2010-10-27

第7回 自分のなかの基準をもちたい──山崎麻美さん(22歳・女性・大学4年生)

山崎さんは、1987年に高知県佐川町に生まれる。父親は高校の先生。母親は小学校の先生。10歳上と3歳上の兄がいる(現在それぞれ都内に住んでいる)。山崎さんはその町で育ち、県立の商業高校を経て都内の私立大学へ。現在4年生。卒業後どうするかはまだ未定。
山崎さんは、物怖じせずにはきはき自分の意見が言える、自分のことを整理して語れる人という印象。
*2010年4月24日(土) 18時〜インタヴュー実施。

「家族はそれぞれ、自分のやりたいことをやろうよ、という感じです」

家族構成は、やりたいこと派の父方の祖母(昭和3年生まれ)、父(56歳)、上の兄(31歳)、そして山崎さん。とくに、父は「思いつき」の人らしい。一方、堅実派の母(52歳)と下の兄(25歳)がいる。

石川 どこで育って、どんな子どもでしたか?

山崎 高知県の生まれです。小中高と高知で育ちました。10歳年上の兄がいて、その影響からか、幼いころから東京に出るんだと思っていました。

石川 お兄さんってどういうひと?

山崎 二人の兄がいます。一番上の兄は10歳差、二番目の兄は3歳差です。一番上の兄は高知でおばあさんがやっている雑貨屋さんの仕入れを東京でやっていました。いまは私も含めてそれぞれ三人東京に住んでいます。

石川 雑貨屋ってどんな雑貨屋さん?

山崎 おばあさんは昭和3年生まれですが、1990年から雑貨屋さんをはじめました。お店は、洋服やティーポットなどを売っています。なんか宝探しみたいな店です。

沢辺 田舎の雑貨屋さん?

山崎 兄や私が東京から仕入れたものがあります。

石川 ご両親はどういうひと?

山崎 二人とも教師をやっています。母が小学校の先生で、父が高校の先生です。

石川 厳しい?

山崎 家族はそれぞれ、自分のやりたいことをやろうよ、という感じです。これをやってはいけない、あれをやってはいけない、と強く言われたことはありません。助言はあるけれど、自分がこれと決めたことは応援してくれています。

沢辺 お父さんとお母さんはいくつ?

山崎 お父さんは56歳、お母さんは52歳です。

沢辺 団塊世代よりちょっと若いご両親だね。

山崎 そうです。先生になるのも簡単だったみたいです。

石川 お父さんは科目は何を教えているの?

山崎 商業を教えていますが、デザインをやりたかったみたいです。

石川 お父さんは先生で、子どもにも安定した収入のある先生になるように、と勧めて、お兄さんが「おれはそんなふうにはならないんだ!」と家を飛び出した、とかそんな感じじゃないんだよね?

山崎 そうですね。そういう感じじゃないですね。父は思いつきのタイプなので、わたしや兄の「やってみたい」という気持ちをわかるところがあったと思います。従兄弟とかは、「ちゃんと高知に就職して安定した生き方をしなさい」とか言われていると思います。うちの場合は、お父さんもお母さんもこのつぎやりたいことを考えていて、わたしたちにも「やりたいことをやりなさい」という感じです。

沢辺 お父さんはなにやりたいって言ってるの?

山崎 うちの父はフランスが好きで、自分の教えている学校の修学旅行をフランスにしたくらいです。それでいまは、フランスでたこ焼き屋をやりたいみたいです。

沢辺 フランスでたこ焼き屋をやりたい?

山崎 はい。それから若手の芸術家を集めてギャラリーをやりたいとか夢みたいなことを言ってます。

沢辺 ちなみに、高知のどこ出身なの?

山崎 佐川町といって、高知市から車で一時間ぐらいのところです。

沢辺 お父さんもそこで生れたの?

山崎 お父さんはそこで生まれ、大学は千葉の商業大学へ行って、生れた町に帰ってきました。

沢辺 お父さんとお母さんはどこで出会ったの?

山崎 聞いてないです。うちはみんなそういうこと聞かなくて。

沢辺 土佐へ帰って勤めはじめてから先生同士で出会ったとか?

山崎 どうもそうでもないらしくて、母はいろいろあったみたいで、母の母(母方の祖母)が再婚して、その新しいお父さんと母はうまくいかなくって、高校を卒業すると家を飛び出して。それで、通信教育で先生の免許を取って、20歳すぎぐらいで父と結婚しています。

沢辺 オレの世代ではお母さんは少数派だね。その頃はもうちょっと社会は豊かになっていて。

山崎 母は勉強もできたみたいで、ほんとうは大学に行きたかったんです。私が日雇いのバイトをしたと言うと、日雇いよりも時間を大切にしなさいと言われます。

沢辺 数千円のために貴重な自由な時間を無駄にするな、と。ところで、母さんは父さんのようにフランスへ行きたいみたいのはある?

山崎 父と一緒にフランスに着いて行く、というのもあると思うし、おばあちゃんの雑貨屋を手伝いたい、というのもあるみたいです。

沢辺 そのおばあちゃんは父方のおばあちゃん?

