2005-12-04
母校は収容所
散歩コースの入り口に、かつて(30年近くも前)通っていた中学校がある。土手の上からその校舎を眺めると、なんともいえない気分がこみ上げてくる。なつかしさなどではない。薄気味悪さといったものだ。それはとっても生々しい感情でもある。
中学生時、明確ないじめの対象ではなかったものの、居場所はどこにもなかった。毎日、学校へ行くのが嫌で嫌で仕方なかった。男子は暴力による幼稚なピラミッドを作っていたし、発情した女子の集団はいつもピリピリ殺気だっていた。入学の日から卒業の日まで、収容所に入れられているように息苦しかった。もしいまだったら、絶対に登校拒否をしていただろう(だからといって、あの経験が人生に必要なかったとは思わないのだが)。
教師は子供の目から見ても未熟な人が多かった。新設校で新任の若い先生ばかりだった。当時はそれに不満を言う権利があるように思えていたが、現在の伏見の子供みたいな年齢の連中に教えられていたのだから、仕方なかっただろう。彼らも一生懸命だったのだ。
あの校舎を前にすると、自分がいまいったい何歳なのか、いつのまにそんなに月日が流れたのか、わからなくなる。でも、中学時代の「痛さ」はけっして過去になっていない。そう、同窓会に行かないのは、あれを思い出にしてはいけないと思っているからだ。それは過去の恨みつらみが解消されていないということではない。あのときの意識がいまの自分の問題とリアルにつながっている、それと向かい合っているということ。
思春期のつらさは二度と経験したくない。それが、伏見が自由(フリーランス)にこだわる原点だと痛感する。中年も深まったいまの懊悩と、中学時代の苦しさを比べることはできない。正直、どちらも厳しい。けれど、同じつらさなら、自由であることのつらさを選択する。それはいつのまにか覚悟となっていた。