2008-02-08
住んでいる街、新大久保。マコトくんのこと。
いま、俺は新大久保に住んでいる。
かつては同じ新宿区でも、中野区寄りの北新宿に住んでいたのだが、いまは新大久保だ。
新大久保の駅から俺の住んでいるマンションまで行く途中、耳に飛び込んでくる母国語率は低い。
いつもいる浮浪者のオバアチャンは、駅の改札とかシャッターの閉まった店の軒先とか、その時々の彼女なりの最良のフォーメーションでもって、オン・ザ・ストリートしている。
大久保通りから、高田馬場寄りが、俺の住んでいるところ。
その反対。大久保通りを職安通り方向へ進むと、ま、ラブホがたくさんあるんだけど、その辺のハナシは別の機会にするとして、その辺りにあるマンションに、20年くらい前から変わらずそこにあるマンションに、むかし俺の友達が住んでいた。
マコトくんといった。
小学生の終りころ、通っていた学習塾で会ったのだ。
色白で、髪が長くて。最初、女の子かと間違われていた。
塾の先生は、「マコトって女の子でもいるしね」なんて言っていて。当時の俺は、マコトなんて名前の女がいるわけねえじゃんなんて思っていた。
だから、90年代の半ばに川本真琴という女性歌手が出てきたときには、何か腑に落ちる感情に襲われてしまった。
マコトくん、とにかく変わったヤツだった。
当時からそれなりに音楽好きだった俺だけど、マコトくんが教えてくれた音楽はそれまで聴いたことのないもの。例えば、当時人気のあったインディーズ・バンド、有頂天だった。
サザンとかを聴いていた俺に、不貞腐れた顔で出来損ないのロボットのようなパフォーマンスでシュールな歌詞を吐き出してくる有頂天は、何か、背伸びとかそうゆうのとは別のドキドキ体験を与えてくれた。
マコトくんと一緒に遊んでいたら、いきなり絡まれたことがある。
何でも、先輩をマコトくんが茶化しまくったようで、その先輩が仲間を連れて復讐にやってきたのだ。
青筋立ててる先輩くんと、ニヤけ面のマコトくん。俺も一緒になってニヤけてみた。気持ち良かった。
母子家庭で。学校に友達いなさそうで。どっか冷笑的に世の中見ていて。
プロレス、特にルチャ・リブレが好きで、ロックが好きで。アベサダっていう男のチンポ切った女が昔いたんだぜ~なんて豆知識が豊富な小学生。
同じニオイを、感じた。
生まれて初めてのエロ本を見せられたのも、彼からだった。
その雑誌に載っていたのは、ただの女の裸じゃなかった。
例えば女性が大股開きをした局部でスイカを割ったり。「♪すぐおいしい~すごくおいしい~」のチキン・ラーメンのCMでお馴染みだった南伸坊がしかめっ面で女性の乳房を揉んでいたり。
何だこれは?!てなモンである。
後になってから知った。そのエロ本は、荒木経惟・末井昭コラボレーションによる伝説的雑誌・「写真時代」だったと。
そんなマコトくんとも、中学生になる頃には、お互い通っていた塾もやめてしまい、疎遠になった。
そのうち、マコトくんのことも記憶の彼方に消えていって、高校生になった。
で、その高校時代、同じクラスにいた奴と、家も近いねってコトで何気なく言葉を交わしたら、マコトくんと同じ中学校だったと判明した。
彼から聞いた中学時代のマコトくんは、学校にも殆ど行かず、家では、何ていうか家庭内暴力みたいな、そんな感じになっていて。同級生の彼曰く、「家はもう、ニューヨークの地下鉄状態だった」そうだ。
いまの俺だったら、ああニューヨークの地下鉄ね。グラフィティー?もしくはヴァンダリズム?映画『WILD STYLE』観た?…なんて具合に話を合わせることも出来るが、当時の俺は、そんなハナシにひたすら引きまくってしまった。
いま、マコトくんが住んでいたマンションは、あの頃のまま、ある。
そこにマコトくん一家が住んでいるかどうかは知らない。
あの頃夢中だった有頂天のヴォーカリストは、今ではS席9000円もする渋谷のシアター・コクーンで、ゴーリキーの『どん底』を演出するようになったのを、マコトくんは知っているのだろうか。
マコトくんが通っていた小学校の傍に、いま、俺は住んでいる。
下校時の小学生の中で、友達同士の群れから離れて、一人テクテク歩いている子どもを見ると、マコトくんを思い出す。
俺は適度に壊れつつも、「がっつりぶっ壊れる」こともなく、30年、生きた。
住んでた家を、とってもいいお母さんと暮らしていた家を「ニューヨークの地下鉄」状態にしたマコトくんは、どんな30年を生きたんだろう。
話してみたい。お互いの、次の30年を。