『中井正一伝説』が品切れとなりました。
2024-11-22 ポット出版
2009年6月刊行
馬場俊明(著)『中井正一伝説:二十一の肖像による誘惑』が品切れとなりました。
この本は電子書籍化されています。
2009年6月刊行
馬場俊明(著)『中井正一伝説:二十一の肖像による誘惑』が品切れとなりました。
この本は電子書籍化されています。
ゲバルトの杜~彼は早稲田で死んだ~[DVD]
価格:5,940円(税込)
発売日:2024年11月29日(金)
発売・販売元:マクザム
本編 134分+特典 約50分(予定)
映像特典:「池上彰の日本新左翼史講義」、予告編、特報
封入特典:解説書
この発売にあわせての記念として
監督の代島治彦さんと作家の森まゆみさんのトークイベントが開催されます。
日時:2024年11月28日(木)(開場18:45)開始19:00
場所:芳林堂書店高田馬場店8Fイベントスペース
参加特典はサイン入DVDジャケット。物販にて書籍をご購入のお客様はサイン会にご参加頂けます。
申し込み、詳細はこちら→詳細
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2000年03月刊行
スタジオ・ポット 編 『ひきこもり[知る語る考える]』が品切れとなりました。
この本は電子書籍化されていません。
2024年10月9日の時点では、Rakutenブックスには在庫がありました。
また、ポット出版の事務所に在庫があった分はBASEにて販売しています。
ポット出版の事務所の在庫分は11月11日に完売いたしました。
背表紙が色褪せたものがまだ1冊あるのですが、こちらでもよろしい場合は、ポット出版までお問い合わせください。
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2011年12月刊行
はりゅうウッドスタジオ 制作『木造仮設住宅群:3.11からはじまったある建築の記録』が品切れとなりました。
この本は電子書籍化されています。
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来週7/29月から、クラウドファンディング始めます。
ポット出版の新刊のマンガ『ビリガマ 高卒に厳しくなってきたゲイ社会をたくましく生きる店子』の宣伝費 目標50万円です。
マンガ『ビリガマ』は、お洒落なエリート・ゲイでも、社会的に脚光を浴びる人権活動家でもない、自称ビリガマ(=底辺ゲイ?)」のリアルを描いたマンガです。
使い道は、この本の宣伝費用で、ゲイメディアやゲイイベントへの広告費用です。
2024年7月29(月)〜1ヶ月の予定。
是非ご協力ください。
●クラウドファンディング(7月29日(月)19:00スタート予定)
『ビリガマ 高卒に厳しくなってきたゲイ社会をたくましく生きる店子の日常』
ポット出版プラス
ISBN 978-4-86642-028-8
四六判 256ページ
価格 1600円+税(予定)
解説 ちあきホイみ(歌手、女装)/枡野浩一(歌人)
発売予定 2024年9月初旬
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『日本のゲイ・エロティック・アートVol.1』ゲイ雑誌創生期の作家たち、5刷です。
2003年の刊行なので今が体ともう20年以上前の本、
前回の重版(4刷)が2015年のなので、そこから9年ぶり。
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2010年9月刊行
前田和男(著)『民主党政権への伏流』が品切れとなりました。
この本は電子書籍化されています。
前田さんが書かれた本がポット出版から刊行予定です。
『炭鉱の唄たち』炭坑節からプロテストソング、そして流行歌まで
1000ページを超える大著となります。
発売前にこのポット出版のサイトで予約していただいた場合に限り、特別価格で販売いたします。
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古い友人の前田年昭さんから、樋田毅さんの本『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』には大いに批判がある、その本を元にした映画は見ないことにしている、といった趣旨の批判のメールが届いた。
ポット出版が映画『ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ』の制作委員会に参加しているからだ。
