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真実・篠田博之の部屋[番外18] [2001年3月10日]
真実・篠田博之の部屋[番外18]  ある知り合いが、イーストプレスの小林社長に会った際、たまたま私の話になり、小林社長は「ギャラが安いと言われてトラブった」なんてことを言っていたそうです。まったくなあ。100パーセントの間違いではないにしても、いくらなんでも自分らに都合よすぎる言い方です。これでは何ら自分らには非がなく、あるとしてもギャラが安いという点だけで、まるで私が金にうるさくて、それだけのトラブルみたいじゃないですか。私自身、金にうるさくありたいとも思っていて、確かにこのトラブルではギャラが問題のひとつでしたけど、その前の経緯があっての話であり、「権利関係に無頓着で、編集作業に手抜きがあったために、松沢に不要な手間をかけたにもかかわらず、その作業のギャラをケチろうとして、松沢とトラブった」とより正確に言っていただきたいものです。事実、私の主張に納得して、あちらはギャラを支払っているのです。私が間違っているというのであれば、堂々そう言って、払う必要のない金の要求を拒否すればよかっただけではないですか。
 イーストプレスとのトラブルについては、著作権無視の出版界の悪しき現状を説明する際に、名前を伏せて例として出したことがありますが、こちらが相手のことを慮って社名を伏せ字にする必要はもはやないでしょうから、あのトラブル以来、初めて詳細に説明しておきます(日記を見直せば、もっと詳しくわかりますが、それほどのもんでもないでしょう。一部経緯に記憶違いがあるかもしれませんが、大筋間違いはないと思います)。
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 96年のことだったと思いますが、ある知り合いの雑誌連載で取材を受けました(この人物を非難する気はないので、名前は伏せます。わかっちゃう人はわかっちゃいましょうが)。この際に、ついでに私も相手を取材することにして、この時は互いにノーギャラでした、たぶん。
 翌97年になって、単行本になるという話を聞き、本人から「補足取材をしたい」との申し入れがありました。雑誌の段階では、その著者が地の文章のほとんどを書いていて、私の発言はその中に入り込む程度でしたから、そのコメントをいくらか増やしたり、プロフィール部分をつけ加えるのだろうと受け取り、「補足取材」を受けました。
 ところが、本が届いてビックリ。私に関するページが12ページ続き、そのうちの9ページ強は、私の言葉だけで構成されています。つまり聞き書きです。私以外の人達も同様で、まさかこのようなインタビュー主体の本になるとは全く知らされていませんでした。
 第一の問題は事前説明がなかったことにあります。こういう扱いにするなら、事前の説明は必須であり、これは「補足取材」なんてものではなく、全く別の扱いでこちらの言葉を利用する行為です。
 本になるというのを聞いた時、私は著者に「連載分だけでは全然量が足りないのではないか」と聞き、「さらに単行本用に取材をする」というような話を聞いた記憶もあります。私の記憶ですから、あやふやではあるのですが、たぶん原稿が足りなくて、かといって新たな取材をするのも面倒になって、そのような措置をしたものと思われます。
 第二の問題は、ゲラチェックがなかったことです。もし、あのような扱いになるのでしたら、私は「ゲラチェックをさせてくれ」と申し入れないはずがありません。地の文章にコメントが入るのと違い、こういう構成の文章での権利はほぼ100パーセント話し手にありますから、私が要求しなくても、ゲラチェックが必須ではないでしょうか。
 第三の問題は、現にその内容に納得できなかったことです。内容が納得できたのであれば、ゲラチェックがないことを特に気にせずに済みます。現実には、至るところで納得できない箇所があって、正直なところ、とてもそのままでは読まれたくない内容で、エロ雑誌ならともかく、単行本ですから、先々まで残ることを思うと、耐え難いものがありました。テープを回していましたから、はっきり内容的に間違いがあるというようなものではありませんが、もしゲラチェックがあったら、数十という単位で直しを入れたはずです。自分が話した内容だろ、と言われてしまうかもしれませんが、現に私が言ったことだったとしても、これをどう出すかは話し手に委ねられるべきです。
 このような権利関係については、今までいろんなところで原稿にしてますけど、読んだことがない方もいらっしゃいましょうから、以上をもう少し詳しく説明しておきます。
           ※
 一般に、話し言葉の権利は軽視されがちです。「創」の篠田氏のように、書き言葉でさえも軽視する編集者がいるくらいで、まして話し言葉の権利なんて屁のような扱いです。極最近もあまりの軽視ぶりに、私はある本から手を引いています。
 何度も書いていることですけど、その点、小沢昭一氏は素晴らしい。『ドキュメント綾さん』という、トルコ嬢をインタビューした本の印税は五分五分だったそうです。本を買う人のほとんどは小沢昭一の名前で買っているはずであり、文章にまとめたのも小沢氏です。綾さんは話をしているだけなんですけど、それでも五分五分。この本はその後、文庫になっているのですが、元本も文庫も既に絶版。再度文庫にしたいと小沢氏に出版社が申し入れたところ、「綾さんは既に連絡がとれないので、勝手に出すわけにはいかない」と断られたと言います。著作権的に言えば寸分のスキもない正しい対処です。
 つまり、あの本は小沢氏と綾さんの言葉で構成されていて、権利は二人が平等にもっています。活字になっている言葉は綾さんの方が多いのですが、一般に話し言葉を軽視し、実際に文章化した人間の権利を重んじる出版界では、こういう場合でも、なんぼかの金を語り手に支払い、増刷分からはインタビュアの印税独り占めで、文庫化の際にも確認をとらないことがよくあります。もちろん、相手が納得しているのなら、ギャラの配分はどうだってよく、ノーギャラだって問題はないのですけど、たいがいは金額の確認もないままインタビューを行い、「謝礼」という名目で金を払っておしまいです(私もインタビュアの立場で、よくないこととは知りつつ、事前の金額の明示をしないことはよくあります)。
 それどころか、雑誌でインタビューを受けた知り合いが、無断かつ無償で、いつの間にか単行本に転載され、帯にまで名前を入れられていて、トラブルになったケースもあります。ひっでえなあ。こうなると、この頃、芸能関係でよく主張されているパブリシティ権というものにもひっかかってきます。帯や広告は宣伝用のものですから、ここで人の名前を勝手に使用することはできないわけです(法的には微妙な点もありますけど)。インタビュアも編集者もどうかしてますよ。権利関係についてはもっぱら編集者の仕事でしょうから、特に編集者がどうかしている。
 なお、著作権的には小沢氏の対応は一分のスキもないのですが、我がインタビューの目標としているあの本が現在入手できないのはあまりにもったいない。合法的に著作権者の確認がとれないまま出版することも可能であり、事前に新聞広告などを使用して綾さんの行方を探し、それでもわからなければ、文化庁に申請し、認められれば印税分の金を供託して出版すればよいのです。しかし、金も手間も時間もかかりすぎ、この本の場合は、いったん本にすること、文庫にすること自体は本人が承諾しており、かつ綾さんがどこの誰か第三者が特定できない扱いなのですから、著作権法に反しても「綾さん本人あるいは綾さんをご存じの方はご連絡ください」の一文を入れて文庫にしてもいいんじゃないでしょうか。
 小沢氏は著作権を知悉して、こういう対処をしたのではおそらくなく、綾さんがいなければ作れなかった本であり、自分は聞き手でしかないという考えから五分五分にしただけなのではないかとも想像しています。著作権法自体が本来そういう自然な感覚に基づいているわけですけど、知的所有権がこれだけ重視されつつある今の時代においても、なぜか、こういう当たり前の権利感覚は一向に浸透しません。
 それどころが、実際にやった作業量で権利が配分されるとでも思っているのか、言葉を技術的にまとめたに過ぎないインタビュアが権利を100パーセントもっているかのように思い込んでいる編集者やライターまでいて、インタビュー集に「●●●●著」と書いている例もよく見かけます。これは「●●●●編」とすべきでしょう(程度によりけりで、すべてのインタビュー本を「編」にすべきとは思いますせんよ)。確かに、インタビュアはテープを起こしたり、文章をまとめることで語り手の何倍もの時間を費やしているわけですけど、いくら手間暇かけていても、写植屋さんやコンピュータのオペレーター、テープ起こし屋さんに著作権は一切発生しないように、単に言葉をまとめただけでは権利は発生しないのです。
 さもなければ、人の講演会で勝手にテープを回して、講演者の本を無断で出してもいいことになってしまいますし、しかも、講演者ではなく、テープ起こしをした人の著書として出していいことになってしまうのです。こんなバカな話はありません。