山崎 そうですね。母方のおばあちゃんは、二年ぐらい前に亡くなって。わたしは好きだったんですけど、母は家を出たあたりから祖母とは、距離感が多少あって。病気になってから看病したことで、最後は交流できてよかったといっていました。
 
沢辺 お母さんはたいした度胸だったみたいだね。ちょうど第一次ディスコブームのあったその時代、そこそこみんな食える時代だった。そんなときに家を飛び出て自活するお母さん。通信の大学行って、って。いまならよけいそんなことやるひといない。

石川 じゃあ、お父さんは大学のとき遊んでた?

山崎 遊んでたと思います。バカだと思いますよ(笑)。

石川 なにしてたか聞いてる?

山崎 詳しい過去のことは聞いていませんが、やりたいことをやっていたと思います。母はそういう父にあこがれていると思います。で、うちの家族って、父と一番目の兄とわたしは似ているところがあって。母と二番目の兄が似ている。

石川 そういえば、二番目のお兄さんっていま何しているの?

山崎 いまは東京でシステムエンジニアをやっています。高知の理系の大学を出て。昔はわたしはあんまり仲良くなくて。わたしが「感情」で兄が「理屈」といった感じで。

石川 では、お父さん、一番目のお兄さん、山崎さんが思いつきというか、直感で行動するタイプで、二番目のお兄さんは堅実なタイプなんだね?

山崎 そうです。二番目のお兄ちゃんがわたしの就活についてもいろいろ言ってきます。二番目のお兄ちゃんはお金が好きです。ちゃんとお金を貯めてから世界一周をしたい、というタイプです。

石川 お兄ちゃんは世界一周はするの?

山崎 よくわかんないですけど。わたしとはちがうタイプです。

石川 じゃあ、お父さんは、山崎さんが「自分はこうしたい」という思いつきを言うと、「やりなよ」とすぐ言ってくれるの?

山崎 なんとなく、子どものやりたいことを察してくれて、アドバイスみたいなのはくれます。いつも「こうしたい」という話をしているのではなくて、節目節目に、ちょっとギャグっぽく、こういうことをやりたいというのを話します。家族って「いつもよりそっている」という感じじゃなくて、だいたいそうじゃないですか。

石川 家族は仲はいい?

山崎 そうですね。盆暮れにはぜったいみんな集まって。

石川 お父さんもお母さんも仲がいい?

山崎 そうですね。

「高校は高知市にある商業高校へ行きました。ラオスに学校を建てよう、というけっこう特別な活動をしている学校でした」

山崎さんはけっこう活動派。高校のときはラオスに学校を建てる活動もしていた。素直にまっすぐに参加していた印象。

沢辺 小、中で勉強はできた?

山崎 飛びぬけてできたわけではなかったです。国語とかは得意だったけど、中学校からバレーボールの体育会系になって、高校まで体育会系で、大学に入って、また文科系に戻った、というか。だから、勉強とかには劣等感があって。でも、お母さんやおばあちゃんに、「気づいた時が出発点だから、遅れじゃないよ」と言われると、「ああそうかな」って。

沢辺 じゃあ、クラスのまんなかへんぐらいだったんだ。

山崎 そうですね。

石川 学級委員とかはやったの?

山崎 やっていたと思います。勉強とかじゃない部分でうまい位置にいたのか知らないけど、クラスではやな思いをしたことはないです。

沢辺 リーダーっぽい感じ?

山崎 グループの名前はわたしになってることがあったけど、じっさいは権力はそんなになかったです。わたしが絶対ではなくて、別に誰かが影でリーダーとしているわけではないけど、わたしの言うことで決まるということはなかったです。いつもわたしが意見をいうので目立ってた、とか、そんな感じです。

石川 じゃ、山崎さんはさばさばするのが好きでうじうじするのはきらい?

山崎 そうではないです。わたしもうじうじしています。

石川 元気いっぱいの少女っていう感じもしたけど。

山崎 明るいけど、明るくいたいと思っているだけで、自分の暗い部分とかは流しちゃいけないんだな、と思います。他のひとと比べると、自分は悩んでないな、と思うこともあるけど、家庭環境とかちがうし、比べられないな、とか。

石川 いきなり悩みの話になっちゃったけど、ちょっとまだ聞きたいことがあって、高校は進学校だったの?

山崎 高校は高知市にある商業高校へ行きました。ラオスに学校を建てよう、というけっこう特別な活動をしている学校でした。叔父がそこの先生をやっていて、小さい頃からその活動を見ていて。高校三年間はその活動をしていました。商業高校だから、自分たちでお金を集めてラオスからものを仕入れてそれを売って資金を集めるという活動をやっていました。

石川 お父さんの弟も先生なんだ。

山崎 お母さんは一人っ子で、お父さんの兄弟の家系が先生をやってます。先生一家です。

石川 どういう活動だったの?

山崎 自分たちでいろいろ企画できます。ラオスに行ったときは、ただ行くんじゃなくて日本語を教えたり、日本の文化、よさこいを踊ったりしました。日本でも高知市の地域活性課と協力して、市内の商店街の地域の活性化とラオスに学校を建てる活動を合体させてイベントをやったりしました。

石川 ラオスは年に何回行くの?

山崎 年に一回行きます。

石川 すんなりその活動に入ったの?

山崎 「世界には難民がいて」と言われると、知りたい、という気持ちが強かったです。偽善だとか、これを将来のことにつなげようという考えはなくて、ただ興味があってやってました。

石川 すなおにスッと入っていったんだ。そういうのはいやだという学生はまわりにいなかった?

山崎 生徒会が中心になって動いていたんですけど、わたしは生徒会は暗い、まじめという印象をなんとかしようと思っていて。面白いことをやっているのに、生徒会のイメージだけで、活動に積極的でないひとも多くて。

石川 全体的に高校時代は「たのしい思い出」という感じがするけど、挫折みたいなのはなかった?

山崎 「自分がやってきたことは自己満足なのではないか」というのは大学に入ってから感じたことです。それまでは、自分がやっていたことを外側から見るということはなかったです。

石川 そういえば、小、中、高ってずっと同じ友だちだったの?

山崎 高校も幼馴染の子がいて、大学ではほんとうに一人で入ったので、ホームシックになっちゃって。うまく友だちもできなくて、わーっとなっちゃって。そのときに、あなたのやりたいことは何なのって聞かれて、そしたら勉強だと思って。それができてるからまずはいいんじゃないといわれて落ち着きました。それからいろんなところに顔を出すにつれて友達もできて。

石川 それがはじめての挫折だったの?

山崎 挫折っていうか、あんなになるとは思わなかったです。でも、挫折って難しいことばですね。

沢辺 なにかに打ち砕かれるというか。

山崎 そういえば「だれかに壊されたことってある?」と言われたことがあります。

「自分のなかの基準をもちたいです」

山崎さんは高校卒業後、自由な校風で知られる都内の大学に進学した。そこで大学を楽しくする活動にかかわるけれど、高校のときのようにうまくいかず、ちょっとした挫折も経験した。現在の悩みは「自分のなかの基準をもちたいです」とのこと。

石川 山崎さんは商業高校に通っていたから同級生は就職するひとが多い?

山崎 専門学校や大学に行くひとも多いです。

石川 山崎さんはなぜ大学に行こうと思ったの?

山崎 大学は推薦で受けたんですけど、最初は関西の有名私大を受けてだめで。たのしいと思える大学に行きたいと思って。それで、親が私がいま行っている大学を勧めたけれど反発して、他の大学を受けようとしてたんです。けれど、東京にいる一番上の兄に相談したときに、「その大学はいいよ」と言われて。そしたら、すんなり、その意見を受け入れて。それでいま行っている大学を受けました。いまは行ってよかったと思っています。

沢辺 その大学は受験するときになって知ったの?

山崎 いや、小さいころから知ってて。親が研究で行ってたりして。

石川 有名なんだ。うちの田舎の親も公務員だったけどあそこは知らなかったな。

沢辺 あそこって教員、インテリ、民主主義とか人権に興味があるひとに有名なんだよ。

山崎 父も興味があった大学です。一番上の兄も入りたかった大学だったようです。

石川 受験勉強はしたの?

山崎 高校受験のときだけです。でも、いまになって勉強がたのしいと思えるようになりました。

沢辺 勉強がたのしいって思えるのは、30とか40になってからだと思うけど?

山崎 大学の哲学のゼミに入って、考えたことを言葉にすることが面白くなって、それに相手を説得したり、納得させるためには、知識が必要だなと思ってからは知ることが面白くなって。もっとはやく気づけばよかったと。

石川 社会に出たり、仕事をはじめたりすると考えることって切実になってくる場面があるけど、そこの大学のゼミってけっこう充実しててとことん話すようだからそうなるのかな?

沢辺 あくまで個人的な意見だけど、あの大学のそういうところは危険だと思う。社会はそういうふうにできてない。

石川 その感じ、わかります。

沢辺 あそこの雰囲気って、簡単に言えば、甘やかされてそのなかで意見を求められて話をしているという感じ。そこでの勉強のたのしさって大学を出てからもち続けられるかよ、と疑問だね。ひねくれた年寄りの意見だけど。

山崎 質がちがうって感じですか?

沢辺 仕事で求められる意見とあそこで求められる意見はちがうという感じがする。あそこは意見を求めるけど、どんなことでもOKにするという感じ。でも、社会はあるレベルに達した意見ではないと認めない。

石川 ぼくの感じではあそこは危ういところがあるし、やさしいところがある。けれども、まず、その大学に入って山崎さんはいままでの自分を外側から眺められた。今度はその大学を出てそれまでの自分を外側から眺めればいいのでは?

沢辺 そうそう。

山崎 そういうのって、社会に出るとわかるんですか? 他の大学へ行ったらわかるんですか?

沢辺 社会に出るとわかると思うんだけれど、甘やかされているままだと大変だと思う。

山崎 ふーん。

石川 「やさしいあの場所に戻ろう」とか抜け出せないひともあの大学には多いよね。

山崎 そういうのよく聞きます。

石川 あとは、山崎さんタイプじゃないけど、アンチだと「いいね!」と言われて、そこばっか伸ばしてしまうひともいると思う。

沢辺 そうそう。たとえば、社会を否定してもなにもできない。否定の方法論をいくら学んでも現実をどうするかという解決には結びつかない。でも社会はその解決を求める。にもかかわらず、否定すると、こいつ考えてる、というのをOKとする雰囲気。

山崎 でも、そういうひとをまず受け入れるというところがこの大学のいいところではないかと。わたしは大学に入るまで否定に出会ったことがないので。否定をそれまで怖がっていたけど、大学に入ってそのひとの理由がきちんとある否定なら受け入れられるようになった。否定が怖くなくなりました。

石川 いま否定の話になったけど、大学でなにか否定されたことがあったの?

山崎 二年生のときに、「自分たちの学校は自分たちで楽しくしよう」っていう目的を元に自主企画ゼミを起こして、私はゼミ長だったし、みんなの意見をまとめたいと思ったんです。けれど、うまく全体をまわせなくて。活動の最後に仲良くしていた友だちに、「この活動は意味がなかった」みたいなことを書かれて。わたしはそれまで友だちなら否定はしないと思っていたので、すごくショックでした。なかなか受け入れられませんでした。

石川 どんな活動をやっていたの?

山崎 一年間、大学の食堂で使っているトレーをきちんと返しましょう、という運動をやって。うちの大学はトレーを食堂の外に持っていって食べてもいいので。「じゃあ、みんながトレーを自発的に返すようにできればいい」ということで、私たちも楽しくできる呼びかけを考えてポスターや看板を作りました。でも最終的に結果をとるなら、「罰金をとればいい」という考え方に分かれてしまってうまくまとめられなくて。

石川 高校まではみんなでたのしくやってたのに、この大学での経験はある意味挫折みたいなもんだったと。

山崎 いままでは、友だちだったら意見は分かれないと思っていたけど、この経験で、友だちだから、というのがよくわからなくなって。

石川 友だちでも協力できることはできる、協力できないことはできない、ということがわかった、と。友だち観も大学でけっこう変わったの?

山崎 変わったんだと思います。

沢辺 小、中ぐらいまではいっしょにみんなで大きくなるけど、高校、大学へ行くとひとがちがう。いままで知らなかったひとにはじめて出会うひと、いっぱいものを知っているひとは大きく見えた。まわりのみんなが大きく見えた、ってことじゃないかな。

石川 ぼくなんかはものを知ったり、斜めに見れるひとが大きく見えたけど、山崎さんはどうだった?

山崎 言いきれるひとがそうでした。自分はなかなか言いきれないので。

沢辺 言いきれることに反発はないの?

山崎 この意見がすべて、というのはいやです。言いきることができないことを言いきろうとするのが疑問です。

石川 山崎さんは、言いきれるひと、とかじゃなくても、あこがれているひとっている?

山崎 自分は開かれていたいというのがあります。限定されていないこと、自分が影響を受けているひと、あこがれているひとに自分は限定されないでいたい、という気持ちがあります。「自分のいる世界だけが1番」みたいな人には「なんでそうなのかな?」と。狭いひとにはあまりあこがれません。

沢辺 ほんとうはなにか?ということなんじゃないかな。

山崎 みんなに共通する理想はあるのかな?と。

沢辺 これは大きな悩みだとぼくは思うんだけど。

石川 柔軟っていいことだけど、ほんとうはなにかわかんなくなるよね。

沢辺 ほんとうのことがあるとして、それはどんなものなのか。それから、自分はこれだ、と思ったことでも親はそれを望んでいなくて、それもやっていいのか。いろいろ迷うよね。

山崎 自分の「こう」というのはほんとにそうなのか、と。たとえばわたしはあるコピーライターさんが好きだけど、自分のモデルはほんとうに正しいのかどうか不安です。なにかを競争のなかで比較して鍛えてきたことがないので。ひととの向き合い方でも、「ほんとうはどうなんですか?」と気になります。ゼミの先生がわたしのことをほめてくれても、ほんとうにそうなのか気になって。自分の向き合う努力が足りないのか、と。でも、だめだとは思わなくて、あせらなくていいと思っています。

石川 ひととのかかわりで困っていることはそれ?

山崎 わたしはひとの言うことに共感しすぎるところがあって。なんで自分はひとの言うことをすなおに受け入れるのか。納得しているのか。そういうことに不安があります。

石川 じゃあ、いまの悩みはなんですか?

山崎 自分のなかの基準をもちたいです。

石川 そうか、柔軟と見えるけど、じつは自分をはっきりさせたいわけだね。

山崎 歳をとっていって基準ができたらいいかなとは思いますが。

「雑貨の仕事をやりたいです」

山崎さんのいまやりたいことは、雑貨屋さん。好きなコピーライターがやっている活動に共感して事務所に「参加させてください」と押しかけてダメだった。いつか自分の雑貨の仕事に注目されて、その事務所に「来てください」と言われたい気持ちもある。以前に雑貨チェーンのアルバイトをやっていたときのこと、自分で自由にディスプレイできなかった。自分でお店をやったら自由にやりたいことができるとも思っている。

沢辺 卒業したらなにするの?

山崎 それまでは先生になりたいと思っていたけど、これはちがうと思って、他人の成長より自分の成長に興味があります。そしたら、あるコピーライターの人がやっているインターネットサイトの活動に出会い、そこで出している本とか読んだりしたら、そこで働きたいと思ったんです。大学三年生のときに、いきなり事務所に行って「バイトでもいいから働かせてください」と言いました。そしたら、「そういう人っていっぱいいるから」って断られて。それでもめげずに、今度は自分の思いを手紙で出して、でも手紙に返事がなかったので、今度はまた事務所に手紙をもっていって、「返事をください」ということをやりました。けれどだめで、いまは、おばあちゃんが雑貨屋をやっている影響もあってか、雑貨の仕事をやりたいです。その事務所に「入れてください」ではなくて「来てください」と言われるようになりたくて。そのきっかけとして。分散した興味をまず雑貨にして、そこから物を売ったり、出版をしたり、イベントをしたり、といったかたちで広げていきたい。まずはバイヤーになってフランスで働きたい。そのフランスへ行くお金を自分で貯めたいと思っています。フランスにはのみの市とか雑貨の文化があって。まずはそのステップとして、いろいろ探して日本でまずバイヤーになることを学ぼうと。

石川 インタヴューをはじめる前に、いま雑貨チェーンでバイトをやっているみたいなこと言ってたけど、それをつづけるの?

山崎 そこは三月でやめることになっていて、いまは友だちとグループ展をやることに集中していて、グループ展が終わったら、そのあとどんなふうにするか考えます。

沢辺 四月から仕事を探しはじめる、と。

山崎 そうですね。

沢辺 なんで雑貨なの? ありがちじゃない? それに、世の中みんな雑貨屋さんになったら米作るひといなくなっちゃうと思うけど?

山崎 なくてもいいこと、そういう場に興味があって。そういうところに自由を見ているんだと思います。地道な生活というよりも。

石川 地道ってどういうこと?

山崎 お米をつくる人は自分でそれを食べることができるじゃないですか。

石川 うーん、自給自足のイメージなんだ。

沢辺 宅急便のお兄さんとか世の中に役に立ってると思うけど。ぼくは本出して売る仕事をしてるけど、自分の仕事より、よっぽど役に立ってると思ってる。

山崎 でも、出版の仕事はたのしいわけですよね?

沢辺 なんとなく一個一個眼の前の情報を印刷物にしていたら、だったら本屋さんに置かれるものにしよう、と。決断の一個一個が積み重なって、それはそれぞれほんの小さなものだったけど、それが積み重なっていまの状態になったという感じ。
山崎さんのように、出版をしよう、みたいに、いまの状態を思い描いたことはなかったね。宅急便のお兄さん、工事現場でユンボ動かしているひと、お弁当屋さんで働いているひと、いまの日本社会の多くのひとはじつはオレのパターンじゃないかと思っていて。それでいい。そんなもんじゃないの、とオレは思っている。
山崎さんとかは「こういうのやりたい」というのがあって意外だった。じつを言うと、大学の同級生に「やりたこと」ってワケじゃなくて、たまたまコピー機を売る営業になったってひともいるんじゃないかな? オレはたまたまでいいと思う。
むしろ、いまは「やりたいことをやりなさい」とまわりから言われていて、それはプレッシャーなんじゃないかな、と。それで、山崎さんはなんでクリエイティヴなの?

山崎 自分で決められる仕事をやりたいと思って。「こうしてはいけない」とは言われないような、自分で決められる仕事をやりたい。雑貨チェーンでバイトをしているとき、クリスマスのディスプレイをつくることになって、わたしはそのディスプレイにそのお店で売っているラムネを入れた。ラムネの本物を使うことで雰囲気もよくなるし、子供もよろこぶんじゃないかと思って。そしたら、社員さんから「ラムネの中身を食べ物ではないティッシュとかに変えてほしい。食品をそういうかたちで展示すると危険性があるので」と言われたんです。社員さんは、きっと、会社全体のことをかんがえてそう判断したのだと思うのだけど、そのことで余計自分で雑貨屋さんをやりたいと思いました。

沢辺 それは決定的にちがうと思うな。自分で雑貨屋さんをやれば自分で決められて自由になれると考えるのはちがうと思う。ほんとに自由をつくりだせるひとは会社のなかでも自由をつくりだせるはず。

山崎 ラムネのときもできるんですか?

