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[第15章●その他よしなしごと] 12… 座右の銘 |
[2005.03.06登録] |
石田豊 |
日頃お世話になっている人に自著を献本しようとしたところ、おなじくれるのなら見返しに座右の銘を書いてくれとの要請があった。 さあ、こまった。 まず、悪筆であるから人様に手書き文字を示すのは心が重い。それに座右の銘って言われてもなあ。あんのかおれに。 松沢呉一さんにもらった本には大根の絵と「夕方起きても朝立ち」という言葉が毛筆でしたためてあった。武者小路実篤みたいでなかなかかっこいい。 むかし平野甲賀さんに無理におねだりして書いていただいた色紙には「文字の力」。これは家宝である。 しかしぼく自身は、と顧みると、書くべきことばを思いつかない。仕事上で迷ったりした際にひとりごととしてツブやくのに「おなじやるなら手間ひまかけて」ってのがあるが、これは銘というより標語だし、それに出典もあきらかではない。大昔の上司の口癖。影響受けました。 故事成語系で好きなのには「呉下の阿蒙にあらず」だが、これは座右の銘ってわけじゃないし、なんといってもそんなこと書いたらエバってるように思われる。 「天網恢々粗にして漏らさず」「天知る地知る我が知る」このふたつは自戒のコトバとしてよく口にだすが、座右の銘としてはいささかかっこわるいようだ。 「棚からぼたもち」「濡れ手に粟」。両者とも日頃夢見ていることでもあり、同時によく口に出して言うフレーズでもあるのだが、書いたりすると卑しく響くだろう(ま、卑しいんだからしょうがないとは思うが)。ちなみにぼくの中では「棚からぼたもち、濡れ手に粟、鯛やヒラメの舞い踊り」というセットになっているのだが、最後のが何でこのセットに参加したのかどう考えてもよくわからん。だいいち、意味が通じない。しかし、いつもこれがセットなのね。たぶん「最上級のよろこび」を表現するオドリ付きというココロなのだろう。この筋では「一攫千金」「一石二鳥」というのもエエ言葉ですなあ。「ぼろ口」ってのもいい。思わず頬が緩む。 自分自身への景気付けでよく口走るのが「天気晴朗ナレドモ波タカシ」。日本海海戦やね。これは何かに取りかかろうとする時に口に出す。「よっしゃあ、行こう。天気晴朗ナレドモ波タカシや!」という具合。このフレーズに意味はない。雰囲気だけ。 「チャンスは前髪つかめ、後ろははげている」(byレオナルド・ダ・ビンチだとか)も好きだけど、ぼくの場合実践がまったく伴っていない。あ、あのときやってればと後でクヨクヨ思うタイプ。人様に申し上げる資格がない。 川柳系では「背伸びして まだ足りないで 口あける」というのがいちばん好き。人だかりの輪の外側で背伸びしているいささか脳の温かい男の立ち姿が目に浮かぶ。自分自身の姿でもある。しかしこれはまったく「座右の銘」には関係がない。人だかりといえば、常用しているのが「ヒトヤマノクロダカリ」なんだけど、これは単なる駄洒落である。 川柳では古今亭志ん生の 干物では サンマはアジに かなわない あるいは 借りのある 人が湯船に つかってる というのも捨てがたい。どちらも人生への深い省察を含んでいる。 なんだか知らないのに口に出してしまう言葉としては「ラーメン煮えたもごぞんじない」「おせいどんアドベンチャー」がある。どちらも田辺聖子の本のタイトルだけど、なんだか口に付く。うっかり鍋を煮立てちゃった時には必ず心の中で「ラーメン煮えたもご存知ない、ってか」と微小に反省するし、アドベンチャーないしは冒険という言葉を聞くと、反射的に「おせいどんアドベンチャー」がわき上がってくる。まるで小学生である。同様に「アウトリガー」。作業中のクレーン車などを安定させる脚の名前だが、言葉の響きだけでなんだか幼稚園児的に好きだ。深夜など、ふと声に出して呟いたりする。勇気百倍とまではいきませんがね。ま、こういうのも「人生のよすが」として使わしていただいている以上「座右の銘」と強弁できなくもあるまい。 書物で読んで印象に残り、その後の人生に大きく影響したことばのひとつが山下洋輔の「白目バカはついに怒った」。自分で怒ったりしたときにも後でその言葉をつぶやくし、人が激怒しているのを見ている時にもこう思う。人が怒っているとき「白目バカはついに怒った」とみなすと、対応がしやすくなる。たとえばツマがぼくの所行に対して怒り狂っている時に「お、白目バカはついに怒ったか」と思うわけだ(けっして口に出してはいけないが)。そうすることで感情的に反論してしまうことが少なくなる。すまんすまんと心から謝れる。だって相手はついに怒りを発した白目バカなのである。謝るしかないじゃないか。 なんだかなあ、ピリっとした言葉を知らんのか、と情けなくなる。根っからの散文人間なんだろうかね。 と考えているうちにまさに「座右の銘」的に自分に向かっても自分のスタッフに向けてもいう言葉があったことに気がついた。おそらくこれがぼくの座右の銘なのであろう。 心配すな 安心すな ずいぶん前のダウンタウンの番組内の会社コントで社長の机の後ろに掲げられていた標語。その番組自体はすっかり忘れてしまったが、この言葉だけは妙に残っているし、その後多用を続けている。 これかもしれん。が、浜田氏(が当該コントの社長役であった)たちのことをあんまり好いていないので、こういうのは書いちゃいかんかなあ。 ツマが帰ってきたので、ぼくの常套句を尋ねてみたところ、「下手な考え休むに似たり」ってのと「山よりでっかいシシは出ん」というのを上げた。いろんな時にそれを言うという。確かにこれもよく使う。他人に向かっても自分に向かっても。「心配すな、安心すな」の前半部分にウエイトを置いた時に使ってるんでしょう。 「自分で考える」ってのもよく言うし、よく思うな。これは「後半部分」。自分で考えるというのは実に難しいもんで、なかなかできるもんじゃない。ついつい「自分で」部分がおろそかになる。あかん、自分で考えなきゃ、と自戒するわけ。ってことはこれも座右の銘ですかね。 ツマはなおも「言うだけはタダ」ってのも常用していると証言する。これは否定的にも肯定的にも使うね。人に何か理不尽な(あるいはピントのずれた)批判をされたとき「ま、言うだけはタダやしね」と心中で受ける。逆に新しいアイデアや方向を思いついた時には「言うだけはタダやしゆーとくけど」ととりあえず口に出してみる。ぼくの中では「作ってナンボ」「やってなんぼ」と対をなしている座右の銘であるのかもしれない。 どうもこれだというのが定まらない。そこでものは相談なんですがM.Iさん。もしここをご高覧いただいておりましたら、何卒上記粗案のなかからひとつ選んでやってくださいませんか。みこころのままに書かせていただきます。 |
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M.Iさんより [2005-03-06] |
宝物になります いやはや。我ながら本当に厚かましいお願いをしたものです。このページを見たツマに「じゃ、あなたの座右の銘は?」って聞かれて「・・・」と絶句してしまう人間がするお願いではありませんでした。石田さんがあげてくださった座右の銘候補はどれも含蓄があって多いに迷っております。中でも「自分で考える」はワタシもよくおもうことなので「よし、これでお願いしよう」とおもいつつ、前著の「もったいないのココロ」を読み返していてぴったりのコトバをみつけました。3章のタイトル「調べ遊び考える葦」です。まさしくワタシのイメージする石田さんであり、少しでも近づきたいワタシの座右の銘となるものです。ぜひ「調べ遊び考える葦」でお願いします。発送するのもお手間なのに、時間も頭も使わせてすみませんでした。宝物になります。ありがとうございます。 |
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