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真実・篠田博之の部屋[番外19] [2001年3月10日]
真実・篠田博之の部屋
[番外19]
 話がどんどんズレてしまい、なかなか元に戻れなくなってますけど、戻る前にさらにいくつか。
 まず、「黒子の部屋」の方に出していた「イーストプレスの部屋」ですけど、いつの間にか消えていたので、こっちで「番外18」として復活させます。著作権というルールを考えるに当たっては、格好の素材でしょう。
 なお、あれに出てきた是安君は、その後、青林堂に入社しました。彼によると、小林社長に全部報告していたそうですから、やはり単に事実関係を把握していなかったがための発言ではなかったことがわかりました。
           *
 インターネットを見ていたら、私の読者である「のら猫の手」さんも書き込んでいる売買春をめぐる掲示板に行き着きました(ところが、一回見ただけで、どうやって行き着いたのかわからず、売買春、セックスワークで検索しても見当たらないため、皆さん、頑張って探してください)。しっかりと議論が進んでいて感心しましたが、「黒子の部屋」に書いたように、私は今現在、合法化の是非を論じることに、あんまし意義を感じておらず、参加する気にはなれない。
 その掲示板でも現にそうなっているように、それなりの論客が一人でもいれば、議論を進めるほどに合法化肯定に向かってしまい、合法化の是非という範囲では、もはや議論の余地がほとんどないように見えます。私とは180度といっていいくらい考えを異にする「売買春はいけない。しかし、働く者の人権や労働環境向上のためには、合法化が近道」あるいは「悪徳経営者に対抗するためには、労働運動を組織すべきで、そのためにも合法化が望ましい」といった立場さえも巻き込んでいくことになり、私が見る限り、合法化は既に自明のことと言っていいのではないでしょうか。
 それでも、インターネットをあちこち見ていると、合法化に賛同しているとは思えないような意見もかなりあるんですけど、疑問を抱く人のほとんどは、未だ議論を経たことがなく、独りよがりの解釈をしている人でしかないと言っていいかもしれません。それか、ある信念に基づいているか。
「黒子の部屋」に書いた井上聡君のように、「合法化すると、町中に街娼が溢れる」といった危惧を抱いている場合(彼は合法化に反対というわけではないのですが)、議論をしていけば、必ず誰かにその間違いを指摘されることになるか、自分で気づくでしょう。車が合法化されていても、子供が運転していいわけでなく、酔って運転していいわけでもなく、無免許で運転していいわけでもなく、私有地に入っていいわけでもなく、人を轢いてもいいわけでもないように、「合法化=無秩序の肯定」であるはずがありません。そういう合法化も想定できるってだけのことです。それどころか、「非合法・黙認」という状態の場合は、合法化により、アンダーグラウンド部分が一掃されることもあります。風営法の改正で、ホテトルに対する規制が強くなるはずだったようにです(実際にはたいして変わっているとは思えませんね。要するに警察のやる気の問題です)。
 今でも合法化に反対している人には、オカルト系の人たちもいます。いくら批判されても、彼らはいろんな逃げ道をどこまでも作り出します。「男女の経済格差によって、女がサービスを提供する側になる不均衡があって、合法化によってそれを固定する」といった論理がその典型です。今まで何度も書いているように、だったら、男女不均衡が反映されている職業はすべて否定せよ、娯楽もすべて否定せよということになりますし、不均衡を是正するために、女の買春を推奨しようということでしかなく、こんな話は『売る売ら』でもさんざんしてきているわけで、今もこんなことを言う人には、「もっと調べて」「もっと頭使って」と言う以外ない。
 そして、もうひとつは頑迷なキリスト教徒と中心とする道徳原理主義者です。道徳を守るべしという人でも、国家が道徳を規定すべきではないという点で合法化には賛成する人も多数いますが、売防法を推進した人たちのように、人権より社会の道徳が優先され、国家が法によって道徳を、また道徳を守ろうとする人を保護しなければならないという考えをする人達は、男女ともに姦通罪を制定したいというのが本音ですから、「勝手にしろ」というしかない。
「私にとっては、殺人などと並んで売春は許せないというだけです」なんて書いている人もいましたが、「私にとっては、あんたみたいな人が許せないというだけです」と言うしかなく、ほっとくしかないでしょう。
 こういった問題をひとつひとつ各自が論じていき、それぞれに考えを深めていくことこそが大事なのですから、皆さん、さらに議論をしていって欲しいのですけど、ここに私が入り込むと、たいていのことは、すぐに結論が出てしまって、あまりタメにならないような気がします。私が正しいというよりも、たぶん誰より調べ、考え、議論を経ているということに過ぎないんですけど。データもたいがい押さえてますしね。
 ただ一点、その掲示板を見ていて、腹の立つことがありました。私がウソを書いているなどと言っている野郎がいまして、それに対して、「のら猫の手」さんが反論してくれてましたが、ここでは話を整理して、二つの点を論じた方がわかりやすかったでしょう。ひとつは「私がウソをついたかどうか」、もうひとつは「私がウソをついているかどうかと、売買春の是非と何がどうして関係あるか」ということです。
 以前も同類のデマを流していた風俗ライターがいたという話を知り合いのヘルス嬢が連絡してくれて、その際にも書いたことですが、読んでいない人もいましょうから、ここで繰り返しておきます。
 一点目について言うと、私ももちろん間違いを書いたことがありまして、書いた文章について、幾度となく訂正や謝罪を出しています。改めて謝罪するようなこともなく、単行本にする際に直したり、増刷時に直したりしたケースも多数あります。実は『魔羅の肖像』の文庫でも、数字にうっかりによるミスがあることを見つけました。あくまでもミスでありまして、ウソと表現するようなものではありません。
 ミスではなく、意図的なウソを書くこともあります。これは第一にプライバシー保護のためです。静岡出身の風俗嬢を長野出身にしたり、前職が看護婦なのに学生にしたり、といった操作です。このことは前に書いたかもしれませんが、私のルールは、「有り得る範囲の変更である限りにおいて、事実を書くことよりも、プライバシー保護が優先される」というものです。つまり彼女が現にここにこうしていることに変化をもたらさない範囲であれば、プライバシー保護のために事実関係を変えてもいいということです。彼女がたまたま長野で生まれていたところで、今ここにこうしていることに特に変化をもたらさないので、これは許されるだろうと。
 ある帰国子女がいまして、本当はもっと小さな国なんですけど、国名を出すと、それだけで彼女だと特定される可能性が高まるため、「アメリカで育った」ということにしました。彼女の親の赴任先がアメリカであれば、事実、彼女はアメリカで育ったわけです。しかし、静岡生まれで静岡で育ったのに、「アメリカ育ち」となると、あり得る範囲ではなくなってきて、いくらプライバシー保護のためであっても、私のルールからは逸脱しそうです。
 つい最近のことですけど、障害のある風俗嬢を取材しました。彼女はそれを書かないで欲しいと言います。話を聞いたら、なるほど納得の理由があったため、これもプライバシー保護のため、記事では触れませんでした。かといって「障害がない」とはしません。触れないだけです。
 こういった作業を「ウソ」と表現するのなら、「だったら、どうすればいいのか教えてくれないか」と問うしかない。
 意図的なものとしては、もうひとつ演出なり脚色というべきものがあります。例えば、『熟女の旅』における長田長治との会話は、テープを回しているもの、その場でメモを残しているもの、あとから記憶の範囲で書いたものを元にしているわけですけど(何カ月も経った記憶ではなく、ほとんどは数日内に原稿にしている)、細かな言葉については、さまざまに手を入れてます。テンポをよくしたり、より笑えるようにしたり、キャラを際立たせるために言葉の順序を入れ替え、補足をし、いらないところを省くといった作業です。本人に聞けばわかりますけど、100パーセントの創作はなく、あくまで脚色という範囲であり、本人も原稿をチェックしているのですから、何ら問題が生じない「ウソ」です。
 こういった作業を「ウソ」と表現をするのなら、「はい、その通りですが、それが売買春の是非とどう関係するのでしょうか」という話です。売買春を論ずる場で、こんなことを書き込んできた以上、「松沢の言うことは常に信用ならない」とするくらいに決定的なウソを私が書いたということなのでしょうから、私としては「何をもってそんなことを言っているのか。どうぞそのウソを公開していただきましょう」という話です。実際、私は心当たりがありませんから、現段階では、「てめえがウソをついているんじゃねえか」と言うしかない。
 いるんですよね、こういうことを書く人って。「のら猫の手」さんとのやりとりを見れば、この人物は議論ができない無能さのためにこんなことを書いたことは一目瞭然ですけど、そもそも「あいつはウソを書いた」ということで、議論を省略できると考えること自体がこの人物の頭の悪さと卑劣さを物語っていましょう。
 この人物も、相手の欠点を一点あげつらうだけで、全人格、全発言を否定できると思い込んでいるわけです。なんで、そうなるんでしょうね。
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