沢辺 いまできるとは思わないけれど。
若い山崎さんがいまできないことは個人的能力の結果とは考えない。でも、どこかに行くと自由があるという考えはだめで、ほんとに自由を作り出せるひとはどこでも自由でいられると思うよ。
こないだのテレビでやってたカンブリア宮殿の花屋の社長、世間的に成功したひとと言われているひとも、さいしょは偶然のいきがかりで花屋になった。けど、その仕事と真剣に向き合った結果、そこにのめりこんでいった。
どんなところでも面白いものをみつける力があることが大切だと思う。ちょっと説教くさくなっちゃったけど、「ここには自由がないけれど、どこかに自由がある」という考えはまちがっていると思う。

石川 ぼくもその話は勉強になります。ぼくもある意味で山崎さんと同じようなクリエイティヴ志向だったので、「もの書きの弟子になったら自分の好きなことできるんじゃないか」と思って弟子になったけど、じっさい弟子になったら、言われることをやることばかりで。それで、自分でやりたいことをやりたい、というか、クリエイティヴなものへのあこがれを徹底的になくしたら、なくしてもらったら、自分で本が書けるようになったというか。

山崎 お二方が言っていることはよくわかるんですけど。ラムネの件も、会社のせい、「顔の見えない大きな組織だから、そういうこと言われるんだ」という感じがありました。

沢辺 よくあるビジネス本にも書いてあるけど、たとえば、そういう雑貨チェーンのいまの問題も、創造力を、どう現場から生みだすのかってことなんだよね。こうやったら売れるかもしれない、というのも含めて、働いているひとが自分自身でなにかを生み出せるか、というのが会社のいまの問題。でも一方で、現実はなかなかうまくいかない。たとえば、アルバイトに全部お店をまかせてしまったら、うまくいくはずがない。そこのところがいまのほんとうに上にいる偉い人が考えてることだと思う。

石川 山崎さんは、上から言われることっていやだった? 逆に、「本物のラムネがいいんです」って言っている自分をいやだと思わない?

山崎 上の人からの説明に共感できればよかったんですけど。

沢辺 でも、あえていえば、そこまで止まりだったんだよ。代案が提示できない自分もいるわけじゃん。

山崎 バイトだったから、というのがあったかも。

沢辺 でも、バイトでもやりたいことはできるはず。

石川 ほんとは、「上から言われて」ということじゃないかもしれないしね。

沢辺 世の中には、たいした理由もないのに決まっていることも多いよ。
国立国会図書館では、本のカバーは捨てちゃうんだけど、そこに厳密なルールやたいした理由もなくて。
むかしは、パラフィン紙というぺらぺらの紙を本のカバーとしていたので、それは捨ててもよかった。でも、だいぶ前からカバーの意味は変わってきた。
カバーは保存の意味ではなく、多くのひとに手にとってもらうためのものになった。デザイナーはそこに力をつくしている。でも、カバーを残しておこうよ、と行動に移すひとは誰もいない。図書館の現実がなかなか動かなければ、カバーを捨てないでとっておく、ということをひとりでやることもできる。ひとりだってできることもあるんだ。
たとえば、戦後すぐのカストリ雑誌を保存していたひとがいて、これは捨てられてしまうもので、それを保存しているのは当時はばかにされていたと思うけど、その個人の意欲はいま、すごいな、と評価される。ひとりでできることだってある。こういうひとは自分の自由を増やすことができる。自由なひとはこうやって自由を見つけだすひとだと思うんだ。
山崎さんは自分で雑貨屋をやると自由だと思ってるみたいだけど、オレなんて独立して自分で出版社を立ち上げたけど、まず思ったのは、自由じゃない、ということなんだ。だって休めないもん。休んじゃうと不安で不安で。お客さんも来なくなるんじゃないか。休むという自由ですら勤め人のほうがあるぜ。

山崎 「休んでもそのお店に魅力があれば」という発想はないんですか?

沢辺 もちろんそういう思いはあるよ。思いたい。でも、自分のお店に魅力がある、というのがまちがっていたらそれは怖い。ほんとうに魅力がなかったらおしまいだよ。そこが不安なのよ。

山崎 わたしのいまの考え方だと、「休んでもその間になにかを蓄えて帰ってくればまた魅力になるんじゃないか」というのがあるんですけど。

沢辺 たとえば、ある飲み屋が、日曜日やってるって、わかってて、行ってみたら「臨時休業」ってなってて閉まってて、そうすると、「今度もまたここ来よう」というモチベーションは下がるよ。

山崎 そこって絶対なんですか? 「ああ、空いてないんだ、また来よう」ぐらいには思わないんですか?

石川 いやあ、ひとはそんなにやさしくないと思うよ。

沢辺 オレ、やさしくないもん。

山崎 「しょうがないか」というのはないんですか?

沢辺 もちろんお店に抗議したりはしないけれど、行きたいときにそのお店が閉まってると確実に、つぎもそのお店に行こう、というモチベーションは下がるね。

山崎 でも、みんながそうなっちゃったら?

石川 えっ!

沢辺 ぼくらは自分の行動には決定権はあるけど、他人の行動に決定権はない。いっせいに「あんまり働かないようにしよう」、「みんなで休むようにしよう」と思うのは現実的ではないよ。

山崎 休んでも、ほかに魅力をつけるようにすればいいのでは?