 もちろん写植屋さんやコンピュータのオペレーター、テープ起こし屋さんがそうであるように、作業そのものにギャラは払われるべきですから、例えば対談集で、片方がまとめる作業をしていたのなら、印税とは別にそのギャラを出版社が支払ってもいいでしょうし、印税を6・4等で分けるというのもいいでしょう。
 前にも書いたことですけど、ここでも胸張って書いておくと、『風俗バンザイ』およびその文庫『風俗就職読本』で、竹子ちゃんには私の印税から、合わせて30万円を越える印税を支払っているはずです。本人は二度のインタビューで4時間程度話しただけですから、時間で考えればむちゃくちゃ効率のいい仕事です。
 また、『熟女の旅』でも、本になるなんて知らないまま交わされた日常会話と、車の運転をしながらの雑談に対して長田長治に10万円を支払ってます。長田君は作業量ゼロみたいなもんです。あの本は売れ部数の印税ですから、あーんなに苦労して作った私は長田君の2・5倍くらいの金しか手にしてません。
 二人とも当初は金はいらないとも言っていたものですが、現に二人の言葉に負うところが大きいのですから、使われた言葉につき権利をもっているのです。著作権というのはそういうものであって、作業量の問題やかけた時間の問題ではないのです。
          ※
 ちゅうのがざっとインタビューにおける権利関係です。インタビュー原稿のスタイルによってもこれは違ってきて、インタビュア自身の話し言葉や、会話文以外の地の文にはインタビュアの権利が発生していますが、イーストプレスのその本における私のインタビューは、ほぼ100パーセント私の権利ということになります。
 コメント取材という話だったのに、自分が書いた原稿だとして勝手に発表されたら腹が立つことでしょう。それを著者校もないまま単行本に入れられたら腹が立つでしょう。しかもその内容が自分の納得できないものだったらいよいよ腹が立つでしょう。それと同じくらい腹を立てたというようなもんではないのですが、意味としては同じです。
 しかも、私にとって都合の悪いことに、やはり知り合いのライターが、いろんな人が自分のセクシュアリティについて語るという本を企画していて、その本でも私は取材を受けていました。そちらは最初からインタビューということだったので、こちらの本とは別物と思っていて、その相手にはそう説明していたのに、これではまるで同じようなものになってしまいかねません。インタビューで同じような内容のものになるのはしょうがないにしても、私はそちらのインタビュアにウソをついてしまったことになります。ゲラチェックさえさせてもらえていたのなら、内容が重複しないようにコントロールもできたわけで、この点でも「おいおい」というところがありました(結局、この本はその後何も連絡がなく、どうやらポシャッたようです)。
 以上の点につき、本が届いた段階でムッとはしてました。しかし、単に素人仕事なのだろうから、いちいち指摘して人間関係をマズくするほどのことでもないかと思って黙ってました。実際、イーストプレスに限らず、その著者に限らず起こり得ることであり、私自身、十分いい加減な人間ですから。
 間もなくイーストプレスから、振り込み先を教えて欲しいという文書が届きます。そこで私は、正確には覚えてませんが、「ゲラチェックをさせて欲しかった」といったことをその用紙に書き添えます。この段階ではギャラのことは言っておらず、また、「事前に確認をしていなかったこちらも悪いので、今回はいいとして」という前提での文章だったと思います。本当の話が、一言言って、納得していただければ済むという話でした。
 これに対して、今度は著者から「出版社にクレームがあったと聞きました」みたいな留守電が入っていたため、私は[わざわざクレームをつけたのでなく、振り込み先の用紙を送った際に、意見を書き添えただけですので、お間違えのないよう]で始まる文章を書き、こういう場合の権利関係はどうなっているのか、どういう場合にどうしてゲラをチェックさせるべきなのかをも説明したFAXを送りました。この問題は、編集部の責任が大なのですが、「今後は気をつけた方がいい。さもないともっと大きなトラブルになりかねない」といったニュアンスのことを著者に教えた文章です。
 事実、「しょうがない」で済んでいたことではあるのですけど、できることなら、あのインタビューは読まれたくないので、ここで、増刷する場合は直させて欲しいとも申し入れています。だって、この調子では、増刷する際にも通告してこないだろうし、仮に文庫にするようなことがあってもも通告してこないことが予想できます。
 と、今度は是安という担当編集者から直接連絡があります。そこで再度私は何が問題だったのかを説明します。あちらは謝罪して、増刷分からは改定するという話になります。
「大急ぎでやって欲しい」と言うので、私はその作業を慌てて進めたのですが、赤だらけになって、どうにもならなくなったために、結局、全文書き直しました。初版とはまったく違うと言っていいくらいの内容で、原稿用紙15枚相当分です。
 ところが、今度は「いつ増刷になるかわからない」みたいなことを言い出し、なんでああも急いで作業をやらされたのかという話なんですけど、増刷の時期が決まらないんだろうと鷹揚に構えてました。
 結局、それから間もなく増刷になり、事前の説明がなく、ゲラチェックもなかったという問題は、一応、決着を見たわけです。初版に関しては回収してもらうわけにもいかず、これはもう泣くしかないって話です。
 しかし、まだ話は続きます。それからしばらくして、取材謝礼が支払われます。1万円です。私は15枚の原稿を実質書き下ろしたわけです。取材謝礼が1万円だとすると、あちらの杜撰さのために、私が書き下ろした作業はどうなるんだ? そのことを考えると、どうもすっきりしないのです。
 これが第四の問題であるギャラであり、ギャラのことはこの段階で初めて問題として浮上したのだと記憶します。そもそも取材謝礼ではなく、この場合は著作権使用料であるべきなのですが、その名目はどうでもいいとして、いくらなんでも安すぎるだろうと。1万というのは、私の言葉を使用していない、残りの3ページ弱の部分の謝礼相当分でしかないのではないか。
『ワタ決め』のギャラも安いですよ。定価の10パーセントが印税で、そのうちの3パーセントが編集印税。残りの7パーセントをページ割したものが執筆者の印税です(増刷分からは9パーントだったかな)。部数が3千部ですから、額だけ見ると、思い切り安くなってしまうのです。しかし、こういう編集本で、買い取りではなく印税契約をすること自体が珍しく、こういうことをしっかりやるポット出版は偉い会社です。
 対してその本では、もっと部数が多く、印税ではなく、買い取りということなのですから(それ以前に著作権を使用しているという感覚さえないと思いますが)、1万円はやっぱり安すぎる。9ページにわたって言葉を使用したことに対してのギャラとしても少なすぎる上に、私の名前を広告にも使用していて、さらには全編私は書き直しているのです。それで1万円とは、いい気になりすぎでしょう(と、また強い言葉を使ってしまってますけど、そんなに強い感情を抱いていたわけではありませんよ。「安いだろ、1万じゃ」という程度です)。
 ただし、これはすっきり「安いぞ」と言えるようなもんでもありません。この問題をどう考えるか、けっこう難しいところがあるんですね。インタビューやコメント取材を受けた際に、稀に全編書き直すことがあります。うっかり話し忘れたことを入れ込みたくなって、そのために全部を書き直すというなら、こっちの都合による直しですから、勝手にやったということでしかないでしょう。それに対して「金寄越せ」とは言えない。しかし、インタビュアが話を理解できておらず、言いたいことがうまく書かれていない、インタビュアが下手っぴいだったりして、文章がデタラメだった、インタビュアに知識がなくて間違いだらけだった、というような場合の全文書き直しについては、ちょっとひっかかるところがあります。最初から原稿を書かせてくれれば原稿料をもらえたのに、こちらが全文書き直した場合は、取材謝礼扱いの5千円だか1万円だかしかもらえないわけです。なーんもしちょらんインタビュアはその倍の原稿料をせしめているのに、なんで手間暇かけ、著作権者であるこっちは、5千円なのかという話です。
 しかし、これはインタビューなりコメント取材なりと知っていて受けた以上は、やむなきことであり、これがイヤなら受けなければいいという話です。だから、実際、私はコメント取材とか受けなくなっているわけですけど。
 で、イーストプレスのその本のケースでは、そもそもインタビューをそのまま原稿にする聞き書きスタイルであることの合意がなかったのですから、書き下ろした私の原稿はあちらのミスによって、やらなくていいことをやらされた特異なケースとも言えます(仮に事前の確認があり、ゲラチェックがあったとしても、結局全文直したでしょうから、「やらされた」とまでは言えないにしても)。
 取材謝礼については、確認しなかったこちらにも責がないわけではないのですから、これはいいとして、また、第一の問題、第二の問題、第三の問題については、いまさらとやかく言ってもしょうがない。これも今後のために理解さえしてくれればいいとして(なんで編集者の社員教育を私がやらなければならんのかという疑問は残りますが)、全文書き直したことに対しては、別途、原稿料を支払って欲しいと私は申し入れます。
 これに対して、おそらく社長と思われる小林という人物から、改めてページ割で計算し直したギャラを払うとの申し出があり、私は金額は任せると回答し、あちらの申し出通り、ページ割のギャラ(確か2万円代か3万円代)を払ってもらい、こちらの問題も一件落着。
 この際、小林氏は謝罪に来るという話だったのですが、[互いに忙しい時期ですので、わざわざ御足労願うまでもないかとも思っております。年末進行を終えて、暇になったら、またいずれお会いしましょう]と私は返事を出しました。
 以来、この会社とは何のお付き合いもありません。社員のお父さんに岡山のバス停で世話になったくらいです(「黒子の部屋130」参照)。
          ※
 どう考えたって、あっちに非がある話だと思いますよ。謝罪に来るとまで言っていたくらいで、あっちもそれを認めていたはずです。しかも、すっきり解決済みの話であって、まさかいまさらこんなことを改めて説明することになるとは予想だにしてませんでした。
 ところが、3年もすると、事実関係をすっ飛ばして、あたかも単にゼニ欲しさのクレームだったかのようにとらえられかねないことを言うのですから、カチンときまずぜ。
 あるいは、こちらが説明したさまざまをあっちは最初から何も理解しておらず、「金欲しさにクレームつけてきたライター」としかあの時から思っていなかったのでしょう。何言っているかわかんねえけど、うるせえから金払って、頭も下げておこうと。こんなことで謝りに来るとは、なんと丁寧な人だろうと評価さえしていたのに、とんだ買いかぶりでした。
 今まで、これについて極親しい数人の人には簡単に説明したことがありますが、解決して以降、特に感情的なしこりもなかったので、実名を出して書くべきことでもないと思ってきました。しかし、これを「金が安い」と私が文句つけただけのトラブルであるかのように言う出版社とわかった以上、「仕事の手続きが杜撰で、かつそのことの反省のない出版社」として事細かに語っていくしかない。わざわざ積極的に語ろうとも思いませんけど、聞かれたらそう答えますし、必要とあらば、当時の文書もお見せしましょう。
 言わなければわからないという人も多いので、こういう場合、私は極力説明をして、せめて自分の周辺だけでも、仕事がスムーズにできる環境を作りたいと考えます。さもなければ、ライターの労働環境は一向に向上しません。また、書き言葉であろうと話し言葉であろうと、創作性のある言葉を紡ぎ出す行為への正しい評価をしないと、自ら創作的な行為をするのでなく、誰かがその行為をやることを虎視眈々と待って、横から掠め取る行為ばかりがまかり通り、それに対する正当な報酬が払われないいことになってしまう。
 でも、いくら言ってもわからん人はわからんのですよね。出版社に対して、如何に不当なことをされようとも黙りこくり、事前のギャラの確認さえしない書き手が多いのは、このような出版社が現実にあるからです。反省のないまま、セコい書き手、うるさい書き手として吹聴されてしまうだけなのですから、言うだけ損です。実際、ライターの皆さんは、飲み屋でグチは言うくせに、編集者の前では思い切りニコニコしますからね。
 こんなことなら、絶対に忘れられないように、本の回収とか求めればよかったですぜ。なんてことまでやる暇はないですから、こういう出版社とは二度と関わらないかしか対処はありません。
 なお、この話を私に教えてくれた人物は、イーストプレスから仕事の話があったそうで、私に相談の電話をしてきた際に、このことがたまたま出てきただけで、悪意があって私に伝えたわけではありません。あの当時は至って冷静だった私ですけど、今回はそれを聞いて感情的にもキレまして、その人物に事実関係を正確に説明。彼は、「なんだ、そういう話だったのか。担当者が社長に正確なことを伝えておらず、社内では松沢さんが“ギャラが安い”と文句をつけたという話になっていたんだろう」と社長を弁護していました。面倒なんで、私はそれ以上否定しませんでしたけど、経緯を知らないはずがありません。
 私はその相談には、このことと無関係にアドバイスをしましたが、「もしやることになったら、松沢さんは協力してくれるか」と聞くので、「社長がそんなことを言っている会社と仕事をするのはイヤだ」と答えました。あっちも金にセコくてうるさいライターと二度と関わりたくないでしょう。
 同様のことを社長が他でも語っている可能性があるため、この回は当面出しておいて、名誉の挽回をします。
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