ベルリン映画祭現地レポート スタジオ・ポット

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[2004-02-10(火)]

ベルリナーレ(ベルリン国際映画祭)6日目


text: 青木淑子
aoki@pot.co.jp

ゲイ+レズビアンの賞「テディ・アワード」のパンフ

一般チケットカウンターの様子

朝、青汁を飲んで少し早めに出発。今日はつよ子と待ち合わせて、1本目のコンペを見るからでした。でも、つよ子は8時半からオープンする、ジャーナリスト用のチケットセンターに8時から並び、今日と翌日の必要なチケットをもらおうと頑張っていました。携帯SMSにて連絡を取り合い、結局私が上映会場に先に行って彼の席を確保することに。
つよ子:「いや〜〜参ったわ。8時から並んで、私は6番目だったけれど、その後どどっとジャーナリストがやって来て、ものすごい長蛇の列になってしまったの! あれじゃぁ1本目の映画はみんな見られないわね。」つよ子は今日の分はもう入手できず、明日の分のみゲット。それでもないよりはずっと幸せ!

「Samaria」より

ということで、1本目。「Samaria」(Kim Ki-Duk監督)。韓国の作品です。
この監督は、以前ドイツでとても評価された「島」という作品で、一躍脚光を浴びたのですが、去年やはりコンペで登場した時の作品は、一緒に見ていたつよ子と共に、もう最後まで見られないほど耐えられない内容で、途中で気持ちが悪くなって二人して出てしまったのでした。でも、かよちゃんもつよ子も、「島」は絶賛しているし(私は残念ながら見逃しました)、今年のベルリナーレは、韓国作品が優れているという評判もあり(かよちゃん情報)、しかもサマリアとは、聖書の話から来ているのではないかということで(つよ子情報)、私達は3人共見たのでした。
サマリア・・・聖書によると(つよ子から説明を受ける)、ある売春婦を非難している民が、イエス様に彼女を罰するように迫るのですが、イエス様は、「この中で一度たりとも罪を犯したことのない者だけが、彼女に石を投げることができるだろう」とおっしゃり、民は一人去り二人去り、結局誰もいなくなった、というようなお話です。(ごめん、つよ子、それでいいのかな?説明が足りなかったら、読者の皆様、ごめんなさい!)この監督が一環して描いているのは、まさしく「売春婦」。この監督が、どうしてそこまで売春婦に執着するのか、私にはわからないのですけれども、とにかく必ず重要な意味で売春婦が登場するのです。今回は、いたいけな少女二人が、一人は売春をし、一人は彼女のマネージャーをしてお金を貯め、ヨーロッパに旅をしたいと夢見ているところから始まります。天使のような微笑をたたえながら売春をする少女と、何か釈然としない気持ちでアレンジするもう一人の少女。でも、ある日不幸な事故が起こり、売春をしている彼女が大怪我を追い、生きながらえることができない状態に陥ります。さて、もう一人の少女は・・・・。あまりストーリィを書いてしまうと、映画館に見に行く気がそがれてしまいますよね。なのでこの辺にしておきますが、マネージメントをしている少女が、彼女の父親(父子二人の生活)を巻き込んで、とてつもない状況に陥るのです。う〜〜ん、これもあまり書けない! すさまじいまでの描写! もう、悲惨すぎる過激な展開に、私は幾度となくのけぞりました。ひとつだけ言えるのは、登場人物の誰もが、他の人々と向かい合っていないこと。それゆえに、どんどんと歪んだ方向に人々の感情が流れていってしまう・・・・。
精神的に、あまりに怖くて、私には耐えられない作品なのですが、確かに力のある強い監督だと思います。韓国映画がパワフルだ、というのが頷けます。大きな拍手がありました。でも、素晴らしくても苦手っていう作品ってありますよね・・。本当にドキドキしてしまいました。ちなみに、映画の専門家であるかよちゃんは絶賛していました! なのでちょっと一緒にお茶した時に聞いてみましたら、なるほど彼女の分析は鋭い!! 彼女は新聞に書くので、あまりここでは彼女のコメントは書けないのですけれど、聖なるものと、そうでないもの、この相反するものの象徴に、「売春婦」という女性が使われているのではないか、と。確かにそう言われてみれば、監督の激しいまでのアンビバレントな、バイオレンスな感覚は、どこか春を売る女性達に似ています・・・。

「Before sunset」より

2本目は、「Before sunset」(Richrd Linklater監督)で、アメリカ作品。ジェネレーションXの監督で、95年にすでにベルリナーレで、「Before sunrise」で銀熊賞を受賞している実力派。凄くうまく作られていました。観客を引き込む魅力もたっぷりあり、特に驚いたのはカメラワーク。会話中の二人を自然に捕らえるカメラが、とても心地よかったです。
主演はイーサン・ホークとジュリー・デルフィで、なんと脚本を、彼らと監督が一緒に手がけています。それででしょうか、とてもインティームな凝縮した面白さに満ちていて、スタッフと俳優達みんなが、心をひとつにして取り組んだ作品という感じがして好感が持てました。作家として成功しているイーサンが、パリの有名書店でトークを終えようとしている時、10年前に一晩ながらも、お互いに惹かれあって再会する場所まで決めていた女性(が、ジュリー)と再会。彼はすぐに飛行場に行かなければならず、時間がないものの、ジュリーと街を歩き、カフェに入り、また街を歩き、船に乗り、飛行場までの車に乗り、途中で降りてジュリーの家まで送り、そして部屋に入り・・・。その間、カメラはずっと二人をとらえているのです。長まわしがあったり、手法としてとてもセンスの良さをうかがわせ、やるなぁ!と思わずうなってしまいました。二人の会話が、最初他人行儀で、お互いが別の人生を送っていることを感じさせるものの、徐々に会話のテンポも早くなり、内容も濃くなってきて、どんどんお互いの核心の部分に入っていきます。そのプロセスを見ていくのが楽しく、良く考えられた脚本のためなのか、見ていて飽きないし安心して笑っていられる作品だったと思います。拍手は爆発的にあり、ジャーナリストは皆、久々にコンペで楽しんだ、といったところでしょうか。(その気持ち、とってもわかる!!)

「Feux Rouges」より

3本目は、「Feux Rouges」(Cedric Kahn監督)、フランスの作品です。主演女優が私の好きなキャロル・ブーケというだけで、もう嬉しくてウキウキ状態で見たのですが、あれれ、途中で眠ってしまった〜〜〜!! 夫と、仕事でも成功しているキャロルが、車でキャンプから戻って来る二人の子供達を迎えに行くことから始まるのですが、二人の間には始終諍いがあり、かみ合わない。車に同乗していたのは、確かにキャロルだったのに、ちょっと眠ってしまって、はっと気づいた時には、もう別のむさくるしい青年が代わりに同乗しておりました・・・・。どうして〜〜!? 失敗!! でも、その後気を取り直して最後までしっかり見ましたけれども・・・・。結局、キャロルは夫との喧嘩がエスカレートしたため、途中下車して電車で目的地に向かうことになり、夫は代わりに知らない男性を同乗させたようですね。その男性と、車を運転しているのにスコッチをあおる様に浴びる夫のやりとりの怖さ・・・。そして最後に以外などんでん返しが用意されていて・・・・。あのぉ、でも、なんと言うかその〜〜〜、あまり面白くなかったです。夫がスコッチばかり飲んでいて、車を運転するものですから、危なっかしいだけでなく、幻想と現実が交差して、おかしな雰囲気に包まれます。でも、それが観客を驚かす仕掛けの域を出ていないような演出なので、ちょっと乗れなかったですねぇ。拍手は・・・・まばらでした・・・というか、ほとんどなかったです・・・。

でも、その3本目でいい情報をキャッチすることができました!
それは、ベルリン在住の日本人女性、松山さんといろいろお話することができたからです。
松山ふみこさんは、映画を専門にしていらっしゃる、非常に優れた評論家、ライター、映画監督です。ベルリナーレの時くらいしかお見かけしないので、毎年この時期に「ご無沙汰しています」と言ってご挨拶する程度なのですが、今年はご縁があって、もうちょっとお話する機会がありました。彼女は、いわばベルリナーレの「名物」的な日本人女性なのです。彼女はカメラを持ち、取材用の紙、筆記用具(は10本以上持ち歩いている!)、暗闇でも手元を照らせるペンライト、自分が見たもの、見るものを詳細にチェックできるように作りなおしたプログラムなどを常に持って歩き、とても重いはずなのに、疲れも見せずにいつも颯爽と会場を闊歩しています。時々行く記者会見では、ほとんど必ずといっていいほど彼女がいて、メモを取るだけでなく、カメラでの撮影を怠らない。彼女くらい、一生懸命にベルリナーレで取材している人を、私は知りません。かよちゃんもかなりの本数を見ているけれども、松山さんは「50本くらいでしょうか?」とお聞きしたら、「う〜〜ん、数えていないけれども、その倍くらいは見ているかも」と、仰天するような答えが返ってきました!! い、いったいいつ寝ているの!?こういう女性は、実力があるのに、なかなか脚光を浴びず、自己アピールをほとんどしないため、能力があることすら知られることが少ないのです。本当に残念なこと!! できればもっと、松山さんがいろんな場所で活躍できると素敵だな、と心から思います。要領よく世間を渡り歩いている人が多い世の中、松山さんのようなピュアな精神で、大好きな映画に取り組んでいる人は少ないでしょう。ぜひ頑張って、映画を極めて欲しいと思っていますし、もっと世の中に知られて、彼女の感性が理解されたらいいなぁ、と思います。
最近、松山さんの作品が、ウルグアイのフィルムフェスティバルで紹介されることが決まりました。おめでとうございます、松山さん!! これは、xxII International Film Festival of Urguay という映画祭で、松山さんの映画のタイトルは、「Abentruer der Rumflasche」。開催期間は2004年 4月3〜18日です。その時期ウルグアイに行かれる方がいらっしゃいましたら(??む、難しいかも・・・)、ぜひご覧くださいね〜〜!!

ということで、さぁ2日ぶりに帰って来た「つよ子」さん!! 相変わらずテンション高いまま、イケイケドンドンの文章ではじけております。また倒れないでよね〜〜、つよ子ちゃん!

text: つよこ・フォン・ブランデンブルク

みなさま、ご心配をおかけしました。つよこは、不死鳥のごとく蘇りました。転んでもタダでは起きない物体(もはや人間ではない?)を自認するわたくし。倒れた事実さえもネタとして淑子さんを通して使わせていただいております。つよこという存在は、まるで各人のイメージのなすがまま、サービス精神をふりまきながら独り歩きするので、もはやそれが自分自身なのか、ああ、わたしは自我のアウトラインがかげろうのように妖しくゆらめく蜃気楼(とドラマチックにマダム岸なんぞしてみる)。メディアという媒体による公共の存在=春を売る商売のようなものかもしれません。

ちょっと(かなり?)もっていき方が辛かったけど、今日の1本目、韓国の監督KimKi-Dukの『Samaria / Samaritan Girl』は彼の最近の3本の作品に共通する「売春婦」がテーマ。キム・キドックの2000年の作品『Seom / The Isle』には本当ぶったまげただ。フランスのヌーベルバーグを彷佛させる斬新なカメラワーク。すんごい監督が韓国から出たわぁ〜と思っていたら、去年のコンペの出展作品『Na-Bbun-Nam-Ja /Bad Guy』でおおこけ。あまりにもおそまつな出来に我慢ができず途中で出てきた。こんな極端な作品を作る人っていったい二重人格?それとももしやフジコフジオみたいな二人羽織り監督?などと妄想を逞しくした今回の作品。3度目の正直は、やっぱ「ブ〜」!わたしゃ、今回でこの男(監督)にみきりをつけましたよ。
売春をする女子高生の父親(刑事)が、娘を買った男たちに暴力を働きついには殺してしまう。そんで、最後にその娘と自分の行為に責任をとるみたいなストーリー。でも、なんでそんな無差別に暴力ふるうの!どうして、娘(とそもそも娘の友達)が売春するの?普通はまず、父親だったら娘と話し合うべきでしょ〜が。なんて矛盾は無視されてセンチメンタルな情感のラストへともっていかれてもね〜。びっくりすることに、すっごいよかったよ〜って目をうるうるする感情もっていかれ〜のの人もいたらしいけど、このつよこはそうはいきません!社会から虐げられてきた「オカマ」は社会的な視線でちゃんととらえていない作品にはとぉっても厳しいのよ!
タイトルのサマリアの女って、聖書にでてくる女性の話よね。ユダヤ人から軽蔑されていたサマリア人の女にイエス様が分け隔てなしにお話になって、そして会話をしていくうちにサマリアの女がイエス様を救世主だと認めて、サマリア人にふれまわったという。なんでこれが、このストーリーと関係あるの?まあいいわ、わたしの怒りもこの一言でおさまるでしょう。
「キム・キドックさん、さよ〜なら〜〜〜〜」

「Proteus」より

次は、いかにもパノラマ的な作品。南アフリカとカナダの合作で、John GreysonとJack Lewis競作の『Proteus』。きゃ〜!これがまぁったく期待していなかったけど良かったのよ!今まで見た中で文句なくNo.1。
舞台は18世紀、奴隷制度真只中の南アフリカ共和国。ソドミーで島流しにあったオランダ人の囚人奴隷リカート(男)とアフリカ人の奴隷クラース(男)が、南アフリカの島で出会い、関係を結ぶ。最初は肉体だけのものだった二人の関係は、だんだん愛へと変化していく。しかし、そのうち関係性が発覚し、むごい拷問を受け、人々にもさらしものにされた後、リカートは死刑を宣告される。クラースはラッキーにも貴族のサポートが功をそうしてもとの島へ返される運びとなったが、最後の最後の瞬間に法廷で「we did that」と告白する。つまり人としての義、二人の愛をつらぬいたのだ。この困難な状況下で!二人はそのまま一緒に処刑されるが、その前のお互いの愛を確かめあった時の二人の表情。それは、幸せそうな微笑みさえをたたえている。
この映画は監督により、南アフリカのア−カーブに眠っているのも見つけだされて明るみに出た、実話の映画化だ。そう思うとなんともいえぬ感慨が押し寄せてくる。それは、どんな困難な状況下でも自分のベストをつくして愛を信じた、人生対する誠実に生きる姿だと思う。そして、それは自然と同性同士が愛し会うのはいけないことなのだろうかという自問へと導く。当時いかに同性愛が虐げられていたかは今の比ではないけど、南アフリカ人クラースに比べ、オランダ人のリカートはゲイとしての人生設計ということに前向きだ。だから映画の中盤でリカートは、クラースにこの囚人生活を二人ででたら一緒に住もうと提案する。しかし、社会的事情をおそれたクラークがそれを拒否すると、リカートは「ぼくたちのやっていること、これはなんなんだろ?
これに名前があるのなら誰かつけてくれ」と叫ぶ。それはまるで魂からでた叫びのように響く。同性愛に積極的な姿勢をとってこなかった、クラースが最後に自分の意志でリカートとの死(愛)を選んだのは、だからとても感動的。アーカイブの記録がどういったものかは知らないが、資料からこういった脚本を導いた監督の演出は上手いと思う。また、まったく当時の時代考証をそのまま再現するのでなく、いきなり自動車が出てきたり、裁判のシーンでは、現代の洋服で裁判の模様をタイプするタイピストが出てきたりするアイデアも良くできていると思う。見終った後、絶対ポジティブな気持ちになれる映画。うぬぬ、ゲイ映画祭のテディ・アワード有力候補現わる!

「Before sunset」より

最後が、アメリカ人女性Angela Robinsonの『D.E.B.S.』。これはおそらくベルリナーレで一番おバカさんな映画だと思う。いってみればレズビアン・コメディー。SaraFoster, Jordana Brewster, Meagan Good, Devon Aokiの扮する女子高生が、実はスペシャル・エージェンシーのアカデミー学校の生徒で悪役を成敗しちゃう?というもの。ピーター・グリーナウェイのひねった英国式ジョークじゃなくて、アメリカンな単純明解ストレートなギャグが面白くてついつい笑ってしまう。会場もはじめっからノリノリのムードで女性同士のキスシーンがある度に「イエ〜!」っていうレズビアンのグループがいた。(ダイク?恐くて近寄れなかった。ドイツ人のレズビアンは男を飛び越してオヤジ系が多いわ〜。おおコワ〜。人のこと言えないだろっていうのはだぁ〜れぇ〜?)お口直しのデザートにこんな映画をみるもの悪くないかも。映画祭はどっちかっていうとテーマが重くなりがちだから。
しかし、びっくらこいたのが日本人の血が入っているスーパーモデル、Devon Aokiの演技の下手さ!今どきあれほど下手なのはちょっと珍しいよ。彼女のお父さんは、たしか2世で「ベニハナ」っという全米一大きいなんちゃって日本食レストラン(チェーン店)を経営する人。Devon青木は最近映画界に進出しようとしてるけど、あれじゃ〜前途は多難そうね。しゃべってもダメ、顔の表情はベネチアの仮面舞踏会。どうやっても使えなさそうだもの。

そうそう、パノラマ部門に出展されている作品は映画館に入る前にアンケート用紙を渡される。見終った後投票をして、映画祭の後、観客から一番人気があった作品に『観客賞』が授与されます。こういったベルリンの観客が一緒になってワイワイ楽しめる雰囲気がパノラマのよさなんでございますのよ。映画祭に来たら絶対パノラマをみてね〜。(っておまえはパノラマの回しもんか?)

text: 青木淑子
aoki@pot.co.jp

・・・・ということで、元気になったつよ子ちゃんのレポートでございました!!
またまた私、青木が出て参りましたが、実はつよ子と私は、朝のキム監督作品の後、15日のラトル指揮による「春の祭典」(昨日、その映画のことは書きましたね)のフィルハーモニーでのチケットを購入すべく、一般チケット買カウンターに並んだのです。途中、私は2本目が始まるため、つよ子がそのまま並んでくれて、ああ、これで何とかチケットが手に入る! と喜んでいましたら・・・。つよ子ちゃんからのSMSが入り、「チケット、すでに完売だって・・・」とのこと・・・・。が〜〜ん! もっと早く気がついて、チケットをゲットすべきでした!!!! 残念残念・・・・。

ということで、また明日・・・・。

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