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[第15章●その他よしなしごと] 23… 車内での携帯電話の 2 |
[2005.11.16登録] |
石田豊 |
前回に引き続き、ルールと善悪がらみの話をしたいと思います。どこが「デジタル/シゴト/技術」なんじゃい、と突っ込まれそうですが、ぼく自身の中ではどっかでけっこう結びついています。 つい先日、高校生が母親に毒を盛るという嫌な事件がありました。報道によると、加害者は相手に憎しみを抱いたりしていなかったということなので、なおさら苦い気持ちになります。 ただ、この事件の中で、誰がもっとも「悪い」かといえば、高校生に毒物を販売した薬局の店主であることはあきらかでしょう。毒劇物を扱っているということは、とりもなおさず、薬局ということで、ということは、店主は薬剤師という専門職です。 毒劇物は未成年には販売してはならず、成人にたいしても使用目的を聞き、捺印を要求するというルールになっています。くだんの薬局の店主は高校生とは顔見知りで「高校の化学部で使うのかと思った」という理由で販売しています。購入にあたっては、高校生は自分の名前、はんこを提示しているとのこと。 社会の中には、いろんな人間がいます。中には人を傷つけることに快感を抱くような性癖をもつ人もいれば、放火の衝動が抑えられないという人もいるでしょう。刑罰を重くしたり、教育カリキュラムをかえたりして、そういう行動の芽をつもうという努力はもちろん重要ですが、何をどうやったって、そういう人間をゼロにすることはできないでしょう。 平均値から大きく逸脱しているものを「異常」と呼ぶなら、そういう人たちは異常以外の何者でもありません。しかし「異常」であるから予防的に社会から排除していいわけではないですわな。そんなことをすれば、最後には誰も残らなくなる。ぼくもあなたも、みんな平均から逸脱しているわけで、排除を続けていけば、誰もが徐々に「平均から大きく逸脱する」人間になってしまうからです。 なにも人権がどうのこうのというレベルの話ではなく、「自分の安全を守る」ということをプラグマティックに考えたら、そうなります。 ですんで、取りうる策はたったひとつです。ヘンなヤツがヘンな行動を起こしても、大事にいたらないシクミを作っておく。すなわちフェイルセーフですな。機械は壊れる。人間もまた壊れる。壊れるものだという前提で壊れた時の被害が最小限ですむように、あらかじめ防御機能を織り込んでおくことでしょう。 毒劇物を薬剤師等にしか販売させないというのも、こうしたフェイルセーフの一環です。人を毒殺したいなんて思う人がでてきても、そうした行動が容易にとりえないように防御壁を設けておくわけです。どんな防御壁も完全ということは、ありえないでしょうし、この場合、「毒劇物は成人に、ハンコで」という具体策が効果的であるかについても議論はあるでしょう。しかし、防御壁のひとつとして、このシクミが存在していることは確かです。 社会を守るために設けられているのが(薬剤師をはじめとする)各種専門職です。資格の審査があり、専門知識の試験をへて、専門職は誕生します。そしていろんな便益が供与される。それは、社会防衛にたずさわることへの反対給付ですね。 今回の事件はそのフェイルセーフ機能がまったく働いていなかったのが直接のきっかけになっているわけですから、「悪い」のはあの薬局の薬剤師です。モザイク付きではありましたがニュースショーのインタビューに出てました。その薬剤師さん。ええんか? そんな他人事で。 いえ、何もぼくはその薬剤師を弾劾したいわけではないんです。薬剤師に限らず、この事件で誰を弾劾したいわけでもない。だって、ぼくは関係者でもないし、事情を把握しているわけでもないし、専門知識もない。ただ、この事件の報道を読んで「こりゃいちばん悪いのは薬剤師だわなあ」と思っているだけ。 この「善悪判断」ってのは、なにもぼくだけのものではなく、かなり多数の人がそう考えているんじゃないかなあ。だって、あたりまえですもん。 しかし、この意見はマスコミ、たとえばテレビのニュースショーで開陳されることはありません。なぜなら「薬剤師が逮捕・起訴されていない」からですね(逮捕・起訴されてなくても、内部情報で警察がその方向で動いていることがわかっているという場合も含む)。 逮捕がトリガーになっているということに問題がないわけじゃありませんが、「司法当局の判断に従って報道する」という態度自体は悪いこっちゃないと思います。マスコミが独自の判断で「あいつがやった」なんて書くのは、マズい。大袈裟にいうと、「法によってしか裁かれない」と定めた憲法に違反します。まあ、これも河野さん効果なのかもしれませんが、「逮捕もされていない個人に対して非難がましいことはいっさい言わない」というのが最近のマスコミの姿勢のようです。 われわれが日常生活の中で実際に経験する「善悪」はちっせえことがほとんどです。おでんの卵を2つくっちまって「あ、わるいわるい」とか。本格的な善悪はテレビのニュースショーや新聞紙上で繰り広げられる。新聞はまだしも、テレビってのはきわめて油断して見ているため、ついつい「善悪の判断」まで受け入れがちになるんですね。 「悪いやっちゃなあ、こいつ」ーー容疑者は犯行を否認しておりーー「むむ、ここに及んでまだしらを切るか。ふてぶてしいやつめ」なんてふうに。 われわれが世の中の事象に対して善悪を判断するのは、人を「裁く」ためではなく、自分の(将来の)行動の指針とするためでしょう。 その場合は、逮捕されるかどうか、あるいは刑事罰の対象になるかどうかは、必ずしも本質的な問題ではありません。それが毎日毎日新聞やテレビを見ていることで、なんだかごっちゃになっちまうんではないか、と思うんです。 それが車内ケータイ問題と、どこまで関係あるかはわかりませんが。 |
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