2005-07-04

著作物という英知

●本日のお仕事
○仕事内容の反省、ブログ更新
○ゴミ捨て、お茶入れ等雑務
◯郵便局へおつかい
◯参考書で勉強(今は藤脇邦夫著の「出版幻想論」、豊田きいち著の「編集者の著作権基礎知識」を読んでいます)
◯新刊の索引用に書籍のISBNデータを検索、データ入力

沢辺さんが貴重な時間を割いて著作権について話してくださり、それがすごく面白かったのでここに記しておきたいと思う。まず、著作物というのは、「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。」と著作権法第二条に定義されている。誰かがなにかを意図的に(創作的に)作り、それを公に表現した場合、それらはすべて著作物となるのだ。彫刻をカメラマンの意図で色々な角度から撮りそれを雑誌などに載せたら、その写真にはカメラマンの著作権も発生するということになる。「なんで著作権っていうのがあるんだと思う?」と聞かれて、僕は少し考えてからこう答えた。著作権がないと、どんどん著作物がパクられてしまうからその予防に必要なのではないか、と。すると、沢辺さんは「俺は逆なんじゃないかと思うんだよ」と言った。最初はえっ、とびっくりしたが、聞いていると納得してしまう真実をついた論理だった。

沢辺さんは、著作物というのは本来は誰のものでもなく人類みんなのためのオープンな知なのだ、と言った。著作物の中にある作品たちは人間の英知であったり、人間を楽しませたりする類のものだ。ちょっと考えてみればわかるが、現在僕らは歴史の中で人間が造り上げてきたそういった「著作物」である知を無料で使っている。例えば「悲しい」という気持ちひとつにしても、人類が漢字や平仮名を発明して「悲しい」という言葉をつくっていなかったら表現できなかったわけだ。そして、今も人類の持つ知識や表現は進化を続けている。そして、昔と同じように現代にはそういった知識を発明し発表する人たちがいる。ただ違うのは、今を生きるそういった表現者たちは、生活のためを兼ねて(お金をもらって)「著作物」を作っている人が大半だということだ。沢辺さんは、だからこそ著作権で死ぬまで+50年くらいはその権利を保護してあげないといけないんじゃないか、と言った。つまり本来オープンである人類みんなの英知としての「著作物」だが、その作者の生活の為に(そしてそういった表現を活性化させるために)イレギュラーとして一時的に保護してあげよう、というのが「著作権」だと言うことである。人間の英知全体に利益がもたらせるようそういった知識のアウトプットを奨励していこう、ということだ。

沢辺さんの考え方は、僕の言った著作権の存在意義とは正反対で、とても興味深かった。もともとオープンなものでそれをイレギュラーとして保護されているのか、そもそも権利が保護されるべき類のものでそれが当たり前に保護されているのか、それを取り違うと大変なことになる。沢辺さんは、それをわかっていない表現者は実はとても多いのだ、と指摘した。権利、権利と叫ぶ前に、その大元を理解しなければいけないなぁ、と感じた。沢辺さんがここまで時間をかけてくださったのも、それだけ重要で理解しなければいけないものだからに違いないのだ。また、ひとつ大切なことを学んだ一日だった。

このエントリへの反応

  1. [著作権]例外はどっち
    【読みもの】ポットの日誌 » 著作物という英知●スタジオ・ポット/ポット出版 http://www.pot.co.jp/diary/archives/2005/07/04/1116/ ここで紹介されている沢辺さんの著作権についての説明がす…

2005-05-30

傷心デスクワーク

最近私生活が非常にごたごたしているため、二丁目で飲み明かす日々が続いており肉体的プラス精神的疲労が著しい。寝不足、情緒不安定、+ビックバン的出来事 on Saturday。ヒュー。そんな中、今日も業務に励むフジイタカマサ、19歳、独身です。こんばんは。早速、今日したお仕事からいってみよー!!!(とか、もうノリまで痛い…)

●本日のお仕事
○仕事内容反省、ブログ更新
○雑務(コーヒー入れ、ゴミ捨て等)
○版元ドットコム総会資料作成のため、サイトのアクセス解析をエクセルに入力
○沢辺さんと三好さんの打ち合わせに同席させていただく。

今日は、打ち合わせに同席させていただいた。製作中の本について、である。ズバリ、テーマは「著者の方からの原稿をポットでどう料理するか!?」 編集者として、読者が読む時にどうしたら読みやすいかを一から考えていく作業であった。漢数字を使うか数字を使うか、ということから、索引をつけるかつけないか、はたまたその索引は人名索引と事項索引に分けるべきか否か、ということまで。原稿をもらったら、そのまますぐに本に出来ると考えていた僕には、「料理」の手間の多さに驚いてしまった。実際に違う方法で作られた本を見比べてみたら、見た印象や見やすさが全然違っていたのでこの編集者の手作業の大切さを痛感させられた。こういった作業は、コンピュータに読めない文脈や語感まで見ながら丁寧に進めていかなければならない。それだけの手間ひまをかけて一冊の本が出来上がるのだ。やっぱり編集者というのは素敵な仕事だ、と思った。

それから沢辺さんが日本語の文字について面白い話を聞かせてくれた。コンピューターで使われている字体の中には、意外な理由でそもそもの形と変わってしまっているものが沢山あるそうだ。例えば僕が面白いと思ったのが𡚴原(あけんばら)と言う地名の中の「𡚴」という漢字である。例えばこの字は現地の看板では、山かんむりに女と書かれているが、ある書物においては山と女の間にもう一本の横線がはいっている。そしてなんと、この横線は作字のために字を切り貼りした時の影が写り込んでしまったものかもしれない、というのである。そのようにして、元々使われていた字が予期しない理由で変化し定着していってしまうことはかなりあるのだそうだ。文字ひとつひとつが持っている物語を意識することなどほとんどなかった僕には、なんだか新鮮な新知識であった。

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