映画「七瀬ふたたび」を観た感想

2010-10-15 上野 絵美

先週末、シアターN渋谷で「七瀬ふたたび」を観てきました。
筒井康隆の原作小説がおもしろかったので
どんなふうに映画化されるのか楽しみにしていました。
ちょっと一昔前感漂う俳優陣や特殊メイク、ヘンリーの滑舌の悪さなど
つっこみどころはいろいろありましたが
それらもふくめて原作の雰囲気がよく出ていて、よかったでした。
劇中、ミステリーっぽい切ない系のテーマソングがこれでもかと流れまくりますが
作風に合ってて私は好きです。
七瀬シリーズを読んだ人はぜひ見にいってみてください。

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ありんこ

2010-10-14 和田 悠里

いそがしい、です。脳みそがブルブルしていてます。

先週末、ありんこがやたら部屋をうろうろしていたので、
この一週間、アパートでありんこが大量発生して部屋中ありんこ色になるという妄想が
やめられなくって、心配です。帰っていないために妄想が止まらない。

去年は、戸締まりして出たのにどこからか侵入するクマバチに怯えましたし、
一昨年はどこかの家の引っ越しの影響か、Gが大量に出現して恐怖でした。
一週間から1か月で収まりましたが、なんだか虫っぽいアパートで困ります。
部屋自体は気に入ってるだけにな〜、なんだかな〜。

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第9期人間学アカデミー開講中ですよ

2010-10-12 尹 良浩

ポットでも本を出している批評家の小浜逸郎さん主宰の公開講座・人間学アカデミーの第9期が先月開講しました。

私は事務局として6期の途中から関わっていますが、会場として使用していたPHP研究所さんの移転にともなって、1年間の休憩を挟んでいたのですが、PHPさんの新社屋を引き続き貸していただけることとなり、2年ぶりに第9期を開講することができました。

最初に登場したのが政治経済ジャーナリストとして活躍されている東谷暁先生
「政策は経済を支えられるか」と言うテーマで、
どっかで聞いたような経済にいいとされている話をバッサバッサと切っていく。
以前講義をお願いしたときにはサブプライムローン問題真っ盛りで、なるほどなるほどと聞いておりましたが、
そこから私は特に進歩もなく、今回もこの不景気の中叫ばれている政策がほんとうに効果があるものなのか、
といった話をふむふむと聞いておりました。
(最終回は友人の結婚式があったため、出席できませんでしたが……)

出版社に務めているにもかかわらず、学生時代に比べたら読書量は激減。
読まなければならない本というのもあって、読書頭の使い方に偏りができがちです。
そういう意味でも思想や教養にまつわる講義を仕事で聞けるというのはありがたい限り。

今週末からは竹内洋先生をお招きして
「高度大衆社会から下流大衆社会へ」というテーマで
講義をしていただきます。
個人的には一番聞きたいと思っている講義で、楽しみにしています。

その後も、
櫻田淳先生「安全保障の現在と展望」、
西野喜一先生「司法制度のあるべき姿」、
武田邦彦先生「環境問題を根底から科学する」
と続いていきますので、
ご興味のある方はぜひご参加ください。

第9期の詳細はこちら。
申し込みはこちら。

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専門図書館に書いた●デジタルと出版

2010-10-11 沢辺 均

専門図書館協議会の機関誌(?)に原稿をかきました。
7月発行号なので、10月1日に公開します。
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デジタルと出版
沢 辺 均(ポット出版社長)

1.はじめに
 国民読書年を機に本のこれからを考えてみる。
 その国民読書年だけど、ウエブをみたら、テレビ番組なども作ってるみたい。「コトバダイブしよう。」ってコピーで広告、テレビCMとかもやってる。金かかりそー、だ。啓蒙の匂いがするなー。というワケで、国民読書年はどうも好きになれない。
 啓蒙なんかに金使わないで、国立国会図書館のジャパンマークを本の発行日に間に合わせるとか、日本語の書籍の全文検索とその結果の一部表示を実現させるとか、基盤の整備こそやってもらいたいもんだ。というのは前フリ。「デジタル出版について」というのを書くことになったので、そっちにいこう。

2.出版とは何なのか?
 まず、出版とは、いったい何なのだろうか?
 僕の中では、(1)文字や絵・図表などを使って/(2)選別して/(3)知識や情報を/(4)複数の人に発信していく、というふうに整理している(まあ、正直、この原稿を書くために整理したんで、いつもいつも頭の中にあったのではないけど)。

(1)文字や絵・図表などを使う
 文字情報(書記言語といってもいいかな)が伝える力は、ほとんど最高のものを持っていると思う。「○月○日に飲み会をやりましょう」ってことを、絵や動画で伝えるのはとってもむずかしい。もちろん音声言語を使えば文字情報と同じくらい正確に伝えることができる。それでも、文字情報を読む時間に比べればちょっと長くかかるし、正確さ、あとでもう一度確認できること、記録しておくという点で、音にも勝る。
 音楽はメロディーを通して「情感」を伝えることに優れているのだけれど、知識や情報を正確に伝えるという点では、文字情報にかなわない。
 もちろん、文字情報を使う場合も補助的に絵や写真、図表などを使うことも多い。例えば、戦争の写真。実際の現場をイメージさせる点では、写真のほうが文字情報より優れているけど、それがいつどこの戦争なのかといった知識や情報はキャプション=写真説明という文字情報に頼らなければならない。

(2)選別する
 出版は、知識や情報を発信していくおこないだが、どれもこれも片っ端から発信する訳じゃない。そんなことをしたら、意味の薄いものがどんどん混じるので、読む方もメンドウだ。伝える意味のあるものを選別して発信するのだ。

(3)知識や情報
 たぶんこのあたりがイチバン出版らしいイメージだ。知識や情報を、主に文字情報を使って伝えるのが出版。
 ただし、この知識・情報というのは、とりあえずあらゆる知識・情報をさしているのであって、マンガだろうがエロ本であろうが知識・情報だ。

(4)複数の人に発信する
 複数の人に、というのが結構大切なポイントだと思う。人はだれもがさまざまな知識や情報を他の人に伝えている。だけど、出版がそれらの一対一のやり取りと違うのは、複数の人を対象にしたものだということ。だから、暑中見舞いのハガキなどは、出版とは別なものだ。
 逆に、学校の先生が配る「学級通信」のようなものは、複数の人に発信するのだから、広義の出版の範疇になると思う。

 この四つのポイントが満たされているのが出版だと思う。逆に言えば、有料なのか無料なのか、職業なのか職業ではないのか(有償でない)というのは出版を定義する場合に関係ないと、僕は思っている。
 だから、ブログはもちろん、友人知人をBccにいれて複数発信するメールも出版という行為としておきたい。「R25」のようなフリーペーパーも出版だし、企業の社内報も出版。出版社の社員などのように給料を受け取って知識や情報を発信しているのも出版だし、アフターファイブで無償のブログ書きも出版だと思う。

3.出版の現状をめぐってよく言われていることを考える
 最近、出版をめぐる話題がメディアをよく賑わせている。
 たとえばこんなことだ。(1)本が読まれない(2)本が売れない=出版(社)の危機(3)ネットワークに出版社がやられている。

(1)本が読まれない
 毎日新聞が毎年「読書世論調査」というのをやっている。
ライターの永江朗さんによれば、ほぼ唯一の日本全国を対象にした継続的な調査だということだ。その「2009年版読書世論調査」(毎日新聞社)によれば、
 88年=73% 95年=70% 00年=84% 05年=71% 08年=79%
というように、70年代〜90年代にかけてほぼ70%前後。2008年調査では79%と、ほぼ8割の人が読書をしている。これは総合読書率という数字で、書籍・週刊誌・月刊誌のいずれかを読んでいる人の率、である。
 この場合の対象となるのは、「紙の本」である。総合読書率だけをみれば、決して「本」を読む人の率は減っていない。しかし、出版業界の売上げは近年減り続けていることを考えれば、「紙の本」を読む人の「率」は変わらなくても、読む「量」は減っているのかもしれない。
 では、僕自身はどうだろうか? 文字はあいかわらず読んでいる。でも、その媒体はだんだんとパソコンの画面やiPhone(iPadはまだそれほど文字を読むことに使ってないけど)といったデジタルの媒体で文字を読む割合が増えていると思う。若い人たちに聞いたり、見たりしても、やはりその傾向は変わらないように思う。携帯電話を中心にしたメールや、携帯サイトといったデジタル媒体を読む頻度が高いようだ。
 さらに、若い人たちを中心に、読むだけでなく文字を書く頻度も増えているのではないか。それは主にメールだけど、一昔前はハガキや手紙を書くことなんてほとんどなかったのに比べれば、書くという頻度、その文字量は増えているように思える。
 僕は「本を読む」という行為を、ウエブサイトやメールの文字を含んだあらゆる文字情報を読む、というように読み替えるべきだと考えている。
 「紙」の文字を読む量は減ってきたかもしれないが、いっぽうで、デジタルな文字を読む量は確実に増えている。つまり、僕らが「文字を読む」量は、ますます増えている、と考えるのが妥当ではないだろうか。

(2)本が売れない=出版(社)の危機
 「本が売れない=出版(社)の危機」という言われ方にはいくつもの要素が混じっていると思う。たとえば、本の発行点数は1970年に比べて近年は4倍になっているが、販売冊数は2倍に満たない。一タイトルあたりの販売冊数が半減している。また、雑誌が特に売れないし、広告が入らなくなっている。出版社の決算が悪くなっている。たとえば講談社、小学館のような業界1位2位は、ココ数年赤字決算だ。
 これらの物言いには、基本的には同意である。そしてその原因はネットワークだ。
 読むものが、「紙」のものからデジタルとネットワークの文字へとシフトし、紙の本や雑誌は読まれる頻度が減っている。つまり売れなくなってきているのだ。ネットワーク上での広告が増えているが「紙」の広告は減っている。紙が主体の出版社は、ネットワークに読む人をとられ、広告をとられているので、決算が悪く、赤字も目立つようになってきたのだ。
 現にこの僕も、これまで寝るときは本を読みながら眠りについていた。今は、本を読む前にiPhoneでこれまで読まずにすませていたメールマガジンや、ちょっと長文のウエブサイトの文章、ツイッターなどを読む。それらを読み終えてから本に向かうのだけど、ほとんど読み進められないまま眠ってしまう。

(3)ネットワークに出版社がやられている
 こうした状況は、これまでの出版が、ネットワークでの「出版」に取って代わられているということだ。
 さて、この状況は、良くないことなのか・良いことなのか、止めるべきか・止められるのか? 僕は良いことなのだと思うし、たとえ止めようとしても止められないことなのだと思う。
 売れっ子の勝間和代さんの本のタイトル「起きていることはすべて正しい」を新聞広告で目にして、すげー、うまいタイトルだと感心した。僕は「起きていることはすべて正しい」と思う。正確にいえば起きていることは僕らがみんなで受け入れているということ、だから正しいと考える以外にどういう対処も成り立たない、ということだ。
 自動車。公害はまき散らして来たし、交通事故で毎年何万人も「殺し」てしまった。だけど、僕らはひとたび知ってしまった自動車の便利さ、自動車を利用することで社会全体が豊かになったことを手放すことができなかった。だから、少しでも自動車のマイナス点である公害や事故を減らすということに社会全体として取組んできたのだ。そして、こうしたマイナスを減らしてプラスを生かすという行動以外、とる道を見つけることができなかったし、今も見つけられていない。
 こう考えると、今ネットワークが広がっていること、僕らがネットワークを受け入れていることを、良いことか悪いことかを問うても意味がなく、その弱点を減らして、強みを増やすというように考える以外にないのだと思う。
 では、出版が、ネットワークでの「出版」に取って代わられているというのは、どういうことなのだろうか?
 第一に、だれもが「出版」できる状況を生み出したのだ。これまでの出版は少額といえ資本金を必要とした。取次との取引契約という条件を必要とした。放送が放送免許という条件を必要としたようにだ。
 たとえば印刷の費用の特性を考えればわかりやすいと思う。10万字程度の文字情報を詰め込んだ本の印刷費用は、千部で50万円(単価500円)程度だ。二千部でも60万円(単価300円)、五千部では80万円(単価160円)。逆に少部数の場合、五百部で40万円(単価800円)、百部でも30万円(単価3,000円)。これがデジタル情報なら、印刷費用に該当するものはほとんどゼロだ。さらに、紙という物理物を全国の書店を通して販売するには必要な輸送、店舗費などなど多くの流通費用も不要。
 第二に、こうしたことを背景にして、無料で文字情報を提供する人、したい人が膨大に生まれた。これに対して、出版社は「質」の高さを有料の根拠にして商売を継続したのだけれど、すでに個別の場面では敗退したり、陣地が少しずつ浸食されている。
 小説はまだまだ生き延びているとはいえ、携帯小説の登場で、やや侵食された。辞書・辞典類にいたっては、Wikipediaはもちろん、ネットワーク検索というあらたな調べものツールにすでに浸食されている。もちろん、紙の辞書がネットワークにすべて取って代わられている訳ではなく、専門家の説明や、編集という力、それらに対する信頼にもとづいて一定の陣地をまだ確保し続けているが。
 雑誌などに掲載されていた広告については、すでに売上げそのものが半分程度までネットワークに浸食されている。ネットワークでは、個人のブログ(マスではない!)でさえも広告の掲載媒体の対象であり、その範囲は広がっている。
 既存の出版社にとっては、まずい状況かもしれない。
 しかしこれは、まずい・まずくない、ということではない。出版の場が、たんに紙からネットワークに移動したにすぎない、ということなのだ。

4.今おこっている出版(メディア)の変容
 今、出版や、出版社をめぐって起きていることは、基本的に出版が紙媒体からデジタルとネットワークに移行しているってこと。それがどのような経過をへて移行しているのかをもう一度整理しておこう。

 ・コンピュータのパーソナル化と、アーパネットにはじまるTCP/IPの通信プロトコルによるネットワークの広がりがあり
 ・さらにその費用が劇的に低下して
 ・出版を生み出したり、流通させる道具として実に使い勝手の良いものになり
 ・知識や情報の発信を、だれもが自由にできる状況を生み出し
 ・これまで生産費用や流通コストを負担できる組織の出版社がほぼ独占して来た発信者の位置を、すべてに人に明け渡さざるを得なくなった
 というように整理できると思う。

 ところが、まだ、何点かの結論の出ていない問題がある。
 一つは、選別をどうするかということだ。はじめに「出版とは何なのだろう」で、(1)文字や絵・図表などを使って/(2)選別して/(3)知識や情報を/(4)複数の人に発信していく、を出版の定義とした。
 出版の制作と流通がパソコンとネットワークによってまかなわれる度合いが大きくなっている中で、(1)文字や絵・図表などを使う、というのは、質を別にすればだれでもできることになった。だが(2)選別する、ということは、質そのものを判断することだ。
 これまでは出版社がその選別を担ってきた。出版社はひとまず「そこそこ」にその役割を果たしてきたと思う。出版社が発行した本の多くのものは、一定の質を持っているものが、それなりに多くあったと思う。もちろん評価は別である。「バカの壁」を評価する人も、評価しない人もいるだろうが、そういう両方の評価を得るということ自体が、一定の質を持っていたということだとも思う。2チャンネルから生まれた「電車男」も、こうした出版社の選別をへているのだ。
 ところが、ネットワークを通じて、誰もが自由に発信することができる現在、あまたあるウエブサイト・ブログなどを、だれもがすべてチェックして、直接選別することができるだろうか? 普通の人に評価する能力がない、と言いたいのではない。普通の人に、そんな時間はない、と言いたいのだ。そんな必要もない。出版社は、そういった普通の人のかわりに、時間を節約するために選別を行ってきた。
 出版がだれもができるものになった時に、誰がこうした選別を引き受けるのか?    出版が一人一人の自分の発信したい知識と情報を自ら発信していくときには、一人で知識と情報を文字にして、他者の選別をへずに行われることになるからだ。
 では、ネットワーク上では誰が選別を担っていくのか。候補はいくつかあると思う。人であり、検索ロジックなどを始めとしたシステムである。
 人という場合、専門的な人が選別する場合と、無報酬で日々ネットを見て回っている膨大な人によって選別が行われる場合である。専門的な人の場合は、これまでの出版社社員のような人であったり、ブロガーと言われる人なども候補になるかもしれない。あるいは図書館員も候補者のひとつである。
 いっぽう膨大な人々によって選別がなされるというのは、たとえば多くの人がアクセスしている、などというロジックから選別が行われるといった可能性である。あるいはいくつかの候補者が併存するという可能性もある。
 今後どのように選別が行われるようになるのか、僕にはわからない。いずれにしても、僕らは、だれかの選別を抜きにして、もともと膨大な知識や情報、ましてやネットワークによってそれがさらに膨大にふくれあがる社会のなかで、一定の有効性を持った知識や情報にアクセスすることはできないと思うのだ。

 二つ目の課題は、知識や情報の事実確認をだれがどうするのかということである。これも基本的な論理は「選別」と同じだ。これまでは職業として担う人によって主に行われていた。
 そして、課題の三つ目は、費用をだれがどのようにして負担するのか、確保するのか、ということである。決して出版社が引き続きその費用を徴収すべきだと思うのではない。しかし、なんらかのコストが必要なのだ、ということは間違いない。
 例えばさんざん話題になった、各大臣の記者会見取材のオープン化。現時点のオープン化の評価はともかくとして、今後は、一定の手続きさえ踏めばどのようなメディアも会見に参加できるという方向に進んでいくはずだ。後戻りするのはとても難しいだろう。さて、その記者会見だが、オープン直後の記者会見の質問を見て僕が感じてしまったのは、継続的にその分野の知識と情報を自分の頭の中に蓄積していない人の質問は、やはり単純なものだなー、ということだ。
 また、時間的にも、真っ昼間、定期的に(あるいは突発的に)その記者会見を無償でフォローできる人がいるだろうか? それも継続的な知識と情報を蓄積させながら。
 もちろん将来、衣食住に関わる労働をロボットなどが人間に替わって行うような社会にまでなれば、不可能ではないかもしれない。ギリシャ市民が、奴隷に支えられ、もっぱら衣食住を支える労働をしないで、政治議論ばかりしていたように。しかし、そうした社会は、実現する可能性はここ数十年のスパンではないと思う(あくまで予想でしかないけれど)。
 なので、例えば、僕たちの日本の進み方を決める政治の有様を、継続的に、質の高い、知識と情報を提供することに、職業的(それによって衣食住といった生存のための費用が提供される人という意味で)な担当者を置く以外に、僕には現実的な可能性を見ることができない。
 しかし、現状インターネット上の多くのメディアは、無料の情報公開にとどまっている。そこでは売上げが見込めていない。「売る」ということで、そういう専門性をもった担当者を確保して主に行われてきた従来の出版のモデルは成り立っていないのが現状だ。もちろんそれ以外にも、方法があるかもしれない。例えば、テレビとラジオは、ほぼ一貫して広告費モデルという、インターネット上の商売と同じ方法で、職業的な担当者をまかなってきた。学術出版の一定数は、研究者自身の資金によって成立してもきた。
 ネットワーク上における「選別」の費用は、有料で販売する、広告費というスポンサーからの収入を当てにする、メディア発信者自身の拠出、あるいは図書館が典型のように税金でそれらをまかなう(科研費による出版補助だってあるし)などのどれかかもしれないし、複数の方法が混ざりあっていくのかもしれない。しかし、いずれにしても、当面そうした職業的な担当者を、どこかに置かなければ、選別や事実確認などを行う費用をまかなうことができないと思うのだ。

5.出版社の現状
 出版社のこうしたネットワーク状況に対する対応はさまざまであり、出版社をひとくくりにしてその現状を述べることは適切ではない。このことをふまえた上で、しかし、それでも、多くの人は、出版社はデジタルに対して後ろ向きだと見ているのではないか?
 それは、出版(メディア)の変容を前にして、どのような方向で望むのかといった方向性、方針の不明瞭さである。そこから派生して、方向・方針をたてることへの恐れ。例えば、長尾真国立国会図書館長の電子図書館構想への、なんとなく後ろ向きな反応。あるいは、Googleブックサーチに対する出版界の反発、などのようなものだ。
 しかし、出版社の多くがただ単に後ろ向きな姿勢だと断じるのは少し不正確だと思う。
 第一に2000年の電子書籍コンソーシアムに始まった、数々の電子書籍の取組みだ。これは、利用者の要望を、むしろ先取りして取組まれたと思う。しかし、いずれもほぼ「失敗」。もちろん今も継続しているデジタルとネットワーク活用の取組みもある。
 第二に、長尾電子図書館構想への反発の中心にあるのは、電子書籍の取組みが失敗したことをふまえて、投資に見合う売上げ見込みがたたない、ということへの違和感であり、デジタル利用=電子図書館構想のすべてに対する反発ではないと思う。

 だが一方、デジタルとネットワークの広がりの中で、その状況を大胆に活用・利用して、あらたな出版の可能性を切り開こうとしているわけでもない、というのが出版社の現状だろう。経済合理性、出版としての質の確保(選別と事実確認)、著作者の権利保持、そしてデジタルとネットワークの技術そのものの発展への対応、といった要素の絡み合う複雑な状況のなかから、出版社はまだ解答を生み出せていない。
 そして、その解答は、同じ時代を生きている人々のだれもが生み出せていないと思う。

6.デジタルとネットワーク時代の出版
 出版はなくなるどころか、ますます多くの担い手を得て発展していくと思う。
 そして、デジタルとネットワークをうまく使いこなすことは、今後の出版にとって必要不可欠なことだと思う。また、極めて複雑になった現代社会では、複数の人によるチームでなければそれは生み出せないように思う。
 デジタル・ネットワークの技術をもち、出版に対する深い思想をもち、経済性を担保し、チームのより良いあらたなルールを生み出し、複数の意思を担保しつつ、一つの意思としてチームの方向を生み出す方法をつくりだす、といった広い範囲の対応が必要で、それはとても一人でカバーできるようなものではないからだ。
 これまで出版を担ってきた出版社がこのままの状態で、それを引き続き主要に担うポジショにはなりえないと思う。今後も出版社が担うには、自らのあり方を大きく変えなければならない。
 アイディア次第で、出版というおこないは大きく状況を変え得るときだと思う。
 今後、だれが、どう担うかはわからないけれども、出版はますます発展することは間違いないと思うのである。
(さわべ きん)

デジタルと出版
沢辺 均(ポット出版社長)

 キンドルやiPadといった端末の日本での発売でますます出版界の大きな課題としてたち現れた電子書籍。この電子書籍状況から今後の出版を考えるために、まず出版とは何なのか?という確認から出発。そこから、今おこっている出版(メディア)の変容をデジタルとネットワークによる出版の大衆化として、それが出版のありようをどのようにしていくのかという視点を提示する。

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新人、一皮剥けました

2010-10-08 大原 真理子

ズル剥けです。

今日は、ゲイ・エロティック・アーティスト 田亀源五郎さんのゲイエロ漫画に関わる作業をしました。
こういう漫画は読んだことはあったし、
はじめに取りかかった作品を読んで、きれいな絵だなぁって思ったり
切ないストーリーだなぁ……と感傷に浸ったり、序盤はなんらさしつかえなかったのですが。
軍隊モノにさしかかったあたりからなんだかぐったりし始め、
登場人物の数が不特定多数になり、鬼畜なキャラクターが登場したあたりからボーッとし始め、
最終的に海賊モノの作品になったとき、自分の目が虚ろになっていることに気がつきました。
長時間見ているからかなぁ。うーむ

人には、「モード」っていうものがあると思うんですよ。
今日はその「モード」を何に設定していいのかわからなくなってしまった、ということだと結論づけます。

パソコンのデスクトップ上で、
ナニがすごいナニでアレがああなってアレとアレがあんなことになっているとき
一方ポットでは看板犬すずちゃんのヘアカットが始まり、なんとも和やかで楽しそうな雰囲気に。
そのとき私の「モード」のカオス度が臨界点を突破しました。

このあとも引き続き、ちんちんのさきっちょに消しの横線を入れる作業が私を待っています。

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新人日誌しんどい、でも。

2010-10-07 大原 真理子

この日誌、毎日書くのって思っていたよりしんどいです。
なんと、模索舎さんと青弓社さんの方にお褒めいただいたのですが、しんどい。
でも、そう言っていただけるとうれしいし、
ポットのスタッフブログを読んでくれてる人がいるんだなと実感しました。

さて、なんでしんどいのだろう。
私は、感覚ではふんわり感じていることを、意識のいちばん上まで持ってきて
きちんと認識して行動に移すことが苦手なようです。
そうやって生きてきました。
それでやってこれる環境にいて、それで許される立場にいました。
でも仕事をもった今ではそれはダメです。
考えをまとめて言葉にすることは、エネルギーを使うけど、
すくなからず何かしらの再発見があります。
日誌を書くという作業もまた同じ。

「新人日誌」はあと3回で終了予定の模様ですが、
自分で引き続き、書いていけたらなと思います。
いや、書けよ。これは記録を兼ねたバカ矯正訓練だと思って書けよ。と。
ノートの隅っこにでも、携帯電話のメモ帳にでもいい。
ひとことふたことでもいいから。

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ここ一番にとことん弱い

2010-10-07 山田 信也

この前に日誌を書いたときには、優勝は時間の問題と思われたのに、、その後大事な試合にことごとく負け続け、気がついたら3位です。矢野選手の引退セレモニーは素晴らしかったのになあ。。優勝できそうだったのになあ。。
先日、『民主党政権への伏流』の広告を出した、朝日新聞の掲載誌、たまたま社内に転がっていたのをぱらぱらと眺めていたときに書評のところで見つけた『球場ラヴァーズ』1巻を読みました。カープの話ですが、野球ファンには面白いと思います。

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秋のポットのイベント

2010-10-07 那須 ゆかり

ようやっく秋です。
あんなに暑かった今年の夏なのに、もうあの暑さを忘れて、
キンモクセイの匂いをかぎながら、ああ寒くなっていくんだなあとさびしくなったりして。

ポットの秋のイベントは、
「お前の1960年代を、死ぬ前にしゃべっとけ!」の著者のひとり加納明弘さんと、荻上チキさんのトークセッション。
ジュンク堂新宿店で一昨日終わりました。
来てくださったみなさまありがとうございました。
次は、明日(金曜日)、「リストラなう」の著者たぬきちさんと沢辺のトークです。
公開対談です。まだ席に余裕があります。
Ustreamでも中継しますが、やっぱり生身はなにものにも変えがたいです。
興味のある方はぜひどうぞ。
あとは、来週15日(金)に、ポットが入っているマンションの恒例年一回のお祭り。
その名も「ビラセレーナ祭り」。
マンションの理事でもある社長沢辺が言い出しっぺではじまったこの回も、もう第4回。
ビラセレーナ祭りでは、なぜだかポット内でもちょこちょこ事件がおこっておもしろいんだけど(去年はなかったな)
今年はどうかな。
場所は、マンションのエントランス。フリーマーケットもやります。
11時30分〜16時30分 フリーマーケット
17時〜20時 持ち寄りパーティ

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決してガールズトークとは言えないが

2010-10-07 大原 真理子

デザイン部の上司・和田さんと編プロ部の先輩・上野さんに、ごはん(飲み)に連れてってもらいました。
お酒も久しぶりでした。
いやぁー楽しかったです。
いい気分のまま寝ます。
おやすみなさい。

zzz

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新人33日目 イベントに行く

2010-10-06 大原 真理子

今日は、私がお手伝いできることがほとんどない状態で、
「雑用仕事」を探すものの、これがなかなか難しい。

「仕事は自分でつくるもの」
社長が言っていた印象深いことばの中のひとつ。
自分のために仕事をするのはもちろんだが、
誰かの役に立つこととか、自分が所属する会社の利益につながることとか、
具体的に何が出来るだろうと、ぼんやり考える時間があるほど、
何をしたらいいのかわからない半日だった。
結局、洗濯や整理整頓しか出来なかった。家事か。会社は家か。

夕方からは『お前の1960年代を、死ぬ前にしゃべっとけ!』刊行記念イベントに客として参加すべくジュンク堂新宿店に行ってきた。
1981年生まれの批評家・荻上チキさんと元東大全共闘・駒場共闘会議のリーダー加納明弘さんの対談イベント
感想はというと、予備知識まったくないしバカなので案の定、よくわからなかった。
ただ、私が通っていた大学の校舎は大学闘争の基地だったらしく、語り草にされていた。
文芸棟には開かずの間があって、紛争で命を落とした学生の幽霊が閉じ込められているとか、
全敷地に張り巡らされた地下通路は、すべての棟を自由に移動するために作られているとか、
レーニンの肖像がどこかに隠されているとか。
現在、かつての校舎は取り壊され、新校舎が完成している。
在学中に取り壊し工事があり、旧校舎のどんよりした雰囲気が好きだった私はとても名残惜しかった。
ある日の休み時間、崩壊していく校舎をいっしょに眺めていた友人が、
骨が出てきたらしいよと冗談を言ったのを思い出した。

私の父親は62歳なので、学生運動真っただ中に大学生だったのかな。
どんな雰囲気だったのか今度聞いてみようかな。
『お前の1960年代を、死ぬ前にしゃべっとけ!』も読もう。

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「劇画家畜人ヤプー」と「続・劇画家畜人ヤプー」

2010-10-05 高橋 大輔

今年3月に刊行した「劇画家畜人ヤプー【復刻版】」につづき、「続・劇画家畜人ヤプー」を復刊する予定です。(できれば来月11月中には……)1984(昭和59年)に辰巳出版から刊行されたものです。
ちなみに、「劇画家畜人ヤプー」は全4作。この後、【快楽の超SM文明編】1993(平成5年)、【無条件降伏編】1994(平成6年)と、ともに辰巳出版から刊行されています。やるなら全部、復刊したいと思っています。

江川達也氏の「ヤプー」しか読んでない人! ヤプーには続きがあるのですぞ。

今日はこれから『お前の1960年代を、死ぬ前にしゃべっとけ!』刊行記念イベント「1981年生まれの批評家は、1968年をどう読んだか?」(加納明弘×荻上チキ)に行ってきます。まだ席、あります。

10月8日、金曜日は「たぬきち(ブログ「リストラなう」)×沢辺均(ポット出版代表取締役)公開対談」です。

宣伝でした。

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新人32日目、肉を喰らう

2010-10-04 大原 真理子

いま会社がクサイ。ここにいる人間も全員クサイ。
それも、ケモノと油のにおい。

夕方、突然「白飯を8合炊け!」という命令を受け、8合の米を研いだ。
は、はちごう!
研いでも研いでも米ぬかでてくるー!
新米だから水減らしたほうがいいかなと思ったけど
通常通りの目盛りの水量で炊いたら案の定べちゃべちゃだった。
おばあちゃんのごはん!

白飯が炊きあがったころ、沢辺社長が突然、牛の肉片をフライパンで焼きだした。
燃え盛る炎、飛び散る油、 踊るニンニク、肉の焼けるにおい。
私はその「漢の料理」を横目に、ひたすらにトマトを6等分に切り、ひたすらにレタスをちぎった。
その間も次から次へとフライパンで肉を焼き続ける沢辺社長を見た一瞬、
普段何をしている人なのか、もはや私にはわからなくなっていた。
この人はだれなの?
まあ、それほど劇的だった、と言いたい。

皿にレタスとトマトと肉を盛りつける。
優しさと激しさのバランスが取れている。
茶色と赤色と緑色。命いただきます。
なくなる肉。なくなる白飯。皿に残る、油。

ごちそうさまでした。
やわらかくて油っぽくて美味しかったです。
だれかが手で作った美味しいごはんをみんなで食べると元気になるんだな、としみじみ体感しました。
社長夫妻が、夏休みのお土産として牛肉を買ってきてくださったので、みんなでおいしく頂いた話。

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夏休み終了

2010-10-04 佐藤 智砂

先週1週間、夏休みをとりました。
そのうち3日間は両親と一緒に過ごし、ささやかな親孝行を。
残りは、鉄とすずの散歩と本と映画を満喫しました。

[休み中に読んだ本]
●もう二度と食べたくないあまいもの(著:井上荒野)
●あんじゅう(著:宮部みゆき)

[休み中に見た映画]
●しあわせの隠れ場所
●インビクタ
●イングロリアス・バスターズ
●アバター
●X-MEN
●ハンニバル
●レッドドラゴン

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新人31日目、ポット入社からちょうど1ヶ月

2010-10-01 大原 真理子

今日は金曜日だからか、なんだかいつもより元気100倍、勇気りんりんです!

終電の時刻が無情にも近づいて参りましたので、
きょうはポットで気がついたことを箇条書きにします。

●出版部の大田さんがコカコーラゼロを飲んだあと、かならずゲップをしている(と思う)が、さりげないのでわたし以外だれも気がついていない(と思う)
●デザイン部の和田さんのキーボードさばきが、まるでピアノを弾いているかのような音色とリズムだ
●売店のレトルト食品のカレーマルシェは、具が大きい(肉片とマッシュルームがまるごと入っている)
●みんなで掃除をしたあとは清々しい
●入社して間もない頃、デザイン部長の山田さんに「ポットでいじめられてないですか?大丈夫ですか……?」と聞かれた私は「大丈夫です!」と答えたものの、いまだになぜか三日に一度は同じ質問をしてくるので、だんだん、私が鈍感なだけで実はいじめられてるのではないかと不安になってくるサスペンス
●会社の天井の梁に、「男気」と書かれた札が貼ってある
などなど。

自分の仕事の方はといえば、まだまだまだまだソフトすら使いこなせてなく。
そして、ひとつの作業に時間制限を課してみるといい、という助言を先輩からいただきました。

10月の一ヶ月で少しでも成長するべく、たくさんのものを見て見て見まくらないと。
今月は舞台に音楽に展覧会と、とりあえず見る予定のものがあるので、刺激的なひと月になりそうです。
あれ、なんだかラインナップが芸術の秋っぽい。
さすが秋。キンモクセイの香りがたまりません。 きゅん。

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妊娠7カ月は1人暮らしの冷蔵庫

2010-10-01 小久保 由美

会社のベランダでセミが死んでいて切ないぜ、秋だぜ、って話を日誌にアップしようと思っていたら
既に大脇に先を越されていてネタ切れ。

そんなわけで腹具合の近況報告を。

現在妊娠25週目、7カ月目に突入。
腹は日々デカくなり、へその深さは浅くなり、友人からは「1人暮らし用の冷蔵庫みたいなシルエット」と言われる。
先月かすかに感じるようになった胎動も、今では腹の中からボッコボコに蹴り上げられる毎日。

最近、見た目が「ただのデブじゃなさそう」的な腹の出具合になってきたのか
帰りの電車の中で席を譲っていただくことがある。
以前は「そんなにしんどくないのに席を譲っていただくのも心苦しいなぁ」などと思っていたのだが、
最近は「混雑している電車の中で、急停車など突然の揺れのときに立っていると危ないこともあるから、
譲ってもらった時はありがたく座らせてもらおう」と思うようになった。
1駅2駅のときは、お気持ちだけいただくようにしているが(立ち座りのアクションの方が面倒なので)
混んでいるときなどは本当にありがたい。

席を譲っていただく機会が多いのが
20代半ば〜30代後半くらいまでのスーツを着た男性と、50代〜60歳くらいの女性。
50代〜60歳くらいの女性はなんとなく解るのだが、
20代半ば〜30代後半のサラリーマンは結構意外。時間帯の問題なのかな。
さりげなく声をかけてくれてさらりと譲ってくれるのだ。
いや、とてもうれしいのですけど。

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夏休みはやっぱり短い

2010-10-01 大脇 初枝

ごぶさたしております。

「夏の決心」、名曲です。何歳になっても夏は短いです。

ポットのみなさんは最近になって夏休みラッシュでした。
鉄とすずもただいま夏休み。
みなさん書いてますが寂しいです。物足りない感じがします。

そんな私は学校の夏休みが明けてはや2週間が経とうとしています。
ポットとの両立もだんだんと慣れてきました。

ポットのベランダでぴくぴくする仰向けのセミを見つけ、
夏も終わってしまったんだなあとセンチメンタルになったりしています。
夏休みが明けるたび、あのときの出来事は全部夢だったんじゃないかと思ったりします。
ポットに拾っていただいた事実も実は夢だったんではないかと…
あまりにドジをしすぎて、突然クビ!と言われたらどうしようかと
いつもびくびくしながら仕事しています…

なんて、ぼーっと感傷に浸っていたらもう10月なのですね!
そろそろ秋モードに気持ちを切り替えなければ。

最近iPhoneを買ってうきうきしている アルバイト大脇

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新人30日目

2010-09-30 大原 真理子

鉄ちゃんとすずちゃんがいないとさびしいなぁ

って日誌に書こうとしたら、
五賀さんがすでに日誌でまったく同じことを綴ってらっしゃった。
なので

社長がいないとさびしいなぁ

と書くことにします。

社長は夏休みで一週間ほど不在であります。
左前方からの厳しいオーラがない。
(私のデスクは社長デスクの右後方に位置するのです、
つまり私の視界にはいつも社長がインしているのです)

さびしいなぁ。
お土産なにかなぁ。

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鉄すずがいないとさびしいなぁ

2010-09-30 五賀 雅子

鉄とすずは、ちょっと遅い夏休みで
この1週間ずっと不在です。

朝、出勤したとき、
お昼ご飯から帰ってきたとき、
机でグリコのお菓子を食べるとき、
特にさびしさを実感します。

いつも鑑札の金属音を発しながら
駆け足で近寄ってくるすず。
動作はのっそりで、顔も無表情だけど
律儀にお出迎えしてくれる鉄。
仕事で疲れているとき、その顔を見るだけで癒されます。

早く帰ってこ〜い!

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新人29日目、罪を犯す

2010-09-29 大原 真理子

ごめんなさい。
とうとう遅刻しました。
やらかしたー
たるんどる。

面接で「ぜったいにちこくしません」と言ったのに。
そして「ぜったいって今言ったなテメーコノヤロー、その言葉、腕にカッターで刻み込んどけゴルァ!
遅刻したらタダじゃおかねーからな、ケツの穴から手突っ込んで奥歯ガタガタ言わすからな!」
と沢辺さんに忠告されたのに。
たぶん。

反省はもちろんのことだが、対策を練らなければ。
いま目覚ましを2つかけているのですが、3つ目を投入しなければならない、か。
ついにあの最終秘密兵器を。
そう、「スーバー雷電」を…… !!
説明しよう。「スーパー雷電  super raiden 」とは、非常ベルに近い音量のベル音で、
どんなに深く眠ってる人でもたちまち跳び起きるという爆発的破壊力をもつ目覚まし時計である…!
その高すぎる能力ゆえ、「近所迷惑」「非常事態という誤解を招く」というリスクを持ち合わせている。
説明書にも注意書きの記載あり。
そのため、木造のボロアパートでは使用不可と思われていた。
しかし背に腹はかえられぬ。
今度実家に迎えにいく。

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新人28日目

2010-09-29 大原 真理子

家の冷蔵庫の食材が腐り始めたMy Revolution. 明日を乱すことさ.

もう28日目なんですね。ぶったまげた。
毎日が5分くらいの感覚で過ぎていきます。
10時に出社してなんだかんだしてるうちに13時で、もう昼かぁ、と思ったら15時で、
ふと気がついたら20時で、気がついたら22時で、気がついたら24時です。
そして、今日一日でなにか体得できたのか?という疑問とともに退社。
眠らなくても、食べなくてもいい身体がほしいなー、と思うことも一瞬ありますが、
それはないなー、と一瞬で思い直します。睡眠は唯一の趣味ですし。

先日の土日で、「字の匠」という本を読みました。
Adobeのソフトの付録本で、企画構成がデザイナーの永原康史さん。
ずっとうっすら探してた本たったのですが、ポットに入社して間もないころ、
沢辺さんが「読め」と貸してくださったのでした。

本文を執筆された大西哲彦さんには、専門学校で「印刷概論」を教わっていたのですが、
諸々の事情でサボらねばならないことが多々ありました。それでも、なるべく出席したかった授業でした。
なぜかというと大西先生の、「生徒があっけに取られてしまうほどの情熱」が好きだったからです。
もし「印刷萌え選手権」という大会があったなら、間違いなく先生は1位でしょうね。
時折、言葉や表情、行動の中に狂気じみた情熱を垣間見てしまうくらい、まっすぐな方という印象でした。
その先生の文章を読んでたら、授業の時とは少し違うものを感じました。
本という印刷物への、また、それが織りなす世界、そしてそれに関わる人たち、手に取る人たちへの愛情みたいなものです。
それも、ロマンチックな愛情。

やっぱりデザインは人間のためにあるんだなと思います。
しかも積極的で本質的な。ああん、うまく言えない。ファック!
ということは、身体のことも知らなきゃいけない。
わたしは動物が好きですが、人間も大好きです。
ものをつくる仕事なら、サービスをつくるウェイターでもほとんど同じことだしなんでもよかったけど、
せっかく「ビビビ!」ときたポットで働けるのだから、日々精進せにゃならんと改めて考えました。
というわけで「字の匠」はこれから何度も読み直したい。

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