人間学アカデミー
2005-06-04 藤井 崇雅
●本日のお仕事
○人間学アカデミー
人間学アカデミーのお手伝いをしに、麻布学園へ行った。不毛とも思えてしまう学問的問いをつきつめるお話の面白さに魅せられっぱなしの二時間半であった。
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●本日のお仕事
○人間学アカデミー
人間学アカデミーのお手伝いをしに、麻布学園へ行った。不毛とも思えてしまう学問的問いをつきつめるお話の面白さに魅せられっぱなしの二時間半であった。
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本格的な広報をしていないためか、やたらと「今年ってパレードあんの?」と聞かれます。僕が2002年のパレードでスタッフをやっていたことを知っている連中から聞かれるんですが、もちろんあります。3年ぶりの復活。今年は、8月13日(土)、2002年と同じく渋谷・代々木公園で。執行部は既に3月頃から動き出しています。
ガイドブックもこの6月中旬から配布される予定。僕はそのデザインを担当しているんですが、今、入稿直前でかなり焦っています。記事ページはもちろん、広告ページも不備だらけ…。2002年も同じくボランティアでガイドブック制作を担当し、さんざんな目に遭っているにもかかわらず、また同じ境遇に身を置いてしまいました。手を挙げておきながら、失敗したなあ、と。
ただ、砂川秀樹、エスムラルダといった友人たちのがんばっている姿を見ていると、放っておけないという気持ちが。やるしかありません。
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●本日のお仕事
○レインボーブックフェアの会議に出席させていただく
さまざまな性のあり方をテーマにしたブックフェアである、レインボーブックフェアをこの夏にも開催しよう!!ということで先陣を切って企画メンバーで会議が開かれた。場所は、毎度おなじみポット出版が誇るあのかわいい会議室である。今年は東京でも国際レズビアン&ゲイ映画祭、東京レインボー祭り、東京レズビアン&ゲイパレード2005(これは、なんと三年ぶり!!!)、など沢山の関連したイベントが行われる。まさにセクシュアリティにスポットのあたる年だというわけで、出版界も黙っているわけにはいかないっ!!!とメンバーは燃えに燃えているのである。僕も昨年のブックフェアの本のリストを見せていただいたのだが、読んでみたい本ばかりが集結していて驚いてしまった。
今年は版元(参加する出版社)をもっと広くし、扱う本の種類もますます広くしていく方向で、会議は進んでいった。僕は(出版界の新参者で)企画の皆さんよりも読者に近い身(と勝手に思い込んでいるのであるが、とにかくそういう身)として、今回のブックフェアはかなり面白くなるような気がした。本屋さんに行った時、普段書店であまり一度に見ることのないレズビアン・ゲイ関係の本や様々な性についての本などがずらーっと平積みされていたらすごく楽しいと思う。今回の会議では、昨年度のアンケートなどを元にプロモーション方法についても具体的に話し、とても営業色の強い会議だった。今回この会議に出てみて、自分が編集そのものよりもこういったPR的なことの方が好きだということがよくわかった。思えばポットで過ごしたこの一ヶ月弱の間でも、本のポップを作ったり、街頭に立って本の宣伝をしていた時、きらきらしていた自分がいた。僕は今営業やPRなどのスキルが何もない。これから大学でPR専攻として学んでいく上で、できるだけそういうスキルをつ身にけていけたらいい、と感じた。
PRは、世の中の素敵なことを皆に広めていく仕事だ、と思っている。退屈を愉快なものに変えること。それは、なんと楽しいことだろう。技術もアイディアもほとんど出尽くし、世の中はどんどん「編集」になっている、と松田哲夫氏は著書の中で説明している。どの銘柄のビールでも同じ。どれだけ美味しいイメージを持たせるか。そこに労力をつぎ込まないと物が売れない時代。そう、この世界はもはやフェイクだ。物事は全て、語られたり書かれたりした瞬間に公平でなくなり事実でなくなる。切り取られ、加工され、「編集」された、フェイクな情報に溢れた世界。でも、そんな時代だからこそ自分次第でどんな美しい世界でもつくることができる。どんな夢でも描くことができる。PRの企業の面接で、PRに進もう思ったきっかけを聞かれたとしたら、僕はきっとこう答えるのだと思う。「世の中のフェイクに気づいたからです」 どうせフェイクなら楽しいほうがいい。だから、僕は理想的で嘘っぱちの「まるでリアルそのもの」のフェイクを作りたいのだ、と。
ポットに来てもう一つわかったことは、僕はまだまだ他人と差別化をはかることができるということだ。周りがこれだけ個性的でマイノリティー路線の書籍なども沢山扱っているとなれば、僕の「面白い」経歴など何の価値もなくなってしまう。日本人だから、若いから、ゲイだから、海外大生だから、そんな僕に付随する情報では全くちやほやされない。そして、それが社会なのだと思う。今ここで即戦力となるかが問題となる場所。素敵な無関心に放り込まれて、もっともっと大切な自分らしさを考えなければいけない、と感じている。もっともっと考えて、色々なことを吸収していきたい。自分の選んだ場所で何かを変える力を持っていきたい。自分から動いていける人。恥を捨てても、無知をさらけだしても、大人になっていきたい、と感じた。そう、僕は自分の同世代の友人たちよりずっと強い人たちをここで見たのだ。
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既にカーミラ8の発売日まで一週間を切っています!
カーミラ編集部員ではない私ですが、今回のカーミラは発売日までの気持ちの騒ぎようが違います。
なぜかというと、刊行までの営業を全部追って教わっているからなんです。
今日は見本出しだったから、明日は取次に電話して、印刷所に伝票渡して…とやることが際限なしです。
一冊の本が流通するって本当に大変です。。
でも、終電間際に仕事が終わらずにイライラしても、実際嬉しい瞬間もいっぱいあります。
新しい仕事を覚えられる緊張感もあるし。
とにかくいろんな意味で6月6日が待ち遠しいです!
みなさん書店でカーミラを見かけたら、ぜひ手に取って下さいね(とにかく表紙がかわいいです、ぜひ!)。
●本日のお仕事
○仕事内容の反省、ブログ更新
○見本だし
○アンケート発送データをエクセルに入力
○予約してくださった方へカーミラ発送
さわやかな朝のお茶の水で、我が社の営業隊員である木下さんと待ち合わせた。今日は「見本だし」に同行させていただけることになったのだ。「見本だし」というのは文字通り、取次に本の見本(といっても実際に販売されるもの)を持っていくことである。本というものは、直接出版社から書店に送られて店頭に並ぶわけではない。出版業界にも問屋というのがあって、書店さんと出版社の間に入って適度に仕入れや配本をしてくれているのだ。その問屋の役割を担っているのが「出版取次」と呼ばれる会社である。出版社の人たち(通常、その営業の人たち)が取次に見本を持っていくと、取次は商品がどんなものであるか(ちゃんとISBNがついているか、サイズや重さなどはそれくらいか、など)を確認して、何部仕入れるか(何部流通させてくれるのか)決めるのだ。
今回、僕は日本出版販売(日販)、トーハン、大洋社、大阪屋という四つの取次に同行させていただいた。どの取次もとても大きく、これぞ会社!という感じのオフィスの中に窓口があった。そして、窓口の前の椅子で沢山の出版社の方々が自分の番を待っていた。途中、自分と同じくらいの年の人もいて、「僕が学生やっている間にもこんな世界で日々を生きている人がいるんだなー」と身が引き締まる思いだった。木下さんは丁寧に出版界の様々なことを教えてくださった。本の公正な取引を守っている(これについては様々な意見があるようだが…)「再販制度」についてや、会社がどのような人材を必要としているのか、など普段聞けないような社会人のホンネ的なことも聞けてすごくためになった。出版に興味があると口ではいいながら、あまりにも知らなすぎる出版界(そして社会全体)の事情。ポットに来てから、少しずつそういうものが見え始めている。そして、やりたいことも少しずつわかりはじめてきた。
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●本日のお仕事
○仕事内容の反省、ブログ更新
○全体会議に出席させていただく
○アンケート送付先リストの会社概要をネットで調べる
○ポップづくり(はじめて自発的にはじめた仕事かも)
○本の表紙に入れるキーワード抽出
はじめての全体会議に出席。制作局も、デザイン局も、出版局も、みんな集まり現在の状況を把握しあう会議だった。
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QJrの販売促進キャンペーン、池袋ジュンク堂で伏見憲明さん(QJr)と斎藤綾子さん(作家、『結核病棟物語』が猥褻な感じで僕は好きです)と井上メイミーちゃん(『カーミラ』編集長)の3人でトークセッション。
(ジュンク堂の田口さんをはじめスタッフのみなさんにお世話になりました)
で、帰りに軽い打ち上げ。筑摩書房の編集者でマンガ研究もしてる藤本由香里さんも一緒に参加してくれました。
その場で、藤本さんは誰に編集を教えてもらったのか、って話になったのです。
藤本さんは、いや、とくに誰、ってわけじゃないけれども…(勉強になったのは)、ってなふうに言った上で、まだこの仕事を始めてばかりのころに天野祐吉さんに怒られたことが良かった、という話をしてくれました。
天野さんをはじめ三人の人に、ある雑誌で座談会をしてもらい、その編集を担当したそうです。
テープ起こしをもとに、文章を整理して天野さんにチェックを依頼、それを受け取りにいったとき、
これ、誰がまとめたの、などと天野さんが質問。そして、下手だね、と一言いったそうです。
そこで藤本さん。帰ってから、文章整理をやり直して天野さんの元に。
あの一言は、今でも忘れないって、いう話でした。
僕は、「天野さんが始めに戻した原稿って、もう入稿してもいい、っていうつもりで戻してくれたの?」と聞くと、島森さんが直してくれていたんだから、そういうことだと思うよ、って。
イヤー、藤本さん、すごいですね。
一番穏便に済ますなら、ゴメンナサイっていってそのまま入稿すれば、またこのことで天野さんに会うこともなく、すますことができたんですよね。
もう一度やり直すって、労力をかけるってことで凄いし、また「下手だね」なんて言われて、怖くていやな思いをしなければならないかも、ってことを選ぶってことでも凄い。
「普通の人なら、ゴメンナサイって口で言うだけで、そこまでやらないよね。そこが凄いね」って僕が言ったら、
伏見さんと斎藤さんが口をそろえて、ゴメンナサイも言わないヤツばっかり、だって。
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最近私生活が非常にごたごたしているため、二丁目で飲み明かす日々が続いており肉体的プラス精神的疲労が著しい。寝不足、情緒不安定、+ビックバン的出来事 on Saturday。ヒュー。そんな中、今日も業務に励むフジイタカマサ、19歳、独身です。こんばんは。早速、今日したお仕事からいってみよー!!!(とか、もうノリまで痛い…)
●本日のお仕事
○仕事内容反省、ブログ更新
○雑務(コーヒー入れ、ゴミ捨て等)
○版元ドットコム総会資料作成のため、サイトのアクセス解析をエクセルに入力
○沢辺さんと三好さんの打ち合わせに同席させていただく。
今日は、打ち合わせに同席させていただいた。製作中の本について、である。ズバリ、テーマは「著者の方からの原稿をポットでどう料理するか!?」 編集者として、読者が読む時にどうしたら読みやすいかを一から考えていく作業であった。漢数字を使うか数字を使うか、ということから、索引をつけるかつけないか、はたまたその索引は人名索引と事項索引に分けるべきか否か、ということまで。原稿をもらったら、そのまますぐに本に出来ると考えていた僕には、「料理」の手間の多さに驚いてしまった。実際に違う方法で作られた本を見比べてみたら、見た印象や見やすさが全然違っていたのでこの編集者の手作業の大切さを痛感させられた。こういった作業は、コンピュータに読めない文脈や語感まで見ながら丁寧に進めていかなければならない。それだけの手間ひまをかけて一冊の本が出来上がるのだ。やっぱり編集者というのは素敵な仕事だ、と思った。
それから沢辺さんが日本語の文字について面白い話を聞かせてくれた。コンピューターで使われている字体の中には、意外な理由でそもそもの形と変わってしまっているものが沢山あるそうだ。例えば僕が面白いと思ったのが𡚴原(あけんばら)と言う地名の中の「𡚴」という漢字である。例えばこの字は現地の看板では、山かんむりに女と書かれているが、ある書物においては山と女の間にもう一本の横線がはいっている。そしてなんと、この横線は作字のために字を切り貼りした時の影が写り込んでしまったものかもしれない、というのである。そのようにして、元々使われていた字が予期しない理由で変化し定着していってしまうことはかなりあるのだそうだ。文字ひとつひとつが持っている物語を意識することなどほとんどなかった僕には、なんだか新鮮な新知識であった。
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日誌に書くことがないので、ポットに残っている人々に、「現在存命している外国人の誰かになれるとしたら誰になりたい?」と質問してみました。
●柳瀬さん「う〜ん…、シェール」
●日高さん「…チャールズ・ブロンソンでいいよ(投げ遣り)」
●佐藤さん「ニコール・キッドマン(即答)」
●木村さん「やっぱシャラポワかな(断言)」
●大庭さん「それどころじゃない(必死)」
という結果になりました。
いま、私の質問をきっかけに、みなさまが外人女性の好みについてゆるく語り合っております。私がこうして日誌をしたためている背後で木村さんが、「だからシャラポワだっつってんの」と、日高さんに食ってかかっている声が聞こえております。楽しそうです。そろそろ私もみなさまの話に加わりたいので、日誌はここまでとさせていただきます。
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●本日のお仕事
○仕事内容反省、ブログ更新
○雑務(コーヒー入れ、ゴミ捨て等)
○会議
○おつかい(誕生日ケーキ)
○校正
はじめて「出版会議」なるものに出させていただいた。はじめての出版社の会議体験に興奮しながら、会議室へ向かった。出版会議は、普段ひとりひとりが個々に進めている仕事の進行具合を確認しあったり、新しい企画を持ち寄ってそれについての意見交換をしたりして、これからの仕事概要や優先順位を確認しあう重要な場である。ここに来てたった二週間弱の僕にも、編集において連係プレイがどれだけ大事かということくらいは理解できていたので、この会議が仕事を円滑に進めていく上で必至なのだとわかった。大庭さんに薦めていただいた本「これを読まずして、編集を語ることなかれ。(松田哲夫著、径書房)」にも書かれていたことだが、編集というのはチームプレイの部分も非常に大事なのだ。会議は、制作中の本についての報告、企画決定の本の進み具合、新企画の提案・報告、本ごとの営業作戦、受注・増刷について…という風に進められた。途中出された新しい企画がすごく新しくて面白かったりして、書店に並ぶ本たちの持つアイディアは、こういう場所から生まれていくのだな、と感心した。そして、ひとりひとりが抱えている仕事量の多さにも驚いた。僕が思っていたのよりずっと早いスピードで一冊の本が企画され創られていく。ひとりひとりが、同時進行の膨大な量の仕事を抱えている。やっぱり、ここの人たちは凄い!!みんなと肩を並べて仕事ができる日が来るのかどうか不安になってしまった。会議の後は、雑誌「カーミラ」の編集長であるメイミーさんの誕生日を祝った。社長がお茶目に皆を招集し、例によってでっかいバースデーケーキをいただいた。メイミーさん、お誕生日おめでとうございます!!
(追伸:二日連続で社員無料のカレールーを使って、お昼にカレーを食べている藤井です。野菜(じゃがいも、人参、まるごと一つずつ)は近所の八百屋で110円。ということは、一食なんと55円!!金欠の僕は非常に助かっております。ありがとう、ポット!!そして、カレー万歳!!)
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●本日のお仕事
○仕事内容反省、ブログ更新
○雑務(コーヒー入れ、おつかい等)
○メモワール街頭キャンペーン写真整理
○「ず・ぼん」編集者様に資料を発送
○校正
ポットに朝一番で来るのは、ほとんど毎回僕だ。僕がドアを開けると、部屋は暗く、床や机の下から寝息が聞こえる。窓を開け、朝の空気を社内に行き渡らせる。たばこの煙と二酸化炭素で溢れた空気がするするとどこかへ逃げていき、ようやくポットにも清潔な朝が来るのだ。キッチンに行き、コーヒーをいれる。朝の光がキッチンに差し込み思わずうっとりとしてしまう。静かで穏やかな朝。コーヒー豆の香ばしい香りがすっとそこら中に広がった。
今週、僕はものすごい大失敗をしてしまった。個人情報に関係していて詳しいことは書けないのだが、とにかくポットの信頼を傷つける事件であったことに間違いない。大庭さんに「どこがおかしいと思う?」と聞かれても全く自分の失敗に気がつかなかったことに自分でショックだった。十分気をつけて意識しながら、仕事をしていたはずなのに、社外の人が社の情報をどう見ているかということにまでは全く頭が回っていなかった。新しい環境で色々なことを教えられ、僕自身いっぱいいっぱいだったのだと思う。実習をはじめて、自分が心配していたところで心配することはあまりないことに気がついた。しかし、意識もしないような思いもよらないことに沢山気がつかされる。
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●本日のお仕事
○仕事内容反省、ブログ更新
○雑務(宅急便の名入れ、ゴミ捨て等)
○ベネッセへ入稿(多摩センターって結構新宿から近いのね。一人暮らしの候補地になりました。)
○人間学アカデミーアンケートのデータ修正
○校正(ついに、99ページまでいった!!)
○沢辺さんからいただいた文章を読んで、校正についてお勉強(on マッサージチェア。極楽。)
もうネタ切れ感が漂っているこの実習生日誌である。校正はまだまだ先は長いし、今の時点で僕がポットの一員としてやれることといえば雑務と簡単な編集作業しかない。僕がここで、「今日覚えた美味しいコーヒーの入れ方」だの「ポットにおけるゴミ捨てのルール」だのを書いたところで、誰も興味を持ちそうもないので書くことが思い当たらないワタクシなのだ。(担当の大庭さんのいない今日はますます放ったらしにされるワタクシ。)もっと「『編集者らしい』経験を!!」と言いたいところだが、出来ることからコツコツやっていかねば、プロ編集者への道は遠いのである。その上、無給となればもうほとんどギャグなのであるが、そんなポットでの生活もどんどん楽しくなってきている僕である。(社長には秘密であるが実は販促の時「ただ働きなんて…○×□△だねー」などと色々な人から同情や驚嘆の声があがっていたのだ。笑)
ポットの人々は個性豊かである。とても、絶妙なバランスの共同体である。みんな全然違うキャラクターで、面白い人たちなのだ。会話のまったり感といい、内容のギャップといい、僕には新鮮な人間模様がある。例えば、お昼ご飯の時にポットの皆さんと食事を共にすると芸能人に対する辛辣な批評が飛び出す。そのランク付けが僕の世代とは全然違っていたり、知らない名前が次々と出てきたり、それを元にくだらない企画が立ち上がったり、と実に新鮮で実に面白い。本棚に囲まれた会議室で、タオルを首にまきタバコをふかす皆とそんな話に興じている時など、いや〜編集部っぽいな〜、と感慨にふけってしまう。高校や大学やゲイの友人たちの世界とは、また違った世界がここにはあった。会社ってすっごく面白い!(ポットだけ?)みんな、ニートになっている場合じゃないよ!!
