2010-03-23
デカい明日になりそうな『BIG tomorrow』の仕事 [下関マグロ 第21回]
「それじゃ、ちょっと行こうか」
引っ越したばかりの「オールウェイ」の事務所で、伊藤ちゃんがそう言った。
行き先は、青春出版社の月刊誌『BIG tomorrow』の編集部だ。伊藤ちゃんが歩いて行くというので、僕も一緒に歩き出した。
靖国通りから厚生年金会館の先で路地へ入る伊藤ちゃん。
東京医大の横を抜けると住宅街があり、何度か曲がりながら進むと、「まねき通り商店街」という古い商店街に出た。
それは冬の日で、出発したときは明るかったが、抜弁天あたりに着いた頃には日が落ちて、すっかり真っ暗だった。
職安通りを河田町まで歩くと、青春出版社のビルがそこにあった。近いのかと思ったが、辿り着くのに結構な時間がかかった。
今でこそ青春出版社の真ん前に大江戸線の若松河田町駅があるが、当時そこにはバス停があるだけで、どこの駅からも遠かった。
僕はその後7年間、そこに毎月数回顔を出すことになる。それだけ長く仕事をすることになるとは、初回の訪問ではまったく予想しなかった。
伊藤ちゃんはそのとき、できあがった原稿を三河という編集者に渡す用事があった。そのついでに、僕をその人に紹介してくれたわけだ。
三河という編集者は、僕より少し年上だったけれど、けっこう腰が低く丁寧な人だった。そして彼もついでのように、僕に仕事を依頼してきた。
サラリーマンから話を聞いてデータ原稿を起こす仕事で、テーマはごく簡単、書く分量も多くなかった。つまり、めちゃくちゃ楽そうな仕事であった。
僕はその以前に、イシノマキという編集プロダクションで『週刊ポスト』のデータマンをしていたことがあった。そこでは、ロス疑惑の三浦和義や、松田聖子や郷ひろみを取材してこい、なんていきなり言われたりした。
何のノウハウもない新人がVIPの取材という戦場に放り出されるわけで、努力しても徒労に終わることが多く、よく落ち込んだ。
しかも、データが取れず原稿が書けなければ一銭にもならない。運良く取材相手にコンタクトが取れて原稿を書いても、そのギャラは想像していたものよりはるかに少なかった。当たり前と言えば当たり前で、編集プロダクションとは、出版社が支払う原稿料の中間搾取で経営が成り立っているものなのだ。
しかし、伊藤ちゃんに紹介された『BIG tomorrow』の仕事は、出版社と直(ちょく)での仕事だ。当然ながらギャラは期待できるはずで、頑張ることにした。
できあがったデータ原稿を持っていくと、三河は「近いうちにまた電話するから、またお力を貸してください」と言った。最初の仕事はテストだったらしく、僕は幸いそのテストに合格したようだった。つまりその次の月、三河から電話がかかってきたのだ。
当時の『BIG tomorrow』はひとつの企画(おおよそ5〜6ページ)にデータマンが3、4人いた。そしてアンカーマンと呼ばれる、実際に誌面に載る文章を書く人が1人。
月のはじめにこのメンバーが集まり、担当の編集者が企画の説明をする。そして取材先がそれぞれのデータマンに振り分けられる。
取材する相手は、芸能人などではなく、ビジネス評論家だったり、一般のサラリーマンだったから、アポイントを入れるのも実に楽だった。取材も、週刊誌のように聞きにくいことを聞くわけではなく、ビジネスのノウハウとか、お金を貯める方法だとか、そういうのがテーマである。
あらかた取材を終えた月の半ばに再びメンバーが集まり、データマンがそれぞれの取材成果を発表する。
僕はこの時間が何より好きで、「この人はこんなことを言っていた」と、メモを見ながら取材内容をおもしろおかしく話すのがなんとも楽しかった。
原稿起こしは、当時住んでいた東中野の三畳間のコタツでやった。
原稿用紙は『BIG tomorrow』という名前の入った200字詰めの専用紙で、パソコンもない頃だから当然手書きだ。僕は0.9ミリでBのシャープペンシルがいちばん書きやすく、愛用していた。
一企画につき原稿用紙100枚書くことはざらで、文字を滑らせるように、とにかくどんどん書いた。データマンにとっては、書いた枚数がそのままギャラに跳ね返るのだから、もう必死だ。
書き上がった原稿は、札束のように大切に封筒に入れて、青春出版社に持って行った。実際、文字の書かれた原稿用紙というのはお札と同じだと僕は思った。
この仕事がレギュラーになったことで、不安定極まりなかった僕のライター生活は劇的に安定し、なんとかやっていけるのではないかという気持ちになった。
そのうち企画はひとつだけではなく、2つ頼まれるようにもなった。さらには別の編集者からも仕事の依頼がきたりした。多いときにはペラ(200字詰め原稿用紙)で月300枚以上書くこともあった。
そうしてやっと金銭的に余裕が出てきたのは、その年の初夏くらいだったろうか。変動もあったが、毎月20万円前後が青春出版社から振り込まれていた。
ある日、東中野のアパートへ帰る途中で、ジュースの自販機が目に付いた。それは当たりくじ付き自販機で、めったに当たったことがなかった。
その日の僕は、何を思ったのか、当たりが出るまでジュースを買い続けた。幸い10本目くらいで当たりが出て、大量のジュースを腕に抱えるようにして持った。
ああ、残金を考えずに金を使えるってことは、なんて素敵なんだ!
僕はそのとき、しみじみそう思った。
さあ、銭湯通いはもう終わりだ! いよいよ風呂付きのアパートに引っ越すぞ!
大きな明日、まさに『BIG tomorrow』の仕事が、僕を変えてくれるという予感があった。
この連載が単行本になりました
さまざまな加筆・修正に加えて、当時の写真・雑誌の誌面も掲載!
紙でも、電子でも、読むことができます。
昭和が終わる頃、僕たちはライターになった
著●北尾トロ、下関マグロ
定価●1,800円+税
ISBN978-4-7808-0159-0 C0095
四六判 / 320ページ /並製
[2011年04月14日刊行]
目次など、詳細は以下をご覧ください。
◎昭和が終わる頃、僕たちはライターになった
【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった
電子書籍版『昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』も、電子書籍販売サイト「Voyager Store」で発売予定です。
著●北尾トロ、下関マグロ
希望小売価格●950円+税
ISBN978-4-7808-5050-5 C0095
[2011年04月15日発売]
目次など、詳細は以下をご覧ください。
◎【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった
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