2009-06-29
編集者になれるとはとても思えない [北尾トロ 第2回]
翌日から、編集プロダクション(以下、編プロ)イシノマキでの仕事が始まった。初仕事は原稿の受け取りで、K出版社の編集者がアルバイトで書いているオーディオ関係のコラムを取りに行き、小学館の『GORO』編集部まで届けるというもの。いわゆる“お使いさん”である。
わざわざ原稿を取りに行っていたのはファクスが普及していなかったからで、まだ編プロにもなかったと思う。ファクスはその後数年で出版業界人には欠かせないものとなるのだが、この頃まで、原稿は取りに行くなり届けるなり、直接やり取りするのが普通だったのだ。
K 社の編集者に会うと、まだ原稿はできておらず、喫茶店に誘われた。「コーヒーでいい?」と言われて頷くと、彼は「いま書くから悪いけど待ってて」と言い、原稿用紙を広げて資料を見ながらその場で書き始めた。2Bか3Bの太い鉛筆。丸っこい字がサラサラと升目を埋めてゆく。原稿用紙は200字詰めのペラと呼ばれるものだ。へぇ〜凄いな、喫茶店で、しかも人の目の前で原稿を書くなんて、ぼくには真似できそうにない。
「はい、できました。これを『GORO』の○○さんに渡してくれればいいから」
4、5枚の原稿用紙を揃えて袋に入れると、K社の編集者はひとつ大きなアクビをした。そして、ぼくが新顔であるのを思い出したのか、タバコに火をつけながら、イシノマキは人使いが荒いから大変だぞと笑った。
会社に戻ると、松山さん(仮名)という先輩編集者に食事に誘われ、イシノマキのことをあれこれ教えられた。松山さんは2年ほどここで働いているらしく、実務でわからないことがあったら自分に聞いてくれと言ってくれた。親切な人だと思ったが、その後は忙しいとか給料が安いとかのグチが続き、なんとなく湿っぽい。社長を始めとするイシノマキの社員のこととか、そういう話も出たが、腰掛けアルバイトの意識しかないぼくにはどうでも良かった。
しかし、そうは問屋が卸さなかったのである。2日目には早くも男性誌向きの企画提出を求められ、それまで松山さんがやっていたと思われる仕事のほとんどが、ぼくの担当ということになってしまったのだ。
「松山にはもっと大きな仕事を受け持ってもらうことにしたから、若者向き雑誌全般は伊藤君がやってくれ。なに、すぐに慣れるよ。最初は戸惑っても、ひととおりやればわかってくる。松山はもうじき30歳だから読者の年齢とズレが出てくるでしょ。こういう雑誌は、読者と同年代の編集者が作るほうがいい。それは君にもわかるでしょ」
社長の説明にはそれなりの説得力があったけれど、だからといってそれをド素人のアルバイトにやらせていいのか。疑問を感じつつ、他に適当な人材がいないこともわかる。ぼくは「はあ」と力なく頷き、自分の席に戻って社長が言った雑誌名を書き出してみた。
『スコラ』、『写楽』、『GORO』、『週刊プレイボーイ』。このうち、『GORO』は原稿の受け渡しのみ、『写楽』は写真展などの情報ページを整理するだけだから何とかなりそうだった。また、『週刊プレイボーイ』はレギュラーではなく単発の仕事で、これも基本的にお使いさん仕事だろう。そうなると、メインの仕事は『スコラ』ということになりそうだった。イシノマキでは月に2回発行される『スコラ』で、ほぼ毎号4、5ページの記事を請け負い、企画からデザインまで担当しているのだった。
「で、ぼくは何をどうすればいいんですか?」
松山さんに尋ねると、まず企画をいくつか考えて『スコラ』の宇野さん(仮名)という担当者と打合せをし、やることが決まったら具体的な内容を考えて宇野さんの了解を得るのだという。
「そこからライターやカメラマンを決め、取材に入るわけです。人物取材をするなら人を捜してアポイントを取る。込み入った撮影のときはスタジオを借りたりスタイリストに依頼したりしますが、『スコラ』に関しては、そういう企画はないでしょう。で、取材が終わったらデザイナーとデザインの打合せをします。そして文字数を出し、ライターに書いてもらう。赤入れといって、書いた原稿をチェックするのは編集の仕事。ここまでやって素材が揃ったところで宇野さんに届ける。そのうちゲラが出ますから、確認作業をしたら終わりです。うちの担当は毎号5ページくらい。月に2本やれば、初心者には十分忙しいですよ」
