2010-10-18

いつまでも明けない空に [北尾トロ 第35回(最終回)]

「客はどれくらいくるんかねえ」

「それは言わない約束ってことで。そこそこきてくれるでしょ。それより伊藤ちゃん、歌詞覚えたかね」

「曲順も怪しい。おかもっちゃん、忘れたら適当に間奏に入っちゃってギターソロ弾きまくってよ」

「いざとなったら、まっさんのベシャリでつなぐか」

「何をおっしゃいますやら。立て板に水の岡本さんと比べたらワタクシのベシャリなんて赤子同然のトナカイさんってことで。真っ赤なお・は・な・の! はいはいはい、ご一緒に。真っ赤なお・は・な・の!」

「飛ばしてるねえ。この勢いだと始まる頃には」

「真っ赤なお・は・な・で! 燃え尽きるね。よし、あんちょこを作ろう」

高円寺のライブハウス『次郎吉』の楽屋で、脳天気商会の3人は緊張を紛らわすように喋りまくっていた。今夜はクリスマスパーティーを兼ね、ここを貸し切って自分たちの曲を聴いてもらうのである。我々はオリジナル曲しか演奏できず、それではサービス精神に欠けるというので、途中にホワイトクリスマスと赤鼻のトナカイのメドレーを挟むことにしたのだが、そっちに気を取られ、通しの練習をする時間がなかったのがちょっと不安だ。

なにせ演奏時間はたっぷり1時間ある。これまではライブハウスにデモテープを持ち込み、先方の都合で日程を決められていたのだが、共演バンドも当日までわからず、持ち時間も20分かそこら。せいぜい6曲を慌ただしく演って終了って感じだった。脳天気商会は曲よりむしろMCをおもしろくして盛り上げ、その合間に演奏を行うバンドにしようと考えていた。3つも4つも出演バンドがひしめき合う状態ではそんなこと不可能。それで、ワンマンライブをやることにしたのである。これまでは敵地へ乗り込んでいく感覚で、他のバンドのファンからの冷たい視線を浴びては萎縮するパターンだったから、友達や知り合いを呼んで気楽にやってみたいと考えたためでもある。

客席は徐々に埋まってきた。30人くればいいと思っていたのに、その倍はいそうである。時間がきてステージに出ると、早くも「顔が引きつってるぞ〜」とヤジが飛んだ。相変わらず客に心配されてる脳天気商会だ。

対バンなし、音質良好、客席は顔見知り、ノリはいい。好条件が揃ったにもかかわらず、演奏は相変わらずもたついた。MCは落ち着いてやれたけれど、田辺ビルで雑談してるときのほうが数倍おもしろいと思う。ライブで飯を食うなんておこがましいレベル。これが、ぼくたちの実力ということなんだろう。

それよりも、ここに集まった人たちだ。年の瀬の忙しい時期、わざわざきてくれたほぼ全員が、ぼくやまっさん、おかもっちゃんと、いま関わっている顔ぶれである。いろんな知り合いができたものだなと思う。1年後にまた同じようなことをしたら、半分くらいは入れ替わってしまうのかもしれない。そもそも、1年後に自分たちが何をしているかさえ、おぼろげに想像することしかできないのだ。

「いまの曲はですね、練習ではジャーンとカッコ良く終わっていたんですが、メロメロになってしまいました。反省です。反省ばかりの脳天気商会です。なので助っ人の力を借りようかと。えーと誰かステージで一緒にやりませんか。あ、やる、あなたがやる? お、ブルースハープを持参してますね。用意がよすぎる! すんません、事前に頼んでました」

まっさんが滑りがちなトークで間を持たせている間、いろいろ考えていたら歌詞が出てこなくなったので、でたらめな歌詞でブルースもどきをやる。おかもっちゃんが苦笑いしながら、さりげなくコードを合わせる。

客は三々五々、二次会に向かったり帰宅したりしたようだ。誰もいなくなったライブハウスで楽器を片付け、駐車場からクルマを持ってきて荷物を積んで荻窪に帰る。ガランとした田辺ビルはすっかり冷え込んでいる。

「今年も終わりだなあ。伊藤ちゃんは帰省するの?」

「うちの実家は菓子屋じゃん、年末は餅の注文で忙しいから手伝う。まっさんは?」

「元旦に帰るかなあ。キミの家に年始にいくよ。おかもっちゃんも帰るんでしょ。会社やめるって親に言ったの?」

「いちおうね。渋い顔しとるよ」

「親はいつでもそんなもんだよ」

「なかなかわかってはもらえんねぇ」

おかもっちゃんはもうじき失業者。ぼくとまっさんにとっては待望の展開だけど、それは同時に、おかもっちゃんが食べていけるだけのライター仕事を探す責任が生じたということだ。

自分の仕事もままならないのに、どうやっておかもっちゃんに仕事を振るのかという疑問もあるが、あまり心配はしていない。フリーランスなんてカッコいい響きだけれど、その実態は失業者と紙一重。仕事を頼まれなければすぐに干上がるその日暮らしの稼業なのだ。半年もすればとりあえずの結果が出る。こりゃダメだと思ったら、おかもっちゃんはまた会社員になればいい。

あわてたってしょうがない。30歳で先の見える人生じゃ時間を持て余す。

まあ、たぶん、なんとかなるだろう。これまでどうにかなってきたみたいに。

ふたりを送ってから阿佐ヶ谷に戻った。店を終えた彼女がやってきて、ライブはどうだったと聞き、「今日は飲み過ぎた、少しだけ眠らせて」と横になった。夫と別居中の彼女には幼い子どもがいる。目をさましたとき母親がそばにいなかったら泣いてしまうだろう。

5時まで待って彼女を起こし、コーヒーを入れて見送った。ハイライトに火をつける。外はまだ暗い。おかもっちゃんは疲れて寝ているだろう。まっさんは、まだきっと起きている。眠れない目をこすりながら、脳天気商会の発展計画を練っている気がした。

一眠りしたら事務所へ行って、3人で飯でも食うか。久々に田中屋のオムライスが食べたい。そんなどうでもいいことを、いつまでも明けない空を眺めながらぼくは考えている。

この連載が単行本になりました

さまざまな加筆・修正に加えて、当時の写真・雑誌の誌面も掲載!
紙でも、電子でも、読むことができます。

昭和が終わる頃、僕たちはライターになった


著●北尾トロ、下関マグロ
定価●1,800円+税
ISBN978-4-7808-0159-0 C0095
四六判 / 320ページ /並製
[2011年04月14日刊行]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

電子書籍版『昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』も、電子書籍販売サイト「Voyager Store」で発売予定です。


著●北尾トロ、下関マグロ
希望小売価格●950円+税
ISBN978-4-7808-5050-5 C0095
[2011年04月15日発売]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった