2010-10-04
キミにはスポーツマンの爽やかさがない [北尾トロ 第34回]
まっさんがフリーペーパーを発行すると言いだした。しばらく前からもぞもぞと新しい動きを始めていたが、これだったか。手間ひまのかかる作業と承知の上でやるというのだから本気に違いない。ぼくとおかもっちゃんは、話を聞いた段階で“巻き込まれ準備完了”な気持ちになっていた。
そういうことだから、事務所は人の出入りが増えてきて、落ち着いて原稿を書くどころではなくなってきた。事務所はいろんな人と交流できる遊び場で、原稿はもっぱら深夜、自宅で書く。『ボブ・スキー』も忙しくなってきて学研通いもしなくちゃならないが、以前みたいに行けば明け方まで居続けることはグンと減った。夕方に顔を出し、打合せしたり飯食ったりして10時くらいには帰宅し、それから原稿だ。ただ、そうなるとファクスで送ることになり、読みにくいぼくの字は編集者に評判が悪い。まっさんのようにワープロで書くことを検討したほうがいいかもしれない。
ぼくの生活は完全に夜型で、昼頃起きて、取材がなければ事務所に行く。誰もいないときには曲を作るか昼寝だ。そのうち誰かがきて、コーヒー飲んだり雑談したりしているうちに日が暮れる。週末はおかもっちゃんがフリーになるのでスタジオで練習。練習時間より終わってからのミーティングと称する雑談がものすごく長い。しかしこれ、まったく収入に結びつかないどころか持ち出しの連続なのに、意識の上では「脳天気商会の活動のひとつ」だから、妙に前向きに語り合ったりしてしまう。遊んでいるときと働いているときの境界線が曖昧な毎日だ。
仕事がない晩は阿佐ヶ谷のバーに行き、客たちとライブに行ったり、誰かの家でだべったりする。そんなことをしているうちに、ぼくはバーをやっている女のコとつき合うようになった。店が終わってから部屋にきて、朝まで一緒に過ごす。だから、締め切りがあるときもそうでないときも、結局寝るのは夜が明けてからなのだ。
学研通いが減ったのは雑誌そのものが安定期に入ってきて、創刊時の熱気がなくなってきたことも関係があると思う。門外漢だったスキー雑誌をそれなりにのめりこんでやってきたのは、食べるためでもあるけれど、同世代の編集者やライターたちと新しい雑誌を作るのが楽しいからだった。編集者は編集者らしく、ライターはライターらしくなるにつれ、仕事がスムースに動くようになってきた分、無駄な努力とか常識はずれなアイデアは出にくくなるのだ。これがマンネリというやつだろうか。
そうなると、楽しいからやってるんだという言い訳がきかなくなり、あらためて自分が門外漢であることを考えざるを得なくなる。書かせてもらえるからといって、スキー雑誌をやってていいのかなあ。良くないよなあ。テニス雑誌も楽しいけれど、それにしたって門外漢であることには変わりがない。大会で選手やコーチを取材していても、どこか波長が合わないというか、疎外感を感じることが多いのだ。
いったい自分は何をしたいのだろう。ライターは性に合う。続けたい。じゃあ何を。ノンフィクションを書きたい。本音はそこにある。だが、どうしたら専門誌のライターから方向を変えることができるのかがわからない。考えはいつもそこで行き詰り、まぁいいかで終わってしまう。流れるままに身を任せ、肝心なところはごまかしながら、ぼくはすべてをまぁいいかで済ませてしまう。
だが、そうも言ってられないときがきた。ある日、学研に向かう途中でクルマがエンスト。ラジエーターの水が漏れてなくなったことが原因だったのだが、オイル漏れと早とちりしたぼくは近くのガソリンスタンドでオイルを買ってきて、水を入れるべきタンクにそれを注いで学研まで走った。『ボブ・スキー』編集部にはほとんど人がいなかったので、編集者のデスクの上にあった担当ページの写真を見ながらレイアウト案を練る。と、あまり話したことのない年長のライターが話しかけてきたのだ。
最初は次号では何を書くのかとか、またスキー場が新設されるとかの話題だったが、そのうち年長ライターはぼくの仕事ぶりについて苦言を呈し始めた。スキーヤーの気持ちがわかっていないとか、メーカーの職人にインタビューするのは5年早いとか、そういう話である。
もっともな話だが、スキーヤーの気持ちがわかりたいとか職人と深い会話ができるようになりたいとは思っていないので、誰かこないかなと思いながら適当に相づちを打っていた。すると年長ライターはヤル気の感じられないぼくの態度に苛立つように、こんなことを口にしたのだ。
「俺はキミを見ていると、なんで『ボブ・スキー』やってるのかと思うときがあるんだよ」
「はあ、そうですか」
「何て言うのかな、キミにはスポーツマンの爽やかさがないよね」
「え?」
「スポーツマンというのはさ……」
もう何も聞こえちゃいなかった。年長ライターの言葉は、ぼくが漠然と感じていた居心地の悪さを、たった一言で説明していたのだ。スポーツマンの爽やかさがない。本当にそうだ。ぼくは全然爽やかではない。少なくとも、年長ライターがイメージする爽やかさは持ち合わせていない。つまり、ここを主戦場に執筆活動をするのは自分のためにも雑誌のためにも良くないことなのだ。そうか、そうだったか。
帰り道、あと少しでつくというところで、クルマから猛然と煙が吹き出してきた。強引に駐車場まで運転し、ボンネットを開けてみると、ラジエータ口から高熱化したオイルが吹きこぼれている。これでよく無事に帰り着けたものだ。
たっぷりへばりついたオイルは内部を水で洗っても洗ってもどうにもならない。修理屋に持っていくと、このまま廃車にするしかないと言われてしまった。痛恨だったが、いっそスッキリした。これは『ボブ・スキー』から撤退しろというサインなのだ。ライターとして使い物にならなくなるのを未然に防ぐため、このクルマは身を挺してぼくを守ろうとした、ということにしようと思った。
この連載が単行本になりました
さまざまな加筆・修正に加えて、当時の写真・雑誌の誌面も掲載!
紙でも、電子でも、読むことができます。
昭和が終わる頃、僕たちはライターになった
著●北尾トロ、下関マグロ
定価●1,800円+税
ISBN978-4-7808-0159-0 C0095
四六判 / 320ページ /並製
[2011年04月14日刊行]
目次など、詳細は以下をご覧ください。
◎昭和が終わる頃、僕たちはライターになった
【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった
電子書籍版『昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』も、電子書籍販売サイト「Voyager Store」で発売予定です。
著●北尾トロ、下関マグロ
希望小売価格●950円+税
ISBN978-4-7808-5050-5 C0095
[2011年04月15日発売]
目次など、詳細は以下をご覧ください。
◎【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった