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真実・篠田博之の部屋[番外23] [2001年7月27日]
真実・篠田博之の部屋
[番外23]
  前回の続きですが、今回の原稿もずっと前に書いていたもののため、出てくる話がちょっと古いです。ご了承ください。
              *
 私のように、編集者と書き手の関係はさまざまな距離があってよく、それぞれの事情、原稿の内容により関係は選択されていいと考えるのでなく、常に密な関係がいいという人もいることはいます。大手の雑誌におけるマンガ家と編集者の関係がそういうもんらしいですね。寝食をともにすることもあり、資料を集め、時にはストーリーまでを編集者が考える。さらには、プライベートの雑事までを編集者がやるともよく聞きます。
 マンガ家は出無精の人が多いのは事実ですし、複数の週刊誌を抱えると、取材する暇も資料を調べる暇もなくなりますから、物理的にそうしないとやっていけないということもありましょう。出版社側としては、利益を上げているマンガ家なら、編集者をつきっきりにする余裕もあるわけです。
 また、売れている小説家も同様で、一緒に麻雀をする、すべて編集者がセッティングして取材旅行に行き、この時も編集者がしばしば同行する。編集者が付き添って銀座のクラブに行くなんてことが今もまだ行われているようです。
 以前、「噂の真相」にも出てましたし、本人もある程度原稿に書いてますけれど、柳美里って、引越の手伝いや子供の子守の手配まで編集部にやらせているんですってね。
 そういうベタベタの関係をよしとする人達がいて、それもまたひとつのありかたです。しかし、仮に編集者が書き手に迫ることをセクハラとして非難するのであれば、このような関係もまた非難されていい。だって、この場合の力関係は書き手の方が強く、その優位に立場を利用して、プライベートのことまでやらせているのですよ。これについては後に詳しく論じますけど、私は互いに納得しているんだったら、これもありだと思っています。編集者に子守の手配をさせようが、クンニさせようが、セックスしようが、結婚しようが、すべて勝手です。
 でも、私はこんな関係を求めません。例えば、「ダークサイドJAPAN」の久田君の方から佐野眞一著『東電OL殺人事件』を取り上げる話が持ち込まれたように、編集者のアイデアや知識によって原稿を書くきっかけが作られることもあって、こういうのはホントにありがたい。どうしたってテーマや取材対象を探す能力には限界がありますから、編集部から「今度はこの人を取材しましょう」とアイデア出しをしてくれることは私も歓迎です。しかし、それ以降に関して、あの原稿では、テープ起こしを何本分かやってもらっただけで、編集者は何も関与していません。だって、私の方が風俗産業については詳しいのですから、関与しようがないじゃないですか。
 余談ですが、あの原稿の冒頭で、そもそも『東電OL殺人事件』を取り上げようと言い出したのは編集長だったと私は書いています。これに限らず、私はどこの誰に聞いたネタか、誰が言い出したことか、誰が協力してくれたか、どんな資料を使用したか、できるだけ明記するようにしていますけど、編集者に頼り切る人って、全部、自分一人で調べたかのようなことを書く傾向があるような気がします。いちいち書いていると、自分は何も調べていないこと、何も考えていないことがバレてしまうため、だったら全部黙っていようということなのかもしれませんけど、もっと悪く考えるなら、他人が何かをしてくれるのが当然と思っている人が、編集者にも頼りきりになるのではないかとも思ったりします。
 そういう書き手は要注意で、雑談で、下手にあるアイデアをダベると、いつの間にか、自分で考えたかのように原稿にしていることがあって、ムカつきます。編集者が提供したアイデアを使うのはいいとして、同業者からパクるなよって話です。
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 誤解しているのは書き手だけでなく、誤解している編集者もけっこういます。貧乏雑誌では物理的に編集者がベタベタにつくことなんてできるはずがない。しかし、現に編集者がネタを提供し、資料を集め、取材のセッティングをしなければ原稿を書けない人がいます。そういう書き手には編集者が時間を費やし、その分、いよいよ他の書き手に費やす時間がなくなるということがあります。
 この時に、編集者の力を借りる書き手をどうしても編集部が欲しいとなれば、そういう無理をするのもいいでしょう。しかし、そうでもないのに、片や手間のかかる書き手がいて、片やかからない書き手がいて、両者が併存している。この場合、手間のかからない書き手のギャラを高くして、手間のかかる書き手のギャラを減らすべきです。だって、編集者の手間がかかるということは、人件費を使っているんだから。
 何回かあとで詳しく書くように、私個人の家計を考えてこのようなことを主張しているのではなく、こうしないと辻褄が合わなくなってしまうのです
 あるいは、編集部が集めてきた資料の代金は編集部が出し、ライターが集めてきた場合はライターの自腹ということもよくあります。となると、努力をする書き手の方が損をすることになってしまいます。だったら、編集部におんぶにだっこの方がいいと考えるのは当然です。
「編集者は本来、そういう作業をすべきなのに、うちは人手がなくて、そこまではできない」という発想がどこかにあるために、ついつい手間のかかる書き手に手間をかけてしまうわけですけど、こういうことすっから、編集者依存の強い書き手がいよいよ増えてしまう。
 それだけならまだしも、これまたよくあることなんですけど、こういう手間のかかる書き手の方が誌面でも優遇されることまであるんですね。気持はわかります。一緒に行動している人に情が移りますし、一緒に作業しているために原稿にも情が移ります。内容も理解してますから、雑誌での扱いがこういう人の原稿の方がよくなってしまいます。
 本来の書き手のあり方云々とはまったく別に、書き手の処世術で言うと、できるだけ編集者に依存し、手間をかけさせた方がいいのです。でも、ここは処世術を論ずる場ではないので、あくまで原則的な話を語っていきましょう。
              *
 こういう編集者依存をする書き手は大手の仕事をやっていた人だったりして、「講談社はそうだったよ」なんて言ったりするものですから、弱小のコンプレックスで、編集者は唯々諾々と従ってしまう。でも、それぞれのやり方があっていいというだけのことですから、「うちは講談社じゃないですから」と突っぱねればよく、講談社のそういうやり方がいいのなら、「一生、講談社でやってろ」という話です。
 取材費に関してもそうです。そりゃ取材費が出ればいいに決まってますよ。取材費も出ないのに、金のかかる取材を命じられたとなれば問題かもしれませんけど、編集部の望む範囲を越えて取材をするのであれば、経費は自腹になるのはしょうがない。勝手にやっているんですから。そこに不満が生じるのもまたしょうがないのですが、経費を出せない、出さない出版社が無条件に非難される筋合いはない。
 初版3千部という話になった時に、「大手だったら1万部を刷る」なんて言っても、どうしようもないのと同じ。それぞれの出版社の考え、それぞれの出版社の事情があるのですから、それがイヤなら出さなきゃいいってことです。
 もちろん、それらの要求を書き手はしていい。これも当然です。しかし、「他がこうだから」という要求は何ら意味がないということなのであります。
 例えば、印税ひとつとってみても、いろんな数字、いろんな支払い方法があります。一般に書籍の印税は10パーセントですが、8パーセントもあれば、4パーセントもありますし、ゼロもあります。場合によっては、印税の代わりに本を百冊もらうだけということや、著者が例えば千部買い取ることを条件にすることもあります。一方で、人気のある書き手を確保するために12パーセントといった印税を提示することもあります。
 また、同じ10パーセントでも、大きく実売と刷り部数の二種があります。前者は実際に売れた部数で計算し、後者は売れようと売れまいと、刷った部数で計算です。したがって、実売計算の会社で1万部の本を出すより、刷り部数計算の会社で5千部の本を出した方が実入りがいいなんてことも当たり前に起きるわけです。同じ10パーセントでも、たいがい大手は刷り部数、中小は実売という計算になっていて、書き手が大手から出したがるのはブランドイメージや大きな部数を見込めるだけでなく、支払い条件の差によって、同じ部数でも実入りが違ってくることにもよります。
 しかし、これらもまた両者の合意の問題ですから、どれであってもいいのです。問題は、こういった合意が出版界ではしばしば守られないことでしょう。特に中小は支払いが相当ひどくなっているみたいですね。
「4パーセントでは取材経費が出なくなるので、せめて経費分だけ出して欲しい」「書き下ろしで5パーセントはきついので、8パーセントにして欲しい」といった交渉は当然あってよく、「先月までに払うという約束が守られていない」と文句をつけるのも当然です。しかし、この時に、「講談社は刷り部数の10パーセントだった」と要求することに意味はないということです。印税に正解などないのですから。もし講談社が印税4パーセントになったら、それを真似すんのかってことになります。
 例えば、ポットで本を出すという話になった時に、講談社と競合になっているのなら、そのように交渉することに意味はあります。対して、ポットはこの条件を飲めないら、「どうぞ講談社で出してください」というまでですし、どうしても出したいというのなら、その条件を飲むのもいいでしょう。
 印税でも原稿料でも、支払い条件は各社だいたいメドが決まってますけど、本来は個別に交渉して決定していいものです。雑誌の仕事でも、「今回はここまで取材するから、原稿用紙1枚3千円ではなく、5千円にして欲しい」「オレは編集部には手間をかけさせないのだから、その分、原稿料に上乗せして欲しい」といった交渉をいちいちやった方がいいかもしれない。
 これと同じく、編集者と書き手の関係は個別に決定されていいってことです。
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