2005-12-31

大入り御礼!

『同性愛入門』PDF版の公開から一週間、このサイトのカウント数が(16884.7/日)に跳ね上がっていることが判明しました! これ、一日の平均だからね。前の週の4倍以上。今回の企画で5000くらいは超えると予想していましたが、瞬間風速とはいえ、これほど多くの人たちに訪れていただけるなんて、言葉にできないほどの感激ですね。『同性愛入門』は単行本以上の意味を持ったと思います。執筆者と版元の方々、公開に関するパブにご協力いただいたみなさんに、改めまして御礼申し上げます。

2005-12-29

過去供養

kuroneko_1.JPG無精の伏見がなんで散歩を続けられているかというと、コースの途中に猫たちの家があって、彼らに会うのが楽しみだからだ。たぶん、そこにいるのは心ない人々が捨てていった捨て猫たちだと思われ、数匹でいっしょに暮らしている。道からちょっと入った薮の中に、誰が置いていったのか、雨露をしのげる家になる板箱があり、彼らは夜その下で身を寄せ合っているのだろう。毎日餌をあげに来るやさしい人もいて、食べ物には困らないようだが。

伏見はその子たちに勝手にニックネームをつけて、頭をなででやるのが日課になっている。それは、人生の成り行きで会うことが叶わなくなった友人たちにちなんだ名前。彼らへの贖罪も兼ねてかわいがっているのだ。

oyakoneko_1.JPGプライドが高く神経質な顔をしているが、本当はとても人なつこい黒猫には、ニューズと名付けた。自分を追いつめ過ぎず、元気にやってるか? シモユルで嘘つき顔の白猫は、スキップと呼んでいる。スキップするように歩いていて、見ているだけでこっちまでウキウキする。茶色の子は、おっとりしているのだけど、実は強情なところもあって、ロックによく似ている……。

いつも彼らに「今日も幸せな一日でありますように」と手を合わせて、再びコースを歩き出すのだ。この行為を、過去供養、と伏見は命名した。

2005-12-18

夫婦に見えますか?

mother_1.jpg「伏見さん、一度アップロードしていたはずの記事が見つかりません。また読みたいのに、どうして消しちゃってるんですか。残念です」

というメールをいただいたのだけど、だから、この日記は「うたかた日記」なの。あぶくのように消えていくもの。まあ、メモ書きのつもりで書いているので、ネタはあとで伏見のエッセイ、小説などなどに再利用されることがあるかもしれませんが。

だいたいあんた、ただで読んでいて文句言うんじゃないわよ! クレームは来年、有料メルマガ化したときに会員になってから言ってちょーだい(募集がはじまったらすぐに申し込むこと)。

まあ、記事を消してるのは大した理由があるわけじゃないんだけどね(イーホームズの藤田社長への気持ちが萎えたとか、そんなもんで)。ただ一つ、「母は、まだ82歳」という記事だけは、「えっ……まさか……やばいかも……」という気持ちが生じ、こそこそ隠れるように削除した。

あれは、病院の待ち合い室で伏見と並んで座っていた母が、看護婦さんに「奥さん」と呼ばれたことで、自分が息子と夫婦に間違えられたのだと勘違いした、という話。でもさすがに年齢差のある二人が夫婦には見間違えられないだろ、っていうオチだったのだが、それに異論、反論が寄せられたのだ。

遠方で暮らす相棒から、「えー、きっと看護婦さんは本当に夫婦だと思ったんだよ。えい子さん(うちの母の名)だったらそう思われてもおかしくないよ」とのコメント。そして、もうひとり、ポット出版の「心のない編集者」として著名な(←伏見が吹聴しているだけ)サトウ幹部から、「ブログに書かれていた、お母様との病院でのエピソード、私も『えー、夫婦に見られたの?!』と読んでおりました」とわざわざのご指摘。ふたりは共に、うちの母と伏見の両方を知っていてそう思ったのだ。とすると……

それでちょっと不安と恐怖にかられて消したのよね。あぁ、本当にあの看護婦ときたら、オカマの伏見を、よりにもよって40歳も年上の実母の夫だと思ったというの? いくら年下の夫ブームだからって……。そんなことを許す社会は間違っています!! 

ということで、以下に再度アップしておきます。フン。写真は、とある新聞に親子取材されたときに、自宅近くで撮ってもらったもの。ねえ、夫婦に見えますか?
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2005-12-16

チョコバナナ

数日前、浦和駅周辺を歩いていたら、氷川神社のお祭りにぶつかった。沿道に延々、出店が並んでいる様子を見ると、それだけで胸がわくわくしてくる。最近の縁日ってたこ焼きやトウモロコシばかりでなく、もっと贅沢な串焼きとか、ちぢみなんていうのまで売られていて、見ているだけであきない。地元はいいなあと思う瞬間である。

choco_1.jpgそれにしても、いつも思うのだが、チョコバナナというのはどうしてあんなに下品なのだろう。その形状もさることながら(笑)、あの合成着色料の彩りがなんとも羞恥心がない。

食べたいとはまったく思わないのだが、なんであんたはそれを売っているのかと、売り手のモチベーションのほうには興味がわく。たこ焼きや焼きそばではなく、なぜ、あなたはチョコバナナを選択したのですか、と。

ちなみに、新宿二丁目で夏に行われるレインボー祭りでは、毎年チョコバナナの担当は、野郎系のゲイバーではなく、女装系のお店になっている。化粧をしたお姐さんたちが楽しそうに呼び込みをする姿が印象的だ。QJr vol.1にも登場しているらくさんのアイランドも、いつもその辺りに混ざっている。いや、アイランドは女装系の店ではないんだけど(一応リーマン系)、でも、女装(エスムとか)が働いていた前科はありますが。

2005-12-14

UVケア

UV____.jpg鏡を観たら、鼻の辺りにそばかすのようなものが浮き上がっていた。毎日、太陽に向かって歩いていると、冬でも日に焼けてくるし、お肌の曲がり角をもう何度も通過している40代だと、それが染みになる。軽くヤバい! 

一昨年、何を思ったのか夏に独りでプールに行ったときに(←友達少ないんで、いつも単独行動)、数時間日光に当たっただけで、肩から背中にかけて赤く晴れ上がって、染みになった。それがまだ残っている。若いときにはすぐに取れたものがなかなか落ちない。ため息をついていたら、母(大正生まれ)が「駄目よ、UVケアはちゃんとしなければ」と化粧品をくれた。

我が家は、肌だけはキレイと言われる家系である。伏見もよく「肌はキレイだねえ」と他に褒めるところがないせいか持ち上げられる。「遺伝でね、肌は白くてすべすべなんだけど、腹の中は真っ黒なのよ」と返すのはいつものこと。だけど、その肌さえも染みだらけになってしまったら、目も当てられない。まあ、ただ内面と外皮が一致するということかもしれないが。

2005-12-13

友人・知人・関係者・他の皆様へ

nancy_1.jpg伏見の友人・知人・仕事関係などの皆様、年末、お忙しく過ごされていることと存じます。そんなときになんですが、ここ2ヶ月くらいの間にメールのやり取りをした方以外のアドレスが、消失してしまっていることが発覚しました。申し訳ありません!

パソコンを買い替えたりしている中で、大事なデータがどこかにまぎれてしまったようです。なので、お手すきの折にでも、一本メールをいただけたら幸いです。ご無沙汰している方は、ついでに近況などお知らせいだたければ嬉しいです。

それから、関係者でなくとも、このサイトの感想など書いて送ってくださる方がいたら大歓迎! 伏見の個人的な、年賀メール、お知らせメールなどをお送りするリストに入れさせていただきます。連絡はこちらから。

*イラストは大昔に故ナンシー関さんに掘ってもらったもの。掘られた、とかいうとアレですが(笑)。

冬の枝葉

fuyunoki_1.jpg散歩の途中、見上げた木々が冬の空に枝を力強く伸ばしていた。
夏の盛りはとうにすぎ、紅葉を終えてもまだ枝にしがみついている乾いた葉っぱたちは、華やぎを失わずざわめいていた。
その鮮烈さに打たれた。

