2024-05-14

友人からの、本「彼は早稲田で死んだ」への批判

古い友人の前田年昭さんから、樋田毅さんの本『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』には大いに批判がある、その本を元にした映画は見ないことにしている、といった趣旨の批判のメールが届いた。
ポット出版が映画『ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ』の制作委員会に参加しているからだ。

前田さんと初めてであったのは、1990年代の初期。印刷物の「活字」を、写真の印画紙に印字して、それを印刷物の版下としていた頃だった。
その写植、電算(コンピュータ)を使って印字する「電算写植」が出回り始めたころ、メーカーの写研の入力装置ではなく、PC98とMS-DOS(エムエスドスー)で、各所にあった出力屋(バンフーとか東京リスマチックとか)から、印画紙出力するためのデータをつくる独自のアプリがあった。確か「みえ吉」「くみ子」って名前だった記憶があるけど。
青山あたりには、手動で印字してくれる個人営業の「写植屋」さんがいっぱいあって、そこに頼むとA4くらいの印画紙にいろいろ印字してもらうと5万くらいしたと思う。電算写植ならA4サイズの印画紙をつくってもらっても、千円を下回る値段だったような記憶がある。
なので、このPC98で動くアプリを買いに行ったんだけど、そこにいたのがこの前田さん。
正規軍の写研にたいして、そのインフラを使って安く便利にするアプリはゲリラみたいなもん。
以降も、デザイナーの鈴木一誌がつくった「ページネーションマニュアル」(ポット出版のサイトにも掲載されている)をきっかけのひとつにしてできた「日本語の文字と組版を考える会」で一緒した。
左翼とか政治とか全く関係ないところでであったのだけど、ぼくとおなじように高校で左翼で、いろいろあったことを後で知る。

前田さんの批判に「半世紀前に「国際主義と暴力」を称揚しながら今、しれっと「非暴力」と言い出している元活動家に対しても」「許せない」とある。
まさに半世紀前に「革命は暴力」といって称揚したのはぼくだ。
でも「非暴力」がすべてとは思っていない。当時のベトナム人に、アメリカの暴力に対して非暴力で立ち向かえ、などとは言えないしい、今も思ってもいない。
だけども、暴力を行使してでも実現する必要があると思っていた革命(社会主義・共産主義・マルクス主義、、)は、そもそも誤りを含んでいたと思うように「変節」したし、革命ではないたゆまぬ改革・改善の積み重ねが必要だとも「変節」。

そんなつきあいの前田年昭さんからの本にたいする批判だ。映画に対する批判でないのは観ていないのと、観ないという態度をとると決めているからだそうだ。
沢辺の、この批判に言いたいことは、別にこの日誌に書くかもしれない(書かないかもしれないけどW)
――――――――――――――――――――
樋田毅『彼は早稲田で死んだ』を批判する
前田年昭(組版労働者)

 樋田毅『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(文藝春秋、2021年、以下〈樋田本〉と呼ぶ)を読んだときに感じた強い違和感と反発は今も消えない。ついで、映画『ゲバルトの杜』(代島治彦監督、2024年)が公開された。監督は〈樋田本〉によって「「ゲバルトの杜」の恐ろしさを知っ」て、「この本を原案に」「内ゲバについてのドキュメンタリー映画」をつくったという(公式ウェブ)。私は見ていない。見ずに批判するのは間違っていると思うから映画についてはコメントしないが、知人がプロデューサーとして映画製作に参加していると知り、〈樋田本〉への批判だけは伝えなければ、と以下のメッセージを託す。

 〈樋田本〉は、川口大三郎虐殺事件を革マル派による「内ゲバ」とみる。「彼は早稲田で死んだ」という書名は、「ゲバルトの杜」という醜悪な映画タイトル同様、ここにあらわれている見方、捉え方は、当時の早大当局(村井資長総長)の「派閥抗争」という傍観者的な見方と同じである。これは、歴史的事実なのか。否、彼の死は「内ゲバ」によるものでも「内ゲバ」に“巻き込まれた”ものでも断じてない。「早大当局と結託した革マル派」による学生に対する暴力支配が事件の本質である。「彼は革マル派と早大当局によって殺された」が事実である。行動委員会(WAC)や当時の運動の歴史が、後知恵のきれいごとで改竄され、消されている(旧早大政治思想研究会有志「川口大三郎君は早稲田に殺された」(『情況』2023年冬号掲載)を参照されたい)。これは歴史への修正、改竄であり、事実を覆い隠すものは、その事実をつくり出した犯人である、という格言はここでも見事にあてはまる。関東大震災時に朝鮮人が“死んだ”、という言説を想定してみれば、歴史の修正、改竄が誰を利するものか明白である。

 〈樋田本〉は「不寛容に対して寛容で」立ち向かえと主張する。本のなかでは、78ページ、115ページ、153ページをはじめ253ページにいたるまで繰り返し、書かれている。空語である。自らをジャーナリスト(奥付)と名乗るが、言葉に責を負うプロフェッショナルの言葉とは思えない。イスラエルのパレスチナジェノサイドに抗議する反戦運動の全米、世界への現下のひろがりに直面した大統領バイデンは5月2日、「抗議する権利はあるが、混乱を引き起こす権利はない」と反戦運動への弾圧を理由づけた。逮捕者2000人という“混乱”は誰が引き起こしたのか。イスラエルの侵略を後押しするバイデン自身が作りだしたものではないのか。抑圧には反抗しかない。「不寛容に対して寛容で」という主張は、「不寛容」の暴力を容認し、後押しすることに帰結する。

 〈樋田本〉は、1994年、奥島総長によって、「早稲田大学は革マル派との腐れ縁を絶つことができた」(256ページ)、というが、これが解決なのか。私の違和感は、光州事件を題材にした映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』(チャン・フン監督、2017/2018年)への違和感と通ずる。映画『タクシー運転手』を評価する人が少なくないが、反共国家韓国の現実は何ひとつ変わっていないからだ。いま、日本の大学には、自由と民主主義、自治はない。大学の構内に交番(2013年、同志社大学)など考えられない事態が起きている。いったいどこに、学問研究の自由、大学の自治があるというのか。ジャーナリズム、アカデミズムは、難儀なめに遭わされている人民の、直面している問題の解決に役立ち、闘いを励ますものでなければ、その存在意義はない。本も、そして映画も、である。

 自由民権運動の元闘士が「国権」にとらわれ転向をとげた姿を見て、北村透谷は「会ふ毎に嘔吐を催ふすの感あり」と書いた(「三日幻鏡」1892)が、半世紀前に「国際主義と暴力」を称揚しながら今、しれっと「非暴力」と言い出している元活動家に対しても、さらにその時流にのって「当時から非暴力を主張していた」と説教しに現れた〈樋田本〉を見ても、私は同じ思いに駆られる。私は〈樋田本〉を許せない。
 (2024.5.14)