投稿者「沢辺 均」のアーカイブ

来週7/29月から、クラウドファンディング始めます。『ビリガマ 高卒に厳しくなってきたゲイ社会をたくましく生きる店子』の宣伝費

来週7/29月から、クラウドファンディング始めます。
ポット出版の新刊のマンガ『ビリガマ 高卒に厳しくなってきたゲイ社会をたくましく生きる店子』の宣伝費 目標50万円です。

マンガ『ビリガマ』は、お洒落なエリート・ゲイでも、社会的に脚光を浴びる人権活動家でもない、自称ビリガマ(=底辺ゲイ?)」のリアルを描いたマンガです。

使い道は、この本の宣伝費用で、ゲイメディアやゲイイベントへの広告費用です。
2024年7月29(月)〜1ヶ月の予定。
是非ご協力ください。

●クラウドファンディング(7月29日(月)19:00スタート予定)

『ビリガマ 高卒に厳しくなってきたゲイ社会をたくましく生きる店子の日常』
ポット出版プラス
ISBN 978-4-86642-028-8
四六判 256ページ
価格 1600円+税(予定)
解説 ちあきホイみ(歌手、女装)/枡野浩一(歌人)
発売予定 2024年9月初旬

ポット出版サイト
版元ドットコム 

ジュンク堂の福嶋さんと一杯飲んで、ヘイト本のことを書いておこうと思った

ジュンク堂梅田店の福嶋聡さんが『明日、ぼくは店の棚からヘイト本を外せるだろうか』という本をdZERO という版元から出版した。
ISBN・9784907623678/発行・dZERO/3,000円

ポット出版が製作委員会に参加した映画『ゲバルトの杜 かれは早稲田で死んだ』の2024年6月2日の大阪第七藝術劇場での上映会で、福嶋さんは代島治彦監督との上演後トークにゲストとして話しをしてくれた。
久しぶりに福嶋さんと話をしたくて、大阪まで行ってみて、トーク後に、監督や劇場関係者や、僕の左翼時代の友人の内藤進さん、ポット出版の著者たちと飲み会(二軒!)でおしゃべりした。

ヘイト本の「扱い」についてはいろいろ考えていることがあるんだけど、意見表明するとメンドーなことになりそうだと、どこかでヒイててこれまでしてこなかった。そんななかで、福嶋さんはちゃんと意見表明していて「なんか申し訳ないな」という気分があったのが、大阪まで行っても話をしたいなと思ったんだと思う。

ヘイト本をそれぞれどう扱うのがいいか、ということの僕の考えから書いてみる。それぞれというのは書店・取次・出版社と、図書館、など本を扱うプレーヤー、ということだ。それらの立ち位置によって、その扱い方は変わるのだと思うからだ。

まずは福嶋さんのいる書店について。
といっても書店の立ち位置によっても違うとおもっている。
ジュンク堂のようにさまざまな本を置いて、少部数の本でも探しに来てもらうのをコンセプトにしている本屋(僕はそう思っている、ネット書店もそうだろうと思う)。
ヘイト本もヘイトやヘイト本を批判する本もならべるのが良いと思っている。
福嶋さんはあくまでヘイト本に批判的な立場から、「言論のアリーナ」としての「ヘイト本を置く」ことを選択しているのだと思う。『NOヘイト!』フェアもやった(いわゆるヘイト本も並べたそうだ)。

一方、書店員の「狙い」で並べる本を選ぶスタイルの本屋は、その書店員の「狙い」でヘイト本を置くのも、置かないのも選択するのだと思う。
こうした尖った本屋は面白くて、自分の感覚に合うそうした本屋を見つけると少し遠くても時々行きたくなる。

次は取次。
取次は、本の内容に立ち入らないのがいいと思う。
僕の出会った取次の人は「検閲」のようにみられることをとても注意しているように思った。
もちろん、メディアやネットなどで「問題」になった本の場合に、慎重に吟味しているようだ。エロや、犯罪からみ、などで極稀に取り扱わないとされた本があることも知っているけど、すくなくとも基本は「検閲」にならないようにしながら、これはどうしても、、、という例外もないことはないといった考えのように思える。例外の本の是非はその本がどういう本なのかという具体的な問題として語り合う以外ないし、その緊張感は書店・取次・出版者がつねに持つべきもだとおもっている。

三番目は、出版社。
ポット出版では、ヘイト本を出すつもりはまったくない。
ただこれは、どのような内容がヘイト本(他国や他民族、マイノリティへの憎悪・偏見を煽る書籍)なのか、ポット出版自身で判断する以外にはないと思っている。
一方、わかりやすいヘイト本を出す出版社がある。そうした出版社には嫌悪感を感じるけど、僕に強く批判したい気持ちがあれば、批判する本をつくってアリーナに参加すればいいと思っている。

最後は図書館だ。
図書館はひろくさまざまな考えの本を用意して、市民に考える材料を提供するのがいいと思う。

こうした考えの基盤は、表現はたとえ僕が納得できないような表現であっても、表現すること自体は尊重する、という考えだ。
権力や制度や法律での規制は、なるべく少なくしたい。
もちろん、どうしても例外はでてくるだろう。
一番わかりやすし規制の例では、子どもとエロ表現などだ。
現在は、ある程度のゾーニング、という「規制」がある。
ストリップ劇場の18禁なんかがわかりやすい例かな、本じゃないけど。
これはどうする、ていう具体的な問には、表現の自由との折り合いにおいてどうしても矛盾は生まれると思う。ただ、こうした矛盾は、ずーと抱えながらやっていくしかない。一刀両断のわかりやすい基準に「頼る」のではなくてね。

映画『ゲバルトの杜』の製作に参加したのだけど、社会を丸ごと「良いもの」にする絶対的な正義の思想の実現のカツドウは、その正義実現の妨げに対して実力・暴力をともなった規制をうんでしまう可能性がたかまると思う。「内ゲバ」は、そうした暴力の極限まで肥大した例だった。映画製作への参加はこのことに無自覚だった自分の過去にたいする「オトシマエ」だった。
むしろ異なった正義がさまざま行われることが、考えを深まりを全体として前にすすめると考えるようになった。これが僕の個人的なゲバルトの杜の総括。

友人からの、本「彼は早稲田で死んだ」への批判

古い友人の前田年昭さんから、樋田毅さんの本『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』には大いに批判がある、その本を元にした映画は見ないことにしている、といった趣旨の批判のメールが届いた。
ポット出版が映画『ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ』の制作委員会に参加しているからだ。

前田さんと初めてであったのは、1990年代の初期。印刷物の「活字」を、写真の印画紙に印字して、それを印刷物の版下としていた頃だった。
その写植、電算(コンピュータ)を使って印字する「電算写植」が出回り始めたころ、メーカーの写研の入力装置ではなく、PC98とMS-DOS(エムエスドスー)で、各所にあった出力屋(バンフーとか東京リスマチックとか)から、印画紙出力するためのデータをつくる独自のアプリがあった。確か「みえ吉」「くみ子」って名前だった記憶があるけど。
青山あたりには、手動で印字してくれる個人営業の「写植屋」さんがいっぱいあって、そこに頼むとA4くらいの印画紙にいろいろ印字してもらうと5万くらいしたと思う。電算写植ならA4サイズの印画紙をつくってもらっても、千円を下回る値段だったような記憶がある。
なので、このPC98で動くアプリを買いに行ったんだけど、そこにいたのがこの前田さん。
正規軍の写研にたいして、そのインフラを使って安く便利にするアプリはゲリラみたいなもん。
以降も、デザイナーの鈴木一誌がつくった「ページネーションマニュアル」(ポット出版のサイトにも掲載されている)をきっかけのひとつにしてできた「日本語の文字と組版を考える会」で一緒した。
左翼とか政治とか全く関係ないところでであったのだけど、ぼくとおなじように高校で左翼で、いろいろあったことを後で知る。

前田さんの批判に「半世紀前に「国際主義と暴力」を称揚しながら今、しれっと「非暴力」と言い出している元活動家に対しても」「許せない」とある。
まさに半世紀前に「革命は暴力」といって称揚したのはぼくだ。
でも「非暴力」がすべてとは思っていない。当時のベトナム人に、アメリカの暴力に対して非暴力で立ち向かえ、などとは言えないしい、今も思ってもいない。
だけども、暴力を行使してでも実現する必要があると思っていた革命(社会主義・共産主義・マルクス主義、、)は、そもそも誤りを含んでいたと思うように「変節」したし、革命ではないたゆまぬ改革・改善の積み重ねが必要だとも「変節」。

そんなつきあいの前田年昭さんからの本にたいする批判だ。映画に対する批判でないのは観ていないのと、観ないという態度をとると決めているからだそうだ。
沢辺の、この批判に言いたいことは、別にこの日誌に書くかもしれない(書かないかもしれないけどW)
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樋田毅『彼は早稲田で死んだ』を批判する
前田年昭(組版労働者)

 樋田毅『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(文藝春秋、2021年、以下〈樋田本〉と呼ぶ)を読んだときに感じた強い違和感と反発は今も消えない。ついで、映画『ゲバルトの杜』(代島治彦監督、2024年)が公開された。監督は〈樋田本〉によって「「ゲバルトの杜」の恐ろしさを知っ」て、「この本を原案に」「内ゲバについてのドキュメンタリー映画」をつくったという(公式ウェブ)。私は見ていない。見ずに批判するのは間違っていると思うから映画についてはコメントしないが、知人がプロデューサーとして映画製作に参加していると知り、〈樋田本〉への批判だけは伝えなければ、と以下のメッセージを託す。

 〈樋田本〉は、川口大三郎虐殺事件を革マル派による「内ゲバ」とみる。「彼は早稲田で死んだ」という書名は、「ゲバルトの杜」という醜悪な映画タイトル同様、ここにあらわれている見方、捉え方は、当時の早大当局(村井資長総長)の「派閥抗争」という傍観者的な見方と同じである。これは、歴史的事実なのか。否、彼の死は「内ゲバ」によるものでも「内ゲバ」に“巻き込まれた”ものでも断じてない。「早大当局と結託した革マル派」による学生に対する暴力支配が事件の本質である。「彼は革マル派と早大当局によって殺された」が事実である。行動委員会(WAC)や当時の運動の歴史が、後知恵のきれいごとで改竄され、消されている(旧早大政治思想研究会有志「川口大三郎君は早稲田に殺された」(『情況』2023年冬号掲載)を参照されたい)。これは歴史への修正、改竄であり、事実を覆い隠すものは、その事実をつくり出した犯人である、という格言はここでも見事にあてはまる。関東大震災時に朝鮮人が“死んだ”、という言説を想定してみれば、歴史の修正、改竄が誰を利するものか明白である。

 〈樋田本〉は「不寛容に対して寛容で」立ち向かえと主張する。本のなかでは、78ページ、115ページ、153ページをはじめ253ページにいたるまで繰り返し、書かれている。空語である。自らをジャーナリスト(奥付)と名乗るが、言葉に責を負うプロフェッショナルの言葉とは思えない。イスラエルのパレスチナジェノサイドに抗議する反戦運動の全米、世界への現下のひろがりに直面した大統領バイデンは5月2日、「抗議する権利はあるが、混乱を引き起こす権利はない」と反戦運動への弾圧を理由づけた。逮捕者2000人という“混乱”は誰が引き起こしたのか。イスラエルの侵略を後押しするバイデン自身が作りだしたものではないのか。抑圧には反抗しかない。「不寛容に対して寛容で」という主張は、「不寛容」の暴力を容認し、後押しすることに帰結する。

 〈樋田本〉は、1994年、奥島総長によって、「早稲田大学は革マル派との腐れ縁を絶つことができた」(256ページ)、というが、これが解決なのか。私の違和感は、光州事件を題材にした映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』(チャン・フン監督、2017/2018年)への違和感と通ずる。映画『タクシー運転手』を評価する人が少なくないが、反共国家韓国の現実は何ひとつ変わっていないからだ。いま、日本の大学には、自由と民主主義、自治はない。大学の構内に交番(2013年、同志社大学)など考えられない事態が起きている。いったいどこに、学問研究の自由、大学の自治があるというのか。ジャーナリズム、アカデミズムは、難儀なめに遭わされている人民の、直面している問題の解決に役立ち、闘いを励ますものでなければ、その存在意義はない。本も、そして映画も、である。

 自由民権運動の元闘士が「国権」にとらわれ転向をとげた姿を見て、北村透谷は「会ふ毎に嘔吐を催ふすの感あり」と書いた(「三日幻鏡」1892)が、半世紀前に「国際主義と暴力」を称揚しながら今、しれっと「非暴力」と言い出している元活動家に対しても、さらにその時流にのって「当時から非暴力を主張していた」と説教しに現れた〈樋田本〉を見ても、私は同じ思いに駆られる。私は〈樋田本〉を許せない。
 (2024.5.14)

映画『ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ』の製作に参加したわけ

ポット出版は、代島治彦監督の運営するスコブル工房と、映画『ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ』の製作委員会を一緒に構成して、この映画の製作に参加した。
ナタリーの記事
予告編
●『ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ』のクラウドファンディング
僕は1956年3月生まれで、1971年の4月に高校に入学。
67年の10.8(ジュッパチ 佐藤訪米阻止闘争 中核派の京大生山崎君が死んだ)から高揚が始まった新左翼運動/ベトナム反戦運動/全共闘運動が下火に向かい始めた頃だった。とはいえ、まだ大学・高校でヘルメットを被って「戦う」ってムードがあった頃。
同じ年に高校に入学したなかにもブンド戦旗派で一年ダブって入学し直したやつがいたし、同じ年のその高校の入試には麹町中学校で全中闘の活動のことを内申書にかかれて、軒並み高校入試を落とされた保坂展人(現世田谷区長)もいた(入試で落とされてのちに「内申書裁判」になる)。
同級生のなかには、おなじ学校の戦旗派にさそわれ三里塚第二次執行阻止闘争に参加して、畦道から田んぼにおちてパクられたやつもいた。
一年生を中心に10人ちょっとで「全闘委」を作って黒ヘルをつくったりした。
そんな時代だった。
オヤジが共産党員だったこともあって、中学生のころには左翼を気取ってたし。

72年になると、2月に連合赤軍のあさま山荘事件。
立て籠もった5人のなかの高校生兄弟の下がちょうどおなじ歳、でなんだか自分が「遅れた」ような気分になった。
夏になると学校に比較的近い相模原で、相模原闘争=米軍戦車輸送阻止闘争(鴻上尚史の『アカシヤの雨が降る時』のネタのひとつでもある)があって、相模補給廠の正門前に高校メンバーでテントをはって、夏休み中泊まり込みしてた。
現地にきていた高校生たちのグループ=全都高校生相模原闘争連絡会議(町田・忠生・新宿・東大付属などなど)とも仲良くなったり、ジモトの寿司屋から閉店後のすし飯の残りを差入をしてもらったり、駅前でカンパをいっぱいもらったり、と闘争気分を満喫した。
そしたらなんと、73年3月に、高校から退学勧奨があって中退。
友達がいた(昼間部に)こともあって定時制の4年に転校、そこの友達に公務員の試験のことを聞いて、労働者になって左翼続けようと思って地方公務員になった。
公務員では仕事より組合運動・青年部運動ばっかりやってた。
でもしっかり飲んだり遊んだりしてたケドね。

公務員で10年程過ごしてたけど、その左翼運動ってことでは、ほんとに社会主義・共産主義でいいんだろうかって疑問が少しずつ大きくなっていった。
最終的に100人を超える死者を出す内ゲバ、高校生のときにあった連合赤軍の仲間殺しなんかは、ソビエトのスターリンの大虐殺や、中国での文化大革命という名の大虐殺とおなじ土俵のものに思わざるえなかった。
新左翼はスターリン(の虐殺・粛清)への批判から始まったはずで、それを克服できない既成左翼=共産党を強く批判したはずなのに、その批判は「世界革命を裏切って一国社会主義革命に逃げ出した」のがいけない、といった批判だったけど、どう考えたって、スターリン批判しても、内ゲバ・虐殺・粛清の論理を超えられるとはおもえなかった。
いまだからストレートにいえば社会主義・共産主義の論理のなかに必然的に内ゲバ・虐殺・粛清が内包しているとおもった。プロレタリア独裁という論理は、ブルジョアジーにたいしてプロレタリアが「独裁」して押さえつけるんだ、って論理だと思うんだけど、でもそれを、誰が、どういう基準で、どうやって決定するのか、明確な論理がないんだと思った。
なんで30歳で左翼を一切やめてた。公務員もやめた。
それからは、仕事をして、最終的にポット出版にいきついた。

高校生から二十代の「左翼」な気分や現場は、本当に面白かったといまでも思うし、そんなことをやったことに後悔はしていない。
そこで考えることや、いろんなことも「学んだ」と思ってる。
会議の運営の方法も、教えてもらったことも役立ってるけど、おかしいなと思って、どうやるのがいいのか?とかもいっぱい考えたのは、今も役に立ってる。
今も時々言うギャク。
「お知らせ」なんかのなんらかの「メディア」の大切さは、僕の中ではレーニンの「何なす(何をなすべきか)」の「全国を貫く政治新聞とその配布網の確立」ってのがどうしても結びついちゃう。

左翼運動をしたことを後悔はしてないし楽したかったと思うけど、それは失敗だったとも思う。
圧倒的に考えが足りてなかった、社会のありかたもただ正しい/正しくないとしか考えてなかった。いろんな人がいる状態で、なにをどうするのかという考えはまったく浅かった。
若造の社会への反発=自分のダメさのいいわけ。
ただ、そうした社会のムードがあって、そのなかでどんなことを考えていたのかというのは、記録として残しておきたいと思っていたんで、この映画の製作に加わることにした。

内ゲバに関しては左翼をやめた以降もいろいろ考えてきたつもりだけど、あんまり考えが進まなかったんで、この映画をとおして、もう一度考え直したり、友達と議論してみたかった。
そんなかんじで映画製作に参加した。
結果、それなりに、左翼や内ゲバのことなんかも自分で整理できたつもりだ。
なので、この映画づくりは、僕にとってとても大きなものをもたらしてくれたと思う(経済的には損失になりそうな予感がしてるけどw)。

ということでこの『ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ』がついに完成。
2024年5月25日(土) 東京渋谷 ユーロスペースで公開される。

ポット出版は映画『彼は早稲田で死んだ』の製作委員会に参加しました

昨年末に、樋田 毅さんによる『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』が、文藝春秋社から出版された。
この本は、第53回大宅壮一ノンフィクション賞を2022年5月12日に受賞。
今からちょうど50年前の11月に起こった、早稲田大学での川口大三郎さんが内ゲバでリンチの上に殺された事件を追ったノンフィクションだ。川口さんは当時2年生。

当時早稲田大学のいくつもの自治会の多数派だった革マル派が、対立党派の中核派の「スパイ」だとして、川口さんを捕まえて起こった事件だった。

著者の樋田さんは、一年後輩の1年生でおなじ文学部。
革マル派による、自治会支配が暴力的に行われていたという中でおこったこの事件に対して、樋田さんをはじめ、他の党派・非党派の学生運動活動家や、ノンポリの学生までもが「革マル追放」の運動を起こした。樋田さん自身「再建自治会(革マル派が主導権を握る自治会に替わって学生の再選挙などをとおして新たな自治会をつくろうとしたもの)」の委員長に選出されるほどに、この活動に取り組んだが、革マル派に襲われて骨折などの重傷をおわされて、最終的にはこの運動は「敗れ」る。
のちに樋田さんは、朝日新聞の記者になり、定年退職後、この本を執筆。

「革マル追放」をともに目指した仲間(樋田さん同じように非暴力の運動をめざした仲間、武力で革マル派に対抗しようという人まで)や、川口くんを殺した側の当時の革マル派の活動家にもインタビューをして、このノンフィクションを書いた。

一方、『三里塚に生きる』『三里塚のイカロス』『彼が死んだあとで』という、半世紀後からみた新左翼運動のドキュメンタリー映画を作った代島治彦さん。

この二人の出会いから、新左翼運動の<負>の内ゲバの、そのまた一つのエポックな事件だった川口さん事件を中心にした映画製作が始まった。

僕は、1971年に高校入学。69年東大安田講堂事件あたりから後退期はいっていった、当時の全共闘運動や新左翼運動に「遅れて」ヘルメットを被りはじめた。
72年の川口さん事件当時の早稲田大学にもでかけていったことがあった。
その後、20代を新左翼的な労働組合運動・労働運動で過ごしたけれど、スターリン主義(運動や国家権力の独裁化)はマルクス主義や社会主義・共産主義では克服することができない、と思うようになって自称「左翼」を完全にやめることにして転職もした。
しかし、この時代に自分が考えていた「理想(=正義)」とは何だったのか、どう間違えていたのかを、自分なりに考え続けてきたつもりだし、少なくとも「何があったのか」という記録や証言は残しておきたいと思い続けていた。

今となっては「正義」というまとまったワンセットになったものはなく、より良いと思う選択を、精一杯、人々が積み重ねて行く以外に、より良い社会を作る道はない、としか言いようがないと思っている。
特に、たまたま自分が出会ったにすぎない思想を「正義」と思い込んで、それに同調しない人を「変革」するって思うことに誤りの根本があって、そこから暴力の正当化がはじまったと考えいる。
また、自分たちが間違うのは当然で、間違わないようにするのではなくて、間違ったら修正できること、誤ってもそれをみずから認めることのほうがとても必要だとも思っている。

去年、代島治彦監督の『彼が死んだあとで』を映画館で見た。
監督の前作の『三里塚のイカロス』も見ていて、あの時代をくぐった人たちが、今あの時代を語っておくこと、それを記録しておくことの大切さをつよく感じて、同世代(高校生のときに新左翼の運動にハマった)の同じような新左翼運動の端っこで「活動」していた友人たちと、代島監督を招いて「合評会」という小さな集まりをひらいて、少しばかり感想を話し合った。
この縁から、今回、代島監督のスコブル工房とポット出版で製作委員会を作って、川口さん事件の映画化をすることになった。

現在、撮影はすすみ、映画中劇(鴻上尚史さんの作・演出による短い劇)の製作準備にとりんでいる。
そして、最大の課題の資金集めが待っている。

新左翼運動を問う「三部作」をつくった代島治彦監督、
大宅壮一ノンフィクション賞受賞の樋口毅さん、
演劇界のもはや重鎮とも言える鴻上尚史さん、
大友良英さんという、フリージャズ、「あまちゃん」のテーマソング作曲者
新左翼運動の時代背景の助言者として池上彰さん
という豪華なメンバーと一緒に、この映画製作の一翼を担えるなんて、ポット出版にとってはとても嬉しい企画になった。

みなさんのご協力を、おねがいします。
映画『彼は早稲田で死んだ』製作委員会のサイトぜひみてください。

ポット出版の[出版流通]その4(番外)・本屋大賞は業界最高の改革事例だと思う

ポット出版の事務所は、版元ドットコムという業界団体の事務所と共有してる。ポット出版(株式会社スタジオ・ポット)の業務縮小以降、事務所にいるスタッフは版元ドットコムの事務局スタッフのほうが圧倒的に(笑)多いんだけどね。
版元ドットコム事務局には、楽天ブックネットワーク(楽天BN・旧大阪屋)という取次に30年以上働いてきて「業界の著名人」の、鎌垣さんが今年の2月から、週に一度のスタッフとして働いてくれてる。
その鎌垣さんと、今日おしゃべりをして「本屋大賞は、出版業界における近年最高のイノベーションだった」という話をされた。
じつは、ボクもそう思ってたんです(ホントですよwww)。
そのネタ書いてもいいかって無理強いしたんで、少し書きます。

出版業界は中小零細の書店・出版社の数がものすごく多いので、ついつい愚痴がでるのかもしれない。
どこの業界もおんなじかもしれないし。

例えば、中小零細出版社からは、取次の正味が安くて差別されている、とか、大手出版社の声はきいて中小零細の声はきかない、とかね。
書店からは、人気のある新刊は、紀伊國屋書店やジュンクなどの大きな本屋にはいっぱい積まれているけど、街の小さな本屋にはとどかない、とか。
飲み屋で一緒にいると良くそんな愚痴がでてたんですよ、その昔は。

芥川賞・直木賞についての、本屋の愚痴は、
「大々的にニュースになって、直後から本屋に買いに来る客がいても、発表までどの本が受賞するのか本屋にしらされないから、事前に注文して並べておくこともできない」、だから、発表のときには本屋に並べられるように我々には事前に教えて、注文にも応じろ、ってな愚痴ね。

愚痴だ、って決めつけてるのは、そんなことを愚直に改善しようという粘りのある交渉や行動があったって話を聞いたことがないから。

そこに登場したのが、本屋大賞、だと思うんです。
以下、すべて又聞き情報からの意見ですけど、本屋大賞は
・大賞が決まったら、公表まえに出版社と交渉して、増刷などの対応を依頼して、公表時には本屋に並べられるようにした
・これを大きな本屋などの取組ではなく、書店員の個々人の参加や運営ではじめた
という。

このことは、
芥川賞・直木賞の[公表前には誰にも(本屋にも)もらさない=結果公表時には本屋にその本が(潤沢に)ない]という状況にたいして、
本屋大賞という、自分たちで運営するあたらしい「賞」をつくることで、見事に改善した、というように見えるんです。

悪いことを告発し、それに抗議・糾弾することで、現状の問題(悪いこと)の改善を、(だれかに)迫るというスタイルから、
悪いことをなくすために(減らすために、あるいは悪くないことをつくりだすために)責任やマイナスの可能性を引き受けて、「良いこと」をつくりだす。
本屋大賞によって、公表されたときには、本屋にもその本が並んでいて、売りのがしも減らせるし、お客の要望にも答えることができる。

近年、出版業界で最高に成功した改革だと思うんですよ。
これからもこの本屋大賞の改革をなんか一つでも真似したいと思う、今日このごろです。

ポット出版の[出版流通]その3・著者が自著の告知にアマゾンのリンクをはること

著者が、ツイッターやフェイスブックなどで、自著の告知をするときに、よくアマゾンのリンクがはられているのを見ることがあります。
僕は、著者のSNSでのアマゾンへのリンクに、強い違和感があります。

それは、全国の書店員がそれをみると、嫌な気分になるんじゃないかと思うからです。

アマゾンには書店としての勢いが感じられ、リアル書店は不景気な話ばかりがながれているような状況がつづいてます。
そうしたときに、本の書き手=著者までも、「アマゾンで買って」と言ってるように、リンクでアマゾンに誘導してるんです。
僕が書店で働いてるとしたら、なにか読んで面白かった本をSNSをで紹介するときには、とてもじゃないけどアマゾンにリンクする気はおきません。
自分のお店で買ってほしいからです。
アマゾンに誘導している著者のツイートを、書店員はリツイートしにくいんじゃないかな?

そんなせこいことばかりを書店員が考えているとはおもわないけど、僕はセコイ!

「どこでもいいから、自著を買ってください」と言ってくれないのか。

前回の「ポット出版の[出版流通]その2(番外)・版元ドットコムMLに投稿したこと」に書きましたけど、本の7〜8割はアマゾン以外の本屋が売ってくれてるんです。

ではなぜ、著者は、ついアマゾンにリンクをはってしまうのか?
それは、書影がついて、それなりの内容紹介とかもある情報を、網羅的にネット上に公開していて、すぐ購入に導くサイトというと、アマゾンだと発想してしまうほどに、アマゾンが書誌譲歩を一般に公開してきたからです。なので、アマゾンは「エライ!」のです。

でも今は、アマゾン以外にも、そうした書誌情報が公開されているサイトはボチボチあります。
アマゾン以外のサイトは、近刊に少し弱いところがあったりしますけど。

なので著者のみなさん。
著者という「すごい立場で(SNSで著者をフォローしているのは、その人の書くものが好きな人だったりします)」告知するなら、ぜひ、
版元ドットコムを使いましょう(笑)。
版元ドットコムは、
・日本で発行されるほぼすべての本を(会員社の本だけでなく)
・書影、内容紹介、目次など濃い情報で(アマゾンからは目次情報がなくなってる)
・書店員が版元に注文するための情報もできる限り収集して
・主要なネット書店・チェーン店へのリンクも
つけて発信してるんです。お試しにポット出版の「ふたりのパパとヴィオレット」という本のリンクです。

『なかったことにしたくない 〜電子書籍をさがすなら hon.jpの5122日』を読んだ

『なかったことにしたくない 〜電子書籍をさがすなら hon.jpの5122日』
ボイジャーから電子書籍とプリント・オン・デマンド(POD)で発売された『なかったことにしたくない 〜電子書籍をさがすなら hon.jpの5122日』を、浅間の山の小屋で、読んだ。
僕も出てくるんで、発売された当初にPODの本を寄贈してもらっていたけど、これまで読んでなかった、5月に発売されてたのに。
最近は、目が悪くなって電子書籍をiPhoneで文字を大きめにして読むので、紙の本じゃな、というのと、「なかったことにしたくない」
っていう「情緒的」なタイトルにひいたからだと思う。
でも、内容は、hon.jpという電子書籍検索サイト事業の記録なんで、電子書籍で買い直しておいた。

8月は、浅間の山で休暇兼リモートワークをすることにした。ちょうど小説を読み終わって、そろそろ読むかってタイミング。
読み始めたら一気に読んでしまった。
落合さんは(僕と違って)文章うまいな、事業や会社の立ち上げの話や、落合さんと一緒にやったこと、その関わりの時の落合さんの「受け止め」方や、気持ちなども語られていたからだし、そもそも電子書籍の日本における創世記の大切なポジションを担っていたhon.jpの成り立ちや行末が、リアルで面白かったからだと思う。

「〜理詰めで語調を強めていく沢辺に返す言葉をなくしていった。最後には怒鳴るような体になった沢辺を、準備会のメンバーが諌めて〜」なんていう恥ずかしい僕の過去を落合さんに「目撃」されていてしっかり書いてもらってた(笑)。確かにあのときは激昂してしまったのだ、あー恥ずかしい(ってそんなことんばかりだけどね)

電子書籍の書誌情報のデータを、落合さんたちが「三層」にしたこと、その理由とか、もっと議論しておきたかったな。

電子書籍の書誌情報整備に、いまも一番必要なのは、共通の番号だと思っている。
版元ドットコムで電子書籍書誌情報の登録をつい最近やっと実現したんだけど、この共通の番号(とその体系、例えば紙の本と電子書籍の同定をどうするかなどを織り込んだもの)の不在が、相変わらず厄介で、ここは電子書店も含めて共通化しないと将来に問題をのこしてしまう。
そんなことも、改めれおもいだした。

出版や電子書籍に関わりのある人、興味のある人は読んでおくといい本だ。
でも、そういう読者対象は少ないので、ボイジャーの電子書籍版+PODでの発売という方式がなかったら、多分まとめられなかった一冊だと思う。
こうした記録は、出版本来の役割として重要な役割の一つ。電子書籍で、あるいは紙の本が国会図書館などで保存されて、後の検証の材料となるからだ。
落合さんでなければ書けなかったもの、まとめることができなかったもの。そうしたものをまとめた落合さんに、心から拍手。

読んでみようという人は、上のほうのタイトルのリンクからたどって行くと、楽天ブックスやhontoやアマゾンなどにいけるbooks.or.jpの画面になる。
ボイジャーの「理想書店」はこちら

最後に、注文をつけておこう(笑)。
ボイジャー発行のこの本は、版元ドットコムサイトでは検索しても出てこない。版元ドットコムの会員になっているにもかかわらず(笑)。
JPRO(出版情報登録センター)が公開している、books.or.jpには登録されているから、版元ドットコム会員社のボイジャーは、版元ドットコムシステム経由ではなく、JPROに直接登録しているのだろう。版元ドットコムシステムを利用してくれればいいのに(笑)。
おまけに書影はbooks.or.jpには出てこない。
楽天ブックスでは、紙の本も電子書籍も発売されているけど、紙の本には書影がなく、値段も2,200円のはずなのに1,100円で、「注文できない商品」になっちゃってる。
Hontoでも、楽天ブックスと同様。
アマゾンは、電子書籍は発売されている。紙の本は、オンデマンドコーナで販売。
ボイジャーは、自社の電子書籍販売サイトでの販売からはじめて、その他の電子書店からの販売はフォローしているようだけど、紙の本(POD印刷ではあるけど)の流通は良くないな。POD印刷であっても、活版・オフセットのような印刷方式のちがいしかないんだから、PODでもなんでも関係なく紙の本として書店・ネット書店流通を整備するのがいいんじゃないか。

あ~あ、またおせっかい虫がうづいてしまった、よ。

ポット出版の[出版流通]その2(番外)・版元ドットコムMLに投稿したこと

版元ドットコムの会員と会友のMLに、会員社からの書き込みがあった。
JRC扱いの版元の新刊の書誌情報(すら)、アマゾンに表示されないんだけど、
なにか情報はないか、という質問だった、何社もの会員社が、熱心に返信した。
そのいくつもやり取りを読んでいてちょっと思うことがあったんので
MLに投稿した。
版元をはじめ、取次の人や、書店の人にも読んでもらえたらうれしいので、
この「ポットの日誌」にも公開することにした。
投稿は2021年7月30日(金)。

――――――――――――――――――――
MLに書き込んだみなさま

この件に関する直接的な情報ではないですけど、
ちょっと気になったことを書いておきます。

●情報の流れと、物の流れ(本の商流)について
今回のことを考えるにあたって、
◯情報流
・書誌・書影などの情報
・在庫の情報(出版VANの在庫情報)
◯商流(在庫情報/物体の移動/伝票などの記録/支払いなど)
どのような取引経路で仕入れることができるのか?
そして、その仕入れは「信用」できるのかということです。
ここはEDI化がすすんでいて、ココも出版VANが使われています。
本屋からの受注・それへの出版社の出庫の情報を伝え合うということです

ということを分けて・整理してみるのがよいと思います

版元ドットコムが作っているシステムは、
情報流(のうち書誌・書影情報と一部在庫情報を補完)が中心です。
版元ドットコム会員社で、かつJPROを利用している会員社の書誌・書影情報の流 れは、
版元ドットコム→JPROの情報流をつかっていています。
この書誌情報をキャッチできないのは、出版業界では「おミソ」扱いだと思うほど、
太い流れになっています。

情報流のもう一つの在庫情報の太い流れは、
出版VAN(新出版ネットワークというのが現在の正式名称のはず)という流れ・ システムのなります。
出版VANで、在庫情報(在庫あり/品切れ重版未定など)を流す。
これが、出版業界では、太い流れであちこちで活用されます。
逆に言えば、出版VANの流れにのらないと、出版社の在庫の有無をつかめないこ とが多くあります。
今回の、JRCは出版VANの流れに乗っていないはずなので、
「アマゾンがJRC経由の出版社の在庫情報がつかみにくい」というも一つの理由 でしょう。

出版社に在庫があるかどうかの情報が、EDIで対応できないと、
アマゾンとしては扱いづらい。
読者に販売しても、入手できなかった場合に、
読者に「ゴメン」と連絡しなければならないからだとも、言える。

もう一つのの商流です。
出版業界の太いながれは、
やはり版元→トーハン・日販・楽天BNの取次→本屋(ネット書店もふくむ)です。
書誌情報があり、在庫情報が自動的に流れ、取次から仕入れられる本は、
本屋が安心して注文できます。

ちなみに、横道ですけど、この取次を中心にした商流の際の、本屋の受発注は、 現在3つの方法があります
・出版VAN のEDI交換による発注(7〜8割)
・本屋→取次→出版社への紙の短冊での発注(1割弱)
・本屋・取次→出版社へのFAX・電話などの発注(1〜2割前後)
()内はポット出版(取次で流通)への注文の形態別割合です

トーハン・日販・楽天BNが新規出版社との契約に抑制的です(その理由は脇にお いておいて)。
そのため、古くは地方小出版流通、星雲社、などによる補完の努力がなされてき ました。
トランスビューが直取引を始めました(2000年をちょっと過ぎたあたりだったと)。
そして、トランスビューが他の新規設立出版社の本の流通を、
自社商流に相乗りさせる業務を提供しました。
それがキッカケのひとつになって、
新規設立出版社の流通に、鍬谷書店・八木書店・JRCが門戸を開いてきた。
これによって、取次契約が難しかった版元の流通がとてもやりやすくなった、と いう経過を経ます。

しかし一方、こうした取次流通を補完する流通は、取次流通という太い流れに完 全に乗り切れていません。
今回のJRCも、そうした「乗り切れていない」ところを、様々な工夫と努力で 「補完」していますが、
どうしても「補完」しきれないのが現状だと思います。

このことが今回のことにつながった、というのが基本的な構造なのではないかと 思います。

書誌情報・在庫情報・商流(の確実性)の3つに、少しでもモレがあると、うま く本を売ってもらえない
ということが起きるというのが僕の考えです。

◯情報流
・書誌・書影などの情報
・在庫の情報(出版VANの在庫情報)
◯商流
を整理して考えて見る必要があると思います。
今回の例は、情報流の書誌は流れる状態をつくれたけど、
在庫情報・商流が、太い流れに乗れていなかったのでモレがおこった、と思います。

●アマゾンをどのような状態にしたいのか

今回の問題は
①書誌・書影を表示させたい
②注文を可能にさせたい
③24時間発送にしたい(在庫ステータスを良くしたい)
とわけて考えることができると思います
このとき、アマゾン以外のネット書店も視野にいれるほうがいいと思います。
アマゾンは連絡つながらないけど、楽天なら◯◯ができる、とかがあるからです。
また、意識的に、表示状態のいいネット書店に、
ネット・SNSを使って直接読者に告知し誘導することが可能だからです。
これを表にすると、以下になるかと

       アマゾン 楽天BOOKS honto 紀伊国屋 などなど
――――――――――――――――――――――――――――――
①書誌の表示
――――――――――――――――――――――――――――――
②注文可能にする
――――――――――――――――――――――――――――――
③24時間発送にする
――――――――――――――――――――――――――――――

①書誌・書影を表示させたい
これに必要なのは、書誌情報が届いている/確実な入荷/その本を売りたいとい う書店の意思
の3つだと思います。
版元ドットコム→JPROの、書誌情報のながれは、
ほぼ間違いなく、ネット書店と取次と本屋などに届きます。
情報は届いている、ある、としても、確実な入荷/その本を売りたいという書店 の意思
がなければ、そもそも表示させることすらされない場合があります。
自費出版で本をつくり、配布を個人でする場合は、主に確実な入荷がわからないので
多分販売対象にならないでしょう。多くの本屋において。
JRCなどの流通は、そうならないためにあれこれの工夫・努力をして、
なんとか補完しようとしているのです。

②受注可能にする
はまさに、確実な入荷/その本を売りたいという書店の意思、が必要です。
そのために版元のできることは、確実な入荷、という状態をつくるようにするこ と以外にありません。
また遠回りですけど、売りたいと思わせる本をつくること(むずかしくはない) です。

③24時間発送にする
24時間発送の表示になるのは、ネット書店が、自社の倉庫に在庫を持つものだけ です。
アマゾン以外もほぼ同じですし、本屋の棚におさまっている状態とおなじです。
すると、仕入れて24時間表示にするかしないかは、書店の意思=仕入れる意思、 によることになります。
ついでに書くと、トーハン・日販・楽天BNの倉庫に在庫があると、1〜3日表示が 多いようです。
これも、取次が在庫するかどうかを決めることができるものなので、その意思に よります。

だから、
版元ドットコムでは、hontoと交渉して、版元の意思・判断で、honto倉庫に在庫 できるスペースを
1,000冊分買って、会員社に在庫スペースを提供しています。
これは、
・版元の意思で、24hステータスにできる
・hontoには在庫があるので24hで届きますよ、とSNSで宣伝・誘導できる
・アマゾンは交渉できないけど、hontoには版元ドットコムとの交渉の窓口がある。
 もちろん、今後、他のネット書店にも広げることができないか考えています。

なのでアマゾンの在庫状態を改善することと同時に、
ネット上で、他のネット書店に誘導して、アマゾン在庫の弱点を補う、ということも
考えの一部にいれてもらいたいと思います。

●販売店が店になにを並べて売るかは、販売店の意思(権限)

版元はメーカーです。書店・ネット書店は販売店(小売店)
小売店がどんな商品を仕入れて並べるかは、小売店の意思(権限)だと思います。
だから、「書店営業」というのがあって、「うち(メーカー)の本を仕入れてく ださいよ」
という働きかけがある。
仕入れるということは(返品もあるけど一旦は)書店が「買う」ことだからでも あります。
アマゾンも小売店です。ジュンク堂も、街の本屋も。
だから基本的に、アマゾンサイトに、何をどう表示させるかは、
小売店であるアマゾンの意思になるのだと思います。

版元はなにができるのか、すべきかは
書誌情報が届いている/確実に入荷できるというサインを送ること/並べたくな る本をつくる、です。

ですから、JRCは、アマゾンのベンダーセントラル契約して、情報ばかりか、
JRCの商流で出庫できる状態ですよ、とサインを送っているだと思います。
(JRCのベンダーセントラル契約があるのか、どうなっているのかは今回調べて ません)

確実に入荷できる条件とはどういうものか、というのは、
それぞれの会員社の商流形態によって、可能なこと不可能なこと、
また経費をどこまで出すのか、によってさまざまです。
なので、おおきな記述になるので、今回は割愛させてもらいます。
版元ドットコムの「活用入門」基本編・営業編も、一つの回答です。
直球でそう説明するものでもありませんが、
「活用入門」で説明していることは、確実に入荷できる条件
をどうつくるかを目指しているともいえます。
それぞれの会員社の条件を踏まえて。

●アマゾンについて
最後にアマゾンについて書きます。
アマゾンの出版物売上は、出版業界売上全体の1兆数千万のうちの20〜30%と思 われます。
紀伊国屋全店、丸善ジュンク堂全店で、3%とか5%とか、数%のはず。
確かに全体の2割は巨大です。でも逆に言えば、本の70%〜80%は、アマゾン以外の
書店店頭、他のネット書店、などなどで売れています。
アマゾンは目立つけど、出版という商売全体をかんがえると、むしろ大切にすべきは
70%〜80%を売る、それ以外の販売チャンネル、小売店などだと思っています。
だから、それ以外のチャンネルにもっと注目したほうがいい。
では、それ以外のチャンネルに向けてなにができるか。
・読者には、だした本の存在とその内容を認識してもらうこと
→書誌情報・書影を、早く・濃い情報で、業界とネット上に公開すること
・それ以外のチャンネルの多くを占める本屋などに、
書誌・書影/在庫があるのか(注文できるか)/どのような商流で入手可能か
を知らしめること、これがほとんど全てです。

最近の版元ドットコムサイトの改修で、一冊一冊の本紹介ページに「書店員向け 情報」というのを
掲載するようにしました。
これは、8割売上を叩き出す書店員に、
在庫/どうゆう商流なのか、また返品の考え方を提供しようという、こころみです。

https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784910553009
このページは最近創業して入会した人々舎の最初の一冊目の本の紹介ページです。
情報をきちんと流したので、近刊の予約がアマゾンで始まっています。
でも、hontoでは、書誌情報は掲載されているけど、注文は受け付けていません。
これは、太い流れに乗れていなかったモレです。
新刊が完成して現物があれば、先に説明した、honto倉庫に在庫できるスペース
に入庫して、24hにすることができます。
予約はとってもらえていませんが、発売されたら確実に在庫表示を良くできる確 実な方法が
一つは、あるのです。

このぺーじにある「書店員向け情報」はこのようになっています。
> 取引取次: 鍬谷
> 直接取引: あり
とあるので、書店員は、鍬谷から取次同士の「仲間取引」なんだな、、、、とわ かります。

> 返品の考え方: 代表・樋口了解のもと「返品了解書」を同封の上、各取次さ んへお戻しください。
とあるので、万一売れ残ったら返品できるかという出版社の姿勢がわかります
(本当は、取次の姿勢・考えの問題でもあるのでかんたんに返品できないことも
書店員は想像したりするはずです、訳知りならばw)

> 出版社への相談
> 店頭での販促・拡材・イベントのご相談がありましたらお気軽にご連絡くだ さい。
で、個別の取り組みの際に出版社がたよりになるのかどうかわかります。

近刊なのでまだ在庫はないはずですから、在庫表示はありません。
版元ドットコムシステムから、在庫情報を「あり」にすれば、
ここに、在庫 あり、と表示されます。
(ですから特に出版VANをつかってない会員社はこのステータスのメンテナンス は大事です)

これらは、版元ドットコムシステムの「会員社情報」メニューが各社でいれたも のを表示しています。
つまり、さまざまな版元の「商流はどうなのか」という小売店の不安・疑問に応 えて、
注文の敷居を下げようというこころみです。
まだ「会員社情報」に入力していない会員社が多いのですが、どうか書き込んで ください。

そもそも、書誌・書影/在庫があるのか(注文できるか)/どのような商流で入 手可能か
を知らしめる方法には、書店FAXがあり(書店員の認知と商流の紹介)、
書店営業があり(本屋の店頭は最高のディスプレイ)、
書評掲載依頼(読者・書店の認知)などなどがあります。
個人的には小零細出版社は、書店営業などせずに、情報流と商流を整え、
注文があれば確実に書店にとどける体制づくりに注力するのがいいと思ってます。
書店営業の時間は、本をつくることにそそぐ。

この投稿は、まだまだ食い足りないと思います。
意見・異論や疑問があれば返信ください。
(返信でも構いませんし、直接メール電話でも)

また、この僕のメールは、
ポット出版の「ポットの日誌」にコピペして公開します。
版元ドットコム会員社以外の版元にも、同様な疑問・問題意識があると思うので。
公開したら、MLでもお知らせします。

沢辺

ポット出版の[出版流通]その1・ポット出版の本はどのルートで売れてるのか?

2019-12-05のこの日誌で、「株式会社スタジオポットの事業縮小のおしらせ」を書いてから、1年半、日誌をかいてなかった。
現在、株式会社スタジオ・ポット(ポット出版は屋号)の事業を縮小して、出版の仕事だけになっている。
編集やデザインの請負仕事はしなくなった。

ところで、ヒマもできた(笑)んで、これまで30数年やってきた、ポット出版の仕事でやってきたことを少し書いていこうと思った。
出版の仕事といっても、本を作る仕事ではなく、それを売る仕事、つまり[出版流通]についてだ。
ポット出版で、初めて本をだしたのが1989年。このとき「こういう本をつくろう、だそう」というつくり手としての気持ちだけで出発。
本を作ることはなんとかできたんだけど(印刷とかデザインのこととか好きだったしね)、[出版流通]のことはホントに手探りだった。
何年も何年も。
新泉社の小汀さんに「TRCで図書館で売ってもらうように交渉しなよ。太洋社の4階に行けばいい」って言われた。
TRCというのが図書館流通センターという、図書館に本を売る本屋だってこと、太洋社っては取次だってことはわかったんだけど、
TRCと太洋社がどういう関係で、太洋社のどこに行けばいいのか、TRCの本の仕入れ先はどこで、それと太洋社はどういう関係なのか、全部ナゾ。ほんとは太洋社の◯◯課の☓☓さんのとこに行け、と固有名詞を教えてもらいたかったんだけど、わかってる顔をしたくて、
そのまんま太洋社に一人で突撃することになった。
そんなことを繰り返してきて[出版流通]のことがそれなりに理解できてたつもり、なんで、少し整理しておこう、
というのがこの話を書く動機だ。

さて今回、ポット出版の本の出荷先を金額ベースで集計してみた。それが以下。

●紙=80%
 取次=49%
 トラ=11%
 著者=8%
 e託=5%
 書店直=3%
 生協=3%
 個人=1%
 版ド=1%
 子ども=1%
 国会=0%
●電子=20%
 取次=19%
 書店=1%

紙の本と電子書籍の売上金額で大別してある。
ポット出版の売上は、紙の本80%で、電子書籍が20%売れているということ。

紙の本が、どのルートでうれているのかが「取次=49%」以下のところ。

「トラ」というのは、トランスビューという書店と直接取り引きをしている出版社に扱ってもらって、
書店などに流通してもらっているものということ。
ポット出版は、トーハン・日販といった取次をルートとして書店に本を届けてもらっている。
それにたいして、ポット出版プラスというブランドをつくって、トランスビューの書店への流通にあいのりさせてもらっている。
2016年8月からで、現在は、新刊はほとんどポット出版プラス・トランスビューあつかい。
なので、ポット出版の場合の取次=49%というのは、既刊本(何年も前にだした本)の売上ということになる。
逆に、トランスビュー扱いの売上に、新刊の売上が入っているので、その分売上額は多くなる。

著者=8%、の著者は本を書いてくれた人自身が購入してくれたものだ。

e託=5%、のe託というのは、あのアマゾンとポット出版の直接取引のことだ。
アマゾンとの直接取引=e託は、ポット出版プラスのブランドからだしたものをすべて扱ってもらっている。
なので、同じアマゾンへの出荷でも、ポット出版の発行の本は、日販・楽天BN経由で出荷している。

書店直=3%、の書店直というは、ポット出版が本屋と直接取引しているもの。
昔からやっている模索舎タコシェ、という独立系本屋や、田亀源五郎さんのマンガなどをゲイショップで売ってもらってる。

生協=3%、の生協は去年の秋にプチヒットの「タンタンタンゴはパパふたり」を、生協の通販で扱ってくれたんで去年だけの売上

個人=1% 版ド=1% 子ども=1% 国会=0%、の個人は個人に直接うったもの、版ドというのは、業界団体の版元ドットコムのこと。
子ども、は子どもの文化普及協会という、絵本を中心に本屋や雑貨屋やカフェとかにうっている組織で、国会、というのは国立国会図書館に納本したときに、ポット出版に支払われる金額の集計(0%だけどwww)。

●電子=20%に、取次=19% 書店=1%
ポット出版は、新しく本を作ったら、電子書籍を同時につくっている。
電子書籍書店への配信は、電子書籍取次のMBJからしてもらっているのが基本。
でも、10年ほど前に、電子書籍の新刊同時制作発売をはじめたころに、楽天コボ・Apple・Googleには、ポット出版から直接契約をしてみた。この3社は契約できて、アマゾン・キンドルは「取次(MBJなどね)からにしろ」って断られた。
だもんだから、取次=19%というは、MBJからの入金額ということになり、書店=1%というのは、楽天コボ・Apple・Googleからの売上ということになる。

こんなところがポット出版の本の、売れる場所、そのルートということになる。

次回は
ポット出版の[出版流通]その2・ルート別売上をどう見てるのか?、というのを書いてみるつもりでありんす。