幻のアフリカ旅雑誌企画 [北尾トロ 第14回]
「アフリカの雑誌をやりたがっている人がいるんだけど会ってみない?」
1985年の3月頃、デザイナーの友人から電話がかかってきた。海外なんて学生時代にインドへ旅行したことしかないが、こっちはおもしろそうな仕事に飢えている身 [...]
パイン事務所での暗黒時代 [北尾トロ 第13回]
パインの事務所では月刊誌の「ロンロン」に加えて、パソコン周辺機器のムック製作が始まった。当時はまだパソコンそのものが一般的になりつつあった頃で、この手のカタログ的なものにも需要があったのだ。いち早くパソコンを使いこなして [...]
等身大パネルと愛の暮らしを [北尾トロ 第12回]
いつものようにアートサプライ内のパイン事務所でうだうだしてると、増田剛己がやってきて仕事の話があるという。
「最近知り合ったムサシっていうエロ本の編集者から、何かやってよって言われてるんだよ。一緒にやんない?」
「ほぅ、 [...]
合格電報屋で一稼ぎをもくろんだ [北尾トロ 第11回]
アートサプライの事務所は四谷と半蔵門の中間にあり、食事処には不自由しなかったが、決して安くはなかった。そこで、少しでも食費を安く上げたい駆け出しライターたちは、上智大学の学食によく足を運んだ。ここなら300円もあればまと [...]
ほろ苦い焼き鳥の味 [北尾トロ 第10回]
1985年になっても代わりばえのしない日々が続いていた。1月、ぼくは27歳になったが、それで気持ちが変化するわけでもない。唯一の趣味であり、かつては生活費稼ぎの手段でもあった競馬は、資金難のため当分封印。週に3日ほど四谷 [...]
四谷の間借り事務所に通い始めた [北尾トロ 第9回]
そうか、下関マグロ(増田剛己)は失業保険をもらっていたのか。前回の原稿を読むまで、そんなことはすっかり忘れていた。いまどうやって食いつないでいるかというのは切実なことではあるのだが、会社員経験がないぼくには関係のない話だ [...]
借金して吉祥寺に引っ越した [北尾トロ 第8回]
いたいだけいていいよと言ってくれたからといって、2カ月半は好意に甘え過ぎである。出て行ってくれとパインに言われるのも仕方なかった。新しい住処を見つけなければ。
さりとて引っ越し資金などあるはずもなく、借りるアテは親しかな [...]
フリーライター初仕事と居候生活 [北尾トロ 第7回]
名刺を作ったからといって、すぐに仕事があるわけでもない。編プロのバイトをやめるついでにライターを名乗ったようなもので、計画性もなければ具体的なアテもなかった。さらに金もない。手元にあるのはイシノマキから最後にもらった給料 [...]
フリーライターの名刺を作ってみた [北尾トロ 第6回]
3カ月働いたところで、やっとイシノマキを辞めることが了承されたものの、ふたつ条件があった。
ひとつ目は、他の編集プロダクションに行かないこと。社長はぼくがどこかの編プロに入り直す気でいると疑っていたのである。
「うちにき [...]
イシノマキの過酷な支払いシステム [北尾トロ 第5回]
カメラマンのアゴから大粒の汗が流れ落ちていた。そばにいるライターも、まともに顔を上げることができない。シンとしてちゃあダメだということはわかっていて、「その調子!」「そうそう、その感じ」と意味もなく明るい声は出ていても、 [...]
スカスカのアドレス帳 [北尾トロ 第4回]
だがそうはならなかったのである。初めてアルバイト代をもらったとき、これでやめさせてくれと社長に言ったところ、機関銃のようなトークで引き止められ、もう少し続けると答えてしまったのだ。
「どうしたの。理由があるでしょ、言って [...]
離れがたきナナオ設計 [北尾トロ 第3回]
「はい、もうすぐ中に入るから急いで作業服に着替えて」
イシノマキでアルバイトを始めて半月ほど経った金曜日の深夜12時前、ぼくは丸ノ内線茗荷谷駅の近くに止めたハイエースの車内で、あわただしく着替えをしていた。軍手をはめて、 [...]
編集者になれるとはとても思えない [北尾トロ 第2回]
翌日から、編集プロダクション(以下、編プロ)イシノマキでの仕事が始まった。初仕事は原稿の受け取りで、K出版社の編集者がアルバイトで書いているオーディオ関係のコラムを取りに行き、小学館の『GORO』編集部まで届けるというも [...]
序章 [北尾トロ 第1回]
大学3年末の試験が終わってすぐ、生まれて初めての海外旅行でインドへ行き、すっからかんになって帰国。そのまま九州の実家に転がり込んでしばらく過ごした4月初旬、ひとり暮らしをしていた阿佐ヶ谷のアパートに戻り、2カ月ぶりで大学 [...]