2010-10-18
お部屋2109/「ありがとう東京三世社〜総天然色の夢」のお礼とエロ雑誌の終焉
一昨日の「ありがとう東京三世社〜総天然色の夢」は、告知開始から5日しかなかったわりには、40人以上の方が来場してくれました。本当にありがとうございました。拙著『エロスの原風景』も今さらながらに売れて、パート2を作る意欲が湧きました。
私も今まで知らなかったことがたくさんありました。白夜書房の末井昭氏が、白夜書房の前身であるセルフ出版のさらに前に、フリーとして東京三世社で書き文字をやっていたという話も初耳でした(ことによると、『素敵なダイナマイトスキャンダル』あたりに書かれていたかもしれないですが、私は記憶力が悪いもので)。
「書き文字」というのは、かつて雑誌で、タイトルやコピーに使用されていたもので、今はもっぱら書体の意味で使われる言葉になってしまっている「レタリング」というやつです。
例えばこういう文字。ちなみにこれは、かつて東京三世社の柱であった「実話雑誌」の最末期に当たる1980年代の告白記事です。
昔からのつきあいで、十数年前まで書き文字職人に仕事を頼んでいた雑誌もありましたが、すでに出版専門の職業としては消えているのではなかろうか。漫画のタイトルは漫画家が描いていますし、スーパーのポップにまだ書き文字は残っていますけど、パソコンがあればさまざまな文字が作れてしまいますから。
末井氏が書き文字やカットをやっていたのは1970年代の初頭。この頃から、80年代にかけてがエロ雑誌の最盛期と言えましょう。要するに儲かったということであり、さまざまな表現が溢れました。だから、東京三世社を筆頭にエロ系の出版社はビルを建てられた。白夜書房が儲けたのはパチンコ雑誌ですし、三和出版はまた別の利益が大きかったりするのですが、エロ雑誌の利益もエレベーターと窓ガラス分くらいはあるはずです。
この頃、エロ雑誌でデビューしたイラストレーター、漫画家、ライターも多く、一般誌でも活躍している人たちが一般誌ではできないことをやる場もエロ雑誌は提供していました。戦前であれば社会主義者が軟派雑誌に書いたり、戦後間もなくも、食えない作家がカストリ雑誌や「夫婦雑誌」で救われたり。いつの時代も新人たちに発表の場を与えてきて、エロ雑誌は出版界を底辺で支え続けていたわけです。
しかし、今となっては夢の時代であって、東京三世社が出していた雑誌で、黒字の雑誌はひとつもなくなっていたそうです。出版にはもう先がないですから、テコ入れするだけ無駄です。継続すればするほど赤字が蓄積され、オーナーとしては資産を食いつぶすことになりますから、早いうちに手を打ったのは賢明でしょう。おかげで社員は退職金を手にすることができ、カメラマンやライターは未払いがなくて済みそうです。
ことによると、エロ系出版社としては歴史がある分、社員待遇やギャラがよく、それで採算がとりにくかったのかもしれない。
東京三世社がエロ漫画を続けていれば、携帯配信で利益を出していたかもしれませんが、それとて出版から派生した事業でしかなく、出版そのものでやっていくことはもう難しい。
エロ雑誌に限らず、再編集もののムックで辛うじて利益を出している雑誌がザラの時代です。もう余力がないですから、新しいことを試みることもできず、「こんな雑誌をやってみたい」「ネットでこんなことをやれば面白そう」と思ったところで、それさえできないのが現状です。
以前は編集者たちと、「こんな雑誌をやろうよ」なんてことを語り合うこともありましたが、もはや無理です。それでもなお製作費がかからないもので面白いものは作れるはずだというので、アイデア出しをすることはありますが、実現はしない。
当然製作費も日常経費も極限まで削られ、スタッフの数も減らされる。今まで外注していた原稿を編集者が書くようになり、付録のDVDの仕事も増える。雑誌はひたすら売れなくなる一方で、編集者の仕事はひたすら増える。50代の部長クラスが会社に何日も泊まり込んでいるのを見ると、「もう削れるところはどこにもないんだろうな」と思わないではいられません。
カラー印刷が安くなった分、文字ページが減らされる。DVDがついた分、文字ページが減らされる。外注していた原稿を社内で書く。こうしてライターの出番もなくなって、外部のライターに発注される仕事の量はピーク時の数分の1になっています。出版社自体、雑誌自体が減っているわけですから、数分の1じゃきかないか。
予想していた通り、イベントの最後は「さようならエロ雑誌」という悲しいトーンになってしまいましたが、実際、すでに多くのエロ雑誌は出版流通を使って他のモノを売るためのパッケージとして存続しているに過ぎず、印刷物としてのエロ雑誌は実質的にはほとんど終わっているとも言えます。
東京三世社のイベントにもかかわらず、会場に来ていた人たちの中で、エロ雑誌を今も買っているのは、ほんの数名でした。手を挙げたのは4人だったかな。
数年前の雑誌によるアンケート調査でも、30代の独身男性でエロ雑誌をズリネタにするのはすでにゼロでしたから。それでも買っている人はわずかにいたのですが、それも付録のDVDが目当てです。安いし、手に入りやすいし。
阿佐ケ谷ロフトでは「うちではDVDは観られないので必要がない」という意見が読者から来ていたという話も東京三世社の元編集者から出ていて、そういう高年齢層がとくにマニア誌を支えていたりもします。家ではネットも利用していないような人たちです。この層は性欲が終わりを迎えて、あるいは人としての終わりを迎えて、年々減っていきますから、どちらにしても先細りです。
エロ雑誌は取扱店舗が減少し、条例とコンビニの規制が強化され、遂にはDVD等を入れるパッケージになってしまったわけですが、それさえもいつまでもつか、はなはだ危うい。
会場に来ていたAVメーカーの広報担当者がAVの危機的状況を訴えてましたが、本や雑誌、DVDというパッケージで文章、写真、動画、絵を売る仕組み自体が終焉しつつあって、エロ本はその先取りをしているに過ぎません。
いずれエロ以外の出版も終わっていくことは避けられないでしょう。本や雑誌が消滅することは当面ないにしても、産業としてはひたすら縮小していく。
前回、「こういうイベントはこれが最後になるのではないか」と書きました。実際、この先、どこかのエロ出版社が潰れても、「またか」になるだけです。
しかも、東京三世社ほどの歴史のあるエロ出版社はもうないわけですし、すでに出版社に対する思い入れができない時代でもあります。文字ページがなくなって、「あの連載があるから買う」という動機がなくなってます。エロ雑誌は表紙のモデルが誰かで買うかどうかを決定する。写真ページはAVからの借り物が増えていますから、各社の色は出しにくい。
マニア雑誌はなお固定読者がついていますけど、お年寄りが多いので、阿佐ケ谷まで来られないです。
次にやるとしたら、「ありがとう×日新聞」「ありがとう×談社」とか、そういうイベントなんじゃなかろうか。
[...] った試みや意欲があったところで、構造的にエロ雑誌やエロ出版が終焉に向かっていることは否定できない。これは前回まとめた通りであり、イベントでもそういう話として語りました。 [...]