2010-04-05
タダほど高いものはない。スキー合宿顛末記 [下関マグロ 第22回]
前回、北尾トロが書いたスキー合宿の顛末を、僕は全く忘れていたのだが、読んでいたらいろいろ思い出した。
この合宿だけれど、伊藤ちゃんこと北尾トロから誘われたのは、仕事というよりは遊びであったと思う。
といってもスキーなんて僕はまったくの未経験だし、とくに興味もなかった。「道具も持ってないし、いいよ」と最初は断ったと思う。すると伊藤チャンがこう言った。
「交通費も宿も全部タダだから」
「えっ、タダ? 無料ってこと!?」と、僕は聞き返した。スキーに興味はなかったが、そういうことなら話は別なのである。
そしてそのとき事務所にいた伏木くんが「それはいいですねぇ。ぜひ参加させてください!!」と言ったりして、話はトントン拍子に決まった。そしてほかにも、坂やんなどが無料合宿メンバーに名乗りをあげた。
スキー合宿の音頭を取っているのは、学研の人らしかった。どうやら学研からスキー雑誌が創刊されるらしい。しかし、その雑誌で仕事をするとかなんとかは、まったくそのとき意識していなかった。
オールウエイ事務所から、伊藤ちゃんが学研の人に電話をかけた。
なにやらスキーウエアについての相談のようだったが、伊藤ちゃんは、「ひとりね、デブがいるんですよ」と言っていた。
どうやらそのデブとは僕のことだった。その後僕は100キロ超の巨漢になるのだが、この頃はまだ75キロくらいだった。しかし20代半ばの同年代のなかで、僕は既にデブキャラのレッテルを貼られていた。
そしていよいよ合宿へ。出発は夜だった。本当にウエアも板もなにも持たず、着替えだけを持って僕らは集合した。田辺さんという少し年上の人がリーダーで、僕はその人の車に乗って安全にスキー場へ向かった。伊藤ちゃんはおんぼろな車を与えられて自分で運転していたが、これは田辺さんの古い車で、帰りに怖い目に合ったのは前回の北尾トロの原稿通りである。あれは、僕の人生で最も死を意識した日と言っても過言ではなく、マジで怖い思いをした。
ところで、話をスキー合宿に戻そう。夕飯は途中のファミレスで済ませ、宿に着いたら夜更け。僕らはすぐに寝た。
翌日の朝食後、張り切った田辺さんが僕らを連れて、まずは靴や板のレンタルの手続きをしてくれた。経験者もいたが、僕らはほとんどが初心者だった。
そして僕は、スキー靴を履いた時点ですでに、「これは自分に向いていないスポーツだ」と気付いていた。窮屈で歩きづらくて最悪だと感じた。その窮屈な靴にスキー板を装着。当然、もっと動きづらかった。
ボーゲンという初歩的な滑り方を田辺さんに教わり、いきなりリフトに乗ってゲレンデの上まで向かう。ここでも、僕はもう一生スキーはやりたくないと思った。
リフトは2人がけのシートで、順にやってくるシートにスキーを履いたままタイミング良くお尻をおろさなくてはいけない。
だいたい、初めてスキー板を装着して歩くのもおぼつかない人間に、そんなことがうまく出来るわけがない。しかも、やっとこさ乗れたはいいが、上の降り口で降りられなかった。
そのままリフトで下ってゆく僕。これが実に恥ずかしい。すれ違う、上りのスキーヤーの視線が痛い。
目を伏せながら下まで行った。そしてそのまま二度目の上り。今度は、えいやっ!と気合で降りられたものの、死に物狂いに近かった。
田辺さんによれば、そこは初級者コースらしかった。しかし、僕には断崖に見えた。とにかく何度も転びながら下まで降りた。そして、すぐさまスキー板を外した。次に降りてきた伏木くんも、顔がゆがんでいた。
「どうしたんですか、もうやめるんですか?」へっぴり腰の伏木くんは、僕のところまできて、そう聞いた。
「うん、僕は向いてないような気がするんで、宿に戻って休んでるよ」そう言うと、「では、私もそうします」と伏木くんが便乗。さっさと板を外して一緒に部屋に戻った。
スキー靴を脱ぐと、さほど滑ったわけでもないのに、すでに足に靴ズレができていた。
「これじゃあ午後も無理だなぁ」と言い訳をしながら昼飯を食べて、僕はその後も部屋でゴロゴロしていた。
幸いすぐに日は暮れ、帰ることになった。駐車場まで行くと、車が雪で埋もれていた。
僕は来たときと同じように、田辺さんの車に乗ろうとした。しかし、どうも田辺さんは機嫌が悪い。仕方がないので僕も伊藤ちゃんの運転する車に乗ることになった。くどいようだが、これが本当に大変だった。
命からがら東京に戻ったのち、すぐに伊藤ちゃんから電話があった。
「まっさん、ドライブに行こうよ」
田辺さんからもらった車で、さっそくドライブである。
「んじゃ、早稲田通りまで出て待っているよ」
電話を切って通りに出て、しばらくすると早稲田通りを吉祥寺方面からやってくる白いバンが見えた。ハンドルを握っているのは伊藤ちゃんだ。
「おぉいぃ」僕は手を振った。が、どういうわけか車は通りすぎていく。そのとき目にした伊藤ちゃんは、ハンドルにしがみつき、必死の形相だった。しばらく待って、一周して戻ってきた車に乗り込んだ。
ドライブなのに、着いた場所は大田区の長原にある学研の本社だった。建物は古めかしく、なんだか役所のようだった。
そしてそこで何をしたかというと、スキー雑誌の編集長になるという福岡さんを紹介された。
「いやぁ、スキーまったくできないんで、僕のような人間は不要でしょう」というようなことをいいながら、僕が持っていた名刺を渡すと、福岡さんはこう言った。
「やったことのない人にこそ、お願いしたいんですよ。君たちの若い感性で、いい雑誌にしていきたいんです」
なぜか僕はそれに感動し、どういうわけか、滑れもしないスキーの雑誌に関わることになる。僕のライター人生の試練の始まりであった。
この連載が単行本になりました
さまざまな加筆・修正に加えて、当時の写真・雑誌の誌面も掲載!
紙でも、電子でも、読むことができます。
昭和が終わる頃、僕たちはライターになった
著●北尾トロ、下関マグロ
定価●1,800円+税
ISBN978-4-7808-0159-0 C0095
四六判 / 320ページ /並製
[2011年04月14日刊行]
目次など、詳細は以下をご覧ください。
◎昭和が終わる頃、僕たちはライターになった
【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった
電子書籍版『昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』も、電子書籍販売サイト「Voyager Store」で発売予定です。
著●北尾トロ、下関マグロ
希望小売価格●950円+税
ISBN978-4-7808-5050-5 C0095
[2011年04月15日発売]
目次など、詳細は以下をご覧ください。
◎【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった