2008-07-27

日課

『「悪いこと」したら、どうなるの?』藤井誠二、読み終わる。
何か、読む前の「こうゆう本かな」っていう想像と微妙にズレていて、妙な読後感だった。

昼飯に、富士そばで冷やしほうれん草そば。稲荷をつける。
富士そばって、店舗によってメニューに違いがあるんだけど、俺が今日行った大久保駅前店には、ナムルを乗っけた3色丼というメニューがある。ナムル丼に、もりそば。これはなかなかイイ組み合わせ。

『酒にまじわれば』なぎら健壱(文芸春秋)
『恋する落語 男と女のいろはづくし』稲田和浩(教育評論社)
高田馬場の芳林堂で2冊買った。

帰って、何故か(てゆうか昨日の影響かな)落語聴きたくなって、テープで円遊、可楽。

毎日、350ml缶数本に、焼酎・ウイスキーの炭酸水割り数杯、呑んでます。
そして腹筋100回、やってます。

2008-07-26

浅草

真昼間の暑い中、浅草に。

木馬亭で、社会人落語家・あっち亭こっち氏主催の演芸会を観る。
普段は大手出版社の編集者として活躍するあっち亭氏をはじめ、登場する素人落語家の面々は、作家、弁護士など。皆、落語に関しては一家言ある猛者たちだ。
間に浪曲、義太夫などが入るんだけど、それらを演じるのは、「プロ」の人たち。
俺は初めて体験する芸もあったので、それぞれ楽しめた。
義太夫の旋律って、気持ちいいですね。
バトルロイヤル風間さんの似顔絵コントもあり。

会が終わって、近くの魚民で打ち上げ。
結構呑んで、食って。
店を出ると、隅田川花火大会。ドーンドーンと花火の音。微かに、火薬の匂い。
みんな、立ち止まったり、道に座り込んだりしながら、見上げている。
もっと見たいな、て感じで名残惜しくも、チャリで帰宅。

帰って、『「悪いこと」したら、どうなるの?』藤井誠二(よりみパン!セ)を読む。

2008-07-25

月の刃

通販で注文していたPANTAのライブCDが届いた。アコースティック・ユニット・「響」名義による『ONE DOUBLE』。

4曲目に収録された『月の刃』をリピートする。
沢田研二にPANTAが書いた曲のセルフ・カバーだ。
時空を越えて壮大なイメージを喚起する詞。それが、ひとつの心に突き刺さる。

『月の刃』が入ったジュリーのアルバムは、『パノラマ』という90年代前半の作品。いまは廃盤で入手困難みたいだ。
このアルバム、実はむかし持っていたんだけど、既に売ってしまっている。
収録曲の『スプリーン~6月の風にゆれて』て曲のPVが、当時公開されていたジュリー主演の映画『夢二』(鈴木清順監督)の上映前に流れていた。
ラストを飾る『Don’t be afraid to LOVE』もイイ曲だったよなぁ。
と、こうして思いが募るアルバムに限って、聴きたいときに聴けない。
だから、なるべくそうゆう思いをしないように、欲しいものは買っておくのだ。えへ。

ジュリーのアルバムって、70年代、80年代のものは結構再発されているみたいだから、じきに『パノラマ』も出るだろう。出てほしい。出るよな。

ちなみに俺、中古レコード屋で、ジュース1本くらいの値段の7インチ・シングル盤を漁るとき、ジュリーのレコードはとりあえず押えます。

2008-07-24

芳林堂

昼飯は神保町と神田の中間、小川町の中華屋「ほん田」でスタミナ丼。580円。ん?少しだけ値上げしている。
それでもやっぱりここのスタミナ丼、ボリュームは文句なし。カウンターにある漬物とカリカリ梅がいいアクセントになって、あっさりと完食。
ここでは、焼肉丼とかカレーとか、ご飯ものばっかり食べている。カウンターに置かれた漬物を見ると、麺類を注文する気が失せてしまう。じゃあ、麺類にライスを取ればいいじゃないか。そうだよな。まあ、俺、ラーメンってそんな好きな食べ物じゃないんだよ。辛いのは大好きだけど、あれは辛いスープが呑みたいだけだもんな。ラーメンにライスって、正直そんな合う組み合わせだと思えないんだよな。それだけのことさ。
そんな、別に語尾を「さ」にして気取ってみせる話題じゃないのは百も承知だけど、さ。

高田馬場の芳林堂で、鼠先輩の自叙伝を見つけたので、読んでみる。
ビンボーネタとか、東京タワーとか。最近ヒットした要素があざとくあざとく散りばめられている。ここまでくると笑える、のかな。

でも、分かりやすい苦労バナシって、何であんなに氾濫しているんだろう。
大抵の人の抱えた苦労は、もっと「分かりにくい」ものなんじゃないかと思うのに。
分かりやすい苦労バナシやマイノリティ自慢は商売になるけど、「分かりにくい」苦労は街で暴発する。ときどき。刃物を持ったりして。

そういえば高田馬場の芳林堂のあるビル。一時期やたら工事をしていて、最近リニュアルぽくなっているんだけど、入り口のヘンに豪華っぽい門構え、あれは何なのだろう。
2階はオモチャ屋さんがなくなっていて。あと2階の床の絨毯が、やたらキレイになっている。子どもだったら転がりたくなるような。
目指す方向、大丈夫なんだろうか。

2008-07-23

こんな日。

昼。JR大久保駅の新宿寄りの出口を出て、小滝橋通りに向かう細い道すがらにある店(ここは店頭に「小さなカレー家」とあるのだけど、これが店名なのだろうか)で、牛すじカレー。大盛500円に、50円のコールスローもつける。
夜。高円寺の「キッチン南海」で、カツカレー。値段忘れちゃった。700円台だったかな。ジョッキのビールも、つける。
昼も夜もカレー。こんな日も、ある。

『パンタとレイニンの反戦放浪記』読む。
リアルタイムでは聴いていなかったここ数年のパンタの作品を聴いていくうちに、手にしてみた1冊。
ラディカルなのが、やっぱり、いい。

2008-07-22

でり坊食堂

今日は火曜日。
だから何だっていわれても、火曜日だ。

昼、新大久保の居酒屋でランチもやっている「でり坊食堂」で、弁当買う。
チキングリル弁当。500円。ワンコインで、けっこう食べ応えある。他にもとんかつや焼魚の王道系に、ゴーヤ弁当なんかも。
ここは、今柊二『定食ニッポン』にも紹介されていた店だ。
『定食バンザイ!』『ガンガン焼肉もりもりホルモン』と、ちくま文庫で連続して出ていた今柊二の食べ物本だけど、この『定食にっぽん』は竹書房文庫から、去年の春にいきなり出版された本だ。ノーマークなところからの伏兵って感じで、思わず見逃すところだったのを思い出す。

夜、渋谷に出る。
晩飯は「一蘭」。辛さ5倍にしてみたら結構きた。

そして、駒場へ。
こまばアゴラ劇場で、『ハナノミチ』作・演出ヤン・アレグレ を観る。
満員。空調の止まった客席が、暑い。
フランスの演劇人と、日本の俳優たちの融合。
墨汁だらけになったり、叫んだり、肌を晒したり、這いずり回ったり。
発せられる言葉、理解しようと歩み寄れば、「ふん!」て拒まれるようで。でも、こちらに向かってくる「まなざし」に、またつい…。
何かを伝えようとしたり、理解しようとしたり。一歩いっぽ、やってきましょう。
でも、もう少し短くても、てか、短かった方が、よかったかも。

2008-07-21

「だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ」

すき家で、豚丼(とんどん、て読むんだっけ?ここは)に大辛ソース2倍。
大久保通り沿いの店舗。昼メシ時なのに空いているな、と思ったら、そうか今日も世間は休みなのか。
肉が肉っぽい。いいじゃねえかよ、肉なんだから。いや、そうじゃなくって、調理されてない肉っぽさっつうか。気分は、野生。このテの肉っぽさ、すき家で初めて味わったかもしれない。

夜、帰ってから再び外出。ブラック・アイド・ピーズとか立川志の輔とか、DVDを売りに出す。
妥当な買取額。

都築響一『だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ』を読む。
個性的な書店の紹介、そして書評がギッシリ詰まっている。
書評は90年代前半から2007年まで。自腹で購入したという本を紹介する文章には、抜き書きしたいフレーズがありまくり。こんな風に本や人やストリートと向かい合って、いつまでも生きていきたいと思う。
濃ゆい会話で朝まで呑んでしまった後のような。さて、さっきまでの濃厚体験をどうやって消化しようかとボンヤリとした頭で考えているときのような。そんな読後感。

ただ、「辺境」的なものへの思い入れがちょっと過剰なのが気になった。
アウトサイダーな、底辺な、そこでピュアな情熱をたぎらせているのは、確かにカッコいい。
でも、そこでピュアを保てるのは選ばれた人なんであって、「そこにしか居れない自分」をちょっと恥じたりもしながらも、でもそれを認めたくなくて、あたかもピュアを保っているような「振り」をしているのは、結構しょっぱいんだよな。
ま、俺もそうなんだけどさ。
こんなコトバ使うのも恥ずかしいが、「情報化社会」で天然を保つのってやっぱ難しい。俺は無理。色んなコトが気になり過ぎる。

俺は20代の頃に、まあいわゆる「辺境」的な、低予算成人映画の世界をちっと覗いたことがあったんだけど、上に書いたようなコンプレックスと、それに対する自覚の無さ、作る方にも観る方にも、ちょっと凄いものがあった。いや、あれがカッコいいとか、普通じゃんって思う人もいるんだろうけど。
人種の違い、だな。

そんなボンノウだらけの人生で、未知なるものへ向かう情熱を持続させてくれる、「これの後を追いたい!!」と強く思わせてくれる、そんな1冊だった。
『だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ』。
はい。これ、合言葉。

2008-07-20

シウマイ

鼠先輩の自叙伝を立ち読みでもすっかと、新宿の紀伊国屋へ。見つからない。俺の捕獲力が落ちているのか。いや、そんなことない、そんなことない。…でも、見つからない。
てなわけで、今日、ネットで確認。青志社ってトコから出ている。初めて知る出版社。
でも、ここのHPには鼠先輩のことが全然載ってない。どうなってるんだろう。鼠先輩の本、読める日が来るのだろうか。

紀伊国屋では、
『居酒屋ほろ酔い考現学』橋本健二
『東京Dスタイル食堂』村田らむ。
2冊、買った。

今日は3連休の中日。新宿駅は新南口の、「富春大酒楼」っていう中華屋に行く。
シウマイがウリらしい。シウマイの皮は、白にはじまり、緑、紫、黄、橙と、色とりどり。緑と橙の皮のを食べてみた。肉汁溢れて、ボリュームある。
デザートに杏仁豆腐を注文したら、モチモチした食感で、珍しい、つうか初めての感覚。うまかった。

2008-07-19

「アグネス・ラムのいた時代」

暑い。暑いと、「ぽい」ものを食べたくなる。で、御茶ノ水の「小諸そば」で冷やしめかぶとろろそば。うん、ぽい。

『アグネス・ラムのいた時代』長友健二+長田美穂。
カメラマンの回想する昭和芸能史。
赤木圭一郎、ロマンポルノ、フラワー・メグ、吉田拓郎、キャンディーズ…。
しぶとく残っている人、消費された人。

「スター誕生」など、そもそも大人がプロデュースして送り出していた、アイドル。
その「あり方」に変化が見えてくるのは、自分の意思で引退を決めた山口百恵や、これまた「フツーの女の子に戻りたい」と引退していったキャンディーズ以降だ。
それから登場したのは、ぶりっ子なイメージを作りあげた松田聖子や、小泉今日子だ。彼女たちのようなセルフ・プロデュース型のアイドルが出現して、そういったスタイルが主流になっていく。
と、こういったことが書かれているのを読んでいて、セルフ・プロデュースって、やってる方もそうだろうけど、受け止める方だって、結構体力いるんだよなと思う。
現在はどうなんだろう。アイドルが「セルフ・プロデュース」なんて言いだしたら、鼻で笑われて揚げ足取られてブログが炎上して、終りなんじゃないか。
「自分を表現する」なんて言葉、中学生でも「ケッ」となる。勿論本心からの「ケッ」じゃない人もいるだろう。でも、そんなコト言ったら周りから浮いちゃうから、みんなに合わせてとりあえず、「ケッ」てしとくのだ。
一周回ったのか、単なる退化か、「単純に楽しいものがいい!」「みんなで騒げればいい!」みたくなって、ハロプロだのパフュームだの、プロデューサーの下で動くお人形さん型アイドルが、気持ち悪いくらいに、全盛である。

表紙と巻頭に配されたアグネス・ラムのグラビアに、南国系て時々「くる」んだなぁと思う。いつもはあれだけど、時々、無性に南国系が欲しくなることってあるよな。最近だと、Rio.とかね。前に柚木ティナだった。え?知らない?ったくしょうがねえなぁ…。

夜、ふと思い立ってヴェルヴェット・アンダーグラウンド『ライブ・アット・マクシズ・カンサス・シティ』を聴く。
このCD、いまの部屋に引っ越してきてから、はじめてプレイヤーに乗せたかもしれない。

2008-07-18

広田弘毅

とりあえず、病院に行くことはもうなくなった。

病院では、色んな人を見た。
家族に手を引かれて覚束ない足取りで歩く練習をしているお爺ちゃんや、ひとりでご飯を食べているお婆ちゃん。
ふと目が合ったりすると会釈をしてくれる。その時の俺が何かムカつくことがあって気分がささくれだっていても、会釈を返す俺は、ちゃんと笑っている。
あの人たちが、優しく諌めてくれたんだと思う。

夜、新宿を歩いていて、温度表示を見たら、29度。
本屋で、中公新書『広田弘毅 「悲劇の宰相」の実像』服部龍二を買った。
広田弘毅に関する本は、『落日燃ゆ』城山三郎、『黙してゆかむ』北川晃二、『秋霜の人』渡邊行男と、これで4冊目。ここに書いた順番通りに読んでいった。やっぱ最初に読んだのは『落日燃ゆ』。それで、「広田弘毅萌ゆ」になった。
買って帰ったものの、まだ読みかけの本があるので、あとがき だけ読む。
この『広田弘毅 「悲劇の宰相」の実像』の著者も、最初は『落日燃ゆ』を読んで感銘受けた。でも、学者として色々研究を重ねていくうちに「ん?」てな違和感感じることも多々出てきて。さらに資料をあたって研究を重ねていき、この本を書いたとある。
悲劇の宰相、だけじゃない姿。でも、やっぱり興味を引く、その姿。生き様。
そう、「いい・悪い」・「正しい・間違っている」じゃなくって、気になるのだ。広田弘毅って人は。

『なぜケータイ小説は売れるのか』本田透を読み終える。
ケータイ小説とかを飛び越えて、いま「物語」が存在するってことの考察。刺激たっぷりで面白い。

2008-07-17

副都心線

今日も部屋で飯を炊く。

ここんところ、用事で、よく渋谷を通っている。
せっかく渋谷に行くのだから、できたばっかりの地下鉄・副都心線に一度乗ってみたいと思うのだけど、かったるくって、ついチャリで行ってしまう。
副都心線がカラダに馴染むのは、いつになるやら。
大江戸線も、結構かかったんだよな。

夜は、部屋で環ROY×Eccy『MORE?』を聴いた。
言葉のチョイスやラップする節回しの面白さが、「リアル」なんてものを飛び越えて、「作品」に触れたって気分にさせてくれる。

これは、ミニアルバム。
今更だけど、CDになってアルバムの収録時間が延びて、アルバムを聴くのが、ぶっちゃけ、かったるくなった。
18曲収録…うへぇ…。みたいな。22曲収録…すいません。15曲とかでも、アーティストによっては、もたれちゃう。
で、もたれるヒトに限って曲数が多い。

でも環ROYの、ここのところ連発された作品(2枚ある。節度があるというか、両方ともミニアルバムだ)を聴いてみて、お、これはフルアルバムが聴きたいぞと思えた。
聴きなおすたびに湧いてくる、そんな期待感。

2008-07-16

肌に合わない街

『「新宿コマ」座長たちの舞台裏』 渡部清(語り)小菅宏(聞き手)

そう、新宿歌舞伎町のコマ劇場って年内でなくなるんだよなあ、てふっと思って、そんな時に間がよく、近所の図書館で見つけて、手にした本。
俺ってこうゆう類の「間のよさ」が、気持ち悪いくらいにある。

コマ劇で、音響技師だった人の、美空ひばり、北島三郎からはじまって、たくさんの歌手・芸人の回顧録。
「劇場地下にあるシアターアプルの近くを通り新宿駅に突き当たる」、緊急時に使用するという「抜け道」の存在が気になった。

俺は、コマ東宝とシアター・アプルには行ったことあるけれども、コマ劇には行かずじまい、になりそうだ。

夜、下北沢まで行く。
お腹が空いていたので何か食べようと思うも、どうも下北沢って、食欲をそそってくれない街だ。
吹いてくる風も、合わない。道が狭いからか、いるのが自分と合わなそうなタイプの人間ばかりだからか。
道すがらのラーメン屋に入ったけど、店員が「いらっしゃいませ」と言わなくって、街への違和感がさらにじわりと膨らむ。
豚キムチラーメンというのを食べたけど、それはうまかった。

ディスクユニオンで、豊田道倫のインストア・ライブを観る。
1曲目が『UFOキャッチャー』。鳥肌立つ。
ライブは30分くらいだったけど、濃密だった。ギターを激しく掻き鳴らす姿がカッコいい。空気の抜けた感じの曲間MCも雰囲気あるし。
最後は『移動遊園地』。音とイメージに、心地よく流されていく。

ちょっと違う道で帰ろうと自転車を走らせていたら、気づいたら三宿にいる。代々木上原~山手通り方面を目指したハズなのに…。
気を取り直して、三宿からまた代々木上原~山手通り方面を目指したら、目指したつもりなのに、あれ?この「餃子の王将」見覚えがあるぞ…え?ここって…
何と再び下北沢に戻っていた。
軽くめまい。
やっぱ、ここ、合わないわ。

どうにか戻ってきて、近所のコンビニで買い物していたら、レジで店員が困っている。
20歳未満が酒を買おうとしていて、でもその客が日本語を理解できない方達で。
店員は片言英語を使って、酒は売れないということを説明している。
客の方は3人組の男。皆、ワザとか本当に理解できないのか、キョトンとしっぱなし。
店長が出てきて説明するも、3人組に伝わっているのか、怪しい様子。
そんな光景を横目に、勘定をする。
俺の出した発泡酒を、店員は何の逡巡も見せずにレジで打った。

俺、ある種の権利を、持っている。
それに伴う義務や責任というものが、いまいち分からないでいるままに。

2008-07-15

イキルキス

「群像」の2008年7月号。舞城王太郎『イキルキス』を読む。
一気に読んだ。節回しだけじゃなくって、それを乗っけるリズムがしっかり「打って」いる。
このノリが、気持ちいい。
「群像」に掲載された作品群、どうして単行本にならないんだろう。『鼻クソご飯』を読んでみたい。

すっかり暗くなった頃に部屋に戻る。
パスタを茹でて、納豆をかけて、GO!ヒロミ44′のライブDVDを観ながら、食べる。
『消費者金融応援歌』という唄に、共感。
俺はやっぱり、借りる方より、貸す方に問題があるとしか思えない。貸す方がエグいよ。絶対。
確かにマズい部分もあると思うよ、借りる方にも。でも、だったら「分かってる」側が一歩引くのがエチケットってものじゃないか。
“弱肉強食”って言葉があるけど、だったら”弱笑強ネタ”ってのも、俺にはアリだ。強い連中をネタにして、笑いまくるっていう。

続けて、フィッシュマンズのDVD「EPISODE.1」。
90年代前半のライブ映像。「盛り上がってくださいっ!ニューエスト・モデルに負けないように」というオープニングMCに熱くなる。

2008-07-14

もうちょう

だから急性虫垂炎?これって盲腸のことなのな。
盲腸って、これ俺のイメージだけど、ジョブナイルなイメージのある病気っていうか。
大昔の子どもの頃に読んだ「ズッコケ3人組」シリーズで、ハカセが盲腸で入院している場面から始まるハナシがあって、そのイメージが俺の中で強いだけなのかもしれないけれども。
でも盲腸より、「急性虫垂炎」ってなると妙にアダルトな響きがするっていうか、油断すんなよみたいな?そんな貌を見せるのな。盲腸って、語頭からして「もー」だもんな。切実さとか緊迫感に「もー」はないよな。
…日が暮れたころ。久しぶりに病院ってトコロに行って、そんなハナシをする。

高田馬場の中華屋「熊ぼっこ」で、餃子にビール。
店頭の看板には「まずい店」とあって、その「まずい」が逆さに記してある。とんちだよ。
オールディーズが流れる店内は、まさに年期の入った中華食堂の趣。一杯1000円近くするラーメン屋は苦手だけど、こうゆうお店は大好き。
で、シメは何にしようとたくさんあるメニューを眺め、結局、再び餃子。シメだからもちろん定食で。

帰って、PANTA&HALのライブ盤(『TKO NIGHT LIGHT』じゃないほう)を聴く。

2008-07-13

柔軟体操

で、ざわざわした気分、継続している日曜日。

『誰かが手を、握っているような気がしてならない』、読み続けている。
ビミョーな世界っていうか、ぬらりひょんとした文体で、深いとこや浅いとこをいったりきたり。
こうゆう文章って、ノれてしまえばすいすい読めるのだけど、ノるタイミングを外すと、読むのに時間がかかってしまう。

いろいろな局面で、感性の柔軟体操が足りない。
柔らかくするために、お酢でも飲んでみるか。
とりあえず、お寿司を食べよう。

て、お寿司を食べてお腹がいっぱいになると、アタマの硬い自分を、さほど嫌いじゃないってことに気づくのだから、始末におえない。

2008-07-12

残すな

7月12日。
世間は土曜日だ。
もちろん俺の中でも土曜日だ。

昼食は、新宿・紀伊国屋書店の地下食堂街に最近できたヤキソバ屋に入る。
ソースがジュージュー焼ける匂いは、どうしようもなくそそってくる。
メニューを見たら、ソースだけでなく、塩ヤキソバに、とんこつヤキソバなんてのもあったりして、この3種がメニュー。
最初はやっぱりソースでいこうと、1玉、1.5玉、2玉とある内から(値段は100円づつ上がっていく)、1.5玉で。
で、食べ終わって思うのは、2玉でもよかったかなってこと。様子見する必要なんてなかった。やっぱりね、ソースのねっとりからまったソバが、美味しくないワケないんだよ。

隣で男の2人連れが食べていたんだけど、2人とも、少しづつ残していた。
何だろう、あれ位、お腹が張ってても入るだろうに。まずかったんだろうか。ならばもっとたくさん残せばいいのに。いや、駄目。嫌い、そうゆうの。食材には罪はないんだから。
俺は、食べ物を残す人が、それも「ちょっと残す」人が苦手だ。箸をつけたら、やっぱ全部食べなきゃ。
「ちょっと残す」のは、やっぱり女に多いけど、今回のように男が「ちょっと残す」のを見てしまうと、デストロイ!な気分になって、どうもいけない。

今日は日帰り旅行に出かけるつもりだった。
だけど一緒に行く人が病に倒れてしまい、延期に。
深刻なやつではないんだけど、久しぶりにざわざわとした気分で一日を過ごした。
お互い、若いともいえない年齢だ。身体のケアには自覚的になったほうがいいのか。

俺はというと、ここ10数年、医者にかかったのといえば、辛いものと酒の大量摂取で痔になってしまったときと、ちょっとここでは書けない行為をして排尿時に激痛が走ったとき。この2回だけだ。
多少熱っぽくなることもあっても、一晩寝れば大丈夫。風邪で寝込んだ記憶もない。
健康診断で何か言われたこともなし。
ま、健康、な方、なんだろう。

でも、健康でいることって、自分的にはそれでいいけど、そうじゃない人への想像力が欠如しちゃいそうで。そうゆうのは、気をつけたい。
食べ物を残す人っていうのも色々事情があるのかも、な。

でも、「ちょっと残す」のは、やっぱ好きになれない。

2008-07-11

夜のおおきな金魚鉢

暑い。雲ってどんより暑い。
陽が照ってくれれば、まだいいのに。
こう見えて、て、ここを読んでいる人に俺がどう見えてるのかなんて皆目見当つかないのだが、俺は日焼けが好きだ。正確には、好きになった。20代の終りころから。
デジタルアークのDVDの良さも、分かるようになった。

今日も部屋で、鰯の蒲焼や納豆を食べている。

日が落ちた頃、新大久保と早稲田の間を自転車で走っていたら、携帯に向かって怒鳴っている男がいた。誰かに対して怒っている。
コラァ!だの、分かってんのかァ!だの、恫喝には慣れているっぽい口調だ。いでたちも自らの男っぷり、それも粗暴な面も垣間見せてますみたいな、そんな男っぷりを強調するスーツ姿だ。
男の側を通ったとき、言っていることが耳に入った。
「俺の布団がねえんだよ!」
確かに布団がなければ腹も立つだろうが、その怒りのテンションとの間には、やっぱり温度差を感じてしまった。
まあでも、寒い冬じゃなくてよかったなあと思う。

夜、知久寿焼の弾き語りライブを収めたDVD『たまははき居酒屋ライブ』を観る。
『安心』、『いなくていいひと』、『電車かもしれない』、『学習』、『夜のおんがく』、『鐘の歌』、『らんちう』、そして『金魚鉢』。たま時代の名曲の数々に、『サルビアの花』カバーなど。
居酒屋で酒呑みながらの酔っ払いライブ。アンプラグドな演奏が、3時間近く収録されている。
これ、圧巻。

最近、2003年に解散してしまった たま が再び人気を集めているみたいだ。
8月に3人編成「しょぼたま」復活ライブがあるのだけど、チケット瞬殺。
実は俺も、今年の初めに不意に たま を聴きたくなって。で、持っていないアルバムもあるのでブックオフとか行けば余裕で買えるだろうと思っていたら、どこにもない。ディスクユニオンをはじめ、幾つかの中古屋を回ってみても、見事にない。
大ヒットした『さよなら人類』も収録されたメジャー1stアルバム『さんだる』ですら、なかなか見つからない。一度見かけたのだけど、2000円近くした。メチャ売れしたアルバムなのに、そんな値段だなんて。ま、これは幸い持っていたからいいんだけど。
やっぱりあれかな、みんな、『おるがん』とかを自分の葬式に流して欲しくて取っておくのかな。
俺は、葬式で流してもらいたいのは『金魚鉢』かな。『安心』もいいけど。

2008-07-10

肉は大盛

7月も、もう3分の1が終わった。今年はもう半分以上が終わっている。
今日は7月10日。
昼間。蒸し暑い中、レコード数十枚さげて、自転車で新宿へ。
ディスクユニオンに、レコードを売りにいく。
査定の間、高田馬場に行って、早稲田のスタ丼屋で昼食。券売機の前で、あれ?となる。若干値上げしているのだ。あらら~となっていたら、「肉大盛」にするのを忘れてしまった。肉は大盛。これが基本なのに。

売ったレコードは、それなりの金になった。
さっそくその金で、CDを買ってしまう。頭脳警察の73年ライブ『日比谷野音“聖ロック祭”』。
以前に売ってしまったCDだ。
買って、売って。また、買って。
こんなことばっかり繰り返している。色んな意味で。

夜は、ウチで飯を炊く。カラダがスタ丼的なものを欲しがっていたようで、納豆に、豆板醤・おろしニンニク、卵を混ぜたやつを。この組み合わせ、最近気に入っているのだ。

「群像」2007年の10月号。前田司郎『誰かが手を、握っているような気がしてならない』を読みはじめる。
前田司郎の新作舞台が新国立劇場でやっていたのだけど、これは見逃してしまった。
五反田団の公演も、実は一度しか観たことがない。

最近、演劇人が色々注目を集めているけど、やっぱ「劇作家」ていう括りになっているみたいだ。
「書く」ヒト、っていう。
でも演劇なんだから、「演出する」っていうことにも、もっと注目が集まったらいいのにな、て思う。
舞台に立つ俳優の肉体を使って、色んなことを表現していく。そんな演劇的感性。これも、文学。
て、俺だって東京デスロックの舞台を観るまでは、こんなことを考えもしなかったのだが。

2008-07-09

個室のヒミツ

随分更新が空いた。
気がついたら、1ヶ月近く。
最近、ここに長文を書いたのだけど、無駄に「戻る」をクリックして全部消えたり、失投パレードのチラシ画像をアップしようとしたら、アップできなかったりで。
どうも拒絶されている気がして、気持ちがしおれていたのだ。
で、しおれてみたところで、誰が慰めてくれるわけもなし。しおれた気持ちを生ぬるく放置していたら、こんなに間が空いてしまった。
放置。今日も放置。明日も放置。
しおれた気持ちも多少、癒えた。
癒えてくると、困ったことに、俺のどうしようもない露出癖が、またムクムクと湧き上がってくる。求められてもいないのに。

だから、暫くは、放出モードでいこう。

今日は7月9日。

日が暮れたころ、御茶ノ水に自転車でいく。
先日、久しぶりにPANTAのライブを観て、そのパワーに撃たれまくってしまい、聴いていなかったここ数年のCDが中古でないか、探索にきたのだ。
CDは、なかった。

JR水道橋駅と神保町のあいだ。白山通りの道すがら。
途中、エロDVD屋の脇を入ったところにある、「かの矢」というとんかつ屋で、ロース定食。
このお店にはステーキ定食というのもやっていて、850円で、ステーキにメンチまでついている。最初見たときは、どんなもんか?と思っていたが、食べてみたところ、これがウマい。特にメンチがすんげえウマい。で、すっかり気に入ってしまったお店。
今日はストレートにとんかつで。これまた、ストレートにうまい。
カレーの「まんてん」がある路地にあります。

内藤みか『個室のヒミツ』を読む。
最近、『ケータイ小説のリアル』という新書を読んで、一度読んでみようと思ったケータイ小説。
『りはめより100倍恐ろしい』という作品を以前読んだけど、あれは「ケータイで書かれた小説」だけど、「ケータイで読む小説」ではないっぽい。
純粋ケータイ小説を読んでみようと思ったのだけど、漢字2文字のあからさなに源氏名チックな作家の作品を読むのは、どうにもこうにもトゥー・マッチだ。
なので、AERAにも連載を持っている内藤みかさんの、この1冊を手にしてみた。

ネットカフェの個室、そこに集う若者たち、それぞれの物語がリンクしていく。
人物のリンクの仕方に、え?となって、ラストの収束に、え~?!となる。
知人の自分語りを聴いている感覚っていうか。ハナシが前後したり、酔っ払って同じ話題ループしたり、ヘンな部分を強調したり。…でも、耳傾けちゃう。
そんな感じで、一気に読む。後味は、悪くなかった。

それにしても、ネットカフェのカップルシートって、ヤラしかったな。
毛布かけるんだよ。あれが、またね。これが車の中だったら、カーラジオからスローバラードが流れてきてあのコの寝言を聞いたりするんだろうけど、ネットカフェの個室で毛布ってのは、やっぱ、なんか、ヤラしい。

俺がカップルシートに入ったことあるのは、3,4年前の夏だったか。
新宿にあるマンガ喫茶だった。
その時の相手とは、何回か複数で遊んでから、その日、初めて2人で呑みにいった。
だけど、何がいけなかったのか、その後、逢うことはなかった。
いまとなっては、相手の顔も声も、話した話題も、俺の中ではおぼろげになってしまっている。

はっきり覚えているのは、ただひとつ。
その相手が、ヌーブラを着けていたということだ。

2008-06-23

名画座のあった町

ということで、もう2週間前になるが、ザ失投パレード、終わった。

でも何てゆうか、あれだ。ここ4,5年のあいだ、俺に「脚本書かないんですか?」とか訊いてくる連中に限って、会には来ないんだなぁというのを、つくづく感じる。脚本なんて、書いたって、書くだけじゃどうしようもないってのは、ちょっとオトナの世界を知っているなら分かりそうなものなのに。
やっぱり、人が挫折したりウジウジ屈折している姿をちょい上から目線で眺めるのが気持ちいいだけ、なんだろうな。

それはともかく(笑)。

今回の新作『光と影』では名画座を舞台にした。
かつて、俺は行ける限り東京、ときには横浜の、名画座を徘徊していた時期があった。
三軒茶屋、蒲田、大井町、飯田橋、高田馬場、亀有、銀座、浅草、新宿。
ここでよく勘違いされるのは、新作映画を2,3ヶ月遅れの2本立てでやる映画館。これは正式には名画座とは呼ばないで、2番館、3番館と呼ぶということだ。

でも、これは俺の思いでしかないのだけど、たとえ新しめの映画をやったとしても、無差別に2本立てにするのではなく、とある1本の映画があるとして、その監督の1コ前の作品とくっつけたり、関連性のあるちょい古な映画を組み合わせて上映したりする場合は、それはもう名画座と呼んでもいいんじゃないだろうか。
てゆうか、名画座と呼びたくなってしまうのだ俺は。
プログラムに個性をしのばせる。そこがキモ。
シネコンで新作を観て…みたいな。そんな、あえてこうゆう言葉を使うけど「垂れ流し」的ではない、上映プログラム。
これはもう、名画座と呼びたい。心情的には。挽歌をこめて。

シティ・ロードをカバンに入れて、初めて降りる駅。
駅前に立ち喰いそば屋があれば、入ってみて。
時間多少余裕を持ってきているから、周辺を軽く散策して、おめあて映画館の前に。
ガランとした受付に軽くドキドキしつつ、シティ・ロードを出して情報誌割引でコヤに入る。
まだ、前の上映が続いている。
場内から漏れてくる音に、ああ、もうすぐエンディングかな…なんて思いながら、ロビーに置かれたチラシ(フライヤーなんて言葉は違うぞ)を物色。
コンビニで飲み物やパンを買った際は、上映中にコンビニ袋のガサガサ音が響かないように、前もって袋から出して、カバンの中に入れておく。
で、休憩時間になると、場内に。
なるべく隅っこの席を取るのが俺の定番。
これから映画を2本、3本観るのだ。隅っこの席の方がカラダに優しい。

映画をすべて観終わって外に出ると、来たときは午前中だったのに、もうすっかり暗くなっている。
今日一日、日の昇っている時間を暗闇で過ごしてしまった、何ともいえない充実感に満たされながら、地元の商店街をブラブラ。店頭や、商店街スピーカーから流れる最近のヒット曲に、現実に戻っていくのを実感する。

「作品」だけ観られればいいやみたいな。「作品」がすべてでしょみたいな。そうゆうヒトからすれば、全く意味のないことを書き連ねているんだと思う。
でもなあ、アリだと思うんだよな。
「作品」だけじゃなくって、それを観た当時の自分の状況とか、その作品を観た環境とか、観たかった「作品」に出逢えるまでのあれやこれや。
それも込みでの映画体験。俺もあなたも、いま現時点まで、生きちゃっているんだからさ。全部つながっているコトなんだよ。

10年くらい前、一つの名画座が閉館した。
俺もよく行っていたところだったのだけど、そこでは俺の友達が映写技師として働いていた。
もともと映画好きということで知り合ったのだが、彼は当時、フランス映画好きだった。そこで俺が古い映画、特に邦画のヤバさを熱く語っりまくって、それに乗っかってくれて。
気がついたら、古い邦画をメインに上映するその名画座の映写技師になっていた。
最終日にはもちろん足を運んで、コヤの前で彼と並んで写真を撮った。
そのとき、閉館する名画座のハナシを、漠然と思いついた。

それから数年経って、その彼が結婚した。
結婚パーティーに行って、そのまま彼の家に雪崩れ込んで、しこたま呑んで、そろそろ帰りますかってことになった。日付はとうに変わって、電車は当然ない。
彼の家の前からタクシーに乗って、家まで帰る道すがら、その名画座の前を久しぶりに通った。
かつて映画館だった建物はもう無く、さら地になっていた。
なくなったものと、いなくなった人と、そして、なくならない気持ち。
とうに忘れていた、閉館する名画座のハナシを思い出した。
2004年。いまから、4年前のことだ。