2008-06-05

今週日曜日は町屋で逢いましょう。

しつこいようだけど。

<ザ・失投パレード6>

6月8日(日) 14時半開場 15時開演

出演
バトルロイヤル風間
Misako
ヂエームス槇
武田浩介

会場  ムーブ町屋ハイビジョンルーム(地下鉄千代田線町屋駅駅ビル4階) 
入場料 500円(うなぎパイ付き)

漫画家・バトルロイヤル風間氏主催の、演芸会。

何があってもペンと画用紙を離さないバトルロイヤル風間氏の似顔絵コントは必見です。似顔絵、書かれちゃってください。
ワン・アンド・オンリーなMISAKOさんの、存在感。
最近ではクイック・ジャパンなどで、ライター業も活発。お笑いプロデューサーとしてもその名を知られるヂエームス槇氏の落語は、刺激まみれ。

私武田浩介は、落語です。
落語といっても、本寸法なものではもちろんなく、自作の新作を喋らせていただきます。
今回は『光と影』という作品を書きました。
映画館を舞台にしたおハナシです。
10年くらい前かな。そん頃は500~700本は年に映画を観ていまして。もちろん、劇場で。
そんな頃を思い出して、作りました。
400字詰め原稿用紙で35枚。演じる以前に覚えられるのか、てハナシですが。まあ、やりますよ。
乞うご期待。

そして、
こういった機会を自分に与えてくださるバトルロイヤル風間さんに、感謝!

http://blogs.yahoo.co.jp/kazamaymk/52466044.html

*ドクター水上氏の主演は中止になったそうです。

2008-05-29

大塚のラブホテル

JR山手線の、巣鴨駅と大塚駅の間を山手線の線路に沿って進む。とある日の23時ごろ。
下り坂が多くて、自転車で通過するには好都合。
巣鴨近辺の呑み屋が並ぶ通りから、住宅街へと入っていく。
と、目についてくるのがラブホテルだ。
場所柄、昔ながらの、とか、くすんだ、とか、そうゆうのを想像しがちだけど、意外と豪壮な建物もあったりする。
つうか何かこの辺って、ラブホテルが多いのな。
JR線でいえば大塚駅。そこからちょっと外れた通り。民家と、あと飲み屋とかが若干ある、ハレかケでいったらケな一帯。ゆるやかなS字型の通りを進んでいくと、あ、またあったよ、ラブホテル。ここにも、そこにも。
街にラブホテルは付き物だけど、うーん、ちょっと多いと思うんだよな。
充実度でいったら池袋以上じゃないか。
この辺り一帯におけるセックスの需要は、いったいどうなっているんだろう。

ひょっとしたら、出張型風俗の利用が多いのかもしれない。
そう、都の条例だか知らないが、店舗型の風俗店が激減したことで、風俗店はホテルへの出張型が多数を占めるようになった。ラブホテルから出てきたカップルで、出てすぐ別れ、そして女の方が携帯を出してどこかに電話をかけ始めたら、ま、出張型風俗だと思って間違いない。
そうそう、新宿・歌舞伎町を裏通りを歩いていたときのこと。通りの真ん中に女が1人立っていた。何だ?と思っていたら、目の前の雑居ビルから男が出てきて、その女と探りあいの微妙に混じった会釈を交わして、2人、手をつないで歩いていった。で、近くのレンタル・ルームに消えていく。
ほお、先に客がホテルにチェックインして、後から女が来るという形態だとモロに風俗とバレてしまう。ホテルの中ではそうゆうのを避けたいこともあるから、こうやって外(それも店の前)で落ち合って、そこからホテルに向かうのか。勉強になった。
て、ま、どうでもいいか。それ以前に、読んでいる人に、まったくもってどうでもいい知識をインプットしているなぁという自覚は勿論ある。事故のようなものだと思って諦めてほしい。

そういえば、最近読んだ本『新・都市論TOKYO』隈研吾・清野由美(集英社新書)。この本は対談形式が多くを占める本なんだけど、その中で隈研吾がラブホテルをラブホと略称で呼んでいたのが、何だかチャーミングだった。

ラブホテルと呑み屋を横目に通りを抜けると、もうJR大塚駅前。都電の線路が路上を横切っている。

駅前のブックオフ。ここで、70年代に新潮社が出していた戯曲シリーズ・書下ろし新潮劇場の『天保12年のシェークスピア』井上ひさし を100円でゲットできて嬉しかったのは、もう5年以上前か。
俺も20代で、殆ど仕事もしてなくて、当時付き合っていた彼女とチャリこいで、ここに来たのだ。

大塚駅から、春日通に出て、池袋の東口を目指す。その途中にあるマンションに、付き合っていた彼女は住んでいた。
そこから歩いていける距離の、池袋の風俗店に勤めていた。
いま思うと、その部屋は店が「寮」として契約していた部屋だったのかな。
7階の部屋から眺める夜景が、結構よかった。
夜景を眺めながら、彼女のはなし、中学生の頃に1人学校も行かず上野駅近辺を歩きタバコでブラブラしていたら補導された、などというコクのあるエピソードに耳を傾けていた。
一応彼女は、平成の女子。上野っていうのが、シブいじゃないか。

でも、そんなコクやシブさ。それを大塚近辺のラブホテル街を見て、その一帯におけるセックス比率に思いわずらってしまう俺のような人間が受け止められるわけがないのかもな、なんて。
そんな、今更ながらの感慨。

2008-05-19

とある日の散歩。

先日、車に乗って隅田川上に架かる橋の上を通った。

で、ふと思ったのは、橋を渡る交通手段と、速度。
車やバイクでは、サーっと流れすぎる。それに自分が運転していたら、脇見運転になってしまい、すっごく危ない。
徒歩。いい。でも、それが長めの橋、中央大橋みたいな橋になると、結構かったるい。
そうなると…。うん。橋を渡るのに一番適した交通手段は自転車だよなやっぱり、と改めて思ったのである。

川下を眺め、遠くの景色に目を奪われ、時にアーチを見上げたりしつつ。
自分のペースで、適度な速さをもって橋を渡る。
傾斜が大きい橋などの場合、坂を上がっていく疲れと、坂を下っていく爽快感は、最高のセットメニュー。

とにかく俺は橋が好き。で、水が好きだ。海川池、何でもOKだ。
でも、水死はダメ。苦しそうなんだもん。もし将来自殺するようなことになっても、水死だけは選ばないと思う。

例えば平日の夜だ。
俺は新宿区の新大久保に住んでいる。午後10時くらいの、気の早いヤツはもう寝るような時間に、外に出る。5月。自転車で夜の道を走るのに、心地よい季節になった。
早稲田から江戸川橋近辺を、神田川沿いに進んでいく。
江戸川橋と後楽園の間くらい。ま、普通の住宅街なのだが、その中に、桃太郎にhmpと、AVの会社が2つもある。
水道橋に出ると、ここから秋葉原~上野~浅草ルートに行くか、神保町~神田~日本橋ルートを行くか、軽く迷う。
今日こそは上野駅前にある「東京牛丼」を食ってみたいと思うのだけど、こうゆうときに限って、既に食事は済んでいてお腹がいっぱいだ。

上野駅の近くといえば、妙なビデオ屋がある。雑居ビルの中にあるそのビデオ屋、入ったことはないのだが、その看板には、いつも目を奪われてしまう。
看板には、「男ビデオ」とだけあるのだ。
「男ビデオ」。男のためのビデオを売っているのだろう。それは分かる。でもそれが、一般的な意味で男のためのビデオなのか。それとも、男の男による男のための、もう男づくしのビデオなのか。そこがどうも判断つきかねる。
ま、後者かなと睨んではいるのだが。
そういえば神田駅前には、「タフな本屋」とだけ看板を出す本屋がある。店構えから、これはもう普通に一般的な意味で男のためのビデオ(DVD)に雑誌を売っているんだなということは分かる。そんなお店。
「タフな本屋」てのも強烈だ。この看板を見るたびに、神田で働くお父さん、毎日お疲れ様です、とすれ違うサラリーマンに心の中でエールを贈ってしまう。ま、余計なお世話だろうが。でも、こんな駅前にあるお店、もしタフを欲して店内に入っても、同僚に見られやしないか気になってしょうがないだろうな。て、いや、そんなことを気にしていたらタフにはなれねえ。そうだよね、お父さん。だから余計なお世話だって。

さて、本日のルートだけど、今日は、間をとって浅草橋方面。
そう、神田川を辿り、柳橋の、神田川が隅田川に合流するところまで行くのだ。
自分にとってはお馴染みの神田川が、隅田川とこんにちわして一つになる。その場その瞬間に立ち会う。

そしてそのまま晴海方面へ。なるべく橋を渡りながら、ジグザグに目指す。
月島辺りまでくると、小さな橋がたくさん架かっているので、なるべく道に迷うように、小道を小道を、いく。夜も遅い時間なのに、橋から釣竿を垂らしているオッサンがいる。
そう、この辺は昼間だと、オッサンや子どもが川に釣竿を垂らしている風景を頻繁に見ることができる。
とにかく、ただ、徘徊。自分がいまどの辺りにいるのかなんて、全然無視。迷子ってのも楽しいもんだぜと、子どもの頃の自分に教えてやりたくなる。
ふっと、小さな橋や公園、いい感じの家屋を見つけたり。
で、いいなと思って、次に来たときまた見ようと思っても、何故か再びそこにたどり着くことはできない。

昔ながらの家屋に町並み。バックに聳え立つリバーサイドの高級マンションとのコントラストをたっぷり味わったところで、門前仲町を軽く流して、豊洲のほうに行ってみる。
時刻はもう終電間際。駅前の広場にも、人はまばら。そんな中に、くっついて微動だにしないカップルがいる。おいおい、明日も仕事だろ。大丈夫か。
駅前のコンビニで、軽く飲み物やつまみを補給する。もしくは余裕があれば激辛ラーメンなんてのもありだ。
ららぽーと、モノレール、だだっ広い空き地。豊洲公園で軽く休むと、遠く向こうにはお台場のネオン。目の前の空き地にも、いつか開発されて、何かが建つのだろう。できる限りここに来て、この景色を目に焼き付けようと思う。

で、中央大橋を渡って、銀座。
晴海通りを行く。歌舞伎座、そして三原橋。そこを通る際、それも夜中に通る際には、ボンヤリ夜空を眺める行為は要注意だ。
銀座の空にSONOKO銀座店が掲げる鈴木その子の看板と不意に目が合うと、とってもびっくりするから。

そして、新宿まで戻ってくる。もうすっかり真夜中だ。
でもここは歌舞伎町。
24時間営業のファーストフードで、読みさしの本でも読もうか。
小腹が空いていたら、回転寿司屋もいい。寿司よりも、ガリを目当てに、ビールを1,2杯。
疲れてるなって感じているならば、足裏マッサージを喰らわせるのもいい。もちろん、客引きのお姉さんに着いていくようなことはせず、純粋にマッサージのみを施してくれる店を選ぶ。

そんな感じで今日の散歩も終り、新大久保の部屋に戻る。
新大久保近辺に俺が引っ越してきた頃、浮浪者のお婆さんをよく見かけた。
駅前、店舗の軒下、車道の片隅、時にはコンビニの店内に、そのお婆さんはいた。
だけど、あるときから、そのお婆さんは、ぷっつり姿を消した。

時刻はAM3時。またビールを呑んだりしつつ、眠くなるのを待つ。

2008-05-11

6月8日は町屋

何気にもう1ヶ月切ってるので。

http://blogs.yahoo.co.jp/kazamaymk/52466044.html

漫画家のバトルロイヤル風間さん主催の演芸会。
「ザ失投パレード」に、出させていただきます。

昨年6月にあった同会に出て、1年。
再び、BACK AGAIN…て同じこと言ってるし。

俺は、新作落語を書き下ろし、自ら演じてしまいます。
「失投」パレードなので、何でもアリなのです。
俺自身、「新作」の書き下ろしというのも久しぶり。現在(5/10)、台本を書いている真っ最中。

地下鉄千代田線・町屋駅の駅ビルの4階にあるハイビジョンルームにて。
入場料500円で、お菓子つき。
2008年6月8日(日曜)午後2時半~

俺以外の出演者は、みな話芸に関しては一癖も二癖もあるツワモノばかり。

とにかく、失投暴投危険球、演芸の秘宝館状態。観たことないモノ観れますよ。

てな感じで、よろしくです。

2008-04-29

東京タワー。上のほうまでいかなくても

例えば周りにいる知人。東京育ちの知人たちに、東京タワーに行ったことある?と訊いてみると、いったいどれ位があると答えるのだろう。
あと、東京タワーに思いいれある?と訊いてみて、あると答える人は、東京育ちで、どれ位いるのだろう。
ある、といっても、それは中に入って遊んだとかではなくて、どちらかというと、眺める夜景の一環として印象深いというか。ま、そっちの方なんだろうなって。そんな気が、する。

先日、はじめて東京タワーに行ってきた。いや、ひょっとしたら子どもの頃に連れられてきたことがあるのかもしれないけど、俺の記憶にはまるで残っていない。
だから、はじめて。行ってきた。

上のほうに行くエレベーターは順番まちの行列。
早々に辟易してしまい、まずはみやげ物売り場や、ファーストフードの出店がある、人のひしめくフロアをブラブラ。最初は距離を置いて眺めていたのに、いつしかハマっていく。
それだけで、軽くおなか一杯な気分になってしまう。
おなかも一杯になったのは、気分だけ。この日、来る前に食事を済ませてしまっていたので、身体は普通におなか一杯だったのだ。
そばと丼モノのセットとか、そういったものを出す店があった。そういう類のお店は、人がたくさんいる熱気の中だと一際美味しそうに思えてしまうものだが、既に食事を済ませた30代の午後13時半過ぎだ。ここは気持ちをぐっと抑えこむ。でもカツカレー、うまそうだったな。メニューのサンプルが、そそる。サンプルって、とことんずるいよな。

そして階段でいける範囲。ロウ人形館などに行く。
やたらと洋ロックな雰囲気。ロックTシャツの店が併設されている。
ここでTシャツ買うのか。でも、俺が地方に住むロック好きで、修学旅行でここに来て、こんなにロックTシャツが売っているのを見たら、それこそ狂喜乱舞だろうな、て思う。
実際、俺自身も高校の頃には西新宿でロックTシャツを何枚か買っていた。ストーンズやT-REXや、あとヴェルヴェット・アンダーグラウンドの1stジャケTシャツ。
そういえばその頃、どこにでもあるジーンズメートで、ブルース・シンガーのロバート・ジョンソンのTシャツを売っているのを見かけたことがあるけど、あれは何だったんだろう。内部に好きな人がいたのだろうな。きっと。

パネル展示で、現在の東京、それから日本関するあれやこれやを紹介するスペース。人口とか、経済の流れとか。
子どもの頃、勉強は大嫌いだったけど、学校でこうゆう話を聞くのは、なぜか無性に好きだった。
見ちゃうんだよな。こうゆうの。なるほど、とかいって。で、すぐに忘れるんだけど。

歩き回って、みやげ物屋がひしめくフロアに戻る。
チェーン系カフェの席が空いているのを発見して、そのままそこに入ってしまった。
飲み物と、おやつにホットケーキを注文。
プラスチックの、おままごとみたいなナイフとフォークがついてきた。ヘナヘナしなって、とっても切りにくい。
これはないだろう、とか思いつつ。いやここで普通のナイフとフォークを出されても引くなあ、とか思いつつ。ヘナヘナごしごし、切っていく。
隣の席には、一人で来ているおばあさんがいて、これまたホットケーキを食べていた。おばあさんも、ヘナヘナごしごし、切っている。
東京タワーに一人で来ているおばあさん。
ついつい余計なことをあれこれ想像していたら、自分の足元に、おばあさんの使っていたナイフが飛んできた。あまりにヘナヘナ過ぎて、つい力が余ってしまった様子。
こちらが使っていたナイフを、もしよければと差し出してみたけど、既におばあさんのホットケーキは食べるサイズに切られていたので、その必要もなく。

