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真実・篠田博之の部屋[番外10] [2001年1月16日]
真実・篠田博之の部屋
[番外10]
 今回は、書き手の名前、批判対象の名前についての話です。
 まず書き手の名前ですけど、出した方がいいとは言えますが、絶対に出さなければならないというものではありません。前に「黒子の部屋」でも書きましたが、一個人がより大きな存在と闘う場合、常に名前を公開しなければならないとなると、ほとんどの人はためらうことになりましょう。特に、自分が属している組織の内部告発をする際に、名前を公開しなければならないとなったら、即追放ということになりかねません。ほとんどの企業の内部告発、あるいは警察の内部告発のようなものは、どこの誰かわからないようにすることで初めてなされるってものです。
 この場合にも、名前を出した方がより好ましくはあります。デタラメばかり並べた怪文書のような類いのものもありますから、どこのどういう人なのかが明示してあれば、その信憑性も高まり、名前を出すくらいの覚悟ができているということで、信じる気にもなれます。従って、より効果的ということになりますが、「常に出さなければならない」というものではないわけです。
 個人的には、反論ができさえすれば、名前を明示していないことをことさらに非難されるべきではないと思っています。雑誌の無署名記事では、どこの誰が書いているのかまではわかりませんが、無署名記事の責任は編集部がとるべきものですから、反論があれば編集部に送ればよく、編集部がその回答をすればいいわけです。もちろん、毎日新聞社のように、編集部原稿であっても、個人名を記すようにする方がより好ましいことは言うまでもありません。
 インターネットでも、原則としてはこれと同じように考えていい。反論を書き込むことができないというのでは、「創」と一緒で話になりませんけど、当事者あるいは第三者の反論ができるようになっていれば、匿名もまた許されるべきでしょう。ただし、反論ができないように、いろんなところに次から次と書き込むというのは非難されてしかるべきですし、自分の名前を晒すことで、特に不利益を生じないにもかかわらず、自分がどこの誰か晒さずに誹謗中傷の類いをやるのは、卑怯だと言われても仕方がない。
 例えば、風俗店の人がよくボヤいていますけど、「どこどこの店の誰々はサービスが悪い」なんてことを書き込むのがいるわけです。店の人達が言うように、こういう書き込みは、しばしば女の子に思い入れて振られたり、本番を迫って罵倒された客が腹いせにやっていることがあります。何も本名や現住所を出せというのでなく、せめて、いつ来たどの客であったかがわかれば、店としては、「ああ、あのストーカーめたいヤツか」とわかり、「おまえがそもそもルールを逸脱しているんじゃないか」と反論もできましょうし、「いつも来てくれている、あの客がそう言うなら、現にサービスが悪かったかもしれない」といったように、反省することもできますが、ただ悪口書かれても対処のしようがなく、これでは単なる営業妨害です。
 先日、たまたま見たのですが、インターネットで風俗遊びの日誌を書いている人がいて、店の名前から、女の子の名前、行った日付までをしっかり記載して、その子を指名した回数までを書いていて、感心しました。週に一回は遊びに行っていて、その熱心さとともに、それを見る限り、ルールに則った遊びをしている人のようで、どの誰かまではわかりませんけど、店の人や女の子なら特定できましょう。この人なら、たまたま相性が悪かったのか、あるいは手を抜いているのかくらいの見極めもできましょうから、この人が「サービスが悪い」と書けば、やっぱり説得力があるってもんです。
           *
 続いて、批判対象の名を明示するべきか否かです。
「DSJ」の久田君に、「DSJ」のリレー連載「ダメ編集者列伝」は批判対象の実名を出すべきではないかと何度か提案しています。読んでいない方に説明しておくと、これはライターが、それぞれに体験したダメ編集者のことを書くページです。書き手による編集者批判、出版社批判がなかなか出てこない中で、このページは画期的とも言えるのですが、ここまで誰一人、出版社の実名、個人の実名を出している人はいません。
「一般的に、編集者のこういう言動は書き手に嫌がられる」という教訓を知らせる目的なら、批判対象の実名を出す必要はない。私もそう思わないではありませんし、批判のすべてにおいて実名を出すべきとも思いません。しかし、ここでもやはり「批判対象の実名は出した方がより好ましい」とは思っています。なぜかと言えば、議論が起きやすく、誤解があったら訂正しやすいためです。
 例えば、「松沢呉一は風俗店から車代を受け取っている」と誰かが書きに、私がこれに反論をする意義を感じたのなら、そうすることでしょう。しかし、「風俗ライターのMは風俗店から車代を受けとっている」と書かれていたら、私は反論のしようがない。「オレじゃないな」と思うだけですから。書き手が私のことを指しているのだとすると、書き手の誤解はいつまでも温存されてしまい、読者によっては「ラッシャーみよしか」「永沢光雄のみつおもMだな」と解釈して新たな誤解を生みます。永沢さんはお車代をもらった体験を書いてますから、誤解じゃないですけど。
 ここで仮に「『え●え●』『魔●の●肖●』などの著書があり、『アサ●●能』などで仕事をしている風俗ライターのM」とあったら、限りなく私である疑いが強まり、第三者にも私だとわかりますから、こうなったら私は反論するかもしれず、反論権の当事者として認めてもらえるでしょう。しかし、伏せ字がもうちょっと増えて、私であるかどうか微妙なラインになると、反論権の当事者であるかどうかも微妙になって、「反論しても掲載してくれないかも」と思ってしまうかもしれません。
 だったら、よっぽど「松沢」と明記してくれた方がいい。私はそれに反論し、相手が根拠なくそいったことを書いたことを明らかにして、その書き手が如何にいい加減であるかも明らかにできます。
 この場合は立証が容易ですからいいのですけど、時には、第三者を巻き込んでの論争が必要とされることもある。これ自体、私は歓迎すべきと考え、それを導くためにも、当事者の反論ができやすくした方がいい。
 ここにおいて、反論権を確立することは不可欠です。「創」のように、名指しで批判しておきながら、反論は載せないというのでは、批判された側はたまったもんじゃないでしょう。
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 現実には、公然と自分の名前を明かし、批判対象の名前をも出す人は少ない。
 私自身、名指しで批判しないことはいくらでもあって、その事情を考えてみるに、まずは、相手がどこの誰かわからない場合です。電車の中で見かけた人間の振る舞いを批判する時に、いちいち「あなたはどこの誰ですか」と聞きはせず、聞いたところで教えてはくれないでしょう。
 続いては、単なる制裁になってしまう場合です。電車の中で見かけた人が名刺を落としていき、どこの誰かがわかったとしても、私はそのことを書きはしない。その人物がどういう人で、どういうことをやったのかにもよると思うのですけど、酔っ払ってゲロを吐いた、ありふれたサラリーマンであれば、個人名は出さない。会社名や個人名を出して、相手が「酔っ払っていたのでしょうがない」と反論することができたとしても、会社としては「イメージダウンだ」としてその人を左遷にしたり、子供が学校でいじめられるのは、たかがゲロの制裁としては過剰です。
 しかし、この人物が石原都知事だったら、私は名前を書きます。税金でメシを食っている以上、私生活においても節度ある行動を求められるのですし、名前を出すことでメシを食っている立場の人は、第三者に名前を出されることの覚悟もすべきです。
 また、ここで、実名を出すか出さないかは、反論が容易か否かにもかかわります。石原都知事であれば、定例の会見の場で、「ゲロを吐いたのは事実だが、松沢という男が書いているように他人の顔に吹きかけた事実はなく、せいぜい飛沫がかかっただけだ」と弁明すればいいだけであり、しばしばその言葉は無名エロライターよりも尊重されます。
 対して、一サラリーマンにはそのような場がない。反論権ということ自体を知らなければ反論する術がなく、そういう場を与えられたところで、要領よく反論が書けるわけでもない。結果、泣き寝入りしやすい。
 これは実名報道か匿名報道かの議論にもかかわってきます。反論権が確立されている状況下では実名報道もありですけど、そうじゃなければ匿名報道が好ましいと思っています。もちろん、政治家などの公人は常に実名報道であるべきです。
 また、マスコミに関わるものはすべて準公人とすべきであり、名前を出されてもやむをえないとも私は思っていますから、マスコミの人間だった場合も、公務員同様に、実名報道されても仕方ないでしょう。
 さらに、私が批判対象の名前を出さないことがあるのは、公開を前提としていない言動についてです。公道や電車の中での行動はすでに公開したものと言っていいでしょうが、知り合いが喫茶店でダベッていたことを許可なく公開するのは、あまり適切ではありません。批判という取り上げ方じゃなくても、そのことを公開することによって本人に不利益が生じそうな場合は、本人の許諾を得るか、匿名にします。
 この際、あえて、それ自体を批判するというよりは、ある教訓なりなんなり、普遍的な何かをそこから引き出そうとする場合はいよいよ匿名にします。
「黒子の部屋」に書いたように、かつて私は名前を伏せて、イーストプレスとのトラブル(トラブルというほどではないんですけどね)について触れたことがあります。この段階では、イーストプレスと私の間では解決を見ていたために、改めてこのことを公に批判する意味がありませんでした。しかし、出版業界一般にインタビューにおける著作権について理解されていないことを説明するには格好の素材であったために、この話を利用したわけです。
 対して、「黒子の部屋」で、名指しにしたのは、あちら側が第三者に誤解される形で話していたためであり、もはや二者間の間で解決できる問題ではなく、かつ相手が反論できた方がいいためです。
「週刊実話」も同様です。あれは既に公開された記事に対する批判ですから、公開でやるのが望ましい。問題になった記事を明示することで、第三者も検証が可能になり、第三者が議論に加わることもできるようになるわけです。
 拙著『魔羅の肖像』にも書いてあるように、引用のルールを守るべきなのは、単に法律で定められているからではなく、また、出典への敬意だけでもなく、読者のためでもあるのです。そこに書かれたことが正しいのかどうかを第三者が検証しようと思っても、どこの本にそんなことが書いてあるのかがわからなければ、調べようがないではないですか。
 また、私が批判対象を匿名にすることがあるのは、根拠が曖昧なためでもあったりもします。誰かに聞いた話を元に批判する場合、本来は裏をとって確証を得てから批判すべきでしょうけど、そこまでやる必要がないもの、そこまでやる暇がない時は、匿名にした上で、批判します。はっきり言って、褒められたことではありません。
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