本の紹介

佐々木敦『ニッポンの思想』


佐々木敦氏のことは四半世紀以上前から知っている。知っているといってもお目にかかったこともなければ、メールのやり取りをしたこともない。ただ、大学時代に、伏見の幼なじみが佐々木氏と早稲田で友人になって、「佐々木という面白いやつがいる」とやたら語っていたので間接的に知っていた(たぶん、頻繁にその名前が会話のなかに出ていたので記憶しているのだと思う。きっと彼は四半世紀前から異彩を放っていたのだろう)。そして、ある時期からたまにメディアでその名前を目にして、たぶん、あのときの「佐々木」がこの人なんだろうなあとは思っていたけれど、文章を読んだりすることもなく、この本で初めて彼の言葉に触れた。

感想は、同世代で思想やカルチャーに関心を持って勉強していたインテリなら、きっとこういうラインで思想状況を捉えるのだろうなあというもの。伏見みたいに浅田彰氏の『構造と力』を最近まで『構造と刀』だと思っていた手合いにとっては(←バカ)、ポスト構造主義なんていうのは、自分がセクシュアリティの問題を考えていく果てに出てきたもので、思想を思想として興味など持つこともなかった。だから、この本の流れも、思想を思想として興味を持てる人にとっての趣味趣向が濃厚に反映されていると思った。言葉は悪いが、思想マニアがどのあたりをイキどころにしてきたのかという。伏見は目的論的にしか思想を理解する力がないので、結局、ここで語られた思想の内実はあまりわからなかったが、80年代以降の「ニッポンの思想マニア」というのなら、たしかに、イメージできた。

いただいたご本『TAJOMARU』

● 浅野智哉『TAJOMARU』(講談社) 950円+税

小栗旬・主演の映画『TAJOMARU』のノベライズ。知人がノベライズを担当していて送っていただいた。文章が達者な書き手なので、きっと小説は小説で完成度の高いものになっているはず。

伏見はいま自分がフィクションを書いている最中なので、他の物語には入っていけないのだが、歴史ものは大好物。世間では歴史が好きな女子のことを歴女というらしいが、自分、歴釜かもしれない? 司馬遼太郎とかほとんど読んでいるからね(笑)。

それにしても、小栗旬ってどうして人気があるのかわからない俳優だ。唐沢寿明の二番煎じの印象を勝手に持っているのだけど、もっと年をとったら味が出てくるのだろうか、独特の個性が滲んでくるのだろうか。どうにも萌えポイントが見つからない男子である。

いただいたご本『低炭素革命と地球の未来』

● 竹田青嗣・橋爪大三郎『低炭素革命と地球の未来』(ポット出版) 1800円+税

ポット出版から竹田青嗣氏と、橋爪大三郎氏の対談『低炭素革命と地球の未来』が上梓された。

ポットさんが以前に出版した『自由は人間を幸福にするのか』もシンポジウムを収録したものだったけど、本としてはやや食い足りない感じがあったが、今回の対談本『低炭素革命と地球の未来』はかなりの満腹感を得られる。二人の思想家の基本的な考え方がわかりやすく語られているし、意見の異なるところにも突っ込んでいる。

橋爪氏の言う通り、地球環境の問題を考えれば、「大きな物語の終焉」ではなく、いまこそ我々が「大きな物語」を生きているこを認識し、その課題への取り組みが必要なのだろう。そして竹田氏と橋爪氏の共通の前提である、資本主義と国家を諸悪の根源として否定する批判思想、マルクス主義やポストモダン思想にピリオドを打って、とっととやるべきことをしないと時間切れになっちゃうよー!という主張にはまったくもって大賛成。強迫的な無根拠性の指摘や、ありがちな権力批判に終始していなくて、ちゃんと代案、アイディアを用意しているところが、この二人の思想家の素晴らしいところですね。

いただいたご本『はじめての言語ゲーム』

● 橋爪大三郎『はじめての言語ゲーム』(講談社現代新書 760円+税)

「そのときこそ賭けてもいい、人間は波打ち際の砂の表情のように消滅するであろう」
というのはフーコーの有名な言葉で、こういうちょっと知的で、謎めいた文言に打たれてしまうインテリ予備軍は多い。そして、かのヴィトゲンシュタインも妖しい魅力を放つ文言を残している。
「語りえぬことについては、沈黙しなければならぬ」
……やっぱ、なんか、かっこいいっすねー!←恥ずかしながらそれ以上の理解ではない。

ロングセラー『はじめての構造主義』で日本人の構造主義に対する理解を広げた橋爪大三郎先生が(先生という敬称は、伏見が現在橋爪先生の下で学問を学んでいるため)、二十年経って再び講談社現代新書で『はじめての言語ゲーム』というヴィトゲンシュタイン入門の新書を上梓された。これ、きわめて理論的な本なのかと思ったら、ヴィトゲンシュタインの生い立ちから掘り起こして、もちろん、彼の「言語ゲーム」理論についても説明し、なおかつ、橋爪先生オリジナルの、本居宣長を「言語ゲーム」で読み直すという論考までもが含まれている。文章もわかりやすいし、とてもコンパクトにまとまっていて手に取りやすい。

20世紀最高の哲学者の一人と言われるヴィトゲンシュタインを学ぶにはもってこいの一冊だろう。伏見もいま書いている小説の原稿を上げたら、もう一度頭を論理方面に切り替えてじっくりと勉強してみたい。

書評『挑発するセクシュアリティ』

● 初出/現代性教育研究月報

志田哲之・関修編『挑発するセクシュアリティ』
石丸径一郎著『同性愛者における他者からの拒絶と受容』

これまで同性愛をめぐる学術研究というのは、同性愛/異性愛の二項対立を脱構築しようとするアイデンティティ懐疑の議論が多かった。しかしそうした思潮と、当事者の生活実感はかなり乖離していただろう。思弁的にアイデンティティを懐疑することが、ふつうの当事者には自分たちの生に何か意味のあるものを示しているようには感じられなかったのである。

が、時代はまた進み、そんな言説状況に新しい視点を加える論文も現れてきた。『挑発するセクシュアリティ―法・社会・思想へのアプローチ』に収録されている小倉康嗣「ゲイのエイジングというフィールドの問いかけ」と、金田智之「セクシュアリティ研究の困難」がそれだ。 続きを読む…

いただいたご本『前略、離婚を決めました』

● 綾屋紗月『前略、離婚を決めました』 1400円+税

名著『発達障害当事者研究』の著者である綾屋紗月さんの、よりみちパン!セからの新刊である。今回は幼少のころから記憶を掘り起こし、思春期の孤独、恋愛から結婚・離婚に至るまでの自己史を、自分の子どもたちへの手紙の形式で書き綴っている。

平易で繊細な文章も読ませるが、内容はけっこうエグい。元夫との離婚までの過程をセックスの問題にもちゃんと突っ込んで語っている。そういう意味では他にあまりない類の本だろう。その率直さは感動的でもあり、夫婦というものの本質的な問題を描き出している。

本書については別に書評を書くことになったので詳細はそちらにゆずるが、ただこの本を読んで伏見は、「でも、自分もこの人と結婚して暮らしたら、DVのアルコール依存の夫になるかもしれない…」とふと思った。夫の暴力の原因を彼女に押し付けるつもりはないのだけれど、どうしてそのような読後感を抱いたのか、いつか自己分析してみたい。

いただいたご本『どんとこい、貧困!』

● 湯浅誠『どんとこい、貧困!』(理論社/よりみちパン!セ) 1300円+税

ずいぶん前に版元から送っていただいた本なのだが、ずっと手に取る気がしなかった。帯に「「自己責任」よ、これでさらばだ!」というコピーが謳われていて、こういう二者選択、勧善懲悪的な議論がすごく嫌いだからだ。

反差別の運動でも、政治的な運動でも、どこからどこまでを社会の問題にすべきなのか、個人の問題として引き受けるべきなのかは、実際すごくセンシティブな線引きで、その感度を大切にすることでしか社会的な了解は成立しないと思う。格差社会批判というのは、自由か平等かという古典的な論議の変奏で、経済状況が良くなれば自由に重きが置かれ、悪くなれば平等への希求が増す、という一方の思潮の出方にすぎない。なので、「自己責任」だけを諸悪の根源であるかのような物言いって、すごく幼稚で、時流に乗っているみたいで……。

とはいえ、読んでみれば本書の言っていることはけっして間違っていない。平等の側の観点から見れば、こういう格差社会批判は当然ありうるもので、80年代、90年代のバブリーな時代に自由のほうに線引きが寄っていたことを考えれば、視点を平等の側に戻す必要もあるだろう。著者は現在の社会の一面を説得力ある形で記述することに成功している。そういう意味では非常に良い本。だけど、シリーズのバランスで考えれば、自由のほうの視点で世界像を示す本があってもいいかもしれない。両方そろって初めて、若い人は社会への複眼的な見方を獲得できる。

いただいたご本『中学生からの哲学「超」入門』

● 竹田青嗣『中学生からの哲学「超」入門』(筑摩書房) 800円+税

ちくまプリマー新書から竹田青嗣氏が10代以上の読者に向けた哲学入門書を出した。竹田氏はこれまでもたくさんの「入門書」を書いているが、そのなかでもいちばん言葉をくだいて著わした一冊ではないだろうか。しかも内容は大人でも十分学ぶに値する水準のもので(当然なのだが)、竹田現象学の初学者にとってはとても良い入り口となるはずだ。

個人的には、竹田氏自身が哲学と出会うまでの遍歴が語られている1章が印象的で、哲学的思考というのが単に学習によって可能になるのではなくて、自身の体験との深い邂逅がないと深まらないことが理解できて興味深かった。些末なことではあるが、彼の若かりし日の「金縛り体験」が自分のものとうりふたつで、金縛りの解除の仕方までいっしょだったことが妙に面白かった!

人がなぜ考えようとするのか、なぜ哲学をせざるをえないのかを知りたい人にはうってつけの本である。

いただいたご本『エロスの原風景』

● 松沢呉一『エロスの原風景』(ポット出版)2800円+税

世の中には「あっぱれ!」と思わせてくれる人がいるもので、この本の著者、松沢呉一氏もその一人。彼くらい尋常ではない好奇心と、透徹した分析力と、出力エネルギーの過剰さがあれば、もっと社会のメインストリームでビッグになれるはずなのだが、何の因果か出版、それもエロなんぞにハマってしまい、人生をマネー方面とは別のところで走らせているのが可笑しい。こういう業の深い人生をどっぷり生きている人には、ただ「あっぱれ!」と言うしかない。

本書も、そんな「あっぱれ!」な彼の生き様のなかで可能になったもので、エロに関して「国会図書館を越えた男」と呼ばれる松沢氏の稀代のエロ本コレクションのなかから厳選したビジュアルを紹介しつつ、エロ本の歴史を江戸時代から現代まで辿るという資料価値の高い一冊になっている。前近代の風俗本から、ホモ、ビニ本、夫婦生活ものまで、実に多様で豊穣な日本のエロ文化を、一次資料と松沢氏の洒脱なコラムで概観できる。セクシュアリティに関心を持った研究者が、ちょっと資料をあたってフーコーで言説分析しました、みたいな安直な言葉ではない、マニアの凄みがここにはある。少し値段は張るが、エロファンなら十分もとが取れる。

書評『社会学』

*初出/現代性教育研究月報
・長谷川公一ほか『社会学』(有斐閣)
・野々山久也『論点ハンドブック 家族社会学』(世界思想社)

教科書というものを長いあいだバカにしていた。どうせ、当たり障りのないことをもっともらしい言葉で、まじめくさって解説しているだけの「公式見解」だろ、と。けれど、最近ふとしたことで手に取った社会学のテキスト、長谷川公一他『社会学』がたいそう面白く、ページを繰る手がとまらなかった。

その面白いには二つ理由がある。一つは、この本が専門用語に淫していないので読みやすく、図解やコラムなどを多用していて、読者の好奇心をそそる内容だったこと。以前にも社会学の入門書をひも解いたことがあるが、それは学問の体系を学問の言葉でかしこまって説明しているだけで、自分のなかの問題意識と結ぶ何かが見出せなかった。だから、各章の冒頭にわかりやすく身近なエピソードを置くことからテーマに導いてくれる本書は、とても親切で、学問の理解を容易にしてくれる一冊に思えた。 続きを読む…

いただいたご本『罪と罰』


二丁目でしっぽり罪深いことをして朝方家に戻ると、光文社の文庫編集部から本が届いていた。それがなんとドストエフスキーの『罪と罰』!(笑) なんだかタイムリーなタイトルにゾッとしました。

仕事がらいろんな出版社や著者から献本をいただくが、光文社ってこれまでお付き合いもなく、著者とも面識がないので(当たり前)、どうして送られてきたのかわからない。それもロシア文学。重厚な世界文学。ま、伏見も一応は小説家の肩書きもあるのですが。うーん、どうして伏見にくださったのだろう。

いや、とてもありがたいのですが。

『罪と罰』は若い頃に読んだことがあるようにも思うのだけど、内容をすっかり忘れているので、暇を見つけて新訳で読み直してみようと思う。文字が大きくて読みやすいだけでとても助かる。うちの本棚にある古いドストエフスキーの文庫なんて、老眼鏡でもかけないと読むこともできないからね。

いただいたご本『被爆のマリア』

hibaku.jpg伏見は共同だったか時事だったかで単行本版の書評を書いたのだが、それが著者の目にとまったらしく、文庫版の解説を書かせてもらうことになった。よい機会だったので田口ランディ氏の他の作品も読み返してみたら、どれも彼女しかアクセスできないような異界を抱えていて、その異空間にからだごと呑み込まれそうになった。恐ろしい魔力を持った作品を指先から滴らせる人だと思った。

そういう物語の評を書くことくらいやっかいなことはない。こちらの言葉が届かない感じが拭えないからだ。こんな小説に接するときほど評論の言葉の限界を痛感するときはない。そんなわけで四苦八苦してどうにか入稿した解説なのだけれど、最初に新聞に寄稿したものよりは手応えを感じる内容になったと思っている。田口氏の作品の箸休めとして読んでいただければ幸いだ。

● 田口ランディ『被爆のマリア』(文春文庫)533円+税

いただいた雑誌「STUDIO VOICE」2009.8

studio.jpg「STUDIO VOICE」といえばバブルの時代にはオシャレの代名詞のような雑誌だった。伏見はこれまで書評を上げてもらったくらいの関係しかなかったのだけれど、そこからコラムの依頼をいただいてとても光栄に思った。そして「今後ともよろしく」と原稿を送ったら、なんと、次号で休刊が決まったという! 部数と広告の減少が止まらず会社を解散するとのこと。なんとも寂しいが、そういう時代なんだなあと溜め息が出た。

毎月なにかの雑誌が休刊していく今日、物書きという職業が成立する基盤は益々危うくなっている。売文業がありえたのも近代という時代の特殊性だったのかもしれない。作家になりたい人は増えているのに、仕事ができる場はどんどん減っている……。ネットによって誰でもが発信できるようになったのはよかったが、表現の質はどうなっていくんでしょうね。

いただいたご本『裁判員の教科書』


『欲望問題』までの伏見の仕事は、「無知ゆえに言えることもある」というスタンスで著わしたものだったが、さすがに四十代も半ばになると、そういうのって処女でもないのに処女ぶっているみたいで情けない。それで一念発起、四十の手習いで橋爪大三郎先生に弟子入りして、社会学や学術論文の書き方を学びはじめた。おかげで勉強って面白いじゃん!!というのを中年も深まってやっと体感できた伏見である。

それはまさに橋爪大三郎という知性に接することができたからなのだけれど、学問が面白いのか橋爪先生が面白いのかわからないくらい(笑)ゼミなどでは師匠の口をついて出てくる知の結晶に魅了されてしまう。この本『裁判員の教科書』もその知性の一端を味わえるものになっていて、法学部を卒業しているのに法律に関してまったく理解していなかった伏見は、またしても自分が恥ずかしくなった。橋爪先生に身近に接するのはもはや羞恥プレイ?(笑)

「刑事裁判で裁かれるのは、検察官である」「〈刑法〉は、裁判官にあてた命令です」「憲法は、日本国民から、国(広い意味での政府)にあてたもの」「民法には、罰則規定がない」……ほう、そうなんですーーーか!?と目からウロコが落ちるとはこのこと。平易な文章で物事の本質を言い当てるのは、橋爪先生の真骨頂だ。一般人が読んでも法とは何かということがよく理解でき、なおかつ、法によって統治されている社会、国とは何か?という問題が読み手のなかでぐわんと浮き上がってくる。

● 橋爪大三郎『裁判員の教科書』(ミネルヴァ書房)1800円+税

いただいたご本『僕は運動おんち』

onchi.jpg最近、よくエフメゾにおみえになる枡野浩一さんから新刊をいただいた。お店では「サイコ」「ストーカー」あつかいされている枡野先生であるが(笑)、これはとてもさわやかな青春小説。主人公は運動も勉強もできない男子高校生で(でもチンコはでかい)、彼の友情や恋をちょっと笑えてちょっと切なく描いている。

60年代生まれの思春期が舞台になっているので、伏見にはなつかしい風景だった。「ノストラダムス」とか「ガラスの仮面」といった時代のアイテムも登場して、現在のアラフォー世代には?たまらない。「虚無への供物」などという小説まで導入されていて、伏見的にはニヤリ。男子高校生のたちの性欲と友情のあいだにある情感が、恋愛やセックスよりもよほど切なかった。やはり言葉に定義されない微妙な感情ほど美しいものはない。それが青春だー! 装丁画もとてもいい。

● 枡野浩一『僕は運動おんち』(集英社文庫) 514円+税

いただいたご本『きみが選んだ死刑のスイッチ』

「ホームルーム、裁判員制度、死刑。この三つに共通する、最大の注意点はなんでしょう? 答えは、この本のなかにあります。「思考停止」を乗り越え、手遅れになる前にじっくりと考えるための、入魂の一冊。」

裁判員制度がはじまるにあたって、この本は、日本国民なら誰しも読んでおくべき一冊かもしれない。議論を法とか民主主義の成り立ちから掘り起こしていて、私たちの社会の根幹を振り返るのにとても有意義。伏見は死刑制度に関しては、「やっぱあったほうがいいんじゃない?」というくらいの情緒的な立場なのだが(要するにあまりちゃんと考えていない)、本書を読んでうーむと考え込んでしまった。というのも、死刑囚がどのように殺されるのかが詳細に記述されていて、その臨場感を共有することで、それまでふたをしてきたものを開けられたような気がしたのだ。

だけど、「あんたは人を殺せるの? 殺していいの?」と畳み掛けられるようで(意図してそうした書き方にしているのだろうけど)、その倫理主義的な物言いが逆に説得力を失わせてしまうような気もした。あと、小泉の新自由主義が諸悪の根源!みたいな断定は、どんなものかなあと……。ともかく、本書がとても良いテキストであることは間違いなく、死刑について考えたことがない人は一度手に取ってみるのがいい。

よりみちパン!セシリーズの『阿修羅のジュエリー (よりみちパン!セ シリーズ44)』はまだ読めずにいる。面白そうな気もするのだが、伏見にとってジュエリーは「豚に真珠」なので、興味がわかずごめんなさい。……「国宝「阿修羅像」は、キラキラでエキゾティックなジュエリーをまとった、天平のファッションリーダーだった! そしてあまりにも有名なこの少年顔の鬼神の装飾には、現代のアクセサリーや携帯ストラップの持つ秘密が隠されていたのです。」

いただいたご本『MODE アグリー・ベティ オフィシャルブック』

全国のアグリー・ベティファンの皆様、お待たせしました! 「MODE」を模したオフィシャルブックの登場です!←『MILK 写真でみるハーヴィー・ミルクの生涯』のAC BOOKS 様が版元よ←実にヘンな本を出してくれる出版社ですね!

それにしてもベティ、どブスですね。まあ、だからアグリーなわけですが。ドラマで見慣れた感は出てきたものの、大版の表紙でどアップになるとかなりインパクトあります。すごいよ、この歯の矯正の輝き。うーん、やっぱこの装丁であえて購入するのはオカマのみなさま以外考えられないでしょう。あるいは、オカマの心を持った女子か(笑)。

しかしベティって不思議な女子ですよね。ふつうあれくらいのブスになると、妙に屈折していたり、他人におもねる性格になっていたりするものですが、なんつーか、とてもナチュラル。ナチュラルブスというジャンルがあるのかわからないけど、ああいう自意識に変異の見られないブスって貴重だと。伏見のどブスの女友だちはみんな、善かれ悪しかれ強烈だからね。

デザインも内容もとってもMODEな一冊なので、ぜひ手にとってみてください!

宮台真司『日本の難点』


相対主義の否定が不可能だと知りつつ相対主義を「あえて」否定するしかないーー「普遍主義の不可能性と不可避性」とはそうしたことです。

ーーさすが宮台真司先生! いつまでも相対主義の物差しで物事の根拠のなさを指摘して溜飲を下げているばかりでは仕方ない、ということですね。ジェンダー/セクシュアリティというローカルな分野でも、こういう議論を展開してくれる人が出てくればいいのに……。

「普遍主義の理論的不可能性と実践的不可避性」
「恣意性に敏感であれ!」という段階から「恣意性を自覚した上でコミットせよ!」という段階への変化です。

ーーとても刺激的で、共感するところ多の一冊であった。

もちろん星は ★★★★★!

いただいたご本『「死刑」か「無期」かをあなたが決める』


● 小浜逸郎『死刑」か「無期」かをあなたが決める』(大和書房)

伏見はアッパラパーなので、「裁判員制度ってアメリカの裁判みたいでかっこよくない?」「選ばれちゃったら面白い人間模様が見れるかも!」みたいな幼稚な意識しかもっていなかったのだが、民主主義と近代国家の擁護者、小浜先生が今度はこの新しい制度についてたいそう怒っている(ヤバ、ごめんなさい)。「裁判員制度は、いくつもの憲法違反を犯している。このような制度は即刻廃止すべきであるし、国民は、たとえ「赤紙」が届いたとしても、これに応じる必要はない……」

読んでみると、たしかにこの制度は「近代民主主義」や「国民主権」といった近代国家の根本に抵触するところがないとは言えないようだ。小浜先生は近代の原理に照らし合わせて裁判員制度を否定する。原理から思考することが苦手な日本人は、こういう批判を向けられると言葉をなくしてしまうか、スルーしてしまうかになりがちだが、やはりここで踏ん張って考えることが必要なのだろう。「近代民主主義という法的・政治的なフィクションをどのようなものとして扱えばいいか」伏見もロックやホッブスでも読んで勉強しないとなあ。

書評『女装と日本人』

● 三橋順子『女装と日本人 (講談社現代新書)』(2008)
初出/現代性教育研究月報

ここ数年、性に関する書籍で心底面白いと思うものには出会ったことがない。もうだいたいがパターン化されていて、「はいはい、フーコーを使って分析したいんですね」とか、「はいはい、性の多様性の焼き直しですね」とか、扱う素材がちょっと違うくらいで、最初から答えがわかっているものばかりだからだ。その点、この『女装と日本人』は繰るページごとに新しい発見があり、久しぶりに性の問題を考える楽しさを味わった。

本書も流行りの近代主義批判がベースになっていて、現代の性的抑圧の源泉を近代の性科学の輸入に求め、前近代のあいまいで複雑なセクシュアリティ/ジェンダーのありようをロマンティックに理想とするあたりは、別の思潮から批判されるかもしれない。しかしそうした点は別にしても、この本には読み手に訴える力が満ちている。それは歴史に埋もれていた事実を丹念に掘り起こすことで、言葉を奪われてきた者たちの声を掬おうという志を持っているからだろう。また、研究者が都合のよい資料を集めてきて言説分析をやりました、という類の安直さを拒否し、女装者である著者が自身の実存を繰り込み、足を使ってテーマに迫っている姿勢が、行間に心地よい緊張と深い悦楽を与えている。 続きを読む…