2007-06-24

QJw「会社で生き残る!」その4

vol.2.jpgトレーダー●32歳
運用資金は400万円→6千万円

[名前]藤井貫太郎
[居住地]東京
[業種]金融関係
[職種]トレーダー

・「結婚したら一人前だ」

投資家といわれると歯痒いですが、ぼくがやっている株の売買は、「システムトレード」と呼ばれているもので、決められたタイミングで、機械的に売買を繰り返していくという投資法です。大きなドローダウン(含み損)をかかえることもしょっちゅうあるため、それに耐えられる精神力と、ある程度の資金力がないと真似のできない投資法かもしれません。

社会人経験は6年間で、最初の5年は埼玉県で医療福祉職に勤めていました。民間の病院の事務職員。といっても病院が大きかったので、在宅支援から運転手までいろいろやりました。その仕事を一生するとは考えていませんでしたね。ただ漠然と入ってしまった感じです。まだ若くて他に比較できるものがなかったから、労働環境が良いかどうかはわからなかったんです。給料は安くて不満がありました。狭い世界ですし、職場は好きではなかったですね。でも懐かしい思い出もあるし、仕事の大変さを知ることができました。

また結婚すれば体裁がいいみたいな職場の雰囲気があったので、自分はそこに乗れないんだ、みたいな感じはありました。上司からは「結婚したら一人前だ」とか「彼女はできたか」とか、辞めるまでずっといわれていました。向こうには悪気がないんでしょうけど、そこでは男と女が家庭を持つというのは幸せのステータスなんですよね。だからぼくもそういうふうになりたいと思うことはありました。すでに男性経験はありましたが、そのころは男性との関係が成就するとは想像できませんでした。たぶん自分がゲイであることを受け入れていなかったのかもしれません。だけど好きな女の子もいたんです。ボーイッシュな子! その思いだけで5年持ちましたよ。自分は間違いなくゲイなんですが、その彼女は好きだったんです(笑)。結局、その彼女とは付き合うことができたのですが、性行為がやはりうまくいかず、長くは続きませんでした。失恋の辛さを初体験しました。その彼女との別れとともに、職場も離れたという感じだったんです。不真面目でした。

・中国株を買う

それでいったん地方の田舎町にある実家に帰りました。そこでまた、生活困窮者支援の施設に1年間ほど勤めました。ところが、職員の中で男はぼくだけで本当になんにも面白くなくて。ゲイとして面白くないだけでなく、友達すら出来ない職場環境でした。また東京に行きたいと思っていたら、ちょうどそのころ、両親が退職間際で東京に家を建てたんですよ。そこでぼくは、その一室をいただいてしまえ、と。それで仕事をやめて、また東京に戻ってきました。ここでも仕事よりゲイライフの充実を優先しての決断でした。

それから貯金は200万円くらいしかありませんでしたが、お金を稼ぎたいと思って、本屋に行って投資の本を見始めたんですよね。もともと祖母が株をやっていたのである程度の知識はあったんです。その祖母が200万円ほど融資してくれて、貯金と合わせて400万円くらいから始めました。本屋で袋とじの株の本を上から開けて立ち読みしていたら、中国株がたくさん出ていることに気付いたんですね。それで最初は中国株を買いました。2008年に北京五輪があるからこの銘柄が伸びるだろうって(笑)。それほどの素人感覚でした。

でもそのとき買った株はいまも持ち続けていて、合計で1千万円以上の含み益を出しています。日本の株と比べて中国株は配当率が非常に高いので、10年以上持てば配当金だけで投資した元手が回収できるものも少なくないんです。だから今後も売るつもりはありません。それに投資生活を送る一番のきっかけになったことは、インターネットで売買できるようになったことです。日本株も始めて、最初は負けもないけど儲けもなかったのですが、中国株が上がっていたので、そちらを切り崩しながらやっていました。

投資法はしょっちゅう変わりましたね。儲けるために何をしたかというと、紀伊國屋に通って関連書籍を読みまくったり、DVDやビデオテープといった教材を惜しみなく買ったり、成功したひとに直接会って話を聞いたりしました。セミナーに参加して、そのイベントの後も図々しく講師陣とともにご飯を食べに行って、どういうやり方がいいかという話に耳をそばだてました。講師もみんな金の亡者ですから(笑)、セミナーだけで自分の手の内をすべて明かすようなことは絶対にしないんです。これから始めようとするひとは、素直に成功したひとを見習うことが大事だと思いますね。ぼくは何人も大口投資家のひとと知り合いになってきたことがいまに活きています。投資はプロも素人も同じ土俵で戦うお金の戦場です。大きな失敗は一度たりとも許されないし、知識や技術だけでは太刀打ちできない厳しい世界であることは、ぼくも何度も知らしめられました。

いまは6千万円くらいの規模でやっています。400万円で始めて、4年くらいでそうなりました。年収という概念は薄く、ただひたすらに高い利回りを出すことを重視しています。目標はそうですね、銀行マンが一生のうちに稼ぐ額が3億円を超えるみたいなので、できればぼくは30代のうちにそれを成し遂げたいです。資金の6千万円は丸ごと投資に用いていて、貯金はしていません。現金なんて貯めていても利息が付くわけでもないから何の意味もない。運用すればこそのお金ですから。自分は車を買いたいとか、ヒルズに住みたいという気持ちはないです。贅沢といえば、昔から好きな雑誌や本を買い漁ることくらい。あとは映画をレンタルビデオではなくて劇場へ観に行くとか、それくらいなものです。まあ今後、順調に資金が増えていったとしても、スーパーで半額シールの貼られたお惣菜を買ったり、100円ショップやドン・キホーテで日用品を買う生活スタイルは絶対に変わらないでしょう(笑)。

トレーダーという職業は不安を取り除くための道具なんです。なによりお金があると気持ちがいい。経済的不安が軽減されます。前の職場にいたときに、自分は出世できない、と気がついたときがあったんです。下が入ってきても先導するタイプではないし。どこの集団の中にも権力関係があるじゃないですか、その中を上がっていくことはできない性格だとわかっていたんですね。小さいころから女の子と遊んでばかりいるような子どもだったのですが、中学生くらいになってそれが目立ったんでしょうね、心ない同級生に虐められたりしたこともありました。ぼくは本当に暴力が嫌いだし、そういった状況は絶対に回避するタイプなんです。競争原理が導入された組織には馴染めないんですね。投資の世界は競争そのものですけど(笑)、完全自己判断ですから意味が違います。

それにいまは上司におせっかいなことを言われることもないし、お酒の席や社員旅行に無理に参加しなければいけないなどといったストレスから解放されました。親にカミングアウトはしていませんが、結婚しろとは言われません。親の株も運用してあげているので、それも関係しているのかもしれませんね。ゲイとしても、この職業は相性がいい。ただ、1日に数百万くらい稼いでしまうと、どこかに罪悪感はあります。こんなことで稼いでしまっていいのか、と神経質に思って、でもまた成功者の本を読んで、いや、いいんだ、と思ったりして(笑)。

・3億円稼いだら違う道へ

3億円を稼ぐことができたらその先はお金に苦労をしないようにして、違う道にいきたいですね。かつては、教員になりたかったんですよ。性的な意味はありませんが(笑)、高校教師に憧れていて。両親が教員でそれを楽しんでいたんです。いまでも生徒たちと交流があって、両親みたいにいつまでも若くいられていいな、と。ぼくは3億円貯まったら、不動産経営をするかもしれません。ただ、土地も利回りがいいものではないので、持ち家はどうかと思います。ゲイとしては、賃貸のほうがいいんじゃないかという気がしています。ヤドカリのように住居を移っていくほうが身軽だし(笑)。保険についてはいまのところは、国民年金と郵便局の簡易保険だけで医療関係をまかなうといった感じです。

自分自身、「ゲイコミュニティ」を求めているかというとそうでもないですね。中野に住んでいるにもかかわらず、近所のゲイのひとたちとはそれほど交流がありませんし。ただやはりノンケの友達は疎遠になっていっているし、ゲイの友達が心の支えになっていくウェートは年々高まっていくだろうとは感じています。投資の世界だけで生きていてもなんの面白みもないですしね。恋人はいます。ゲイの野球サークルで知り合いました。すごく親切にしてくれている、というか、誰に対しても律儀でやさしいひとです。いまはたとえ親兄弟でも自分のテリトリーに四六時中誰かがいるというのは、自分の性格上、耐えられないのですが、近い将来、その彼と一緒に暮らせるようになったら嬉しいですね。

トレードという行為自体が快楽なので、本当に3億で辞めることができるかどうかはわかりません。財産については、それなりに努力して蓄積してきたものだし、ただ残して死んでしまうのはくやしい気はしますね。恋人がいうには、年をとったら親子ほど年の離れた若い子を養子として受け入れ、財産をゆずって死にたい、と。ぼくもそういうところはあります。その若い子に求める条件は、見た目がかわいくて頭の良い子で、ぼくの人生を完結させてくれるひと。性愛関係はなくてもかまわない。そりゃ、あるにこしたことはないけど(笑)。高齢者施設でも働いていたものですから、本当に幸せなお年寄りというものをあまり見てきていないんですよね。幸せだと感じるケースは10人にひとりくらいの感覚。お金があっても幸せそうではないひともたくさん見てきましたし、お金がなくても幸せそうなひともいました。お金があってもなくても、「自分なりの幸せの形」を見つけられなければ、満足のいく老後は迎えられないのだと思いますね。いまでさえお金がぼくを邪心に導いているような感情も正直あります。それらをどうやって克服したり、見つけるかが、自分のこれからの課題です。