地下に降りてみると、昔からあるような、大食堂兼喫茶コーナーといった趣の店舗を発見した。
お客さんも混みあっていない。広い店内に、高い天井。ナポリタンとかプリンアラモードとか、いかにもなメニュー。そしてもちろん、ずるいサンプル。
失敗した。どうせならここに入りたかった。
あのおばあさんも、きっとこっちの方がよかったに違いない。

結局、上のほうにいくエレベーターの行列は途切れなくって。
タワー内の水族館を見物して、帰った。

東京タワー、上のほうまで行かなくっても、充分楽しめる。

2008-04-19

地図を塗りつぶすみたいに

先日、下北沢に行ったときのこと。
用事も済んだところで、どうにもお腹がすいていた。ちょうど夜の入り口の時間だったっていうのもあって、目についた洋食屋に入ってご飯を食べた。
席に着いて、メニューを見て、注文をして。その辺の過程を終えると少し落ち着いてくる。馴染みのない店のメニューや、店内の様子をあれこれ眺めたりする。
と、不意に気づいた。いま、馴染みのないと書いたけど、はじめて入ったとばかり思っていたこの店、昔、来たことが、ある。

もう10年近く前に、来たことがあった。当時付き合っていた人と。
食事中から結構険悪で。その日は一緒に芝居を観る予定だったのだけど、結局大喧嘩して、相手は芝居も観ずに帰ってしまったのだ。
喧嘩のこと、やたらとあれこれ思い出す。
俺があんなこと言わなきゃ、向こうは睡眠薬をあんなに呑まなかったのかなあ、とか。俺があんなこと言わなきゃ、向こうはいきなり姿をくらまさなかったのかなあ、とか。向こうがあんなこと言わなきゃ、俺もあんなことやこんなこと言わなかったのかなあ、とか。でもやっぱ俺があんなことやこんなこと言ったから、向こうもあんなこと言ったのかなあ、とか。
たくさんのことが渦巻いた。「きちゃったよ」という感じだ。
胸の辺りがドスンと重くなる。
こう見えても、といって、いまここを読んでいる人に「こう見えても」といったところで何の意味も為さないのは重々承知しているのだが、というか、こういうことをいちいち書いてしまうということからも分かってもらえると思うのだけど、こう見えても、俺は、繊細だ。
参った。久しぶりに、参った。そして、ハンバーグ&ポークソテー・セット・ライス大盛を完食して、店を出た。ポークソテーの肉厚がよかった。次はハンバーグ&ポークカツを食べたいと思った。もちろんライス大盛で。

むかし、知人が言っていた。「前に付き合っていた人と行ったトコには、絶対行かない」。
出歩くのが好きなくせに、行動範囲の狭い俺は、入る店のチョイスもワンパターンだ。
だから、上に書いたテーゼを気持ち的には理解するものの、実際に貫徹できるかというと、これは非常に難しい。
「店縛り」でいけば、どうにか大丈夫かもしれない。でも、「街縛り」は絶対無理だ。
どこにも行けないではないか。それ以前に「居れない」ではないか。思いっきり南の方か、もしくは思いっきり北の方に引っ越せとでもいうのか。
あと、「チェーン店縛り」も、きつい。新宿の魚民に行ったら、もう浅草の魚民には行かないとか。新宿のタワレコに行ったら、秋葉のタワレコには行かないとか。
とにかくハッキリしているのは、その知人は、かつて俺と行ったトコに、誰かと行くことはもうないんだろうということだ。

俺なんかは、こんな風に思ったりもする。
「前に付き合った人と行った店」が、「結構いい店」だったら、これは、「いま付き合っている人」とも行きたくなるかもしれないって。だってそこは、やっぱり「結構いい店」なのだから。
だから、行けばいいのだ。別に悪いことをしているわけでもないし。
でも、いや、デモもストもない。「デモもストもない」なんていう表現を素で使っているわけでは勿論ない。
ただ、気持ちがついてこないだけだ。それだけ、なのだ。

地図を塗りつぶすみたいに、年をとるごとに「つらい場所」が増えていく。
何も考えずに歩く街の一角、ふと目に入った店に、「あ、ここは…」とかなったりして。
「付き合った相手と」とか、そうゆうことだけではない。
あれやこれやの揉め事が、まあ自分の考え過ぎもあるだろうけど、いつまでも抜けない棘みたいに、ちくりと、くる。
この、ちくりとする感じは、目減りすることはあっても、消えることはない。
これからも、ちくりとする感じは増えていくのだろうか。
しつこいようだけど、俺は繊細だ。
ここも、そこも、あそこも、どこも…。

いや、大丈夫。そんな風になる前に、トシくって死んじゃうって。

2008-04-10

値上げ

神保町の「いもや」の天丼にとんかつ定食、「まんてん」のカツカレーが、それぞれ50円くらい値上げしたなんていう噂を目にして、うぅむなんて思っていたここ最近。
先日、神保町に行ったときに、店の前を通って、その値上げを確認した。

しかしいま、「噂を目にした」なんてつい書いてしまった。
ま、本来友達が少ない俺にとって、噂は圧倒的に目から入ってくるものだったのだけど。
でも、やっぱり噂は「耳にした」であって欲しいな。液晶画面でなく、紙面で見た噂は、ギリで「耳にした」ニュアンスが、ある、ような、気が、する、のだけれども。
「耳から」というのは、噂を発する側に多少なりとも人格的な何かがあって欲しいってことなんだけど。

ということで値上げ。
冷凍食品に、危ないモノが混入した事件があったりして、「いまの安い食べ物、幾らなんでもこの安さ、おかしくない?」と色んな人が思い出している、その絶妙な間合いに滑り込んで。
それはそれでしょうがないかなあという思いと、でもこの流れが「どんどん大きくなっていく」ことに、ちょっと注意をしておきたいなという思いと。
自分程度が注意をしたところで何の影響もないのは分かっているけど、自分の心の持ちようとして。注意。

別に50円はヘビーだぜ的な、カツカツな自分をアピールする気はないのだ。
実際その日、自分は「いもや」も「まんてん」も通り過ぎるのみで、「共栄堂」のポークカレーのライス大盛900円を食べたわけだし。

最初に「いもや」に行ったときは、天丼450円だった。それがいつの間にか500円になって、現在550円。
感慨深い。
財布に関するそれとは違う、このドスンとした感情。それは3つの時代を経たみたいな。スケールはぐんと小さいけど明治大正昭和を生きたみたいな。そんな感慨だ。

2008-03-15

メガは食べたことがない。

劇団「MONO」が下北沢で公演をやったので、観にいった。
関西の劇団なんだけど、公演があれば東京にもしっかり来てくれる。初めて東京で公演してから、途中抜けたりもしたけど、半分以上は観ているはず。
人間の弱さと関係性の危うさへの視点は優しいし。人間模様を彩るコトバの距離感はとっても気持ちいい。

ということで今回の芝居にも充分に満足して、終演後。腹が減ったので、芝居の満足度に見合う食事を求めて、下北沢の街をブラブラしていた。
ラーメンという食べ物に思い入れのない俺は、こうゆうときにラーメンで締める気にならない。メシ系を喰いたいなと。でも9時も回った下北沢。俺の食欲にぶつかってくるような店があるだろうか。
適当に歩いてみた。だがしかし、どうもしっくりくる店が見つからない。
と、そこで目に入ってきたのが「下北沢丼」て店。最近出来たのかな。前にここを通りかかったときにはなかった店だ。でも、看板でピンときた。これ、吉祥寺にある「吉祥寺丼」の系列店だなと。
ここ数年、結構出てきているスタ丼系の店だ。
ニンニク度強い豚肉がドッカリと乗っかった、丼。
ああもう今の気分にはこれしかないでしょう。なあ。

で、「下北沢丼」に入り、塩ニンニクと醤油ニンニクで迷ったあげくの塩ニンニク。それの肉倍増しを喰いながら、ふと思い出した。
昨年、MONOの公演は三鷹だった。当然その公演も観に行っているんだけど、その帰り、俺は吉祥寺の「吉祥寺丼」でメシを喰っていたのだった。
そこで喰ったのは醤油ニンニクだったかな。でも今回食べた塩ニンニクの方に、俺はハマってしまいそうだ。
1年ぶりの組み合わせBACK AGAINみたいな。だから何だってハナシだけど、とりあえず横文字交えてみました。

で、あとさ。

数年前。牛丼が300円を割った。それまで牛丼っていやあ、並400円大盛500円が基本価格だった。
それが300円を割る。
特盛が基本で、ま、軽く抑えとくかってときに大盛を選択していた俺も、300円以下で牛丼を食べられるという誘惑にかられて並を注文するようになった。牛丼を食べるようになってから、並を注文するなんて、このときが初めてだった。
並、並、今日も並。
で、ふっと気がついた。あれ?並でも満足しているよ。
これって胃袋が「並サイズ」になったのかもしんないぞって。
ずっと大盛、もしくは特盛だったのが、並で満足するなんて。…いや、慣れるんだよ。いつしかスタンダードが並になってんの。
いや、今でも大盛食べるよ。でも、気を抜くと並頼んじゃうんだ。

似たようなので、清涼飲料水がある。
俺が子どもの頃は、250缶だった。その後、350缶になって。あ、その間に300瓶なんてのもあったな。ま、そんで500缶が出てきて、500ペットなんてのが登場して、現在に至る。
あれも、思うんだよ。
250缶の容量だったカラダが、いつしか500ペットを受け入れられるようになってんのな。
それって、進歩と呼んでいいのだろうか。

カラダの容量までをも誰かに規定されているような、もどかしさ。
これ、感じているの、俺だけじゃないと思う。

ま、メタボがどうの言われている御時世、多少はそうゆうことも気にした方がいいのかもしれないけど。
でもさ、「並基準」で物事見られるようにもなりましたと。それもアリかなとか思えてきましたと。そうなったらそうなったで、今度は何ですか…。
「メガ~」?
意味分かんないよ。
牛丼にハンバーガーだけじゃなくって、定食類だのにもメガ進出してるし。行き先々でメガだ。

どうゆうことなんだよ。
ヒトの胃袋の基準値を簡単にいじくりまわすんじゃないよ。

ちなみに俺。メガ系の食べ物は、一度も食べたことがありません。これからも、食べるつもりはありません。
だってあれ、やっぱちょっとおかしいもん。

2008-03-02

餃子のはなし。

ダイアナ・ロスの、シュープリームス脱けてソロになった辺りの時期のレコードが何故か不意に聴きたくなって、引っ張り出して聴いていた。そしたら、三浦和義逮捕だって。
全く。ホント俺はどうでもいいシンクロニシティばっかりを呼び寄せてしまう。
何のことか分からない?あれだよ、三浦和義が、殴打・銃撃事件の一美さんと初めて逢ったのは、ダイアナ・ロスのコンサートの帰りなんだよ。
…ま、それだけのことなんだけど。

90年代の初めに「猛毒」っていう、芸能ネタや差別ネタの歌詞に、ハード・コア・パンク風だったり打ち込み風だったりのサウンドのバンドがあったんだけど、彼らに、そのものズバリ、『フルハムロード』という曲があった。
「♪ボクは~、とりあえずやってない!!」とシャウトする直球パンク・ナンバー。
三浦和義本人が主演し、内田裕也扮する芸能レポーターにインタビューされる伝説的名場面のある映画『コミック雑誌なんかいらない!』のシーンをサンプリングしていた。
あの時期(90年代初頭)に、サンプリング使いって結構早かったと思う。『サイバー長介』という曲は、石野卓球がレコメンしていたし。エマニエル坊や『シティ・コネクション』をサンプリングした『コーヒー豆とかりんとう』という曲なんて、ジャパニーズ・オールド・スクールだよ、俺の中では。とっても狭くて偏ってるけどさ、「俺の中」って。

それはともかく、
2月は荒川区の町屋で、知人が多数参加する演芸会があった。
俺も、その会のために漫才を1本書き下ろしたりしたので、その稽古で町屋に週1~2くらいで行っていた。
スタッフ・主演者見渡すと、33歳の俺が一番若い。オトナの文化祭と言いたくなるような、とてつもなく濃密な時間を過ごさせていただいた。

町屋に行くときは大抵電車なんだけど、一度、チャリで行ってみたことがある。
23時過ぎ。ウチの近所を走る都電の線路沿いに、早稲田、大塚、王子、…と行ってみたのだが、これがもう、とっても遠い。西尾久なんていう、生まれて初めて行った土地では何かヤンチャな奴がいたらしく、アホみたいに疾走する車とパトカーとのカーチェイスに巻き込まれそうになってしまった。
帰りは、地下鉄三ノ輪駅方面を目指し、そこから国際通りを浅草方面に向かって、上野、秋葉原、後楽園、神楽坂、早稲田、という道順で帰った。
しかし俺は何をやっているんだろうな。

町屋駅付近をブラブラしていたら、気になる風景にぶつかった。
京成線の線路に沿った道。車道があってガードレールがあって、そして、歩道があるんだけど。その歩道のところに古本売りが軒を出している。
ターミナル駅付近で拾ったマンガ雑誌を売るような、アレとは違う。普通に、古本が無作為に詰まった棚が道沿いにズラッと並べているのだ。
で、棚の間に、オッサンが1人。コンビニおでんか何かを食いつつ店番をしているのだ。
俺がそこを通りかかったのは、日も暮れた17時前後だったんだけど、その時も数人の客が、薄暗く、外の風が吹きつける中、本を物色している。
吹きっさらしの路上古本屋。
本の背をザァっと眺めてみた。「路上古本屋で買う」というレア感を加味してみても、買いたいものは特になかった。

町屋では、もう一つ気になる店に出会った。
「ゆうき家」という餃子屋さん。
最近、例の報道以降、無性に餃子が食べたくなってしょうがない。
そんな人、日本中に結構いるのではないだろうか。俺も当然そのクチなわけで。

このお店。餃子があって。中華風の一品料理があって。ビールやチューハイなんかのとりあえず軽く呑みなメニューあって。もちろん定食類あって。…と、ここまで書いてお分かりのよう、いわゆる「王将」系の店だ。
餃子12個の餃子定食とか、レバニラや野菜炒めとの組み合わせなども、「王将」マナー。
あ、違うのは、ここの定食類は、あらかじめ餃子がついていた。「王将」は餃子定食以外の定食類に餃子をつけるとなると、別に頼まなければいけない。
レバニラ定食(餃子6個つき)920円を食べる。ご飯の量がちと少ないのは残念。でも、これ以上でもこれ以下でもいけない、そのバランスをしっかりキープしている。

店全体を覆うヴァイブスは「王将」なのに、店内に「王将」の文字はどこにもない。
分家?フランチャイズのもつれ?気になる。もっと俺の人生、気にしなきゃいけないことがあるんだろうけど、気になる。
どう見ても「王将」なのに、「王将」じゃない。別に味に文句は無くって。でも、いや、だから、気になる。この店は、どうゆう経緯で、「この店」になったんだ?
中途半端なデ・ジャブが、自分をくすぐったくする。

昨年、歌舞伎町に「大阪 王将」という、これまた「王将」とは関係ないけど、「王将」マナーの餃子屋が出店した。
「王将」ファミリー・ツリーに思いを馳せてみる。描いてみると結構壮大なものがありそうで。
歌舞伎町の「大阪 王将」、ここはご飯お代わり自由なのがいいっすね。

2008-02-23

24時間営業の店で

マクドナルドとかのファースト・フードが24時間営業を再開したのって、いつからなんだろう。

今から10年以上前。俺が大学時代の頃とかは、普通に24時間やっていた。
呑んで、これ以上呑んでも盛り上がる気力もなく、かといってメシ系で収束に向かっていく体力もないって時に、やっぱ行ったな。マクドナルドとかのファースト・フード。
でも、21世紀になる前後。この辺りって、マクドナルドだけでなくファースト・フードの24時間営業って、殆どやってなかったように記憶している。
その頃、俺は無職。夜中とかに、部屋にいてばっかじゃしょうがないと繁華街に出て、ファミレスとかでボンヤリ本を読んだりしていた。
で、歌舞伎町の店とか行くと、深夜の1時だったか2時だったかに追い出されるのな。どこ行けっつうのって感じ。
当時パソコン持ってなかった俺はネット・カフェ行ったりして、自分の名前で検索かけたりしていたな。

ま、それはともかく、いつの間にか24時間営業復活みたくなって。
でも、歌舞伎町とか渋谷とか池袋とか上野とかはともかく、24時間営業する必要あるの?て思ってしまう場所でも、やってるのな24時間営業。
例えば、御茶ノ水駅近くのマクドナルド。
あの辺ってさ、会社勤めの人とか学生・予備校生とか、いわゆる「昼の人」の街じゃん。夜、それも深夜にどんな人がいるのよ?て感じで、すっごい違和感、覚えてしまった。

てなわけで、こないだの平日の深夜。御茶ノ水駅近くのマクドナルドに行ってきた。
したら、結構客がいる。
呑み会流れで男同士、語るネタも尽き、眠っている一行。
場所柄か、ノート拡げて勉強に励む男子。
わけの分からないオバサン。
はは…いるじゃん、とか思いつつ、深夜の御茶ノ水で、マクドナルドが無かったら、こいつら何処に行くんだろうなんて、つい思って。
レジに立つのは肌の黒い店員さん。厨房の奥からは、日本人店員の店中に響く話し声。

で、俺は相変わらず本を読む。数年前に出た『地方がヘンだ!』というムック本。
本書全体を覆ういささか独断的な書きっぷりに引きつつも、思うこと色々。
大型ショッピングセンター乱立、シャッター商店街増加。犯罪なんかも都会のそれより「不気味」で「危なっかしい」。そしてやっぱり、階層格差。
地方に住んでいない俺でも、例えば「悪しき相対主義の影響で基本的な常識も持てずに大人になれない若者」云々みたいなこと言われると、充分に耳が痛くなる。「くる」よ。やっぱり。

そんなわけで、イイ感じに絶望していた。
深夜のマクドナルドで。

地方の、どうしようもなさを戯画的に描く作家といえば戸梶圭太か。
この人、激安人間を書いては完璧だったのに。『なぎらツイスター』、『チープ・トライブ ベイビー日本の戦後は安かった』という大傑作があるのに。近年は『下流少年サクタロウ』しかり『バカをあやつれ!』しかり、余りにも考え無さ過ぎ。自分が激安になってしまった。
『チープ・トライブ』なんて、この主人公は「まさに俺だ!」と感動したんだよ。ホント。

深夜3時半を回った辺りで、眠くなったので帰る。
マクドナルドの向かい。明大通り沿いの富士そばは24時間営業で店を開けている。靖国通り沿いの富士そばは閉まっているけど。
神保町のすずらん通りにあるクイック・ガストは24時間営業。客が入ってるの見たことない。
その辺で何か食ってこうかとも思ったんだけど、すぐ寝たかったので、直帰。ビール1本呑んで、就寝。
着実にトシ取ってるんだな、て思う。

夜更かしの最初の思い出といえば、中学の頃に観ていた「イカ天」。最近、復活したみたいだけど、観ていない。
もともと「イカ天」って「平成名物TV」の1コーナーで、その後には「ヨタロー」てお笑い番組があった。これを観ていなかったのが、凄い後悔。春風亭昇太とか、談春・志らくの立川ボーイズが出ていたんだぜ。

「イカ天」に出ていたバンド、色々思い出すんだけど、オーラってバンド、あったよな。
あれのドラムは、AV女優の庄司みゆきと結婚したってのを、後年、バクシーシ山下の本で知った。
庄司みゆきってロック好きだったようで。確か学生時代のバンドではRCのコピーやってたって、その頃読んだAV女優の伝記マンガにあった。
あとそう、庄司みゆきって、AV男優マグナム北斗の引退記念作品で、最後のカラミ相手を務めた人でもある。
マグナム北斗が出した本に書いてあった。
あの本、女優・男優を実名でボロクソ言っていて、読んでいてドキドキヒヤヒヤしたものだった。あの女優は性格悪いとか、ヤッた具合がヨかったとか。

しかしまあ、こんな知識ばっか残っているのな、俺の頭の中って。

2008-02-14

六本木の青山ブックセンターには夜しか行ったことがないかもしれない。

原宿とかの近くで、ってわけでもなくて、高田馬場とか意外に離れたトコでもいいんだけど、まあ夜の耽る時間までダラダラ呑んだりしていた後に、何というか、太っ腹な気分にることがある。
そんな時に向かうのが、六本木の青山ブックセンターだ。

日付も変わろうという時間帯。その太っ腹っぷりを発揮にしようにも、普通、開いている店はコンビニとかラーメン屋とかばっか。
せっかく太っ腹になったってのに、コンビニで太っ腹になってどうすんだってハナシなのだ。お菓子?甘いのからしょっぱいの。DVD付エロ本?ギャルから熟女。身の回りのちょっとした小物?ノートから洗濯ばさみ。
だから俺は太っ腹になったって言ってるんだよ。何かもうサイフの紐を締めたい気分になるじゃないか。
太っ腹な気分でラーメン屋に行ったところで事態の改善は期待できない。トッピング全部するとか、ビールにライスもつけたりとか。…。トッピング全部するとか。ビールにライスもつけたりとか。…。トッピング全部するとか。ビールにライスもつけたりとか。
…あれだよ、「これじゃあ気持ちが太っ腹じゃなくて、お腹がホントに太っ腹になっちゃうよ~」的なオチに文章が向かっていくのを必死に防ごうと思って色々考えてみたんだけども、何にも浮かばない。それで同じことを繰り返してしまったんだけど、3回も繰り返してしまったんだけど。うーん。やっぱどうにもなんねえな。これは。
そんな背中合わせのメタボに怯える30代でした。
と、自虐で逃げてみましたよ。

ま、とにかく
深夜ってのは、呑んで気持ちよくなって太っ腹になってみたところで、俺の太っ腹さに納まるものを見つけ辛い時間なのだ。
そうゆうときに、行ってしまうのだ。六本木の青山ブックセンターに。

平日の夜中に、酒を呑んでポヤヤンとした頭で、新刊書とか美術書なんかをポヤヤンと眺めながら店内を回るのは、何ともクセになる感覚。
それに洋雑誌や向こうの写真集なんかも、こうゆう機会じゃなきゃ目を通すことも余りないし。
俺にとって海の向こうのグラビアは、深夜の六本木、酔っている自分、てのがセットになってイメージされている。
あるとき。例によって酒を呑んで深夜0時過ぎに青山ブックセンター行ってグダグダして帰ってきた。そんな翌朝。つうかもう昼ごろ。昨晩買った本をチェックしていたら、そこからケイト・モスの伝記本が出てきたことがある。特に欲しくもなかったのに。なぜかケイト・モスの伝記本。まあ、そうゆう気分だったんだろう。どうゆう気分だ。

そういえば青山ブックセンターをABCと略する言い方があるらしいんだけど、最初耳にしたときはこれが青山ブックセンターの略だとは気づかなかった。
青山ブックセンター。確かにA・B・Cだ。でも、そんなんいきなり言われても分からない。
友達との会話の中で、当時は暴力温泉芸者の、現在だとやっぱ作家ということになるんだろうか、中原昌也が「ABCでバイトしていた」てなハナシが出てきて、それを聞いた時にABCはABCでも靴屋のABCマートだと思い込んでしまった俺は、中原昌也がスニーカー抱えて店内を駆け回っている姿を想像して、それがちょっとおかしかった。
中原昌也がお客さんの足元に腰を落とし、靴紐スルスル…なんてな。
でもその友達は、どうして中原昌也のバイト歴なんぞを知っていたのだろう。

真夜中の六本木っていうと、どうも「ああ、あそこね」的な反応があると思う。「違う」場所みたいな。自分の日常とは乖離した感覚っていうか。
上とか下とかじゃなくて、「違う」。そんな人たちが生きてるみたいな。

六本木に限ったハナシじゃなくて、平均的な日常から乖離した場所やコミュニティーってあるでしょ。
最先端のヒトが集う店だとか、マイナーだけどヤバいメンツが出るパーティーだとか。ネクスト・レベルの揃ったクルーとか。
ああゆう平均的な日常から離れて生きているぽい人たちって、日常から乖離したところでコミュニティーのつながりを深めているようだけど、そんなことはなくて、本当はそうゆうのを保つのに疲れて息を抜く、その抜きどころで感覚を共有して繋がりを深めているんじゃないだろうか。
だからワナビーの人とかが、自分もそうゆう非日常なイケてるコミュニティーに行きたいみたくなって、乖離!乖離!て感じで無理に色んなモノを積み重ねていこうとするのは、ズレてるんじゃないのかな。やっぱり。

息の抜きどころを見つけられない人は、かなり辛い。
ずっとツンツンしている人って、ハタから見れば調子良さそうに見えるけど、本人的には結構疲れているのだ。で、いつの間にか「その場」からフェイド・アウトしていたりする。

夜中もやっている本屋。確かにちょっとお洒落なイメージある。だけどその反面、お洒落とかそうゆうので張り詰まった空気を、ふっと抜いてくれる効果もあったりする。
人の、あと街の、息抜き場。

ケイト・モスの伝記本は、本棚に収まったまま。まだ読んでいない。

2008-02-08

住んでいる街、新大久保。マコトくんのこと。

いま、俺は新大久保に住んでいる。
かつては同じ新宿区でも、中野区寄りの北新宿に住んでいたのだが、いまは新大久保だ。
新大久保の駅から俺の住んでいるマンションまで行く途中、耳に飛び込んでくる母国語率は低い。
いつもいる浮浪者のオバアチャンは、駅の改札とかシャッターの閉まった店の軒先とか、その時々の彼女なりの最良のフォーメーションでもって、オン・ザ・ストリートしている。

大久保通りから、高田馬場寄りが、俺の住んでいるところ。
その反対。大久保通りを職安通り方向へ進むと、ま、ラブホがたくさんあるんだけど、その辺のハナシは別の機会にするとして、その辺りにあるマンションに、20年くらい前から変わらずそこにあるマンションに、むかし俺の友達が住んでいた。

マコトくんといった。
小学生の終りころ、通っていた学習塾で会ったのだ。
色白で、髪が長くて。最初、女の子かと間違われていた。
塾の先生は、「マコトって女の子でもいるしね」なんて言っていて。当時の俺は、マコトなんて名前の女がいるわけねえじゃんなんて思っていた。
だから、90年代の半ばに川本真琴という女性歌手が出てきたときには、何か腑に落ちる感情に襲われてしまった。

マコトくん、とにかく変わったヤツだった。
当時からそれなりに音楽好きだった俺だけど、マコトくんが教えてくれた音楽はそれまで聴いたことのないもの。例えば、当時人気のあったインディーズ・バンド、有頂天だった。
サザンとかを聴いていた俺に、不貞腐れた顔で出来損ないのロボットのようなパフォーマンスでシュールな歌詞を吐き出してくる有頂天は、何か、背伸びとかそうゆうのとは別のドキドキ体験を与えてくれた。

マコトくんと一緒に遊んでいたら、いきなり絡まれたことがある。
何でも、先輩をマコトくんが茶化しまくったようで、その先輩が仲間を連れて復讐にやってきたのだ。
青筋立ててる先輩くんと、ニヤけ面のマコトくん。俺も一緒になってニヤけてみた。気持ち良かった。

母子家庭で。学校に友達いなさそうで。どっか冷笑的に世の中見ていて。
プロレス、特にルチャ・リブレが好きで、ロックが好きで。アベサダっていう男のチンポ切った女が昔いたんだぜ~なんて豆知識が豊富な小学生。
同じニオイを、感じた。

生まれて初めてのエロ本を見せられたのも、彼からだった。
その雑誌に載っていたのは、ただの女の裸じゃなかった。
例えば女性が大股開きをした局部でスイカを割ったり。「♪すぐおいしい~すごくおいしい~」のチキン・ラーメンのCMでお馴染みだった南伸坊がしかめっ面で女性の乳房を揉んでいたり。
何だこれは?!てなモンである。
後になってから知った。そのエロ本は、荒木経惟・末井昭コラボレーションによる伝説的雑誌・「写真時代」だったと。

そんなマコトくんとも、中学生になる頃には、お互い通っていた塾もやめてしまい、疎遠になった。
そのうち、マコトくんのことも記憶の彼方に消えていって、高校生になった。
で、その高校時代、同じクラスにいた奴と、家も近いねってコトで何気なく言葉を交わしたら、マコトくんと同じ中学校だったと判明した。
彼から聞いた中学時代のマコトくんは、学校にも殆ど行かず、家では、何ていうか家庭内暴力みたいな、そんな感じになっていて。同級生の彼曰く、「家はもう、ニューヨークの地下鉄状態だった」そうだ。
いまの俺だったら、ああニューヨークの地下鉄ね。グラフィティー?もしくはヴァンダリズム?映画『WILD STYLE』観た?…なんて具合に話を合わせることも出来るが、当時の俺は、そんなハナシにひたすら引きまくってしまった。

いま、マコトくんが住んでいたマンションは、あの頃のまま、ある。
そこにマコトくん一家が住んでいるかどうかは知らない。
あの頃夢中だった有頂天のヴォーカリストは、今ではS席9000円もする渋谷のシアター・コクーンで、ゴーリキーの『どん底』を演出するようになったのを、マコトくんは知っているのだろうか。

マコトくんが通っていた小学校の傍に、いま、俺は住んでいる。
下校時の小学生の中で、友達同士の群れから離れて、一人テクテク歩いている子どもを見ると、マコトくんを思い出す。
俺は適度に壊れつつも、「がっつりぶっ壊れる」こともなく、30年、生きた。
住んでた家を、とってもいいお母さんと暮らしていた家を「ニューヨークの地下鉄」状態にしたマコトくんは、どんな30年を生きたんだろう。
話してみたい。お互いの、次の30年を。

2008-01-29

池袋。ストイックということについて考えた。

さて、と。
こちらに文章を一気に2本アップして、10日以上が過ぎた。
そしていま。ポット出版HPの横っちょに、「読みもの」一覧がズラーっと並んでいるんだけど、俺がいるのは一番下。最底辺に、俺は鎮座ましましている。
ま、それはいいのだが、て、よくはないんだけど、いやホントによくないんだよ。常套句ってやつ。分かるよね?
気になるのは、一覧にはそれぞれアクセス数らしき数字があるのだが、俺のとこがアクセス数ゼロのままだということだ(2008年1月29日現在)。

ゼロだ。ゼロなのだ。こうやって繰り返すことで傷口がどんどん拡がっていくのを自覚しつつ、あえてそうゆうこと言ってただ自虐ナルシスズムに浸っているだけだろって責められればその通りだと即答しつつ、あえて強調しますよ。ゼロだ。
だけど冷静に考えてみるに、アクセス数ゼロって、幾らなんでもそりゃねえだろうと思うんだけど。余りに少なすぎてカウントするまでもないってコトか。鳴かぬなら殺してしまおう的思考っつうか。それで0にしとくかみたいな。武士の情け?…何だよそれ。別に武士じゃなくていいよ。どうせ勝ったのは農民たちなんだし。

人生なんて100か0。オール・オア・ナッシングさ!とかなんとか見栄を張って言い切るにはかなりの気恥ずかしさが伴うし、恥ずかしさを払拭して声高に叫んでみたところで、ただ痛々しいだけだ。俺だってもう若者とは呼んでもらえない年齢だ。それくらいの慎みは覚えた。
100か0より、平均点が欲しい。
自分の安さを身に染みて思い知らされたけど、その上で、100か0より平均点くらい欲しがってもいいんじゃないかと、思うんですけど。如何でしょうか。と、最後はやっぱり低姿勢。

「ストイックに生きる生き様に、どこか甘えを求めちゃいませんか?」
そんなフレーズが印象的な『TAKE US THERE』て曲のシングル盤を、文庫本くらいの値段、といっても講談社文芸文庫やちくま学芸文庫の値段ではなく、岩波文庫の薄いやつくらいの値段で、買った。

『TAKE US THERE』。JAZZ調のシンプルなトラックの上で、タカツキのラップがのっかっていく曲。
タカツキという人は、ウッド・ベースを弾きながらラップするっていう、かなりユニークなスタイルのアーティストで。自身のソロ以外にも幾つかのユニットに所属していて、マイク握って普通にラップするときもあれば、トラック作りにプロデューサーもするという、何とも多才な人なのである。
で、この『TAKE US THERE』は、SINDBADというユニットと共に出したアルバムからシングル・カットされた1曲だ。
ちなみに俺が買った『TAKE US THERE』のシングル盤、CDではなくてアナログである。塩ビである。念のため。

このレコードを買ったのは渋谷のレコ屋。この曲を初めて聴いたのは、渋谷のライブハウスだった。
なのにこの曲を聴くと頭ん中に浮かんでくる街の風景は、渋谷じゃないのだ。
じゃあどこかっつうと、これが、池袋なのだ。

「ストイックに生きる生き様に、どこか甘えを求めちゃいませんか?」
池袋の、東口でも西口でもいい。どの風景にもしっくりきてしまう。
そしてそんな風景にいるかつての自分自身もまた、やたらとこの曲にしっくりくる。
何だろう。池袋が発する何か、なのかな。それとも自分自身の行動か。

渋谷には、ある種のストイックさが蔓延しているような気がする。
そのストイックさっていうのも、ま、別に嫌いじゃないんだけども。

この曲を、池袋で聴いたのは、いまから1年ちょっと前のこと。
ライブでもCDショップの試聴でもなく、有線か何かで、不意に流れてきた。
池袋の、ちょっとここでは書けないような場所で、ちょっとここでは書けないようなヒトと、ちょっとここでは書けないようなコトをしていたら、この曲が流れてきたのだ。

池袋。2001年に亡くなった古今亭志ん朝が最後にトリをとって寄席出演をした街。名画座のメッカがあった街。うまい24時間営業の立ち食いそば屋がある街。
ある人と明け方の歩道橋で大喧嘩をした。別の人とは土砂降りのこれまた明け方の駅前で大喧嘩した。また別の人とは回転寿司の支払いを巡って、これまた大喧嘩した。

そういえば、これまたちょっとここでは書けないような場所で、ちょっとここでは書けないようなヒトと、ちょっとここでは書けないようなコトをしていたら、ちょっとここでは書けないようなヒトが、こんなことを言いだした。
「よくブクロって言うじゃん?違うから。もうそんな言い方終わるから!いまは、イケブーだから!…まだ私しか言ってないんだけどね!」
もう4,5年前のことだけど、いまでもイケブーという呼び方が定着するきざしはないようだ。

2008-01-11

クリスマスの夜。勝鬨橋そばのファミリーレストラン

昨2007年、12月25日の夜。
23時を回ったくらいの時間。
中央区は、隅田川の上に架かる勝鬨橋。その脇にあるデニーズに、1人でいた。
読みかけの本を読んでも集中できず、広げたノートに思いついた文字を書き込むも集中できず。そんな状態のまま、テーブルに置かれていた瓶に、いささか逃避気味に意識を向けていった。
砂糖とか塩とか、そうゆうのに混じって置かれていたその瓶。最初、何だか分からなかった。とろみのありそうな液体が入っている。張られたラベルには「甘味料」、「厚生労働省許可・特定保健用食品」といった文字。
シロップ…か?で、健康によさげ。いいじゃん、と手に取る。すると、「食べ過ぎ、体質・体調により、おなかがかゆくなることがあります」との注意書きが目に入ってきて、中でも「おなかがかゆくなる」というフレーズに、熟練の左官職人が打ち込んだように、すっと釘付けになった。
いいなぁ。「かゆくなる」て。身体的にも心情的にも、微妙な、デリケートな、そういった動きを表現できるよな、なんて思って。
と同時に、どこかで感じる既知感。
すぐに思い出した。むかし好きだったフィッシュマンズというバンドの『MAGIC LOVE』という曲。そこに「♪胸がかゆいほどに」というフレーズがあったのだった。
ぽっかぽかしたレゲエのリズムに乗って、午後の陽射しが射す路地を歩いていくような音像が浮かんでくる。でもどこか東京に生きる焦燥感も感じ取れる。そんな曲だった。
この曲が発表された当時だろうか。フィッシュマンズのインタビューを雑誌で読んでいたら、ON-Uというイギリスのレーベルの出す音楽についてメンバーが語っていて、そこでメンバーが使った表現が、「(聴いていると)鼻がかゆい」だった。
「鼻がかゆい」と評された音楽・DUBのレコードを、それから何枚も聴いた。ジャマイカで生まれて、イギリスで分家して、日本でも愛好者の多いこの音楽は、東京の夜にとっても似合う。そのことを教えてくれたのは、80年代に活躍したミュート・ビートという歌詞を持たないバンドだった。
DUBの空間的な音世界は、かゆくさせる。かゆくなるのは、感覚だ。手で掴むことの出来る実感…。実感出来ないことで逆に醸し出される実感…。いや、その間にあるのがホンモノの実感。右往左往する自分の実感が揺さぶられて、ひっくり返って。そして、かゆくさせられる。

そもそも新宿の大久保に住んでいる自分が、どうしてこんな時間に勝鬨橋傍のファミレスにいるんだっていう話である。
その日、部屋で春先にやるお芝居のプロットを考えていた。停滞。気分転換に2月の会で上演される漫才の台本を書こうと思い立って。パソコンに向かっていて、あーだこーだやっていたら、
まさに、かゆくなった。頭ん中が。
そんなときは外に出るに限る。幸いにも、いまは夜だ。外に出るにはうってつけってこと。
自転車に乗って、早稲田通りを進む。早稲田大学のある辺りから、神田川沿いに。そしてそのまま、海につながっているほうへ。
水道橋とか神田とか日本橋とか、なるべく「眠らない街」ではなく「眠っている街」を選んで、隅田川が見えるところまで。
隅田川を架ける橋を渡る。
水がたくさん側にあると落ち着く。お台場や豊洲のネオンを見ながら、人気のない真夜中の橋を渡ると落ち着く。落ち着いて、で、尖ってくる。

「おなかがかゆくなる」、その甘味料を、呑みさしの紅茶に、少し入れてみた。
あまり甘さを感じない。微妙だ。舌がかゆくなる。ドバドバ入れてみた。
お芝居のことを考える。
自分が座った席の背後には4人連れの親子がいた。お父さん、お母さん、姉、弟って構成で、普通に食事をしている。
姉は小学校高学年くらい。弟は小学校低学年くらい。
最初店に入ったときから、ちょっと気になっていた。
よくある光景かもしれないんだけど、いまはもう、夜中だ。
お父さんはびっちりスーツ。ビジネスマンな。お母さんも、びっちりスーツ。ビジネスマンの妻な。
子ども2人も、この時間は寝てるだろって物腰漂うお子さま達で。
揺るがなさそうな「家族ヴァイブス」が漂うその家族。クリスマスのディナーってやつ。真夜中の、クリスマス・ディナーってやつ。
真夜中、の。
と、本当に「おなかがかゆく」なってきたので、席を立った。デリケートで分かりやすいカラダだ。俺って。
とうに食事を終えている家族は、子どもたちのデザート・タイムが始まっていた。
ケーキ、アイスクリーム、甘いソース。

前日。クリスマス・イブは、恵比寿のガーデン・プレイスにいた。
イルミネーションを眺めて、麦酒博物館で250円のギネスを呑んだ。ほろ酔いになってから、また寒い風の中に出ていく。たくさん歩いて。たくさん話した。

いつの間にか日付も変わって、12月26日になっている。
と、また、かゆくなってきた。じわりと、身体の奥のあたりが。

2008-01-10

原宿駅とテント村、ホコ天。

子どもの頃からずっと新宿周辺に住んでいるってこともあるのか、都内の盛り場、大抵は自転車でいく。
原宿も、そう。
新宿東口から、アルタをバックに明治通りを進むと、原宿・渋谷はあっという間だ。
自分が意識して原宿に足を向けるようになったのは、中学の1年から2年になるくらいの頃。最初に感動したのは、原宿まで自転車で15分ちょいで行けるってこと。で、次の感動はというと、原宿駅の明治神宮側の出口を出て信号渡ってすぐの場所に、あった。
いまはビルが建っている、てゆうかあの辺って大抵ビルが建っているんだけど、ま、信号渡ってすぐの場所。そこ、かつてはテント村と呼ばれる場所だった。
屋台風の簡単に設置された店舗がズラっと並んでいて、売られているのはアイドルやアーティストの非合法生写真にパチモン・グッズ。
アーティスト・グッズってのが、やっぱ珍しかった。CDだったらCD屋に行けば買えるけど、Tシャツをはじめとするグッズ類は、ライブ会場かファン・クラブ通販とかでしか買えない。ファン・クラブにいちいち入るのもカッタルイし。海外アーティストのグッズが欲しい場合どうすんだ?て感じでいた当時の俺には、まさに宝の山。
で、当時好きだった、てゆうか今でも大好きな、イギリスのPUNKバンド・CLASHとニューヨークのPUNKバンド・RAMONESのTシャツを、そのテント村で買った。
それを学生服の下に着たりしてな。笑いたきゃ笑え。
テント村は俺が初めて足を踏み入れてから数年で姿を消して、しばらくの間は、何ていうか、方向性を模索してますみたいな場所でいた。
鈴木清順監督の『夢二』が公開されたとき、その場所に巨大テントが出現し、高校2年生の夏、観にいった記憶がある。
その頃の自分、いま自分が映画を観ているこの場所で、かつてパチモンTシャツを買ったという歴史は完全に封印していた。
でも思うんだけど、ああゆうパチモン・グッズって、まだあるんだろうか。
現在でもコンサートをやっている東京ドームの側を通ると、ドーム近辺に屋台が出ていて生写真なんかを売っているのを目にする。ま、写真とかは、非公式ゆえのリアル感もあるだろうけど。Tシャツだのタオルだのステッカーだの、そうゆうのはネットでHPに飛べば正規モノが簡単に手に入る御時世。あえてパチモンに走ったりはしないような。
でも、やっぱり売ってんのかな。で、買っちゃったりしてんのかな。パチモンを。そうゆうのにときめく少年の心を笑ったりしない大人でありたいと、俺は思っている。

原宿といえば、ホコ天。
代々木公園脇の車道が日曜日には歩行者天国になって、そこでバンドが演奏をするっていう、で、大盛り上がりみたいな。俺が原宿に行きはじめたころ、そんな風景が毎週繰り広げられていた。
去年再結成したJUN SKY WALKERSは、ホコ天出身バンドってことで売り出していた。
JUN SKY WALKERSをそこで観たことはない。自分が観たのでいえば、ギタリストがのちにスパイラル・ライフ、エアーと発展していくBAKU、GARIC BOYS、インディーズで出したアルバムを愛聴していたMAD GANG、あと池田貴族のいたリモート。他にもたくさん観た筈なんだけど、もうスカッと忘れてしまった。
GARIC BOYSでは、演奏に合わせてその場でピョンピョン飛び跳ねながら首をアホみたいに振る「ポゴ・ダンス」てやつを初体験した。シド・ヴィシャスがはじめたなんて眉唾な説もある「ポゴ・ダンス」。その頃は「モッシュ」なんて言葉は知らなかった。ライブ後は自主で作ったテープ配布なんてのもあって、ストリートのカルチャーに触れた気分をしっかり満喫。
ホコ天、俺が体験した頃はバンド全盛だったけど、80年代には竹の子族と呼ばれる集団がその場所を占拠していたってのは、もう既に日本の歴史。
崔洋一監督のデビュー作『10階のモスキート』という映画に、竹の子族が出てくる。内田裕也演じる中年警察官の娘が竹の子族という設定で、その娘役を演じたのは小泉今日子。彼女の友達役を演じたのが、アナーキーというバンドのヴォーカリストだった仲野茂。

昭和天皇裕仁が死んだころ。ホコ天で、不穏な状況に出くわした。
演奏していたバンドのメンバーが逮捕された。そのバンドが断幕をかかげて演奏していて、それが逮捕の理由だった。そんなんで捕まるの?捕まるのだ。その断幕には、「さよならヒロヒト」と書いてあったのだから。
その時その場の雰囲気、今まで自分が体験したことのない空気が漲っていた。
あちらこちらでお兄さんが、「ケーサツってのはボクらを守ってくれるんじゃないんですかぁ?」みたいな声を張り上げている。
そんな叫びを聞きながら、そのころ14歳の俺、共に国家権力への怒りをたぎらせたかというと、それがちょっと違う。彼らの姿に、微妙な違和感を覚えていた。てか、ひらたく言ってしまえば「恥ずかしい」と、感じていた。
「…って~じゃないですかぁ?!」という語尾上げ口調による正論主張が、言っている内容の正否を飛び越えて、ただただ恥ずかしかった。
彼らだって普段は、「うるせえポリ公」とか言っていたんじゃないか。あえて挑発的な行動をしておいて、「予想以上の対応」が返ってくると、正論にすがる。
断幕ってのも、どうかと思った。正面切ってる感じが、どうも自分の性に合わない。もっとこう、じわりとした、横から突くような嫌がらせ、出来ないのかな、て。

ガキなりに日常にズレみたいなものを感じて、本や音楽や映画を求めた。違う世界を求めて。
そして、その「違う世界」で、ズレを感じた。はじめての体験だった。

2008-01-08

はじまりに

ポット出版のHPをお借りして、文章を書かせていただくことになった。
さて、何を書こう。ま、自由に書きゃいいんだろうが、何か縛りを作っておきたい。
俺、何を書きたいんだろう。うん、それはすぐに出てくる。
街だ。
誰かと逢ったり、食べたり飲んだり、映画とかライブを観たり、本とかレコードを買ったり、そうゆうこと全部するのは、街だから。
よし、街を起点にして書いていこう。
で、俺、街を移動する場合、9割が自転車だ。
なので、遊輪記。
歩くのとも違う、クルマに乗るのとも違う、そんな速度で見てきた街の記憶と記録を書いていこう。
過去形と現在進行形は交錯する。
話題も幾つか交錯する。
東京以外にも行くかもしれない。
そしてクルマや徒歩での移動も、あったりするだろう。
…って何だよ、いきなり脱輪してんじゃんってハナシだが、ま、歩いたりクルマ乗ったり電車乗ったりしても、俺の街を見る基準は、「自転車の速度」なんですよってこと。
そうやって、今まで色んなトコに身体を放り込んできた。

てなわけで、
「東京遊輪記」、はじまります。

まずは、ポット出版がある原宿辺りからー