2010-02-05
『二人で生きる技術』をめぐるトークライブ!(前編)
大塚隆史著『二人で生きる技術』をめぐるトークライブ!
司会/伏見憲明
ゲスト/大塚隆史 造形作家。ゲイバー「タックスノット」のマスター。著書に『二人で生きる技術』(ポット出版)、『二丁目からウロコ』ほか
コメンテータ/広瀬桂子 元伏見担当のマガジンハウス編集者。二丁目で出会った夫は現在市長。
*12/23(水)エフメゾにて行われたトークイベントをまとめたものです
● 関係性を開示することの困難
伏見 こんにちは、伏見です。よろしくお願いします。今日は大塚隆史さんを迎えて、最近出版されたご著書『二人で生きる技術』についてお伺いするトークイベントを設けました。助っ人にも来ていただきました。広瀬桂子さんです。
広瀬 こんにちは。(拍手)
伏見 広瀬さんはマガジンハウスの編集者にして市長夫人(笑)でいらっしゃいます。そもそも、なぜ市長夫人になったかというと。僕が『スーパーラヴ!』という本をマガジンハウスで出版したときの担当編集者が広瀬さんで、その出版パーティに、僕の大学時代の同級生がたまたま来ていました。パーティでは、その2人以外は全部ホモとレズだったんです(笑)。で、余ったその2人が何か発情しちゃって、結婚して子供までつくって、もう十数年がたちました。そういうカップルなので、ちょうど対比的にも面白いかと思って、今日は広瀬さんにも混ざってもらおうと思いました。
そして、皆さん、よくご存じだと思いますけれども、行間に60うん年のすべてがこもっている、濃密な本をお書きになられました大塚隆史さんです。(拍手)
大塚 よろしくお願いします。
伏見 まず大塚さん、こんな濃い本を出す人は最近いないような気がするんですけども(笑)、これをお書きになられた動機をちょっとお話ししていただければと思います。
大塚 3年ぐらい前にある編集者の方からお手紙をいただいたんです。自分もゲイなんだけれども、初めて本をつくることになった。僕が以前に書いた文章を読んでいてくれて、一緒に最初の仕事をしたいという内容でした。彼は社内でもカミングアウトしていて、ゲイの本をつくりたいと。でも、ゲイの人たちだけに向けての本ではなく、できるだけ広く多くの人に読んでもらえるような本にしたいという申し出でした。
僕はちょうどその時に、前の本の『二丁目からウロコ』を書いてからちょうど12年たっていて、何かもう1冊ぐらい書きたいという気持ちが高まっていたんですね。『バディ』のほうでも僕はパートナーシップの連載を10年ぐらいやっていて、その短い誌面の中で言い切れないものが少しずつたまっていて、それをちゃんと1冊の本にしたいと。多分、これで最後の本になるだろうから、濃くてもいいかなという感じです(笑)。
伏見 大塚さんはパートナーシップに関してはもうずっと言い続けていて、まだ言い足りないことがあるのか!とビックリしたんですけれども(笑)まだあったんですね。
大塚 全然言い足りてないです(笑)。
伏見 たしかに、実際ご著書を読んでみて「ああ、やっぱり言い足りなかったんだな」ってわかったんですが。
大塚 パートナーシップのことは書いてきたけれども、基本的にはカップルのインタビューというかたちでやってきたでしょ? そうすると、そのカップルの話を聞き出してそれについて論評するみたいなかたちになるわけだけど、カップルが自分たちの関係を露わにするって、関係にとってちょっと危険なことなんですね。インタビューは関係を壊さないように、でも、やっぱりある程度は突っ込んで話を聞いていかなくてはならない。彼らはよく話してくれたと思うんですよ。僕だったら、こんなことをしゃべれるだろうかという思うくらいに。でも、そういう中で突っ込み足りないこと、そのカップルを壊したくないという思いで言えなかったことがあったので、そのたまっていたことがこの本の中にたくさん入っている。そういうカップルのありようの、ちょっと人にはいえないようなところ、踏み込んだかたちで言わないと伝えらないことって今までにあまり語られてないような気がして。それを他のカップルを使ってやってしまったら、フェアじゃないんじゃないかと。だから、自分の経験をぎりぎりのところまで開示して、そこで起こったことに関して何かを語るという形だったら、前より何かもっと深くいえるんじゃないかなと思ったんです。
