
岡村 いえ、そういうわけでもなく。
「映画を観たりしてぶらぶらと」
これからどうやって生きていくか? アルバイトも出会いもいまはじまったばかり。これまで岡村くん(と岡村くん兄弟)を支えてきた実家の電気屋さんも地デジ景気の終了後どうなるかわからない。
沢辺 これからどうやって生きていくの?
岡村 ……ちょっと答えるのが難しいですね。
沢辺 道具とか使うのは好き? ビデオカメラとか。
岡村 そんなに好きじゃないですね。
沢辺 PCは?
岡村 パソコンはありますけど好きってほどでもないですね。
沢辺 じゃあ、借りてきたDVDをコピーしたりはする?
岡村 そういうことはしませんね……。
石川 コールセンターには女性はいる?
岡村 ほとんど女性ですが主婦ばっかりですね。
石川 なにかそこで出会いでもあればと思ったんだけど。
沢辺 大人趣味はなし?
岡村 大人趣味もちょっとあるんで。おばさんでもいいかなと。でも、なにしろバイトをはじめたばっかりなんで。
石川 あれっ? バイトはじめたばっかりって、去年の春学校を卒業して、それからなにしてたの?
岡村 親の援助で(笑)。引きこもってはいませんけど、映画を観たりしてぶらぶらと。そんな生活をしていたら「ほんとにオマエひどいな」と先生すじから説教されまして。それでこの春からバイトをはじめました。親の仕送りも自分から言ってやめてもらってます。
石川 これまでお兄さんにも仕送りしてたわけだから、それじゃあ、実家の電気屋さん相当繁盛しているんじゃない?
岡村 1万人ほどの人口のその町はほとんどカバーしていると思います。もちろん、最近は量販店もできて以前ほど景気はよくありませんが。あと、学校関係など公共工事も請け負ってますので。それから、ここ数年は地デジの影響で、テレビは売れてます。2011年まではなんとかなる、と親は言ってます。
沢辺 11年までか?
石川 そうですね。今日はどうもありがとうございました。
◎石川メモ
かっこいいようなかっこわるいような
青森の小さな町に自意識過剰の少年がいる。少年は学校をドロップアウトした。友だちはいない。親の電気屋をぼーっとしながら手伝っている。そんな少年を、映画の世界だけがいきいきと魅きつけてた。少年は都会に出て、映画監督を志す。こういうふうに書くとかっこいい。
けれど、東京に出た青年は、バイトもせず、親の仕送りやばあちゃんのくれた金で数年間ぶらぶらしていた。学校には行っていたけれど、自分で撮った映画は一本もない。こう書くとかっこわるい。
けれども、かっこいいのもわるいのも含めて、これが現実なのだと思う。自分もそうだったけれど、たとえば、引きこもりが可能になるのは引きこもらせてくれる親がいるからだ。阿部和重の『ニッポニア・ニッポン』の最後に、ある引きこもり少年が登場する。少年は昼すぎに起き、キッチンのテーブルの上には、親のつくっておいてくれた食事がきちんとラップをかけて置いてある。これがとてもリアル。親は働きに出ている(たぶん)。それで、引きこもりの子供にちゃんとごはんを用意してくれている。ラップをかけて、あとはチンするだけにして。
これを、子の甘えと親の甘やかし、と言ったらそうだろう。けれど、むしろ、こうした関係はもはや現代の親子の「構造」だと言ったほうがいい。そういうふうに子も親も、ある意味で自然にふるまっている。このことを前提にものごとを考えたほうがいいような気がする。
岡村くん、これからどう生きていくのだろうか。また話を聞きたい。
これからどうなっていくんだろう?
このインタヴューの時期、岡村くんは人生のターニングポイントだったはず。仕送りをやめてもらって、バイトをはじめたばかり。請け負い仕事ではなく、自分のための長い脚本を書かなければ、映画を撮らなくては、と考えはじめたこところ。バイト先はおばさんばかりかもしれないけれど、そこで新しい出会いがあるかも。
その後、バイトはどうなったのか? 自分の脚本は書いているのか? 自主映画撮ってるのか? 彼女はできたのか? これもまた話を聞きてみたい。