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[第15章●その他よしなしごと]
24… 車内での携帯電話の 3
[2005.11.17登録]

石田豊
ishida@pot.co.jp

鈴木さん、日高さんのコメントに触発されて、なおも続けます。

まず、鈴木さんの
>ここに「俺」が居るのに無視されてるような感じ
って言う意見、時々見聞きしますが、本当にそうでしょうか。

だってさ、ケータイだけではなく、新聞読んでたり、大口あけて居眠りしたりするのも、「相手の存在をないものとした」行動でしょ。居酒屋で向き合っているとき、そういう行動をされたら、アタマに来る(泥酔時は除くが)。

隣同士で座っているふたりの間に「すきま」が存在する場合、そのふたりは知り合い同士である確率が高いですね。会社の同僚とか。つまり、両者に人間関係がある場合は、無意識下で、どうしても距離を取りたくなる。その結果、尻の逆サイドはいつもより余分に他者に密着することになるんだけど、それをも厭わない。

つまり、電車(少なくとも日本の通勤電車)って環境は、もともと「他人の存在をないものとしている」環境なわけです。他人がいないことになっているなら、ケータイしようが化粧しようが、なんてことはない。

また、個人的に言えば、車内でのお化粧は、いつも楽しく拝見しています。おもろいです。ほほー、あーゆーふーにするわけね、とか、お、化けた化けた。おみごと、とか思いながら、こっそり観察している。お化粧だけではなく、電車内で行われているいろんな行動は男女を問わず面白い。以前は常磐線などの長距離通勤電車は飲酒しながら帰宅する人がよく見られたものですが、今はどうなんでしょう。キオスクで酒、売らなくなりましたしね。あのひとたちを見るのも大好きでした。

そんなことを考えながら、日高さんのブログを拝読。結論は賛同できません(そんなことしたら、ぼこぼこにされるで)が、そこにいたるロジックはなるほど、みなさまさようにお考えであったのか、と。なかでも「不関与の規範」っていう言葉を教えて貰ったのはもうけもんでした。検索してみると、面白い論考がいっぱいある。

「携帯電話バッシング」というページには
『ポケベル・ケータイ主義!』(ジャストシステム)の中で、富田英典氏がこう論じている。電車内という赤の他人が近接する場では、お互いの無関心を装うことによって社会的空間の秩序を保っている。これを「不関与の規範」という。しかし携帯電話で話す人を端から見ていると、一方の会話しかわからないため逆に関心を引きつけてしまい、「不関与の規範」を乱す、というのだ。
ってありました。

ちょっとヒミツがわかったかも。ぼくが(さほど)不愉快でないのは、「不関与の規範」を踏みにじっているからなんですな。声をかけたりはしませんが、密かに勝手に「関与」してます。おっさん、そのネクタイの柄はあかんでしょう、とか、隣の友達の大声の会話に辟易しているんすね、奥さん、とかと、心中、つっこんでいるわけです。だから不愉快ではないんだな、と。スルメの匂いには突っ込みようがないんで、ハラたつんだな、と。酔っぱらいの上司・会社批判は「つっこみがい」がないんで不愉快なんだな、と。

なんだか、ずいぶん反社会的な人間だったわけです。

ただ、この「不関与の規範」ってのも、ホンマにそうだろうか、との疑問がないでもない。電車内での会話で、片側だけの声しか聞こえないことって、ケータイ通話だけでなく、よくあるでしょ。中年のご婦人同士の会話で、そのうちの一人だけがなぜか声が大きく、その人の発言分だけが聞こえてくる。そういう際にも、「不関与の規範」からすると、不愉快を感じるはずですが、とりたててそんなことはないでしょう。「関心をひきつける」ことが「不関与の規範」を乱すなら、むちゃくちゃ美人だとか、すんげえ長身の人とか、塩沢トキ頭とかなんぞが乗り合わせていても、大きく関心をひきつけられちゃいますよね。

「今日、ものすごい美人が乗っててさあ、おれ、不愉快になったよ」

などとは、ほぼ言わないでしょう。なんだか納得できません。

では、ぼくはどう考えるか。

ま、なんの裏付けもない思いつきに過ぎんのですが、こうです。

電車、特に込み合った電車というのは、そもそもが不愉快な場所である、と。だいたい他人同士が狭い空間に閉じ込められて、逃げることもできず、運ばれている。愉快であるはずがないんですね。しかし、たとえば通勤するために、ほかに手段のあるはずもなく、仕方なく乗っている、と。

だから、そもそもが感情の暴発寸前なんです。でもそれを認めることはできない。だって、自分の意志で選び取っている行動ですからね。

そういう状況の中で、何か「見慣れないもの」があると、それに対して不快感が噴出する。潜在的に蓄積していた不快感が出口を見つけるわけです。あ、おれが不愉快なのは、こいつ(ケータイ、化粧、スルメ)のせいなんだ、と。ただそれだけなんだ、と。

どうでしょうか。けっこういいセン行っていると思うんですがね。

で、このイシダ仮説を採用するとなると、「車内での携帯電話の……」ルールに対しても、うがった見方をすることができます。電鉄会社としては、車内に「敵」を作っておくと都合がよろしいでしょう。真実(つまり不愉快の原因は電車そのものにある)に気づかれるおそれが少なくなるからです。一般乗客の敵意がケータイ通話者に向けられる。これはありがたいことじゃないでしょうか。

駅員への暴力行為が多いってことは、よく新聞などでも記事になります。おそらく「客からの暴力をもっとも受けやすい職業」が鉄道職員なんじゃないでしょうか(これも電車内はそもそも不愉快空間であるという前提の傍証になる)。駅なんぞにもチカンと駅員への暴力はだめだ、みたいなポスターが貼ってあります。それだけ多いってことですね。車内に仮想敵を作ることは、鉄道労働者の安全のためにも寄与するかもしれない。

で、ありますんで、鈴木さんも日高さんも、どうかおたいらに、と思うわけです。こういう言い方をすると、お叱りを受けるかもしれませんが、ストレスを真の原因に気づくことなくそれ以外のものにぶちまける行動を一語でいうと「むずかっている」しかありませんぜ。

なお、日高仮説(ケータイの通話相手の音声をスピーカーで「外」に出すことで「不関与規範違反」から免れる)について付記すると、不関与規範説にたっても、その行動が注目を集めることは確実であるが故に反感を買い、イシダ仮説で考えてもむちゃくちゃ見慣れぬ行動だから、鬱憤のはけ口にされてしまう惧れがあります。やめといたほうがええんやないかなあ。

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鈴木雄介さんより
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[2005-11-19]

化粧はやなんですよ

なんと申しましょうか、お化粧のプロセスってのは僕にとってはセックスと同じくらい個人的かつ秘密的なもんという固定観念がありまして、独りで覗き見をするならともかく、他人が大勢居る前でおっぱじめられると目のやり場に困るのであります。だから(他人が大勢居る環境で)そういう行為を俺の目の前でするってのは、なんか無視されてる感じがするのでございます。
電車でいきなりオナニーを始める女(男でもいいけど、男のオナニーは覗き見したくない)が居たとして、やっぱり気になるけどまじまじと見られないし、だいたいこいつはなんでこんなところでオナニーなんか始めやがるんだ、他所でやってくれ、という感じ。
だから新聞読まれても嫌じゃないけど、化粧と口をふさがない大あくびと通勤電車の食事は嫌なんですよ。
あれ?、でも何で長距離列車の食事は嫌じゃないんでしょうかね?、よくわからん。

ただのシロートさんより
ご意見いただきました

[2005-11-21]

でかい声

「不関与の規範」を乱すのは携帯電話だからとか化粧だからスルメだからとかというのではなく、その「質」といいましょうか、例えば、携帯電話で話す時やたらとでかい声の輩が居て、不関与を通そうとするのにすごい労力(ストレス)を感じる、小声で話すのは全然気にならない、化粧はやじゃないですが匂いがいやで、せっかく不関与を決めこんでるのに匂いが来るので、それを我慢するのにすごい労力(ストレス)を感じる。
スルメは大好きですが(以下化粧と同じ)。
美人の場合こちらから関与したいので目立っていても気にならないし、長距離列車の食事は、自分もする行為で「ここはそういう場所」というのがあるから「不関与の規範」とはおそらく無縁でしょか。
一番やなのはやっぱり大声の携帯電話。
元々普通の電話は、話す時に自分の声が通常の会話と同じように耳に入ってこないと不安になるので、わざと自分の声も聞こえるようにしてあったらしい。携帯電話はそれが無いので大声になるらしい。あ、論点違いますか。
電車のオナニー(女性の場合の話)は、自分の方の身体的変化がきそうなので、やっぱり迷惑なのかなぁ。
あ、失礼しました。

piggy-fさんより
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[2005-11-26]

もともと不快だからマナーが気になるという仮説は面白いです

>電車、特に込み合った電車というのは、そもそもが不愉快な場所である、と。

この仮説すごく面白いと思いました。中央調査社というところの車内マナーに関する調査で、田舎より都会の方が車内で不快と感じる人が多いというデータが出ていましたが、仮説の裏づけになるかも、と思いました。(http://www.crs.or.jp/pdf/manner.pdf)

それと携帯電話にしても化粧にしても、「電車の中でしろとは言わない。しかし遅刻するなら事前に電話を。/いつもキレイにしていろ。」という場合によっては矛盾する期待があるから、やってしまうというのもありますよね。化粧についてはこんな言説が。(http://www.ozmall.co.jp/career/ol_manner/manner_1.asp)

ichiroさんより
ご意見いただきました

[2005-11-29]

君の名は説

電車の携帯電話がなぜ不快か? なぜ会話はそんなに気にならないのか? これについては私も以前から疑問でした。
みなさんのやり取りを見て少し考えてみました。

たとえば旅行へ行って、見知らぬ山があるとガイドさんに「あれは何山ですか」と聞きたくなり、聞きます。ガイドさんが「あれは何何山です」と答えてくれるとそれで満足できます。そして関心は次へ移り、その山の名前は翌朝には忘れ去られています。逆に、ガイドさんがいなく、標識もなく、名前がわからないと気になって仕方なく、帰ってから調べたりします。

山に限らず、見知らぬものが見知らぬままであることには漠然とした不安を覚えます。
ちょっと話が飛んでしまいますが、人間というのは、生きていくうえで未知なるものを許せないのではないでしょうか。どんな屁理屈を付けてでもいいから、自分の持っている認知マップの中に落とし込まないと落ち着かないのです。

電車の中の携帯電話では一方の会話しか聞くことができず、全体像が見えないために落ち着かなくなるのです。
おばさん同士の会話では小声のおばさんのアクションや表情が見えればなんとなく会話が把握できるのでいいですが、離れていて大声のおばさんの声しか聞こえないとなると携帯電話と同じ不快感が生じます。

携帯オーディオもシャカシャカだけだと非常にイライラしますが、あややだとわかると、「いい年こいてあややなんか聞いてるよ」で安心できます。

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