2011-08-12

スキ-人国記 オサトが笑う ●関東人はレジャ-指向 by 下関マグロ

ご無沙汰しております。
『昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』担当の大田です。
前回の「とらばーゆ」の原稿に続いて、1985年頃のマグロさんの原稿を公開しちゃいます。
これは学研のスキー雑誌「ボブ・スキー」に書かれたもので、テーマは県民性について。このあたりは、いまでもまったく変わらないですね〜。
スキーなんてしたこともない駆け出しのライターだったトロさん&マグロさんが、いかにして「ボブ・スキー」で原稿を書くようになったのか、といったあたりは、ぜひ以下のあたりでチェックしてください。

スキーができないスキー雑誌のライター集団 [北尾トロ 第21回]
タダほど高いものはない。スキー合宿顛末記 [下関マグロ 第22回]
ラーメンとカレーを食べまくった初取材 [北尾トロ 第22回]
「北尾トロ」が誕生した瞬間!  [下関マグロ 第23回]
ライターの三種の神器がそろう![下関マグロ 第24回]

スキ-人国記 オサトが笑う●関東人はレジャ-指向

 スキ-場には全国各地の様々な地方から多くの人がやって来る。ゲ​レンデやレストハウスで周囲の人間を観察していると、その言葉(​方言)に代表される特性がよく出ていて面白い。この特性が県民性​であり、オサトなのだ。巷で人気のある血液型は、A,O,B,A​B型の4種類、星座でも12種類しかないのだから、47都道府県​もある県民性は、それらよりは正確だと言える。それは、生まれ育​った自然環境や歴史、風土などから生じる特性で、占いなどとは少​々異なるからだ。

 県民性としてまとめられたもので、最初のものは、江戸時代に作ら​れた「人国記」(作者不明)だと言われている。その後もこの類の研究書は多く書かれているのだが、狭い国土でありながらも、県民性の違いは顕著だからなのだろう。

 最近では、NHKが全国のネットワ-クを利用して作成した意識調査が有名である。

 そのなかから、関東にまつわるもので、おもしろいものをいくつか​紹介しよう。「生活費を切り詰めてでも、出来るかぎりお金を残し​たいと思うか」という質問に対して、「ハイ」と答えた人がもっと​も少なかったのが東京で、次に埼玉、神奈川、群馬の順だ。つまり​、関東地方の人々はせっせとお金を蓄るよりもレジャ-などに使っ​た方がいいと考えているわけだ。また、「世の中すべて金次第だと​思うか」という質問に対し、そうではないとする人は、神奈川、奈​良、東京、福岡、群馬の順で多い。ここでも関東人が1、3、5位​で、まさに関東人はレジャ-指向といえる。

 この調査のなかで、江戸っ子気質を感じさせるものもある。「本来​自分が主張すべきことがあっても、自分の立場が不利になるときは​黙っているか」の問いに「ノ-」と答えた人が多いのは、千葉、神​奈川、北海道、静岡、東京の順だ。関東人はレジャ-指向のみの軟​派ではなく、自己主張や正義感の強い人種のようだ。

 ひとくちに関東人といっても関東は広い。各地方によって特性も異​なる。

 しかし、首都圏だけは別に取り扱いたい。というのも、首都圏の大​半が全国各地方から来た人によって構成されて、その性格を特定で​きない部分があるからだ。そうなると、はっきりと県民性を言える​のは北関東ということになる。

 北関東の人は総じて言葉が乱暴だ​と言われる。初対面の北関東人とゲレンデで言葉を交すと、こちら​が怒られているような気になるが、これは悪意があるわけではない​。その代表選手と言えるのが、茨城県人。水戸には「水戸の三ぽい​」という言葉がある。怒りっぽい、理屈っぽい、骨っぽい性格だと​いう意味だ。全国の警察官の10分の1が茨城出身者だということからも分かるように、この地方の人は真面目で、律儀な人が多いのだ。

 北関東のなかでもユニ-クなのが、近年、福田、中曽根の両総理を輩出した群馬県だろう。「からっ風とカカア天下は上州名物」と言われ、有名になった群馬県の“カカア天下”だが、一般的には、女性上位とか男を尻に敷く女、というような意味にとられているようだがこれは​、誤解らしい。確かにスキ-場にやってくる群馬ナンバ-の車は女​性ドライバ-が多い。しかし、カカア天下の本当の意味は、上州の​男たちが他国の者へ「うちのカカアは天下一の働き者だ」と自慢し​たのが起源らしい。事実、群馬県の女性はよく働く。

 こんな群馬県の女たちの美人度はどうだろう。もともと水のきれい​なところには美人が多いという。群馬県は水の美しいところとして​も有名だが、そこのところを群馬県の男に尋ねると、「な-に、駄​目ですよ、その水を使わないんだもの」という答え。これも、群馬​県人の謙虚さの表れなのかは、定かではない。

 上州の土地は痩せていて、養蚕などの産業に頼らざるをえなかった​のだが、この労働力の担い手が女性たちだったというわけだ。だか​らといって、男たちが怠け者やだらしがないというわけではない。​国貞忠治を見ても分かるように、強気の男たちが多い。

この連載が単行本になりました

さまざまな加筆・修正に加えて、当時の写真・雑誌の誌面も掲載!
紙でも、電子でも、読むことができます。

昭和が終わる頃、僕たちはライターになった


著●北尾トロ、下関マグロ
定価●1,800円+税
ISBN978-4-7808-0159-0 C0095
四六判 / 320ページ /並製
[2011年04月14日刊行]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

電子書籍版『昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』も、電子書籍販売サイト「Voyager Store」で発売予定です。


著●北尾トロ、下関マグロ
希望小売価格●950円+税
ISBN978-4-7808-5050-5 C0095
[2011年04月15日発売]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

2011-08-09

『昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』(北尾トロ、下関マグロ)が紹介されました●TBSラジオ「小島慶子キラ☆キラ」(2011.8.9)

昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』(北尾トロ、下関マグロ)が2011年8月9日(火)放送のTBSラジオ「小島慶子キラ☆キラ」で紹介されました。
ありがとうございます!
今週のゲスト、コラムニストのえのきどいちろうさんが選ぶ「ライター魂」を感じる3冊の中の1冊として、『「フクシマ」論』(開沼博)、『からくり民主主義』(高橋秀実)と共に取り上げていただきました。
えのきどさんの「コラ☆コラ」のコーナーは、Podcastで聴くことができます。

小島慶子キラ☆キラPodcast:2011年08月09日(火)えのきどいちろうさん

昭和が終わる頃、僕たちはライターになった


著●北尾トロ、下関マグロ
定価●1,800円+税
ISBN978-4-7808-0159-0 C0095
四六判 / 320ページ /並製
[2011年04月14日刊行]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

電子書籍版『昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』も、電子書籍販売サイト「Voyager Store」で発売予定です。


著●北尾トロ、下関マグロ
希望小売価格●950円+税
ISBN978-4-7808-5050-5 C0095
[2011年04月15日発売]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

イベントレポート

【レポート&動画】2011年4月25日(月)刊行記念トークイベント「ライターとして生きぬくために必要なこと─職業ライターの今と昔をとことん語ります」@SHIBUYA PUBLISHING BOOKSELLERS

2011-08-02

『とらばーゆ』37号・クッキングの原稿 by 下関マグロ

あーあー。
昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』の担当編集の大田です。
4月にWEB連載をまとめた単行本を発売しましたが、まだ終わりではありません。
連載の中に登場する、トロさん、マグロさんがまだ駆け出しだった頃に書いた原稿が発掘されましたので、こっそり公開してしまいます。
今回は、1985年頃、マグロさんが『とらばーゆ』の料理コーナーに書いた原稿。
この原稿料が、当時5,000円だったそうで、今の原稿の相場と比べると……高いですよね??
しかも元は読者の投稿ハガキで、採用された読者にも謝礼が支払われていたそうです。
景気よかったんですねえ。

とらばーゆ 37号 クッキング

 仕事をもっていると、あわただしい朝やつかれて帰ってきたときなど食卓がさびしくなってしまうことがありますよね。そんな場合にカンタンな材料ですぐ出来るおそうざいを三品ご紹介します。

(1)「ほうれん草の納豆あえ」
 ほうれん草は塩ゆでし、適当な長さに切って水気をしぼっておきます。納豆を細かく刻んでから、ほうれん草とよくあえます。おしょうゆをかけていただきますが、小皿に盛ってからしをそえると色どりもきれいですよ。納豆は冷凍しておくと刻みやすくなりますが、市販のひきわり納豆をつかってもいいですね。

(2)「大根とツナのサラダ」
 大根とニンジンを千切りし、軽く塩もみした後、冷水でさらしザルにあげます。油切りしたツナと大根、ニンジンを混ぜあわせて出来上がり。もし大葉があれば刻んでいれてみてください。一層おいしくなりますよ。酢をきかせたワサ​ビじょうゆがよくあいます。

(3)「キャベツとコンビ-フいため」
 ざく切りにしたキャベツをサラダ油でいため、しんなりしてきたところでコンビ-フをほぐしながらいれます。味つけは塩かしょうゆ少々でOK。

 三品いっぺんに作っても30分ほどで出来ますから、ぜひ一度試してみてください。

——

以上です。ピュアですね!
『とらばーゆ』でのライター仕事については、初めてのライター仕事 [下関マグロ 第15回]などに詳しく書かれています。

WEB連載には掲載していない貴重な写真も収録した単行本『昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』は、全国の書店、オンライン書店でご購入いただけます。

次回は『ボブスキー』の原稿を公開しまーす。

2011-04-26

『昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』刊行記念トークイベント「ライターとして生きぬくために必要なこと─職業ライターの今と昔をとことん語ります」北尾トロ×下関マグロのアーカイブを公開しました

2011年4月25日(月)、渋谷にあるSHIBUYA PUBLISHING BOOKSELLERSさんで、『昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』(北尾トロ・下関マグロ)の刊行記念トークイベント「ライターとして生きぬくために必要なこと─職業ライターの今と昔をとことん語ります」を開催しました。
ご来場&ご視聴ありがとうございました!

『昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』と『季刊レポ』
北尾トロ×下関マグロ

USTREAMのアーカイブを公開しています。 続きを読む…

2011-04-25

2011年4月25日(月)『昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』刊行記念トークイベント「ライターとして生きぬくために必要なこと─職業ライターの今と昔をとことん語ります」北尾トロ×下関マグロ

2011年4月25日(月)20:00より、SHIBUYA PUBLISHING BOOKSELLERSにて、『昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』刊行記念トークイベントを開催します。

『昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』刊行記念トークイベント
ライターとして生きぬくために必要なこと─職業ライターの今と昔をとことん語ります

平成23年。僕たちは、いまからライターになれるだろうか?
「ライター生活25年。気がつけばいろんなことが変わっていた。
あの頃は雑誌が一番面白かった時代で、インターネットなんてなかったな。原稿は手書きで、FAXが最先端の機器だった……。」北尾トロ

当時の“成り行き”でライターになった北尾トロと下関マグロ。
いま、ボンクラだった20代に戻ったら、いったい何をしていたのでしょう?
第一線でひたすら文字と向き合ってきたふたりが「1983〜88年のあの頃」と「いま」のライター事情を語ります。「書くこと」の意味がもう一度問われている今。将来物書きを目指すかた、メディアに興味があるかた必見の一夜です。

●日時
2011年4月25日(月)
開場:19:30
開演:20:00(終演は21:30時頃を予定しています)
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2011-03-28

『昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』(北尾トロ、下関マグロ)の予約を開始しました

2011年4月14日刊行予定の近刊『昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』の予約受付を開始しました。

北尾トロ=“伊藤ちゃん”と下関マグロ=“まっさん”の20代。

金なし。定職なし。でも時間だけは腐るほどあった、1983〜88年のあの頃。
ライターになってはみたけど、気分は悶々、未来は不透明だった──。

当時のライター・出版業界の気分から、おかしなペンネームの由来までわかる、
ふたりの原点を振り返った青春ボンクラエッセイ。

ポット出版サイトでの連載「ライターほど気楽な稼業はない」に加筆修正を加え、単行本化しました!

目次など、詳細は以下をご覧ください。
昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

ご予約希望の方は本が出来次第、送料無料でお送りします(代引の場合は代引手数料300円[代金1万円以下]のみご負担いただきます)。

本のタイトル/冊数/お名前/郵便番号/住所/電話番号/メールアドレス/お支払い方法(郵便振替または代引がご利用できます)をお書きのうえ、こちらへメールをお送りください。折り返しご確認のメールを差しあげます。

また、Amazonでもご予約を受付中です。
『昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』をAmazonで予約する

昭和が終わる頃、僕たちはライターになった


著●北尾トロ、下関マグロ
定価●1,800円+税
ISBN978-4-7808-0159-0 C0095
四六判 / 320ページ /並製
[2011年04月14日刊行予定]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

2010-10-18

いつまでも明けない空に [北尾トロ 第35回(最終回)]

「客はどれくらいくるんかねえ」

「それは言わない約束ってことで。そこそこきてくれるでしょ。それより伊藤ちゃん、歌詞覚えたかね」

「曲順も怪しい。おかもっちゃん、忘れたら適当に間奏に入っちゃってギターソロ弾きまくってよ」

「いざとなったら、まっさんのベシャリでつなぐか」

「何をおっしゃいますやら。立て板に水の岡本さんと比べたらワタクシのベシャリなんて赤子同然のトナカイさんってことで。真っ赤なお・は・な・の! はいはいはい、ご一緒に。真っ赤なお・は・な・の!」

「飛ばしてるねえ。この勢いだと始まる頃には」

「真っ赤なお・は・な・で! 燃え尽きるね。よし、あんちょこを作ろう」

高円寺のライブハウス『次郎吉』の楽屋で、脳天気商会の3人は緊張を紛らわすように喋りまくっていた。今夜はクリスマスパーティーを兼ね、ここを貸し切って自分たちの曲を聴いてもらうのである。我々はオリジナル曲しか演奏できず、それではサービス精神に欠けるというので、途中にホワイトクリスマスと赤鼻のトナカイのメドレーを挟むことにしたのだが、そっちに気を取られ、通しの練習をする時間がなかったのがちょっと不安だ。
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2010-10-12

そして僕はからっぽな自分に気がついた [下関マグロ 第35回(最終回)]

事務所から外に出ると冷たい風が吹いていた。あたりはすっかり暗い。陽が落ちるのが早くなったなぁ、そんなことを思いながら、荻窪駅の改札に向かった。ファンキー・タルホ氏と待ち合わせをしているからだ。駅に着いて、しばらくするとタルホ氏が改札を出てきた。

挨拶代わりに、「寒いね」と言うと、タルホ氏も「寒いね」と応じた。

「温かいモノでも食べたいね」と提案すると、無言で頷くタルホ氏。

「ラーメンがいいかな。でも北口はダメだね。こんな寒い中、行列するのはちょっとイヤだよね」

「寒くなくてもご免だね。行列しなくてもうまいところはあるでしょ」

そのころ、荻窪駅北口のラーメン店はたいへんなことになっていた。もともと「丸福」をはじめ行列店がいくつかあったのだが、テレビ番組が、「佐久信」という不振だった店を応援しはじめたことが話題になり、青梅街道沿いのどのラーメン店にも行列ができていた。歩道が行列する人たちであふれて、時には通行の邪魔になるほどだった。
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2010-10-04

キミにはスポーツマンの爽やかさがない [北尾トロ 第34回]

まっさんがフリーペーパーを発行すると言いだした。しばらく前からもぞもぞと新しい動きを始めていたが、これだったか。手間ひまのかかる作業と承知の上でやるというのだから本気に違いない。ぼくとおかもっちゃんは、話を聞いた段階で“巻き込まれ準備完了”な気持ちになっていた。

そういうことだから、事務所は人の出入りが増えてきて、落ち着いて原稿を書くどころではなくなってきた。事務所はいろんな人と交流できる遊び場で、原稿はもっぱら深夜、自宅で書く。『ボブ・スキー』も忙しくなってきて学研通いもしなくちゃならないが、以前みたいに行けば明け方まで居続けることはグンと減った。夕方に顔を出し、打合せしたり飯食ったりして10時くらいには帰宅し、それから原稿だ。ただ、そうなるとファクスで送ることになり、読みにくいぼくの字は編集者に評判が悪い。まっさんのようにワープロで書くことを検討したほうがいいかもしれない。
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2010-09-27

下血報道とフリーペーパー [下関マグロ 第34回]

その何年か、僕には月に一度のお楽しみがあった。それは大宅文庫へ行くことだ。大宅文庫は、京王線八幡山駅から少し歩いたところにある。有料で過去の膨大な雑誌を閲覧することができ、記事のコピーもできる。以前は会員になれば無制限に閲覧できたが、やがて利用者が増えたためか、一日に100冊までという制限がつけられた。

利用者は、ライターや編集者が多かったと思うが、テレビの人たちも多かった。たとえば、「徹子の部屋」でゲストの情報を探し、コピーしているのを何度か見たことがある。

僕はたいてい、青春出版社の月刊『BIG tomorrow』のデータ集めのために行っていた。データ用の調べ物を午前中のうちに済ませ、午後からは自分の好きな週刊誌などを閲覧するのが習慣だった。自分が子供の頃に読んだ記事やら、自分が生まれる前の週刊誌なんかを読んでいると、その時代の世相がわかり、おもしろかった。そうやって一日中いるので、自然と他の利用者と顔見知りになったりもした。

1988(昭和63)年の秋、大宅文庫はとくに人でごった返していた。顔見知りの週刊誌記者がいたので、「最近、人が多いね」と声をかけると、「そりゃXデーが近いからに決まっているじゃないですか」と言う。見れば、彼はテーブルの上に昭和天皇の記事が書かれた週刊誌を積み上げていた。
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2010-09-21

田辺ビルの日々とおかもっちゃんのライターデビュー [北尾トロ 第33回]

悶々とした気分を一掃すべく、銀行口座の残金をみんな下ろして旅行に行くことにした。スペイン、モロッコ、イギリスをぶらぶらし、一文無しになって1ヵ月後に帰国。一晩ぐっすり寝た土曜、田辺ビルに顔を出すと3畳間の住人、おかもっちゃんがいた。

「おお。戻ってきたかね。まるで連絡がないから、金がなくなってロンドン辺りで皿洗いのバイトでもしとるんじゃないかと思ったよ」

「そこはしぶとく、留学生と知り合ってアパートの床で眠らせてもらったりしてしのいだよ。おかもっちゃんのほうはどう? 彼女とまだモメてんの?」

別れる別れないでごたごたしている原因は、煎じ詰めればおかもっちゃんに新たな彼女ができたことにある。だったらすっぱり別れればいいと思うのだが、そこは数年間一緒に暮らした相手。そう簡単には行かないらしい。が、ぼくが不在の間に別れ話はまとまりつつあるようで、おかもっちゃんの表情は明るかった。

「いつまでも、ここにおるのもなんだし、この近所に引っ越そうかと思うとるんよ」
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2010-09-13

消費者金融とNTT伝言ダイヤル [下関マグロ 第33回]

「スタジオ代、ちょっと立て替えといてよ。厳しいんだよ」

いつもなら金がないなんてことは口が裂けても言わない伊藤ちゃんが珍しく弱音を吐いていた。

バンドというのは、金もかかれば時間もかかる。ライブをやっても黒字になることはまれで、たいていは赤字だった。

にしても、この頃僕は伊藤ちゃんに10万円以上の金を借りていたわけで、これをいっきに返せばいいのだが、当然そんな余裕はない。

僕は伊藤ちゃんに、こう言うしかなかった。

「だったら、いいところを紹介するよ。駅前の武富士」

「えーっ、消費者金融かぁ、大丈夫かなぁ」
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2010-09-06

気分は悶々、未来は不透明 [北尾トロ 第32回]

ぼくのまわりの小さな世界は、小さいなりにめまぐるしく動いている。妹は結婚して八王子で新婚生活を始めた。フリーライターとして食って行くには収入が低すぎる後輩の町田はある女性誌の編集部にもぐりこむことに成功。なんとか生活を安定させるメドがついた。おかもっちゃんは長くつき合った女と距離を置くため田辺ビルの3畳間で居候生活を開始。女とはこのまま別れることになりそうだ。「会社をやめてライターになれば?」というまっさんの誘いにはまだ首を縦に振らないが、それも時間の問題のように思える。バンドもやっていることだし、そうなったらおもしろい。阿佐ヶ谷にいたニューメキシコの水島は笹塚に事務所を構え、そっちへ移った。水島は本格的に編集プロダクションの経営に乗り出し、順調に仕事を得ている。

ぼくは、まとまって入ったギャラを使って阿佐ヶ谷に引っ越した。9畳の部屋に6畳のリビングがついた新築1LDK。家賃9万円は高いと思ったが、ここ数年は家賃もうなぎ上りで、新築物件となるとそれくらいするのだ。部屋でピカピカの床に寝転がっていると、何ともいえずいい気分になる。高円寺の風呂なし6畳から居候生活を経て吉祥寺のシャワー付ワンルームに越し、経堂で妹や町田と暮らして、学生時代にひとり暮らしを始めた阿佐ヶ谷に30歳で戻ってきた。貯金なんて1円もないが、もともとプータローだったんだし、少しはマシになって振り出しに戻ったと考えることにしよう。

赤帽1台分にも満たない荷物をあけて、仕事関係の資料を整理していると、春、「ボブ・スキー」の取材でアメリカへ行ったときの写真が出てきた。 続きを読む…

2010-08-30

ドント・トラスト・オーバー・サーティー [下関マグロ 第32回]

「どっかで晩飯にしようか」

ホンダシビックの運転席から伊藤ちゃんが同乗している僕とおかもっちゃんに言った。僕らはミスティという音楽スタジオで練習を終えたところだった。ライブハウスで演奏しようとするなら、やはりきちんとアンプを使って練習したほうがいいと気付いたので、以前バンド練習用に借りた江古田のアパートは既に引き払っていた。

桃井にあるミスティは他よりも料金が安かった。たいてい一回につき2時間くらい利用することが多く、この日も午後7時にスタジオに入り、出たのは9時だ。

「どっかって、いつものとこでいいでしょう」

おかもっちゃんはそう言う。

「いいね、いいね」

僕は賛成した。いつものところというのは、青梅街道沿いにある「びっくりドンキー」であった。伊藤ちゃんはちょっと顔をしかめたが、関町方向へ車を走らせてくれている。

「30歳になるってどんな気持ち? なにか変わるの?」

ハンバーグを食べながら一足先に30歳になった伊藤ちゃんにこう聞いてみた。僕らの世代には、「ドント・トラスト・オーバー・サーティー(30歳以上の人間を信じるな)」というような文句が流行った頃があった。その僕らがオーバー・サーティーになるのである。 続きを読む…

2010-08-23

そろそろ中央線に戻ろうか [北尾トロ 第31回]

金がないときは食べない。これがぼくの学生時代からの節約方法だ。食事は日に一度。阿佐田哲也の麻雀小説の真似をして、表面が真っ赤になるほど七味唐辛子をかけて立ち食いそばを食べれば、しばらくは胃が何も受け付けなくなる。家では米を炊いて納豆だけで済ませるか、固くなったフランスパンをかじる。麺ならそうめんが安い。景気の悪いときは痩せて60キロを割り込み、良くなると頬の肉が元に戻って62キロになる。わかりやすいのだ。

脳天気商会のライブのために楽器を買ったときは、競馬で儲けて金があった。まっさんに金を貸したときも同じだ。そうでなくても、懐が温かいとすぐに使ってしまうクセがあり、遅ればせながらビデオデッキを購入したり、カメラのレンズを買ったりするので、すぐにサイフは軽くなる。貯金などいっさいしない、というかできない。こんな具合だから、馬券が当たらなくなると、練習のために借りている江古田のアパート代やスタジオ代の支払いさえつらくなる。

ぼくの年収はせいぜい400万円。いろいろと物入りになってきて、収入を増やす方法を考えなければならなくなった。ギャンブルはアテにならないから本業で何とかしなければならない。いつまでも学研頼みではなく、もっと実入りのいい雑誌でも書かなければ。 続きを読む…

2010-08-16

新連載「プータローネットワーク」と事務所の居候 [下関マグロ 第31回]

新橋にあるリクルートの『とらばーゆ』編集部に打ち合わせに行き、帰ろうとしたときに声をかけられた。

「増田くんじゃない、元気?」

村上麻里子さんだった。村上さんはかつて『ポンプ』という雑誌の事務局にいた人である。この『ポンプ』という雑誌はちょうど僕が大学に入学した78年に創刊されている。中身は今でいえば、ネットの掲示板をそのまま雑誌にしたようなものである。当時としては画期的な試みで、僕は創刊号からずっと買っていた。

僕は読者でもあったが、投稿者でもあった。その『ポンプ』がまさにネットのオフ会のようなことをはじめ、読者同士が集まるというということが行われていた。村上さんはそこの事務局にいた女性で、オフ会のサポートをしていた女性で、美人だった。僕はその、オフ会のような集まりに何度か参加したことがあったが、ライターの仕事をするようになってからは足が遠のいていた。

「村上さんがなんでこんなところにいるんですか?」 続きを読む…

2010-08-09

初ライブと初小説 [北尾トロ 第30回]

アガっていたとしか言いようがない。ぼくの歌とまっさんのベースが先へ先へと暴走を始めたのだ。おかもっちゃんが引き戻そうとするが、どうにも修正できず。間奏時の動きも壊れたおもちゃ並である。しかも、叩いていたリズムパッドが曲の途中で倒れ、見かねた客に手伝ってもらって演奏を続ける始末。みじめだ。やっと冷静に場内を見渡せるようになったと思ったら、もう最後の曲だった。

「いやいやいやいや、まいったなもう」

楽屋に戻ると、おかもっちゃんが笑い出した。

「どうなってしまうのかって、お客さんも緊張して見てたよ」

表へ出ると、みんなから声をかけられた。曲は悪くないけど、見ていてヒヤヒヤしたと意見は一致している。ライブとしては最低だったってことだが、こっちは一仕事終えた高揚感に包まれているので、いいようにしか受け取らない。打ち上げの席でも、まっさんは強気一辺倒だ。 続きを読む…

2010-08-02

ついにライブの日程が決まった! [下関マグロ 第30回]

また夏が近づいていた。およそ一年前、荻窪のマンションに引っ越したのは夏真っ盛りの頃

2DK風呂付きで家賃は6万5千円と格安だったが、なにしろクーラーがついていないのは辛かった。ぼくは暑さには弱いのだ。

それまで住んでいた木造のアパートは風通しがよかったし、仕事がそんなになかったんであまりに暑いときはパチンコ屋で涼んだり、近所の喫茶店に行ったりしていた。

ところが、今いるのは、鉄筋のマンションである。クーラーがないのはつらい。最初の夏はとにかく我慢して、扇風機だけでやり過ごしたものの、今度の夏はどうしようかと迷っていた。 続きを読む…

2010-07-26

おかもっちゃん引き込み計画  [北尾トロ 第29回]

町田の居候中、ぼくのところへはひんぱんに人が出入りし、なんだかんだと理由をつけては飲み会をやるようになった。ホームパーティーみたいなシャレたものじゃなく、ただ集まってがやがやと飲み食いする集まり。外でやるよりはるかに安上がりで時間制限もない、というのが開催理由だ。カレーを作るのでも焼き肉をやるのでも、何かがあればそれで良かった。

集まるのはライター、イラストレーター、デザイナー、カメラマンなどで、みんな20代。売れっ子なんて一人もいなくて、将来に漠然とした不安を抱えつつ、しかし今日が良ければそれでいいというお気楽な一面もある連中が多かった。そんなメンバーで仕事の話をしてもしょうがない。ひたすら飲み食いしてバカ話に興じるだけである。

意味のないどんちゃん騒ぎは楽しい。だから、こういう集まりはあちこちにあり、オールナイトのUNO大会とか、一晩騒いでから海水浴へ行ってヘロヘロになって帰ってくるとか、そんなことをよくやっていた。関わる人たちも新しい知人が中心で、オールウェイ時代からつき合っているのはわずか。さして時間も経っていないのに、四谷や新宿へ通っていた頃のことは、遠い昔の出来事のように思えた。 続きを読む…

2010-07-20

30歳までにライブをやるぜぃ! [下関マグロ 第29回]

僕らは、バンドを組んで、30歳になるまでライブをやるという目標ができた。とはいえ、時間はあまりなかった。なにせ伊藤ちゃんは半年後の1月23日で30歳になってしまう。急がなければ……。

そんなわけで、岡本くんを伊藤ちゃんが車でピックアップして、荻窪の僕の部屋に集まる日が増えた。バンドについての話し合いが目的だったが、いつまでもパートも決まらず困っていた。そんななか、最初に決まったのはドラムだ。人間ではなく機械に任せることにしたので、誰からも文句が出なかったのだ。

あるとき、2人がいろいろな機械とシールドやらを抱えて僕の部屋にやってきた。 続きを読む…