2007-06-29
QJw「会社で生き残る!」その6
美術工芸品制作●35歳
心霊現象で退職
[名前]瀬尾公太
[居住地]関東
[業種]サービス業
[職種]美術工芸品制作
美術工芸品の制作と販売をしている会社で働いています。従業員は正社員が10人くらいで、あと、扱いはアルバイトやパートになりますが、職人さんが数名います。ぼくは社員として営業で入りましたが、いまは制作を中心に働いています。みんな横並びなので、役職はないですね。社長がいて、各部署で独立しています。母方の祖父が始めた会社で、現在は兄が社長をしています。働いて8年になります。
20代は、大学を卒業してから1年半くらい老人保健施設で相談員の仕事をしていました。できたばかりの民間施設で理事長が同じ大学を卒業したひとで、誘われて就職しました。働きやすい環境でしたが、古戦場跡に建っていた施設だったせいでしょうか、オープンして3ヵ月で施設長が倒れたり、職員が交通事故にあったり、職員の家族が亡くなったりしまして、ぼくも車での通勤途中に追突事故にあってしまって、怖くなって(笑)、辞めてしまいました。
そこを辞めたあとはインドに行きました。ぼくは18歳くらいから一人旅が好きで、大学でも探検部に所属していたんですが、1年生の春休みに初めて旅行したインドにすっかりはまってしまって、またインドに行きたくなったんです。帰国してから、アジアの国に仕事を持ちながら住んでみたいと思って、10ヵ月くらい日本語教師養成講座に通って資格をとりました。それでそのあと2年弱くらいインドネシアのジャカルタで日本語教師の仕事をしていました。
日本に帰っていまの会社に入ることになったきっかけは、母方の祖母の死でした。99年のお正月に一時帰国をしたときに、いつまでもぷらぷらしてないで会社を手伝って欲しい、というようなことを祖母に言われていたんですね。その後インドネシアに戻って4ヵ月後に祖母が亡くなったんです。ぼくは霊感が強いというわけではありませんが、そのときに不思議なことが起きまして……、当時ぼくはアパートの最上階に住んでいたんですが、そのフロアーにはぼくしか住んでいなかったのでほかの住人が上がってくることはまずなかったんですね。なのに、ちょうど祖母が亡くなった日の早朝に部屋のドアをノックする音が聞こえたんですよ。それで起きてドアを開けてみたら誰もいない。すると日本から電話がかかってきて祖母が倒れたという知らせが入ったんです。祖母がぼくにお別れを言いに来たのではないか、と受け止めてしまった。
それと、ちょうどそのころインドネシアでは暴動が続いていて授業が3ヵ月くらいできないというような状況でした。それによって、ぼくのほかに現地の人と結婚している日本人スタッフが3人いましたが、みんなの収入が激減していたんですね。それで人減らしじゃないけど縮小するという話もあったので、ぼくは契約を早めに切り上げて日本に帰っていまの会社に就職しました。ですから現在の仕事はもともとやりたかったわけではないですね。
これまで仕事を選ぶときにセクシュアリティを意識したことはありません。そもそもゲイだと自覚したのが27歳のときなんです。25歳くらいまでは女の子と付き合っていました。でもバイセクシュアルというわけではないですね。いまはもう女の子と付き合うことはないだろうと思っているから。女性の裸を見ても、セックスはできるだろうけどしたいとは思わない。女の子と付き合っていたときも性的には薄い感じでしたね。
恋愛よりも
山や旅が好き
小さいころ、女の子とばかり遊んでいたということはありますが、中学校になれば男子校でふつうに野球をしたりして遊んでいました。高校生くらいから男の体に興味はありましたね。オナニーをするときに見る雑誌は、女の子だけのものよりも、男女が出ているものを見ていました。少し自分はひとと違うなという意識はありましたが、ゲイを否定的に思うようなところもあったから、あえて自分から深く突っ込まないようにしていたのかもしれません。大学に入ると、それよりも部活のみんなと山や地方に旅をすることのほうに興味があったので、特に大きく悩んだことはありませんでした。
その反動だったのかもしれませんが、インドネシアから帰ってきたら日本はインターネットの時代に突入していて、そこからどんどんゲイの世界に入っていきました。そのときに、自分が求めているのは女性より男性だ、と気がつきました。当時はそのことでいままでの自分が崩れていく感じがして、伏見憲明さんの本を読んだりしました(笑)。初体験の男性とはネットで知り合い、3ヵ月ほどお付き合いをしました。いまなら考えられないことですが、初めて彼の部屋に泊まりに行ったときに、ぼくは次の日に山へ行く予定があったのでそのまま寝てしまったんですね。あとで彼に怒られました。でもいま考えれば、一緒の布団に寝ていたのになにもしてこなかったからいいひとですよね(笑)。
家族にはカミングアウトはしていません。でも母は知っています。実家の建て替えのときにぼくがひとり暮らしをしている家に来て、しばらく一緒に住んでいたことがあるんです。そのときにゲイ向けのDVDを見つけられて……。反応は、ちょっと話しにくいという感じでした。それ以前にお見合いを勧められたときに、ぼくは女性とあまり一緒にいたいとは思わない、というようなことを話したことがあったのでなんとなくわかっていたことだとは思いますが、それ以来特にそういった話はしませんね。ほかの家族については、父や兄とはもともと会話がありませんし、あえて自分から話したいということもありません。
職場でプライベートの話はいっさいしませんね。結婚圧力みたいなものは、30歳前後に親や親戚から多少ありましたが、結婚する意志はない、と言うとそれ以上は言ってこなくなりました。職場には40代や50代で独身のひともいますから、特にプレッシャーを感じることはありません。職場でのカミングアウトに関しては、日常会話である程度そのひとが持っている考え方は伝わってくるので、そのあたりでわりと保守的な感じもするから、自分から言っても受け入れてもらえるかな、という気持ちはあります。としたら、深い付き合いはいらないから、仕事上の付き合いを円滑にするようにしたほうがいい。
ぼくの働いている制作の部署は男ばかりですが、エッチな話などが出ることはまったくありません。各部署の人数がひとりかふたりでお昼もまちまちに食べるから、そういうプライベートの話をする機会自体がもともと少ないんですね。それに部署は制作過程の段階でそれぞれに分かれていて、各部署では、完璧なものをつくって次に渡さなければいけないので、失敗できないという緊張感があるんです。だから仕事以外で接することはほとんどありません。みんなで忘年会をしても2次会もなくて2時間で終わります(笑)。
兄が社長で親族関係の会社だからといっても、ぼくは技術職ですから、そのことで立場が上になったりするということはありません。それにもともと長くいるつもりはなかったので出世もいらない。仕事が職人技術の伝承のようなところがあるので、技術を覚えてそれをこなせるようになるのに8年、今度はそれを次に伝えていくのに2年はかかるので、10年を区切りに、あと2年くらいしたらここを離れようと思っています。
そのあとは、前々から自分でお店を持ちたいと考えているんです。まだ具体的にお話し出来るような段階ではありませんが、日本のもの、たとえば地方独自の焼き物や布製品を海外に向けて売るようなお店ですね。少しずつお金を貯めて資金をつくっています。いまの給料ですか、一般の35歳くらいはあると思いますが(笑)。初めから大きく店舗を構えてということは考えていないので、資金的にはだいたい貯まってきたかな。
ローンの残金
300万円
保険は29歳から癌保険とそのほかの病気に対応するものに入っています。どちらも終身タイプですが貯蓄型ではなくて、前者は解約すると年数によって解約金が戻ってくるタイプ、後者は掛け捨てですね。7年ほど前にお酒を飲みすぎて肝臓を悪くして入院したんですね。会社の社会保険には入っていましたが、これから先は会社を辞めてひとりで仕事をすることになるので、これじゃあいけないな、と思って入りました。家は、祖父が生前に持っていたマンションを売ったお金で、母とふたりの名義で新しい家を買いました。ぼくのほうはまだ300万円くらいローンが残っていますがそんなに重荷ではないですね。そこが終の棲家です。家に関しては恵まれていると思います。
将来は、もし彼がいて一緒に暮らすことができるのならそうしたいけど、まずはお互いに自分の生活をつくってそれからどういう風に合わせていくかを考えるタイプなので、最初からふたりがいる状態は考えにくいですね。ぼくは、たとえば離れていても気持ちが通じていて信頼関係があるなら、無理して一緒に暮らすほうがいいとは必ずしも思わない。それに相手の生活のリズムもあるし、ぼくも機会があれば旅に出かけたいし、互いの違いを共に理解し尊重しあえる関係を保ってゆけたら素敵だと思います。
ただ老後はひとりだと寂しいので、友達を大切にしたいな、と思います。いま、友達はゲイとノンケで半々くらい。カミングアウトをしているノンケの親友もいますが、相手が家族を持ってしまうとだんだん会う機会は減ってきますね。でも子供が大きくなったらまた会う機会も出てくるだろうし、できればゲイの友達も含めて一緒に繋がっていけたらいいと思っています。