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真実・篠田博之の部屋[番外21] [2001年3月23日]
真実・篠田博之の部屋
[番外21]
 話が前後してしまいますが、「番外7」に、原稿料がいくらくらいなのか書きました。誤解されないように繰り返しておくと、あれはあくまで私の例です。特に音楽専門誌、映画専門誌、風俗専門誌、左翼雑誌などは一般に原稿料が安く、この間、風俗誌を中心に仕事をしているライターに聞いたら、原稿用紙1枚単価が千円くらいだと言ってました。百枚書いて十万円ですから、毎月三百枚くらい書かなければ生活できないのでは。時間的にも経済的にも、取材に手間はかけられず、自腹で経費を出していたら、何も残りません。
 今年の1月、ライターの長岡義幸君に久々に会ったのですが、「フリーになる時、月に百枚書かないと食っていけないと言われたんですけど、なかなか百枚は書けない」と溜め息をついてました。彼のように地道に取材をするライターは、原稿一本書くのにも時間がかかりますし、得意分野からしても、そうはギャラのいい仕事が多くなく、取材経費も十分には出ないでしょう。さっそく私は「ダークサイドJAPAN」に持ち込むといいと勧めておきました。
 その点私はまだしも恵まれていると改めて思います。どんどん減ってしまっていて、しかもギャラが安いとは言え、取材がいらず、二時間か三時間で書けるエッセイの仕事もちょっとはあり、「アサ芸」のように経費がしっかり出る雑誌もあります。
「DSJ」や「アクションカメラ」でも、何本かを抱えていけば、地方取材に行くことも可能です。ナンボかでも取材経費が出る雑誌がいくつかあると、それぞれに配分して、トータルで十万なり十五万なりという経費を捻出することができます。「アサ芸」で大阪まで行った時に、四国まで足を伸ばして、少しでも安く済ませる方法もあり、経費が出ない雑誌の取材も、その合間にうまく入れ込んでいけば、いろんな雑誌で自腹を切ることなく全国の取材ができるというわけです(他の取材を入れることで、「アサ芸」の取材が安く済むこともあるので、「アサ芸」にすべて負っているわけではありません)。どっかで自腹を切らざるを得なかったりするのですけど、たいした額ではありません。
 仕事を増やせば増やすほど、こういう工夫ができるようになるので、時間と手間がかかるにしても、地方取材の仕事は断らないようにしているのです。自由自在に全国各地に行っているようにも見えるでしょうが、創意工夫の賜物なのであります。
 毎月百枚を越える仕事が確実にあり、経費が出る雑誌もある私は幸せもんと言えなくはないのですけど、一日たりとも休みなしで、一日十時間を優に越える労働が延々続くことになります。これでは、仕事の合間に新しいテーマに取り組んで、次につなげていくなんて余裕はありませんから、いずれ飽きられてポイ捨てになるのを待つだけです。
 恵まれた私でさえ、こうですから、つくづくライターって報われない仕事なのであります。今でも何を考えてなのか、ライター志望なんて学生に会ったりしますけど、月に百枚の原稿を書いても、実収入は二十万にも満たないことが当たり前の職業に本当に就きたいかどうか、その前に月に百枚とか二百枚とか書くほどに、書く行為が好きなのかどうか(書くことがいくら好きでも、たいていの場合は、人に会ったり、調べ物をしたり、テープを起こしたり、といった行為も伴うのですから、書いてりゃいいってわけではないのですけど)、よく考えた方がいいですね。
 風俗嬢ということを売りにするのでなく、風俗嬢をやりながらライターをやっているのがいますけど、あれは賢いやり方です。週に二日出勤して生活費を確保し、残りで取材したり、執筆したり。専業になるより、よっぽどいいんじゃないでしょうか。
「番外7」では原稿用紙1枚単価四千円平均で計算してますが、実際に私のもらっている原稿料は平均四千円を切ると思うんですね。エロ雑誌はたいてい三千円か四千円ですから、平均すると三千円台。単価二万円の例外的な原稿は毎回一枚だけで、一方、単価千円以下を毎月二十枚枚以上書いています(もちろんノーギャラ原稿は最初から計算に入れてないですよ)。二十枚以上書いているのに、一枚二万円の原稿料に届かないというのもすごいですよね。
 でも、ここで一枚二万円の原稿料が出るような雑誌ばっかで仕事をしている人を想定してみてください。家建ってますね、私。これほど高くなくても、平均単価が五千円とか六千円とか七千円といったところでばかり仕事をしている人たちもいるわけです。たいがいは大手の出版社だったり、PR誌で仕事をしている人たちです。
 ギャラのいい雑誌では、経費が出たりもしますから、無理なスケジュールを組んだり、安売りチケットを買ったり、五千円で泊まれる宿を探したり、いくつもの原稿を抱えたりしなくても、取材ができます。経費が一切出なくてもなんとかなります。原稿料が1・5倍になるだけで、ためらいなく自腹を切れるからです。だからといって、いい仕事ができるとは限りませんけど、金がなくなって、取材を一日早く切り上げて帰るなんてことがなくなるだけでも、ナンボか内容に反映されるでしょう。ああ、羨ましい。
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 ライターのギャラは低く押さえられすぎていて、未払いがよくあるのも、ライター総体が軽視されているからだと私は思ってますが、こういうことを言うと、「実力の反映でしかない」と反論されそうで、なかなかどうして、堂々とは主張しにくいところもある。実際、もっともっと払っている大手の雑誌はいくらでもあるわけで、月に百枚も書かず、私より遥かにいい生活ができている人たちもいます。「そういう雑誌で書けていないおまえの無能さのせいであり、それを出版界全体の問題として語るのは間違っている」と言われると、そうなんだよなあとも思ったりします。
 出版社や雑誌によって、原稿料が違うのと同様、同じ枚数書くための作業量も全然違ってくることがあります。時間がなくて、たまに編集部に頼むことがありますが、私は、ほとんどのテープ起こしを自分でやっています。この時間がバカにならない。だから、テープを回さず、省力化を図る書き手もいるわけです。
 前々から言っているように、相手の言葉遣いといったところまでは重要ではない単なるコメントのようなもの、単なる事実関係の確認の取材、語る内容をこちらも十分理解していて、かつ特に事実関係が大きな問題にならないもの、相手に原稿チェックしてもらえることがわかっているものじゃなければ、やはりテープを回すべきと私は思っています。さもなければ言葉はどうしても軽視されてしまう。
            *
 日垣隆・対談集『ウソの科学 騙しの技術』(新潮OH!文庫)にこんな言葉が出てきます。
[有村アナ:雑誌や本でも対談や座談会はたくさんありますが、対談者の一方がすべて文章化の作業に当たる、というのは初めての試みだといっていいのでしょうね]
 この文庫はTBSラジオの番組をまとめたものです。本の冒頭の「はじめに」で、この本の意味合いを日垣氏とTBSの有村美香アナが説明しており、というより自画自賛しており、そこで上の言葉が出てくるのです。
 一瞬意味がわかりませんでしたが、どう読んでみても、ここにある言葉通りの意味しか読み取れません。この人は、入社十年の中堅のアナウンサーであり、世間知らずのど新人ではありません。また、この部分も日垣氏が文章化しているのですから、日垣氏自身がこう思っているのでしょう。唖然です。
 私もまた単なる対談や座談会の参加者として、その場で発言をし、あとでライターがまとめたものに手を入れるだけのこともよくありますが、原稿にまとめることを含めて、座談会や対談の依頼をされることも少なくありません。特に座談会では、司会役と原稿をパックで依頼されることが多い印象もありますし、過去には、すべて私が原稿にまとめる対談の連載もありました。
『売る売ら』の座談会も、「創」に出たものは編集部がまとめていますが、篠田氏が現場で言っていなかった発言が加えられるなど、「創」仕様になっていたため(普通にあることであって、非難しているんじゃないですよ)、『売る売ら』では、改めて編集部がテープを起こし直し、それを私がまとめ、さらに参加者に加筆、訂正をしてもらってます。こんなん、珍しくもなんともない。
 でも、これを読んで、よーく考えたら、大手では、たいてい対談や座談会で、まとめ役のライターがついているのが当たり前かもしれない。有村アナや日垣氏はそういう世界が出版界のすべてと認識しているのでしょう。彼らはそうではない仕事のやり方があることを想像できず、つまり、彼らにとっての「初めての試み」を日常的にやっている人たちの存在を考えたこともないのでしょう。
 お坊ちゃま、お嬢ちゃま方は、下々の者がどんな苦労を日々しているのかも知らず、「初めての試み」などと胸張っていられるのですから、たいそうお幸せでいらっしゃる。私は私で、そういう仕事のやり方しかずっとしてこなかった人が存在していることを想像できていませんでした。マスコミ業界のとてつもないヒエラルキーを実感しないではいられません。
 たぶん彼らは自分でテープ起こしをするライターがいるなんてことも想像できないのではないでしょうか。原稿用紙1枚千円に満たない仕事があるとか、経費が自腹の仕事があるとか、ギャラを払ってもらえないことがあるとか、単行本の印税をごまかされるとか、写真使用料を払ってもらえないとか、単行本の原稿枚数も指定してもらえず、そのくせあとで文句だけ言われることがあるとか…(「真実・篠田博之の部屋/1」に戻る)。
            *
 私の仕事の仕方が当たり前ではないのだと思い知らされたことは過去にもあります。より正確に言うならば、自分では当たり前だと思っている仕事の仕方が、ある人達にとっては、全然当たり前ではないのだとわかって、驚いたことがあります。
「宝島30」のライターが、当時「SPA!」の編集長だったつる師さんの取材に来た際に、編集者が同行していなかったことがあるのですが、そのことを宅八郎が批判的に書いていて、私は「そんなん、非難するような話ではなく、オレたちみたいなライターにとっては極普通のことで、いちいち編集者が取材に立ち合わなければならないと思っている方がオレにとってはヘン。そんなことを書くと、反発されるだけだ」と注意しました。
 同じく「SPA!」で仕事をしていたのに、彼は常に編集者が立ち会う仕事の仕方をしていて、対して私は編集者が全く関与しない仕事の仕方をしていたのです。もちろん一方で、そうではない仕事のやり方があることをわかっていて、私とて編集者と密な作業をすることもあるわけですけど、宅八郎は、編集者が取材に立ち会わない仕事のやり方があることを想像もしてなかったようです。
 これは編集者と書き手の関係をどう考えるかの違いであり、かつ出自の違いでもありましょう。私はもっぱら貧乏雑誌で仕事をしてきてますから、企画から、交渉、取材、資料収集、テープ起こし、時には写真撮影までを自分一人でやるのが当たり前という感覚があります。ものにもよりますが、編集者は内容に介入せず、黙って赤入れだけをやる人であって全然構わないのです。「創」もそういう雑誌とばかり思っていました。
 一方には、何をどう取り上げるかを編集者と書き手が念入りに話し合い、資料はすべて編集部が揃え、取材交渉、取材時間や場所のセッティングも編集部がやり、カメラマンも手配し、取材には常に編集者が立ち会い、テープ起こしも編集者がやったり外部の業者に出したりして、内容にもあれこれ口出しをするという仕事の仕方があるわけです。
 このことも過去に何度か書いてますけど、どっちが正しいというのでなく、どっちのやり方もあっていいという話です。私自身、テーマ、媒体、編集者の能力・やる気・時間的余裕に合わせて、いろんな仕事の仕方をしています。
 次回以降、このことをさらに詳しく見ていきます。
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