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●本日のお仕事
○ブログ更新
○新刊の校正
○発送作業(直販個人)
○人間学アカデミーアンケートのデータ入力
○雑務(メールチェック、買い出し、ゴミ捨て等)
今日はなぜかすごく疲れていて、体調も悪くて、朝から大変だった。やる気がまったく起きないのだ。ここに来て、朝から晩まで会社に残って仕事に熱を上げる方に沢山出会った。会社で寝泊まりをしてまで仕事を仕上げていくなんて、本当にこの仕事が好きじゃないとできないことだ。皆の仕事に対する情熱に敬服。一生懸命で、仕事もばりばりこなせて、見ているだけでかっこいい。
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●本日のお仕事
○販促@新宿二丁目
愛してやまないadvocates cafeで一年ぶりに会った友人と、我がポットの宣伝部隊が現れるのを待っていた。今日は新宿二丁目で新しく創刊した雑誌、クィア・ジャパン・リターンズ Vol.0(QJr)の販促キャンペーンがあったのだ。advocatesは仲通りが見渡せる場所にあるのでこういう時にとても便利。夕方から美味しいお酒と懐かしい友人に酔わされて、とても素敵な気分だった。七時を少しまわった頃、お揃いのオレンジ色のTシャツに身を包んだ部隊が颯爽と現れ、僕も友人と別れそこへ向かった。QJrの表紙にも登場している溝口さんの写真入りのTシャツはとてもいい出来で、僕もそれに着替えて部隊に加わった。宣伝隊はとても豪華なメンバーだった。ドラァグクイーンとして有名なエスムラルダさんや美しい文章をいくつも創られてきた伏見憲明さん、そしてQJrでもその才能を余すところなく発揮しているフォトグラファーの森栄喜さんなど。そして表紙の溝口さん自身もそこにいらして、レインボーワールド前はいつもに増して華やかな空気が漂っていたのだった。(溝口さん、慌ただしい中で満足に挨拶もできず、ごめんなさい。QJrの写真とても素敵です。)
派手な格好のドラァグクイーン達が次々とタクシーで乗りつけ、オープンバーから溢れた人々が道を埋め尽くしはじめる。闇が濃くなっていくのに反比例して、ますます明るくにぎやかになっていくようだ。町全体が、まるでパーティーのような幸福なにぎわいになってきて、宣伝部隊のかけ声にも熱が入った。この新宿界隈で今一番ハッピーな四つ角の人ごみと雰囲気にぼーっとしていると、伏見さんが「本を売るのがどれだけ大変かその目でちゃんと見ておきなさい」とおっしゃられハッとした。「誰も本なんて買わないんだから」っと言った伏見さんが、買ってくださる方がいるたびに真っ先にお礼の言葉をかけている様子を見て表現者として大切な姿勢のひとつを教えられた気がした。いつもそこに読者がいるということ。その一冊を選んで、お金を出して買ってくださる人がいるということ。その厳しさを知らなかった僕は、まだまだ修行が足りない。キャンペーンは深夜まで続いたが、今回参加させていただいて本当に楽しかった。
ビデオの情報やメッセージ投稿などもない、ゲイ雑誌としてはとても新しいQJr。読み物がとても味があって、僕は大好きだ。ゲイのひとつひとつの人生に焦点をあてた、とても人間くさい、味のある、そしてクールな雑誌である。ひとりひとりのライターたちからのメッセージ性が高く、思わず自分の人生について考えてしまうこの新しさをぜひ多くの人が読んで感じていただけたらと思う。
QJrに興味を持っていただきキャンペーンに立ち寄ってくださった皆さん、この思いの詰まった雑誌を買ってくださった沢山の皆さん、キャンペーンの場にいた素敵な宣伝部隊の皆さん、本当にありがとうございました。
GWを挟んだこともあり、久々の日誌です。そして、止めてしまいました。すみません。いやー、でも書くことはあるんですよ。通勤用に原チャリを買ったんです……って書こうと思いましたが、同じネタを大庭さんが書いているので、やめます。やめる必然性もないのですが、やめます。
というわけで、方言の話です。私は、茨城県(いちいち訂正するのももはや面倒な東京在住7年目なのですが、一応訂正しておきます【イバラキ】と読みます。【ギ】ではありません)出身です。で、茨城弁と標準語をたくみに使い分けていると自負していたのですが、どうやらうっかりなまるときがあることに気づきました。多分、頭のどこかに「標準語スイッチ」があって、これがONされていると、いっぱしの東京人なんですが、ゆるんでいることがあるんですね。仕事のときは、標準語なんですが(きっと)、危険なのは、コンビニとかスーパーでのやりとり。「温めますか?」、「はい」程度ならいいんですが、「○○○はどこにありますか?」とか「すみません、カードを忘れてしまったので、スタンプ押してください」とか、わりと長めのフレーズを伝えなければならないときに、うっかりすることが多いです。茨城弁を東京で堂々と話せないのは何故か?っていう問いには、答えが出ませんね。関西弁と比較するまでもなく、妙に卑屈になってしまいます。不思議。
こういうことを書くと、ちょっと言ってみて、なんて話になりかねませんが。そう言われても言えません。多分、ポットにいるときは、ONになってるんで(きっと)。
