2005-12-04
脱線の結果
私の脱線にも関係がありますので、読者のMさんからメールをご紹介させていただきます。前にお答えした、生菜食Bの玄米粒の量などに対するお返事をくださいました。ありがとうございます!
詳しく教えて頂き、有り難うございました。
*いえいえ、全て私の場合ですので、あまり参考にならないかもしれません。
「ストレス」って、「脱線」の呼び水みたいですよね。(w
*そうなんです!! それはかなり前からわかっていて、できるだけストレスを作らない状態を維持していたのですが・・・。自分自身が変わって、ストレスを感じない、物事に動じない(笑)人間になるということも大事だと思って、随分精神改造ができてきたのではないかな、と思っていたのですが・・・。やはりいろんな状況がありますから、ストレスを回避したくてもできないこともありますね。そうすると、もうどうしようもなく食に走りたくなります。こればっかりは、気持ちを抑制することができないこともあり・・・。今回は寝込んでしまうほどでしたので、脱線は必要でした。
それで、お寿司をいただいたのですが、本当に美味しくて幸せでした! 脱線する時は一心さんのお寿司、と決まっていますので(笑)、気持ちよくいただいて参りました。セットの中に必ずついてくる、海苔巻きやおいなりさんは、持って行ったプラスチック容器の中にしまい、息子の夕飯となりました。私はもう昼にいただいただけで充分でした。という感じで、脱線するにしても、一人前全てをいただくことはなくなりました。それで充分になったんですね。
これって、小食を実践するようになってから、わかったことです。
それから、玄米菜食にしてから、ご飯を美味しく感じるようになってしまい、以前よりも食が太くなってしまいました
*ああ、それはわかります! このブログでも以前書いたことがあると思うのですが、少食を本格的に始めると、そういう段階が必ずあるようですね。つまり、前以上に食べてしまうという矛盾する時期があるのです。私も経験しました。私の場合にだけ言えば、これはもう、明らかに摂取量が少なくなったことで、心身がバランスをとろうとして、お腹が空いてもいないのに、目でどうしてももっと欲しくなってしまう現象でした。胃ではなく、目が欲しがるのです。何か、一日の食の帳尻を合わせたいかのごとく、猛然と食欲が増すのです。でもこれに打ち勝つと、かなり楽になるのですけれどもね・・・。ストレスさえなければ、けっこう続けることができそうな気もするのですが・・。それに、やはりなんといっても、少食がうまくできている時は、体調がとても良いのです。このことに気づいただけでも、本当に大収穫だと思います。
「脱線・脱線・・」って、あまり拘っても良くないですよね。
自分を甘やかして脱線を正当化するつもりはないですが、
自分の背丈以上の無理をするのも、却って逆効果なのかなと思うこともあります。
*そうですね。いつも言うことは、やはり少食を「頑張って、我慢して」やるのは逆効果だということです。でも、脱線すると、今回もそうですけれども、必ずすぐに身体が反応します。つまり、翌日の朝、排便ができないのです。多く食べた日の翌日は、身体から食が出て行かないのです。そうではなくて、ちゃんと少食ができている時は、驚くほどそうしたことがスムーズです。なので、ああやっぱり身体に良くないのだなぁ、と感じるのです。そうすると、自分の中のプライオリティが徐々に変化してきますね。美味しい物をいただくということ以上に、朝の排便が素晴らしいことに思えるのです(笑)。
そうやって少しずつ真理に近づいていって、自分に最良の肉体作りをしたいと思います。もちろん、心もです。脱線した翌日である今日などは、食欲がありません。昨日食べ過ぎたせいか、ずっと眠くて、かなり寝てしまいました。これも、脱線による反応だとわかっているので、今日は玄米を少しいただく程度にするつもりです。
少しずつ段階を踏んで行く事も大切なのかなと。。。
*そうですね。私の場合、その都度学びがあるんです。真面目に実践していても、だらけて脱線しても、ストレスが激しくてうまく生菜食Bができない時でも、いろんな発見があります。そして気がついてみると、この療法を始めた頃よりずっとずっと良い感じになっているんですね。それがとても嬉しいですし、励みになります。だから、脱線はなるべく少なくという気持ちで、ずっと少食を続けようと思っています。
自分の身体と心が、本当にそれを喜んでくれるような段階まで引き上げられれば、理想ですよね。。。
*そうですね、楽しみとして少食を実践できれば最高です! 時々そうなるんですが、やはりそういう時って、ストレスが全くなくて心も良い状態の時ですね。一緒に住んでいる人の理解があるかどうか、ということも重要だと思います。我が家の場合は、息子と2人で暮らしていますし、まだ思春期でいろいろありますので、非協力的ですけれども、さすがに私が一人で何かとんでもないもの(?)を食べようとしているのを見ると、「駄目だよおかあさん!甲田療法しているんでしょ。そんなの食べたら治らないよ!」と気づかせてくれる時があります(笑)。そういう時は、ありがたいなぁ、と感じますが・・・。それ以外は小憎らしいことばっかりで・・・疲れますが(汗!)。
日本も暖冬とはいえ、12月ですから、寒くなって来ています。
淑子さんもお身体ご自愛の程。
息子さんは心配しなくても、大丈夫そうですね。(w
*ありがとうございます! 息子は全く風邪も引かず、元気です! まだ上半身裸で寝ているようです。信じられない・・・。見ていると、いつも薄着ですし・・・。
Mさんも、どうぞ風邪には気をつけて、お元気でお過ごしくださいね!
本日の「オーガニック・ライフ・イン・ジャーマニィ」は、
>自分自身が変わって、ストレスを感じない、物事に動じない(笑)人間になるということも大事だと思って、随分精神改造ができてきたのではないかな、と思っていたのですが・・・。
>やはりいろんな状況がありますから、ストレスを回避したくてもできないこともありますね。
ええ、本当にいろいろな状況がありますよね。
特に人間関係のストレスとか、、、
淑子さんの場合は自分のことだけでなくて、息子さんの周囲の問題などもあるようですから。。。
私が最近心掛けているのは、そんな時、悪い想念を抱かないようにして、自分がそれとどのような心で向き合えば、よいのだろうとか、、、考えることです。
この世に生存している以上、ストレスは避けられないものですから、
ストレスを自分で作り出してしまったり、増幅してしまうようなことだけはしないようにと思っています。
それでも予期せずに遭ってしまった時は、自分が試されているのだと思うようにもしています。
ストレスの原因となっているものに拘ってみたり、悪だと決め付けることのないように、、、
とてもむずかしいことですけどね。。。(w
>脱線すると、今回もそうですけれども、必ずすぐに身体が反応します。つまり、翌日の朝、排便ができないのです。多く食べた日の翌日は、身体から食が出て行かないのです。
これは私と違いますね。(体質の差なのだと思います)
私はどちらかと言うと、もともとがすぐに出易くて緩い体質なので、たくさん食べればそれなりにお通じの回数は増えてしまいます。
肉・卵・乳製品・砂糖、その他添加物を極力避けるようにしていて、それは問題なく実践出来ているのですが、、、
きちんとした物さえ頂いていれば、OKということで、玄米ご飯にしても、豆類にしても、野菜にしても、つい腹一杯になるまで食べてしまうようになってしまいました。
(そういう時、自分の呼吸に意識を向けてみると、不思議なことに、吸い込む方に傾いているような気がします。。。)
何も考えずに悪いものばかり食べていた以前から比べれば、全然マシなんですけどね。
食べ物が美味しく感じられ、食欲が以前よりも旺盛ということは、悪いことではないと思いますが、、、
でも、やっぱり腹一杯はマズイことだな? て自虐的に思ってしまうんです。
歳のせいか食べることって、ある意味体力が必要で、疲れることなのだと、感じることもある今日この頃ですから。。。(w
>自分の中のプライオリティが徐々に変化してきますね。美味しい物をいただくということ以上に、朝の排便が素晴らしいことに思えるのです(笑)。
いえいえ、決して(笑)ではなくて、素晴らしいことだと思いますよ。
「吸う」ことよりもまずは「吐く」ことの大切さが言われる「呼吸」と同じですよね。
「美味しいものを頂くという以上に素晴らしいもの・・・」
とても素敵なフレーズだと思います!(w
それに何だかそのように考えると、心が楽しくなりますよね。(w
>気がついてみると、この療法を始めた頃よりずっとずっと良い感じになっているんですね。
フィードバックしながら、自分が実践していることが、良い方向に向かっていると、少しずつでも実感出来ることって本当に嬉しいし、何よりの励みになりますよね。
「身体と心が喜んで・・・」と書きましたが、
正しい食の実践を、魂が悦んでくれている、、、
それを実感出来るような段階になれたらな・・・と思っています。
「脱線」ということですが、お寿司を食べて「美味しくて幸せで、気持ち良く頂いて来た」とのこと、、、
そういうのが、せっかく人間として生まれて来たことの、本当に幸せなことの一つなのだと思います。
無理して我慢して耐えられなくなって、餓鬼の軍門に下るのとは違って、、、(w
そうやって自分を喜ばせてあげるのって、お寿司を食べること以外のどんなことでも、素敵な幸せの味わい方ですよね。
「脱線」がお寿司だっただけに、ネタをずいぶんと引っ張って、ふんふん長々とお邪魔してしまい、申し訳ありませんでした。(w