2009-07-13

離れがたきナナオ設計 [北尾トロ 第3回]

「はい、もうすぐ中に入るから急いで作業服に着替えて」

イシノマキでアルバイトを始めて半月ほど経った金曜日の深夜12時前、ぼくは丸ノ内線茗荷谷駅の近くに止めたハイエースの車内で、あわただしく着替えをしていた。軍手をはめて、ヘルメットを装着したら準備完了。作業に必要な荷物を運ぶ段取りはすっかり板についている。

仕事の内容は単純だ。終電が行ってから始発が走るまでの間に、駅構内から線路に降り、地盤沈下を調べるための測量と、壁面のクラック(ひび割れ)調査をするのだ。測量は社員がするので、アルバイトの仕事は、ミリ単位で刻まれた板を、指定の場所に立てて持ち、手持ちのライトで照らすこと。クラック調査は、壁面に走るひび割れに沿ってチョークで線を引くこと。これは、ひび割れの太さごとに赤、青、白と色を変える。たまに工事車両が通るくらいで危険は少ないし、誰でもできる簡単な仕事だった。進む距離は一日に500メートル程度。これを月曜日から金曜日まで、毎晩続けてゆく。実労時間はせいぜい4時間だったが、拘束時間がそれなりにあるのでアルバイト代は4千円ほどと割がいいので、学生時代からずっと続けている。社員や他のアルバイト連中ともすっかり顔なじみだから気楽なものだ。

仕事が終わるとハイエースに乗り込み、ラーメン屋や牛丼屋で夜食を食べてから会社へ戻る。さっさと着替えて電車に乗れば、午前7時前には家に帰ることができた。でも、イシノマキとの掛け持ちで疲れ切っているぼくにはそんな余裕がない。

「じゃあ帰るからよ。伊藤君、戸締まり頼むな」
「へーい」

社員が引き揚げた後、シャワーを浴びて買い置きしてある新しい下着に着替え、仮眠室に布団を敷いて横になると、たちまち深い眠りに引きずり込まれる。9時には設計部の社員がきて仕事を始めるので、睡眠時間は3時間しかなかった。

「なんだ、伊藤君また泊まりか。もう、ここの社員になったほうがいいんじゃないの?」

寝ぼけ顔で歯を磨いていると、ぼくと同時期にアルバイトを始め、いまは経理部の社員になった浜田さん(仮名)が話しかけてくる。ナナオ設計(仮称)というこの会社は面倒見がよく、長くアルバイトをしているフリーターにはたいてい社員にならないかと声がかかった。小さいけれども家族的な雰囲気で、会社の補助で専門学校に通い、測量部の社員になったヤツもいる。

「いやぁ、ぼくはいまのままでいいっすよ」
「なんか、他にもバイト始めたらしいじゃない。あのナマケモノが朝から夜中まで働いて、どうしちゃったんだろうって主任が心配してたよ。ギャンブルで借金でもこしらえてるんじゃないかって。もしそうなら、ぼくは多少の貯金があるから相談に乗るよ」
「いやいや、なんとかなってますから」
「でも伊藤君、痩せたね。頬がこけてるよ」

ぼくよりいくつか年上の浜田さんは本当にマジメで、自分はナナオ設計に拾ってもらったんだから会社のためにがんばると、出社時間より早く来ては密かに部内の掃除をするような人だ。そんな人柄にひかれたのか、測量部の作業着の洗濯などの雑務をしている女性が浜田さんに惚れ込み、密かにつき合っているのを、ぼくは知っている。会社の近くにある浜田さんのアパートに遊びに行ったとき、いずれは結婚するつもりで金を貯めていると打ち明けられたことがあった。そんな大切な虎の子を、貸そうかと言ってくれる浜田さんの人の良さに半ば呆れながら、ぼくは慌てて首を振った。

イシノマキで働きながらナナオ設計のアルバイトをやめないでいる理由は二つある。ひとつは、金がないため。まったく貯金がなかったので、イシノマキの給料日である月末まで持ちこたえられない。その点、ナナオ設計は週給制で都合が良かった。

もうひとつの理由は、イシノマキでのアルバイトを長くやる気がなかったからだ。成り行きで始めてはみたものの、編集の仕事は忙しいばかりでそれほど楽しくはなかった。

要領が悪いせいもあって常に時間に追い立てられるので、自分の部屋にさえ帰れないのがつらい。夜の11時すぎまでジタバタ動き回り、ナナオ設計の現場に直行。この半月、部屋にいたのは日曜日だけ。貴重な休日も洗濯など身の回りのことで終わり、夜になって映画を見に行くのがせいぜいだった。

それはいい。たいした仕事もしてないのに時間がないのは能力が低いためなんだから。困るのは馬券の検討をしているヒマがないことだった。大学時代の後半から、ぼくの生活は週末の競馬を中心に回っている。月曜に『週刊競馬ブック』を買い、週の半ばからは調教タイムなどをチェックしてレースに備えるのが常。そして枠順が発表された金曜と土曜の夜は、専門紙片手に数時間かけて買い目を決めてゆく。土日は競馬場まで足を運ぶことも多かった。

そのリズムが、イシノマキに行きだしてからすっかり崩れてしまった。金曜の夜にじっくり馬券の検討ができず、土曜の競馬は仕事の合間にメインレースを買うのがせいぜい。日曜日は昼まで寝ていて、午後のレースを買うのがせいぜい。それも新宿の場外馬券場で済ませている。これまでソコソコ当たっていた馬券の成績は、このところ急降下していた。

アルバイトごときで、最大の楽しみを失うわけにはいかない。そう考えると、ぼくに合っているのはイシノマキよりナナオ設計。1カ月働いて給料をもらったら、イシノマキは即やめよう。結論は簡単に出ていた。

この連載が単行本になりました

さまざまな加筆・修正に加えて、当時の写真・雑誌の誌面も掲載!
紙でも、電子でも、読むことができます。

昭和が終わる頃、僕たちはライターになった


著●北尾トロ、下関マグロ
定価●1,800円+税
ISBN978-4-7808-0159-0 C0095
四六判 / 320ページ /並製
[2011年04月14日刊行]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

電子書籍版『昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』も、電子書籍販売サイト「Voyager Store」で発売予定です。


著●北尾トロ、下関マグロ
希望小売価格●950円+税
ISBN978-4-7808-5050-5 C0095
[2011年04月15日発売]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった