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真実・篠田博之の部屋13 | [2000年11月23日] |
真実・篠田博之の部屋13 | では、前回の解説編です。 村上初一著『毒ガス島と少年』(1998年/自費出版)を読んでいたら、篠田氏のお仲間が出て来たので、ご紹介しておきます。 著者は、日本軍の毒ガス工場があった広島県の大久野島で、戦中働いていた人物。戦後は忠海(ただのうみ)町、続いて竹原市の役所に勤務し、1988年に毒ガス資料館の館長に就任、1996年退職。 本書は、毒ガス島での体験や毒ガス資料館について書いたもので、最後の何章かは、毒ガス製造に従事させられた被害者の立場でこの問題をとらえていた著者が、中国では実際に毒ガスが使用され、今も破棄された毒ガス兵器の犠牲者が出ている話を知るに至り、加害者としての側面に気づいていく過程が描かれています。 [資料館のパンフレットの作り替えに伴い、私は、掲載する「あいさつ文」を市から依頼されました。出来上がってみると、私の書いた文書の「戦争の被害者・加害者の立場から恒久平和を希求し…」の一説から「戦争の被害者・加害者の立場から」の部分が一方的に削除されていたのです。/毒ガス工場で働いた体験を通して化学兵器廃絶を訴えている私は、竹原市に対して「竹原市は日本の戦争責任に言及するのを避けているとしか考えられない。戦争責任を避けての平和学習はあり得ない」と強く抗議しました。これに対して竹原市の説明は「削除しても意味は変わらないと思い文章を簡潔にしたまでで、訂正するつもりはない」とのことでした] これに対して市民の抗議も相次ぎ、[姑息で、陰湿な市当局の小細工を、絶対に排撃します]といった抗議文が紹介されています。 [削除しても意味が変わらない]として、姑息で陰湿な小細工をやらかした市当局は、文脈に変更が出ないからと、私の原稿を削除する選択をした篠田氏のお仲間というわけです。実際、篠田氏は、竹原市当局の措置を支持する人なんだと思いますよ。テーマは違いますが、都合の悪いことは削除してしまえばいいという考えは、まったく一緒。その言い訳も一緒。決定的な違いは、原稿の著作権を所有するであろう市当局が削除した行為は道義的、倫理的な問題があるだけなのに対して、著作権上の権利を一切もっていない篠田氏が原稿を削除したことは著作権法に抵触する犯罪行為である疑いが濃厚という点にあります。 * 『毒ガス島と少年』では、加害と被害という話がテーマになっていますが、篠田氏と私のやりとりにおいても、これは通底します。 このトラブルの第二部は、篠田氏が文章を改竄したところから始まります。二度にわたる改竄は、これ自体法にも触れ、法律を抜きにしても書き手と編集者の関係においてやってはならない行為であり、謝罪に値することは、篠田氏が既に認め、その主張の細部においてはお話にならないにしても、現に謝罪した通りです。それだけのことをやったのですから、私が非難するのは当然ですよね。 それを自分の連載で指摘したところ、篠田氏は私の写真を外して弁明してきました。これもまた著作権侵害であると私は主張しています。原稿に添えられる図版にも著作権があるのは当然です。私の連載においての写真は、文章と不可分に結合し一体化したものとまでは言えませんが、その関係は密接であり、一度として図版が出なかったことがないことでわかるように、雑誌連載においては不可欠な存在です。マンガにおける絵とセリフの関係というよりも、絵物語における絵と文章、歌謡曲における歌詞と楽曲の関係に近いものでしょう(程度の違いはあれ、関係性としては)。それぞれ独立して成立するにしても、写真で文章の内容をよりよく説明したり、補足する関係にあり、読者はその写真からも情報を得ています。 仮に不可欠な存在であることを証明できないとしても、ここまで見てきたように、大前提として私が撮った写真を使用することになっていましたから、契約書などなくても、文章とは別に、毎号、私の著作物を独占的に複製・頒布するという取り決めがあったと見做せ、それを無断で外すのは、連載原稿を掲載しないのと同様の不当・不法な行為と言っていいでしょう。 裁判になったとしたら、議論の余地があるでしょうが、私は篠田氏の行為は著作権侵害に該当すると確信してますし、その傍証はいくつも挙げられます。 なお、ここで私が法的解釈までを出しているのは、積極的に裁判を起こそうとしているためではありません。篠田氏が裁判を準備しているらしいので、こちらも対抗上、著作権侵害の裁判を起こすしかなくなる可能性があり、その際に、裁判が絶対と思い込んでいるらしき篠田氏とは違い、メディア上での議論を十分に経ずに裁判を起こすことへのためらいがありますので、ここで私は議論の素材を十二分に提出しておきます。これに対しての議論を放棄したのなら、私が提訴することも合理的でしょう。 このことを見ても、篠田氏が2号連続著作権侵害をやらかしたことの反省など何もしておらず、新たな著作権侵害をやってまで、ただただ自分に都合のいい弁明をしたかっただけであることは明白です。[手続き的なこと]という例のごまかしの表現で謝罪したフリだけをしたことや、私の投稿を封殺したことでもこのことはよくわかります。 「松沢呉一さんとの件について・4」に[松沢さんに理解してもらえず、松沢さんが『創』誌面での謝罪がまだなされていなかったと思っていたらしいこと]とありましたが、誌面での謝罪というのは、私個人のみに向けたものではないのですから、読者も理解できなければならず、篠田氏は[手続き的なこと]という表現で、篠田氏が私の原稿を改竄した事実まで理解できて当然と考えていたことになります。どうかしてますよ。 読者アンケートをとってみてもいいのですが、[手続き的なこと]で、改竄したことの謝罪になっていたと理解できる人ってゼロでしょうよ。ごまかしの謝罪をしたことについては、読者にだって謝罪しなければならないんじゃないですか。そんなの必要がないという考えもありましょうけど、テレビの謝罪を批判する篠田氏には、そんな言い訳を決して口にさせまい。 確かに、公開の場で、篠田氏に対する批判を先に始めたのは私です。しかし、これはあくまで言論上のことであり、第二部の主要テーマである三度の著作権侵害は、篠田氏が主体となって行った行為です。それに対して私のインターネットでの批判があり、投稿があるのであって、12月号で現に謝罪したように、それまで謝罪すべきことを謝罪せず、そればかりか「黒子の部屋」を「創」誌面で一方的に非難し、投稿を封殺するような行為が問題をこじらせたわけです。 私自身、個々の言論について「攻撃」という言葉を使用してますが、これは冒頭の竹原市への抗議の中にあった「排撃」という言葉と同様の使用法であり、「反論」「批判」「抗議」を強めたレトリックであることは誰にでもおわかりになりましょう。これに対して、竹原市側が「市民の排撃について」「市民の攻撃について」との文書を公開したら、いよいよ叩かれるでしょう。「てめえら、自分がやったことをわかっているのか、被害者ヅラしている場合か」ってもんです。加害者が加害者たる自分を認識していないと言われても仕方があるまい。 「松沢さんの攻撃について」というタイトル、「事実無根の言いがかり」「私怨に基づくと思われる攻撃」「事実誤認だらけ」「暴力そのもの」「丸ごと無根」「嫌がらせとでも言うべき攻撃」という言い方からすると、そもそもご自分のやった行為があって初めて私の「攻撃」があったことをお忘れなのではないですか。三度までも我が著作物を踏みにじり、謝罪すべきことを謝罪せず、私の反論を封殺し続けていることにおいて、篠田氏ははっきり加害の側でしょうが。 * 松浪健四郎ってオモロい人ですね。「ニュースステーション」を見ていたら、内閣不信任案が否決されることが決定的になって、スタジオは沈鬱な空気になっていたのに、あの中継が入って、盛り上がる盛り上がる。 たかが水をかけただけの話であり、松浪健四郎自身もそう思っていたのでしょうけど、これって決定的なことです。つまり、どんな下品な野次でも言論です。それに対して水をかける行為は暴力です。飲み屋で相手に酒や水をかけた行為が暴行罪として認定されたケースもあります。言葉の方がしばしば人を傷つけるにしても、国会であくまで言論の場であり、水をかけちゃいけません。 松浪健四郎がいくら「ヤジは暴力そのものであり、それに対抗しただけだ」と言い張ったところで通用せず、暴力をふるったのは松浪健四郎その人です。 篠田氏は私の言論を[暴力そのもの]と罵倒してきました(「松沢さんの攻撃について」)。オッサンよ、自分のやったことをよーく顧みてからこういうことを言ったらどうかね。私の原稿を削除したり改竄したり、写真を外す行為は表現を潰す行為です。仮に私の言論が暴力であるなら、篠田氏の行為は、その数段悪質で卑劣な暴力なのです。篠田氏はいつでも同じウェブで私に反論が可能です。それに対して篠田氏は私には場を提供しようとせず、さらには私の言論を読者に伝えて判断を読者に委ねることなく、私が反論できないことをいいことに、私の言葉を「曲解」と決めつけました。マスコミの暴力とはまさにこのことであって、その権力を握る男が、一ライターに「暴力そのもの」ってよく言うよな。 報道被害を云々する資格などこの「暴力男」には一切ありはしない。既に詳しく論じたように、反論権を認めることは、報道被害の事後救済として非常に重要な役割があり、事前救済の効果も期待できます。言論の自由を守りつつ、報道被害を防ぐ重要な方法だと私は思っています。 しかしながら、篠田氏がやったことはことごとくこれに反し、自分に対する批判を無断で削除し、反論の機会を与えずに私を非難し、それに対する反論を捻りつぶすことでした。その上で私の言論を暴力とするのですから、開いた口が塞がりません。報道被害の構造をそのままなぞっておきながら、マスコミ批判をやる。もっとも悪質で低劣な言論人がここにいます。この人を偽善者と私が呼ぶ意味がよくおわかりになりましょう。 ここまで篠田氏が言ってきたことをよーく読んでいくと、実は篠田氏って、反論権が認めようがない編集思想をおもちなんですね。なぜマスコミが独善に陥りやすいのかの格好の例でもありますので、これはいずれ「番外」の方で詳しく論じてみたいと思ってます。 * 呆れたことに、この言論封殺「暴力」編集長は、私に対して幾度となく「一方的」という言葉を投げ付けています。篠田氏はいつでもいくらでも私の言葉に反論できるにもかかわらず、それを積極的にやらないだけのことであり、よくもまあ「一方的」などと言えるものです。自分は「創」誌面で繰り返し自分に都合のいいことのみを書いて、私の反論はやはり載せない。この行為の方が数段「一方的」ではないですか。 そして、このこの言論封殺「暴力」編集長は、その本質を露にして、決定的な暴力を行使しようとしました。 問題は今に至ります。「松沢呉一さんの攻撃について」「松沢呉一さんとの件について・4」の文書を続けざまに出し、その裏で、篠田氏は、我が言論を潰す策略を開始します。 実際に、篠田氏とポット出版の沢辺氏の間で、どのような言葉が交わされたのか知りませんけど(篠田さんよ、人には決して聞かれたくない都合の悪い話をしたいのはよくわかるが、何度も言っているように、すべて公開でやってくれよな)、篠田氏はおそらくポット出版によって私の言論を潰させることを考えたのでしょう。この申し入れは沢辺さんを介在させているのです。かつて、ポット出版は創出版のデザインや編集の発注を受けていた関係にあって、篠田氏は、そこに何らかの力関係が働くことを想定したのだと思われます。そうじゃないというなら、インターネットで公開するつもりもないのに、なんで場を提供しているだけの沢辺さんに仲介させるのでしょう。私にFAX一本送れば済んだ話なのです。 篠田氏のことですから、「松沢は感情的になっていて、直接文書を出したところで、受け入れられないだろうから、ワンクッションおいて、冷静な判断ができるようにしただけだ。その際に、沢辺氏は、互いがよく知っていて、信頼できる人物であるため、仲介するのに適任だと考えただけであり、力関係など考えたこともない。丸ごと事実無根だ」とでもいいかねません(篠田氏の言い分まで考えてやらんでいいか、私も)。だったら、どうして、議論を進めるのに適任の沢辺さんの提案をここまで無視しているのでしょうかね。私は即答しているのにさ。 ここまで沢辺さんが毅然とした態度をとってくれているのでホントに助かってますが、小心な人なら、私に「うちもいろいろあるから、そろそろやめてくれないか」などと申し入れをしてきたかもしれません。でも、沢辺さんにはいち早く、篠田氏への申し入れの文書を公開してもらいたいものです。 これを「策略」と呼ぶことも、篠田氏は非難してきそうですけど、権力をかさに言論を潰そうとする敵の横暴に屈せずに勇気を振り絞って私が公開しなければ(笑)、この話は外に出ることはなく、読者は知ることもできなかったのです。そして、後ろめたくないものを公開するはずの篠田氏は、今現在も、この文書を公開していないのです。 私が議論を進めるために過去の文書の公開を要求したことに対し、その要求を飲んだかのように見せておきながら、その実、非公開の申し入れをするという二重の作業をやるのは、まさに「裏工作」「裏取引」と呼ぶに相応しい。議論は公開すべし、第三者が検証できるように資料も公開すべしという私の要求は、実のところ、何ら受け入れられていなかったのです。 当初、「松沢呉一さんの攻撃について」を公開してきた時は、なんでこんな中途半端なものを書いたのか全然わかりませんでした。杜撰極まりなく、ボロボロに批判されておしまいでしょう。事実、すぐさま私は反論を書きますが、沢辺さんから「篠田さんは、さらに続けてもう一本出すと言っている」と伝えられ、反論を出すことを控えます。ところが、驚いたことに、「松沢呉一さんとの件について・4」を出すのと同時に、例の申し入れをしてきて、すべて氷解します。 つまり「松沢呉一さんの攻撃について」「松沢呉一さんとの件について・4」こそが、篠田氏の裏工作と言うべきものだったと思われるのです。読者のわからないところで私の言論を封じようとする作業が篠田氏の本筋であったのでしょう。篠田氏が何ら回答をしないで、つまりインターネット上では何の展開もないまま、唐突に私が文章を引っ込めるのは妙なので、表向きには反論めいたものを出しておき、議論を継続する意思があるように見せかけ、さらには謝罪すべき点は謝罪する善人として表向きの顔を維持しておき、あたかも私がその表向きのやりとりに納得したかのように見せる必要があったのでしょう。 あの二本の文章は、体裁を取り繕うためだけに書かれたものとしか私には思えず、だとするなら中身がないのは当然であり、本論には触れず、枝葉末節をつついただけであるのはもっともです。 本当に篠田氏が公開で論争すべく、過去の文書を公開してきたのなら、なんで議論を終焉させるような申し入れを非公開でやる必要があったのでしょうか。なんで、わざわざ「松沢呉一さんの件について・4」と同時に、あんな腐った申し入れをする必要があったのでしょうか。また、その申し入れにおいて、経緯が読者にわからなくなるようなことまで要求してきたのでしょうか。 あーだこーだと言い訳にならない言い訳をして、過去の文書の公開要求を無視してきた篠田氏が、全部ではないにせよ、唐突に過去の文書を公開してきたことも説明がつきます。どうせ間もなく私が屈服して、文書を引っ込めるのだから、短期間で見られなくなると思ったに違いありません。そこに多大な破綻があろうと、もはやどうでもいいってことです。さもなければ、なんで公開に半年もかかるんでしょうか。 また、ここに至って急に「創」誌面で謝罪したことの意味もよくわかります。篠田氏としては、身を切って実をとったつもりでしょう。本心からあの「お詫び」を出さなければならないのだと思っていたなら、とっととやってますし、URLくらい入れますって。 篠田氏は、「松沢呉一さんとの件について・2」でこう書いていましたよね。 [松沢さんの書き方は、どういう理由でこういう措置をとったのかという編集部側の説明を全く無視しているんですが、こういう問題を判断する場合、それを抜きにして議論はできないと思います] こういう言葉は、自分ができるのかどうかをよく考えてから書いた方がよろしいのでは。 篠田氏が求めてきたことを私が受け入れた場合、「創」読者は、どうして今になって、編集部はあんな「お詫び」を出す措置をとったのか全くわからないままになり、HPを読んでいる読者はどうして私がこのHPを消す措置をとったのか全くわからないままになってしまうのです。そして「創」の読者には曲解をインターネットで書き続けるストーカーめいたライターと思われたまま、HPの読者からは無責任なライターと思われて信頼を失ったまま、私は未払い金を払ってもらうこともできず、餓死していくわけです。十分メシ食っているけど。腹出てきたし。 * 篠田氏との一件を知っている人達とよく話になるのですが、篠田氏って、なんでこうもトラブルを拡大させるのでしょうか。「なんか背後に言えない事情でもあるのか」というようなことも時々聞かれます。知りませんよ、私はそんなこと。 今までいろんなトラブルに巻き込まれ、ある時は積極的にトラブルに顔を突っ込んできましたが、ある雑誌に私が書いた原稿を批判的に取り上げていた人に質問状を出したところ、あちらは全面謝罪してきて一発で終了したケース、あるいはこっちが謝罪して一発で終わったケースなど、すんなり解決した例も少なくありません。既に書いたように、私自身、怒りといった感情が持続しにくいので、どうでもよくなるケースも多い。なのに、篠田氏との一件は、まるで終わりそうにありません。 そもそも第一部においては、私が連載を継続できなくなるような内容のFAXさえ送ってこなければ、私は「しょうがねえな」と電話での会話を受け入れただけだったでしょう。それまで腹立たしく思い、信用できない人だとも思いつつ、連載を続けてきたように、それ以降も続けたでしょう。ところが、篠田氏は私の腹立ちを強める方向でしか動きません。私じゃなくても、メシでごまかされようとしたら、腹が立つってもんでしょうよ。 第二部においては、3月号で私の文章をそのまま掲載していたのなら、それで終わっていた話ですし、読者もあの程度の文章ならサラリと読んで終わりだったに違いありません。また、私との合意通りに連載を終了させていたのなら、4月号の改竄はやらなくてよかったわけです。そうであったなら、私とて、わざわざ最終回の原稿を書き換える必要はなくなり、篠田氏は写真を外すこともありませんでした。二度の改竄があったとしても、私の最終回原稿をそのまま出して、妙な弁明をしなければよかっただけの話です。 ここまで、何度かの事態収拾の機会をすべて最悪の方向で処理してしまい、私は怒涛の批判を開始します。 私としては納得しがたいものの、「インターネットで何を書かれようが、篠田氏は無視すればよかったのに」という意見もあります。事実、私の「私怨」はこうまで持続しなかったでしょう。 現実には篠田氏は無視をせず、かといってその段階ではこちらに反論を申し入れるわけでなく、わざわざ誌面で「曲解」などと非難してきて、私は投稿することにします。これを出せばまた事情は違ってきたでしょうけど、封殺したことで、もはや回収が容易ではない領域に入ります。悪いけど、21世紀に突入しても、間違いなく、私は篠田批判をしてますもん。 無視をしないという意味では誠意があるようにも見えるんですけど、そういう人じゃないですからね。私ごとき存在でも無視できない事情がなんかあるんでしょうか、って私も思ったりします。このまま放置すると、私があれもこれもバラすんじゃないかと恐れるような事実があるんでしょうか。そのために、公開で議論することさえ躊躇しているのでしょうか。いえいえ私はよく知りませんよ、あんなことやそんなこと。でも、裏工作をしなければならなかったくらいで、あるいは訴訟まで匂わせるくらいで、ここには何かまだあると勘ぐる人は多いでしょうね。 今回の裏工作は、私と篠田氏との関係だけではなく、篠田氏個人の問題として後戻りできないところに入り込んだと私は判断してます。私がこんなことを言ってはいけないかもしれませんが、例えば、これまでのどこかの段階で、私に「創」の誌面を4ページくらい提供して、ボロクソに篠田氏を批判させたところで、読者は単に面白がるだけですよ。あるいはそういう原稿を載せることで、逆に雑誌を評価するってもんじゃないですか。だって相手は私ですよ。絶大な支持を得ている書き手なら別ですけど、「創」の読者で私の連載を読んでいた人って、1割は絶対にいないでしょ。5パーセントも怪しい。 「創」はいいけど、この「真実・篠田博之の部屋」はもっともっと皆さんに広く読んで欲しいです、ホントに。で、「創」にここのURLを入れて投稿して欲しいです。篠田氏は掲載しないでしょうけど、都合の悪い話は掲載しない雑誌であることを皆さんがご自分で確認して欲しい。その投稿は、こっちで掲載しますので、どんどん送ってくださいね。 もちろんここまで至った以上、今となっては4ページで篠田氏を批判しただけでは済みません。未払い金のすべてについて「まあいいや」なんて黙過するつもりもありません。しかし、ある段階までは、私が4ページもらって反論すれば、私とて、すっきりと引いたでしょうよ。ただし、4ページでうまく読者に説明できたかどうかは自信がない。著作権やら反論権なんて一般読者はほとんどわかっていないですからね。 でも、今回の裏工作は実にわかりやすい。「いろいろあったけど、篠田氏はこんなことをやってきた」と裏工作についてだけを公には説明していけば十分に篠田氏のズルさを知らしめることができます。冗談ではなく、これって篠田氏のようなタイプの人にとっては命取りでしょ。 昔の「創」を知る出版関係者は今でも「創」=総会屋雑誌というイメージをもっているものですが、最近の読者はその時代のことをよく知らず、「マスコミ就職読本」の浸透もあって、ダーティイメージから脱することができつつあるじゃないですか。雑誌はがさついた部分があった方が魅力的なので、いい子ぶりっ子が商業的に正しいかどうかは別にして、そういう部分を期待する読者を集めてきてしまったわけです。なのに、その編集長が議論を放棄して裏工作し、私の言論を潰そうとしただなんてさ。うわーダーティ、チョーダーティ、あの雑誌って、ヤバヤバだったのね。 この事実を隠蔽すべく、篠田氏は今後どんな手を使ってくるかもわからないので、読者の皆さんは、念のために、ここまでの文書はすべて保存しておいた方がいいですぜ。100万円積まれたら、私、黙るかもしれませんし。 今回のことで、何言ったって説得力がなくなってしまったため、今後、いよいよ議論を放棄して、今回の裏工作の延長にある方向で事の解決を図ってくるのではないかとも想像でき、しかし、何をしてくるのかわからず、正直、私はここに至って急にビビってます。でも、あんまり、オレっち弱みがねえからな。女関係バラされても、「はい、その通り」ってだけだし、それ以前にスポーツセックス・プレイヤーなので、女関係の特定が困難だし。女房、子供がいなくて本当によかったですよ。実家のかあちゃんには何かあったらすぐ連絡くれって言っておかなくちゃ。 ガチンコの論争なら勝算がありますが、ダーティ・イメージがついているくせに私はダーティ方面のやり方については案外疎く、弱点なのです。なんて誘い水を向けてどうするって話ですね。実際、誘ってんですけど。何やってくるか、楽しみなもんで。 |
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