2011-05-19

第11回 ここがこう動いて、つぎにこうするとこう動く──武田一雄さん(22歳・男性・大学3年生)

武田くんは、1988年に埼玉県の朝霞市に生まれ育つ(22歳)。現在は東京都内の理系の大学で電気関係を学ぶ大学三年生(就職活動中)。
理系で技術者をめざす若者はこのインタヴューでははじめて。電気の仕組みなど、なかなか聞けない技術的な話、技術屋としての仕事観を聞くことができた。電気の話をわかりやすく説明しようとしてくれる時の楽しげな表情が印象的。もちろん、「理系」というキーワードでは括れない、ひとりの個人としての武田くんのあり方もこのインタヴューでは具体的に聞くことができた。
*2011年3月16日(水) 18時〜インタヴュー実施。

「ぼくは強電系に興味があって、モーター関係、モーターそのものやモーターを制御するインバーターについて興味があります」

まずは武田くんの専門の電気の話から。話は、モーター、電車、電力供給の技術へと広がっていく。インタヴューを行った日は、東日本大震災からまだ一週間もたっていない3月16日。話はおのずと計画停電を含め、送電に関する技術的な問題にまで至ることになった。

石川 おいくつですか?

武田 22歳です。理系の大学に通っています。一年留年して、今度4年になります(苦笑)。

石川 留年というのはどういう理由で? 

武田 単位が取れなくて。三年を二回やっていました(笑)。

石川 そんなに進級するのが大変なの?

武田 私が留年したときは、進級できたのが6、7割です。学科によってこの割合のばらつきはありますけど。

石川 大変なんだね〜。

武田 まあ、自分の勉強不足というのもありますけど(笑)。大学は電気の専門の大学です。

沢辺 そこって、おれがよく行く大学だね。電子書籍の共通ルールをつくってるひとがいる大学だ。

石川 そこで、武田くん自身のご専門はなんですか?

武田 電気、電子に関するものをやっています。強電から弱電、プログラミングまでやっています。モーターを動かしたりするのが強電で、電圧が高いものです。弱電は半導体とかにかかわる電圧が低いものです。プログラミングはあんまりできないんですけど(笑)。

石川 プログラミングというと、もちろん、パソコンで?

武田 そうですね。C言語でプログラムをつくります。もちろん、そういう情報系を専門にやっている学科もあるんですけど、ぼくらもプログラミングを学びます。

石川 なかなか専門的な話だけれど、そういう専門的な学問なので留年してしまう学生も多いということ? 

武田 まあ、う〜ん、そうですかね(苦笑)。まあ、勉強不足もあるし。必修はけっこう難しかったりするんです。うちの大学は出席はあんまり勘案せず、基本は中間や期末のテスト一発で。

沢辺 ようは成績が悪かったんだ。

武田 そうですね。テストで点が取れるかどうかということです。

石川 なるほどね。文系の大学は、出席も成績に加点したり、単位修得条件の主なものに含まれている。けれども、武田さんの大学では、純粋にテストの点数で単位を取れるかどうかが決まるんだ。それで、その難しい必修のテストというのは電圧や……、

武田 回路だのなんなの(笑)。プログラミングとか(笑)。まあ、実験とかはレポートで、なんとかなったりするものはあるんですけど、基本は筆記試験ですね。

沢辺 ねらい目はどのあたりなの?

武田 就職ということですか?

沢辺 主に勉強している分野はどういうことなの?

武田 ぼくは強電系に興味があって、モーター関係、モーターそのものやモーターを制御するインバーターについて興味があります。あとは、高電圧工学とか、送電に関係するものを勉強しましたね。

沢辺 まさしく時流に合ってることをやってるじゃん! 

武田 そうですね(笑)。まあ、原発そのものではないですけど。

沢辺 計画停電というのもそういうジャンルになるんでしょ?

武田 もちろん、そうですね。電力系統工学というのも勉強しましたけれど、まさに送電にかかわることです。

沢辺 実際に電力会社に聞かなくちゃわからないだろうけど、想像で聞けば、まず発電所があって、そこから送電線が引かれて、どこかにある変電所でいったん変電して、電気は分散されてると思うんだ。計画停電というのはその変電所の単位で行われるんでしょ?

武田 はい。そういうことだと思います。

沢辺 で、おれも含めて、一般の人も不思議に思うのは、じゃあ、電車だけ優先できないか? ということなんだけど、それはできないの?

武田 たぶん、計画停電初日に電車を優先せずにあれだけ混乱したので、そのあとから優先にしたんだと思います。

石川 じゃあ、「優先的にここにこう流す」ということもできるんだ。

武田 そうですね。一般に流れているのは交流電流で、電車を動かすのは直流電流なので、そのためには変換をしなくてならないんです。だから、電車を動かす電力は別口で流しているのかもしれませんね。

沢辺 だけど、直流に変えるのは、鉄道会社のほうでやるんじゃない?

武田 そうですね。だから、会社に電力が行く一歩手前の変電所で調整しているのかもしれません。ただ、JRに関しては自分で発電所をもっているので、東京電力の計画停電は直接かかわりあいはないと思います。他の私鉄は100%東電から買ってるんですけど。

石川 話を聞いてなんとなくはもうわかってきたんだけど(笑)、電気に興味をもったきっかけは?

武田 はい(笑)。もともと電車が好きだったからです(笑)。そういう単純な理由です。

沢辺 あー、電車か。

石川 いまは「乗り鉄」とか「撮り鉄」とかいろいろな分類されているけれど、鉄道でもどのあたりが好きなんですか?

武田 最近だと、乗るのがほとんどです。中学生のときは、あっちゃこっちゃ撮りに行ったり、青春18きっぷを利用して友だちと乗ることをただ楽しむ、とかやっていました。他にも、模型だとか音だとか、いろいろありますけど、「なんでもやった」って言えばなんでもやりましたね。

石川 そのうちに、電車の動くシステムにも興味をもった、と。それで、どんなふうに電車は動いているか説明してもらえますか? あまり複雑になってしまうようだったら、だめでもいいけど。

武田 むかしは単純に電気抵抗の調節で動いていたんですけど、いまの電車はインバーターを使って動いています。インバーターで電圧や周波数を変えて動いています。

沢辺 でもさ、考えてみれば、普段われわれが簡単に使っている電気ですら、技術的には一人では追っかけられないくらい複雑になってるわけじゃない。むかしで言えば、電車の運転手さんは自分の手で運転していたと思うんだけど、いまだったら、前の電車とちょっと近づきすぎたら、センサーがはたらいたりして、中央制御室みたいなところが管理している。極端に言えば、新幹線なんか運転していないに等しいんじゃない?

武田 いや、新幹線はまだ運転しているほうです。逆に地下鉄なんかはボタンひとつで動いちゃいます。たとえば、ホームドアのあるホームとかは精度が必要なので、動かすのは人がやったとしても、停まるのは機械がやってくれます。

「自分の趣味としては、ここがこう動いて、つぎにこうするとこう動くんだ、というのがわかりやすくて好きなんですよ(笑)」

武田くんは物づくりが好きな職人肌。そんな武田くんは、将来、高度に専門化、分業化された開発や管理のシステムにかかわることになる。技術革新や製品開発・管理の分野は、一人の技術者がそのすべてを見渡せてなんとかできる世界にはなっていない。そうしたシステムのなかで働くことを武田くんはどう思うのか。

沢辺 社会全体が日本ぐらいの技術レベルになると、人間ひとりの力ではどうにもならないくらいの技術の水準があって、ひとりで動かすんじゃなくて、チームワークで動かすっていうのが強くなってきている。技術のほうに行く理系の人たちは、そういうのつまんなくない? 

石川 電車のシステムってどうなってるんだろう?という素朴な疑問から、その仕組みをわかっていく、という楽しい感じが武田くんにはあると思う。けれども、沢辺さんの指摘を聞くと、そういうふうに、普段見えない仕組みを知っていけばいくほど、ひとりの力ではどうにもならないようなシステムがそこにある、ということがわかってくる。そういう疑問だと思う。このあたりの点については、武田くんはどう思ってるんだろう?

沢辺 たとえばさ、エジソンの時代には、エジソン一人が毎日徹夜して努力すれば、フィラメントで電球をつくれる技術をひとりで獲得できる可能性はあったかもしれない。けれど、いまは、たとえばLEDのランプだと、電球のデザインをやってるデザイナーもいれば、発光体を研究している人もいれば、あるスペースのなかに回路をどう詰め込むか、そういうことばっかりやっている人やチームもある。つまり、エジソンみたいに一人ではできなくなっている。
それって、おれ個人的には、いいんじゃないかと思うんだ。人間は一人では生きていけないわけで、むかしは、田植えだって一人ではできなくて、そのときは村のみんなで相談して役割分担しながらやっていたんだと思う。で、田植えは田植えでいまは個人でできるようになったわけだけれど、今度、技術の分野では、もう一度、みんなで一緒にやるようになっている。「集団の力」という点だと、先祖がえりしていると思うんだ。それで、そのこと自体はよくないことではない、とおれは思う。でも、そのあたり、技術のなかにいる人には、不全感とか、たとえば、「自分はたんなる部品にしかすぎない」とかいう気持ちはあるのかな?

武田 まあ、私自身としてはやりがいがないとは思いませんけれど。

沢辺 車なんかそうなってきてるよね。この前、大井町の下請け工場の息子と話をしたんだ。息子と言っても40代ぐらいなんだけど。そしたら、こんな話になったんだよ。自分のおやじのころは、キャブレターでもって、「ガソリンをどれぐらい燃料爆発室に入れるか」っていうのを機械で調節していた。だからキャブレターの故障は自分のとこの機械で直していた。でも、自分の代になったら、その調節はもうコンピューターがやってる。だから、キャブレターがだめんなった車をもちこまれても、自分のところじゃ修理できなくて、メーカーから部品1セット、何万円かのを買ってきて、全とっかえするしかないんだよ。彼はコンピューターのこともよくわからないし、自分の果たす役割はどんどん狭くなってるんだ。しょうがいないとは思うけれど、なかなかな〜。

石川 それって、むかしの、工場でネジばかりつくっていて、ぜんぜん仕事のやりがいを見出せない、という不全感と同じですか?

沢辺 そうそう。

石川 高度な技術屋さんのなかにもそういう不全感あるかも、と。武田くん、どう?

武田 まだ開発にはかかわっていませんけれど、4月から研究室に入る予定です。でも、そのあたりはどうなるのかな……。

石川 研究室というのはどういうことをやっている研究室ですか?

武田 レーザーをやっている研究室です。「この材料を使えば、小型で効率がよくて出力の高いレーザーがつくれるんじゃないか」といったことを研究しているところです。

石川 レーザーは具体的にはどんなことに使われるレーザーですか?

武田 具体的には光源ですね。ディスプレイとか。

石川 それで、さっきの話に戻ると、実際はまだものづくりをやっていないけれど、自分としては不全感みたいなものは感じない、と?

武田 自分の趣味としては、ここがこう動いて、つぎにこうするとこう動くんだ、というのがわかりやすくて好きなんですよ(笑)。じっさい、これからなにかをつくるとしても、不全感は感じないと思うんですね。

沢辺 就活は?

武田 地震で日程がずれ込むとは思うんですけど、いまはエントリーシートを書いたり、面接を受けたりです。

沢辺 どんな業種?

武田 鉄道会社にも出してますし、そのグループ会社の車両を整備する会社だとか、電力設備の補修、メンテの会社。あとは、高速道路の会社だったり、その施設を整備する会社だとかにエントリーしています。クレーンなど建設機械系にも出しています。

沢辺 テレビで見たんだけど、ある重機の会社は全世界で自分の会社の製品がどのように動いているかGPSでわかるようになってるんだってね。たとえば、日本では8時間しか動いていないけれど、中国とかでは24時間フル稼働。そういうことが世界地図にランプがついて、わかるようになってた。そうすると、いつごろメンテナンスが必要か営業的にもわかるし、山の中とか川のそばとか、どんな場所で動いているかわかるから、今後どういう商品が必要か、製品開発的にもわかるみたいな話だったな。

石川 へー、それこそ、さっきの電車の話じゃないけれど、全体的なシステム管理になってるんですね。武田くんはそういうシステム管理的な部門では働きたくない?

武田 発電所のメンテナンス、変圧の仕組みをつくる会社は考えていますね。

沢辺 どっちかというと、技術者、職人がいいかなって思うの?

武田 そうですね。

「でも、やっぱりつくっているのは人ですからね。ほんとうに。システムをコンピューターでもって調節するのは人間です(笑)」

高度にシステム化された仕事の世界をどう考えたらいいか。これを「人間性が失われる」として「疎外」と考えるべきか。けれど、そうかといって、エジソンのむかしに戻れるわけでもない。いまあるシステムを前提として、そのなかで物をつくることの意義はどう見いだせるのか。このあたりを、技術屋さんとしての武田くんの観点から語ってもらった。

沢辺 ちょっとノスタルジックな話になっちゃうけど、おれ、お遊びで音楽やってるんだけど、ギターの世界ではあいかわらず真空管アンプが人気があるんだよ。でもいまは、アンプシミュレーターっていう弁当箱みたいなかたちの機材があって、真空管の音がコンピューターでもって再現できちゃうわけだよ。でも、音楽の世界では、「そんなのよくない!」って言うヤツのほうが多いわけ(笑)。

石川 「ほんもののほうが、音があたたかい」とか「やわらかい」とか言って。

沢辺 そうそう。それで、そう言っているヤツにだまされて、おれこないだ真空管アンプ買ったわけだよ。安もんだけど。でも、いまや、アンプシミュレーター通せば、もはやアンプでさえ必要ないわけ。そのシミュレーターをスピーカーにつなげれば、いくらでもコンピューターレベルで音が調節できるわけよ。それで、おれなんか、正直言って、真空管アンプの音とアンプシミュレーターでつくった真空管の音と、どっちがどっちだか聴いてもわかんないんだよ(笑)。で、それはそれでいい世の中じゃん、と思うけれども、とはいえ、半分ぐらいは……。

武田 やっぱ気持ちの問題もありますからね(笑)。「アンプを使ってるんだ」という気持ちはけっこう大切ですよね。

沢辺 そうそう、そうそう。

石川 いやぁ、その感じわかります。新しいものへの志向と古いアナクロなものへの志向というのは、かならずしも対立しないと思うんですよね。同じ人から出てくる。武田くんも、勉強では、ものすごく先進的なことやってるのに、「真空管」なんて言ってぼくらが盛り上がってるのを楽しく聞いてくれてるし。

武田 ぼくも新しいものと古いもの両方が好きですね。まあ、どっちかというと古いものが好きなんですけど(笑)。

沢辺 そうだよね。両方あるよね。だから、さっきは、最新の技術は、一人では追っかけられないくらい複雑になってる、だんだんブラックボックスになっているんじゃないか、という話をした。けれど、その一方で、たとえば、プログラムの世界では、一人の人が新しいプログラムをまず全部自分で組み立てて、それをみんなが利用する、ってかたちもあるんだと思うんだ。複雑なシステムになってる面と個人の創意の面、両方あると思うんだ。

石川 それで、思想の世界なんかもそうなんだけど、だいたいどういう話になっているかと言えば、技術はだんだんブラックボックスになり、システムによる管理が進んで人間の自由がなくなっている、というのが一方である。もう一方で、テクノロジーの進歩によって、こういったシステムに溶け合って生きる人間というのは、これはこれでまったく新しい人間のあり方ではないか、とちょっと持ち上げる意見もある。こういう議論って、技術にかかわる人にとっては、すごく抽象的じゃない? 実際に技術にかかわる人の目にはどういうふうに映るんだろう?

武田 そうですね(笑)。でも、やっぱりつくっているのは人ですからね。ほんとうに。システムをコンピューターでもって調節するのは人間です(笑)。「人がかかわらなくなって、さびしくなった」という意見も感情論としてあるかもしれないけれど。利便性は確実に上がってますよね。

石川 そうだよね。一方で、いまの技術のあり方を、ことさら持ち上げる必要もなく、それを粛々と受け入れる、という感じかな。それでいてもちろん、そこには創造性もあるし、研究することは意義のあることだし、一緒に働く協同性もある。

武田 たとえば、モーターを動かすにしても、モーター自体を設計する人もいれば、インバーターを動かすソフトをプログラミングする人もいる。それで、工場とかで働いても、製品のなかに自分のつくったものが入っているのを見たら、やっぱりうれしいと思いますね。それこそ説明会でこういう話をよく聞きますね(笑)。

沢辺 やっぱり、現代思想とかいうのは、「真空管信仰」みたいなものがあると思うんだよ。単純な疎外論、「よそよそしくなってしまった」、みたいな議論なんだな。

武田 確かに、「技術に疎外されている」という感じはありませんね(笑)。

沢辺 疎外ととらえるより人間の共同性という点にもっと注目したほうがよくて。いまは個人がバラバラになってしまっている、という意見もあるけれど、そんなことはなくて、ますます、集団でなにかすることが重要になっているんだ。たとえば、和民がなぜ成立するかといえば、集団作業だからだと思う。おとうちゃんとおかあちゃんがやっている個人営業の店だったら、揚げ出し豆腐を250円では提供できないわけだよ。和民だったら、分業や大量仕入れによって、それができる。それを疎外というキーワードだけで描くのはちょっとちがう感じがするんだ。だから、むしろ、現代思想のように余計なことをいろいろ入れるんじゃなくて、ものごとを純粋に技術的な面で見てもらったほうが安心できる。

石川 エジソンは自分で自分のつくっているものが見えていた。でも、協同性が必要とされる現代では、それが見えなくなってきた。この「見えなくなってきた」ということを疎外とする議論もある。けれど、そのことって、逆にものすごく単純に言えば、「みんなで力を合わせていいものつくっている」っていうことなんじゃないか? だから、ことさら、人間性の喪失みたいに言う必要もないし、新しい人間の誕生と持ち上げる必要もないと思いますね。

沢辺 いまは過渡期だと思うよ。いまは、一人ひとりは自分のやっていることの意味を知らされていないような状況で、それはそれでやはり不安なことだと思うんだ。全体のなかで自分はどういう役割を果たしているか、その全体性が獲得されないとつらい、という気持ちはあると思うんだ。

武田 実感がほしいということですか?

沢辺 そうそう。それがわかる状態をつくれていないことが問題であって、分業や協同性自身は本質的な問題ではないと思うんだ。もっと言えば、人間は一人じゃ生きていけない、つまり、「人間は類的存在だ」というところから考えれば、一緒に働かなくてはやっていけない。それで、そういうことを現代人だって実際にはやってるんだけど、その自分の果たしている役割は了解しにくくなっている。いまの問題は、その一点だけじゃん。そんな気がするんだ。

石川 だからこそ、その高度に分業された協同の社会のなかで専門の技術者になろうとしている武田さんに話を聞きたいんだ。いま「全体での自分の役割」という話が出たけど、武田さんはそのあたりはどのように考えているのかな? たとえば、ある製品をチームでつくったとして、それはみんなでつくったんだけど、おれがつくったんだ、というか。そういううれしさはあると思うんだ。みんなでつくったがためにおれが疎外されたという感じにはならないと思うんだけど。

武田 そうですね。

石川 これって、なんだか昔の村で、みんなで春に田植えして秋になってお米ができてうれしい、みたいな話になってるんだけど。

武田 ほんとにそうですね。ただ、文系の友人にSE(システムエンジニア)目指して就活してるのがいるんですけど、その友人の話を聞くと、彼の仕事はシステムという見えにくいものを相手にしているので、仕事の意味はあまりわかりにくくなっているんじゃないかと思います。ぼくは、どちらかというと、SEとかは苦手なんです。システムのほうではなく、ものづくりのほうに興味があるんで。実物を相手にしているほうが自分のやることの意味は見えやすいと思いますね。技術屋だと製品が実際にあるんで。もちろん、システムづくりのほうも、自分がシステムをつくったものが実際に製品として町に置かれる、ということはあると思うんです。けど、やはり、自分のやってることの意味は見えにくくなってるかと思います。

「プログラミングの美しさを感じるまでには行ってないです(笑)」

武田くんは機械をいじったり回路をつくるのは好きだけれど、プログラミングは苦手。パソコンも自作したりはしないで、もっぱら使うほう。そんな武田くんと、プログラミングも含めて、技術屋さんの仕事のもつ美しさについて語る。

石川 「文系のSEと自分たち理系の技術屋というのはちょっとちがう」という、そのあたり、もう少し聞かせてもらえるとうれしいです。

武田 システムというと、「どこでどう動いているかわからない」、あとは、「パソコンの中だけ」というイメージがあるかな?

沢辺 でもさ、プログラミングって美しさがあるじゃん。それは英語みたいなもんの羅列なんだけど、英語って言っても、それはシンプルな命令だったり階層の指定だったりする。だけど、そこに数学のような美しさがある。プログラムの世界ってさ、そういう命令文の羅列にすら美しさを見いだすから面白いな〜、っておれは思うんだ。

武田 そうですね。いろんな書き方があるけれど、そのなかで、いかに見やすく、すっきりしたものをつくるか。

沢辺 そうそう。いかにわかりやすくシンプルに伝えるか。おれはそういうの苦手なんだけど、プログラミングって、いちばん美しくて本質をビシッと伝えるような、まるでいい文章みたいなところがあるんじゃない? 「まわりくどいよな〜」と言われるプログラムじゃだめなわけだよ。プログラムってそういうことだよね?

武田 そうですね(笑)。でも、ぼくはそのプログラミングが苦手なんです(笑)。回路とかをつくるのは好きなんですけど。

沢辺 あー、プログラミングの美しさには、ハマれてないんだ。

武田 そうなんですね(笑)。壁がけっこう高いんです(笑)。プログラミングの美しさを感じるまでには行ってないです(笑)。おそらく、自分がもともと、目に見えて動く機械、そういう物をつくるのが好きだったから、というのが大きいと思いますね。いま、電気電子の学科にいるんですけど、受験するときは機械系の学科も受けましたし。

石川 場合によっては、小さな工場でミクロン単位で精密な部品を削り出していたようなタイプ?

武田 そうですね。それはそれで面白いと思います(笑)。

沢辺 また美しさの話に戻るけれど、職人さんには美しさがある。おれの分野では、カメラマンがそうかな。コードとか使っても、しまい方とかピシッとしてるの。スタジオなんか行くとわかるんだけど、道具や機材がちゃんとあるべきところにあるの。だから、たんにプログラミングのように実体のないものだけに美しさがあるんじゃなくて、回路や機械といった実体のあるものづくりにも美しさがあるんだと思うんだ。たとえば、編集者の仕事だって、道具の整理が苦手なスタッフでも、本になる前に校正の赤字を入れるとき、芸術的というといいすぎかもしれないけれど、すごくきれいに赤を入れる人もいるんだよ。だから、武田くんも自分の扱う物にどこか美しさを見出しているんだと思う。機械の動き方とか、現物であればあるほど美しく感じるタイプだと思うんだ。どうかな?

武田 そうですね。やっぱり見える物が好きなんですけど、プログラミングだって興味はあります。

石川 最終的に、見える物をつくる、というところに向かっていれば、見えないプログラミングとかもやる、見える物につながっていることが武田くんを安心させているのかな?

武田 そうですね。もちろん、電気も見えないものです。でも、それを勉強することで、物がどう動いているのかわかるところがいいです。

沢辺 パソコンを自分で組み立てたりはする?

武田 それはやらないです(笑)。パソコンはもっぱら使うほうです。もちろん、まわりには自作のパソコンを組み立てる人やプログラミングが趣味な人もいますけど(笑)。

石川 ぼくなんか、パソコンの中身とかにはまったく興味がなくて、ただ使っているだけなんだ。けれど、小さいころから機械いじりは好きで、モーターを使った木のおもちゃみたいなものを組み立てて、歯車の仕組みとか覚えたり考えたりしていたんだけど、武田くんもそういうタイプなのかな?

武田 まったくそうですね。そういうところからいまの理系の世界に入っていったと思います。

「まあ、普通ですね(笑)」

いままで技術系の話ばかり中心に話を聞くことになってしまったけど、ここで、武田くんの家族構成や幼いころから高校までの話を聞く。

石川 これまで技術的な話が中心でしたが(笑)、お父さんお母さんのことを聞かせてください。と、思ったけど、そもそも、どちらにお住まいですか(笑)?

武田 埼玉の朝霞というところです。そこで生まれて、いままでずっとです。大学にもそこから通っています。母方の実家が墨田区、父方のほうが中野区です。両方とも東京都区内ですね。

沢辺 おやじさん自衛官?

武田 いや(笑)、駐屯地はありますけど。父は生協職員です。むかしはスーパーの惣菜の開発をやっていましたけど、いまはグループ会社のチケットサービスのほうをやっています。

沢辺 いくつ?

武田 去年50になったかな、確か。

石川 ご兄弟は?

武田 この春に高3になる妹がいます。母はいま43ぐらいで、専業主婦です。一時期パートをやったこともありましたけど。

沢辺 妹とは仲悪い?

武田 (笑)いえ、仲悪くはないですけど、良くもないです(笑)。良くも悪くもなく、という感じですかね。

石川 妹さん理系?

武田 (笑)いえ、理系ではないです。

石川 お父さんとお母さんはどこで出会ったの?

武田 大学みたいです。

石川 理系?

武田 いえ、二人とも文系です(笑)。

石川 では、武田くんは小学校のころはどういう子どもでしたか?

武田 ひとなつっこい子どもでしたね。

石川 運動はなんかやってたの?

武田 どちらかと言うと、運動音痴でしたね(笑)。球技もそんなにうまいほうではなく、走るのもそんなに速くなくて(笑)。でも、なんだかんだ言ってそういう仲間のなかに入って遊んでいましたけど。

石川 じゃあ、家にこもって鉄道のビデオばかり見ている子どもじゃなかった、と(笑)。

武田 そうですね(笑)。外で遊んでいました。家にこもることはありませんでしたね。

石川 では、人とかかわるのは苦手ではない、と。

武田 そうですね。小学生のころ放送委員をやっていて、放送室が遊び場のようになっていて、隣にある職員室にも出入りして、先生と話すのも好き、みたいな子どもでしたね。

石川 週末は鉄道に乗ったり写真を撮ったりしていたの?

武田 いえ、そういうわけでもないですね。小学生のころは親がどこか行くときについていって一緒に見るとか、その程度ですね。

石川 じゃあ、ことさら鉄道オタクだったわけじゃないんだ?

武田 そうですね。

石川 では、勉強はどうでした?

武田 それなりにやってましたね。

石川 学校は公立?

武田 小中高と公立でしたね。小学校、中学校はほんとに地元の学校で徒歩5分ぐらいのところでした。

石川 中学で部活は?

武田 軟式テニスをやってました。なんだかんだ言ってそんなにうまくはなかったですけど(笑)。まあそれなりにたのしくやってました。

石川 中学ではやっぱり数学や理科系の授業とか得意だったの?

武田 まあ、わりかしそっちのほうが好きでしたね。将来のことはあまり考えてはなかったですけど。中学のときは数学もそれなりにできたんですけど、高校に入ってからは成績はどんどん下がって(笑)。高校はだいたいは大学に進学する学校で、県内でもいいとされるほうの高校でしたけれど。

石川 高校のときは進学の方向は自分のなかで決まっていたの?

武田 高校のときには、理系クラスにも入って、「電気、機械のほうに行くんだろうな」と漠然とは考えていました。でも、中学、高校のときは現代文が好きでした。センター試験では現文がいちばん成績がよかったみたいな(笑)。

石川 まあ、ことさら理系、理系してたわけじゃないんだ(笑)。

武田 そうですね。どっちかと言うと、頭は文系だと思ってるんで(笑)。

石川 でも、いまの大学に行こうと思ったきっかけは?

武田 まあ、「都内にある」という立地ですかね(笑)。そこまで大した理由はありません。一応、予備校も行って受験勉強は一生懸命やりましたけど。

石川 いままでお話をうかがってきて、武田くんは、とくにグレたというわけでもなく、素直な子だった、という感じかな(笑)?

武田 ひねくれてはいませんよ(笑)。

石川 ご両親はどんな風に育ててくれましたか?

武田 母親は「勉強しろ、勉強しろ」言うタイプでした。四六時中言っているタイプでしたね。ただガミガミ言うんじゃなく、ぼくのことを心配してそう言うタイプでしたね。たとえば、いまだって、「勉強しなさい! あんた留年なんかしてどうすんの? こっちはいくら払ってると思ってんの!」といった感じですね(笑)。「そろそろ子離れしてくれないかな」と思うんですけど(笑)。

石川 ああ、心配だからお母さんはいろいろ言ってくるんだ。

武田 おそらくそうですね。

沢辺 まあ、聞いてると普通だよね(笑)。

武田 まあ、普通ですね(笑)。

「男同士で飲んだら、女の子の話や、くだらない下ネタばかりです(笑)」

武田くんに女の子について聞いてみた。恋愛話から女性観、結婚観に話は広がり、最終的には「家事をやれる男はモテる!」という話に。
武田くんはmixiとtwitter をやっている。mixiでは鉄道、音楽ライブのチケット、旅に関する情報を集め、twitterでは写真や美術といった展覧会の情報を集める。携帯電話はスマートフォンではない(携帯代は月に約6000円。親に払ってもらったり、バイトの余裕があるときは自分で払ったり)。お小遣いは月に1、2万円。

沢辺 ところで、いまどきの若者論、ってどう思ってる?

石川 たとえば、いまの若者は社会的な出来事に関しては無関心っていうのがあるけど。

沢辺 いまの若者は年金を払うだけで、親たちの世代のようにはもらえない。こういう予測があると思うけれど、そういうことどう思う? 腹立たない?

武田 腹が立つというより、「じゃあ、どうしたらいいんだ」という感じですね。子どももすぐには増やせないし。安心して子ども産めるのか、ということもわからないし。

沢辺 でもなんで安心して子どもを育てられないの? 

武田 お金がかかるということがそうですし、じゃあ、共働きになったとして、子どもを預けるところがちゃんとあるのか、とか。そういうことですね。自分の祖父母の世代では、みんな大学に行くわけではないし、「女の子は家にいて」というのがあって、「子供がたくさんいても大丈夫だったのかな」と。そういう考えは自分のなかにはあります。かと言って、いま子どもを産んだとしてもどうにかなるとは思うんです。でも、安心してそれができるか、となったら、そこのところはちょっと心配です。

沢辺 けっして非難しているわけじゃないけれど、おれの世代だったら、20代の男だったら、いつも女の子のこと考えてた。もちろん、それだけで生きていたわけじゃないよ(笑)。でも、たとえば、男同士で話せば女の話は定番。

武田 (笑)いや、同じだと思います。男同士で飲んだら、女の子の話や、くだらない下ネタばかりです(笑)。

沢辺 いまよく言われている「草食系男子」という言い方には、若者のそういう女の子への欲望が落ちてるんじゃないか、という意見が含まれているんだけど、そういう言われ方についてはどう思う? 

武田 ある程度、わかります。なぜ、そう言えるかといえば、自分の男としての自信がないんですかね? モテないみたいな。女の子に向かっていくのに際して、どう振り向いてもらえばいいんだ? わからない、みたいな。

石川 個人的な経験があって、好きな子がいてフラれたりしたからそう思うの?

武田 中学も高校も共学だったんですけど、中学のときは同じ子に二回ぐらいフラれたこともありますし(笑)。高校のときはどっちかというとひっそりしてましたね。中学のときは委員やったり生徒会やったりして積極的なタイプだったんですけど、高校のときはひっそりしてましたね。自分を前に出さないで抑えてたり。鉄道についても抑えていましたね。

石川 鉄道のことを知られたらモテなくなるとか?

武田 オタクって言われるのはいやだったんでしょうね。

沢辺 で、彼女歴は?

武田 あんまりないです。ほとんどいないに等しいですね(笑)。

沢辺 ほとんどいないに等しい? そのへんが、草食系と言われちゃう理由なんだと思うよ。もちろん、おれたちの頃もモテるやつはモテたし、モテないやつはモテなかったんだけどね。

石川 まあ、そうなんですよね。こう言うのもなんですけど、ぼくの若いころは、「モテない!」っていうのは、もうアイデンティティにすらなってましたからね(笑)。

沢辺 モテないって最大の問題だったじゃない?

石川 ええ、そのとおりでしたよ。「モテない!」、「フラれた!」とか(笑)。

沢辺 おれなんか、「生涯彼女できないんじゃないか?」みたいに思ったところがあるもんね。

武田 わかります。ぼくもそんな感じでした(笑)。それこそ、大学入って、理系なんてほとんど女子はいないんです。それで、じゃあ、就職してたらどうかと言えば、技術職なんで、職場には男しかいないわけだから。そしたら、「オレ、結婚できるの?」みたいな(笑)。

沢辺 いま、結婚という話を聞いたんだけど、共稼ぎがいい? 専業主婦がいい?

武田 どちらかと言うと、専業主婦をしてもらいたいです。

沢辺 そうすると、育児をイーヴンに負担するという感じはないんだ?

武田 うーん、育児をしたくないことはないんですけど、どこまでできるかはわかりませんね。

沢辺 じゃあ、いま、料理できる?

武田 あんまできないです。

沢辺 米炊ける?

武田 できます(笑)。

沢辺 みそ汁は?

武田 作ろうと思えば作れます(笑)。専業主婦の家庭で育っているがゆえか、さっき「親が子離れできていない」と言いましたけど、逆に言えば、ぼく自身が「自分のやることをできてない」というか(笑)。

沢辺 洗濯は?(笑)

武田 やってないです(苦笑)。

沢辺 靴下干すことある?

武田 ないです(苦笑)。

沢辺 まあ、いつもはそこから先、「靴下どういうふうに干す?」という靴下の干し方の質問になるんだけど、できないよ(笑)。

武田 シャツならちゃんと伸ばしたりとかやるときはやりますけど(苦笑)。

沢辺 自分の部屋もってる?

武田 いや、妹と一緒の部屋です。

沢辺 掃除はする? 掃除機かける?

武田 はい。親がやらないんで自分で掃除機かけます。

沢辺 でも、シーツとか枕カバーとかの洗濯は?

武田 やりませんね(苦笑)。そういうことをやっていないのは後ろめたいですね(苦笑)。

沢辺 ここはいじめるところじゃないけど(笑)、嫁さんを専業主婦にできるような男なんて確率から言えば圧倒的に少ないわけじゃない。まあ、いまの社会を考えてみれば、やっぱり、共稼ぎになるわけですよ。とするとさ、パートなり、フルタイムなり雇用形態は別としても、やっぱり嫁さんは働いて、完全に専業主婦というというのは成立しにくいわけだよ。

武田 どう考えたってそうですね(苦笑)。

沢辺 武田くんに嫁さんを専業主婦で食わせるような展望があるかって言えばそうでもないと思うんだ。それは、いまの社会ではほんとに大変なことだと思うんだ。それで、武田くんが「料理してません」、「洗濯してません」ってことだったら、そういうヤツと女の子はくっつきたいか(笑)? たんなる恋愛だったらいいかもしれないけれど、だんだん結婚ということを考えたら、女性が誰かとつきあうときは、そういうことも判断材料に入ってくると思うんだ。

武田 (苦笑)そうですね。その後の生活を共にするということになれば。

沢辺 武田くんは就職ということを来年に控えて、「そんなままでどうすんの?」ということになると思うんだ。
それで、おれは最近よく考えるんだけど、いまどきの子はもう養育は行き渡ってると思うんだ。おれの頃なんか、親は意識しておれを突き放してるんじゃなくて、社会全体が貧しくて、子どもには「自分で飯食っとけ!」て感じだったんだよ。うちはおれが小学校1年生のときから共稼ぎだったわけ。いまは、学童保育なんかもあって、小1の子をほっておくなんて信じられないと思うけど、おれなんか、「店屋物とっとけ」みたいなこともあったんだ。だから、おれの頃は、いやおうなく、「親は養育には手間をかけない」というのがあったんだ。それが、結果的にいいほうに作用したというか。

武田 ようするに、「自分でなんでもやるほかない」になった、ということですね?

沢辺 そうそう。でも、いまはそこまで社会が貧しくなくて、親が手間かけちゃうわけじゃん。おれなんか自分の子を育てたときは、「子どもにやらしていることがつらい」ってなっちゃうんだよ。それは「かわいそう」という意味じゃなくて、見てると、子どもはまともにできないからなんだ。時間もかかるでしょ。新人に仕事を教えるときみたいにめんどくさいんだよ。「じゃあ、おれがやっちゃうからいいよ」と言いたくなっちゃう。子どもに包丁をもたせたって、下手にケガされちゃ困るもん。おれの親はそういうところを見なかったわけだよ。もう放棄してるから(笑)。いまは見れちゃう。だから、大変だと思うんだ。親は自覚的に、教育的に、「あえて、子どもにみそ汁を作らせる」というめんどくさいことをやらなくちゃならないんだよ。
ところが、そういうことは親にとってはなかなかできないことだから、「家のことやったことないよ」と言うのが増えてしまうわけ。でも、そうなると、いざ結婚ということになったら、子どもにとっては結婚のハードルが高くなっちゃうんだよ。このギャップを埋めるのは、親か本人が自覚的にやるしかないわけだよ。だって、女だって、わかってるから。

石川 うちは共稼ぎで、ぼくも料理を作ったりします。それで、うちの女房の職場では、女性の同僚のあいだでこんな話があったみたいなんです。自分が遅くまで残業して帰ってきたら、だんなが先に帰っていて、「ごはんまだ〜」って。夜中までなんにもしないで嫁さんが夕飯を作ってくれるのをただずっと待ってる。そんなとき、女性は「この人と別れたい!」と考えるみたいですね。

沢辺 やっぱり、自分で料理やったほうがモテるんじゃない? たとえば、武田くんが、「すき焼きパーティーやろうぜ、おれ割り下とかけっこう考えてるんだよ」なんて言ったら、彼女すぐできるんじゃない?(笑) いまの時代、彼女がほしかったら、そこはおいしいポイントだと思うんだ。「ペペロンチーノだけは自分でつくれるんだ、それを親に食わせてるんだ、今度君んちでつくってあげるよ」なんて言う作戦は使えるんじゃない?

武田 そうですね(笑)。「ごはんまだ〜」みたいな人にはなりたくないから、自分でやるしかないですね(笑)。

「いちおう、彼女いるんですよね」

じつは、武田くんには彼女がいる。そこから一人暮らし願望について聞いてみた。

武田 いちおう、彼女いるんですよね。

石川 あれ、さっき、「彼女いない」、「モテたい」という話だったと思ったんだけど?

沢辺 「いままでほとんど彼女いないに等しい状態だったけど、いまはいる」と?

武田 そうですね。とりあえず。

沢辺 どこで見つけたの?

武田 SNSのサークルですね。

石川 さっき、「まわりは男性ばかり」みたいな話だったけど、そこがはじめての女の子との出会いの機会だったの?

武田 いや、地元の友だちのつきあいには女の子もいますね。女の子も一緒に、月一ぐらいでお酒を飲んだりしてます。

沢辺 彼女いくつなの?

武田 いま25で、ぼくより3つ年上ですね。

石川 へえ〜。

沢辺 いいね〜。

石川 彼女ひとり暮らし?

武田 いえ、実家です。

沢辺 じゃあ、どこで……?

武田 いやぁ、それはそういうとこ行くしかないでしょ(笑)。

石川 どれくらいつきあってるの?

武田 いま3か月ですね(苦笑)。

石川 おっ、つきあったばかり!

沢辺 いいね〜。

武田 まだまだつきあったことに入らないかと思いますけど(笑)。

石川 はじめての彼女?

武田 いえ、前の人も長続きせずに1年もたなかったですけど。

沢辺 でも、結婚ということもありえるよね?

武田 まあ、二人ともそういう歳なので。

沢辺 彼女との付き合いで悩みはないの?

武田 まだキャッキャしている時期なので、それこそ、相手が実家ということですかね(笑)。

沢辺 「相手もぼくも」ということですよね?

武田 まあ、そうですね(笑)。

沢辺 一人ぐらしの計画はないの?

武田 ぼくはまだ学生なのでなんともですが、むこうは出たいという気持ちはあるようですが……。

沢辺 いい悪いは別として、一人ぐらし願望は減ってるない?

石川 その傾向はこれまで話を聞いたなかにありますね。

武田 たしかに、ぼくもそうだと思います。ぼくも家を出たい気持ちはないわけではないんですけど、お金もないということと、じゃあ、どこに住むのか、という点で、実家は大学に近いし、というのもあって。まあ、言い訳なんだけど(苦笑)。

石川 お金がなくてもなんとか一人で住みたい、というのもあると思うんだけど?

武田 (笑)まあ、そこまで欲求が行ってない、ということですね。

沢辺 それとの関連でいくと、親のこと嫌い? 嫌いって言うと語弊があるから、「この親から逃れたい」というのはある?

武田 母親がガミガミ言うのはいやですけど、「逃れたい」までにはなりませんね。父親はわりと放任主義なんで、逆に「出て行ってもいいかな」ぐらいの気持ちですね。

沢辺 おれなんか、「親から逃れたい」という気持ちはいっぱいあったよ。

石川 うーん、いまは、親が好きだから、というわけではないけれど、「親は嫌いじゃないから、別に逃れたいという気持ちはない」という感じかな?

沢辺 まあ、そのことの良し悪しは別としてね。おれだって、「なんであのときあんなに一人暮らししたかったのか?」って思ってるくらいだもん。

武田 「彼女を部屋に呼ぶために一人暮らししたい」というのも、そこまで強くは思いませんね。

沢辺 バイトしてるの? 

武田 はい。

沢辺 月に何時間ぐらい?

武田 いま就活でそこまでやってないですけど、週2、3回ぐらいで、一回5、6時間、月に3、4万ぐらいですかね。行くときは5万円ぐらいですね。

沢辺 貯金は?

武田 ないですね(笑)。

石川 お金はなにに使ってるの?

武田 写真をフィルムで撮っているのでわりかしお金がかかるのと、あとは友だちとの飲み代ですね。

沢辺 フィルムカメラ使っているの?

武田 大学が写真部なんで。フィルム代と現像代でだいたい1500円もかかるんですよ。

沢辺 好きな写真家とかはいる?

武田 写真展は見に行ったりしますが、殊更好きな写真作家がいるというわけではありません。

石川 ほかに趣味はある?

武田 あとは、旅行が好きですね。民宿やゲストハウスに泊まって。基本は、青春18きっぷで一人旅です。尾道や金沢が好きですね。

石川 彼女と旅行は行ったの?

武田 二人で水戸の偕楽園に18きっぷで行ってきました。

沢辺 でも、泊まりとなったら、二人で行ってゲストハウスというわけにはいかないよね? 

武田 まあ、彼女も旅が好きで、ゲストハウスに泊まったりしていたみたいなんで。

沢辺 でも、さすがにゲストハウスじゃ問題なんじゃない? 最低民宿かな?

武田 まあ、そのときはそのときで(笑)。

「まわりを見ていると実際に大変ですし、自分が就職活動の仕組みが嫌だという思いもあります」

武田くんは現在ちょうど就職活動の時期。そんな武田くんに就活をどう思うかを聞いてみた。話は現在の就活システムの問題点と改善策に進む。カッチリした就活の制度に対して、その意義を認めつつも、そこにどう「ゆるさ」を組み込むか。そこが課題。

沢辺 就職活動ってどう思う?

武田 いまマスコミで騒がれているような、がっついてる感じはきらいですね。もちろん、ぼくは理系なので文系よりもめぐまれていると思います。文系のほうが理系より就職活動をはじめるのが早かったり、選考も早いみたいなんです。

沢辺 そのメディアで描かれる就職活動への違和感とはどういうもの? メディアで言われていることのイメージをだいたい大まかに言うとこんな感じになるかな。いまの大学生は、就職が大変で、ともかくかたっぱしからエントリーシートを出している。しかし、そのエントリーシートは誰もが知っているような大企業にしか出しておらず、中小企業には目を向けていない。だからいまの大学生は視野が狭いんだ。みたいな。「大変だ」ということに加え、「視野が狭い」ということが、大変さにより拍車をかけている。だいたいそんな感じかな?

武田 多かれ少なかれ、文系だと特にそうなんだと思います。

沢辺 じゃあさ、武田くんは、個人的に危機感がないの? 理系で比較的就職率のいい大学に行ってるから「どっか引っかかるからいいだろう」と、そういう可能性の高いポジションにいるので心配度が低いとか? それとも、いまの大学生全体を見てみて、実際は「そんなにがっついてないよ」と思うのか?

武田 まわりを見ていると実際に大変ですし、自分が就職活動の仕組みが嫌だという思いもあります。それに、自分が安心しきっているかと言えばそんなことはなくて、エントリーシートっていったいいくつ出せばいいんだ?」、「何回説明会に行って、何回面接すればいいんだ?」と思うこともあります。「どこで終わるんだ?」というそういう不安ですね。

石川 いま、「仕組みが嫌だ」という話があったけど、どういうこと?

武田 まあ、がっついている状況と、「大学3年生の後半からやらなければならない」という時期的なものですね。

石川 ということは、マスコミの就職活動に関する報道が嫌だということではなくて、現実に自分がかかわっている就職活動の制度に問題を感じているということなのかな?

武田 そうですね。あんまりいいとは思いませんね。

石川 ぼくも就職活動をやったんだけど、それでも、就活をはじめたのは大学4年生の春だったもんな。

沢辺 いかんせん、いまの社会は完成してきてるからね。就職活動にかんしても、もうシステムがかっちりできてきて、それを変えるのはすごく難しくなっている。二、三十年ぐらい前だったら、バイトで入ってたヤツも、「コイツできるな」と思えれば、ちょっと仕組みをこちらでいじって正社員で採用することもできた。でも、いまはなかなかそういうことができなくなっている。ちゃんとシステムにのっとって、就職試験をやんなきゃならない。
ところが、たとえば、採用面接でその人のことがわかるか、仕事できるかどうかわかるか、って言えばそんなことはわからない。おれなんて面接やってるけど、ぜんぜんわかんないもの。採用した相手について、「コイツこんな感じか」と少しわかってくるのは、働いてやっと一年ぐらいから。だから、おれなんて、「面接でどういうところ見るんですか?」と聞かれたら、「わからない」、「適当だ」、「面接で人を見ぬく眼なんてぜったいおれにはない」って言うようにしているもん。面接で失敗する危険性は絶対ある。だからもう、採用したら、「説教して育てる」っていうのしかないんだ。

石川 「就職のシステム全体は動かすのは難しいけれど、そのあとどう対処するか、ということが大切だ」ということでしょうか?

沢辺 「どうシステムをゆるくするか」、なんだと思うんだ。システムの側から見たら、「えっ、そんなことしていいの?」という部分をつくることじゃないかな。だって、バイトでがんばってる子を、「あいつがんばってるから入れようぜ」ってことが、いまはぜんぜん成立しなくなってきている。ある大手の出版社なんか、バイトで雇われた子は、「バイトから正社員になることは絶対にありえない!」とはじめからいきなり宣言されるらしいんだ。
実際には、正規のルートで一括採用された正社員がハズレの場合だってあるかもしれないんだよ。さっき言ったけど、試験や面接で仕事ができるかどうかまで判断できるとはかぎらない。もちろん、偏差値と仕事の能力の相関関係はそれなりにあるかもしれないけれど、だからと言って、偏差値の高いヤツが能力があるとはかぎらない。だから、たとえばの話、「バイトから正社員の道だってある」と、そういうゆるい余地も残しておいたほうがいいと思うんだ。
もちろん、いまの就職のシステムだって、もともとは、「よくしよう」という思いでつくられたんだ。おれはむかし公務員やってたんだけど、1960年代だったら、正規の採用システムで入ってこなかった、いろんなヤツがもぐりこんでたんだよ。70年代になると、試験制度がととのってきて、たとえば、一般の事務職の採用試験を受けられるのは28歳が限度、と明確に線引きがされるんだよ。その前はほんとにいいかげんだったんだ。土木事務所がセメントや砂利を買う金を流用して作業員を雇ったり、そんで、だれかが口をきいて正規職員になったりとか、表に出せないようないいかげんな採用もあったわけだよ。だから、「そういうことはいかんよね」ということになって、採用の制度が整えられた。でも、一回そういう制度が生まれると、なかなかそれをゆるめることができなくなっている。
もう十数年前に亡くなった人だけど、本の流通の業界で有名な出版社の営業担当役員がいるんだ。その人は、「この日何冊どの本が売れたか」、そういう本の流通のデータベースをいち早くつくった人なんだけど、じつはその人が出版社に入ったのは職安の紹介なんだ。だから、はじめは出版社の倉庫の作業員をやっていたんだよ。そういう人は、普通は役員なんかにはなれないんだ。だけど、たまたまその出版社は一回倒産したんだよ。そのとき、会社が「意欲のある者ならどんどん取り立てよう」と方針を転換して、彼には意欲があったから声がかかって、最終的にはデータベースをつくるまでになった。倒産という機会と彼の意欲がなかったら、彼はずっと倉庫の作業員だったと思う。でも、倒産という機会がなくても、意欲のある者がちゃんと評価されるような状態がもっと起こるようにならなくちゃいけない。そういう状態を意識的につくりださなくちゃならないんだ。
そもそも、就職試験を制度的にきちんとしよう、という動きが生まれたのも、意欲のあるひとをちゃんと評価するためだったんだよ。だって、「この人は社長の甥っ子だからなんとか入れてくれよ」というのがまかり通ってしまえば、他の人は意欲をもって仕事するのがばかばかしくなる。だから、ルールをきちんとつくって、試験をちゃんともうけて、そういうのはなしにしたんだ。そうすれば、社長にも、「ルールではこうなってるんです」と言って断ることができる。もちろん、ほんとうは、「ルールではこうなってるんです」って言うんじゃなくて、言いにくくても、「甥っ子さん、面接であんな偉そうな態度ではダメです」とまで言って断らなくちゃならないんだけどね。

石川 けれども、いまは、その意欲のためにつくった制度が、逆に、若い人の意欲を削いでしまっているわけですね。

沢辺 制度がソフィスティケイトされると、ゆるい部分がなくなってくるんだ。だから、こちらも意識的にそういう部分をつくっていかなくちゃならないと思うんだ。

「なんか『自分の興味のある分野には就きたいな』というのはあります」

武田くんは、仕事をどうようなものとして考えているのか。武田くんの言葉を通じて、夢や自己実現というキーワードで若者の仕事に対する考えを論じることができるかどうか、ということも問題になってくる。

石川 武田くんは「自分は理系だから就職はなんとかなるんじゃないか」という感じはある?

武田 まあ、それはありますね。安心はできないですけど。たとえば、友だちも、やっと一件ひっかかったところがあったけど、それは技術職とはまったく関係なかったりして。もちろん、ぼく自身も、純粋に理系ではなく技術営業職みたいなものでもいいとは思っているんです。けれど、その友人に聞いたら、介護がどうのと言っていたので、そういう職種になると、だいぶ自分の分野とはちがうかな、と。だから、ぎりぎりまで理系にはこだわりたいと思います。

石川 最近は大学でも就職に関する支援のプログラムがあって、自分はどの分野に向いているかを自己分析する機会があったり、エントリーシートの書き方なんかも学ぶ機会があるかと思うんだけど、そういうのはやっているんですか?

武田 やってますね。

石川 役に立った?

武田 情報が得られて、就職活動というのはこういうものなんだな、というのがわかってよかったです。大学主催の会社説明会のようなものもやってもらえるので、そのあたりは役に立ちました。

石川 そういうプログラムにかかわっている先生がよく、「いまの学生は、就職と言えば、すぐ、自己実現とか、夢を実現する、とか言うけれど、お金を稼ぐためのものっていう考えもあっていいんじゃないか」と言うんだ。武田くんは就職をどのように考えてますか?

武田 やれ自己実現、自己実現、というのは自分の頭にないですけど、なんか「自分の興味のある分野には就きたいな」というのはあります。「やりがい」というのはほしいです。そのためには、「残業だって仕方ないでしょ」、「待遇がどうのこうの言ってられないでしょ」とも考えています。

石川 やっぱり物をつくる職業に就きたいのかな?

武田 物づくりだけでなく、施工管理と言って、工事の管理からメンテナンスまでやるような業種にもエントリーシートを出していますね。インフラ関係の仕事なので、「自分もなにかを支えている一人になりたい」という気持ちがありますね。表に見えないところですけど、やっぱり、「なきゃいけないところ」ですから、そいうことにかかわると仕事のモチベーションも保てるのではないかと。「陰ながらやっていますよ」と言えるようになりたい気持ちがありますね。

沢辺 でも、そういう理由が立たないとだめなわけ?

武田 そうですね。自分のなかで納得できるものがないとやっぱりダメですね。

沢辺 おれなんて最初から夢としていまの仕事をやろうと思ったわけじゃないんだ。その日のことを考えながらやってきたら、いまの自分がある。そういう感じなんだ。偶然の積み重ねなんだよ。だから、夢がないといけないようなことはないんじゃないか、と思うんだ。武田くんは、「夢に向かって」と言って、目をきらきら輝かせている若者でもないけれど、それでも、「偶然です」と開き直ることもない。

武田 ある種、「どうにでもなれ」とも思っていますけど(笑)。

石川 武田くんのまわりはどうかな? 理系の学生は、文系の学生と比べれば、夢を仕事に、という漠然としたかたちではなく、選択の範囲はしぼられていると思うんだ。

武田 細分化しているので、技術職の口はなくはないです。下請けまでたどれば、やはり、技術職は必要なわけで。

石川 逆に言うと、漠然と「夢ややりたいことを仕事に」と言っているのは文系の学生ということなのかな?

沢辺 理系自身が夢の範囲は狭められるんじゃないかな。理系だと進学という段階で、いきなり選択の範囲がしぼられる。

武田 業種はしぼられると思いますね。

石川 それはそれで現実的な選択が迫られるので、「逆にいいかも」とも思うんです。文系の学生は、小さいころ「なんにでもなれるよ」と親に言われたまま、そのまま大人になったという感じもある。だから、文系の学生が時代の自由と選択の広さの困難を代表しているのかも? 

武田 広すぎて逆に困る、というのもあると思いますね。

石川 だから、ずっと漠然としてて、就職活動しなくちゃならない時期に「さあ、どうするか?」と、文系ではいきなりなるんだと思う。もちろん、理系はこう、文系はこう、という軸自体が妥当かどうかは問題だとは思うけれど。

沢辺 だから、なにがいまの若者の判型なのかということはちゃんと検証しなくちゃいけないよね。実際は、おじさんたちだけが、夢、夢、言ってるのかもしれない。たとえば、おじさんたちが書く中学生に向けて、「自分の好きな職業を見つけてほしい」っていう職業案内本には「セラピスト」っていうのはあるけれど、「土方(どかた)」はないんだ。

石川 それはよくないですね。

武田 ぼくは施工管理も志望してますけど、下請けがあってこその仕事ですからね。

沢辺 それで、そういうおじさんたちに乗せられた一部の若者が、夢、夢、言ってるのかもしれない。それに、実際の若い人たちの多くは、そこそこ普通の判断力があって、乗せられないで、夢なんて言ってないとも考えられる。

武田 ぼくの地元の文系の友人も公務員志望だったりします。

「そもそも、父親という存在は乗り超えるべき対象なのか?」

最後に、子どもの自立というテーマをめぐって武田くんに話を聞いた。まず、問題は「理不尽な父親を乗り越えて自立」というかたちが問題になる。そして、話題は「仕事に意味を求めること」の議論へ。

沢辺 だから、いまの困難さって、こういうことなんじゃないかな。おれの親の時代は、子どもに目をかけるなんてできない時代だった。でも、結果として、そういう親子関係のなかで子どもは自立に向かっていった。別に親が意識的に選択して自立させようと思ったわけじゃないんだよ。でも、いまは、親が子どもの面倒を見れるようになった時代なんだ。そうなると、現代の親は、「あえて」自立させるために、それを選択として、子どもに自立をうながさなくちゃいけないんだ。だから、これは余計困難なことじゃないかと思うんだ。
だって、つらいんだよ。うちの娘に5歳の誕生日に包丁を買ってやったんだよ。それで、娘に包丁もたせたら、危ないんだよ。こっちは、その様子を見れちゃってるわけだから、苦行だよ。で、その危ないのを一時間がまんしたんだけど、とうとう手を貸しちゃったんだ。でも、そういう苦行を親が引き受けないと、子どもを自立させられなくなくなっている。
とはいえ、その一方で、そんなに自立というのを考えなくてもいいのかなとも思うんだ。武田くんは聞いたこともないかもしれないけれど、おれたちの時代には、「おやじとの葛藤から、親子の争いがあって、自立」というかたちがあったんだ。これ、フロイトのエディプスコンプレックスと同じだと考えてるんだけど。それでいいかな?

石川 そうですね。フロイトが描くのは、男の子にデーンと立ちはだかる強力なライバル、という父親のイメージですからね。そこに子は挑むわけですよ。

武田 へえー。

沢辺 おれらの世代は、知的でありたい若者は、みんなそういう図式を受け入れたんだ。で、フロイトはそれを人間の関係の普遍的な構造として描いたんだけど、それって普遍的なものかな? と思うんだ。

石川 いまは父親はおっかなくないですからね。武田くんちは友達親子?

武田 そんなふうには感じないですけどね(笑)。

沢辺 でも、父親が自分の前に立ちはだかる理不尽な存在という感覚はないよね?

武田 そうですね。ないですね。

沢辺 おれは、自分の父親は理不尽な存在だという感覚があったな。自分の前にそびえたつんだけど、それは能力、というよりも理不尽さにおいて高いんだよ。こういう父親像がいま成立してないと思うんだ。だから、理不尽なおやじを乗り越えて自立、っていう図式自体にどれだけ妥当性があるかを検証しなくちゃならないと思うんだ。

武田 そもそも、父親という存在はのり超えるべき対象なのか?

石川 そうだよね。だから、強い父親に戻さなくてはならない、とかそういうことじゃないと思うんだ。小さい父親であっても、それでも、子どもは自立しなくちゃならないから、ではどうするか、ということだと思うんだ。ただ、自分は自分だ、と自立の感覚を得るためにはなにがきっかけになるんだろう? バイトなんかそうかな? でも、仕事して一人で立っていくことが自立になるのかな?

沢辺 でもさ、仕事だっていまは意味が求められるんだよ。おれなんか仕事したのは偶然なんだけど。

武田 うちのおやじも就職活動しなくて、偶然に入ったところの仕事がいまでもつづいている、という感じですね。

沢辺 そうだと思うよ。仕事なんて、たまたまそこに入って。偶然だよね。

石川 仕事に意味を求められる、というのはなんなんでしょうね。ぼくもそういう世の中を生きているんですけど、それを求められること自体を問わなくちゃいけないように思います。だって、食っていくことだけでも、とても立派なことだと思うんですよ。社会が成熟すると意味を求めるようになるのかな。そもそも、「やりがいがなくちゃ働けない」という言い方って、昔はありえないわけですよね。食っていくことでみんな精いっぱいなんだから。

沢辺 昔も職業選択に意味をもとうとしていた人はいると思うんだ。けれど、それって、帝大出とかのエリートだけでしょ。多くの人は仕事の意味なんて考えてなかったと思う。仮に意味を考えていたとしても、たとえば、紡績工場で働く女工さんとかは、「お父さん、お母さんにおいしいごはんを食べさせてあげたい」ぐらいで。だけど、その時代にも帝大出の人たちは、「オレは国を支えて」みたいな坂本龍馬みたいな気分の人もいただろうし。そのまた一方で、百姓の子はそういうことは考えていなかっただろうな。

石川 だから、こういうことだと思うんですね。少し話は戻りますけど、その百姓の子の場合は、父親を乗り越えるも乗り越えないもなかったんじゃないですかね。どうなんだろう?

武田 たんに親のやっていることを自分も繰り返すだけですからね。

石川 だから、まったく、親の時代と子の時代とがガラリと変わるようなときに、時代の切れ目に、強い父親を乗り越えて自立、っていうかたちが生まれるのかもしれませんね。

沢辺 ヨーロッパのインテリの間で自由が人間の最大の目標や価値となったのはいつごろ?

石川 18、9世紀、まさにフロイトの時代がそうですね。

沢辺 だから、それまでは、やっぱりヨーロッパの百姓も百姓以外の人生なんて考えられなかったんだと思う。「えっ、百姓以外にやることなんてないでしょ!」みたいな。貴族でもないのに、自分の土地なんかもてるなんて想像もできなかったと思うんだ。
そう言えば、いま土地の話が出たので、このあいだ聞いた話なんだけど、ヨーロッパでは、土地はほぼ100パーセント貴族の所有で、農民なんか土地をもてなかったらしいんだ。けれど、日本の江戸時代なんかヨーロッパでは考えられないくらい農民の土地私有が進んでいたらしいんだよ。もちろん、土地をもたない小作農もいたんだろうけれど。

石川 土地の所有の話は面白いですね。ぼくが前にイギリスの田舎に行って見たのは、小さな川の両側にずっと柵があって、「property」ってなってたんです。どうも、イギリスでは所有権ではなく利用権という意味らしいんですけど。でも、これって、貴族かなんかの個人が川を独占しちゃってるわけだから、驚きましたね。河川法を調べないと法律的にはわからないですけど、河川は基本的に共有物だ、という考えが日本にはあると思うんです。

武田 そこに水車とかあったんですかね? 興味がありますね。水車は個人の所有なのか共有物なのか? そういうのの管理はどうなっていたんでしょうね? ぼくの地元の川には、伸銅といって、銅を溶かしたり伸ばしたりを、水車を使ってやっていたみたいです。

石川 まさに、水車は動力だね!

沢辺 まあ、エネルギーにはじまりエネルギーに終わる、ということで。

石川 きれいにまとまって(笑)、武田くん、きょうは長い時間どうもありがとうございました。

◎石川メモ

理系の面白さ

 高校のとき数学が急に苦手になって、理系という選択肢にぼくは自分からバツをつけてしまった。けれど、武田くんと話をしたら、「ちょっともったいないことやっちゃったな」という気がした。高校のときは、たんにお勉強としての理数系の科目が目の前にあって、「それが難しくてイヤ」という気持ちだけがあった。けれど、そのお勉強のむこう側には、モーターいじったり、配線考えたりと、けっこうおもしろい世界が広がっていたんだな、といま頃になって気づく。
 教育の世界で、よく、「なんのための勉強か、その目的をはっきりと!」なんて議論がある。ぼくだって、自分の授業について、それはどんなことに役に立つか説明したりする。うまく説明できなくて苦労もしたりする。けれども、理数系の科目の意味は、すごくわかりやすいところにその目的がある、と武田くんと話すことで改めて気づく。高校のとき、先生が、パソコンや冷蔵庫を学生の目の前にもってきて、バラして、「ここのこれ、教科書のこの原理で動いてんだぞ!」とやってもらえばよかった。
 でも、まあ、そういうふうに教えてもらったところで、ぼくの数学嫌いが治ったとはかぎらない。だから、ぼくが後悔してもまったく意味はない。けれども、たとえば、理数系のテスト問題が、じつは物づくりにかかわっていること、そのことがもっと明確に伝わるような仕組みはつくったほうがいいと思う。

他者から求められることに応じること

 仕事に意味が求められる時代になって、一方で、意味ばかり求めて食えなくなっている人もいれば、他方で、十分食っているんだけど意味に飢える人もいる。この後者の人の場合、仕事を辞めてしまうことが多い。最近も、教え子から聞いたところ、友人が、職場の人間関係もよかったのに、「自分のやりたいことを見つめるために、海外へ行きます!」と宣言して、仕事を辞めてしまったそうだ。「仕事の意味=やりたいこと」なのだろうか。だんだんよくわからなくなってくる。
 もう少しいろいろな考え方ができるんじゃないか。たとえば、意味っていうのをかならずしも仕事に求めなくてもいいんじゃないか。仕事の外に自分の大切なものを見つけてもいいんじゃないか。けれど、こう言うと、「仕事にドライに向き合え」とも言っているようで、どこか不十分な感じがする。
 だから、仕事について、こう考えてみたらどうだろうか。「仕事の意味=求められることに応じること」。まずは、自分が求められたことに関しては、笑顔で応じてがんばる。もちろん、その結果、自分の体をボロボロにするまで働いてしまうこともある。でも、そのときはそのときで対処すればいい。この考えは、「仕事の意味=やりたいこと」とするより、利点があるはずだ。
 「やりたいことをやる=やりたくないことはやらなくていい」。最近の若い人のあり方をあらわした定式としてこのことをよく聞く。これはかなりまずい考え方だと思うし、かなり損をする考え方だ。
 ぼくは人間というのは究極のところ働きたくない生き物だと思っている。どちらかと言えば、働くよりゴロゴロしていたい生き物だと思っている。だから、仕事というのは基本的には「やりたくないこと」となる。
 でも、いまのところ、人間は働かなくてはならない。「やりたくないことはやらなくていい」というわけにはいかない。それに、仕事というのは、他人から求められて、他人が「やりたくないこと」をやることで、感謝されたり誉められたりする営みだ。だから、「やりたくないことはやらなくていい」というのを基準にすると、感謝を受けたり誉められることで味わえるよろこびが得られない。損をすることになる。
 というわけだから、「仕事の意味=やりたいこと」でもなく、「やりたいことをやる=やりたくないことはやらなくていい」でもなく、「仕事の意味=求められることに応じること」としたほうがよっぽどいいはずなのだ。
 もちろん、バランスの問題はある。けれど、うれしいことというのは、「お前がんばってるね〜」と言われたり、「好き!」なんて言われたりとか、たいてい自分の外側からやってくる。そういう声を受け止めるための準備としても、「求められることに応じること」は自分のなかの基準としておいて損はないと思う。