2009-07-19

書評『社会学』

*初出/現代性教育研究月報
・長谷川公一ほか『社会学』(有斐閣)
・野々山久也『論点ハンドブック 家族社会学』(世界思想社)

教科書というものを長いあいだバカにしていた。どうせ、当たり障りのないことをもっともらしい言葉で、まじめくさって解説しているだけの「公式見解」だろ、と。けれど、最近ふとしたことで手に取った社会学のテキスト、長谷川公一他『社会学』がたいそう面白く、ページを繰る手がとまらなかった。

その面白いには二つ理由がある。一つは、この本が専門用語に淫していないので読みやすく、図解やコラムなどを多用していて、読者の好奇心をそそる内容だったこと。以前にも社会学の入門書をひも解いたことがあるが、それは学問の体系を学問の言葉でかしこまって説明しているだけで、自分のなかの問題意識と結ぶ何かが見出せなかった。だから、各章の冒頭にわかりやすく身近なエピソードを置くことからテーマに導いてくれる本書は、とても親切で、学問の理解を容易にしてくれる一冊に思えた。

例えば、「ジェンダーとセクシュアリティ」の章では、05年に開催された愛知万博のマスコット・キャラクターには性別が明示されなかったことを取り上げて、社会の性別に対する意識が変容しつつある傾向に接続しようとしている。おかげで読者はとかく抽象的な議論になりがちなジェンダー/セクシュアリティの問題を、より具体的なイメージとして捉えることができるのである。

もう一つ、教科書の面白さは、あるテーマの知というものの全体性のなかで捉え直すことができる点だ。例えば、同性愛とかフェミニズムといった問題にせよ、それは単独の思考として存在しているのではなく、もっと大きな哲学や思想の支流で発生し、本流に制約されているものでもある。逆にそうした個別イッシューや理論からその背後にあった思潮に影響を及ぼすこともあるわけだが、個々の議論が知という森のなかでどんな樹木として存在しているのかを、こうしたテキストはわかりやすく見せてくれる。社会学の場合、デュルケムやウェーバーなどからの流れにおいてそれをつまびらかにしてくれるわけだが、結局、「女性」や「性的少数者」「被差別者」だけの特権的な知など存在しないことを思い知らされる。

もう一つ、教科書的な本の魅力というのは、議論が整理されていて、その分野を知るのに無駄な労力を省くことができる便利さにあるだろう。野々山久也『家族社会学』は、副題に「論点ハンドブック」とあるように各テーマの論点が見事に整理されていて、手元に置いておくと非常に重宝できる。

筆者の関心領域である同性婚の問題でも、当事者の立場を「近代主義からの同性婚賛成論」「ポスト近代主義からの同性婚反対論」「ポスト近代主義からの同性婚支持論」の3つに分け、当事者内部の争点をも的確に説明している。その分析は、このテーマの議論を長年見守ってきた筆者にも納得のいく内容で、今後議論を進めるための補助線になっている。

もちろん、教科書というのはある時点の知の整理でしかなく、またある立場の人たちによって恣意的になされた編纂にすぎないのは当然である。それは真理でもなければ、結論でもなく、そのときの学会の力関係を反映したものであることは間違いない。しかし、現在その分野でどのような論調が力を持っていて、どんな論争がなされているのかを知るには、これ以上ない書物だろう。自分自身の立ち位置を確認するためにも、たまには初心に戻って、こうした入門書のなかで自分の思考を相対化させるのは悪くない。