沢辺 それはそう。でも、そうするには二倍の努力がいる。だから、休まないようにして、マイナスな条件を減らしていくほうが楽チンだと思うよ。一個一個の選択肢を埋めていくというのはそういうことで。うーん、説教くさいな〜。

石川 たとえば、世の中に100件のお店があって、「じゃあ、この日はぜんぶのお店で休むようにしましょう」ということになったら、1軒だけぬけがけして休んでないお店がもうかるよ。

沢辺 本屋さんがそう。組合があって、ぬけがけを禁止するような方向で進めてきた。その結果なにが起こったか。自分のお店の魅力をどう上げるか、ということを考えなくなった。いまは本屋さん全体が衰退してしまった。ぬけがけをつぶしていく、という方向ではうまくいかないんだ。競争というか、「人をたたくんじゃなくて、自分はどうするか」という方向のほうが、これからの社会の方向を考える上で妥当性が高い。

石川 こういうのははじめて聞く話?

山崎 そういうことがわかっていなかったからか、「バイトでできなかったことを自分でお店をもてばやれるかも」と思ってました。その場、その場でできることを考えずに、つぎへつぎへと考えてしまっていたと思います。でも、いまの話を聞いていると、その場のできることに集中することで、たのしさが生れるんじゃないか、と思えてきました。

「たのしむために仕事をする、というか」

山崎さんの仕事のイメージは「たのしいこと」につながっている。雑貨屋さんをやりたいというのも、そういうイメージとつながっている。

石川 山崎さんにとって働くことのイメージってなに?

山崎 こうあってほしい、というので言えば、たのしむために仕事をする、というか。

石川 仕事イコール「たのしいことやること」という感じ?

山崎 うん。毎日やることだから。

石川 それがいまは「雑貨屋さんをやる」ということなんだね?

山崎 自分がたのしいと思い、力が注げるのはそうなんじゃんないかと。

石川 地道っていう言葉が出てきたけど、一般に、クリエイティヴ以外のところで働いているひとのことってどう思う?

山崎 「すべてのひとが自分のやりたいことを仕事にしていないんだな」と思うし。「やりたいことは趣味でいい」というひともいる。同じ同級生でも、「働かずに主婦になりたい、それが夢」というひともいる。反感はもたないけれど、そういうひとには、「さみしくないのかな」と。「趣味じゃない領域で、自分を試したいと思うことはないのかな」と。家庭に入るというのは、「〜のために」というイメージがある。わたしは自分がいちばん大切で、自分がたのしいことをやりたい。

沢辺 「仕事はたのしいもの」と言ってたけど、食い扶持を稼ぐというのはないわけ?

山崎 そういうふうに稼いだことがないので、まだよくわかりません。

沢辺 でも、生物なんだからそこが基本になるというふうにも考えられるけど。

山崎 でも、やっぱり、自分のたのしいことをやりたい。うちの親もそういうふうに育ててくれて、自分もやりたいことをやっている自分を親に見せたいです。

沢辺 たのしいことと生きることは対立してるんじゃなくて、どちらかを優先しなくちゃならないときもある。そういうときは生物なんだから、やはり食うために稼ぐことが優先されることもあると思うけど、そういうのは全然ないのかな?

山崎 ほんとうに食べなきゃいけないというお金の稼ぎ方はいままでしてこなかったし、アルバイトも自分のお小遣いを稼ぐことだったし。そういうことは、これからの課題かと。

沢辺 この春大学を卒業して、四月から仕送りは止まるの?

山崎 仕送りはなくなります。

沢辺 貯金いくらなの?

山崎 貯金ないです。

沢辺 家賃はいくら?

山崎 五万七千円。

沢辺 たいへんだ〜。

石川 メシ食うために、というのは四月からリアリティをもつかな。でも、そういう自分はなんでつくられたのかね? このインタヴューのはじめにお父さんの話をしてくれたからお父さんの影響もあるのかな?

山崎 家族の影響もあるかと思いますが、「その時々のこと、起こることを流さずにとらえたい」ということがあるかと。

石川 けっこう自分はまじめにやってきたということ?

山崎 ひととかかわることを大切にしてきたかと。

石川 さっき話してくれたラムネのこともひととかかわることだったけど、それは納得しなかった?

山崎 あのときは、「この場をなんとかしよう」というのではなく、ちがう場所を求めていました。

石川 では、社会のイメージってどういうもの?

山崎 もがいている。

石川 だれが?

山崎 みんなもがいている。

石川 自分もその中にいる?

山崎 いる。

石川 自分のもがきとは?

山崎 自分についてもがいている。この一年は自分についてもがきました。ほかの人に興味が行かなくて、自分について悩みました。

石川 それは将来のこと?

山崎 学校とか所属するものがなくなって、「自分の場所をつくらなくちゃ」とか。

石川 そこで、雑貨屋とか、場所ということなんだ。

山崎 そうですね。

石川 今回も、いろいろ面白いんじゃないでしょうか。

山崎 いろいろ話が飛んじゃって。

沢辺 オレ、しゃべりすぎ?

山崎 そんなことないです。たのしかったです。自分の知らないことを教えてもらって。

沢辺 はげましているんだけど、事実を見つめて、それをなんとかしようというひとはなかなか少なくて。みんなできない理由を探す。その環を抜け出すのはすごく大変。オレもそうだけど。

山崎 でも、それを崩してきたのでいまの社会があるわけですか。

沢辺 そういう社会になってないかもしれない。そうなってないかもしれないけど、みんないろいろ眼の前のことをなんとかしようとして動いてきて、少しずつ変わっていくというか。

石川 これから、見ず知らずのひとに自分が評価されるということはどう思う?

山崎 自分の知らないことがわかるから、たのしみです。

沢辺 でも、その働きたいと思った事務所に行ったときは怖くなかった?

山崎 怖かったです。でも、自分を客観視できたから。

沢辺 それはいまだから言えることでは?

山崎 でも怖かったけど、失うものはないなって、これからも自分のやりたいことをやっていく、というか。

石川 いろいろまた聞くかもしれませんが、もう時間ですね。今日は長時間どうもありがとうございました。

◎石川メモ

やさしい暮らし、やさしい世界、やさしいお店

 インタヴューのなかでは、ぼくも少し厳しく山崎さんの「やりたいこと」についていろいろ言ってしまった。けれども、問題にしたほうがいいのは、これはメディアがつくりだすものかもしれないけれど、やさしい暮らし、やさしい世界への幻想みたいなもののように思える。
 主に女の子が好むような、もちろん、さいきん流行のエコもからめたような、すてきな雑誌やサイトがある。雑貨、かわいいもの、おいしいもの、きれいなもの、それにもちろん、エコなものも満載で、クリエイティヴなこともやってます、という風味も添えて、はんなりしていて、やさしい暮らしが提案されている。こういうやさしい世界にあこがれる人っていっぱいいると思う。
 メディアに取り上げられているやさしいお店は、いかにも、仕入れで何日もお店を閉めてもお客が逃げないようなお店に見える。「フランスで仕入れなんてステキ、つぎはどんなかわいいものが入るのかしら?」と待っててくれる、これまたやさしいお客さんがいるように見える。けれど、これ、現実だろうか?
 ぼくは、東京の高円寺という雑貨屋や古着屋の多い、いわゆる「若者に人気の街」にもう20年近く住んでいる。この街を見ると、ほんとにつぶれる店が多い。たとえば、20年という長いスパンで見ると、ぼくの記憶しているかぎりで残っている古着屋は1軒しかない。雑貨屋は1軒もない。
 もちろん、繁盛して、もっと栄えている街に移転した店もあるかもしれない。けれど、大方はつぶれてしまったはずだ。外装もかわいい小さなお店が「長い間ありがとうございました」の張り紙で閉まっていくのをよく見かける。お店がかわいいだけにすごく悲しい気持ちにさせられる。そして、その空いたテナントにまた新しいかわいいお店が入る。街じたいは、いつもかわらず若者に人気の街なのだけど、そこには無数のやさしさの幻想の屍がある。
 べつに、やさしい暮らしの提案や、やさしい世界へのあこがれを全否定するつもりはないけれど、やさしさをめざして滅びた残骸というか、そういう矛盾の部分、やはり見えたほうがいいと思う。『やさしさ残酷記』みたいな本、あったらぜひ読みたい。

生活と信用

 「クリエイティヴなこと」、「なにかを表現したり、作品をつくりだすこと」を仕事にしたい。しかも、それが「たのしいこと」。こういうのが山崎さんの仕事観なのだと思う。
 ぼくは、本を書いたり、こうやってネットに文章を載っける機会をいただいたりして、世間的に言えば、クリエイティヴな仕事をしている。自営業だ。沢辺さんが、「自営業はすごく不安」と言っていたけれど、ぼくも不安。仕事をやるだけでなく、仕事をとってくるのも自分だし、なんと言っても、自分のこのお店がつぶれるのが不安だ。
 もし、「こいつに書かせても面白くない」と思われれば、生活していけなくなってしまう。期日までに原稿を仕上げなければ信用がなくなって仕事も来なくなってしまう。どうしても遅れてしまったら謝る。けれども、遅れてしまうことが何度もつづいたらもう仕事が来ないんではないかと不安になる。それこそ、20年、このお店をつづけられるだろうか。不安になる。
 「自己実現」、「やりたいこと」、「クリエイティヴ」、「たのしさ」といろいろ仕事の有意義さはあるようだけれど、やはり、「生活」ということが仕事の意味なんじゃなかろうか。お金を稼いで死なないように生きていくこと。それで、これは自営業でもサラリーマンでも同じだと思うけれど、自分の「信用」をどれだけ確かなものにするか、そのためにとにかく眼の前にあることをがんばる。
 「生活」と「信用」と言うと、いかにも味気ないように思えるけれど、これが土台となって、こういうものが積み重なって、結果として、後から、「自己実現」、「やりたいこと」、「クリエイティヴ(なにかを作り出した感)」、「たのしさ」がついてくるのだと思う。
 たぶん、いま、仕事と言うと、とかくこうした結果のほうが強調されて、基本の「生活」と「信用」があまり大切だと受け取られていない感じがする。