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沢辺さんに僕の文章について意見をいただいた。もっと具体的に結論をはっきり書け、と。美しい文章で自分の無知を隠すな、と。タイトルは何なのか。何が言いたくて書いているのか。沢辺さんは、自分の今の考えがどんなに子供っぽかろうとそれをさらけだして、そこにくる批判や意見にたちむかわなければならない、と言った。僕の未熟を正面から指摘された。認めたくないけれど、僕のどこか強がっていて自分を美化しようとしていた姿勢もちゃんと沢辺さんには見えていたのだと思う。文章にするということは読み手がいるわけで、沢辺さんは「他人に理解されるために書くのだ」というようなことを言っていたけれど、僕にはそれがあまりよくわからなかった。自分にとって、今まで文章は自分のためだけのものだった。そして、これからもそういうものであり続けるはずだった。自分を映し出すリアル。誰のためでもない、誰に認められるでもない自分だけの空間。主観だけの空間。文章は、僕だけの、僕だけが書ける、僕だけが理解できるものだと思っていた。どんな精神的オナニー日記でも文章が美しければ読者はついてくると思っていた。でも僕はそれが永遠に続くものではない、ということを心のどこかでわかっていたのかもしれない。「読者を意識して書いていると自分の文が媚びているようになって自分らしい文ではなくなってしまうんです」と言うと、媚びるか媚びないかを気にして発表できない文章など中身の薄い文章だ、と返された。本当に死ぬほど伝えたいことだったら、文体のくささやうるささなど気にならないというわけだ。まずはそれを発表したい、伝えたい、という思いが先だということだ。思えば、最近誰かに何かを伝えたくて文章を書くということが全くなかった。物書きそのものを愛しすぎて、物書きそのものがあまりに日常的なことになりすぎて、文章の本来の意義というものを見失ってしまったのかもしれなかった。僕は、文章に記すために日々の行動を変化させることすらあるのだ。文学的好奇心が人生のファーストプライオリティー。何よりも文の美しさと自分の理想を一番に優先してしまったことからきた矛盾だった。今まで書いてきた文章を思い起こすと、僕が本当に伝えたくて書いた、魂の叫びとも言うべき記事たちは、文の美しさなどまったく意識せずに書いていたのに常に多くの共感と高い評価を得てきた。沢辺さんに、19歳だからしょうがない、と言われ滅茶苦茶悔しかった。年齢で中身を判断されるのは大嫌いなのだ。子供みたいな大人だって、この世にごまんといる。大人みたいな子供が沢山いると同じように。年をとっていればとっているほど、世の中がきちんと見えるというわけではないと思う。きっと沢辺さんをうならせる文章を書いてやろう、と思った。沢辺さんに言われて、自分の文章について今までまったく見えていなかった改善策が少しだけわかった気がした。
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●本日のお仕事
○ブログの更新
○ポットが作った他社雑誌の特集の校正(誤字・脱字はないか)
○人間学アカデミー第五期パンフレット作成の為、講師の方の情報収集
○校正(つけあわせ)の続き
○ゴミ捨て等雑用
○個人情報保護法の勉強会に参加
ビルの谷間をぬって走る電車。ものすごい人ごみ。恐ろしいほど狭い道路。英語と全く類似性を見いだせない日本語。アメリカの大学で「いつもドレスアップしている」と言われていたのが嘘のよう。みんながあまりにもお洒落でモデルみたいな格好なので気後れしてしまった。東京に戻ってきた日から毎日が驚きの連続だった。最初の一週間は、日本語を話そうとするとずっと使っていなかった脳の部分を使っているからかすぐに疲れてしまったし、会話や人ごみも怖くてたまらなかった。本当に最初は、ずっと居心地のいい場所(すなわち自分の大学)に帰りたくてたまらなかったし、東京の人ごみの中で自分が異質な存在に思えて仕方がなかった。ここは僕のいるべき場所ではない、とずっと頭のどこかで誰かがささやいているみたいだった。東京で生まれ育ったというのに。
今週は僕の東京での二週間目だ。やっとポットでの毎日、そして日本での毎日にも慣れ始めた。そして、新たに、少しずつではあるが、心のよりどころとできるものや愛着のわくものができ始めた。僕は大学でPublic Relations(広報)とInternational Studies(国際学)を二重専攻しているのだが、東京のPRの面白さには感激してしまった。ポットに来る時、僕は毎日山手線を使っている。山手線の広告は、毎日楽しみなもののひとつになった。NYやカリフォルニア、ましてや僕の住んでいたクリーブランドの電車ではあり得ない大々的な宣伝方法。電車の外側から内側までひとつの企業のPR一色だったりすると、もうわくわくしてたまらなくなってしまう。効果的な色使い、印象に残るデザイン、かわいらしい企業のロゴマーク。クリーブランドの生活に比べて、一日に目にする広告の数は本当に驚くべき数である。次に、表参道の新緑。原宿駅からポットに行くには竹下通りを通った方が早いのだが、僕の足ははやはり表参道に向いてしまう。僕の頭上をすっかり覆い隠してしまう鮮やかな新緑。どこまでも続く並木道に毎日とても癒される。そして路地裏までかわいいお店がずらりと並んでいて、歩いているだけで幸せな気分になる。最後は人々だ。東京の人たちはとても面白い。みんなかわいい格好をしていて、毎日電車に乗ってくる人々の洋服や髪型をみるだけでもすごく楽しい。そして、イケメンが多い(!)。髪はぼさぼさ、スエットパンツにTシャツ一枚というださださアメリカン学生たちに囲まれて過ごしていた僕には、もう東京人の大半がすごくかっこよく思えてしまう。毎日、外に出るのがルンルンだ。
さて、今日ははじめて雑誌の原稿の校正をした。いつも書店で見るいかにも雑誌という紙面が一枚一枚の紙として自分の手元にあるのは不思議な感じだった。書籍には出版社によっても独自の校正ルールもあるという。例えば、A社では「できる」はすべて「出来る」と漢字で表記することが定められている。B社ではもし一行のはじめに「〜によって」の「っ」(いわゆる、小さい『つ』)がきた場合それを前の行の「よ」の下につけるが、C社ではそのまま次の行に送ってしまうなどのルールがある。雑誌と書籍の校正をそれぞれやってみて、原稿というのは意外と間違いが多いものなのだな、と思った。僕のような素人では何の間違いも発見できないのではないか、と思っていたが、一行まるまる抜けている段落があったり統一されていない表現があったりでひとつの特集や一章分ともなるとかなりの量になる。
そして夕方、青弓社で開かれた「個人情報保護法」の勉強会に参加させていただいた。講師の方は個人情報に誰が責任を持つのか、個人情報保護法を業界的に見るとどうなるのか、などを中心にその概要についてわかりやすく話してくださった。個人情報保護法など学生の身分ではあまりきちんと意識したこともなかったが、企業としてはやはり具体的に対策をならねばならず法律がどれだけ実社会に影響を与えているかということを目の当たりにした。あまり意識することのなかった社会と行政のつながり。講師の方は、個人情報保護法は個人情報の自己コントロール権を認めようとするものだ、とおっしゃっていた。それは「一旦業者に提供した個人情報でも、引き続き自分の資産のように管理できる権利」なのだそうだ。個人情報を利用することが容易になってきた社会環境の中でプライバシーという概念では十分でなくなってきたためにこの法律ができたという。彼が「仮に使い道のない情報を持っているとそれについての責任も持っていることになるので、負債になってしまう可能性さえある」と言っていたのが面白かった。出版社における複雑な事例もお話しくださり、すごく有意義な勉強会であった。
うーん、会社の生活って面白い。
●実習生の教科書
沢辺さん、大庭さんが、「実習生としてこれだけは知っておくべき!」と熱く推薦してくださった本たちです。出版業界に興味のある方は読んでみると面白いかもしれません。ちなみに、藤井も行き帰りの電車の中で少しずつ読み進めています。
これを読まずして、編集を語ることなかれ。/松田 哲夫 著/径書房
決定版 ルポライター事始/竹中 労 著/筑摩書房
編集者の著作権基礎知識/豊田 きいち 著/日本エディタースクール出版部
出版幻想論/藤脇 邦夫 著/太田出版
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●本日のお仕事
○ブログの更新
○校正(つけあわせ)
○QJrを頼んでくださったお客様(直販個人)への発送
○おつかい(お誕生日ケーキ)
○海外からQJrに寄稿していただいた方へQJrを発送
○ポット内にお客様様(直販個人用)の書籍がどれだけ残っているか記録
○記録をもとに人気度や在庫、発送料金などを考慮し、ポットが委託している倉庫にFAXで発注
○食器洗い、ゴミ捨てなどの雑用
ポットに来て面白いな、と思ったことがある。それは、ポットが他の出版社と密接に関係し合っている、ということだ。僕は、各出版社がその出版社の本すべてにかわっているのだ、と思っていた。例えばA出版社(以下A)の本は、Aの編集者が編集し、Aのデザイナーがデザインし、Aの営業の方が営業するのだ、という風に。しかし、それは変わりつつあるのだという。最近では、企画から編集まで他の出版社に任せてしまう出版社も増え始めているそうだ。ポットには、印刷をのぞいて全ての行程を自社で行う出版部門と他社から委託をうけて編集やデザインだけを行う編集・プロダクション部門がある。ポットの社内で仕事をしていると電話口で他の出版社名を聞くこともよくあるし、社内には「ポットが関わったけれどポットからは出ていない本」というのが結構おいてある。今、ある本の校正をしているのだけれど、もしその仕事が終わって書店で自分の校正した本を見つけたら嬉しいだろうな、と思う。僕がもしここで社員として働いていたとしたら、きっとそれが一番嬉しい瞬間だと思う。自分の関わったひとつの「作品」がこの世界の誰かに届いている、という実感。みんなは何をモチベーションに毎日書籍と接しているのだろう。今度、ぜひみんなに聞いてみよう、と思った。
さて、この校正というのはかなり地道で根気のいる作業である。一字一字指で確認しながら膨大な量のページをめくっていく。校正にも沢山の種類があり、語彙の誤りを直すものから、実際にその出来事の真偽をチェックするfact checkまで色々なのだそうだ。僕は「つけあわせ」と呼ばれるひとつひとつの文字が百パーセント同じかどうかチェックする校正の仕事をいただいた。最近では原稿がテキストデータとして持ち込まれることが多いため、この手の校正はあまりないのだそうだ。今回、他の出版社で出され絶版になってしまった本をポットから出すことになった。しかし、テキストデータがないため、ポットが以前の本から一字一字コンピューターに入力し直さなければならなかった。そこで、本の内容を担当者が入力していくわけだが、やはりどうしてもそこで写し間違いがおこってしまう。その間違いを一字一句正していくのが、この「つけあわせ」という校正なのである。以前、ある出版社の編集の方が「編集というのは華やかなイメージとは裏腹に地味で地道な作業の連続ですよ」と言っていたのを思い出した。
今日は社員のひとりである佐藤さんが誕生日だったので、原宿のDECAFEさんにケーキを買いに行ってきた。会社のおつかいなどはじめてなので、子供のようにはしゃいでわくわくしてしまった。バースデーケーキはとてつもなく大きく、手に抱えると顔はおろか上半身全部がすっぽり隠れてしまう。かわいい会議室に椅子を並べ、14人という大所帯で佐藤さんのバースデーを祝った。大きくて美しい宝石のようないちごが並んだケーキはとても美味しくて、素敵なブレイクだった。改めまして、佐藤さん、お誕生日おめでとうございます!!
