2010-06-21

序文

文・石川輝吉

若者のあり方から哲学してみる

 若者との話をきっかけに、哲学をもっと具体的なものにしたい。そもそも、哲学とは、考えることなのだから、その考えるきっかけは無数にあるはず。もちろん、若者だけでなく、世代は高齢者にまで広がっているはずだ。けれども、まずは、若者に話を聞くことからはじめたい。高校、専門学校、大学など、学校を卒業して働きはじめて2、3年、あるいは、大学を卒業しつつある学生の話を聞いてみる。人生のうちで、最初になにか壁にぶつかっていちばんなにかを考えている時期、その時期の若者の声をきっかけに、哲学をやってきた者としてなにかを考えてみたい。
 具体的にどのようなことが考えられるかは、まだよくわからない。でも、やってみる。哲学は現代的な問題にどういう問いを立てればいいか、それに対してどう答えることができるか。そういうことが若者の生の声を一人ひとり聞くうちに見えてくればいいと思う。

夢にむかってがんばります?

 さしあたって、このあいだの沢辺さんとの対談で出た内容を軸に若者に話を聞いていこうと思う。まず、ひとつの軸は、「夢」や「やりたいこと」というキーワードに象徴されることだ。自分もそうだったけれども、この社会の多くの子供は、「自分の好きなことをやりなさい・やっていい」、「がんばればなんにでもなれる!」と親に言われ育つのだと思う。そして、こう言われて育つことは、夢=自己実現=やりたいことをやって金を稼ぐこと、という理想をもつことにも通じていると思う。
 けれども、こういう理想は若者をしばっていないだろうか。なにかすごく大きな夢を実現して、成功してすごく立派になって楽しく生きて……。こういう「夢にむかって」みたいなスローガンで自分をしばってしまう若者は、自分を苦しめていないだろうか。たとえば、やりたいことは趣味でやって、仕事は生活するためにやる、という現実的な選択はできないでいるのかもしれない。そこが現代の若者の悩みどころかもしれない。
 現実はなかなか厳しい。夢に向かってゴーと言われて育ってきた子が、そうは言っても夢の通りに自由に何にでもなれるわけではない。若者たちは、どのように不況を知って、どのように思い通りに就職できない現実を知り、一体どのように冷めていくのか。
 けれども、夢にむかってがんばります! がいまの若者の一般的な姿でないかもしれない。大きな夢を抱くのではなく、もう中学生ぐらいの頃から、自分の立ち位置、将来どういった職業に就くのかをかなり自覚して、日々を送っているのかもしれない。ある意味で、さいしょから冷めている。この冷めている自分、自分を冷めさせている社会に不満をもっているのか。それとも、その冷め具合がいい具合になっていて、上手に現実の社会に着地しているのか。そのあたりがわかれば、夢にむかってがんばります! ではない若者のあり方もはっきりしてくるはずだ。

〈ひとそれぞれ〉

 ところで、若者の他者に関する関係はどうなっているのだろう? 自分の接する若者たちがよく使う言葉に〈ひとそれぞれ〉というものがある。この感覚はどれだけ広く共有されているのだろうか? 〈ひとそれぞれ〉という言葉は、一人ひとりの自由な生き方、考え方を尊重するような言葉だ。だれもがそれぞれに生き方、考え方があっていい。それはとてもいいことだ。
 けれども、私たちは他者といっしょに生きていかなくてはならないし、仕事とは、自分と異なった他者といっしょになにかをやることでもあるはず。〈ひとそれぞれ〉では済まされない場面もあるはずだ。そのようなとき、若者はどう自分の〈ひとそれぞれ〉の感覚と向き合っているのだろうか。〈ひとそれぞれ〉の自分の感覚と〈ひとそれぞれ〉では済まされない現実とどう折り合いをつけているのだろうか。若者の他者とのつきあいかた、コミュニケーションのあり方、コミュニティーのつくり方はどのようなものなのだろうか。こうした点を考えるために若者の〈ひとそれぞれ〉感覚についても見ていきたい。

哲学は使えるのか?

 上で言ってきたことは、ほとんど問いのかたちになっている。まとめてみれば、いまの若者の理想と現実、他者との関係を問いたい、その悩みのかたちを知りたい、整理したい、ということになる。こうしたテーマはじつは哲学が大むかしから考えてきた。けれども、哲学というのは、理想の問題なり、現実への着地の仕方なり、〈ひとそれぞれ〉で済まされない場合の他者に通じる言葉なりを、抽象的な概念で考える。抽象的な概念は、考え方のかたちを与えてくれる。でも、哲学の弱いところは、具体例が少なすぎる、という点だ。ほんとうは、パキッとはっきりした抽象概念の整理のおおもとには、「ぐずぐす」と悩んだ一人ひとりの具体的で現実的な人間がいるはず。このことをちゃんと取り込まないと、哲学は、抽象的な議論ばっかりやっていて、ちっとも現実に役立ちやしない、と言われる学問、一般のイメージどおりの小難しい学問になってしまう。
 いまの若者のあり方を見ること。これは哲学に具体性を取り入れることであるけれども、もう少し言えば、哲学を現実に試すことだ。だから、それまで哲学が提出した考え方でいまの若者のことがうまく理解できなければ、哲学のほうをあらためなくてはならないはず。現実にある問題をどう整理して、どう考えたらいいか、そういう言葉をつくりだすのが、哲学の役目で、そういう言葉を生み出してはじめて、哲学は使える、ということになるはずだ。

哲学を使えるよい品物にしたい

 ぼくのように哲学をやってきた者が、若者と話をして、どんなことが考えられるか。それはいまの段階で、ほんとのところどうなるかわからない。哲学者たちがこれまでどんなことを言ってきたか、ぼくは勉強してきた。けれど、自分が勉強してきたことを現実で試すような作業はほとんどやってきていない。現実と向き合って、自分の考えを試して鍛えることは怖いことでもある。けれども、哲学は自分の仕事だ。社会ときちんと向き合って、少しでも多くの人に有用な考え方を提示すること。これは、よい品物をきちんと売る、という哲学という市場の原理だ。この点にはまじめでいたい。もちろん、よい品物でなければ売れないわけで。だから、当然のことだけれども、よい品物、使える考え方になるよう努力していく。
 さしあたっては、いまの若者をどう考えるか、と急いでまとめに入るのではなく、それぞれの若者のナマの声を紹介していくことからはじめたい。若者からどれだけのことを聞きだせるか、というのは、ひとつのチャレンジだ。ストレートに自分を語ってくれないかもしれない。自分をつくって語る若者もいるかもしれない。けれども、協力者である沢辺さんといっしょに、若者の実像にせまるようどんどん突っ込んで聞いていていきたい。
 ちなみに、当然なことだけれども、これから話を聞いていく若者が若者のすべてではない。この企画では、若者の全体を完全に捉えようという大きな目標は置かない。ひとり話を聞き、ふたり話を聞き、といった具合に進んでいくうちに見えてくるものをこの企画は大切にしたい。その積み重ねの結果として、哲学、考えることが少しでも具体的で現実的になること。現代の問題が少しずつクリアになって、どう考えたらいいか、がわかってくること。こうしたことをえっちらおっちら、こちらも「ぐずぐず」と悩みながらめざしていく。
 それではまず、いまの若者の声を聞いていこう。

第1回 違う世界にいる人は、苦手──佐々木憂佳さん(24歳・女性・勤務歴2年)