伏見 91年に上梓した僕の最初の本『プライベート・ゲイ・ライフ』は、山本コウタローさんと吉田真由美さんの対談本『自然な関係』に影響を受けたものでした。彼らが主唱する男女の対等性を謳ったいまでいうところのフェミ本に習って、ゲイ同士の関係性を語る本ができないかと思ったのが出版の動機でした。あの本、セクシュアリティ論というよりは、最初はそういう企画でスタートしたんです。
ところが、当時、僕は、付き合ってる相手との関係が2年目か3年目ぐらいで、パートナーシップといったってまだ入り口で、語るほどの内容もなかった。二人で対談して少しは収録もしてみたんだけど当然上手くいかなかった。で、違う企画になって、ああいう内容の単行本になったんです。でも、その中にちょっとだけ彼との対談を載せていますし、パートナーシップ的な問題もエッセイにしています。その彼とは、去年、2009年の11月で20年の付き合いになりました。いつかカップルの関係性について書くつもりだったのだけれども、でも、最近は昔ほど書きたいとは思わなくなりましたね。やっぱりカップルについて書く、プライベートな関係を世間に開示するということはいろんな意味で困難がつきまとう。僕は冗談でよく自分たちのことを「仮面夫婦だから」とかって言うんだけれども、仮面の内側に保持しておきたいものがある。これまでも僕は書き手として相当自分を解剖して切開して書いているつもりだけれども、やっぱり個人的な関係の本質的な部分は、まだ、書く気にはなれない。
だから大塚さんの本を拝読してすごい勇気だと思った。だって、これって、現在だと個人情報の問題にも触れるかもしれない内容じゃないですか。関係性を書くというのは自分のことだけじゃ済まないわけだから、ほかの人のプライバシー等も関わってくるわけですよね。そのあたりはどういうふうに自分を納得させ、相手を納得させようとしたわけですか。
大塚 この本を書こうと思った時に、やっぱりそのことは一番考えました。30〜40年ぐらいの間に何人もの人と関わってきて、その人たちとのことをできるだけちゃんと開示することを目的として始めたから。カズに関しては「ごめんね。文句を言えないね。だって死んじゃったんだもの」みたいなところはあるんだけどノ。あとインランちゃんという人は性格も知っているし、その後の関係も途切れずに一応あるので、大丈夫だろうと踏んで。ゲンちゃんという人ともちゃんと関係が続いているし、本も事前にちゃんと読んでもらってるんです。もしも駄目だと言われたらそこは削るつもりで書きました。今のパートナーのシンジに関しては一節ずつ書き上がるごとに読んでもらってオーケーをもらうかたちでやっていたので大丈夫だろうと。1人だけ「書くよ」とも伝えてなかったのはヤスオ君です。彼とは不幸な関係になってしまったんだけど、彼に関して、僕はできるだけ客観的にとらえ直して書いたつもりなんですね。だから、あれに関してプライバシーがどうのと言われたら、まあしょうがない、受けて立つよという感じ。だから、基本的には一応全部押さえてあるという感じかな。
後日談なんですけれども、インランちゃんっていう人は二丁目でバーをやっている方なので、そこにごあいさつに行って本も渡して読んでもらいました。後日「どうでした?」って話を聞きに行ったら、特別気分を害しているふうでもなくて、「私のインランちゃんっていう名前はクロちゃんが付けたんじゃないのよ」っていうふうに言われまして、そのあたりの細かい話を聞いてきました。
あと叔母も読んでくれたんですけど、「あなたのお母さまは駆け落ちしたんじゃないのよ」って。「好きな人がいて出ていったけれども、1人で出ていったの」って言われました。僕はおやじから散々「あいつは駆け落ちしたんだ」って言われていたんで、そう思い込んでいたんですね。それ以外は、特別、何か文句を言われるということもないので、多分、大丈夫かなって。
ゲンちゃんに関しては、ゲンちゃんの部分が書き上がった段階で最初から全部読んでもらって「どうかな」って。ゲンちゃんが一番心配でした。ゲンちゃんに関してはデリケートな話が入っているので、どうかなと思ったんだけど、ゲンちゃんはすごく面白い言語感覚の人で、メールの返事が来て「タック万歳、シンジ、万歳」って書いてあったんです。だから、受け入れてくれたんだろうなって思って。そんな感じです。
伏見 大塚さんはこの本で、自分の人生そのものをお書きになっていると思うんですよね。やはり、他者とのパートナーシップということが大塚さんの人生の中心にあるということなのでしょうか。
大塚 僕の人生の中心にはいくつかの流れがあるんですよね。例えば、自己表現するアートの流れ。それはこの本の中ではサブの話としてちょっと出てくるぐらいですけど。アートは僕にとってとても大事なものなんです。それと同じぐらい大事なものとしてパートナーシップの流れがあって、それを書いたつもりです。パートナーシップに関してはかなり開示して書いたつもりだけど、やっぱり何もかも書いているわけじゃなくて、言いたいことを導き出すためにエピソードをピックアップしてるので。やっぱり微妙に時間軸とかをずらすとか、他のことを言わなきゃならなくなる時には意図的に変えてあります。でも、それって当然でしょ? 自分も自分の関係を守らなければならないし。でも、できるだけ正直に書こうというのがこの本の大事なテーマです。
● 言葉にしていない技術
伏見 今、ここに来ているお客様は若干とうが立っている方が多いのであれですけれども(笑)、もっと若い世代のゲイになると、男同士で長く付き合うことはそんなに珍しい風景ではなくなってきたと思います。一方、僕の世代が若かったときには男同士が付き合うなんていったら、そんなことあり得ないとか、男はどうせ体だけの関係だとか、そんなことをよく二丁目などでいわれた。そんな状況がつい最近まで現実だったわけです。パートナーシップという言葉だって、流通し始めたのは90年代以降だと思うんですよね。だから、タックさんが長年パートナーシップということにこだわって実践してきたことは稀というか、道なき道を歩むようなことだったように思うんです。
大塚 どうなのかな。確かに周りの人たちと見比べてみると、自分はちょっと変だな、ぐらいには思っていたかも。すごくこだわってきましたからね。そのこだわり自体が、自分のある欠落を埋めるためのような、自分が何か欠けているというような思いから生まれたものなのかとか、ホモセクシャルだということをすごくネガティブに考えているから生まれたものなのかとか、いろいろ悩んだ時期もあったんですよ。でも最終的にはこういう良い関係が持てていると、自分は生き生きできるという実感があるので、なくなればやっぱりそれを欲しいと思うし、持っている時にはその中で最大限の努力をするということをやってきたんだと思うんです。だから、大変だったかもしれないけど、面白いからやってきたっていう感じではあるんですけどね。
伏見 広瀬さんはストレートの立場でどんなふうにこの本が読んだのか、まずそのへんをお伺いしたいと思います。
広瀬 タイトルを聞いてこれは素晴らしいと思って、やっぱり技術だよねと思ったんです。私は普通の結婚はしてるけど、やっぱりパートナーシップという意識が大事だと思っているので、何の違和感もなく、確かにこうだよね、こうだよねって読みましたね。ただうちの場合、あまり技術を使ってるという気はしないんですけど。
夫と会う前は、大事なのは結婚じゃなくてパートナーシップでしょうみたいなことを男に言うと、「わけがわからない」って言われ続けてきたから、そのへんの感じはすごくよくわかるんです。それにすごく違和感がありました。大塚さんがゲイ社会のなかでパートナーシップにこだわってこられたというのとは大変さが違うかもしれないんですけど。そんなことがあった揚げ句に出会ったのが今の夫だったんです。
伏見 ちなみに2回目の結婚ですよね。
広瀬 ええ、そうなんですよ。
伏見 1回目は失敗されて(笑)。
広瀬 本当にめちゃくちゃ失敗ですよ。
伏見 それはやっぱり技術がなかったという感じですか?
広瀬 技術ももちろんなかった。もっとまじめにパートナーシップについて考えてやっていかないといけないんだ、っていう発想が若くて全然ないから。ちなみに24歳から27 歳の時に結婚してたんですけど。
伏見 大塚さんの場合はパートナーシップという概念、言葉を立ててあらためて関係性について考えないと、男同士のカップルなんてうまくやれないし、周りにも理解してもらえないところがあった。だけど、男女の場合は、制度と慣習に乗っかって結婚まではこぎ着ける。
広瀬 そうなのね。それで何となく結婚しちゃって失敗するわけですよ。
伏見 1回目はどこで失敗したの?
広瀬 何も考えてなかったからかな。
伏見 やっぱりね(笑)。
広瀬 普通の人は、特に女の人の場合、結婚に命を懸けているからもっと真剣に考えて結婚するんですけど、私は仕事に夢中でたまたま結婚してくれってしつこく言ってきた人がいたから、「いいか。嫌いじゃないし結婚しちゃえばいいや」って結婚しちゃったんですよ。だけど、そんなのうまくいくわけがない。それって向こうのせいじゃないし、むしろ私のせい。
伏見 じゃあ、2回目は? さっきは現在の夫との関係は技術じゃないみたいなことをおっしゃっていたけれども。
広瀬 前提でうまくいきすぎちゃっていて、技術を使わなくても済んでいるっていう。
伏見 何か感じが悪い話ね(笑)。
広瀬 すみません、ごめんなさい!(笑) でも、まあ強いていえばね。なかには細かい技術があるのかもしれないけども。
伏見 そういう立場からすると、関係というのは技術だ、という大塚さんの主張はどう思うわけですか?
広瀬 大塚さんは、やっぱり真剣にパートナーシップについて何かが駄目だった時に、じゃあ、何でだろうって考え続けるわけじゃないですか。それはものすごく素晴らしいことだと思って。自分もいまの夫と会ってからそんなに苦労はしてないんですけど、最初の結婚に失敗してから次までが結構長くて、その間はものすごくいろいろとあるんですよ。うまくいかないことばかりで、ものすごく考えていたのね。
伏見 関係性について考えていた、と。
広瀬 そうです、そうです。結婚はしてないけど、付き合っている人とかがいるわけじゃないですか。でも何でこうなるのかなっていう感じの連続だったんですよね。すごく腑に落ちなかったという気持ちがあって。
伏見 最初の結婚も、その後の恋人とも考えていろいろやったけども、うまくいかなかった。だけど、今の夫とはうまくいっちゃって、技術もあまり関係ないっていう話ですよね。反対に、大塚さんの場合、技術にこだわってきたけど、本を読んでいると、失敗の連続といえば、失敗の連続なわけですよね。そのへんはどういうふうに?
大塚 この本を書こうと思ったことにも関わっていることなんだけど、例えば、二丁目なんかで長い関係を続けているカップルってそれなりにいるんですよね。僕の店だと、もう35年とか、40年近く付き合ってうまくいっているところもあって。そういううまくいっているところもあれば、1年未満でどんどん壊れていく。それはすごい数の壊れ方で(笑)。
伏見 残骸がいっぱい(笑)。
大塚 うまく長くいっている人たちに秘訣って何だろうかって質問するわけですよ。でも、そういう人たちってうまくいっちゃってるから自分たちの関係のことって客観的に語れないんです。
伏見 広瀬さんみたいに?
大塚 こういうふうにってことじゃないけど、彼らには技術がないんじゃなくて、技術を使っているんだけど、意識できてないんだと僕は思うんです。例えば、AさんとBさんが組み合わさった時に、言葉の感覚だとか何か伝えようとする気持ちのありようがうまく合っている場合は、それほど技術を使っているという意識がなくても結局は同じようなことをやっているんだと思うんですよ。僕がここで言っている技術っていうのは、最終的には「コミュニケーションをちゃんと取れ」と言っているだけだから、コミュニケーションをちゃんと取っていたらうまくいきやすいわけでしょう? そのことにすごく努力しなくてもいい組み合わせの人と出会った人はやっぱりうまくいくんだと思う。
でも、僕の場合、たまたまうまくいった後に結局その相手を亡くしちゃって、その後どうしようか悩んだ結果、組み合わせとしてそれほどうまく合ってない人とも頑張ってみたっていう話なんです。頑張れば、必ずそれがうまくいくっていうものでもないけれど、その中でどうやら技術ってものが重要なんだとと気づいたってことです。「ラッキーな組み合わせでなくても、やり方はなんとかある」。そんな思いが生まれてきたんです。もし僕が35年とか、40年、ひとりの人とうまくいっていて、私は場合はこんなのですって書いたとしても信頼してもらえないんじゃないかと思う。この本で書きたかったのは、これだけ失敗しても、やるだけやってみたらうまくいく場合もあるっていうことなんですね。
伏見 広瀬さん、今の話についてはどうですか?
広瀬 おっしゃるとおりというか。たぶん自分も強いていうと、技術がいっぱいあるんですよ。あるんだけど、それがあまり大変じゃないから普段意識してなくて。関係性を続けたいから努力していることって細かいところではいっぱいありますよ。でも、それがものすごく無理しているわけじゃなくて普通だからもっているという感じですね。
● パートナーシップと友情は違うのか
伏見 大塚思想は要するに性愛っていうものとパートナーシップっていうのを分けてとらえるということが基本になっていますよね。それについてはどんなふうに思いましたか?
広瀬 私も先にパートナーシップというのがあってのもので、性愛は後でいいと思うの。
伏見 広瀬さんも?
広瀬 うん、うん、私も。
伏見 性愛派ではないんですか。
広瀬 それは2番手というか。ご本の中に、大塚さんがゲンさんと会って10時間しゃべっちゃって意気投合しちゃったとありましたが、自分のところも全くそのパターンだったんですね。初対面で会って10時間がーってしゃべっちゃって。出会ったパーティの後で、タックスノットで午前2時から6時ぐらいまでずっとしゃべってたの。
伏見 もう大塚さんのおかげじゃないですか(笑)。
大塚 うちも何か協力してたっていうことで本当にうれしかった。
広瀬 それで店を出たら「ああ、朝になっちゃっている」と。でも、もうその時に付き合いましょうっていう話になってるんですよ。本当に意気投合しちゃったの。
伏見 本当にヤル前に付き合うとか考えたわけ?(笑)
広瀬 そうなの。それで当時伏見さんに「あんたたち、あの晩やったんでしょう」って言われて「やってません、やってません」って言った(笑)。本当に性愛以前に、付き合いましょうっていう話になったの。でもまあ、実際にしてなくても男と女としては、見た目とかで引き合ってるわけだから、性愛の入口にはタッチしてたんだけど。
大塚 今、何でって言われたけど、僕だってセックスを求めてないわけじゃないんですよ。もう、のどから手が出るほど求めているんだけど、でも、何かうまくいかなかった。うまくいかないけども、それよりもっと優先したい問題があったってこと。
僕だって何十人の人と関わってきました。その中にはこのセックスはいいなっていうのはありました。でも、このセックスはいいなっていう人と話してたってちっとも楽しくないということを経験してくると、付き合いたいっていう気持ちが強いんだったら、どっちを優先するかなんていうことは、もう一目瞭然ですよ。やっぱり関係を続けていく上で大事なもの、それはやっぱりこの人と一緒にいると楽しいってこと。それは僕にとっては話すことの比重が大きいんですけどね。
伏見 一緒にいて楽しいっていうことは、例えば、親友とか、友達っていう関係では駄目なんですか。
大塚 性的なものがはどうでもいいって言っているわけじゃないんです。パートナーシップと友情っていうものは、分岐点のようにきれいに分かれているかっていうと、実は微妙だと思う。間にはグレーゾーンがあって、友達なんだけど、もしも誰かと付き合ってなかったら、付き合っちゃうかなって思えるような友達。それから、この人とは心が強く結ばれている感じがしないと思って最終的に付き合いをやめてしまったような、一度は付き合ったことのある人。この間って地続きでつながっているんだと思うんです。結局、軸足がどっちにあるか、みたいなことなんじゃないかと思うんです。
僕にとってのセックスっていうのはやっぱり裸になることなんです。精神的な意味を含めてね。僕は友達の前でそういう意味では絶対裸にならないです。だけども、パートナーだったら裸になれるし、なってもいいと思うような気持ちになれるんです。これは僕にとても大事で、だからパートナーシップっていうのは自分の心の裸を見せられるような人との関係が欲しいってことなんです。
じゃあ、最初からセックスが全くない、僕も性的なものを何も感じない。向こうも何も感じないっていう状況でパートナーシップができるのだろうかっていうと、僕の書いた本を論理的に突き詰めていけば可能ってことになってしまうかもしれないけど、僕は可能ではないような気がする。少なくとも僕にはね。やっぱりそこに何か心が裸になれるものがないと難しいんです。それってセックスと強く結び付いているん感覚だと思います。実際にやったセックスじゃなくてもね。性的に惹かれていることで自分の心の裸まで見せられるんじゃないかなって思うんですけど。
伏見 例えば、中村うさぎさんのところなんかは、「うちの夫はゲイでチンコも見たことがありません」って公言していて、セクシュアリティは違うけれども、別の絆があって夫婦生活を営んでいる。そういうふうなことは?
大塚 例えば、もしもシンジと駄目になって、それでもどうしてもパートナーシップが欲しくて相手を探していた時に僕を求めてくれる女性の人が出てきて、「あっ、この人かな」と思えたら、やるかもしれない。
伏見 それは年齢的なことに関わっていますか? もっと若い時でも可能でした?
大塚 年齢ではなくて僕にとっては経験が大事なんです。例えば、セックスと関係性を完全に分けてしまえば、いくら性的な欲求がたくさんあってもパートナーシップのやり方はあると思うの。うさぎさんのところって、彼が外で何かしても別に構わないっていう気持ちになっているということでしょう? だから、僕の場合でも、セックスは外で済ませばいいって思えれば、そういう関係にも入っていけたんだろうけど、僕はやっぱり1対1の絵に描いたような関係にずっとあこがれてきたから、他の人とセックスもオーケーみたいな気持ちは最初は持てなかった。だけど、いろいろな経験をして必要でないものをだんだんとそぎ落としたかたちで今のところにたどり着いたわけ。だから、それが若いうちには不可能だとは言わないけど、ある程度経験をしてからでないと難しいと思う。
● ヤリマンはパートナーシップには向かないのか
伏見 広瀬さんのところなんか、パートナーシップはパートナーシップ、性愛は別に外で自由というふうにならない?
広瀬 全然なってないです(笑)。
伏見 ゲイって、関係性のなかでセックスの比重が非常に高いから、そこが摩滅してきた時に関係性をどういうふうに続けていくのか、みたいな問題が悩みの種なんですよね。そういう傾向をこの本を読んでどう思いました?
広瀬 自分は女で、すごく多数の人とセックスしたりしないから、ちょっとそのへんはよくわからないんだけど。大塚さんみたいにパートナーシップを続けていくっていうことの大事さがどーんとあって、あまり他のセックスに関しては頭が動かないという感じ。自分の知らないところで、もし、夫が何かしていてもどうでもよくて。別に自分たちの間ではうまくいっていればいいんです。
伏見 ゲイでもそういうふうに「わからなければいい」という対処のカップルは結構いますよね。
大塚 つい最近なんですけど、この『二人で生きる技術』を読んで初めてタックスノットに来てくれたカップルがいたんですね。そのカップルは、片方が17歳ぐらいの時に出会って今7年目だとか。もう片方の人はそれより5歳ぐらい上で。で、最初に出会って何となく2人で一緒に暮らし始めたんだそうです。あまりゲイコミュニティとか、ゲイバーとかに来てないような人たち。こういう場合って意外にすっと行っちゃうことがあるんだけど。一方、多くのゲイの人たちはセックスをするチャンスがたくさんあるわけでしょう。セックスってすればするほど、どんどん自分の好みがわかってきて、細かいところにこだわっていくような気がするんですよね。それがどんどん進んでいっちゃうと、それを二人で擦り合わせることがすごく難しくなってくる。
だから、たくさんセックスをしている人たちって、「セックスをする」という言葉で表す内容は実は一様じゃないって気がするんですよ。だから、そういう難しさがゲイの人たちにはあるんだと思う。だから、ゲイの人でも、そんなに世間を広げてなかったり、セックスというものにそれほど重きを置いてなくて、軽く遊んでいるうちにいい人と出会ったらすとんと落ち着いちゃうってことはあると思う。だけど、セックスをすごくたくさんやっている人ほど、関係を築いていく時にセックスが合わなかったら、それを受け入れるのは難しいんじゃないかなっていう気がします。
伏見 ということは、ヤリマンは、大塚さんの言う「トゥマン」には向かないっていう話ですか?
大塚 いや、向かないじゃなくて、今言ったことを自覚してないと、トゥマンに入っていくのは難しいっていうこと。ヤリマンの人が、自分の欲求を第一義に置いていたら、トゥマンは無理じゃないかなっていう気はする。だって、セックスって新しい相手のほうがいいし…。だけど、人生は刺激が多いのがいいって選んだとしたら、それはそれでありだと思うんですよ。だって、2人で生きていくことだけが一番いいわけじゃないんで。僕はそれを一番好きだって言っているだけだから。
伏見 そこを聞きたかったんですよね。セックスにすごく重要性を感じる人、プライオリティーが高い人ってやっぱりパートナーシップには向かないっていうことなのかなっていうのが僕の疑問だったんですけど。
大塚 セックスにプライオリティーがあるかどうかよりも、関係性を強く欲しいと思っているかどうか、にかかっているんだと思う。強く関係性を持ちたいと思っていたら、セックスが重要だってことを自分なりにどうしていくかを考えなきゃならないし…。それってすごく大変なことだから、関係性がすごく欲しいっていう思いの強さをどんどん強くしていかなきゃならない。これってとても難しいこと。だから、性的なものにプライオリティーがある人にとってはパートナーシップはより難しいってことは言えるのかもしれない。
(つづく)