2009-12-21

初めてのライター仕事 [下関マグロ 第15回]

1984年の暮れのことだ。手帳に書きとめた住所と地図を交互に見ながら、新橋にある『とらばーゆ』の編集部にやっとたどりついた。

担当は長崎さんという、僕と同じくらいの年頃の女性だった。テキパキと事務的に打ち合わせが進んでいく。

「読者ページのこのコーナーなんですけどね」

と長崎さんは『とらばーゆ』のひとつのコーナーを指さした。<私のリフレッシュ方法>という読者の投稿ページであった。働く女性が、仕事のストレス解消にどんなことをしているかというような内容だった。

「ここに読者からの葉書があるんで、使えそうなのを選んで原稿に起こしてください」

そう言い、すでに選別された数十通の葉書を渡された。ほんの10分くらいで打ち合わせは終わった。帰ろうとすると長崎さんがこう聞いてきた。

「原稿用紙持ってます?」

いいえと答えると、バックナンバー数冊と一緒に、『とらばーゆ』という名前の入った原稿用紙の束をくれた。

まだ手書き原稿の時代、各編集部には雑誌名の入った原稿用紙が用意されており、ライターはそれに原稿を書いた。たいてい200字詰め100枚がひとつの束になっていた。

東中野にあった三畳のアパートで、僕は読者葉書を一枚一枚見ながら、適当なものを選んで電話取材した。読者葉書には大概、ほんのひとことふたことしか内容が書かれていないので、詳しい話をさらに聞く必要があるのだ。

そのときは〆切りまで一週間くらいだったろうか。400文字くらいの原稿だったが、何度も書き直した。

そして〆切りの日に書き上げた原稿を編集部まで持っていった。長崎さんは、さっと原稿に目を通す。

「いいでしょう」と言われたときには、本当にホッとした。

「では、これが次の号の葉書です」と再び葉書を大量に受け取って帰った。

1985年1月の最初の週に発行された『とらばーゆ』に、僕の書いた初原稿が掲載された。それまでにもイシノマキで『週刊ポスト』のデータマンをやっていたが、それはあくまでもデータを集める仕事で、自分の書いたものがそのまま印刷物になるわけではなかった。しかし今度は、読者投稿ページとはいえ自分が書いた原稿が活字になったのだ。

今はパソコンで書き、メールで送ったものが印刷物になる。しかし昔は、自分の書いた手書きの文字が印刷物になるわけで、今とはまた違った感慨があった。

電車に乗ったら、若い女性が『とらばーゆ』を読んでいて、ちょうど自分が原稿を書いたページを開いていた。

思わず、「これ、僕が書きました」と言いたくなるようなうれしさがあった。

しかも、その小さなコラムだけで原稿料が1万円も貰えたのだ。『とらばーゆ』は週刊だったから、これだけで月4万円になる。

とはいえこの時点では、僕にはライターを専業にしようという気持ちがまったくなかった。この頃の僕は、大学入試の電報屋の仕事をしたり、テレビ番組のエキストラ集めの仕事をしたり、カメラマンをやったりしていた。雑誌ライターの仕事もそのうちのひとつくらいにしか考えていなかったのだ。

そんなお気楽な感じで、2回目の『とらばーゆ』の原稿も仕上げ、長崎さんへ届けに行った。

「今度は日高さんがこのコーナーを担当することになったんで」と言われて紹介された担当者は、僕より少し若そうな、おっとりした女性だった。

その日高さんにも慣れたころ、

「増田さん、料理やりますか?」

こう聞かれた。住んでいる三畳のアパートにはキッチンがない。だから料理なんかしているわけないのだが、これはなにかあると思い、

「料理ですかぁ、もちろん……。好きですよ」

と答えた。日高さんは急に笑顔になり、

「そうですかぁ。それはよかった。困ってたんですよ。ここのお料理のコーナーやってもらえませんかねぇ」

と追加の仕事を依頼をされた。<私のリフレッシュ方法>の半分くらいの文字量で、原稿料5千円だった。タイトルは<私の簡単クッキング>というもの。読者が考えた料理を紹介するコーナーである。

「原稿料が安いんで、今までやってた人がやめちゃうんですよ」

原稿だけではない、簡単なイラストまであって、それも描かなきゃいけないというのだ。

ネタは前と同じ読者ハガキから自分が選んで、アレンジする。どうにかなるだろう。

どこぞの居酒屋ではないが、即座に「喜んで!!」ってなかんじで仕事を引き受けた。

イラスト部分は料理の説明である。バックナンバーを見ながらフライパンやら鍋などを真似して、苦労しながら絵を描いた。そして、週に一回、2つの原稿と一点のイラストを持って編集部へ行く。不思議なもので、編集部に顔を出していると、また別の原稿も頼まれたりする。

1985年、こうして僕の生活の中で、ライターの仕事の割合がどんどん増えていくことになる。

この連載が単行本になりました

さまざまな加筆・修正に加えて、当時の写真・雑誌の誌面も掲載!
紙でも、電子でも、読むことができます。

昭和が終わる頃、僕たちはライターになった


著●北尾トロ、下関マグロ
定価●1,800円+税
ISBN978-4-7808-0159-0 C0095
四六判 / 320ページ /並製
[2011年04月14日刊行]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

電子書籍版『昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』も、電子書籍販売サイト「Voyager Store」で発売予定です。


著●北尾トロ、下関マグロ
希望小売価格●950円+税
ISBN978-4-7808-5050-5 C0095
[2011年04月15日発売]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

このエントリへの反応

  1. [...] 昭和でいえば61年、僕の仕事は前年より確実に忙しくなっていた。レギュラーの仕事が『とらばーゆ』『BIG tomorrow』に加え『ボブ・スキー』で三つになったからだ。いずれも伊藤ちゃんに [...]