2010-03-15

データ原稿書きで、手のひらが真っ黒だ [北尾トロ 第20回]

1986 年が明け、それまでの四谷から、新宿に通う生活が始まった。パインは張り切っていて、いつ顔を出しても事務所にいる。留守のときは打ち合わせに出ているか人と会っているかで、夜遅くまで、椅子の上であぐらを組んで原稿を書いていた。家には睡眠と着替えのために帰るだけのようだ。

居候していたときも、パインは仕事ばかりしている人で、放っておくと俺は外にも出ないと言っていた。しゃにむに働くパインを見ていると、ハングリー精神という言葉を思い出す。フリーライターのフリーとは何の保証もないことであり、仕事を発注してくれるクライアントとは細い糸でつながっているだけで、いつプツンと切られてもおかしくない。だから仕事はちゃんとやらなければならないし、つながる糸は多いほどいい。そういう考え方だから、いつも多くの締め切りを抱え、寝る間も惜しんで働いている。

ぼくを居候させてくれたり、駆け出しライター連中に事務所を使わせてくれたりするのは、ひとりで働いてばかりいるのがつまらないという理由もあったみたいだ。そのうち野心が芽生え、編集プロダクションを設立。有能なスタッフがきびきび働いてくれれば、自分は社長として営業中心に動き、原稿用紙1枚いくらの生活にサヨナラできる。パインの皮算用はそんなところだったと思う。

誤算は有能なスタッフがいなかったことだ。自前の事務所を構えるようになっても、ぼくや増田君、伏木君のボンクラトリオは相も変わらぬ調子。事務所をうるおす仕事を取ってくるどころか、生活費を稼ぐのがやっとの状態である。

もっとも有能なのは坂やんで、パインとのつきあいも古く、パソコンの記事から若者雑誌までこなせてデザインのセンスもいいのだが、それ以上に踏み込んでパインの右腕となる気持ちはなさそうだった。かといって、他でバリバリやっている様子もない。ぼくはそれが不思議で、一緒に飯を食べたとき、仕事はあるんだからもっとパインを手伝ったらいいのでは、と尋ねてみた。

「うーん、それはどうかなあ。やるならパソコン買って本格的にってことになるけど、そこまではしたくないんですよ」

ボソッと答えて炒飯を口に運ぶ。

「パソコン高いもんな。だけどパインは、そんなのすぐに取り戻せるっていつも言ってるよ」

「そうでしょうね。ゲーム雑誌やパソコン専門誌はこの先、ますます増えると思いますよ。だから、この分野が食えるというのはわかるんだけど」

「わかるんだけど何?」

坂やんは無口なので、ついせかす形になってしまう。

「ひとつには、ぼくがそれほどパソコンに興味が持てないことですね」

「坂やんは好きなんだと思っていたよ」

「ついていける程度です。で、もうひとつの理由は『ロンロン』とか一連の仕事をぼくは手伝ってきたわけですけど、いいものが作れていないと思うんですよ」

パインが請け負って作っていた初心者向けのパソコン雑誌『ロンロン』はあまり売れず、創刊1年も持たずに廃刊になっていた。時期尚早だったと説明されていたのだが。

「つまらなかったんだと思います。そんで……これから先、パソコン雑誌が増えていくにつれて詳しいライターも多くなるわけだから、売り手市場で仕事がバンバンやってきたり、ライターが編集者を兼ねても通用するのはいまだけじゃないのかな」

キビシい意見が出た。坂やんはパインの編集能力や仕事に対する考え方に疑問を感じているようだ。

「坂やんがオールウェイに入って、足りない部分を補うって考えは?」

「ありません。世話になっているから手伝うのはやぶさかじゃないけれども、ぼくはライターのほうがいい。フリーですからね、他の仕事も増やしていきたい」

「そうか。坂やんがそうだとするとパインも大変になるかもな」

「そんなことないですよ。人材はいくらでも出てくるでしょうし、そうなったらぼくも伊藤さんも居づらくなると思いますよ」

坂やんは優しい男で、これまで何度も困ったときに助けてくれた。これくらいいいですよの一言で、なにも要求されたことがない。その坂やんが、パインのことをクライアントの一つにすぎないと見ている。それまで感じたことのない、クールな視線だった。

知人の紹介で年末に会った『BIG tommorow』の編集者からデータマンの仕事がきた。企画に合わせて取材を担当し、掲載記事をまとめるアンカーの役に立つデータ原稿を書く仕事である。いつものラフな格好で会いにいき、サラリーマン経験がないことやライターになって日が浅いことをマイナス材料のように言われていたのに仕事を頼まれたのだから、よほど人手が足りないのかもしれない。

テーマに合いそうなビジネス書を探し、著者にコンタクトを取る。出版社は『BIG tommorow』を名乗ると快く連絡先を教えてくれた。名もない雑誌だと会うだけでも苦労することが多いだけに、メジャーな雑誌の勢いを感じさせられる。

ヒマだったぼくは、せっせとビジネス評論家などに会い、聞いた話をしゃにむに書きなぐった。

ギャラは200字詰めの原稿用紙1枚いくらの計算。アンカーが何を必要とするかわからないから、企画内容と多少ズレていてもOK。編集者からは、単価が安いのだからたくさん聞いてたくさん書けとアドバイスされていた。

2Bの鉛筆で手を真っ黒にしながら、事務所の机でせっせと枚数を重ねる。疲労困憊なので、1枚書くごとに、これでカツ丼が食える、今度はカレーだと心にムチを打つ。気がついたら100枚以上になっていた。

編集者からは「内容はそこそこのレベルでしかないが、キミの字は読みやすいからまたやってくれ」と妙なほめ方をされ、データマンをやれるライターを紹介してくれと頼まれた。楽しい仕事じゃないけど生活費稼ぎにはもってこいだ。

声をかけると、坂やんは乗ってこなかったが、増田君と伏木君が意欲を示した。パインはパソコン関係の仕事にかかり切りで、我々の出る幕はない。坂やんと話して、パインに頼る気持ちが強かったことを反省したので、気持ちは外に向かっていた。秋から年末にかけて知り合った人から、PR誌や若者向け雑誌の仕事が入りだしたのも、ぼくをやる気にさせていた。

「打ち合わせしましょう。合宿の日程も決めなきゃならないね」

学研の福岡さんから待ちに待った連絡が入ったのはそんなタイミングだった。スキー雑誌が本格的に動き始めたのだ。

この連載が単行本になりました

さまざまな加筆・修正に加えて、当時の写真・雑誌の誌面も掲載!
紙でも、電子でも、読むことができます。

昭和が終わる頃、僕たちはライターになった


著●北尾トロ、下関マグロ
定価●1,800円+税
ISBN978-4-7808-0159-0 C0095
四六判 / 320ページ /並製
[2011年04月14日刊行]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

電子書籍版『昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』も、電子書籍販売サイト「Voyager Store」で発売予定です。


著●北尾トロ、下関マグロ
希望小売価格●950円+税
ISBN978-4-7808-5050-5 C0095
[2011年04月15日発売]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

このエントリへの反応

  1. [...] 伊藤ちゃんはそのとき、できあがった原稿を三河という編集者に渡す用事があった。そのついでに、僕をその人に紹介してくれたわけだ。 [...]