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原チャリを買いました(新車)。
自転車通勤でからだを鍛えるということを2か月ほどやったのですが、8キロの通勤はあまりにハードでした。堕落した僕は、原チャリ通勤を始めるわけです。
ホンダのzoomerと、ヤマハのギアCのどちらにしようか、半月ほど悩み、結局、あまり街で見かけないギアCにしました。zoomerはあまりに流行っているので、ちょっと面白くないな、と。
うまれて初めて、バイクに乗ります。
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実は僕は以前のポットの実習生の日誌というやつを読んでいた。そこには、以前実習生だった彼が受けた数多くの叱咤叱責の様子がまざまざと書かれており、僕は「社会」というのはなんと恐ろしいものなのだろう、と本気でおびえた。出版について何の知識もない僕が突然入っていて平気なのだろうか。毎日失敗の連続でものすごい迷惑ばかりかけてしまうのではないだろうか。小心者の僕は、実は実習の前日ポットに下見にまで来ていた。表参道のお洒落でにぎやかな人ごみを抜け、ポットまでてくてくと歩いた。ポットは小さな路地裏の建物の中に入っている。第一印象は「か、かわいい…」 粋な建物と場所に、わくわくするのを感じた。
初日、緊張しながらポットのドアをあけるとすでに皆働いているようだった。「会議室」という名とはほど遠いあたたかなリビングのような空間でしばし待たされている間、僕はこの出版社の風景に驚いていた。僕は高校生の頃自分の原稿をいろいろな出版社に持ち込んだことがあったので、出版社のイメージというものをある程度持っていた。しかし、ポットは今までみたどの出版社とも違っていた。床も棚も木張りで小洒落ていて、まるでどこかの山小屋か小さなアパートの一部屋のように温かかった。これまでまわった出版社は、どれも決まって大きなビルの中にあり、空気が黄ばんでいるか無機質な白さと蛍光灯に囲まれているかのどちらかだった。ガラスと緑と木のあたたかさが混じりあい、その中で終始パソコンや原稿とにらめっこしている編集者やデザイン担当の方達。
僕が社長を待っている間、「会議室」の床に布団をしきすやすや眠っていたデザイン担当の方がようやく起き上がった。彼女は寝ぼけ眼で頭をぽりぽりかきながら洗面所へ向かっていく。周りのどの灰皿にも吸い殻があふれ、室内にはタバコのにおいが充満していた。これぞ、編集の世界。これぞ出版社、という感じであった。テレビドラマ「いつもふたりで」に出てきた出版社を思い出した。よく周りを見てみると、ここには宿泊グッズ一式がそろっている。布団もあれば、棚につまれたカレーやカップ麺まであった。もちろん、お風呂もシャワーもある。また他の出版社と違う印象を受けたのは皆が私服で来社していること、そして社内の99%のパソコンがマックだということだ。ポットはデザイン業からはじまったためにデザイン系に強いマックを多く使っているのだそうだ。
会議室には大きな本棚があった。本棚に並ぶ様々な本づくりに関する書籍と真剣にパソコンに向かっている社員さんたちを見て、彼らはこんな熱意と真剣さで日本語の将来、書籍と言う極めて伝統的かつ面白いメディアと向き合っているのだと感じた。そして、この世界を目の前にしている自分にとてもわくわくしてしまった。自己紹介、個人情報漏洩などに関する大原則についての注意、会社内ネットワークの使い方、倉庫への在庫の返送、伝票の打ち出し、雑誌に寄稿してくれた方への新刊の送付準備、社内ブログの使い方…。沢山のことを教わり、やってみて、勤務が終わる頃には僕はへとへとになっていた。ここで働いている皆は、こんな風にして毎日働いているなんて本当にすごい。十時間にも及んだ初日の実習。外国語のように聞こえる出版用語の数々。わき起こる真剣そのものの議論。ウイットに富みみんなのことを常にきにかけてくださっていた社長である沢辺さん。沢山のことが印象に残って、これ以上頭に入れられそうになかった。そして、大庭さんという頼もしい素敵な方に僕の面倒をみていただけることになった。とても新鮮で、とても濃い一日だった。
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