好きです、牛角

karubi_1.jpg久しぶりに友達と焼き肉などしてしまった。行ったお店は、庶民の味方、牛角さん(「さん」づけはおかしいか)。昔の安価な焼き肉店のイメージというのは、なんかこう、うらぶれているというか、なまりのある日本語演歌が流れているような、どこか寒いものがあった。それが、牛角ときたら、安くて、キレイで、サービスも味も、すこぶるよろし。もちろん、100円袋詰めセールに通う伏見には、安いといってもけっこうなお値段だが、一人前ならそこらのゲイバーでウーロン茶2杯飲むのと同じくらいだ。

少なからずのゲイバーが接客のなんたるかも心得ず、行ったところで男ができるわけでもなし(それは自分の実力)。もう二度と来るか!と思いながら店を後にすることも少なくない。それに比べたら、牛角の満足度は200%くらいかもしれない。というのも、味ばかりでなく、店員までがけっこうイケてるからだ。

伏見の観察によると、牛角チェーンの店員のルックスは、かなり水準が高い。いろんな店舗で食したことがあるが、どこでもイケメンは多いし、ハズレ(どんな)がない。制服がこ洒落ていてその効果もあるだろうが、ふつうのファミレスなどに比べれば、景色は雲泥の差。

あれだけつぶが揃っているのは、バイト面接で外見のチェックポイントを入れていて、そのためにけっこうな時給になっているのか。と思って調べてみたら、時給は800-1250円ということで、普通と言えば普通。牛角で働くことが若い子たちのステイタスになっていて、それで応募者が殺到し選抜されるから質が高い、とも思えず。あるいは、かわいい子たちが働いていると評判で、あそこでバイトすれば恋愛チャンスがある!と思って若者が集まってくるのか(→としたら、舞台裏は恋愛関係でドロドロ→この男子アルバイトとあの女子は実はできていて、もしかしたらあっちの子とも三角関係だったりして→まさに「肉欲」まみれの職場環境→妄想はカルビの煙とともにモヤモヤとふくらんでいく)。

オバチャマ人格、起動!

rogo_gyukaku.gifなので、ジャニーズ顔の男子アルバイトがニッコリ近寄って来たりすると、ついオバチャマ、「お兄さん、塩だれカルビもう二皿くださる?」なんて気前よく注文してしまうの。これって牛角の企業戦略にしてやられてる?

2005-12-11

家族連れ

子供が殺害される事件が報道されるたびに胸が痛む。伏見は子供嫌いなので、自分では子育てなんてまっぴらと思うのだが、いたいけな小さな命と、愛情を注いできた親御さんの気持ちを考えると、さすがに涙が出る。

oyako_1.jpg最近、散歩の最中に親子連れを見たりすると、本当に拝みたいような気分になる。同世代の友人などを見ていても、子育ての大変さは想像に難くない。シングルでただのんきに暮らしている自分は、親として子供と格闘している人たちの背中に感心するやら、感謝するやら。

この歳になると、ゲイや女性は家族制度に抑圧されている、といった社会批判をしているだけでは駄目だということが身に滲みてくる。もちろん、それは自分の過去の歩みを否定するものではまったくない。だが、自由を確保することだけではなく、時間軸の中で自分たちの欲望と社会をどう折り合いつけるのか、といった問題を考えざるを得ない。そうした視点を繰り込まなければ、ゲイリブは思想として幼稚と言われても仕方ない。

体質改善中

icho_1.jpgここ数年、自堕落な生活を続けていた。今年の夏くらいまでは一日の大半をパチンコ店で過ごしているようなありさまだった。夜は二丁目で無駄にお金も使った。もう書くことも、何か主張することも、大袈裟にいうと、生きてることさえウンザリしていたのだ。原因はいろいろだが、とりあえず、厄のせいにしておこう。

でも散歩をはじめるようになってから、「人生細胞」が再生している気がする。モノクロだった風景に色が着きはじめ、美しいものを美しいと感じる気持ちが蘇ってきた。道ばたに咲く花や、空を舞う鳥を見て、心がいきづいてくる。きっとあと数年で、世の中のお年寄り同様、木々と会話ができるようになるだろう。今日もためしてみた。「銀杏さん、世界で一番美しいのは誰?」。

fukuro_1.jpg
金銭感覚も正常に戻りつつある。一時は一日に何万もパチンコですっても平気だったのだが、いまではスーパーのニンジンの百円袋詰めコーナーで燃えるオンナになっている。本日は、みかんがタイムサービスで一袋184円! 伏見も、目の色の変わったババアたちと壮絶なバトルを繰り広げた。

……こんなつつましい人生でも、幸せです(←明らかにウソ)。

2005-12-08

ジョン・レノンに捧ぐ

j_1.jpgまたまた懐古趣味的な日記になるが、本日、12月8日はジョン・レノンが暗殺された日。もう四半世紀も前のことになるが、伏見はそのとき、高校2年生。音大の付属高校でクラシック音楽を勉強していたのだが、バッハとかモーツアルトには全然関心がなく、遅れてきたビートルマニアだった。とくにジョン・レノンの大ファンで、彼のちょっと神経質で尖った雰囲気に憧れていた。

といっても、1980年頃のジョン・レノンはパッとしていなかった。ビートルズ解散直後こそ注目されていたが、レコード売り上げは下降線をたどり、ウィングスで大ヒットを連発していたポール・マッカートニーに比べると過去の人という印象だった。判官びいきの伏見は、それでジョンに肩入れしたのかもしれない。

ジョンは75年からは半ば隠居生活に入っていて、80年に鳴り物入りでカムバックしたものの、オノ・ヨーコとのアルバム『ダブル・ファンタジー』は初動ではそれほどの勢いはなかった。シングルの『スターティング・オーバー』も、心待ちにしていた伏見少年でさえ、内心、ん?という疑問符が浮ぶほど肩すかしな作品だった。

それが彼が暗殺されるや、新作は大ヒットし、72年の発売当初はスマッシュヒットにすぎなかった『イマジン』が、世界中でもてはやされるようになった。70年代後半は滅多にラジオでかかることもなかったのに、だ。反対に、『イエスタデイ』と並ぶスタンダードと言われていたポールの『マイ・ラブ』は、今日では稀にしか流れなくなった。何が楽曲を普遍化していくのかわからないものだ。

l_1.jpgでも、すっかり平和の伝道者として語られるようになったジョンは、伏見のアイドルではなくなってしまったみたいだ。彼はそんなに立派な人でも政治的に正しい人でもなかった思う。もっといいかげんで、直情的で、暴力的な人間だったのではないか。もちろん理想論の人でもあっただろうけど、ヨーコの語るレノン伝説は美化されすぎている。それが疎ましい。

とは言え、25年前の今日、伏見はジョンの死にショックを受け、平和を願ってもっと行動しなければ!とか純粋に決意したものだった。後日行われた日比谷公園での追悼集会(写真はそのときのチラシ)にも参加し、数千人もの参加者と行進をし、一体感を味わった。おめでたい左翼であることがまだ許された時代だった。

でもあの頃の反逆精神は伏見のゲイリブにもつながっていったし、いまだって、「あたしゃ、闘うときゃ、からだ張ってでも闘うよ!」てな気持ちは失っていない。ただ、それが左翼的な方法論ではもう駄目だと考え直しただけ。つまり転向なんだけど(その辺りのことを人間学アカデミーの講演で話せたらいいのだが)。

*写真は、当時の新聞記事などを集めたファイルの中から取り出したもの。

2005-12-07

映画『オープン・ウォーター』

____________________.jpg試写状をもらったときからすごく観たかった映画『オープン・ウォーター』。が、なにせ出不精ゆえ、試写の日程はいつのまにかすぎ、気づけばロードショーさえ終わっていた。そしてやっとDVDになって観ることができた。

ツアーガイドのミスで海上に取り残された観光客ダイバー。大海にただ浮いて救助を待つ恋人同士に、運命は厳しかった。近くを通りかかった船には、手を振っても気づいてもらえない。サメは姿を見せる。刻々と時間は過ぎていく。いつしかサメの群れに囲まれ、足を喰いつかれ、出血しながら力尽きていく男性。恋人の遺骸を海に放し、ついにそのときを覚悟する女性……。

『ジョーズ』のように絶叫する怖さではないが、観終わった後、しんしんと恐怖が効いてくる。ラストの、女性の絶望とあきらめの表情が、脳裏を離れない。こんな特殊なケースでなくとも、いつか自分にも訪れる「それを受け入れる瞬間」。その痛みが重なり合わさって、いっそうリアルに迫ってくる。

2005-12-06

くのいちは見た!

kunoichi_1.JPG阿佐ヶ谷に狸が出ると友人が言っていた。あの辺り、雌豹(オカマ)がたくさん生息していることは知られているが、野生の狸までいるとは。都内に狸がいるくらいだから、伏見の散歩する河原に狸ほかキツネやアオダイショウなどさまざまな生物が住んでいてもおかしくない(写真左)。だけど、そんなものたちが身近に暮らしていようとは、ウォーキングをはじめるまで知らなかった。

数日前の早朝、人影もほとんどない河川敷を歩いていた。すると、前から二人連れが近づいて来る。50代くらいのおじさんたちだった。気のせいか、一瞬手をつないでいたように思えた。すれ違うときには並んで歩いていただけだったが。いや、におう! と、くのいち伏見は振り返った。すると、その白髪のまじったおじさんたちは、案の定、手をにぎり合っていたのだ。こんな田舎にも雌豹が生息していたか!

それにしても、その後ろ姿がとてもルンルンしていてかわいらしかった。よく見れば、お揃いのウェアーまで着ているじゃないか。早起きは三文の得。なんだかとってもいいものを見せてもらった気がした。愛……

予防接種

今年の1月、生まれて初めて!というくらいひどいインフルエンザにかかって、難義した。肺炎をほとんど起こしかけていて、医者に行ってもらった薬は効かなかった。それでだいぶ肺を痛めたのか、その後も長く咳を引きずった。

その際、母(82歳)にまで移してしまった。彼女は早期発見で薬ですぐに直ったが、あとから考えたら、高齢者を危険な目に遭わせていた。その反省でこの冬は親子で予防接種を受けることにした。こんなことまで配慮するようになったのかと、母の加齢が身にしみる。

kakkon_1.jpgそれにしても注射一本3500円! それでも感染の確率を下げたり、かかっても症状が比較的軽く済むといった効果しかないそうだ。しないよりはマシということだろう。でも4,5年前、オカマ界でA型肝炎が大流行したときに、取材をかねて予防接種したときは、10000円近くした記憶があるので、それよりはリーゾナブルだが(A型肝炎は空気感染しない→特別なことをしないとかからない→ご想像におまかせします)。

ちなみに風邪の初期症状なら葛根湯がよく効く。たいていこれだけでOKだ。

2005-12-05

いけしゃーしゃーと

nori_1.jpg最近、このサイトの一日のカウント数がとんでもないことになっているので、中には気づいた方もいるかもしれないけど、下の記事、アップしたあとで一部改ざんしました(あ、この日記はそういうことしょっちゅうしますんで、怒らないでね。なので、基本的には引用等、お断り。←無責任に書きたいの)

なんで改ざんしたかというと、性格の悪い年増女が電話をかけてきて叫んだのだ。「あんた、中学時代のことを『20年近く前』とかいけしゃーしゃーと書いてるけど、自分の年齢考えてみい!」。え?と思って計算してみると……たしかに20年どころか30年近くもたってるじゃないさ! 30年なんて数字思い浮かべたこともなかった(マジ)。そうか、そんなに経っていたか……。記事に、「いつのまにそんなに月日が経ったのか」とか書いておきながら、本当に、実感がなかったのだ。だって、「30年前」なんて、おばあちゃんの回想みたいじゃないの。

やっぱオカマでシングルなんてやってると、人生の感覚がおかしくなる。ゲイライフには季節感がない、とかよく言うのだけど、本当にどっか狂ってるのかもしれない。だからいい歳して、高校生のフェロモン風呂で萌え!とか恥ずかしげもなく書いてられるんだけど。でも、いいの、どーせ、あたいは自分の人生のみっともなさを売文して生きているんだから。オマエら、せいぜい笑ってやってくれ!

ところで、あんまりにも自分の年齢にリアリティがないので、古いアルバムを何十年ぶりかで押し入れから取り出して、のぞいてみた(やっぱ、昭和はセピア色だね)。すると、幼児のときの写真の下に母がこんなことを記しておった。「昭和39年9月27日 やはり男の子。動くおもちゃが好き」。ごめんよ。期待にそえずに、こんな中年オカマに育っちまったよ!

2005-12-04

母校は収容所

________.JPG散歩コースの入り口に、かつて(30年近くも前)通っていた中学校がある。土手の上からその校舎を眺めると、なんともいえない気分がこみ上げてくる。なつかしさなどではない。薄気味悪さといったものだ。それはとっても生々しい感情でもある。

中学生時、明確ないじめの対象ではなかったものの、居場所はどこにもなかった。毎日、学校へ行くのが嫌で嫌で仕方なかった。男子は暴力による幼稚なピラミッドを作っていたし、発情した女子の集団はいつもピリピリ殺気だっていた。入学の日から卒業の日まで、収容所に入れられているように息苦しかった。もしいまだったら、絶対に登校拒否をしていただろう(だからといって、あの経験が人生に必要なかったとは思わないのだが)。

教師は子供の目から見ても未熟な人が多かった。新設校で新任の若い先生ばかりだった。当時はそれに不満を言う権利があるように思えていたが、現在の伏見の子供みたいな年齢の連中に教えられていたのだから、仕方なかっただろう。彼らも一生懸命だったのだ。

あの校舎を前にすると、自分がいまいったい何歳なのか、いつのまにそんなに月日が流れたのか、わからなくなる。でも、中学時代の「痛さ」はけっして過去になっていない。そう、同窓会に行かないのは、あれを思い出にしてはいけないと思っているからだ。それは過去の恨みつらみが解消されていないということではない。あのときの意識がいまの自分の問題とリアルにつながっている、それと向かい合っているということ。

思春期のつらさは二度と経験したくない。それが、伏見が自由(フリーランス)にこだわる原点だと痛感する。中年も深まったいまの懊悩と、中学時代の苦しさを比べることはできない。正直、どちらも厳しい。けれど、同じつらさなら、自由であることのつらさを選択する。それはいつのまにか覚悟となっていた。

2005-12-03

気分はもうマドンナ

kage_1.jpg左の写真はヴォルデモート卿ではありません。伏見のウォーキング中のシルエット。うーん、改めて見ると、我ながらおどろおどろしい影だ。だけど、自分のイメージの中では、伏見憲明42歳、ピンクのレオタードを身につけたマドンナ(右下写真)になっている今日この頃。

________.jpgここ数日、散歩時の脳内BGMは「hung up」。気分はもうマドンナ(47歳)の最新PVなのである。本日も早朝で人がいないのをいいことに、川辺で一人、かの曲を口ずさみ、腰をグラインドさせながら歩いていた。が、ふと気付くと、親子連れがかたまって視線をこちらに向けている。hung up !

娘をかばうような体勢の父親。そりゃ、今日び、幼子をめぐる凄惨な事件が続いていて、ご心配はわかりますが、あたいは超安全よ。女の子にも子供にも一切興味ないから。危ないのは、金持ちで見てくれのいい若者だけ! いや、最近、イーホームズの藤田社長に萌え萌えで、妄想の中で、あんなことやこんなことをして、被害者の代わりにおしおきしちゃってます!(←冗談にならない)

2005-12-02

さよなら加齢臭!

____.JPG散歩で大量の汗を流しているせいか、体臭が薄くなってきた。つい最近まで、原稿書きの仕事をしているだけで、からだから放出されるとんでも臭気に部屋がよどんでしまい、自分で気持ち悪くなるほどだった。オヤジ臭というか、加齢臭というか、饐えたようなすっぱいような、なんとも言えない脂臭さだった。以前、相棒から「アンタ、いったいナニ分泌しているのよ!」と突っ込みを入れられたパフューマティブなフシミ・バトラー。

それが、ここのところ原稿を書いていても臭ってこなくなった。ウォーキングを終えてシャワーを浴びるときに、びしょぬれになった下着に鼻を押し付けてみても、それほど「ウワッ、クセッ」という感じでもない(誰かクンクン試してみる?)。それどころかからだの脂自体が少なくなってきたようだ。かつて、「顔に脂が浮いている」どころか「脂に顔が浮いている」とまで言われたこの伏見が(自慢してどうする)、42歳にして脂症とはおさらばか! と年増の女友達に話したら、「年をとれば肌がカサカサになって脂がほしくなるくらいよ」と返されてしまった。まあ、そこまで老けちゃいないんだけど。

ともかく、これまで臭くて迷惑をかけていた皆さんに、ご報告まで。近くによってももう大丈夫。安心しなさい。

*写真はさわやかさのイメージ(パタパタパタ……)

2005-12-01

玉野真路さんのブログ

QJrの執筆者でもある玉野真路さんが彼のブログ「新装開店☆玉野シンジケート!」で、伏見の記事に呼応するようにエイズについての一文をアップしている。論点のよくまとまった問題提起なので、読んでみることをお勧めする。

2005-11-29

オバチャマは潮吹き

______.jpg相変わらず、散歩の日々だ。若い子風呂に浸かりながら、ぶりぶりとウォーキング。おかげで黒いサウナスーツは毎日洗濯してるのに、白いものがこびりついてなかなか落ちない。あんた、ヘンな想像しないでけれ、塩だよ、塩。ナトリウム。大きめのペットボトル1本分くらいの汗が流れ出るので、塩分も大量に排出されているらしい。これで高血圧への道は阻止したぜ! 糖尿、退散!!(←セーラーマーズの発声で)

そして、オバチャマ(←伏見のこと)の散歩コースは、前も書いたが地域の高校生たちのマラソン大会が催されることが多く、ここ一週間は、毎日、男子高校生の集団に遭遇。もう「高校生マラソン大会評論家」になれそうなくらい、オバチャマは彼らを観察したよ。写真は出発地点に集結している男子たち。

どの高校もだいたいパターンが決まっていて、トップを走るのは運動部の学生。やっぱイケメンが多い。でもそれって顔の造作の問題ではなく、スポーツをやっているものだけが持つ精悍さの魅力。こういう子たちが息を切らせながら疾走するのを、女子高校生になったように応援してしまうの、オバチャマ。そのあとに続くのは、いまどきの高校生といった大集団で、次にオタク系。うしろのほうになると、茶髪とかヤンキー系がいじけながら歩いていて、最後はやっぱりデブなんだよね(笑)。瀕死の豚のように鼻息荒く歩いている。っていうか本人は走っているつもり。どこの世界でもデブはつらいね。同類相哀れむ。

arakawa_1.jpgここは周囲4キロくらいのコースなんだけど、それが二周目くらいになると、もうトップにデブたちは抜かれていて、ながーーい列が出来てしまっている。ヨーイドン!で一斉に走り出しても、すぐに個人差が現れて、最後には1時間以上も間隔をあけて別々にゴールすることになる。人生を総集編で観ているようで切なくなる。何が人生の幸福なのかはわからないのだけど。

それにしてもなんで「先生」という人種はああも抑圧的なオーラを出しているのか。不思議なくらい偉そうなんだよね。そして暗い。友人にも教師は少なくないので、あんまり悪口は言いたかないが、女の先生も含めて、きゃつら、一目でわかるオーラがある。ちなみに、講演の仕事に呼ばれていったりすると、一番居眠り率が高いのは教職員組合とかの集まりです(笑)。

んなことはどうでもいい。さあ、今日も河原のフェロモン風呂に浸かりに行くべ。オバチャマ、いっぱい潮吹くよ、たっぷり吹いちゃうよー!(写真は彩湖をわたる橋から)