2010-02-06
『二人で生きる技術』をめぐるトークライブ!(後編)
● パートナーは誰でもいい?
伏見 ご著書を読んでいて、大塚さんってやっぱりマニアっていうか、変態だなって思ったのは(笑)、あまりいい別れ方をしなかった恋人の後に、次々にいろんな男性と付き合おうとした「激動の4カ月」がありましたよね。こういうと何だけど、相手を選ばずといった展開で。あれを読んでいて、この人は付き合えるなら相手は誰でもいいのかなっていう印象を受けた。多分、他の読者も同じように感じると思うんですよ。大塚さんのいっている「トゥマン」の中のトゥマっていう存在は、ある意味で誰でもいいっていう話なんですか。
大塚 そうです。
伏見 ちょっとそこのところは聞きたいです。
大塚 あえて「そうです」と言いました。もちろん、その後に「でもね…」っていうのが付くんですけどね。結局は誰とでもやっていけるんだって思ってます。僕の欲しいのは「誰か」じゃないんですよ。「関係」なの。だから、関係を僕と持とうとしてくれる人だったら誰でもあり得る、という意味で誰でもいいんです。
伏見 あら、だった僕にもそうおっしゃってくださればよかったのに(笑)。もうちょっと早く出会っていればねえ。
大塚 それってタイミングもあるし。
伏見 そんな急に逃げなくても(笑)。
大塚 僕、ゲンちゃんの時、本当に思ったけど、ゲンちゃんと違うタイミングで会っていたら、絶対始めなかった。だから、例えば、僕も1人であなたも1人で、二人がお互いに引かれ合ったら、少なくとも僕はあなたを選ぶのはありですよ。
伏見 それはあくまでも理論上でしょう(笑)。
大塚 いえいえ、大いにありですよ(笑)。
でも、誰でもいいっていう言い方に入り込んでしまう「1人の人が重要じゃない」というメッセージは取り外したいんですよ。僕はシンジにも言ったんです。僕って誰でもいいんだよねって。でも、それを聞いた時に悲しい顔になっちゃったんですよ。それを聞いて悲しいと思う気持ちも分かるので、誰でもいいんだよって言った後は1時間とか、2時間かけてそのことに関してちゃんと説明します。
伏見 そんなことずっと話しているなんて、本当に考えられないようなカップル!(笑)
大塚 だって、それで不安を持たれてしまったら「この人って何?」って思われちゃうでしょう。
伏見 大塚さんの本を読んだ人は、直接著者に悪いことは言わないと思うんだけど、ある人がタックさんの本を読んで感想をこう漏らしたんですよ。「パートナーシップっていうものがこんなに大変なものだとしたら、やっぱりやりたくないかもしれない」。今、言ったように一言言ったために1時間も2時間も話さなければいけないって、すごくコストが高いというか、関係に投じるものが大きいじゃないですか。
大塚 そこまでコストをかけるのは、今だからできるって感じはあるんですよ。いろんな経験をする前は、もっと乱暴に扱っていたと思う。例えば、ヤスオ君ことですけど、ヤスオ君に対して、今の僕だったら、もっとうまくやっていて、ひょっとしたら続けられていたかもしれないっていう思いがあるんです。なぜかというと、僕は彼に対しても、誰でもいいんだよみたいなことを言葉で出してたんだと思うんですよ。その後のフォローなしに。それはあの若い彼にとってはすごく傷つくことだったんだろうな、みたいな。誰でもいいんだったら、別に僕だってこの人とでなくても……と思わせちゃったのかなと思う。だから、今やっている、2時間ぐらい掛けてしゃべるのは大変だというよりも、2時間掛けてしゃべったらわかってもらった時にすごく気持ちがいいからやってるんですよ。ああ、とうとうわかってもらえたって。だから、この本って「大変だ、大変だ」のほうばかりに意識がいっちゃうかもしれないけど、大変そうなことをやっている時には、その向こう側にあるものが僕にはすごく大きな喜びや意味があるからやっているんだって、ここで強調しておきたいと思います。
伏見 広瀬さんは、語弊はあるけれども、相手は誰でもよかったというのはない? 逆に、今の夫は運命の人、「この人じゃなきゃ」みたいなものがある? 代替の可能性はないわけですか?
広瀬 ないですね。それはなぜかというと、本当に割れ鍋にとじ蓋っていうのがぴったり合った感じなので、それは割と2人とも思っていて。ちょっと代替品はないよねっていう感じがあるんですよ。それで問題が起きたことも全然ないし、破たんしたこともなくて。
伏見 あんた、それ、気付いてないだけじゃないの?(笑)
広瀬 いや、そんなことないって。だって、毎日、毎日一緒にいて何かおかしなことがあったら、すぐ気が付くもん。そういうのは全然なくて、よくしゃべっているし、毎日同じベッドで寝ているわけだし、変なことがあったら絶対気が付くわけですよ。そういうのは全然ないの。
伏見 タックさんの理論でいうと、こういうふうにうまくいっちゃうケースもあるけれど、たとえうまくいかなくたって、技術によってその関係をスペシャルなものに仕立てることができるという話ですよね。
大塚 「誰でもいい」っていうのは、実際に誰でもいいんじゃなくて、「今、すごくいいと思っている人以外にも合う人がいて、それなりのエネルギーを掛ければうまくやっていける人は他にいくらでもいる」ぐらいの「誰でもいい」なんです。「誰でもいい」の反対側には「この人でなければ駄目だ」っていう、「運命の人」っていう言葉があって、それが僕は一番嫌い。そんなものがあるっていう言説が関係性を難しくしていると思っているぐらいだから。
伏見 ちょっとここで一言、反論させていただくと、運命の人と思わなかったらやってられないっていう面もあるんですよね。
大塚 でも、今、おっしゃったみたいに運命の人とでも思わなきゃって言っていることは、運命の人と思ってないっていうことでしょう。
伏見 人は半ば信じるわけですから。まさに虚実の間(あわい)。
大塚 僕には「この人が、今、とても大事な人だ」でいいんです。運命の人だと思った途端に「何をやっていたってうまくいく」っていう考え方が入り込んできちゃうほうが問題なわけですよ。この人は運命の人だと思っていないからこそ、できるだけ良い関係を作るために努力しようと思うんですから。今、広瀬さんがおっしゃったみたいに、毎日のかかわりの中で何かちょっとおかしいなと思ったら、そのことに関してちゃんと対応するとか、そういうことの繰り返しで関係は続いていけるものだと思うんです。恋愛の真っ最中なら運命の人って思うことは、2人をより強く結び付けるかもしれないけど…。例えば、僕は運命の人だと思っていたカズに死なれちゃった。カズが運命の人だなんて信じて続けていたら、次の人はどうするの?みたいな問題が生まれてきちゃったわけですよ。だって、もしカズが運命の人だったら、次の人は代替品になっちゃうし。次の人こそ運命の人だと思ったら、カズは前座みたいになっちゃう。
伏見 二丁目なんかは極端な例だけれども、でも現在ではセックスの相手を見つけることは簡単だし、たいした障害もなく関係は手に入りやすい時代じゃないですか。そうすると、付き合っている相手が特別な人だと思うこと自体が非常に難しくなってくる。ヤレばヤルほど、付き合えば付き合うほど、替えがきくように思えてくる。付き合うという定義をすること自体の意味があいまいになる。だからこそ、運命とはいわないまでも、この人は唯一の人だというふうに作為的に思わないと、すべてが代替可能性の中で流れてしまう。
大塚 僕だって思ってますよ。それに対して運命の人っていう言葉を使ってないだけで。だって、これほど一緒に努力をして、僕に向かい合ってくれる人なんてそう簡単には見つからないというのは経験的にわかっているから、「今、この人がとても大事だ」と思うことで「運命の人」っていう言葉が持っているような強い力は、僕の中で十分働いてくれるんです。
伏見 敷居や条件、ハードルを乗り越えてきたからこそ、それは、もう運命の人でしょう、ぐらいな感じになるっていうことですよね。
大塚 運命の人が何人いてもいいっていうんだったら、それでいいですけど(笑)。僕は実際何人もの人と関わってきたし。僕、ゲンちゃんとは別れたけど、別に失敗したと思っているわけじゃないんですよ。彼はホントによくやってくれたとも思うし、僕もよくやったと思う。でも、結果的に別れてしまったんだから、あの人は運命の人ではないというような考え方は、僕はちょっとできない。
● 「良い関係を保ちながらできるだけ長く付き合いましょうよ」
伏見 僕はちょっとそこを聞きたかったんだけれども、大塚さんさんはよく、長い付き合いのカップルのほうがいい……何というんでしたか?
大塚 長ければ長いほどいい。
伏見 そう発言してこられましたが、それはこの本だとちょっと微妙な感じになっている。
大塚 確かに「僕は関係は長ければ長いほどいいと思ってきた。だけどノ」って、ゲンちゃんとの最後のところで書いてますよね。でも、「長ければ長いほどいい」という言い方は、関係がどんどん壊れていってしまうようなゲイの社会に向けてのメッセージなんです。スローガンみたいなもの。このことは今でもすごく大事だと思っているけど、でも、実際は内容の方が大事だと思うんですよ。だって内容を伴わないで長く続くっていうのは本当に難しいことだから。僕が「長ければ長いほどいい」と言うのは、「良い関係を保ちながらできるだけ長く付き合いましょうよ」という言葉の言い換えでしかないんです。
伏見 こういうところで聞くのもどうかと思うんですけど、答えられる範囲で答えていただければいいのですが、ゲンちゃんっていう人と10年付き合ってきて、相手の遺産相続やら何やらの問題で二人の人生の方向が変わってきた、と。そこでうまくいかなくて、タックさんにはほかに思いを寄せる若い子が現れて……ということでゲンちゃんとは別れてしまうのですが、そこがよくわからないんですね。つまり、トゥマンっていうことを主題に生きてきたタックさんが、何でそこが乗り越えようとしなかったのかなって。そこは書けないところだったのかもしれないけれども、僕が読んでいてちょっとわからなかったところです。
大塚 正直にいえば、この本は何でもかんでも書いているわけじゃないんです。それが目的ではなかったので。僕はあそこで書けるぎりぎりの表現をしたつもりだけど、確かにあれでは伝わりきれなかったのかもしれない。僕の心の中に起こったいろんなドロドロしたものまで書けばわかってもらえるかもしれないけれども、それがやりたいことではなかったから。
伏見 もうちょっと抽象度を上げていうと、トゥマンを実践している、意識的に関係性を選択してきたタックさんが、トゥマンを放棄するっていう条件は何なのですか?
大塚 気持ちが「ああ、離れた」みたいな感覚になるんですね。何があっても頑張るぞってやってきた自分にとってものすごく大事なものがあの時になくなった感じがあったんです。僕の中にずっと積み上げてきて、これがあればやっていけると思っていた「2人の間にあった何か」があの事件によって、すっと消えてしまった感じがあったんです。今までやってきたことが無駄だったのか、みたいな思いもすごくあったし。その時にたまたま出てきたシンジ君に僕は……。
伏見 そうすると、例えば、トゥマンを実践するということは付き合うということ自体、ある種目的化してるわけですよね。だけれども、相手の人生の条件が変化することによって自分の気持ちが変わったということは、つまり、付き合うことが目的っていうのがトゥマンでも、やっぱり相手の固有性、唯一性が重要だということにならないんですか?
大塚 相手じゃなくて、相手とのやりとりの中で何かが欠けていってしまったということです。彼が変わったというか、彼の環境が変わったことによって、彼から僕に向かって流れてきていたものが変わったように僕が思い、そして、そのことを僕が「変わってきちゃったよ」と言えなかった状況があった。それは、彼の人生の中でこの事件が、彼にとってすごく大きな問題で、彼はこれで精いっぱいやっているんだろうと分かっていたから。そうすると、彼を責めるわけにもいかない。かといって僕がこのまま何かが消えてしまったという思いをずっと持っているのってどうなんだろうって。あそこでたまたまシンジが出てこなかったら、ゲンちゃんとは続いていたかもしれない。そして後になって、あの時はなんとか乗り越えられたねって思い出すような状況になっていたかもしれない。
関係の危機ってことを考えると、新しい誰かが現れて、新しい恋愛がやってきたって、関係がすごくうまくいっていたら、今の関係は壊れないと思う。免疫の話じゃないけど、体が丈夫な時には何かが入ってきても何も起こらないのと同じように、関係の体力が落ちてきてる時にたまたま何かが入ってきたら、僕とゲンちゃんに起こったようなことが起こる。そのことを言いたかったんです。この本が、ゲンちゃんと頑張り続けた形で終わっていたとしたら、多分、読者は「とにかく頑張るしかないのね」みたいに受け取ったんじゃないかと思う。僕は本の中でゲンちゃんと頑張ったことをすごく強調して書いてきました。よくここまでやるよなって思ってもらえるように。だけど、そんな関係も壊れることがあるんだっていうことを知ってほしかった。自分がパートナーシップについて語るときに、自分の経験という素材の中で、ここはそれを伝えるために使えるなって思ったので、書いたんです。
伏見 しつこいかもしれないけども、10年続いてうまくいっていたカップルが、人生を取り巻く環境や条件が変わって別れてしまった。その問題を乗り越えていくことがまさにトゥマンのはずなのに、それをやっていたタックさんがなぜやめちゃったのか、すごく疑問として残った。それが、トゥマンというものをちょっと信じられなくなる何かとして読後残ったんです。
大塚 今の言葉に対しては、そうですかってしか言いようがないんだけれどもノ。ただ、僕には理念があり、その理念に向かって一生懸命生きてきた、でも、理念だけではうまくいかなかったってことなんだと思う。それが人間のありようじゃないかと思うんです。だから、その意味で僕はトゥマンという理念に関しては負けちゃったんだなと思う。でも、負けることってあるんですよ。これから先だってあるかもしれないしノ。だから、トゥマンというのは、まず理想のトゥマンを提示して、そこを目指して2人でやっていこうとしていることが実際のトゥマンだといっているわけですよ。だから、失敗しちゃうこともある。関係を良くしてないと、ちょっとした菌でも風邪をひいちゃう。だからこそ、いい関係をつくるようにいつも気を配っていないと、関係を続けていくのは難しいものなんですよ。でも、世の中にはなぜだかは知らないけど、それほど意識しなくてもうまくいっちゃう人もいるんですよね。体の丈夫な人がいるように。
そういうことがあるから、1つの例を取って「だから、どう」っていうことはなかなか言えない。僕がやったのは、僕というすごく特殊な1つの例を提示して、その中から関係性に関わる話を選び、できるだけ多くの人と共有できる考え方をかいつまんで提示したってこと。だから、この本1冊で何もかもわかると思われたら困る。それは前書きにも書いてあるんです。これで何でもうまくいくわけじゃないですよって。ただ、こんなに難しい条件なのにやり方次第では続ける方法があるということをどこかで頭に入れておいてくれればいいなって思って書いた本なんです。
● 一緒に生活することの幸せ
伏見 僕は出会って20年の関係になる相手とは、大半の時代を国境を挟んで付き合っているんです。タックさんは一緒に暮らすことが重要だとこの本で書いているけれども、うちは一緒に暮らすどころか、国境すらまたがないと成り立たない関係(笑)。僕は他者と一緒に暮らすのは大変だという実感がありますが、広瀬さんは全然平気なの?
広瀬 私は相手が手の届くところにいないとすごく嫌。だから、一緒にいたいな、暮らしたいなっていう感じ。
伏見 普段、あなたは忙しく働いていて、そんなに二人でゆっくり過ごせないからそう思うのではなくて?
広瀬 それはわからないけど。そんな1日中家で一緒にべったりいるわけじゃないから、ありがたいから続いているのかもしれない。でも、これはわからないけど、向こうが1カ月、2カ月単位で家を空けるような仕事だったら、ちょっと嫌だなと思うかもしれない。
伏見 一緒に暮らして大変じゃないですか。
広瀬 楽しいなと思います。
大塚 僕は楽しいですよ。
広瀬 私はやっぱり大塚さんの本を読んでいて、一緒にご飯を食べて、食べ終わった後にぼーっとしていたら幸せだと感じるのはすごくよくわかる。
伏見 ぼくも、あそこがすごく良かったという感想を何人もから聞きました。
広瀬 あそこを読むと、やっぱり一緒に住んでみようかなって思った人はいっぱいいるんじゃないかっていう気が私はしましたけど。
伏見 今日お聞きしようと思ったんですけども、大塚さんは一緒に暮らすことによって今のパートナーのシンジさんとの関係がすごくうまくいくようになった。だけど、世の中には一緒に暮らしたことによって別れるカップルが山のようにいるわけじゃないですか。あれはどう考えたらよろしいですか。トゥマン的にいうと。
大塚 別れてしまうのは一緒に住んだ、住まないっていうのとは関係ないんじゃないの?って思います。住んだから別れたっていう言い方は結果論じゃないかな。その2人が別れた理由っていうのは、本当は突き詰めていかないとわからないことなのに、二丁目的な感覚では男同士で一緒に暮らすのは結婚のまね事みたいに考えて、揶揄的にとらえているところもあるのかなって感じるんですね。だから、一緒に住んだから別れたっていう言い方はすごくわかりやすいけど、実は……。
伏見 いや、多分、それは揶揄というよりは、一緒に暮らして朝から晩まで一緒にいて、欠伸をしているところもおならをしているところもお互いに共有し合っていたら、発情できないじゃん! 勃たなくなっちゃうよ!みたいなことを言っているような気がするんですよね。
大塚 発情することを目的としていたら、一緒にお住みにならないほうがいいと思いますよ。
伏見 やっぱりそれはそうなんですか!?
広瀬 そんなことない。
一同 (笑)。
伏見 一応お聞きしましょう。広瀬さん、その理由は?
広瀬 別に日常の姿をさらしていても別に平気ですよ。
伏見 それは男女の関係だから? お宅の夫婦だから?
広瀬 強いていうと、家の中ではだらだらした格好をしているんですけど、一応お互いに仕事に出掛けていくから、その時には一応ちゃんとスーツを着たり、きれいな格好をしたりするから、そのギャップでもっているのかもしれないけど、今のところ全然発情しなくなったことはないですよ。
大塚 僕、思うんだけど、セックスっていうものを特別視しすぎているような気がするんです。
伏見 何か胸に突き刺さりました(笑)。
大塚 セックスが与えるもの、セックスによって生まれるものって、セックスからでしか生まれないっていうのも、僕はどうなのかなと思うんですよ。
伏見 でも、例えば、ご飯を食べた後でシンジさんとリラックスしている関係性のなかでは、突然「スッゲェ、やりてぇ、兄貴」みたいなことにはならないわけでしょう?
大塚 なりません。なったら気持ち悪いと思う(笑)。「スッゲェ」って方は大体DVDで済ませます。
伏見 性的なものをずっと高めていなければいけないという発想と、トゥマンというのはやっぱり相いれないような気がします。
大塚 高めていなければいけないっていうよりは、多分、多くのゲイの人たちは「高めていたい、少なくとも今のテンションはキープしたい」っていう気持ちなんじゃないかなと思うんですよね。
今、ちょっと思い出したのね。前にも『クィア・ジャパン・リターンズ』でパートナーシップとか、関係性について話した時に、アイランドのラクちゃんカップルがずっと長いこと一緒に暮らしているけど、セックスが続いているって言ってました。その時、彼らに秘訣は何ですかって言ったら「やめないことです」って言ってたでしょ。
伏見 おっしゃってましたよね。
大塚 セックスをしなくならないようにとにかく1週間に一度なら一度、やり続けることが大事だって言ってたでしょ。それを聞いた時に、なるほどねって思ったんです。それは僕が思ってるセックスとはちょっと違うなって。いま言ってたような「兄貴、すっごくやりてぇ!」っていう感覚で、ラクちゃんたちが1週間に一度やっているとはとても思えない。だから、じゃあ、そういう1週間に一度やり続けるセックスに替わるようなものを、関係性の中で何か見つけられたら、僕はそれで十分なんじゃないかと。それで関係を続けていくことは可能だと思う。そういう意味でいえば、僕はそれがシンジとの間にないとは全然思ってないです。
「セックスは必要じゃない」というのは、ショック療法的な言い方なんですよ。だって、みんなはセックスがなくなったら、もうおしまいだと思っているだろうし、そういう話もたくさん聞くから、セックスがなくなってからが関係だよとか、セックスがなくても大丈夫だよっていうことをあえて強調しているんです。だって、そう聞いたからって、私たちって10年もたっているのにセックスしているからいけないんだって悩む人はは、まずいないと思うんですよ。だから、セックスがなくなっても大丈夫なんだよっていうメッセージを流すことの方が、僕は大事かなと思ってます。
● 男と女は犬や猫みたいなもの?
伏見 広瀬さんなんかはセックスがなくなったら、どうしようなんて思ったこともない?
広瀬 そのうちだんだん減るのかなとか思うけど。
伏見 あんたたちまだ減ってもいないの!
広瀬 いやいや、だんだん減っているけど。今、聞いていて思ったのは普通の男女だから、あまりドラマ性がなくても多分、できるんですよ。
伏見 そんな犬や猫じゃないんだから(笑)。
広瀬 ものすごくドラマティックじゃなくても、別に普通に楽しくできるもん。そこが違うかもしれない。
伏見 男女ってそういうジェンダーなんですか。
広瀬 代表させられても困るけどね。
伏見 男女は違うという意見ですが、最近セックスレスの時代とかいわれていて、僕の友達にも、美人なんだけども、40歳でマンコ砂漠みたいな人生を送っている女子が結構いるわけですよ。あるいは、結婚していても夫にやってもらえないとか。
広瀬 だから、そういうのを聞くと、結婚していて良かったなって、つい思っちゃうの。だって、いつもできるし。
伏見 いや、結婚していてもできない人がいっぱいいるから困っているっていう話。
広瀬 でも、普通に考えれば、結婚しているほうがセックスするチャンスは多いじゃないですか。
伏見 ゲイのカップルだと、長年暮らしているからこそ、夜セックスのチャンスはいっぱいあっても、何十年もやってない夫夫がいっぱいいるんですね。あなたのところには特別な秘訣があるんじゃないですか。
広瀬 ないけど。
伏見 へんな薬を使うとか(笑)そういうことでもなく?
広瀬 全然。だから、日常の中に組み込まれているからやるっていう感じ。でも、単純にすごく仕事が忙しくものすごく疲れちゃっている時はもちろんしばらくしてないとかあるけど。でも、切れたことは一度もないな。
伏見 タックさんのところは、今の関係性はご著書によると、両方ともセックスがあまりお好きでないという、ある意味で割れ鍋にとじ蓋の関係なわけですね。
大塚 結果的にね。
伏見 それはうまくいくような気がするんです。2人ともしたくないわけだから。でも、カップルの片方はセックスの重要度が高くて、片方はそれほどでもないというのはよく聞く話で、これはなかなかうまくいかない。
大塚 あの本を読んでいただくと分かると思うけど、僕たちは最初からセックスがなくても構わなくて、割れ鍋に綴じ蓋状態だったっていうわけではなかったんですよ。僕は僕なりのセックスを求めていたわけですよ。彼は僕が求めるようなセックスが苦手だったんです。彼はどちらかというと、1回だけ誰かとやっちゃうみたいなのは何とかありみたいなんです。でも、それが2回目、3回目となっていくうちに関係性が生まれてくると、彼的には性的な行為はしたくなくなるというのがあるようなんです。
実は今日シンジから言われてきたんですけども、あの本を読むと、一度もしてないようだけども、そんなことはないってちゃんと言っておいてって(笑)。確かに3度ぐらいありました(笑)。3度ぐらいやりながら、ああ、この人は楽しくないんだなっていうのがわかるようなセックス。
伏見 それもつらい話ですよね。
大塚 だから、すごく悩んだし、最初から割れ鍋に綴じ蓋みたいにピタッと合ったってわけじゃなかった。シンジのところの部分は、それを僕は僕なりにどう乗り越えたのかってことをテーマに書いてあるんです。まぁ、あそこまで大変な状況は読者の多くは簡単には付いてこれないかなと思ってるんですけどね。
● 言葉にすること、しないでもよくなること
伏見 じゃあ、もっと前に戻って、最初のパートナーといえるカズさんとの場合は、お互いに外での恋愛を自由にしようとしたけれど、結果あまりうまくいかなくなって、「もうこんなことはやめよう」というふうに言われた。この言葉が僕はすごく印象的に思ったんです。大塚さん自身は比較的、言葉でコミュニケーションをして言葉で納得するタイプですよね? それは子供のころのトラウマによる不安神経症の問題だ、ということがこの本に書かれていたのですが。それで大塚さんは言葉で納得しようとしていたのだけど、でも、ここは微妙な話になったわけですね。セックスをしないこともわかっているし、自由にしていこうと言葉で定義するでもないという。このへんは理論的にはどういうふうに考えたらいいんですか。
大塚 理論的にどう考えたらいいか?
伏見 虚実の間(あわい)を生きろということですか。
大塚 そこも書いたつもりなんですけども、する、しないっていうことを言葉に出して決めることが、またネガティブなものを生むこともあるっていう話なんですよ。「これから絶対しないね」って言ったら、もしもした時には裏切ったことになるし、「これからもやるからね」っていうと、またあれが繰り返されるのかと思う。でも、「こんなことはもうやめようね」って言ったところで止めたのは、この人は少なくともそういうことで僕を傷つけることはないだろうと思えたから。だから、僕もあの人をそういうことで傷つけないようにしようって思った。それって暗黙の了解なんです。それを、彼がこんなことはやめようと言ったので、やめたっていうかたちで書いてあるんですけども、あそこに至るまでにいろいろとやって、お互いに苦しんだり、嫌な思いをしたりして通った先だったので、やめようと彼が言った言葉の言外のところに含まれている、「言葉にしなくても僕たちはうまくやっていけるよね」っていう部分に僕は信頼ができたってことなんです。だから、あの後、多分、彼はセックスをたまに外でやったりしていたと思うんですよね。だから、そのへんはよくわからないけども。でも、僕がそのことでいらいらすることは、少なくともあの後はなかったです。
伏見 それは例えば、わからないようにやってくれればいいやっていう表現ともちょっと違う。
大塚 だから、わからないようにやってくれればいいと話すことが関係に悪い影響を与えるんじゃないかと僕は思ったということです。
伏見 禅問答っぽい感じですね。
大塚 言わないことでできることもある。なんでも言葉で詰めてきた人間が言葉じゃないところで落ち着けたということが言いたかったんです。ちょっと言葉足らずでうまく書けていないかもしれませんが、そういう気持ちです。
伏見 広瀬さんはそのあたりはどうでした?
広瀬 うちで「別に外でしてきてもいいよ」というような会話はもちろんしてないんですけど、一切ね。
伏見 それはお宅がお互いに絶対しないという前提があるからなんですか。
広瀬 いや、そんなこと自分で考えてっていうか、自分で決めてっていう感じで。ただ、現実問題としてはお互いに仕事のほうが好きなので、そこにエネルギーが全然向かない感じなんですよね。だから、何となくつり合いが取れているというか、セックスしたいという欲求のバランスが取れているんですよ。私も全然外でそういうことをしてないし、そんな余裕も興味もない感じなんですけど。今のところですけどね。向こうがどう思ってるかは知らないけど。
伏見 そういうことを無意識にしていられるって、いいですよね。
大塚 すごくうまくいっている組み合わせなんですよ。さっきも言ったけど、いろんなことを無意識にちゃんとできているカップルなんじゃないのかな。広瀬さんに必要なことをちゃんとご主人がケアしているだろうし、その反対もまた起こっている。でも、もしも二人がそんな風に合っていなかったら、意識的にやらなきゃならないし、意識的にやるためには考えなきゃならない。そうなってくると、僕たちのケースに近づいてくる。
伏見 男女の場合ももちろんそういう人ばかりじゃないけれども、それなりの数の夫婦が結婚生活を全うしているじゃないですか。ゲイの場合は逆にいうと、トゥマンというか、パートナーシップが長く続いている人たちは少ない。それってゲイの場合は社会的な制度や慣習がないから、逆に大塚さんみたいにトゥマンという方法を編み出さない限り、そのようには続かないということなのかな。
大塚 そうですね。とにかく二人が続ける気持ちを持ち続けられる状況、それをどうやって作っていったらいいかっていうのがメインテーマだから。それに関してはコミュニケーションを取って、これでいいのって確かめ合いながらやっていくことぐらいしか僕には考えられない。たまたま組み合わせとして最初からすごくうまくいく幸運っていうのもある。でも運みたいなものは自分ではどうしようもないから、せめて自分でできるところまではぎりぎりまでやって、あとは神様にお任せしましょうっていうことです。これはそんな感覚で書いた本ですね。
伏見 なるほどね。トゥマとか、パートナーっていうのは永続的な関係性自体のことではないんですよね。僕がこの本を読んだ印象だと、永続的な関係性を目指す「道(どう)」、そのトゥマン道を共有する人のことをトゥマと呼んでいる印象でした。
大塚 永続性を求めていないわけじゃないんですよ。
伏見 いや、永続性を求めるんだろうけれども、そこが一番のプライオリティーではなくて、トゥマン道を求めること自体が、まず第一であると。
大塚 そうですね。最初は永続性が欲しいという願望から始まった。どうやったら永続性が作られるのかと試行錯誤したら、こういうやり方をしていくと、永続性っていうところにいきやすいんじゃないかなっていう方法が見つかった。でも、世の中には運とかもあるから、壊れてしまうこともあるかもしれない。それでもその理想を目指してやっているこのことをひとまずトゥマンと呼んでおこう。で、ぐるっと回って、そのトゥマンをやりたいなと思うことがまず大事じゃないのかなという話ですね。
伏見 広瀬さんは、ゲイの人たちが永続性、関係を続けることがすごく大変なところから始まって、だから、こういうふうに一生懸命言葉を紡いで経験を共有しながらやっているのを見て、何か不思議な感じがするんですか。共感したんですか。
広瀬 不思議な感じは全然しなくて、さっきも共通って言ってましたけど、壊れちゃっているのに離婚しない夫婦とかも現実的には日本にもいっぱいいるわけじゃないですか。全く同じだと思うんですよね。それこそ面倒くさいとか、経済的な理由で離婚しないわけじゃないですか。やっぱりそれとはちょっと違うし、自分とかは絶対違うと思っていて、会話もしないような関係になっちゃったら、間違いなく離婚します。わからないけど、どっちかがほかにもっとすごいパートナーができたと言い出したら、「ああ、わかりました」って一応お互いに言おう、みたいな暗黙の了解もあり。だから、そういう意味では結婚制度に乗っているつもりはあまりないですよ。その代わり一生懸命やっている。
伏見 それはどのようにやっているの?
広瀬 すごくさまつなことかもしれないけど、丁寧な口調でしゃべりますよ。夫に何かをやってほしい時に「これ、やっておいて」とか言わないもん。「とっても悪いけど、これやってくれたらうれしいな〜」とか、常にそういうふうに頼む。常に向こうも「ありがとう」って言うし、そういうのがない人はやっぱり気持ち悪いんですよ。
伏見 あぁ、やっぱり技術があるっていうことですよね。
大塚 今、広瀬さんが「さまつなこと」っておっしゃっていたけども、実は関係性って、大勢の前でわざわざ言葉にするのは気恥ずかしいようなことの積み重ねでできあがってたりするんです。例えば、食事をする時にちゃんと二人揃ってから食べることとかが有効な人たちもいれば、帰ってきたときにちゃんと「お帰りなさい」「ただいま」を言うのが大事な人たちもいる。関係性の中では、これは二人にとって良いことだなって思う、まるで薄い膜のようなものがある。その薄いものを何枚も何枚も重ねることで関係性ができあがっていく。
だから、長く続く秘訣とは何ですかって聞かれた時には、実はその一枚一枚を語っていくしかないんですよ。そうすると「じゃあ、丁寧な言葉を使っていたらうまくいくわけ?」みたいに言われちゃう。そう言いたくなる気持ちはよくわかりますけどね。うちなんかも外からこっそり僕たちの関係を覗いたら、ちょっと水くさいと思われるぐらいに気を使い合っている。でも、それは僕にとって居心地の良さだし、多分、彼にとっても居心地のいいことじゃないのかなって思うんです。言葉で確かめたわけじゃないけども、経験的にこれは大事にしておこうとか、この辺の配慮は関係には意外にいいんだっていうものは、お互いに分かってくるんです。
僕が一緒に暮らすことが大事だって言ったのは、一緒に暮らすことの中でこういった「さもないこと」を、いっぱい積み上げられるからなんです。もう1つ言っておきたいのは一緒に暮らさなきゃいけないって言っているわけじゃ全くないんですよ。一緒に暮らすことにはそういう意味でメリットがたくさんあると思うよって言ってるだけです。そして、そのメリットを活かせば、皆さんだってうまくいくようになるかもしれないよっていう感じ。別々に暮らしながら長い関係を続けているカップルを僕は何組も知っています。その人たちはその人たちで僕たちにはない様々なやり方なり、工夫なり、技術っていうものを駆使してるんですよ。ただ、僕から見れば、それは一緒に暮らすよりも難しいことのように思えますけどね。
伏見 この本を通じて、大塚さんはゲイということにこだわる必要があるんだろうかと疑問も感じました。同性に性愛的な感情を抱くということよりもパートナーシップみたいなことを、まあそれらは分離できないにしても、パートナーシップにあまりにもプライオリティーがあるから、「パートナーシップ・セクシュアル」でいいじゃないかって思った(笑)。同性愛とか、性愛っていうことよりも、そっちのほうにアイデンティティの根がある感じがしたんですけど。
大塚 セックスを含む恋愛は、一番ではないけれども、関係を始めるにはすごく大事な要素なんです。僕は恋愛は接着材だっていう言い方をしている。この接着材はものすごく強力で、これを超えるほど人と人をくっつける力の強いものって他に知らないくらい。それは理想とか、理念とかの強さとは比べものにならない。だから関係ってそういう恋愛の力も借りないと、作っていくのは難しいんじゃないのかな。その接着材が効いているうちにそれ以外の結びつきができてくると、その恋愛の部分が弱くなった時にも、いつの間にかしっかりしたものになってたりする。恋愛感情っていうのはある種勘違いみたいなものでしょ。「この人は運命の人だ、やっと出会えた、この人なんだ」みたいな。でも、その気持ちがある時って多少の欠点とかには目をつぶることができるわけでしょ。だから、そういうものもうまく利用するのは大事だと思うんです。
この本って突き詰めていくと、セックスは関係ない、だから、僕は女の人ともパートナーシップが可能だってことになっちゃう。でも僕は経験したことがないんです。女の人に対して性的な感情を持ったことがないから。僕は理論上で可能ってことにあまり興味はないんですよ。でも、理論というか、理念みたいなことを提示しないと、人に僕の言いたいことを伝えられない。だから、理念の細かいところが矛盾しているとか言われても、そこを詰めることが僕の目的ではなかったので、なんとも言えない。でも、この理念を提示しなければ、僕はやっぱり語ることができなかったって思います。
伏見 結局、パートナーシップ、関係性というのはほとんどの人は性愛から始まるわけですよね。時間が経過すると性愛とちょっと違うものにもなっていく。そして、その性愛から派生した関係も、常にほかで性愛の関係が始まるっていうことの脅威にさらされるわけじゃないですか。そこがパートナーシップの難しいところですよね。
大塚 ホントに難しい。だから、面白いって気もするんですよ。あんなに接着力の強いものを使って関係を始める。そうしたら、強力な接着剤が、次に誰かほかの人と強い関係を作ってしまう可能性がが前提にあるわけですよね。それにも負けないような関係を作ることが、多分、目的にもなるだろうし、面白さにもつながるんじゃないかな。
僕は関係性を作ることって、やっぱり難しいことだと思うんですよ。難しいから面白い。そこのところをちゃんと言っておかないとね。関係作りが面倒くさいとか、楽に生きたいっていうんだったら、1人で生きたほうがいいんじゃないのって言います。だって、1人で生きたほうが楽だもの。でも、世の中にあるいろんな文化とか、スポーツって難しいことに挑戦しているから楽しいってことはいくらでもあるじゃないですか。
伏見 トゥマンはトリプルアクセルみたいな(笑)難易度の高いもの!
大塚 僕はこの本で難しさを強調しすぎたかもしれないとは思ってます。だから、読んだ人にこんなことはできないって思われてしまうかもしれないノ。でも、こんな難しい状況でやっても可能な場合もあるんだって読んでもらえば、じゃあ、自分はこのぐらいの楽な感じでやっていけるんだから、何かが起こっても少し頑張ってみようかなと思ってくれたら嬉しいなっていう気持ちです。やっぱり1冊の本で何もかもを入れ込むのは難しいですよね。これでさえ長いといわれているぐらいなのに(笑)。だから、関係性の楽しい部分とか、そういうのは漫画で関係性の楽しいことを伝えるうたぐわさんのような人たちに代わってやってもらいたいな。僕はある1つの役目を果たしたと思ってるんです。
伏見 とても勉強になりました。大塚さん、広瀬さん、今日はありがとうございました!(拍手)
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