赤入れ? ゲラ? 説明された半分も意味がわからなかったが、とりたてて鋭さの感じられない松山さんがやれていたのなら何とかなるだろう。ぼくは『スコラ』を見ながら何本かいい加減な企画を考え、挨拶がてら宇野さんのところへ行ってみることにした。
『スコラ』編集部は青山一丁目のツインタワービルにあり、薄汚い格好で入っていくのは気が引けた。編集部では皆急がしそうにしていて取りつくシマがない。ぼんやり立っていると、ぼくと同世代くらいの若い男が不審そうに寄ってきた。
「何? 誰のとこにきたの」
「あのー、イシノマキですけど宇野さんいますか」
「宇野さんね、いるよ、宇野さーん!」
奥からのそりと出てきた50代くらいの宇野さんは、見るからにやる気の感じられない人だった。でも、それはどうでもいい。話すこともないので、いきなり企画の話をする。
東京の落書きアートを大量に撮影して一挙掲載、思わぬ女優がヌードを披露している映画の濡れ場研究。持参したメモを見て、しどろもどろになりながら説明した。が、宇野さんの顔色はみるみる曇る。
「そんな思いつきのメモじゃだめなんだよ、企画書はないの」
へ、企画書? そりゃ何だ。
「そんなことも教えてもらってないのか。アイデアだけあっても、どういう構成にするかわからなきゃしょうがないでしょ。まあいいや、濡れ場研究ねぇ、おもしろそうではあるけどさ」
「そうですか、おもしろそうですか」
このおっさん、小言も言うが興味を持ってくれたようだ。まいったなあ、企画が通ったらいろいろ調べなきゃならないぞ。スチール写真とかってどうすれば貸してもらえるのかなあ。映画会社とかまわるのか。嫌な顔されそうだが、そこは気力でなんとか……。まだビデオのレンタルショップもない時代だった。
「ハァ〜、ところでさ」
宇野さんが深い深いタメ息をついた。
「キミ、新人らしいけど、イシノマキがどういうページを担当してるか知らずに来たみたいだな。あのね、イシノマキがやってるのはタイアップ企画なんだよ」
「タイアップ? タイアップって何ですか」
「ハァ〜。それも知らないの? タイアップってのは、たとえばどこかのメーカーから広告費をもらってこちらで読者が喜びそうな記事を作り、新製品の宣伝をするようなページ。濡れ場研究の出番はないね」
松山さ〜ん、それ教えといてよ!
「次号はスピーカーのタイアップ。はい、これがカタログ。よく見て読者が喜びそうな企画を明日までに考えてきて。ページ数は5ページ、モノクロ。じゃあ、ぼくは仕事があるからこれで」
資料を抱えてツインタワービルを出た。タイアップか。なんじゃそりゃ。しかし面倒くさいアルバイトを始めちゃったもんだな。イシノマキへ戻ったぼくは、見よう見まねで人生初の企画書を書き始めた。
<カノジョの股間にビンビンの重低音を響かせろ!>
……疲れるなァ。
この連載が単行本になりました
さまざまな加筆・修正に加えて、当時の写真・雑誌の誌面も掲載!
紙でも、電子でも、読むことができます。
昭和が終わる頃、僕たちはライターになった
著●北尾トロ、下関マグロ
定価●1,800円+税
ISBN978-4-7808-0159-0 C0095
四六判 / 320ページ /並製
[2011年04月14日刊行]
目次など、詳細は以下をご覧ください。
◎昭和が終わる頃、僕たちはライターになった
【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった
電子書籍版『昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』も、電子書籍販売サイト「Voyager Store」で発売予定です。
著●北尾トロ、下関マグロ
希望小売価格●950円+税
ISBN978-4-7808-5050-5 C0095
[2011年04月15日発売]
目次など、詳細は以下をご覧ください。
◎【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった