2009-10-05

四谷の間借り事務所に通い始めた [北尾トロ 第9回]

そうか、下関マグロ(増田剛己)は失業保険をもらっていたのか。前回の原稿を読むまで、そんなことはすっかり忘れていた。いまどうやって食いつないでいるかというのは切実なことではあるのだが、会社員経験がないぼくには関係のない話だったので、聞き流してしまったのだろう。

引っ越しして電話が復活したため、八重洲出版という会社で働く大学時代の友人から連絡がきた。

「ライターになったんだってな。仕事はあるのか」

「ない。毎日ぶらぶらしてる」

「そうか、じゃあオレんとこで仕事しろよ」

持つべきものは友である。『ドライバー』の編集をしているヤツは、すぐに仕事を与えてくれた。

「オレも駆け出しだから割のいい仕事は提供できないけど、大井競馬場でイベントがあるから、行って適当に記事にしてくれたらギャラは払う。安いけどな。その代わり、たぶん記念品とかくれるから。交通費や食事代も出る。やるか?」

う〜ん、微妙な仕事だ。でも、車に詳しくないぼくに与えられる仕事はそんなものだろう。贅沢は言っていられない。大井競馬場まで行くと、それはカー用品か何かの新商品発表会で、借りてきたカメラで写真を撮ってしまえば取材は完了。資料と記念品のタオルをもらったらおしまいだった。ぼくは競馬場の近くで昼食を食べ、短い原稿を喫茶店で書いて編集部へ持っていった。この友人はその後も、無理のあるファッション企画を立ててぼくに書かせてくれたりしたものだ。

大学時代のゼミ仲間でPR関係の仕事に就いていた別の友人からは、女性誌の編集をしているプロダクションを紹介してもらった。自分は忙しくなったので、後を引き継いでもらえないかという話だ。実際はどうだったかわからない。姉御肌の女だったので、そういう言い方でぼくに仕事を振ってくれたのかも知れなかった。ここでも大して役に立つ働きはできなかったが、PR雑誌の小さなコラムを書かせてくれ、その後も増田君を紹介したりして長いつきあいをしていくことになる。

しかし、単発の小さな仕事だけで食べていくことは不可能だ。この業界は支払いも遅い。虎の子の資金はみるみる減っていくばかりである。

そんなとき、パインから連絡があった。四谷にある編集プロダクションに机が借りられるから、そこを事務所にして働かないかという。パインはそこの社長と知り合いで、新雑誌の編集を請け負うため、家賃も不要らしい。断る理由はなかった。

その編プロはアートサプライというところで、社員も数十名いてイシノマキよりずっと大きかった。パインが奪取したのは広い事務所の一角にある机5つほどのスペース。参加メンバーはぼくの他に伏木君、イシノマキ時代から知り合いの歳下ライターの坂出君など。増田君や、当時周囲にいた駆け出し連中も顔を揃えていた。いってみればパイン軍団みたいなもの。有象無象の衆であれ、パインにとってはこれだけの若いスタッフを集められることが重要だったのだろう。

が、ここでおもしろいことが始まったかと言えば、そうじゃなかった。請け負った新雑誌は『ロンロン』なるパソコン誌だったからだ。当時はパソコン関係の新雑誌が続々登場していた時期。パインの得意分野でもある。だけど、ぼくにできそうなことはほとんどない。そのため、主要な記事はパインや彼の仲間であるライターが執筆し、駆け出し組はカタログページを作ったり、超初心者向きのレポート記事を担当した。それさえできないパソコン音痴のぼくは、もっぱらキャプション書きやお使いである。

それでも家に閉じこもっているよりは全然良かった。仕事は楽しくなくても、アートサプライに行けば誰かいるからだ。でも仕事はヒマなので、ほとんど雑談ばかりで時間が過ぎていく。最初は愛想の良かったアートサプライの人たちも、パインチームの大半が雑魚の集まりだと気がついたのか、何も構ってくれなくなる。一方で、若い連中の中には話に入ってくるヤツもいてダメ菌が伝染。しょーもない雑談は少し控えるようにとパインに叱られたりした。そういうときは外に出て飯を食べながら延々と話し込む。行くのは安くて量が多い店。ぼくはその頃、一日一食か二食の生活だったから、味より胃袋を満たすことが先決だったのだ。

年末が近づくにつれ、いよいよ懐が寂しくなってきた。かくなる上は、有馬記念で勝負に出るしかない。競馬の負けは競馬で取り戻すのだ。本命が確実視されているのは史上最強の誉れ高きシンボリルドルフだったが、ぼくが大好きなミスターシービーも出走を予定している。そこで、オッズは安いが両馬の枠連とミスターシービーの単勝に、有り金15万円注ぐことにした。大儲けはできないが、まず負けは考えられない。確実に資金を増やし、年明けの金杯からまた頑張ろうと思ったのだ。

ところがミスターシービーが伏兵カツラギエースに交わされて痛恨の3着。中山競馬場で大声を出していたぼくは、冷たい座席に腰を下ろし、ショックで動けない事態になる。親に借りた金を、こんなことで使ってしまって、オレはなんて情けない息子なんだろう。ライターなんかやめて、新聞広告でまともな働き口を探したほうがいいのでは。

殊勝な気持ちは長続きしなかった。吉祥寺に戻る頃には、嘆いていてもどうにもならん、年末に帰省する金を何とかしなければと現実路線に頭が切り替わり、催促がうるさくなさそうな友人に借金申し込みの電話ラッシュである。仕事の営業はしないのに、こういうことだけ迅速なんだからしょうがない。

往復の交通費だけ確保し、クリスマスは寝て過ごした。実家に戻ると「あんた、痩せたね」と母に言われた。数年後に聞いたら、貸した100万円について一言も触れなかったのは「聞くといやな気分になりそう」だったかららしい。

この連載が単行本になりました

さまざまな加筆・修正に加えて、当時の写真・雑誌の誌面も掲載!
紙でも、電子でも、読むことができます。

昭和が終わる頃、僕たちはライターになった


著●北尾トロ、下関マグロ
定価●1,800円+税
ISBN978-4-7808-0159-0 C0095
四六判 / 320ページ /並製
[2011年04月14日刊行]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

電子書籍版『昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』も、電子書籍販売サイト「Voyager Store」で発売予定です。


著●北尾トロ、下関マグロ
希望小売価格●950円+税
ISBN978-4-7808-5050-5 C0095
[2011年04月15日発売]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった