本の紹介

いただいたご本『春の小夜』

● 松本侑子『春の小夜』(角川書店) 1400円+税

松本侑子さんから新刊をお送りいただいた。デビューから二十年以上も作品をコンスタントに出し続けるエネルギーに感歎するとともに、その尽きないパワーを見習いたいと思う伏見である。

今回は「年下の青年、忘れえぬ初恋の人、野良猫、不思議な美女、孤独な少女…によせる、5つの愛を綴った、珠玉の小説5編。愛の喪失、青春の郷愁、ささやかな魂の小説集」。「あなたは何をうしないましたか?」という帯の言葉がなんとも胸をうつ。この歳になると、愛は何かをうしなうことと同義に思えてくるからだ。まだ全編は読めていないのだが、伏見も次回作は「愛」をテーマに書こうと思っているので(←ちょっと気恥ずかしい)、女性で、同世代の作家である松本さんの現在の「愛」のとらえ方にはとても興味がある。この時代に作家は愛をどう物語に託すことができるのか。これからゆっくり拝読させてもらおう。

それから、松本さんは今度、『恋の蛍 山崎富栄と太宰治』(光文社)で、新田次郎文学賞を受賞されたとのこと。作家としての松本さんの資質が見事にいかされた労作だっただけに、当然といえば当然の評価だが、やっぱりすごい。おめでとうございます。うーん、すばらしい。

いただいた雑誌「scripta」

scripta.jpg上野千鶴子さんから『欲望問題』(ポット出版)への応答というメモ付きで、「scripta」(紀伊國屋書店の発行で無料配布されている冊子)を送っていただいた。

『欲望問題』は刊行時、議論の俎上に乗せてもらおうとポット出版のサイトに場を設けたのだが、

http://www.pot.co.jp/pub_list/category/promotion/yokuboumondai/

少なからずのジェンダー系の論者に書評を逃げられてしまい、寄稿してくれた方も、多くは、問題をずらして正面からとらえようとしなかったり、党派的、情緒的な反応をするだけだったように振り返る(ジェンダー系以外の方の書評はなかなかすごかった)。上野さんにも当時書評をお願いしたのだが、忙しくて余裕がなかったとのことで、今回三年経って改めて「応答」してくれた。

彼女の誠実な対応には頭が下がる思いがするが……これが「応答」になっているかは、うーん、微妙。まあ、大きくとらえればなっているとも言えるが、ぼくが上野さん自身に疑問を呈した事柄とかジェンダフリーをめぐる議論などについては言及がまったくない。ぼく自身は、結局、上野さんをもってしても『欲望問題』の問いに正面から回答できなかったのだと(偉そうに)思うのだけど、そのジャッジは両方を読み比べたみなさんに任せます。

あと、彼女はこの「日本のミソジニー」という評論のなかで、児童性愛者について論じているのだけど、そういうセクシュアリティに関しての捉え方はどうなんだろう? 昨今の「非実在青年問題」の盛り上がりを考えても、当事者の方々は自分たちの主張をしたほうがいいようにも思うのだが。ともかく、上野さんの律儀さに心よりリスペクト!←これはマジ

いただいたご本『いじめの直し方』

● 内藤朝雄・荻上チキ『いじめの直し方』(朝日新聞出版)

本書のなかで「女の子って裏攻撃が大得意!?ーーいじめと『男らしさ/女らしさ』」というコラムを担当している小笠原通子さんにご献本いただいた。ありがとうございます。

いじめを「個人の問題」にするのではなく、いじめが起こる仕組みそのものを捉えて、それに対処する、というコンセプトには、大いに共感。内容もわかりやすく、納得ができた。

ジェンダーによっていじめのありようも違うというのはその通りで、もっとその辺りを深くつっこんだ分析も読みたいと思った。当事者にも学校関係者にも家族にもお勧め!

「仲間ハズレにする「排除系」か奴隷にする「飼育系」か、殴る蹴るの「暴力系」かシカト・悪口の「コミュニケーション操作系」か・・・。複雑化するいじめを徹底分析!「がんばれ!」といった精神論や「かわいそう」といった感傷論を一切排し、「いじめが起こる仕組みを理解し、それに対処する」ためのヤングアダルト向け実用書。いじめ研究の第一人者、内藤朝雄氏が気鋭の若手評論家、荻上チキ氏とコラボした画期的な一冊!」

伏見憲明 新刊『団地の女学生』(集英社)

hennkann_1.jpg● 伏見憲明・第二小説『団地の女学生』(集英社/4月5日刊行予定) 以下、版元からのパブ

第40回文藝賞受賞後第一作となる短編『団地の女学生』と中篇『爪を噛む女』の二篇を収録。埼玉県下のマンモス団地を舞台に、独居老人、中年のゲイ男性、アラフォー独身女性の訪問ヘルパー、落ち目の歌手ら、昭和の遺物から脱出できずにくすぶっている人々の日常を描く。現代の格差社会への絶望と希望を裏に秘め、毒舌と笑いに包んだ「新ジャンルコメディ」というような不思議な読み心地。90年代のゲイムーブメントを牽引してきた著者の筆致は、弱者に寄り添いつつも本音満載、毒てんこもり。微苦笑の新!純文学・シニカルコメディ。

・「爪を噛む女」
老人ばかりが残されたマンモス団地で働く独身の訪問ヘルパー・美也のもとに、久しぶりに歌手となった幼馴染・都から連絡が。落ち目とはいえ彼女は「団地の星」。100万枚のヒットを飛ばした「白川Miiya」の名で活動するミュージシャンだった。嫉みと羨望に激しくもだえながらもスターからの連絡に尻尾をふってしまう自分を嫌悪する美也。中学時代、ユニットを組んで喝采を浴びた、アノ頃はわたしのほうが才能があったのに……。「彼女の凋落を見届けるのが私の役目」とさらに憎しみをたぎらせるが……。

・「団地の女学生」
齢八十四。足腰が立たなくなる前に……と、故郷への墓参りにいくことにした瑛子。同じ棟に住む独身のゲイ中年・ミノちゃんをお供に高崎を目指す。道中、今夜のお相手を携帯で探すミノちゃんと噛み合わない会話をしながら、瑛子は戦争前の淡い初恋の相手をたずねる決心をするのだが……。

*ご予約は→アマゾン

いただいたご本『日本の神様』

● 畑中章宏『日本の神様』(理論社/よりみちパン!セ) 1500円+税

この本とは不思議な縁があるようだ。

昨年12月、理論社から献本をいただいたのだが、忙しさにかまけて封すら開けずに机の上に置いていた。それでふらりと年末関西へ旅行に出掛け、神社仏閣をめぐっているうちに、日本の神様についての興味がふつふつとわいてきた。帰ってきて、そうだ、日本の神々を記した本でも買いに行こうと思い立ったとき、なんのきなしに封に入ったままのこの本を取り出してみると、そこに書かれていたタイトルが『日本の神様』。これには信心深さとは遠い伏見もビックリ! 以来、このシンクロニシティについて思いを馳せる。

「日本人の心の底に古くから宿り、人生の節目節目で願いをかけてきた、たくさんのまだ見ぬ神様たち。ある父娘を水先案内人に、ゆたかできびしい自然のなかから生まれた、素朴でつつましい、愛すべき姿に、いまここで、出会えます。中学生以上。」(版元データ)

いただいた雑誌「TOMARI-GI」

tomarigitomarigi.jpgHIVの啓発のために制作され、ゲイバーなどに配布されている季刊誌。発行しているのは、厚生労働科研「エイズ予防のための戦略研究MSM首都圏グループ」。エフメゾにもいつも、編集を担当している永易至文氏が持ってきてくれる。

HIVの問題はゲイバーでは表面上はトピックにはならないが、実際は水面下でお客さんとスタッフの間でいろんな情報が交わされている。なかなか自分のことを語れない感染者が、ふと思いを吐露してしまうのがゲイバーであることは珍しくない。ゲイバーはそうしたメンタルケアの場としても機能しているし、またHIVの情報やメッセージを伝える広報の役割りも担っている。そうした活動の「前線」にいるゲイバー・スタッフに向けた媒体がこの「TOMARI-GI」である。感染者の切実な手記、検査所などの情報、啓発に関わっている人たちのインタビュー等々が掲載されている。

費用対効果を考えれば、こうした冊子は「事業仕分け」の対象にならざるをえないかもしれないが、こうした啓発活動にはキメ玉はなく、「やらないよりはやったほうがまし」という行為を積み重ねていくしかない。本誌もその一端を担っていると言える。日本ではHIVの感染率数は増加しているとはいえ、こうした地道な活動によって、欧米に比べて感染者数自体はかなり少なくなっているのだと思う。啓発活動に関わってきた人たちの実績を低く見積もる必要はけっしてない。

が、感染者は日々増えている。年々増加している。先日もエフメゾで、ゲイでもありHIVの医療者でもある人が、その状況にとても危機感を抱いているとこぼしていた。そしてゲイであることと、医療者であることの狭間にいることの難しさを嘆いていた……。日本ではたぶん、HIVの問題もゲイ差別の問題も、これからが正念場になるのかもしれない。

いただいた雑誌「キネマ旬報」3月号

100302main.jpg自分は「年齢同一性障害」だなあと思うときがある。最近、三十代半ばくらいの人に「伏見さんの本を高校生のときに読みました」などと言われることがけっこうあり、なにかきょとんとしてしまうのだ。四十六歳のいま、三十代なら年齢差はほとんどないでしょ、くらいの気持ちでいるので、「なんで二十年も前に出したはずの本を君が高校生で読んでるの?」と思う(←相当身の程知らず)。いつのまにそんなに時間が経過してしまったんでしょうね。

そのようにけっこう長い間物書きをしているわけだが、考えてみたら、映画雑誌「キネマ旬報」に寄稿したことがなかった。今回初めて映画「フィリップ、きみを愛してる!」の評論を書いたのだけど、「キネ旬」というと亡くなったゲイバー「クロノス」のマスターを思い出す。そうか、映画マニアだったクロちゃんも、「アバター」や「ハート・ロッカー」は知らないんだなあ……。

「フィリップ」はけっこうお勧めの映画です。ユアン・マクレガーの演技がとてもいい味を出しています!

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いただいたご本『社会学にできること』

● 西研・菅野仁『社会学にできること』(ちくまプリマー新書)

言説というのはつねに政治的な闘争の場、なのだろうか? というのが伏見の大きな疑問であった。こういう物言いは、ある種の情緒を抱いている人たちには有効であるけれど、ちょっと考えてみれば間違っていることがわかる。正確に言えば、「必ずしもそうではない」ことがわかる。

だって、もし学問とか言説が政治的な力関係だけで成立しているだけなら、例えば、フェミニズムはどうしてこれだけアカデミズムでポジションを得ることができたのか。男性支配社会?が「弱者」である女性を抑圧することに自己の利益を見出し、闘争していたら、女性はこれだけの社会的地位を確保できなかっただろう。だって、女性は弱者なのだから。マイノリティの問題だってそうだ。力のない少数者が何を言っても、マジョリティが自分たちの既得権益を守ることだけを考えるのなら、聞く耳を持つはずがなかったではないか。しかし現実はテロを仕掛けたわけでもないのに、マイノリティの主張だって少しずつにしても受け入れられてきている。

やはり、言説の変容のなかには、抑圧的な力関係が作用しているだけではなく、ちゃんと他者の意見や主張を聞く、利害を超えて「みんな」の立場を考えるという非政治的な?力も関わっているのだ。学問という土俵の意味や「本質」もそこにあって、もしそれがなかったら、自分の利益を実現するために相手を抑圧したもの勝ち、人をだましたって勝てばいいというふうにしかならない。だが、「必ずしもそうではない」ことは振り返ってみれば自明。んな当たり前のことが、昨今の言説の世界では無視されているようにも見える……。

同様の問題意識を共有している人には、本書は誠に持って勇気を与えてくれる一冊である。ちゃんと人とつながろうとする、社会をより良くしようとする意志に貫かれている。ドンキホーテのようだと笑われても、いま流行りの思潮に乗って近代を全否定したり、社会を抑圧的な力として表象しようとするだけでない希望がそこには見出せる。否定することで飯だねを得ようとしている輩の言うことよりは誠実さがある。

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いただいたご本『大人問題』

978_4_7808_0141_5.jpg● 小浜逸郎『大人問題』(ポット出版) 1900円+税

こういうと生意気だけど……小浜逸郎さんは同世代の思想家である上野千鶴子さんなどに比べると、器用でもないし、条件反射的な頭の回転にも劣ると思う。だけど、だからこそ、自分が引っ掛かかりを感じた問題を深く掘り下げて、じっくり考えることをしてきた方だと想像する。彼は、”こういう文脈だったらこう言えるし、こういう理論からするとこのように見える”みたいな安易な相対主義にも陥らない。あるいは、”あなたの見ていた世界は偽りで、本当の世界はこのようなものです”みたいな危ういカタルシスを読者に与えようともしない。市場ではこういう態度の著者はそれほど「売れない」だろうが、思想家としては信用ができる。

そういう小浜さんの頑固な味わいが本書『大人問題』からはにじみ出ている。思想や理論としての切れ味を残したまま、なんとも人間的なこうばしさが漂っている。自分の父親について回想したエッセイや、藤沢周平についての評論など、60代まで実直に生きてきた男ゆえの奥行きがあって感動すら覚える。

社会批評としても流行の理論や言い回しに流されず、射程が広く深い。

「おそらくかつての小さなムラ社会的(氏族、部族的)な共同体では、私たちがいま考えるような家族的な共同性はそれほど強く意識されなかった。
 その代わりに、ある共同体全体の宗教とか、労役を通じたまとまり意識(たとえば狩猟や航海や戦闘に参加する男たちの共同性)のほうが重みをもって受けとめられ、配偶関係や血縁関係の認知構造としての「家族」は、その原理を保存しながら、それらの共同性(同胞意識)のなかにぼんやりと融解していたと考えるのが妥当だろう。
……しかしいっぽう、家族は近代になって初めて成立したというようなよく見かける言説も極端である。配偶関係や血縁関係の認知構造としての家族観念は、やはり歴史時代のはじめから存在したと見なすべきで、それはたとえば、山上憶良の歌やギリシア神話(たとえばオイディプス神話)や旧約清書などからじゅうぶんうかがえることである」

こういう批判に応えようとする研究者ははたして今いるのだろうか?

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『二人で生きる技術』をめぐるトークライブ!(後編)

● パートナーは誰でもいい?

伏見 ご著書を読んでいて、大塚さんってやっぱりマニアっていうか、変態だなって思ったのは(笑)、あまりいい別れ方をしなかった恋人の後に、次々にいろんな男性と付き合おうとした「激動の4カ月」がありましたよね。こういうと何だけど、相手を選ばずといった展開で。あれを読んでいて、この人は付き合えるなら相手は誰でもいいのかなっていう印象を受けた。多分、他の読者も同じように感じると思うんですよ。大塚さんのいっている「トゥマン」の中のトゥマっていう存在は、ある意味で誰でもいいっていう話なんですか。

大塚 そうです。

伏見 ちょっとそこのところは聞きたいです。 続きを読む…

『二人で生きる技術』をめぐるトークライブ!(前編)


大塚隆史著『二人で生きる技術』をめぐるトークライブ!
司会/伏見憲明 
ゲスト/大塚隆史 造形作家。ゲイバー「タックスノット」のマスター。著書に『二人で生きる技術』(ポット出版)、『二丁目からウロコ』ほか
コメンテータ/広瀬桂子 元伏見担当のマガジンハウス編集者。二丁目で出会った夫は現在市長。

*12/23(水)エフメゾにて行われたトークイベントをまとめたものです

● 関係性を開示することの困難

伏見 こんにちは、伏見です。よろしくお願いします。今日は大塚隆史さんを迎えて、最近出版されたご著書『二人で生きる技術』についてお伺いするトークイベントを設けました。助っ人にも来ていただきました。広瀬桂子さんです。

広瀬 こんにちは。(拍手)

伏見 広瀬さんはマガジンハウスの編集者にして市長夫人(笑)でいらっしゃいます。そもそも、なぜ市長夫人になったかというと。僕が『スーパーラヴ!』という本をマガジンハウスで出版したときの担当編集者が広瀬さんで、その出版パーティに、僕の大学時代の同級生がたまたま来ていました。パーティでは、その2人以外は全部ホモとレズだったんです(笑)。で、余ったその2人が何か発情しちゃって、結婚して子供までつくって、もう十数年がたちました。そういうカップルなので、ちょうど対比的にも面白いかと思って、今日は広瀬さんにも混ざってもらおうと思いました。
 そして、皆さん、よくご存じだと思いますけれども、行間に60うん年のすべてがこもっている、濃密な本をお書きになられました大塚隆史さんです。(拍手) 続きを読む…

いただいたご本『子供問題』

● 小浜逸郎著『子供問題』(ポット出版) 1900円+税

伏見はこれまで教育問題にはさして関心を持ったことがなかったが、「学級崩壊」のような現象は当然だと思ってきた。思春期の頃、自分もかなり反抗的なガキで、70年代後半であったがすでに「なんでこんなに頭の悪いセンセイの言うこと聞かなきゃなんねーの?」みたいな感覚を濃厚に持っていた。つまり、教師のことを権威として敬う気持ちがあまりなかったのである。ただ、対抗主義的な意識で反発していた面も顕著だったので、半分は権威が機能していたということかもしれない。

だから、そうした感覚が80年代、90年代と時間を経ていくなかで、子供たちのなかでさらに「ふつう」になっていったことは想像に難くない。そもそも、いくら大人とはいえ、ひとりの人間が40人からの人間を整然と制御するなんてアリエナイ。またそれが可能だった時代のほうが不思議に感じる。なので教師個人の力量に学級崩壊の原因を求めるのは、そりゃ無理があると思う。

そんな現在の教育現場の状況を小浜氏は思想の言葉と分析によって鋭く批評している。「いまの豊かな社会の子どもたちにとって、厳しい規範に服従すればいまよりも将来もっと素晴らしい生活状態が期待できるはずだという論理は、ほとんど必然性をもたないからである。国家社会に有用な人材となるためにといった大義名分は、刹那的な快/不快の原則の前に敗北する」。ご都合主義の人権思想や特定のイデオロギーを批判する小浜節、健在なり! というわけで、本書は教育問題についてさして関心がなかった向きにも、考えるきっかけとなること請け合い。そして、問題の背景を知る上での良き参照点になるはずだ。

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いただいたご本『排除と差別の社会学』

● 好井裕明編『排除と差別の社会学』(有斐閣)

本書を石井政之さんにお送りいただいた。名著『顔面漂流記』で、痣のあるジャーナリストとして世間にカミングアウトしたご仁である。彼は異形性に対する差別を告発し、社会を分析し、当事者のネットワークを先頭に立って作ってきた。その彼が自身の活動を振り返った文章を寄稿していて、それがとてもいい。単に、自らの運動の軌跡を綴っているのではなく、自己批判的にそれを捉え直そうとしている。

差別と闘うことのみを目的としていたときには、人間関係を含めてさまざま挫折せざるをえなかったが、一度活動を休止し、転居先で結婚し、子供をもうけ、自己肯定的に生きられるようになると、自分の表現自体も変わってきた。「転居してから、ユニークフェイスへの問い合わせの質が変わった。前向きに社会で生活している当事者からのメールが増えてきたのだ。東京にいたときは、差別された当事者のルサンチマンあふれるメールが多かった。私の変化をユニークフェイス当事者はブログを通じて感じ取っていたのだ」。

社会運動、反差別運動などをしていると、自分の痛みや正義に囚われて、自身の理念から周囲を睥睨していることになりがちだ。そういう運動はいまの時代、ルサンチマンを共有する一部の当事者にしか共感されない。自分の人生をそれなりに楽しんでいること、他者との違いをある程度許せる余裕があることが、共感を得るための糊しろになるのではないか。論文ではなく、彼の自身の変化を内面的な言葉で読みたいと思った。

いただいたご本『おみごと手帖』

● 中野翠著『おみごと手帖』(毎日新聞社) 1238円+税

毎年お送りいただく中野翠さんの一年間のコラムをまとめた単行本。「サンデー毎日」の連載はもう二十年以上になると思うが、彼女の残してきた文章は将来、時代の証言として改めて意味を持つことになると思う。今回の本のあとがきで、中野さんはこう記している。

「この一年、さまざまなジャンルで変動があった。何かが終わり、何かが始まるーーそんな気配を多くの人が感じ取ったと思う。たぶん、何年か後には「2009年が、時代の曲がり角だったんだなあ」と思い起こす、そんな年だったんじゃないかと思う」

ぼくも09年はそんな一年だったように振り返る。それは格差社会論のようなわかりやすいことでもないと思うのだけど、時代の色彩自体が変容してしまったのだと感じる。これはぼくの過ごしてきた46年の歳月のなかでももっともドラスティックな変化のように思う。その意味についてはまだ語る言葉を持たないが、甘い時代が終わったことだけはたしかだろう。ま、もう46年も十分楽しんできたのだから、あとの人生が悲惨でもしんどくてもすでに元は取っている気がするんだけど(笑)。

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いただいたご本『リハビリの夜』

年末年始なんだかとても忙しくて、いただいたご本の紹介ができなかった。送ってくださったみなさん、申し訳ありませんでした。ぎっくり腰もほぼよくなったことだし、仕事はじめの今日からぼちぼち紹介していきたいと思う。

で、最初の本は熊谷晋一郎『リハビリの夜』(医学書院)。この本については他に書評を二つ書いたので、そちらを読んでもらいたいが、これはちょっとない、とてつもない著作である。すでに伏見の周辺では「驚くべき本」と評価が天井を突き抜けていて、中村うさぎさんなどとも熊谷さんとどこかの媒体で鼎談をしたいと話しているほど(これを読んだ編集者の人、よろしく)。伏見は著者の熊谷さんとは一度お仕事をさせてもらっているし、エフメゾにもお越しいただいたことがあるのだが、こんなにすごい人だとは思っていなかった(失礼)。めちゃくちゃ頭がいい人だという印象はあったし、ときに邪悪な(笑)表情をなさるので毒のある面白い人だと思っていたが(毒がないと人は面白くない)、これを読んで腰を抜かした。

今後マイノリティを論じる上でも、セクシュアリティを論じる上でも、障害を論じる上でも、コミュニケーションを論じる上でも、本書を抜きには何も語れない。自分を賭けて書いている姿勢に強く心を打たれる。

書評『「男らしさ」の快楽』

● 宮台真司ほか『「男らしさ」の快楽』(勁草書房)

八十年代のことであるが、フェミニズムの集会で、「男らしさって悪いところばかりではないと思うのですが……」と怖々発言したことがある。案の定、周囲の活動家から総スカンで、「あんな発言をするなんて、やっぱりあなたもしょせん男ね!」と一緒にいた知人にまで嫌われてしまった。そのように、フェミニズムやジェンダー方面では「男らしさ」というのは親の敵みたいなもので、それを肯定するのはイコ−ル「性差別者」というレッテルを張られかねなかった。

九十年代に入ると、女性学に触発された男性学も誕生し、「男らしさ」は男性自身をも抑圧するもので、そんな性役割りは脱ぎ去って「自分らしく」生きよう! という「脱鎧論」も喧伝された。ここでやっと男性にも性差別の加害者という面だけではなく、被害者の面にも光が当てられるようになり、少しだけ身の置き所が生じた。この辺りまでの議論については男性学を牽引してきた伊藤公雄氏の『ジェンダーの社会学』などでサーベイすることができるだろう。 続きを読む…

いただいたご本『カント 信じるための哲学』

● 石川輝吉『カント 信じるための哲学』(NHKブックス)

読むべき本はいっぱいあって、机の上ではいつも献本やら図書館から借りてきて資料やらが積ん読されている。いったいみんなどうやって本を読む時間を捻出しているのだろう? そもそも怠け者なのがいけないのだが、最近では趣味の読書にすら余裕かなくなっている。

そんななかでも、これから絶対に精読しなければと思っているのが、石川輝吉著『カント 信じるための哲学』である。

「どこにも真理はない、と主張するだけなら、懐疑論や相対主義で十分だろう。……これは真理そのものを取り出す哲学ではない。だが、疑うための哲学でもない。この世界を、物の存在や善や美があることを、「わたし」の側から「真じるための哲学」なのだ」

序章に書かれたこの文言を読むだけで、これはいま読まなければならない一冊だ!と思う。ジェンダー/セクシュアリティの領域などはローカルなのでまだ相対主義や懐疑論をやっていれば論文が書け、ポストも獲得できるかもしれないが(←ポストはないか)、やはりいま現実の世界をしっかり生きようとすれば、必ずこの問題に行き当たる。相対化され、多様化され、拡散していく状況のなかで、いかに人と共同できるのか、いかにこの世界を共有できるのか。そうした問題意識を核においたカント論ならば、手に取らざるを得ない。

ちなみに、伏見が昨今こだわっているクィア学会の件も、そうしたテーマに関わっている。あれ、あまりにも卑小な実例ではあるが(笑)、登場人物たちの「キャラ」の問題ではなく、実は、思想性の問題なのではないかと。

関係ないけど、この本の著者の名前と髪型が妙にかわいいね(笑)。

いただいたご本『こんな私が大嫌い!』

978_4_652_07849_5.jpg● 中村うさぎ『こんな私が大嫌い!』(理論社/よりみちパン!セ)1000円+税

良書が数多く含まれている「よりみちパン!セ」シリーズのなかでも、これは最高傑作ではないだろうか。もちろん伏見の本も含めてであるが、ぼくとしては『こんな私が大嫌い!』を「よりみちパン!セ」のベスト1に挙げたいと思う。

理由は、まず取り上げられている題材が、いまどきの思春期の子供たちにとっていちばん琴線に触れる問題であること(大人にとっても重要な問題である!)。その表現方法が、文体、デザインともにちゃんと読者対象に向けて練られたものであること。文章量も彼らにとってちょうどよくコンパクトにまとまっているところ。イラストが内容にあっていて、とてもかわいいところ。そして、文章がとにかく魅力的で、内容が深く説得力があるところ。

これだけそろった一冊はそうそうない。

「「自分が嫌いじゃなくなる」ってことは、「自分への執着から解放される」ってことで、要するに「自分を嫌いでも好きでもなくなる」ってことなんだ」

こんなことなかなか言えません。中村うさぎがこれまでの七転八倒の試行錯誤なかから獲得してきた哲学の、もっとも純度の高い部分を、最高のエッセイで綴っている本だと思う。彼女の作品のなかでも、ぼくはこれがいちばん好きかもしれない。推薦なんてしないでも、ロングセラーとして読み継がれることでしょう。

いただいたご本『恋の蛍』

● 松本侑子『恋の蛍 山崎富栄と太宰治』(光文社)1800円+税

え? 松本侑子さんって太宰治なんて好きだったんだ?
と送っていただいたご著書のタイトルを見てビックリ。松本さんの作風からは太宰はかなり遠い感じがしたからだ。

でも読みはじめると、太宰という作家のかげで誤解にさらされてきた女性を取り上げた評伝小説で、フェミニストの松本さんらしい問題意識に貫徹された一冊であった。

「 「死ぬ気で恋愛してみないか」「先生を、愛してしまいました」昭和23年、太宰と入水した山崎富栄の知られざる生涯。幸福な少女期、戦争の悲劇、太宰との恋、情死の謎とスキャンダルを徹底した取材から描く「愛」の評伝小説。」

「酒場の女」という具合に(世間や文壇の)女性蔑視のもとに語られてきた山崎富栄は、実は令嬢で、英語が堪能な女性経営者だった。そんな彼女がなぜ貶められてきたのか。彼女を通して見たときに太宰はどのような作家として像を結ぶのか。緻密な取材、調査に定評のある作家・松本侑子ならではの迫り方で、ひとつの生き方、ふたりの関係に光を与えている。

いただいたご本『二人で生きる技術』

978_4_7808_0135_4.jpgポット出版から献本が送られてきて、はて、今度はどなたの本かなあと封を開けると、大塚隆史著『二人で生きる技術』! そういえばずいぶん前に出るとおっしゃっていたご著作がまだ出版されていなかったが、最終的にポット出版で上梓されることになったのかと驚いた。

ポットサイトの紹介によると、「「長い付き合いを応援する」新宿のゲイバー「タックスノット」。同店の店主である大塚隆史が自らの経験を元に、同性愛者に限らず、パートナーとの関係に悩むすべての人に説く、二人が一緒にいるために必要な「技術」。」

目次からも察するに大塚さんのライフワークとも言えるパートナーシップが主題になっている。ゲイのパートナーシップ作りの経験から、その技術を異性愛その他の人々にも役立ててもらおうという趣旨らしい。ジェンダー規範が壊れたり、結婚制度が上手く機能しなくなっている昨今、大塚さんの経験から得た哲学は、普遍的なメッセージになるだろう。

ところで、ポットサイトにこの本の目次がアップされているのだけど、その最後の「著者プロフィール」という文字の後に、「アラサー真っ只中、30歳独身男子です。18歳のときから、10年以上ひとり暮らしです。洗濯、炊事、掃除など、生活するために必要なことは、一応、ひと通り全部出来ます。ずっとひとりでもまあいいか、というのが今のところの本音です。」という文章が続いていて、あれ? 大塚さん、年齢をごまかして売るつもりなのかしらん?と思ったら、編集者のコメントであった。まぎらわしい。

ともあれ、偉大な先達の久々の本、秋の夜長にじっくり読ませていただこう!