勉強の世紀
2005-06-08 藤井 崇雅
●本日のお仕事
○仕事内容の反省、ブログ更新
○目録のためのデータ入力(お昼前におわった!!やったー!!)
○キャプチャ
○あんふぁん校正
○版元.com集会の為の書類準備(コピー、コピー、コピー!!)
○ゴミ捨て等雑務
沢辺さんが三好さんとともに僕を食事に誘ってくれた。80年代の素敵な音楽が流れる定食屋さんに入った。沢辺さんは「藤井が今のポットでまかされている仕事だけで、出版社ってこういうものなんだと思い込んでしまうのが一番怖い」と言った。僕が見ているのは氷山の一角にすぎない。僕がもしお金を払って雇われている身だとしたらみんなの態度も違っていたはずだ、と沢辺さんは言った。沢辺さんが指摘したのは、僕のポット社内での位置である。社会科見学的な感覚が抜けないのである。沢辺さんは、もし就職直前の学生が来たらもっと口うるさく色々なことを指摘するだろう、と言った。社会に出て実際に働くのが目前だからである。「じゃあ、これからは僕にももっとちゃんと言ってください」と言った僕はまったくもって無神経である。沢辺さんは「そこがお前の甘いところなんだよ」と答えた。会社は学校ではない。僕は心のどこかで、新人は教えられて当たり前、部下がうまくやれなかったら上司の責任、だと思っていた。(少なくとも、自分が上司だったらそういう風な姿勢でいたい、と思っていたし、教え方には自信があった。) そして、以前勤務していた会社と違い明確な目標やコンセプトが共有されていないことを疑問にすら思っていた。
勉強することは良いことだ、とされるこの世の中。面接で「ここで勉強させてください」と自信たっぷりに言ってくるような志願者には「じゃあ学費を払ってください」と返す、と言った沢辺さんの台詞が印象に残った。会社は勉強する場所である以前に働く場所だ。「本を読んで勉強していると、そんなことやっていないで仕事をしなさい、と言われる時代があった」と言った沢辺さん。常に教わる側であった僕は、教える側の負担や努力がまったくみえていなかった。体系づけられた教育システムの中で育ち、以前の勤務先にもあまりに整理されたシステムとマニュアルがあった。僕は、知らないことは教えられるのが当たり前で、会社というのはそういうことを一からしてくれるものだ、と思い込んでいたのだ。ポットのやり方は、僕にはもう想像の範疇外というか、ひたすら新しかった。自分から学んでいくこと、自分から仕事を見つけてモノにしていくということ。そうしなければ、いつまでたってもこの会社の一員になることはできない。自分で答えを見つけなければ、いつまでたっても窓際の座席に座った「ゲスト」でしかない。会社の方向をきちんとわかっていれば、自分が何をどうするべきなのかわかるはずなのだ。もっと自分からこの仕事に真摯に取り組んでいかなければならない、と思った。そして、言葉では指摘されない自分のミスにももっと敏感にならなくてはいけない、と感じた。
とてもありがたい愛のムチであった。今日正面から言われなかったら、きっといつまでたっても気がつかなかった。こんな自分に対して「入った時に比べたらすごく変わった」と言ってくれた三好さんの言葉がすごく嬉しかった。甘ったれな自分に、さよならしたい。こんなに親身になってくれる二人に、はじめてポットの一員としての意識が芽生えた瞬間だった。
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