前田さんと初めてであったのは、1990年代の初期。印刷物の「活字」を、写真の印画紙に印字して、それを印刷物の版下としていた頃だった。
その写植、電算(コンピュータ)を使って印字する「電算写植」が出回り始めたころ、メーカーの写研の入力装置ではなく、PC98とMS-DOS(エムエスドスー)で、各所にあった出力屋(バンフーとか東京リスマチックとか)から、印画紙出力するためのデータをつくる独自のアプリがあった。確か「みえ吉」「くみ子」って名前だった記憶があるけど。
青山あたりには、手動で印字してくれる個人営業の「写植屋」さんがいっぱいあって、そこに頼むとA4くらいの印画紙にいろいろ印字してもらうと5万くらいしたと思う。電算写植ならA4サイズの印画紙をつくってもらっても、千円を下回る値段だったような記憶がある。
なので、このPC98で動くアプリを買いに行ったんだけど、そこにいたのがこの前田さん。
正規軍の写研にたいして、そのインフラを使って安く便利にするアプリはゲリラみたいなもん。
以降も、デザイナーの鈴木一誌がつくった「ページネーションマニュアル」(ポット出版のサイトにも掲載されている)をきっかけのひとつにしてできた「日本語の文字と組版を考える会」で一緒した。
左翼とか政治とか全く関係ないところでであったのだけど、ぼくとおなじように高校で左翼で、いろいろあったことを後で知る。
前田さんの批判に「半世紀前に「国際主義と暴力」を称揚しながら今、しれっと「非暴力」と言い出している元活動家に対しても」「許せない」とある。
まさに半世紀前に「革命は暴力」といって称揚したのはぼくだ。
でも「非暴力」がすべてとは思っていない。当時のベトナム人に、アメリカの暴力に対して非暴力で立ち向かえ、などとは言えないしい、今も思ってもいない。
だけども、暴力を行使してでも実現する必要があると思っていた革命(社会主義・共産主義・マルクス主義、、)は、そもそも誤りを含んでいたと思うように「変節」したし、革命ではないたゆまぬ改革・改善の積み重ねが必要だとも「変節」。
そんなつきあいの前田年昭さんからの本にたいする批判だ。映画に対する批判でないのは観ていないのと、観ないという態度をとると決めているからだそうだ。
沢辺の、この批判に言いたいことは、別にこの日誌に書くかもしれない(書かないかもしれないけどW)
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樋田毅『彼は早稲田で死んだ』を批判する
前田年昭(組版労働者)
樋田毅『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(文藝春秋、2021年、以下〈樋田本〉と呼ぶ)を読んだときに感じた強い違和感と反発は今も消えない。ついで、映画『ゲバルトの杜』(代島治彦監督、2024年)が公開された。監督は〈樋田本〉によって「「ゲバルトの杜」の恐ろしさを知っ」て、「この本を原案に」「内ゲバについてのドキュメンタリー映画」をつくったという(公式ウェブ)。私は見ていない。見ずに批判するのは間違っていると思うから映画についてはコメントしないが、知人がプロデューサーとして映画製作に参加していると知り、〈樋田本〉への批判だけは伝えなければ、と以下のメッセージを託す。
〈樋田本〉は、川口大三郎虐殺事件を革マル派による「内ゲバ」とみる。「彼は早稲田で死んだ」という書名は、「ゲバルトの杜」という醜悪な映画タイトル同様、ここにあらわれている見方、捉え方は、当時の早大当局(村井資長総長)の「派閥抗争」という傍観者的な見方と同じである。これは、歴史的事実なのか。否、彼の死は「内ゲバ」によるものでも「内ゲバ」に“巻き込まれた”ものでも断じてない。「早大当局と結託した革マル派」による学生に対する暴力支配が事件の本質である。「彼は革マル派と早大当局によって殺された」が事実である。行動委員会(WAC)や当時の運動の歴史が、後知恵のきれいごとで改竄され、消されている(旧早大政治思想研究会有志「川口大三郎君は早稲田に殺された」(『情況』2023年冬号掲載)を参照されたい)。これは歴史への修正、改竄であり、事実を覆い隠すものは、その事実をつくり出した犯人である、という格言はここでも見事にあてはまる。関東大震災時に朝鮮人が“死んだ”、という言説を想定してみれば、歴史の修正、改竄が誰を利するものか明白である。
〈樋田本〉は「不寛容に対して寛容で」立ち向かえと主張する。本のなかでは、78ページ、115ページ、153ページをはじめ253ページにいたるまで繰り返し、書かれている。空語である。自らをジャーナリスト(奥付)と名乗るが、言葉に責を負うプロフェッショナルの言葉とは思えない。イスラエルのパレスチナジェノサイドに抗議する反戦運動の全米、世界への現下のひろがりに直面した大統領バイデンは5月2日、「抗議する権利はあるが、混乱を引き起こす権利はない」と反戦運動への弾圧を理由づけた。逮捕者2000人という“混乱”は誰が引き起こしたのか。イスラエルの侵略を後押しするバイデン自身が作りだしたものではないのか。抑圧には反抗しかない。「不寛容に対して寛容で」という主張は、「不寛容」の暴力を容認し、後押しすることに帰結する。
〈樋田本〉は、1994年、奥島総長によって、「早稲田大学は革マル派との腐れ縁を絶つことができた」(256ページ)、というが、これが解決なのか。私の違和感は、光州事件を題材にした映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』(チャン・フン監督、2017/2018年)への違和感と通ずる。映画『タクシー運転手』を評価する人が少なくないが、反共国家韓国の現実は何ひとつ変わっていないからだ。いま、日本の大学には、自由と民主主義、自治はない。大学の構内に交番(2013年、同志社大学)など考えられない事態が起きている。いったいどこに、学問研究の自由、大学の自治があるというのか。ジャーナリズム、アカデミズムは、難儀なめに遭わされている人民の、直面している問題の解決に役立ち、闘いを励ますものでなければ、その存在意義はない。本も、そして映画も、である。
自由民権運動の元闘士が「国権」にとらわれ転向をとげた姿を見て、北村透谷は「会ふ毎に嘔吐を催ふすの感あり」と書いた(「三日幻鏡」1892)が、半世紀前に「国際主義と暴力」を称揚しながら今、しれっと「非暴力」と言い出している元活動家に対しても、さらにその時流にのって「当時から非暴力を主張していた」と説教しに現れた〈樋田本〉を見ても、私は同じ思いに駆られる。私は〈樋田本〉を許せない。
(2024.5.14)
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ポット出版は、代島治彦監督の運営するスコブル工房と、映画『ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ』の製作委員会を一緒に構成して、この映画の製作に参加した。
●ナタリーの記事
●予告編
●『ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ』のクラウドファンディング
僕は1956年3月生まれで、1971年の4月に高校に入学。
67年の10.8(ジュッパチ 佐藤訪米阻止闘争 中核派の京大生山崎君が死んだ)から高揚が始まった新左翼運動/ベトナム反戦運動/全共闘運動が下火に向かい始めた頃だった。とはいえ、まだ大学・高校でヘルメットを被って「戦う」ってムードがあった頃。
同じ年に高校に入学したなかにもブンド戦旗派で一年ダブって入学し直したやつがいたし、同じ年のその高校の入試には麹町中学校で全中闘の活動のことを内申書にかかれて、軒並み高校入試を落とされた保坂展人(現世田谷区長)もいた(入試で落とされてのちに「内申書裁判」になる)。
同級生のなかには、おなじ学校の戦旗派にさそわれ三里塚第二次執行阻止闘争に参加して、畦道から田んぼにおちてパクられたやつもいた。
一年生を中心に10人ちょっとで「全闘委」を作って黒ヘルをつくったりした。
そんな時代だった。
オヤジが共産党員だったこともあって、中学生のころには左翼を気取ってたし。
72年になると、2月に連合赤軍のあさま山荘事件。
立て籠もった5人のなかの高校生兄弟の下がちょうどおなじ歳、でなんだか自分が「遅れた」ような気分になった。
夏になると学校に比較的近い相模原で、相模原闘争=米軍戦車輸送阻止闘争(鴻上尚史の『アカシヤの雨が降る時』のネタのひとつでもある)があって、相模補給廠の正門前に高校メンバーでテントをはって、夏休み中泊まり込みしてた。
現地にきていた高校生たちのグループ=全都高校生相模原闘争連絡会議(町田・忠生・新宿・東大付属などなど)とも仲良くなったり、ジモトの寿司屋から閉店後のすし飯の残りを差入をしてもらったり、駅前でカンパをいっぱいもらったり、と闘争気分を満喫した。
そしたらなんと、73年3月に、高校から退学勧奨があって中退。
友達がいた(昼間部に)こともあって定時制の4年に転校、そこの友達に公務員の試験のことを聞いて、労働者になって左翼続けようと思って地方公務員になった。
公務員では仕事より組合運動・青年部運動ばっかりやってた。
でもしっかり飲んだり遊んだりしてたケドね。
公務員で10年程過ごしてたけど、その左翼運動ってことでは、ほんとに社会主義・共産主義でいいんだろうかって疑問が少しずつ大きくなっていった。
