2009-11-30

パイン事務所での暗黒時代 [北尾トロ 第13回]

パインの事務所では月刊誌の「ロンロン」に加えて、パソコン周辺機器のムック製作が始まった。当時はまだパソコンそのものが一般的になりつつあった頃で、この手のカタログ的なものにも需要があったのだ。いち早くパソコンを使いこなしていたパインにとって仕事はいくらでもあり、ひとりではさばき切れないほどである。そこでパインは、少しでも知識のある若手ライターにどんどん仕事をまわし、編集プロダクション「オールウェイ」を大きくする作戦を立てていた。

「俺はもう30過ぎだろ。このままライターで食っていけなくもないけど、プログラミングから自分でやるほど詳しいわけじゃないし、パソコンの専門家になりたいわけでもない。それよりは編プロのおやじになるほうが、この先生き残れると思ってるんだよ。秀樹も手伝ってくれると助かるんだけど」

そう言われてもパソコンは大の苦手。ぼくの出番はあまりなさそうだ。

「秀樹にそれは期待してないから。むしろ俺にはこないパソコン以外の仕事を中心にやってってくれればいいんだ」

パインは先々、ぼくに編プロの主要スタッフとして働いてもらいたいようなことを言う。そういえば、パインの部屋に居候していたときから、そんなことを言っていたなあ。それに最近は増田君あたりともそんな話をしているようだ。

一人じゃ心細い気分もあったので一瞬うれしかったが、何か引っかかる。また、イシノマキのような日々が繰り返されるのではという恐怖だ。パインには世話になっているし、先輩ライターとしてつき合う分には楽しいのだけれど、自分が編プロの社員になることには抵抗を感じる。いい予感がしない。返事を濁すと、パインは首を傾げて言った。

「いますぐどうこうじゃないから考えといて。いずれはここを出て自前の事務所を借りるつもりだから」

ムック製作は佳境に差し掛かり、ぼくも大量のキャプション書きを手伝った。その程度なら、資料にあるスペックを整理するだけなので、ぼくにもやれるのだ。また、この仕事を通じてパインの仲間たち、デザイナーやイラストレーターとも知り合った。みんな、少し世代が上の気のいい人たちだ。フリーとして何年もやってきているので、淡々と仕事をこなし、ソツがない。腕のいい職人を見る思いがした。

この仕事には伏木君も参加しており、ぼくと同じくキャプション書きに精を出していた。どちらも仕事が遅く、毎晩のように終電近くまで働いても予定が消化できないのだが、家に帰ったってやることもない。内職に精を出す人のように、原稿用紙の升目を埋めるだけだ。

「助かりますなあ。こういう仕事は頭を使わないでいいですから。パインさんのおかげで来月も家賃が払えそうです」

そうなんだ、まったくそうなんだ。ぼくの住居は家賃が5万円。光熱費や交通費でざっと2万円。定期仕事を持たない我々は、生きていくのに最低限必要な金さえラクには稼げないのである。だから仕事を与えてもらうとホント助かるのだが、しょせんはその程度でもある。

「そうですなあ。坂出君のような能力があって、パソコンを持ってなくても原稿が書けるようじゃないと、食っていくのはキビシそうです」

「まったくだなあ」

「はあ……。チラシのスペックをただ書き写している我々は、これからどうなっていくんでしょうか」

坂出君というのは、やはりイシノマキに出入りしていたライターの一人で、ぼくより3歳くらい歳下だった。歳下とは思えないほど落ち着きがあり、原稿もうまい。パインも坂出君の能力は高く買っていて、大事な部分は彼にまかせる。仕事をすることは少なかったが、一緒に食事をしたりするうちにだんだん打ち解け、ぼくは彼のことを坂やんと呼ぶようになっていった。

坂やんは、パインのこともクールな目で見ていて、仕事を振ってくれる先輩ライター以上でも以下でもないつき合い方をしていた。主戦力の一人だから事務所に席はあるが、完全にフリーの立場で関わるのだ。ぼくには坂やんのやり方がベストなように思えた。

ムック製作は1984年末から85年春にかけての仕事だったと思う。以前書いた電報屋のアルバイトも同じ時期。大きなことは何も起きなかったが、ちょこちょこ人に会ったりトライアル的な仕事をしたりして、貧乏ヒマなし一直線の日々だった。知人を介して「ビッグトゥモロウ」の編集者と会ったり、「とらばーゆ」という女性求人誌を紹介されたり、自分の発想にはない仕事が目の前に現れ始めたのだ。

家賃の支払いにも悩んでいる駆け出しライターとしては考えるまでもない。やるべしである。まだまだ仕事を選べる身分じゃないのだ。

なのに気が進まなかった。自分自身では何のドリョクもしていないのに、飛び込んできた仕事のチャンスに、俺はこういうのがやりたいわけではないんだなあ、と呟いて意気消沈するばかりだ。やりたい仕事が飛び込んでこないのは要するにツキがないのだ、こんな気持ちでやったとしてもうまくいきっこない、寝ているほうがイイ。思い切り後ろ向きの考えしか出てこない。

「ビッグトゥモロウ」のデータマンを1、2回やり、やっぱり嫌になってしまった。「とらばーゆ」は担当者に会うこともせず逃げた。増田君とパネル子との同棲記事をやるまで、ずっとこんな調子だった。

毎日、立ち食いそばばかり食べていたら、だんだん顔色が悪くなってきた。

この連載が単行本になりました

さまざまな加筆・修正に加えて、当時の写真・雑誌の誌面も掲載!
紙でも、電子でも、読むことができます。

昭和が終わる頃、僕たちはライターになった


著●北尾トロ、下関マグロ
定価●1,800円+税
ISBN978-4-7808-0159-0 C0095
四六判 / 320ページ /並製
[2011年04月14日刊行]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

電子書籍版『昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』も、電子書籍販売サイト「Voyager Store」で発売予定です。


著●北尾トロ、下関マグロ
希望小売価格●950円+税
ISBN978-4-7808-5050-5 C0095
[2011年04月15日発売]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった