今回は、前回こぼれたものを取り上げます。瑣末なことも入ってますが、瑣末なところでも、確認行為を怠る篠田氏のデタラメさがふんだんにちりばめられていることを見ていきましょう。
●「感情的」ということについて
これについては以前別のところでまとめて文書を書いているのですが、ほとんどの方は読んでいらっしゃらないでしょうから、改めて書いておきます。
結論を言うなら、感情的で何が悪いのか、であります。文章を無断で削除され、写真を無断で外され(これについては次回、たっぷり論じますが、彼らはこれまで長々と著作物の無断複製をしてきたことを認めてきましたので、話はいよいよデカくなっています)、感情的にならないではいられない。
また、感情的な文章だからといって、感情的に書いていると見るのはずいぶん浅薄でしょう。竹中労のケンカ文体は感情的文章でしょうけど、論理は至って冷静です。
『教科書が教えない小林よしのり』をお持ちの方は読み直していただきたいのですが、宅ちゃんはよく「殺す!」と書きますし、私は「死ね!」と書きます。私らは冷静に、時には口元に笑みを浮かべてこういうことを書いてます。対して、切通理作の通称「爆発原稿」はどうだったでしょう。文章は一見丁寧ですが、論理性ゼロでした。そういうもんなんですよ。今も私は常々「篠田、死ね!」と願い続けてますが、そういう時はやっぱりヘラヘラ笑ってます。腹が立ちながらも、篠田氏の論理性なき文章って笑えますもん。
感情的な文章でありながら、論理性や事実認識は遥かに私の方が篠田氏より冷静であると思いますよ。そのことは、ここまで書いてきたことだけでも十分おわかりではないでしょうか。私が篠田氏を「死ね!」と書くことと、篠田氏が私の著作物を現に殺したことと、果たしてどちらのモラルが問われるべきなのでしょうか。
感情的文章であることが論じ合うことの障害になるわけではないことは、篠田氏自身がわかっていることです。篠田氏は、ここまでの2カ月以上対応を見合わせ、しかし、ここに至ってあのような文書を出してきたわけですが、言うまでもなく私の文書は今も感情的です。この部分は何ら変わっていないにもかかわらず、あのような文章を書いてきたのですから、私の文章が感情的であろうとなかろうと、回答をすることにおいては何の支障もないということです。
しばしば論理で対応できない人は、相手が感情的であることを非難しようとします。いくらそれを指摘したところで、「おまえのかあちゃんデベソ」という話と何ら変わらず、問題の解決には一切ならないことを皆さんよく覚えておいてください。
●「介入」という言葉について
これについても以前同様のことを篠田氏に説明してます。共同作業が成立している原稿において、篠田氏が発言することは共同作業の一環としてとらえることができるでしょう。しかし、共同作業が成立していなかった私と「創」編集部において、突然(まさに突然だったのです)、編集長に「売買春はもういい」と言われ、その説明として、[真意が伝わらない][単なるオヤジの居直りで言っているだけととられる][これ以上、売買春否定派を批判するのは気が進まない]などと文書ではっきり突き付けられたのなら、とても無視していい感想などでなく、内容を変えることを求めていると見なして当然です。これを介入と呼ぶことに何の問題があるのですか(○)。
●私が思い込みを事実であるかのように書いたとする件について
非公開の篠田氏の文書を無断転載することができないため、これまでは要旨を書くなり、著作物には至らない範囲での転載をしてきました。そのことが篠田氏はお気に召さなかったようですけど、しゃあないじゃないですか、承諾の返事をくれないんだから。これについては、今後原文通りの引用が可能になりますので、かなりまで誤解は避けられましょう。
「創」編集部にはカッコの種類を勝手に変えられたことが何度もあり、私は編集部に対して、引用では「」ではなく、[]を使用していることを説明したはずです。これは、原文通りの引用と、それ以外とを区別するためで、このことは、今までいろんな原稿でも繰り返し説明してますし、実際、この「黒子の部屋」でも実践してきています。したがって、「」を使用した場合は、引用ではないことを理解できるかと思うのですが、篠田氏はできなかったらしい。
篠田氏が問題としている[投稿を掲載しなくても誰もあんなクズライターの言うことなんて聞きはしない」という判断があったわけで]という箇所は、一連の私の読みを書いた流れで出てくる箇所であり、どう考えても推測であることははっきりしていると私は思うのですが、そう思えなかったらしいので、今後はより明確に推測であることがわかるようにしましょう。
なお、[バカにしくさった態度]というのは、原文を読んでいただければわかるように、この一文を指しているのではなく、[「噂の真相」に批判が出ると知ると、素早く編集後記で弁明したあの人も、無力なライターの投稿なら、せせら笑って無視するわけです]という文章を指します。事実関係からして、こうとしか私は今も思えませんが、[せせら笑って]は余計かもしれませんので、ここはあくまで推測であることをわかりやすくするため、[たぶんせせら笑って]と訂正しておきます。
では、私も篠田氏には、「人に言う以上、自分もルールを守ってはどうか」と言っておくことにしましょう。篠田氏はカギカッコに入れた部分は、発言なり文章なりを正確に再現したものと認識しておられるようです。[篠田は売買春というテーマを否定した]と私が書いたそうですけど、私がいつどこで書いたものなのか教えてください(○)。
ここまで繰り返し指摘してきたように、カッコでくくってないにしても、思い当たらないことを繰り返し書いており、是非ともこういうことはおやめください。そのためにも自分が書いたことをもう一回読んでくださいよ。
●私の文章に出てきた個人名の削除を求めてきた件について
[全然関係のない話の中に突然、対立しているらしきライターへの悪口を書いてきたことが複数回ありました]と篠田氏は書きます。個人名の削除を求められたのは正確には連載と単行本で2回あって、それぞれ[全然関係のない話]ではありませんし、本人から反論があればいくらでも反証する用意があるものです。そのひとつは、本多勝一氏をめぐって永江朗氏について批判したことで、永江氏とは本多勝一氏をめぐる言論において意見の相違がありましたが、だからといってこんなことで私は[敵対しているライター]と見做すようなことはありません。
事実、この時に篠田氏が言ってきたのは、「同じ号で原稿を頼んでいる人を批判するのは申し訳がない」というものであり、純粋に編集部の都合でしかないのです。思いやりだか、気遣いだかなんだか知りませんが、悪口だの、文脈と関係ないだのという理由を私は一切告げられていませんし、文脈ぴったりの話です。したがって、この「複数回」には入りようがありません。篠田氏には、この表現に該当する「複数回」というのは一体誰と誰のことなのか指摘してもらいましょう(○)。
私の記憶する限りでは2回しかないのですから、複数回とする以上、ここに永江氏のケースが含まれているとも思え、たかが、たったひとつの意見が異なるだけで、篠田氏は「敵対するライター」と見做すんでしょう。この時のことと、私の文章を無断削除したことを対比させるということは、「ギャラを払ってやっているオレの批判をするのは申し訳ないと思わないのか」とでも言いたいのでしょうかね(これって、推測したものだってことくらい、わかりますよねえ)。
●私が「全面撤回して全面謝罪をしろ」と書いたというデマについて
篠田氏はご存じないのかもしれませんが、「お部屋105」って、今も読めるんですよ。過去に自分が書いた文章がどこに保存されているかもわからない管理能力ゼロの篠田氏だって、すぐに確認できるんですから、しっかり読んでくだせえよ。篠田氏のせいで、またまた原文を私が引用する手間をかけることになっちゃうじゃないですか。まあ、いいですけどね、篠田氏が杜撰でデタラメな記憶力しかなく、論理性と倫理観と読解力が欠如し、悪意に満ちた人間だと読者によくわかるだけですから。
私は篠田氏がどう反応するかについての可能性をあそこでいくつか列挙しています。そのひとつとして、[ここまでの自分の発言をすべて撤回し、謝罪するという手があります]と書いています。篠田氏の言い分によれば、私は篠田氏に「全面撤回・全面謝罪」「私の投稿を掲載して、その意義を薄めるためのウソの投稿をする」「ただ投稿を載せて、あとは黙りこくる」ということをすべて同時に要求していることになります。オレって何者?
現実に私が要求していたのは、投稿を掲載することであって、それ以上でも以下でもない。私は、篠田氏が議論を公開でやることを望まない人だろうとの感触を得ていましたから、可能性の中に入れなかっただけで、この時点で私が最も望んでいたのは、公開でやり合うことです。私が議論すること、その経緯を読者に知らしめることを望まず、ただ「全面撤回・全面謝罪」を求めているのなら、なんで投稿してんの? 表に知られないように篠田氏を食事にでも誘って、「篠田さんさあ、これ以上私はとやかく言わないから、全面撤回・全面謝罪でもしない?」と交渉するでしょうよ。都合が悪くなると、食事や酒に誘って懐柔しようとするオヤジみたいにさ。
原文を確認せずに、ここでも改竄された記憶で文章を書いただけでしょうけど、念のために聞いておきましょう。どこで私が全面撤回・全面謝罪を求めているのでしょうか(○)。
●「噂の真相」について
そうでしたか。「BUBKA」8月号掲載・宅八郎「やっちゃえ!OK」特別編における篠田氏のコメントを見ると、篠田氏は「噂の真相」に、醜いと言えるほどの相当の悪意を抱いているのだと感じてましたが、誤解だったようです。
読んでない方に説明します。「噂の真相」編集部で、右翼が暴れた事件について、「噂の真相」が警察に通報したことについて批判的な宮崎学氏の言葉を篠田氏は宅八郎に語っています。さらには、四十人の右翼に囲まれた時に警察を呼ばなかった自分の体験をも篠田氏は宅八郎に語り、直接ではないにしても、「噂の真相」を結果批判してます。
そういう考えをもつのはけっこうですが、「噂の真相」では暴力事件が起きたのであり、ケガ人も複数出たのですから、何十人であろうと右翼に囲まれても通報しなかった自分をここで例に出すのは何の意味もなく、悪意や自慢以外の何物でもないと私は感じたわけです。だって、四十人の右翼が囲むこと自体は違法行為じゃないですから、警察を呼んでどうなることじゃないですもん。
悪意や自慢以外の何がこのような意味のない言葉を言わせたのか私には想像がつかず、こんなことを、「噂の真相」を快く思っていないライターの取材で堂々述べる篠田氏が、「噂の真相」の人間に私について問い合わせたところで本当のことを語るはずもないと思うのですが、篠田氏は私が思っているような関係ではないと言うので、ああそうですか、というしかないですね。
建前上は友好関係にあると見せながら、本心では互いに快くは思っていない関係だと私は感じていたのですが、この部分については撤回します。
●雑誌の送付について
篠田氏は[5月号が送られてきたけど読むのも不快で放っておいた、と書いていたので、送付をやめたわけです。つまりこちらからすると、もう送らないでくれ、と言われたと解釈した]と書きます。
原文はこうです。
[腹立つので、あの号は封も開いてなかったのですが、つい10日ほど前に、知人が教えてくれ、見てビックリ]
腹が立ちつつ、私はこうやって読んで、有効利用しているわけです。どうして、記事に腹がたってしばらく読まなかったと表明するだけで、[もう送らないでくれ]となるのかわかりません。しかも、この号で篠田氏は私の文章を批判しているわけですから、仮にこれ以降送らないことにするとしても、この号だけは確実に送るのがルールでしょう。
[雑誌を送っては非難され]ともありますが、送った行為自体をいつどこで非難してるかな(○)。
こんな敏速なことをするのに、仕事上では、どうしてやらなければならないことを「創」の方々はやらないのですか。送らなければならないものを送ってくれないのですか。払わなければならないものを払わないのですか。
●投稿について
[投稿については、松沢さんがこのHPに書いているのを読んで趣旨は理解しました。反論する場合のルールまで書いていたので、誌面で延々論争させろという要求かと思っていたのですが、そうではなかったようなのでこれも考えてみます。ただ投稿自体の中で「掲載する予定だった写真を無断で外し」とか事実誤認が出てきますので、あのままでは難しいと思います]
激怒であります。写真の扱いがどのようなものであったかについては次回念入りに説明して、篠田氏および担当編集の厚顔さと、その責任について激烈に批判し、正当なギャラの支払いを要求をします。こうまで愚劣な人々であるとは想像してませんでした。
次回を読んでいただければ、篠田氏の言う「事実誤認」というのは自分に都合の悪い事実を意味するだけの言葉であることがよくわかるでしょう。
篠田氏が私の投稿に対して、またまたいい加減なことを書いてきたら、それに対しても私は反論するのですから、もちろん延々と論争が続くことはありますよ。それが議論というものであり、私が一回こっきりで意見を表明し、それにデタラメ書いていいのが反論権ではあるまいに。でも、篠田氏のこの文章によると、一回こっきりという前提でしか反論させないそうですよ。
なんにしても、ここまで縷々述べてきたように、篠田氏と私の間には、認識の違いが多々あります。それを公開することで、読者に判断させるためにこそ反論権は認められるべきなのですが、その議論を経ないで、主観で[事実誤認]と決めつけて、反論を封殺するのが裁判官・篠田氏です。つまり、自分が不利にならないもののみを掲載するという点で徹底しているのです。
また、[考えてみます]なんて悠長なことを言っている場合ではないでしょう。もちろん今後も私は投稿を掲載すべきと要求し続けますが、こうなると、掲載が遅れたことについて批判する投稿を掲載しないわけにはいきません。篠田氏は、私の原稿と同時に釈明の文章を掲載しているくせに、こちらの投稿は批判対象の原稿の翌月にさえ掲載していないのですよ。何カ月遅れたって載せさえすればいいというのであれば、私の原稿に対する異論がいくらあろうとも、いつものように何カ月もボーッとしていればよかったわけで、なんで最終回に慌てて掲載しなければならないのですか。自分が世界の基準になるのはやめてくれないものか、裁判官さんよ。
皆さん、次回をお楽しみに。
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