最終的に100人を超える死者を出す内ゲバ、高校生のときにあった連合赤軍の仲間殺しなんかは、ソビエトのスターリンの大虐殺や、中国での文化大革命という名の大虐殺とおなじ土俵のものに思わざるえなかった。
新左翼はスターリン(の虐殺・粛清)への批判から始まったはずで、それを克服できない既成左翼=共産党を強く批判したはずなのに、その批判は「世界革命を裏切って一国社会主義革命に逃げ出した」のがいけない、といった批判だったけど、どう考えたって、スターリン批判しても、内ゲバ・虐殺・粛清の論理を超えられるとはおもえなかった。
いまだからストレートにいえば社会主義・共産主義の論理のなかに必然的に内ゲバ・虐殺・粛清が内包しているとおもった。プロレタリア独裁という論理は、ブルジョアジーにたいしてプロレタリアが「独裁」して押さえつけるんだ、って論理だと思うんだけど、でもそれを、誰が、どういう基準で、どうやって決定するのか、明確な論理がないんだと思った。
なんで30歳で左翼を一切やめてた。公務員もやめた。
それからは、仕事をして、最終的にポット出版にいきついた。
高校生から二十代の「左翼」な気分や現場は、本当に面白かったといまでも思うし、そんなことをやったことに後悔はしていない。
そこで考えることや、いろんなことも「学んだ」と思ってる。
会議の運営の方法も、教えてもらったことも役立ってるけど、おかしいなと思って、どうやるのがいいのか?とかもいっぱい考えたのは、今も役に立ってる。
今も時々言うギャク。
「お知らせ」なんかのなんらかの「メディア」の大切さは、僕の中ではレーニンの「何なす(何をなすべきか)」の「全国を貫く政治新聞とその配布網の確立」ってのがどうしても結びついちゃう。
左翼運動をしたことを後悔はしてないし楽したかったと思うけど、それは失敗だったとも思う。
圧倒的に考えが足りてなかった、社会のありかたもただ正しい/正しくないとしか考えてなかった。いろんな人がいる状態で、なにをどうするのかという考えはまったく浅かった。
若造の社会への反発=自分のダメさのいいわけ。
ただ、そうした社会のムードがあって、そのなかでどんなことを考えていたのかというのは、記録として残しておきたいと思っていたんで、この映画の製作に加わることにした。
内ゲバに関しては左翼をやめた以降もいろいろ考えてきたつもりだけど、あんまり考えが進まなかったんで、この映画をとおして、もう一度考え直したり、友達と議論してみたかった。
そんなかんじで映画製作に参加した。
結果、それなりに、左翼や内ゲバのことなんかも自分で整理できたつもりだ。
なので、この映画づくりは、僕にとってとても大きなものをもたらしてくれたと思う(経済的には損失になりそうな予感がしてるけどw)。
ということでこの『ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ』がついに完成。
2024年5月25日(土) 東京渋谷 ユーロスペースで公開される。
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1999年3月刊行
東條文規(著)『図書館の近代:私論・図書館はこうして大きくなった』が品切れとなりました。
この本は電子書籍化されています。
東條さんが書かれた他の本
『図書館という軌跡』(2009年4月刊)
『図書館にドン・キホーテがいた頃』(2021年2月刊)※ポット出版プラス
は、まだ在庫ございます。
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2009年5月刊行
『懺悔録』我は如何にしてマゾヒストとなりし乎 が品切れとなりました。
この本は電子書籍化されていますので、古書市場などで紙を本を入手する以外ではご不便をおかけするかもしれませんが、電子書籍版のご購入をお願いします。
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2003年2月刊行
『全国ひきこもり・不登校援助団体レポート』宿泊型施設編が品切れとなりました。
この本は電子書籍化されていません。
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第53回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した樋田毅による著書『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(文藝春秋)が原案となっている映画『ゲバルトの杜 〜彼は早稲田で死んだ〜』が2024年5月中旬、東京・渋谷のユーロスペースにて公開されます。
監督は代島治彦さん。
映画は被害者を知る当事者たちの証言を集めたドキュメンタリーパートと、「彼」にあたる川口大三郎さんがリンチされ殺害された事件を再現した短編の劇パートで構成され、ドキュメンタリーパートの証言者としては原案の著者である樋田さんの他に池上彰さん、内田樹さん、佐藤優さんなどが出演されています。
劇パートはの演出は鴻上尚史さんが担当されています。
スタッフ
監督:代島治彦
原案:樋田毅
プロデューサー:沢辺均
撮影:加藤孝信
編集:代島治彦
音楽:大友良英
劇パート演出:鴻上尚史
劇パート脚本:鴻上尚史
製作:『ゲバルトの杜』製作委員会(スコブル工房+ポット出版)
配給:ノンデライコ
ポット出版もこの映画の製作委員会の一員として参加しています。
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タイトルにある通り『タンタンタンゴはパパふたり』重版しました。
今回で14刷です。
前回の重版(13刷)が2022年6月なので1年半ぶりになり、以前より重版の間隔が開いてしまいましたが、理由は以前よりも1回の刷部数を多くしているからです。
ちなみにこれまでの重版はこんなかんじでした。
2刷: 2009-05-22
3刷: 2014-07-08
4刷: 2015-10-09
5刷: 2016-04-18
6刷: 2017-01-20
7刷: 2018-04-02
8刷: 2019-02-26
9刷: 2019-12-15
10刷: 2020-04-01
11刷: 2020-09-10
12刷: 2021-03-15
13刷: 2022-06-30
14刷: 2024-01-19
2023年は重版をしていなかったのですが、重版をしなかったのは2013年以来というのを今更気づきました。
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2023年12月29日(金)から、ポット出版ならびにスタジオ・ポットは冬季休業とさせていただきます。
新年は2024年1月5日(金)より、通常通り営業いたします。
休業日中のポット出版の書籍のご注文は、メール(books@pot.co.jp)かFAX(0120-009-936)にてお願いいたします。
2023年のポット出版(ポット出版プラス)は
7月 田亀 源五郎 著『外道の家 上 【復刻版】』
8月 田亀 源五郎 著『外道の家 中 【復刻版】』
9月 田亀 源五郎 著『外道の家 下 【復刻版】』
10月 高山 広 絵・文『さくらばあちゃんのいる街』(発行:江ノ島ともだち幼稚園)
11月 鴻上 尚史 著『ヘルメットをかぶった君に会いたい』
を、発行、発売いたしました。
また、
3月 ジェシカ・ウォルトン さく, ドゥーガル・マクファーソン え, かわむら あさこ やく『くまのトーマスはおんなのこ』(5刷)
4月 渡辺 克巳 著『新宿、インド、新宿』(2刷)
5月 石ノ森 章太郎 著『ジュン 4』(3刷)
7月 リンダ・ハーン/スターン・ナイランド 文・絵, アンドレア・ゲルマー 訳, 眞野 豊 訳『王さまと王さま』(7刷)
10月 田亀 源五郎 著『童地獄・父子地獄』(4刷)
12月 田亀 源五郎 編『日本のゲイ・エロティック・アートVol.2』(3刷)
を重版いたしました。
2024年もよろしくお願いいたします。
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『カーミラvol.3』特集: 禁断LOVE
奥付の日付では2004年1月28日刊行(2004年9月に2刷重版)
カーミラ編集部(編)『カーミラvol.3』特集: 禁断LOVE、が品切れとなりました。
この本は電子書籍化されていません。
(2023年12月26日時点ではポット出版事務所に1冊だけ在庫あり)
現在、『カーミラ』で在庫があるものはvol1、2、4、6〜10となっております。
まんが カーミラ『GIRL’S ONLYガールズオンリー』も残り少なくなっておりますが、まだ在庫あります。
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10月に『童地獄・父子地獄』を重版しました。
2015年以来の重版で今回で4刷。
そして、もう1点。
『日本のゲイ・エロティック・アートVol.2』ゲイのファンタジーの時代的変遷 も今月(12月)に重版しました。
こちらも2015年以来の重版で今回で3刷。
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